昭和41年

年次世界経済報告 参考資料

昭和41年12月16日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第8章 ソ連および東欧

1. 1965~66年のソ連経済

(1)1965~66年の概況

ソ連経済にとって1965~66年は,7ヵ年計画(1959~65年)が終り,新5ヵ年計画(1966~70年)が発足した転換の年である。65年の成長率は,農業不作のため63年に次ぐ低さに落ちたが,66年にはいってからは工業生産は計画を上回る伸びを示し,農業も豊作に恵まれて新5ヵ年計画は一応好調のうちに発足したようである。この計画期間中にいわゆる利潤原則の導入など経済の計画・管理制度の改革が行なわれるが,5ヵ年計画の成否はこの改革を通じて経済の効率化が達成されるかどうかにかかっている。

このようなソ連経済の概況を,まず65~66年の主要経済指標からみてゆこう(第8-1表参照,ただしソ連の公表する経済指標は,その内容と算定方法が西側諸国のそれと異なるので,両者を相互に比較しえない)。

1)国民所得と工業および農業生産

国民所得(ソ連の統計では物的生産とその関連部門の純生産額)でみた経済成長率は64年に従来の鈍化傾向から反転して9%に上昇したが,65年には再び6%に低下した。この成長率の変化は主として農業生産の動きによるものであって,64年に前年の不作から回復した農業生産は,65年には穀物の不作でほとんど横ばいにおわった。他方工業総生産(個別企業の総生産額の集計)は64年の低成長にひきかえ,65年には8.6%増と計画を上回る拡大を示した。これは,消費財生産の伸びが,農業の不作と回復に1年遅れて,64年から65年にかけていちじるしく大幅になったことによるのであって,生産財生産は62年以来の成長鈍化の傾向を続けた。

この65年は7ヵ年計画(1959~65年)の最終年次に当るのであるが,計画期間における国民所得の伸びは57%(ソ連当局の発表によれば分配国民所得は53%増)で計画の62~65%増をかなり下回った。これは農業生産が70%という大幅な増産が予定されていたのに,実績では62年までの緩慢な増大と63年の落ちこみで最終年次にも7ヵ年計画前の水準を12%超えたにすぎなかったためであって,工業生産は84%増加して計画(80%増)を上回った。しかし工業についても部門別にみると,生産財生産部門では実績の97%増が計画の85~88%増を大きく超えたものの,年々の成長率は鈍化傾向を示したこと(その要因については昭和40年度世界経済報告56ページ参照),消費財生産部門では実績が60%増で計画(62~65%)を達成しなかったのみならず,農業生産の動きと関連して成長率の変動がいちじるしかったことなどを指摘することができよう。

66年にはいってからの工業生産の伸びは1~10月実績で8.5%(年間8.4%予想)と65年の伸び率にはわずかに及ばないが,年間計画のテンポをかなり上回った。また農業生産は穀物の記録的豊作をはじめ各種農産物の作柄良好で65年に比べ約10%の増大が予想されている。このような工業および農業生産の好調によって,66年の国民所得の伸びは計画の6%をかなり上回って7.4%となるものとみられている。

2)固定投資と個人消費

65年には国民所得の伸びが63年に次いで小幅であったが,固定投資の増加率も4%(国連ECE報告によれば約4.5%)と従来にない低さに落ちこんだ。建設事業には少なからぬ欠陥が認められ,多くの部門で生産能力稼動開始計画が達成されなかったのみならず,一部では作業の組織が悪く,建設用機械設備の利用が不十分だといわれる。

こうした投資ないし建設の不振は66年にはいってからも続いている模様である。上期の国家計画に基づく固定投資は前年同期に比べてわずか2%増大したにすぎず,また設備の稼動開始計画はいちじるしい未達成におわり,上期中の稼動開始は前年同期と同規模にとどまった。

