昭和39年

年次世界経済報告

昭和40年1月19日

経済企画庁


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第1部 総  論

第3章 インフレーションとEEC

2. EECにおけるインフレーションの進展

(1)インフレーションの一般的背景

1962~63年におけるEEC諸国のインフレーションは,どのような原因から生じたのであろうか。それにはまず,この物価騰貴が景気の上昇率鈍化の過程における消費ブームのなかで現われたものであることに注意しなければならない。

60年に7.8%という高い経済成長率を達成したEECでは,その後63年まで成長率が低減したが,その背後には需要構造ないしは経済゛の拡大要因の著しい変化があった。すなわち,EECの発足が一つの契機となって,59年にはじまった経済拡大を主導したのは設備投資と輸出であった。しかし,この二つの強力な要因は61年,62年ごろからその力が弱まり,それに代って個人消費と政府支出が需要を支える重要な役割を果たすこととなった。そしてこの投資ブームから消費ブームへの転換を媒介したのは,基本的には労働力面の隘路とそれを背景にした賃金上昇であった。労働力不足それ自体も企業の投資意欲に悪影響を与えたが,労働力需給の逼迫を背景にした賃金コスト上昇に基づく企業の利幅の低下ということを通じての投資阻害が大きく,他方では,超完全雇用と労賃騰貴による個人所得の大幅な上昇が,個人消費の能力と支出を著増させた。この旺盛な消費需要が,商業などの個人業主所得の上昇をもたらす背景となり,農民の所得もこの間における政府の保護政策の強化もあって上昇した。

個人消費のなかでとくに旺盛であったのは,耐久財購入とくに自動車と住宅であったが,レジャー関係,食品への需要も量とともに質を高めた。加えて,政府消費(および投資)の増大がこの消費ブームを加速したが,民間設備投資振興のために,あるいは経済成長の観点からとられた金融緩和政策も消費者信用の拡大に寄与した。

もちろん,この過程はEEC各国で一様に進行したわけではない。西ドイツの設備投資のピーク,あるいは経済拡大要因の転換は比較的早く現われたのに対し,59年に景気上昇のスタートが遅れたイタリア,フランスでは,投資は62年初ごろまで旺盛であった。また西ドイツの場合,インフレ圧カ軽減のため早くから金融引締め政策がとられ,とくに61年3月にマルク切上げが断行されたことが,輸出不振から,ひいては民間投資にも抑制的影響を与え,経済成長率鈍化の助長要因となって,それに続く消費ブームが比較的小さく終った点が指摘される。これに対し,フランス,イタリアではインフレ圧力の強まった62年に,政策的にむしろ景気刺激措置がとられ,消費ブームをあおった。こうしたことから,消費ブームの過程におけるEECのインフレーションは,西ドイツでは比較的軽微で,しかも63年には物価が一応安定したのに対し,イタりア,フランスでは62年から63年にかけて,むしろ尻上りに物価の騰勢が高まるといった破行的な動きを示した。

(2)物価騰貴の諸原因

ところで,以上の概括的な説明のうちに労働力不足,成長政策といったインフレの原因がすでに出ているが,以下ではその他の点も含めてインフレーションの諸要因をみておこう。

1)労働力不足

まず,労働力需給の著しい逼迫とそれを背景とした賃金の大幅な上昇が,需要,コスト両面で物価騰貴の主因として働いたといえる(第18表参照)。

1950年代の西欧大陸諸国の高成長を支えてきた要因の一つは,比較的安価で豊富な労働力の存在であった。しかし,これも55~56年のブームでだいたい汲みつくされ,EEC諸国はイタリアを除けば,おおむね完全雇用といえる水準に達していた。したがって,59年からの好景気では農村からの労働力流入,イタリア,スペインなどの相対的に遅れた国からの労働力供給があったものの西ドイツ,フランスにおける労働力不足は短時間に激しくなった。イタリアにおいても経済拡大から失業率の低下をみ,労働者・の国外流出も61年以降は鈍化するにいたり,おおむね完全雇用の水準に到達した。もっとも,労働力不足といっても絶対的な意味でのそれではなく,とくにイタリアの場合は南部農村地帯になお潜在的失業をかなり含んだところの完全雇用であった。

