昭和40年

年次世界経済報告

昭和40年12月7日

経済企画庁


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序  章 日本をとりまく海外経済の動き

3. 世界貿易・国際通貨制度の問題

これまで,世界の経済活動と貿易の短期的な動き,およびそれが日本経済に及ぼした影響を主として検討してきたが,このほかに,将来の世界経済と世界貿易に対して深刻な影響を及ぼす長期的問題として,世界貿易体制と国際通貨制度の動きを回顧する必要があろう。

世界貿易の体制的な問題としては,大きくいって,50年代後半から急速に進展した地域経済統合と貿易自由化(数量的輸入制限の撤廃や関税引下げなど),および60年代にはいって表面化してきた南北貿易促進の動き,という三つの潮流をあげることができる。64~65年においても,これらの問題についてさまざまな動きがみられた。

まず,地域経済統合の潮流についてみると,ここでは二つの一見相反する動きが生じている。第1は,地域統合の地理的拡大であって,たとえば,ナイジェリアとEEC間の自由貿易地域結成の動き,アラブ共同市場の発足(65年1月),オーストラリアとニュージーランド間の自由貿易地域の成立(65年8月),アメリカ・カナダ自動車協定(65年1月調印)などがそれである。これらの動きの特徴は,先進国間における地域統合がふくまれていることであり,EECおよびEFTA成立以後における地域統合が中南米やアフリカなど低開発諸国間の統合であったのに対して,一つの新しい傾向とみることができる。

1964~65年の地域統合にあらわれた第2の特色は,既存の統合体のなかでも.っとも強力かつ統合度のすすんだEECの統合過程が,フランスと他の5カ国との対立から足踏みをみせたことである。しかも,このいわゆるEECの危機は,単にEECの統合過程を足踏みさせたばかりでなく,現在の貿易自由化のなかで大きな課題となっているケネディ・ラウンドを遅延させている点で,対外的影響が大きい。もっとも,最近は双方に解決のための動きがみられるが,今回のフランスの行動がヨーロッパの政治統合に関するフランスの理念,すなわち主権国家の連合という民族主義的構想をその背後にもつことから考えると,EEC問題の妥協の仕方いかんではEECの対外政策に微妙な変化がおきるかもしれず,そうなればケネディ・ラウンドその他に対する影響も大きいで,あろう。この問題の今後の推移が注目される所以である。

地域統合はたしかにそれなりの利点があるけれども,半面また世界経済全体の発展という見地からみたばあい,弊害も起こりやすい。そこで地域化と平行して,グローバルな自由化(関税引下げをふくむ)を強力に押しすすめることがぜひとも必要となる。

このグローバルな自由化による世界貿易の拡大という点で,現在もっとも大きな課題であるガットでの関税一括引下げ交渉(いわゆるケネディ・ラウンド)についてみると,64年11月に鉱工業品の例外リストの提出が行なわれ,さらに12月央のEEC共通穀物価格の設定により,難関の一つが除去されたことから,交渉の先行きについて当時はかなり楽観的な見方もあった。65年にはいってからも,鉱工業品の例外品目の多角的審査が2月中に終了して,以後2国間予備交渉に移っていた。しかしその後は,前述したEECの危機発生によりケネディ・ラウンドの進行が阻止され,農産物(穀物を除く)について定められた交渉品目リストの提出予定日である9月16日には,EECからのリストの提出がなかった(日本は9月末にリスト提出)。だがケネディ・ラウンドもEEC委員がすでに交渉権限をえている問題については交渉がすすめられている。

日本もケネディ・ラウンドに参加しており,とくに工業品については先進工業国の関税引下げによる日本の輸出促進効果に大きく期待したいところである。また,世界的な関税の大幅引下げにより世界貿易が大きく拡大し,それにつれて工業国の経済成長が高まれば,その面からも日本の輸出が促進されるであろう。農産物の関税引下げには困難な問題があるものの,全体としてみれば,ケネディ・ラウンドは日本の輸出にとってプラスと考えられるので,その妥結は望ましいものといえる。つぎは南北問題の推移であるが,周知のように,64年春に第1回の国連貿易開発会議(UNCTAD)が開催され,64年末の国連総会でその設立の決議案が成立して,正式に発足することとなった。その後,国連貿易開発会議の執行機関である国連貿易開発理事会(TDB)が2回にわたって開かれ,下部機構である商品,製品,海運の各委員会も開催された。現在までのところ,それぞれ機構づくりに重点をおいており,実質的な討議はまだなされていない。しかし,事務局の陣容が整備されていけば,具体的な問題を討議する段階がくるであろう。

