昭和40年

年次世界経済報告

昭和40年12月7日

経済企画庁


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第6章 東南アジア

1. 東南アジアの経済動向

1964年の東南アジア経済は,かなり良好な経過を示したとみられる。貿易面では,輸出入とも63年の増加率をかなり下回ったが,農業生産が好転したため,前年以来経済危機を経験した国々でも国内経済は安定をやや取り戻し,成長率は高まった。

65年にはいると,鉱工業生産の増加は続き,農業も比較的良好とみられるが,問題は貿易面からあらわれてきている。主要国の65年上期の実績をみると,インドでは輸入の大幅増と輸出増加率の低下が顕著であり,その他の国では輸出増加率の高まったばあいも四半期でみればしだいに増勢が鈍化してきている。

金・外貨準備は,すでに64年第2・四半期から減少傾向がみえ,IMFから借入れが行なわれたにもかかわらず,65年にはいっても増加する気配はない。

(1)生産は比較的好調

農業生産は,1962~63年に停滞的であり,一部の国で食糧不足を激化させたが,63/64年度には穀物でかなりの増産をみて,各国経済の成長を促進した。

64/65年度についても,主要国で米の生産が伸びており,農業面は比較的好調とみてよかろう。もっとも,インドなどでは,食料需給がこれによって大幅に緩和されるとは期待できず,また65/66年度の作柄の見通しは悪く,不足状態がなお続くであろう。

鉱工業生産については,64年の増加率は東南アジア全体で鈍化した。しかし,61,62年よりは高く,かなりのテンポで拡大が続いていることがわかる。

四半期別の指数でみると,増加率の鈍化は64年の上期に起こったもので,後半には再び増加率を高めており,とくに,重工業部門のそれがいちじるしい。軽工業部門では食料加工,繊維産業といった主要産業で増加率の鈍化傾向が64年後半も続いているが,なおかなりの高水準を維持している。鉱業部門,電力・ガス部門の生産はほぼ一貫して増勢を強めてきており,とくに後者の増加率はきわめて高く,重工業のそれを上回るにいたった。

65年も鉱工業の増産傾向は続くものとみられ,第1・四半期にも前年同期比で11%増加した。しかし下期にはいって国際収支難から輸入制限が強化されれば,増勢は鈍化するかもしれない。すでにインドでは,10%の輸入課徴金の設定,輸入制限,為替制限の強化が実施されている。

第6-1図 東南アジアの農業生産

第6-1表 米と小麦の生産

第6-2表 鉱工業生産増加率

(2)貿易面で問題あらわれる

63年における輸出入の大幅増加のあと,64年には輸出入ともいちじるしく増勢が鈍化した。これは,64年の下期における工業諸国の輸入増勢の鈍化があったので,低開発国の輸出が伸びなやんだこともあるが,マレーシヤ紛争でインドネシアとマレーシヤ加盟国との貿易が激減したためとみられる。

輸出が64年に減少した国は,ビルマ,シンガポール,南ベトナム,カンボジヤ,サバであったが,その他,インド,台湾,香港,フィリピンなど,下期にいたって増勢の鈍化した国が多い。65年第2・四半期にはいって輸出の増勢に鈍化傾向がさらにはっきりあらわれてきた。

輸入面では,65年第1・四半期に,インド,パキスタンを除き,大部分が輸入減退,ないし増勢の鈍化を示している。しかし,第2・四半期にはいって,再び輸入は高まった。輸出の増勢鈍化と輸入の拡大をみたインドでは,国際収支難がいちじるしくなって,各種の制限措置を実施せねばならなかった。自由化をめざしてきたパキスタンでも,制限措置が一部とられている。64年中に輸出を大きく伸ばしたタイも,65年にはいって輸出入を著しく鈍化させている。

金・外貨準備(IMFポジションをふくむ)は,64年の第1・四半期末に,東南アジア全体で34億8,000万ドルのピークに達したのち,減少をはじめ,64年末には32億9,500万ドルとなった。各国の65年9月末の準備高をみると,ほぼこの線で横ばっている。