第16表 賃金率と賃金コストの動き

こうした労働力需給の逼迫を背景に,第18表にみられるようにEEC諸国の賃金は60年以降著しく騰貴した。そのなかでも,62年末以降のイタリアの賃金上昇は,生産性の上昇に対して賃金の上昇力S従来遅れていたという事情もあって,きわめて大きかった。

物価騰貴は,需要インフレとコスト・インフレに大別されているが,実際には両者は結びついて現われることが多い。事実,62~63年におけるE EC諸国のインフレーションについても,それが主に賃金コスト上昇に基づくコスト・インフレであるか(OECD,国連ECE),それとも超過需要による需要インフレであるか(EEC委員会,BISなど),論者によりその主張に違いがみとめられるけれども,両者の見解も需要,コスト両面でのインフレ圧力をともに認めており,相違はただ重点の差にすぎない。

ただここではっきりいえることは,62~63年におけるイタりアの物価騰貴には,過大な賃上げによるコスト・プッシュとデマンドプルが,鮮明なかたちで並存したということである。生産性の上昇幅を大きく上回る賃金コスト増から強い価格上昇圧力が生じ,他面,賃金上昇は雇用増とあいまって消費需要をふやすことで,そのコスト増の価格への転嫁を容易にするとともに,自動車や牛肉などの部面では,国内供給能力を大幅に上回る需要の増加をみた。この点に,消費者物価のみならず卸売物価の工業製品価格までも,きびしい国際競争という環境のもとでなお大きく騰貴した主因がある。

これに対して,需要の増勢鈍化をみていた62年の西ドイツではコスト・インフレ的色彩が強かったとみることができる。フランスでは,OECDの診断によればアルジェりアからの引揚者(62~63年,78万人),が当面供給を伴わない需要をふやしたという点で超過需要もあったが,供給能力に余裕のある部門も多くあり,コスト・インフレの側面も強かったとされている。

2)成長政策

この労働力面の隘路に加えて,成長政策が人為的に需要圧力を強める作用をした点も指摘されねばならない。1962年~63年において,EEC諸国の財政支出は,すでに顕著になっていたインフレ圧力にもかかわらず,それぞれ年平均10%をこえる大幅な増加を示し,政府投資の増大を通じて需要圧力を高める働きをした。フランス,イタリアでは社会給付の増大,民間住宅建設への国家援助などによる民間消費の刺激も行なわれた。イタリアの場合,62年に政府の投資計画,とくに道路および南部の産業に対する投資計画が繰り上げ実施され,刺激が与えられた。フランスでは,62年にアルジェリア引揚者への補助,公共部門労働者の賃金引上げにより経常支出が増大し,62年,63年の両年にわたって第4次近代化計画(62~65年)に基づく社会資本投資の大幅な拡大がみられた。

また,通貨・金融面でも,61年以降設備投資の増加率が鈍化してきたのに対し,フランス,イタりア政府は62年に金融政策をいっそう緩和した。

両国は企業への中期,長期の銀行貸出を伸長させ,また資本市場への資金流入を促進させるため種々の措置を講じた。とくにイタリアの場合,62年11月に全銀行にたいする対外ポジション均衡化の義務を撤回したことが,銀行への短資流入の急増を招き,信用基盤の拡大をもたらした。このような金融緩和政策は,沈滞しかかった民間設備投資を促進するうえで必要なことではあったが,経済の流動性を一般に増大させることで,またそれが個人月賦信用の拡大を支えたことによって,インフレ圧力を強める方向に働いたことは否めない。

3)経済の硬直性とゆがみ

第三には,経済の各部面における硬直性や高度成長の過程で生じたゆがみが物価の騰貴を大きくした点も,インフレの原因としてあげられる。これにはまず,①企業側における管理価格の存在,②強力な労働組合の存在と,伝統的に産業間の賃金格差を拡大させまいとする傾向があること,あるいはエスカレーター条項の存在などの硬直性があげられる。またゆがみとしては,③都市と農村における所得格差の存在,④中小企業の合理化の遅れ,⑤とくに流通部面における近代化の立ち遅れといった諸点があり,これらの経済体質が直接間接にあるいは程度の差はあれ,インフレーションが進行しやすい状況をつくり出している。