他方,個人消費の指標として小売売上高(全売上高の4%を占めるコルホーズ市場を除く)をみると,65年,66年上期とも計画を上回って,実質で10%ないしそれに近いかなり急速な増加テンポを示した。この小売売上高の増加を裏づける個人所得の増大をもたらした各種の措置が65年中にあいついでとられた。すなわち,①公共,サービス部門の賃金引上げ,②最低賃金引上げの全面的実施,③コルホーズ員に対する国家年金制の実施などがそれである。これらの措置の効果もあって,雇用者の月平均賃金は65年には前年に比べ5.8%上昇したが,66年にはいってからは上期に前年同期比3%増にとどまった。他方,コルホーズ農民の労働報酬は,農業の好調と穀物買付価格引上げを反映して,66年上期には前年同期比20%の著増を示した。このコルホーズ農民の場合を別とすれば,賃金所得の動きからみると,65~66年の小売売上高の目立った増加傾向はやや異様にみえるが,それは畜産品の出回り増加と軽工業品の品質向上にともなう売行き好調によるところが多いものと思われる。

(2)工業諸部門の動きと新管理制度の実施

第8-2表 ソ連の部門別工業生産の推移

さきにもみたように,工業生産の拡大テンポは65年にかなり高まった後,66年にはいりわずかに鈍化したのであるが,これは主として消費財工業部門の動きによるものであって,生産財工業部門は成長鈍化の傾向を続けた。これを部門別にみると(第8-2表参照),65~66年に電力と化学の両部門は明らかにこの傾向を示した。とくに化学工業では重要品目たる肥料の増産テンポが落ち,その生産水準は化学工業振興計画(64~70年)の目標に達していない。

これに反して,機械・金属加工工業では66年に増産率が高まり,とくに自動車,消費財産業用機械,工具・オートメーション機器の三部門の増産(1~10月に前年同期比14~16%)が目立った。このうち自動車産業は,現在乗用車年産20万台(65年)ときわめて低い水準にあるが,イタリア(フィアット),フランス(ルノー)から設備,技術の提供を受けて70年までに3・5~4倍増産する体制をとりつつある。

近年低調を続けてきた軽工業は,66年に入ってかなりの増産を示し,とくに過去において停滞的であった繊維品,靴などの生産は目立って上向いた。これは消費者の不評を買っていた品質や型に改善が加えられ,売行不振が解消してきたことによるものであろう。そのほか消費財産業では65年の農業不作の影響による食品工業の不振と家庭用器具の増産テンポ向上が目立っている。

66年に工業部門で注目すべきことは,計画・管理の新制度,いわゆる利潤原則の導入が実施されたことである。すでに66年10月末までに,工業全体の生産の12%余,生産要員の10%を占める673の企業が新制度に移行した。そして1~9月の実績は前年同期に比べ売上高11%余,利潤20%(工業全体では10%),労働生産性8%(同じく5%)の上昇と好調を示している。しかしこれらは新制度実施の条件が比較的整った企業であって,今後新制度の範囲が拡大するにつれて,多くの問題が出てこよう。とくに各部門,各品目の収益性を保障するような新卸売価格の設定は新制度の基本的条件である。新価格はすでに66年10月繊維に実施され,67年7月初から全面的(食料品は67年1月)に適用されることになっているが,その準備は遅れがちであるといわれる。

(3)豊作に恵まれた66年農業

工業がわずかな成長鈍化を示したのにひきかえ,66年の農業は前年の不作から一転して豊作に恵まれた。65年には,綿花をはじめ原料用作物の作柄は良かったが,穀物の収穫量は前年比約10%の減少となった。その結果,当初の目標より引下げられていた穀物の国家買付計画さえ達成されなかった(第8-1図,第8-3表参照)。

これとは対照的に,66年の穀物収穫高は過去5ヵ年平均(1億3,000万トン)を超え,64年の豊作の記録を更新して1億6,000万~1億6,500万トンとなり,国家買付量も10月末までに7,400万トンに達したといわれる。このような豊作は好天に恵まれたことと,国家買付価格の引上げ,調達計画超過分に対する追加金の支払いなど,65年実施の政府の刺激策が効果を示したものとみられる。