66年の見通しとしては,工業国の輸入が増勢鈍化の傾向を強めるにつれ,東南アジアの輸出は伸びなやむこととなるであろうし,金・外貨準備の減少が続くと,輸入は増加を抑制されるであろう。

第6-3表 東南アジア諸国の生計費指数の増加率

(3)財政金融の引締めと物価上昇の鈍化

農業生産の停滞を背景として,多くの国で63年末から64年を通じて起こった物価騰貴は,農業生産とくに穀物生産の増加を主因としてやや鈍化した。しかし,はたしてインフレ傾向が弱化する方向に向かうか否かは疑問であり,65年央から再び物価が増勢を強めた国がかなりある。

タイ,マレーシヤといった従来からの安定的成長を遂げてきた国々の物価は,横ばいないし低落気味であり,貿易が順調に伸び生産も上がっている台湾の物価も横ばいであるが,その他の国々では,多かれ少なかれインフレ傾向があるため,金融面では引締め政策がとられてきた。64~65年にもインフレ圧力に対処するため金融引締めはさらに強化され,インドの場合は65年2月に公定歩合の再引上げ(6%)を行ない,66年度は当初黒字予算を組んだ。

このディスインフレ政策は物価上昇率の鈍化をもたらす一因となったことは確かであるが,その鉱工業生産面への悪影響が気づかわれている。

(4)見通し

63~64年の輸出の高まりは終わり,輸入の増加がなお続いているとはいえ,再び国際収支難があらわれて,貿易の見通しは暗い。農業についても,インドなどでは作柄がよくないと伝えられる。しかも,インドとパキスタンの軍事的対立やインドネシアの政情不安など,政治的要因が,経済にも暗い影を投げかけている。

東南アジア経済は,困難な局面を迎えることになるかもしれない。

2. 各国の経済動向

(1)インド

1963年末から食料不足と物価騰貴に悩まされてきたインドは,64年後半から国際収支難が激化し,外貨危機がこれに加わった。さらに65年8月末には,パキスタンとの国境紛争が戦争にまで発展してしまい,いまだに解決をみていない。しかも65/66年の農業生産は不作となる見通しである。

1962/63年度の食料生産が不作であったため,食料不足が各地で深刻化し,物価が上昇率を高めたが,その後農業生産が好転して,物価の上昇は鈍化し,65年上期にはいくぶん下落さえ示した。しかし,65年下期にはいり,食料価格を中心に物価は再び上昇している。1964/65年度の穀物生産が豊作であったにもかかわらず,食料の出回りが悪く,価格上昇が続いたのは,投機や退蔵が防止できず,配給制度が円滑に作動していないためである。また,中央政府が必ずしも州政府の食料政策をうまく調整できぬ点も指摘されている。

鉱工業生産は64年にも上昇を続けたが,遊休設備がかなりあり,その一部は輸入原料や部品の不足によるものと思われる。64年末からとられた輸入制限の強化や,インド・パキスタン戦争の影響が鉱工業生産にあらわれているとみられる。

パキスタンとの戦争は,国防費の増額を結果し,課税負担をふやす。

インフレ圧力もこれに加わって外国民間資本の誘致政策に支障を来しそうである。

問題の国際収支についてみると,輸出も増加したが,64年第4・四半期から輸入が激増し,貿易収支の赤字幅は異常に拡大した。そのうえ対外債務が累積し,その元利支払が年々増大してきている。このため64年末に為替制限の強化,65年にはいって10%の輸入課徴金,厳しい輸入制限措置がとられた。

しかし輸入の増勢は衰えをみせず,外貨準備の減少傾向はやんでいない。

インドは66年3月で第3次5ヵ年計画を終了し,4月から第4次計画を開始する予定であるが,このように経済情勢が悪化しているので,計画の変更も論議に上っており,また公共部門優先政策に対する民間部門の譲歩要求の声も高まっている。今後の経済政策の運営はますます困難を加えていこう。

第6-4表 東南アジア各国の輸出入の増加率

第6-5表 インドの主要経済指標

第6-2図 インドの貿易と金・外貨準備

(2)パキスタン

パキスタン経済は,65年6月末で第2次5ヵ年計画を終了した。この5ヵ年間における国民所得の増加は,計画目標24%に対し,実績28.4%に達した。このような成果を背景として,野心的な第3次5ヵ年計画の実施期にはいったが,65年8月末に,カシミール問題をめぐってインドと武力衝突が起こり,その先行きが問題とされている。