他方,国連貿易開発会議の外においても南北問題解決のための具体的な措置がある程度とられた。65年7月末のDAC上級会議で低開発国向け援助の条件緩和に関する勧告が採択されたし,またイギリスが英連邦諸国に無利子の長期借款を供与するなどの動きがみられた。このほか,オーストラリアが低開発国に対する特恵供与の方針を明らかにしたが,この問題は他の先進国にとっても重要なので,ガットにおける審議の成行きが注目される。

また,エカッフェ地域の経済成長と経済協力を促進する目的で,アジア開発銀行設立の準備が進められている。日本は,もっとも関係の深い東南アジア諸国の開発を促進する一助として,アジア開発銀行の設立に参加し,資本金10億ドルのうち2億ドルを出資する予定である。

最後に,国際通貨制度と国際流動性の問題についてみよう。64年末から65年初頭にかけてアメリカの国際収支赤字が再び拡大し,これに加えて65年はじめにはフランスの金攻勢と金相場の高騰が起こった。このような事情を背景として,アメリカ政府は,金流出を防止し国際収支を改善するため,民間資本流出の自主規制を主眼とする国際収支対策を採用した。その効果が予想外に急速にあらわれ,アメリカの国際収支は65年春以降いちじるしく改善されて黒字に転じたが,これは,現行国際通貨制度の礎石であるドルの信認回復,つまり,国際流動性の質的改善という意味で望ましい事態であった。しかし,半面では,ドルの流出がやんだあとに生ずるかもしれぬ国際流動性不足の問題,つまり,国際流動性の量の問題を,あらためて表面化させた。

さらに,ドルにつぐ第2の準備通貨であるポンドの信認が,64年末の危機発生以来とられた各種の国際協力や国内措置にもかかわらず,はかばかしく回復せず,ポンド不安が65年の世界経済の黒点として重くのしかかっていたことも,現行国際通貨制度の質的欠陥を強く意識させる結果となった。幸いイギリスの国際収支対策および国際金融協力などがようやく功を奏し,ポンドは9月以降しだいに信認をとりもどして,現在はいちおうの小康状態にある。しかしこれでポンド不安がまったく払拭されたわけではない。

このような現行国際通貨制度の根本にふれる重要問題が発生し,現行制度の改善,新準備資産の創出方法をめぐって活発な議論が行なわれたことが,64~65年のいちじるしい特徴であった。

パリ・クラブ加盟10ヵ国は,過去2年にわたって,各国当局者とIMFや国際決済銀行の専門家を加えてこの問題を検討してきたが,その指示を受けて作成されたオッソラ委員会報告が65年8月に公表されて注目を浴びた。オッソラ委員会の任務は新準備資産創出案について技術的分析を行なうことにあり,したがって各種の提案を評価してまとまった結論を出したわけではないが,各種提案の問題点を明らかにし,今後の国際流動性問題のよってたつべき基礎を作る点で業績があったといえる。

しかし,周知のように,新資産創出問題の解決については大きな困難がある。この問題に関する現状認識と改革の方向,とりわけ後者について,アメリカ・イギリスとEEC,とくにフランスとの間に大きな対立があるからである。アメリカ・イギリス側がIMF中心の流動性増強案を考えているのに対して,フランスは,10ヵ国中心の増強案を推し,しかも金と密接に結びついた新準備資産(CRU)の創出を提案している。

65年9月に開催されたIMF総会と10ヵ国蔵相会議においても,この問題について検討が加えられたが,10ヵ国蔵相代理会議を中心に今後さらに改革の方向について交渉が続けられることに決まり,問題の解決は将来にもちこされることとなった。

この国際流動性の問題は,将来の世界経済の拡大均衡を維持するために十分かどうかという観点からとり上げられるべきものである。また,将来,新準備資産の創出が必要となるにしても,それが現行制度の発展進化と相容れるかどうか,国際通貨制度のいっそうの安定に貢献するかどうかがもっとも重要な問題として検討されねばならないであろう。

以下の各章では,この序章でふれた問題を,さらに立ち入って分析し,長期的な視点に立って,世界経済の現状の位置づけを行なってみたい。


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