そのほか原料用作物の作柄も良好と伝えられるし,畜産物の国家買付量も前年に引き続き計画(66年上期)を上回るなど,農業部門全体として好調を示している。しかし,畜産の一部は63年の凶作の影響を脱しきれず,66年初の家畜頭数(牛を除く)は63年の水準まで回復しなかった(第8-4表参照)。さらに66年央ではソフホーズ,コルホーズの公有家畜(牛を除く)は前年同期を下回りさえした。

こうした畜産部門の弱点は63年と65年の穀物不作から飼料不足による被害を受けたからであるが,そのほかにも穀物収穫の不安定は工業や貿易にも影響するところ大である。そこで農業生産の安定性を確保するため「農作物の収量の向上と安定的増産」を目的とする大規模な土地改良計画が立案された。すなわち,66年6月の政府と共産党の共同決定によれば,計画は今後10年間に灌漑,干拓などを推進し,1975年の土地改良総面積を37~39百万ヘクタールとしようとするもので,66~70年の水利,土地改良その他附帯事業に対する投資額を134億ルーブル余と予定した。この土地改良計画は,肥料,農薬の増投と並んで,ソ連農業の集約化の基本的方策とされている。

(4)貿易の動向

1963年後半から始まった西側諸国からの小麦の大量輸入とその動きは,貿易全体の動向にかなりの影響を及ぼした。65年には輸出が81億6,600万ドル(ソ連の公定換算率0.9ルーブル=1ドルで換算,以下同じ),輸入が80億5,400万ドルで,輸入より輸出の伸び率が大きく,輸出入収支は64年の入超から65年の出超に転じた。そのうち西側先進国に対する入超は輸出の著増と小麦を

中心とする輸入の減少で4億5,200万ドルから1億3,800万ドルに減少した(第8-5表参照)。

64~65年における貿易の地域構成の変化をみると(第8-2図参照),社会主義諸国との貿易の比重は,輸入ではほほどんど変化がなかったが,輸出ではかなり低下した。これは,コメコン諸国向けの輸出が微増にとどまったからで,東ドイツ,ルーマニア向けの輸出は穀物,鉄鋼を中心に減少さえ示した。

これと対照的に従来減少を続けてきた中国への輸出が機械,鋼材などを中心に増加したことが注目されるが,その規模は最盛時の約20%,65年のソ連の輸出総額の2.3%に過ぎない。他方,コメコン諸国からの輸入は機械輸入を含めて64~65年と引き続いて伸び率が低下し,また中国からの輸入は,中国の対ソ借款がすでに完済されているため,いっそう大福に減少した。こうして全体としての社会主義国からの輸入の伸び率は鈍化したのである。

第8-5表 ソ連の地域別貿易額

資本主義諸国との貿易では,65年に輸出がかなり大幅に伸びたが,輸入はわずかな増加にとどまった。これを地域別にみると,輸出は先進国向けで石油,木材などを中心に,低開発国向けでは石油,鉄鋼を中心に(機械は横ばい)いずれも増加したのに対し,輸入面では低開発国からの輸入は著増し,他方先進国からの輸入は穀物輸入をも含めて減少した。その結果,さきにも述べたように対先進国貿易の収支は改善されたが,低開発国に対しては経済援助の実行もあって大幅な出超が続いた。

西側との貿易を国別にみると,第8-6表に示すように,65年に先進国ではまず,カナダ,オーストラリア,ことにアメリカからの輸入(主として穀物)が減少したことが目立っており,日本と西ドイツからの輸入も機械を中心に減少した。その半面,先進各国への輸出はいずれも増加し,多くの国に対する貿易収支が改善された。66年にはいってからの状況を第8-7表の西側の統計でみると,ソ連側の輸入ではカナダからの小麦輸入が再開され,日本,イギリスからの輸入が65年同期より増加しているほかは,多くの国からの輸入が減少傾向をみせているのに対して,輸出はほとんど各国向けに増加しているなど,65年とほぼ同じ傾向がうかがわれる。