1964~65年をふりかえってみると,鉱工業生産は引き続き好調で,民間投資も活発であった。農業生産は,1963/64年には米と綿花の増産があって相当な伸びを示したが,64/65年ではジュートは東パキスタンの洪水で打撃を受け,米と小麦の生産も減少したとみられている。食料自給化を達成する道はなおけわしい。

貿易面では,輸出が64年下期から伸び率を高め,65年上期にも好調であったけれども,輸入の伸びもかなりのものがある。輸出では64年には綿花の不振に対して,ジュートの伸びが大きく,65年にはいると,綿花,ジュートいずれも64年同期を相当上回った。輸入をみると,輸入制限をある程度ゆるめたためもあって増加が続いたが,64年末から65年初めにかけて外国援助による輸入が増大して,貿易収支の赤字幅は拡がった。その後,輸入制限が一部強化されたが,輸入の増勢は続いている。金・外貨準備は,63年の終りごろから減少傾向にある。

通貨供給がかなりのテンポで増加しており,農業生産の伸びがさほどでないため,物価の上昇圧力が強く,金融は引締め基調を続けた。公定歩合が65年9月に4%から5%へ引き上げられ(1959年以来はじめて),65年にはいってから以後民間部門への貸出しはいちじるしく増勢が鈍化している。しかし,信用規制にもかかわらず,投資は衰えていないようである。

インドとの武力衝突が軍事費の増大をまねき,今後のパキスタン経済にかなり不利な影響を及ぼすことが気づかわれている。援助の先行きも必ずしも明るいといえず,パキスタン経済の先行きに注目していく必要があろう。

第6-6表 パキスタンの主要経済指標

第6-3図 パキスタンの貿易と金・外貨準備

(3)ビルマ

国際的な諸問題が大きくクローズ・アップされている東南アジアで,ひとりビルマは内政に没頭し続けてきた。1964年に革命政府の社会主義化政策は激しいテンポで推進され,ビルマ経済の社会主義化はほぼ完了する段階に近づいたとみられる。

65年にはいってからも,ビルマ・ユニレバー,ビルマ会社(Burma Corpora-tion……銀,鉛,亜鉛などを採掘する鉱山会社)が,また中部ビルマの油田が国有化された。

農業面では,65年4月5日から小作料が廃止された。農民保護の目的で,独立後作られていた土地国有化法では,小作料は地主の支払う地租の2倍と定め,63年に革命政府は農地の処分権を国家に留保した。小作料廃止はその延長線上の政策にほかならない。

だが,このような急激な社会主義化政策は,民間部門のいちじるしい沈滞をまねいている。民間部門に対する貸出しは64年11月末に対前年同期比で29%減となった。65年にはいって減少はとまったが,これは国有化の行過ぎを是正する意味で,小売業に若干の自由を許したためとみられている。

64年以来,民間投資は,とるに足りぬ額に下落した。民間企業に対する一般的な経済環境の悪化のほか,64年5月にとられた高額紙幣の廃止,および新設税により,利潤の大部分を吸い上げられることとなったためである。

セメント,煉瓦,タイルなどの生産は下落しており,建築も減退したものと推定される。木材生産も15%程度低下した。鉱業では,原油の生産は増加したが,錫とウォルフラムは,国際相場の上昇にもかかわらず減産した。

64年中に激しかった民間企業の閉鎖はしだいに少なくなってきているものの,原料と機械とくに輸入品の入手難で経営は困難に直面している。このため失業者は増加を続け,職業安定所の登録者数は激増している。

このような民間企業の不振に加え,輸出の減少,高額紙幣の廃止,政府職員の賃金凍結があって,民間消費は下落の一途をたどっている。しかも流通機構を国有化したため混乱が起こり,消費財の入手難が激しくなり,闇市場が栄えている。

