昭和41年

年次世界経済報告 参考資料

昭和41年12月16日

経済企画庁


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第3章 西ドイツ

1. 1965~66年の経済動向

(1)概況

1965年下期から66年にかけての西ドイツ経済は,行き過ぎたブームのあとの調整段階にあったといえる。64~65年の投資ブームの過程で物価の高騰や国際収支の逆調など過熱現象が生じたため,その是正策として金融引締めを中心とする各種の対策がつぎつぎととられた。その効果がようやく66年央ごろにあらわれて,物価も落ちつきをとり戻し,国際収支も改善された半面で,国内需要の抑制から経済活動は停滞的様相をみせるにいたった。

(2)経済成長の鈍化

まず全体としての生産の動きをみると,国民総生産は64年に実質6.6%というピークの成長率を示したあと,65年は4.5%増にとどまった。しかも上期の5.1%増(前年同期比)から下期の4.0%増へとしだいに減衰傾向をみせ,さらに66年上期には前年同期比3.4%増にとどまった。工業生産も同様な動きを示し,64年に8.0%増のあと,65年には5.3%増,66年1~9月には2.4%増にとどまった。四半期別にみても,第1・四半期の3.4%増,第2・四半期の2.8%増,第3・四半期の0.7%増,9月には1.8%減となった(いずれも前年同期比)。OECD作成の季節調整済み指数でみても,6月の138(1960年=100)をピークとしてその後低下に転じており,9月には130となった。

このような経済拡大率の鈍化傾向が65年中は主として労働力や設備能力など供給側の制約によるものであったことは,65年中に労働力需給がさらにひっ迫し,製造工業の操業度が上昇し(64年の87.8%から65年の88.0%へ),さらに輸入が20%も増加したことからも察せられる。しかし66年になってからの増勢鈍化は主として引締め政策による需要の弱化に原因している。このことは66年にはいってから労働需給がやや緩和し(第3-2図),製造業の操業度が低下し(85.5%へ),製造業の新規受注が頭打ちから減少へ転じ,さらに輸入増勢がいちじるしく鈍化したこと(1~9月でわずか5%)からもうかがわれよう。

第3-1図 工業受注と生産

(3)労働力需給の緩和傾向

65年中極度にひっ迫していた労働力需給も,景気状勢の軟化を反映して,66年になってからしだいに緩和してきた。とくに製造工業では66年4月以来雇用数が前年同期を下回りはじめた。工業部門から放出された労働力はとくに労働力不足のはげしいサービス部門で吸収されていたが,第3・四半期になると国民経済全体としての雇用数も前年同期を下回った模様である(ブンデスバンクの推定)。外国人労働者数も,6月から9月にかけて例年の季節的動きとは逆に微減した( 9月末現在で131万人)。

このような雇用状勢を反映して,未充足求人数も66年1月以来前年同月の水準を下回っており,他方失業数は5月以来前年同月を上回るようになった。失業率も8月以来前年同期をわずかながら上回るにいたった。

10月末の情勢をみると,失業数14.6万人に対して未充足求人数は43.6万人で,後者が前者の約3倍となっており,また失業率も0.6%という低さ(前年同月は0.5%)であって,いぜんとして超完全雇用の状態にある。しかし前年10月には求人数が失業数の7倍もあったことからみても,労働需給の緩和は明らかであろう。

第3-1表 国民総支出の変動

(4)設備投資の急速な衰退

66年の経済動向が主として需要の動きによって決定されたことは前述のとおりであるが,それでは需要はどのように動いたか。65年においては,増勢の鈍化をみせたのは輸出と固定投資だけで,そのうち輸出の増勢鈍化は国内ブームによる輸出余力の減退と重要市場である仏伊の景気不振を主因とするものだった。ところが66年になると,輸出を除くすべての需要が増勢の鈍化または減少を示した。なかでもとくに不振に陥ったのは,設備投資である。

住宅を含む固定投資は64年に12%増のあと,65年には7.2%増となり,さらに66年上期にはわずか前年同期比5.0%増にとどまった。資本財の生産も66年にはいってまったく横ばいとなり,第3・四半期には前年同期を2.4%下回るにいたった。

さらに設備投資の先行指標である資本財の国内新規受注をみると,65年の9.7%増に対して,66年上期には1%減,第3・四半期には7%減となり,とりわけ機械工業の国内受注は上期9%減,第3・四半期15%減となった。

さらに建設投資の先行指標である建設許可面積も,64年4月以降減少傾向に転じており,7~8月には前年同期比10%減となった。

さらにIFO研究所のビジネスサーヴェーによると,工業投資は65年16%贈に対して,66年の工業投資は3月の調査でわずか3%増とされていたが,10月の調査では昨年並みにとどまるであろうとされ,また67年の工業投資は8~10%減と予測されている。

以上のように,投資の先行指数はいずれも企業の投資意欲の減退を示唆している。このような投資の減少傾向は,賃金コスト増による利幅の縮小と利潤の減少傾向(企業の留保利潤は64年に24%増のあと,65年は20%減,66年上期は10%減),および金融引締めによる外部資金の調達難が最大の理由であるが,操業度の低下や景気見通しの悪化などの要因も,最近はしだいに重要性を増してきたようである。