4)外資導入

なお,インフレ圧力に対する国際的な寄与要因として,対外収支のかなり大幅な黒字もあげなければならない。1962~63年においては,EEC諸国の貿易収支は輸入増大によって悪化傾向を示しており,この点では過剰需要を吸収し物価騰貴を抑える要因であった。しかし,他面ではアメリ力からの資本流入やユーロ・ダラー市場からの短資の移転が,イタりアやフランス国内の潜在的,顕在的に旺盛な需要とあいまって,国内の流動性の増大や利子率騰貴の抑制を通じてインフレ的な経済過熱をみちびいた。イタリアでは,前に指摘したように,62年末に銀行の対外借入の制限緩和が行なわれ,この流入外資のインフレ加速的な要因が政策的に強まったし,フランスでは62年,63年におけるアルジェリア引揚げが北アフリカからフランスへの資金の移転をもたらした。そして,これが国際収支の黒字とあいまって信用の現金基盤を拡大させた。

(3)  EECとインフレーション

最後に,以上のようなEEC諸国の物価騰貴が,EECという経済統合あるいは地域自由化の進行過程のなかで発生した点に注目する必要があろう。

元来,欧州経済統合への動きは,各国産業に大規模な単一市場を提供し,経済を競争的な条件に置くことによって,全体としてのより急速な経済成長を達成するところにその政策的な狙いがあった。そして,たしかに経済統合の進展は民間投資への刺激を通じて経済成長を加速する役割を果たしたし,域内貿易の自由化に伴う国際競争の激化は,賃金などのコスト・プッシュ圧力の価格への転嫁を抑え,物価上昇の抑制に役立った。しかし,他方では共同市場の漸進的形成がインフレ加速的に働いた面もある。

この点で,第一にとりわけ指摘しなければならないのは,労働力不足と賃金上昇という,上で述べたインフレ要因における経済統合の影響である。労働力の国際的移動の促進による労働力需給の平準化を通し,また労働者の直接的な賃金の国際的な格差是正の要求により,イタりア,オランダなど,これまで西ドイツやフランスにくらべて賃金水準の低かった国の賃金上昇の度合が強められた。また,EECが意識的にローマ条約でかかげている男女同一賃金への動きも,労働力不足の一般化,あるいは労働者の意識向上があって進展し,賃金上昇を押し上げた。第二に広域市場の形成が加盟各国の成長意欲を強め,とくに激しさを増した国際競争に対処するため,設備投資を拡大させなければならないという要請を通じて,各国政府の成長政策を強めたという点にもEECの形成が影響を与えた面の一つをみることができよう。

ともあれ,EECにおけるインフレーションの進展は,EEC全体としての貿易収支の悪化を早めただけでなく,西ドイツの相対的な安定に対するフランス,イタリアにおける急激な物価騰貴という跛行的な進展は,EEC諸国間の貿易の不均衡の拡大をもたらした。つまり,62年,63年においては,西ドイツの出超,フランス,イタリア,オランダの入超という傾向が強まった(第17表参照)。

現在のEEC諸国においては,インフレの高進は,それがもたらすその国の国民生活への悪影響と対外均衡の喪失という意味のみで問題になるばかりではない。一国における物価騰貴は,いわゆる「インフレの輸出」によって他国に移転され全体としての物価水準をいっそう高め,その結果全体としての域外との均衡をもいっそう悪化させることになる。

さらに,EEC内でも相対的に所得水準の低い国,あるいは経済構造に遅れがみられる国のインフレが,その国の経済成長を対外的均衡の維持のために犠牲に供することになれば,EEC諸国間の所得格差をかえって増大させ,経済活動の沈滞による設備投資の停滞を通じて,その国の国際競争力をますます相対的に弱めることにもなる。

このようにしてフランス,イタリアにおけるインフレの進行とそれに伴う経済の不均衡は,単なる関税同盟の建設から経済同盟の樹立へと経済統合の道を一歩進めようとしているEECの前に,1958年の発足以来はじめてといわれるほど重大な経済的困難として立ちあらわれたのであった。


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