64年末に,人民販売公社は登録小売店でいくつかの品物を自由販売することを許した。

他方,公共支出は再び激増をはじめた。公共支出が通貨膨張の主因となっており,通貨供給がふえている。64年5月に高額紙幣の廃止を行なったので,通貨は4~5月間で4割減少したけれども,その後再び増加をはじめた。しかし預金は減少を統けた。

政府の開発支出は,主として農業,道路建設,輸送設備などのインフラストラクチャーの整備に向けられており,直ちに生産に役立つものであるとはいえない。

農業生産は1963/64年度に豊作を記録したが,米の輸出は下落し,64年には53年以来はじめてタイに追い抜かれた。輸出はソ連,イギリス,日本向けでふえたが,東南アジア諸国向けが大きく減少したのである。

輸入も減少したけれども,貿易収支の赤字幅はいっそう拡大しており,金・外貨準備は大幅に低下した。

ビルマ経済の見通しは困難であるが,社会主義化政策が一段落すると,国内経済にも落着きがでてくることになろう。

第6-7表 ビルマの金融経済指標

第6-4図 ビルマの貿易と金・外貨準備

(4)タ  イ

タイの経済は1964~65年にも順調な発展をとげた。農業,鉱工業いずれも生産が伸び,投資も増大し,貿易の拡大が統いた。経済活動の上昇にもかかわらず物価は安定しており,今後も経済拡大が続くものと予想される。

国内総生産の35%を占める農業についてみると,64年に,前年を6.3%上回っている。農業生産は58年に減産したあとは,一貫して増勢を保ってきた。米(もみつき)の生産はとくに良好で,1,017万トンに達した。米の生産性は,このところ年々増加している。ゴム,とうもろこしなどの生産も増加したが,とりわけケナフが7割,砂糖きびが4割の大幅な増産となった。しかし,砂糖きびについては,砂糖の国際市況の悪化にあって,過剰生産となり滞貨がいちじるしい。他方,カサバは減産した。林業はあまり振わず,チーク材は19%の減少をみた。

第6-8表 タイの米(もみつき)の収穫面積と生産

第6-5図 タイの農業生産

鉱工業生産はまだ国内総生産の13%を占めるにすぎないが,成長のテンポは早い。とくにいちじるしい生産の伸びを示したのは,紙(64年に72%増),ジュート袋(45%増),砂糖(34%増)であった。もっとも,砂糖のばあいは,増産にもかかわらず,国際市況の悪化で採算がとれず,閉鎖を余儀なくされた工場がかなりある。その他,セメントなど建設資材の増産が続いている。鉱業では,錫が値上りしたのに,64年の生産は横ばいだったが,ウォルフォラムは国際価格の急昇に反応して倍増し,鉄鉱石はタイ南部の新鉱山開発でかなり増産となった。鉛の増産もいちじるしい。これらの品目の多くは,砂糖などを例外として,65年にはいっても増産を続けているものと推定される。

鉱工業投資も活発で,64年中に投資委員会(BoardofInvestrnent)は64の奨励証(Promotion Certificates-政府の奨励する産業分野の企業設立および企業拡張に対し発給し保護を与える)を出したが,そのうち新設企業(43件)の資本金総額は5億910万バーツ,うち2億4,850万バーツは外国資本である。

このような鉱工業部門の拡張は,ほとんど民間企業にゆだねられるようになっており,政府はもっぱら道路建設などインフラストラクチャーの整備に力を入れている。65年から地方道路6カ年計画がはじまり,また63年に開始された国道8カ年計画の実施も強化されている。

このような国内生産の好調を背景に,貿易の拡大が続き,とくに輸出は64年に対前年比29%伸びた。他方,輸入は9.3%増加したので,貿易収支はいちじるしい改善をみた。65年にはいって輸出入とも増勢に鈍化がみられるが,なお高い水準にある。

この輸出の好調は多数の品目にわたっているが,米(64年に30%増),とうもろこし(64%増),ケナフ(39%増)が大きい。その他の品目の増加率も高く,錫は数量では1.5%増にすぎないが,国際価格の上昇により価額では3割増,逆にゴムは数量で16%増,価額で8.1%増となった。砂糖は数量で減少,価額で7割増である。チーク材輸出は数量・価額とも3割程度ふえた。