設備投資の不振に加えて,在庫投資も65年下期から減少に転じており,さらに個人消費も66年にはいって増勢の鈍化をみせはじめた。すなわち66年に実質で6.1%増加したのに対して65年上期には前年同期比4.8%増にとどまった。これはいわゆる大衆所得(勤労所得プラス移転所得)の増勢が66年にはいって鈍化したためである(65年の11.5%増に対して66年上期は7.8%増)。

注目をひくのは,政府消費が65年に国民総生産の伸びを上回る6.6%(実質)も増加したあと,66年上期にはわずか2.6%増にとどまったことである。

65年の大幅増加は65年が選挙の年であったこともあって財政が放漫化したためだが,66年にはいってからは政府の財政引締め方針を反映して財政支出の増勢も鈍化した。ただしこれには国防支出(海外軍需品購入)の増勢鈍化が大きく響いている。

第3-2表 固定投資の先行指標

(5)輸出が最大の景気支柱

国内需要が前述のようにいずれも鈍化ないし停滞的となったのに対して,輸出はますます好調であり,現在の局面において西ドイツの景気を支える最大の支柱となっている。

西ドイツの輸出は,63年下期以降の景気上昇局面において起動力としで働いたあと,国内ブームの進行に伴い64年下期から増勢の鈍化をみたが,国内需要が鎮静化の兆候をみせはじめた65年下期から再び増勢が高まり,66年にはいってさらにその勢いが増している。

すなわち輸出は66年1~9月間に12.4%(前年同期比)ふえたが,これは前年の増加率10.4%を上回っている。さらに四半期別の増加率をみても,第1・四半期の9.1%増から第2・四半期の12.8%増,第3・四半期の15.3%と増勢の高まりをみせた。この点は先行指標である製造業の輸出受注の動きにもあらわれており,1~7月に13%の増加を示した。かかる輸出増加は主として国内需要の頭打ちによる輸出ドライブと,仏,伊,などEEC諸国の景気上昇とアメリカ向け輸出の好調を反映したものである。

戦後の経験では,西ドイツのばあい国内需要が弱まると輸出が増加し,この輸出の増加が起動力となって国内の投資がしだいに刺激されて全面的な景気上昇局面にいたるという経過を繰り返してきた。63年下期以降の景気上昇期においてもそれがみられたが,今回も輸出面では似たような推移をたどっている(第3-3図)。これは西ドイツの輸出の主力が工業製品であり,工業の輸出依存度が高いために企業の輸出マインドが比較的高いことに加えて,西ドイツ製品の競争力が概してまだ強く,さらに主要輸出市場である仏,伊と西ドイツとの景気循環局面にずれがあったことによるものであろう。ただし今回の輸出の活況ぶりが65年当時ほど旺盛でないことに問題があり,それに何よりも金融引締め政策が緩和されていないから,輸出の好調が企業の投資意欲を刺激するところまでいかず,むしろ現段階では投資意欲がますます衰えつつあることは前述したとおりである。

(6)物価の騰勢おさまる

以上のような需要の鎮静化を反映して,物価上昇傾向もしだいにおさまってきた。工業製品生産者価格は66年5月以来横ばいないし微落傾向をつづけており,66年9月の水準は前年同月比1.2%高にとどまった(65年は2.3%上昇)。

これには生産財価格の低落がひびいているが,資本財および消費財の価格も夏以降安定を示している。

65年に3.4%も上昇したあと,66年春ごろまで急テンポの上昇をみせていた消費者物価も6月以降横ばいとなり,8月からやや微落傾向をみせ,9月の水準は前年同月比,28%高にとどまった。しかしこれは主として昨年不作で騰貴した馬鈴薯や野菜の価格が本年は豊作で低落したためである。

この種の季節性食糧を除いた綜合指数の動きをみると,いぜんとして上昇傾向に変わりがなく,66年9月の水準は前年同月比4.1%高となっており,騰貴率としてはむしろ昨年のそれ(2.8%)を上回っている。項目別に66年9月の水準を前年同月と比較すると,家賃(9.6%高),保健衛生(6.3%高),運輸通信(4.3%高)などサービス関係部門の騰貴率が高い。これには,家賃統制の漸次的解除と,66年春の国鉄運賃引上げ,郵便料金引上げが大きくひびいている。

衣料,靴など消費財の価格も3.3%高とかなりの上昇率を示している。

このように消費者物価は,季節性食糧を除くと,一般景気の沈静化にもかかわらず,実質的にはなお上昇傾向をつづけており,このことは消費需要の根づよさと同時に,コスト面からの上昇圧力を示唆するものであろう。

そこで賃金の動きをみると,上昇率に鈍化傾向があるとはいえ,なおかなり大幅な上昇を示しており,とくに生産性上昇率と対比した場合にその感がふかい。たとえば工業(建築を含む)の賃金上昇率は,65年の9.2%から,66年上期の8.1%,第3・四半期の6.7%へと鈍化しているが,他方工業従業員1人あたりの生産性上昇率も65年の4.2%から66年上期の3.2%,第3・四半期の2.6%へと鈍化しており,賃金の上昇率がいぜんとして生産性の上昇を大きく上回っているのである。