輸入では,国内の生産活動と投資活動の高まりを反映して,機械と輸送設備,燃料,化学品の伸びが大きかった。原油の輸入増は精油所の活動が上昇したためである。

64年に,外国民間直接投資や民間企業の外国資本借入れは増加したが,政府部門の外資受取りで減少が起こり,資本収支の黒字幅は縮小した。しかし貿易収支のいちじるしい好転で,金・外貨準備は大きく増加した。

国内生産の拡大と輸出の伸長に対応して,通貨供給は増大しており,64年末に90億バーツ(対前年同期比12%増)を超え,65年にはいってなお増加を続けている。商業銀行の貸出し額は64年に21%も増大したが,この大部分をまかなったのは預金の増加(対前年比17%増)である。預金のうちとくにふえたのは定期預金と貯蓄預金であった。貸出しのかなりの部分が貿易部門に対するものであるが,従来と異なった傾向として農業部門への貸付けがやや増加している。

1961年以後政府財政は赤字であり,64年には赤字幅はさらに拡がった。これは経済活動をかなり刺激したとみられる。

しかし,物価は弱ふくみに推移しており,生計費で微落傾向,卸売物価は64年に6%下落し,65年にはいって横ばいを続けている。この原因は,生産の増加による供給増であり,とくに米価格の下落が大きく寄与している。このため,農民の受ける収入減のほうが問題となった。とうもろこしは輸出ブームで価格の上昇が目立ち,米と対照的な動きを示している。

第6-9表 タイの国際収支

第6-6図 タイの貿易と金・外準備金

(5)マレーシヤ

1965年8月,マレーシヤは発足後,最大の危機を迎えた。シンガポールが正式にマレーシヤ連邦から脱退したのである。サラワクとサバは直ちにマレーシヤに対する忠誠を表明し,マレーシヤ連邦の存続はゆるがなかったが,シンガポールの離脱は手痛い打撃であった。原因は中国系とマレー系の入種的対立を背景とした政治的なものであった。シンガポールは英連邦内の国として独立することとなったが,国防についてはマレーシヤと共同体制を続け,お互いの不利になるような国際協定は結ばぬことが約束されている。シンガポールの独立は,マレーシヤとインドネシアの対立に一つの大きな波紋をよび起こすものであったが,インドネシアとの経済関係が早急に回復されるとはみられていない。

経済的にも,マレーシヤとシンガポールの間の協力関係は維持されることが取り決められている。両者の間の貿易関係は周知のように密接なものがあり,それぞれの貿易の3割~4割を占めている。この貿易関係の大きい部分を占めているのはシンガポールの中継貿易であって,これを他へ振り替えることもある程度可能ではあろうが,急激には実行しがたい。

商業や鉱工業でも,両者は密接に結合されており,シンガポールに設立されてきた多くの工場はマラヤ市場を考慮に入れていた。

シンガポールの離脱は,マレーシヤの経済統合がまさに第一歩を進めようとしたときに起こった。共同市場設立が目論まれていたし,マレーシヤ中央銀行は66年に通貨の発行を独占する予定であり,また第1次マレーシヤ5ヵ年計画(1966~70年)が準備されていた。両国の将来は,その協力関係がどの程度維持されるかにかかっているが,マレーシヤ設立の際考えられていた統合の利益は失われ,競争関係が強まってくることはやむをえないであろう。

ところで,シンガポール離脱前のマレーシヤ経済は,きわめて安定的に推移してきた。インドネシアとの経済断交でシンガポールは打撃を受けたが,工業国向け輸出はふえ,国内生産は活発であった。統計局の推計によれば,64年の国民総生産(時価)は前年多7%上回っており,1人当たり実質成長率は2~3%とみられている。

GNPと雇用の2割を占め,輸出の4割に達するゴムの生産は年々上昇を続けてきたが,輸出は64年に値下りのため価額ではかなり減少し,65年にはいっていくぶん増加した。インドネシアとの断交がひびいているうえに,インドネシアがゴムの安売りをはじめたためである。錫の生産は横ばい状態にあるが,価格の上昇がいちじるしく,輸出数量の減少にもかかわらず輸出価額は増加した。

物価はいちじるしく安定しており,長期にわたって東南アジア諸国のうちもっとも上昇率が低いが,マラヤ,シンガポールのいずれでも,赤字財政が今後物価上昇の原因となる可能性は残されている。

シンガポールの分離がどのような経済的影響を及ぼすか,注目を要する問題である。

第6-10表 マラヤとシンガポールの貿易の構成

第6-11表 マレーシヤの輸出

(6)インドネシア

激しいインフレーションが64年中も続き,生計費指数は,第4・四半期に5,000(1958-100)を超えた。65年にはいって,一時物価の下落が起こったが,4月以降,再び急速な上昇に転じた模様である。インドネシア経済は,いぜんとして危機的様相を呈しており,これに65年9月末から起こった政情不安が加重され,前途は楽観を許さない。

政府も開発8ヵ年計画(1961~69年)がうまくいっていないことを認めている。この計画もプロジェクトの集合といった域を出るものではなかったが,AプロジェクトとBプロジェクトの二つのグループに分けられ,BプロジェクトのほうはAプロジェクトを実施するための外貨獲得計画で,対象は木材,コプラ,ゴム,錫,石油,魚類など輸出品,および観光収入である。しかし,外国企業の接収や監督強化が進むにつれ,Bプロジェクトの実施は困難となってきた。輸出部門の担い手が,これらの外国企業だったからである。

これに加えて国連脱退による国連援助の中絶,アメリ力援助の事実上の停止が事態をさらに悪化させている。大きな希望をもってはじめられたプロダクション・シェアリング方式も,日本をはじめ先進国との間で実現したプロジェクトはあるが,全体としてみると所期の成果を上げたとはいいがたい。

64年の輸出は伸びなやみ,輸入は増大したので,貿易収支は赤字に転じたものと推定される。65年上期には,輸出は64年同期を下回った模様であり,対アメリカおよびイギリス貿易が減少し,オランダと西ドイツとの貿易が増加した。しかし,なおアメリカが最大の市場であり,また社会主義国との貿易も増加してきていた。

外貨準備がいちじるしく低い水準に落ちてしまったので,バーター貿易が多くなりつつある。オランダと西ドイツが輸出を伸ばしたのは,借款の供与により,資本財を売りこんでいるからである。しかし,国内輸送と通信の状態,インフレーションなどからみて,輸出が増加する見込みはあまりなく,輸入も減少へ向かおう。

輸出品目をみると,ゴムの生産が良好で,輸出も伸びているが,マレーシヤとの競争を意識していちじるしい安値で売られている。錫の生産は64年中増加を続けたが,65年には再び減産した。しかし,国際価格は高水準であり,錫輸出はその恩恵を受けたとみられる。他方,原油は,生産の著増にもかかわらず,輸出はあまり伸びていない。

米作は増産であったと推定され,米輸入は減少している。しかし,食料の不足が大きく緩和される見通しは乏しい。

65年予算はいぜんとして赤字予算であり,過去の実績からみると,実際は赤字幅は大きく拡がり,中央銀行の対政府貸出しという形で紙幣が増発され続けることになろう。インフレーションの根源である軍事支出を中心とした財政赤字は維持され,物価上昇を促進するであろう。

インドネシア経済の危機は,政治的不安定によってますます激化していく方向にあるように思われる。

第6-12表 インドネシアの主要経済指標

(7)フィリピン

砂糖,ココナットをはじめとする主要輸出商品の値上りによって,フィリピンは1963年に輸出ブームを現出したが,64年にはいって輸出は頭打ちとなった。しかし,経済は活発に拡大したとみられており,NEC(NationaIEco-nomicCouncil)の発表では64年の成長率は6.2%に達した。もっとも,その内容をみると,建設業と不動産業の寄与が大きい。しかし,65年にはいると,輸出入とも低下し,国内の経済活動も鈍化したようすで,中央銀行は金融引締めを徐々に緩和してきている。

1964年の経済拡大はこの金融引締め下に起こった。しかも64年第1・四半期から貿易収支が赤字に転じており,通貨供給は64年中大幅な減少さえ示し,物価の上昇はいちじるしく鈍くなった。この強力な引締め政策は,物価の抑制には成功したが,鉱工業部門には好影響を与えなかったようである。ディ・コントロール以来,輸入原材料の値上りが起こったうえに,金融面での困難が重なることになった。