65年末に専門家委員会が,66年の所得増加のガイド・ラインとして6%(実質国民総生産の予想上昇率4%に物価の予想上昇率2%を加えたもの)の線を打ち出したことが,その後の賃金交渉にかなりの影響をあたえたようである。だが統計数字でみるかぎり,実際の協約賃金率の上昇幅はガイド・ラインをやや上回っており,超完全雇用下におけるガイド・ライン政策のむずかしさを示すものといえよう。

第3-4図 消費者物価指数の動き

第3-3表 工業(建築を含む)の賃金俸給と生産性の動き

(7)金融もやや緩慢化のきざし

64年はじめにとられた外資流入阻止措置と65年はじめ以来の国際収支赤字化という対外面からの国内流動性に対する抑制的影響に加えて,ブンデスバンクの引締め政策と民間および公共機関の旺盛な資金需要のため,西ドイツの長短期金融は65年春ごろからひっ迫の度を加え,金利もじりじりと上昇傾向をみせはじめた。とくに65年後半から66年前半にかけて異常な上昇を示し,とりわけ長期金利の上昇がいちじるしく,たとえば公債利回りは64年の平均6.2%から65年末の7.7%という異常な高さになった。その結果政府は65年7月に民間新規起債の一時的禁止措置をとり,さらに9月には公共債の発行自粛措置がとられた。その後66年にはいっても数回にわたり公共債発行の自粛措置が継続された。このような起債者側における自粛措置(確定利付証券の発行高は65年1~9月間の119億マルクから66年1~9月の69億マルクへ減少)により,長期金利の上昇傾向も8月以降とまったようである。

他方短期金利も66年央以来の国際収支黒字化が大きく影響して,これまた金利上昇傾向が8月以来とまり,逆にやや低下気味となってきた。設備投資の減退による民間資金需要の減少も,金利低下の一因となったようである。

第3-5図 西ドイツの金利動向

(8)国際収支の改善いちじるし

国際収支もいちじるしい改善を示し,綜合収支は5月から黒字化した。その結果,ブンデスバンクの金・外貨準備(IMFリザーブ・ポジションを含む)は4月の71.8億ドルを底としてその後増加に転じ,9月末現在で76.7億ドルまで回復した。ただしこの水準は従来の最高である64年末の78.8億ドルにはまだおよばない。このような国際収支改善の主因は貿易収支の好転にあるが,このほか国内の金融ひっ迫から企業の対外借入が増え,短資の流入が増大したことも,一因となった。

西ドイツの国際収支が65年に大幅な赤字(15億マルク)を出したのは,経常収支が前年の黒字4.6億マルクから65年には赤字60.7億マルクヘ転落したためであるが,この経常収支赤字化の主因は貿易黒字幅が前年の61億マルクから65年の12億マルクへと大きく縮小した結果である。ところが66年にはいると,輸出の引き続く著増(1~9月間に12.4%増)に加えて,輸入の増勢が大幅に鈍化した(65年の20%増に対して66年1~9月間は5%増,第3・四半期は0.4%減)ために,出超幅も1~9月間に44.8億マルク(前年同期は6ルク)という巨額に達した。輸入がしだいに頭打ちとなってきたのは,一つには軍需品購入が減少したためであって,軍需品購入を差引いた輸入は前年同期比8%増であった。しかし輸入増勢鈍化の主因が国内景気の鎮静化にあったことは疑いない。

いずれにせよ,1~9月の実績から経常収支の均衡化に必要とされる貿易黒字70億マルクの目標の達成も可能だとの見方も出ている。すでに第3・四半期の経常収支はわずかながら黒字化した。

このように国際収支は66年にはいちじるしく改善されたものの,長期的にみると西ドイツの国際収支構造が60年代にはいって大きく変化し,その結果50年代のような慢性的黒字の可能性が消滅した点を指摘せねばならない。50年代においては,商品貿易の黒字幅が大きかったばかりでなく,貿易外取引もつねにかなりの黒字を出していた。ところが60年代になると,貿易外が恒常的に赤字化した(主因は観光支出増と外国投資利子支払い増)ばかりでなく,移転収支の赤字幅が大きくなった(賠償支払いと外国人労働者の本国送金の増加)。その結果,50年代後半では貿易外の受取りと移転支払いがほぼ相殺されて,商品貿易の黒字額がそのまま経常収支の黒字となっていたのに対して,60年代前半の平均では貿易外と移転支払いで合計して55億マルクの赤字となっており,とくに65年にはこの両者だけで73億マルクの赤字であり,66年も同様な数値を示しているから,経常収支均衡のためには商品貿易で70億マルク程度の黒字を出さねばならない。本年のように国内景気不振の時期にはそれも可能であろうが,今後再び景気が上昇して輸入が増えると,経常収支の赤字化が免れないことになる。その意味で,50年代には国際収支を気にしないですんだ西ドイツも,60年代においては国際収支の動向について敏感とならざるをえなくなったわけだ。

第3-4表 西ドイツの国際収支


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