輸出商品部門は引締めの影響をあまり受けなかったといわれ,その稼得した利潤は鉱工業部門投資にはまわされない。ここ数年,輸出農産物の生産が食料に比し大きく伸びており,輸出ブームは経済構造を少数の輸出作物に依存させるふるいタイプにある程度逆もどりさせる作用を果たしたとみられる。

輸出は,64年初めから砂糖の国際商品相場の下落を反映して頭打ちとなった。62年に実施されたディ・コントロールの輸出促進効果も出つくしたと考えられる。輸出ブームは1年余で終りを告げたのである。

第6-13表にみてとれるように,輸出の頭打ちをもたらしたものは,主として砂糖の大幅値下りであった。64年には砂糖の輸出数量はむしろ増加しているのに,価格は235(1958=100)から187へ落ちたのである。これはモノ・カルチャー経済の姿を端的に示したものといえる。

他方,輸入は,政府が輸入政策の緩和を行なったので増加に転じ,貿易収支は赤字となった。65年にはいって砂糖の生産が214万トン(63/64年は183万トン)と推定される記録的水準に達し,販路が問題にされている。62年以来,砂糖輸出は全部アメリカ向けであり,新しい市場を見出すのは現在の国際市況ではむずかしい。他方,ココナット製品輸出は,生産の減退もあって,減少する見込みである。

65年にはいっから物価は安定しており,中央銀行は引締め政策を徐々にゆるめている。物価引下げの狙いもあって,タバコ,ジープなど26品目の輸入関税が引き下げられた。

また延払いで機械設備を輸入する企業家には1ドル3.2ペソ(自由レート3.91ペソ)の有利な交換レートを与えることが決定された。

輸出入とも伸び悩みが顕著となっているが,金・外貨準備は64年下期から,わずかながら増加に転じた。

第6-13表 フィリピンの輸出

第6-7図 フィリピンの貿易と金・外貨準備

(8)中国(台湾)

1964年は,中国(台湾)経済にとってブームの年であった。経済成長率は10%を超え,1人当たり所得も7%上昇した。鉱工業生産は前年を26%上回ったが,とくに製造業は29%の増産を記録した。農業もまた,いちじるしい好天に恵まれ,災害もなく,総合生産指数で10%増加した。

このブームを導き出したものは,63年以来の輸出の急増である。国際商品価格の急騰と海外需要の拡大はとくに砂糖の輸出に有利にはたらいたが,農産物加工品やその他の工業製品も国際市場へ進出した。輸出の急増は国内経済に拡大気運をもたらし,生産の続伸が起こった。

しかし,64年中に,砂糖価格の下落と海外需要の増勢鈍化が生じ,65年初めに輸出は輸入を下回り,貿易収支は赤字に転じた。金融は引き締まって,鉱工業生産は鈍化した。ブームはこのようにして終わったのである。

1963~64年のブーム突入から65年の経済沈静までの変化はまことに劇的であった。以下では,この変化の過程をたどってみよう。

輸出ブームは63年第3・四半期に急激にやってきた。輸出の最大の品目である砂糖価格は,62年第4・四半期に77(1958=100)だったものが,202にまで急上昇した。同時に輸出数量も前年同期の2倍半となった。これに刺激されて,鉱工業生産は年末ごろから上昇をはじめ,64年には急増を続けた。鉱工業生産はとくに下半期に伸びたが,伸び率のとくに大きかった品目は,硫安(倍増),パイン・アップル缶詰(88%増),板ガラス,自動車,PVCなどであった。

農業生産は10%増加し,主作物の米が6.5%増,さつまいもは56%と大幅な増産であった。マッシュルームは輸出不振で4割の減産となったが,バナナとパイン・アップルは102%および39%の高い増加率を示した。農業生産がこのように良好だったのは,気象条件がとくに良かったことのほか,技術進歩や機械化の推進が理由とされている。このような生産の上昇は,いちじるしい通貨の膨張を伴った。63年にはじまる通貨供給の著増は外貨収入の増大と民間部門への銀行貸出しによるものであったが,これがまた経済活動を刺激した。

しかし,この間,物価は意外なほど安定的であった。小売物価はむしろ下落し,卸売価格も64年第1・四半期までは多少上昇したが,その後やや下落した。農工生産の大幅増加が供給をふやし,利子率が下がり気昧であったうえに,消費財に対する輸入制限が緩和されたからである。

輸出は64年に30%増加し,輸入は22%増加したが,65年にはいると輸出は伸びなやみをみせはじめ,貿易収支は再び赤字に転じた。輸入の増勢には鈍化傾向がまだあらわれていない。

鉱工業生産も65年にはいって増勢が弱まったが,産業別にみると,綿織物,セメントなど既存の産業の生産は減少しているのに対し,新設産業である合板,捧鋼,硫酸などは引き続き増加している。鉱業では石炭の減産に対し天然ガスの伸びが大きい。

銀行貸出しは増加しているけれども,金融市場は引締めをみせてきた。

従来,中国(台湾)経済を支えてきた柱の一つであるアメリカの援助が,65年6月末日をもって終了した。もっとも,PL480による農産物輸入やその他の援助は続行される予定である。援助の終結を可能にしたのは中国(台湾)経済の順調な発展であった。1951年から64年までにアメリカの供与した贈与と借款は経済的目的のものにかぎっても11億3,400万ドルに上る。

第6-14表 中国(台湾)の主要経済指標

第6-8図 台湾の貿易と金・外貨準備

(9)韓  国

韓国経済はインフレーションに悩まされながらも,経済自立化への努力を続けており,外国援助額は年々減少してきている。しかし,64年12月に国会を通過した予算の3分の1は,アメリカの贈与によってカバーされている。援助の内訳では半分近くがPL480による余剰農産物援助であり,その他も消費財や経常支出にあてられるノン・プロジェクト援助がほとんどである。最近数年は援助の大部分がアメリカによるものであったが,64年12月に西ドイツと協定が結ばれ1億5,900万ドイツ・マルクが供与されることになった。また,日韓条約の締結で日本の援助が決まっている。

ところで,64年10月から鉱工業生産が上向き,63/64年の農業生産が好調だったので物価の上昇も一時弱まったが,これには季節的要因がはたらいており,65年にはいってからは,物価のほうは再びインフレーションに突入した。生産は2月からさらに急上昇している。

64年以来通貨供給は急増を続けており,64年央には早くも通貨安定計画で設定された限度額400億ウォンの線を超えてしまった。これには輸入ライセンスの発給を現金でなく,銀行の保証によることとした結果もふくまれている。民間部門に対する銀行貸出しは65年の5月末で651億ウォンとなり,前年同期を13%上回っている。それに降雨が少なく,米作の見通しが悪くなり,物価にも悪影響が出ている。

貿易面では,64年5月に平価切下げを実施して以来,輸出の増加が起こり輸入の減少傾向が続き,貿易収支のいちじるしい改善をみた。この効果は65年まで続いたが,国際収支難が解決されたわけではなく,65年3月22日に,IMFとの協議を行ない,向こう12ヵ月のスタンド・バイ・クレジットとして930万ドルを取り決めたうえで,変動為替レート制に踏み切った。外貨収入(援助をふくむ)を提出する者に対し,外貨証を発給し,これが自由に取引きされるのである。

これと同時に輸入がある程度自由化され,また輸出振興の目的で輸出産業の輸入に対しては30%の積立金を廃止し,輸出金融について利子率の上限を8%から6.5%に切り下げた。この為替管理改革の直後1週間で,ウォンの平価は1ドル当たり266ウォンとなり,4.5%切下げと同じ結果となった。その後,ほぼ270ウォンの水準で安定したようである。以後,輸出は好調を続け,貿易収支の赤字はせばまっている。

このように韓国経済の状況は,あまり明るいとはいえず,65年のアメリカの援助額も7,000万ドルに削減された。韓国経済の前途は,なお多難なものとなろう。

第6-9図 韓国の貿易と金・外貨準備

第6-15表 韓国の主要経済指標


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