昭和39年

年次世界経済報告

昭和40年1月19日

経済企画庁


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第1部 総  論

第2章 世界の経済成長

3. 西ヨーロッパ経済の成長持続と不均等発展

1959年にはじまった西ヨーロッパ経済の拡大は,全体としてみるとすでに6年続いている。53~57年の拡大期が5年で終ったこととくらべると,西欧経済の拡大も息が長くなっているといってよい。しかも,この二つの上昇期間の成長率を比較してみても,53~57年の年平均成長率4.8%に対して,59~64年のそれは約5%であって,高成長期といわれた50年代とほぼ同じ成長率を達成していることがわかる。

しかし,これは西欧全体としてみた場合のことで,大陸諸国とイギリスとでは,また大陸諸国のなかでも国によって,経済情勢あるいは景気循環局面にかなりの相違があることを看過してはならない。そして,西欧諸国の循環局面が必ずしも一様でないことが,西欧を平均した場合の成長率を比較的に高く維持しただけでなく,貿易を通じての相互的な刺激によって,西欧全体としての経済拡大を持続的にさせているとみられる。

また,西欧諸国一般に,労働力需給の逼迫が主因となって,比較的早く60年ないし61年に経済拡大率のピークを迎えたが,それ以降労働力不足を背景としたインフレ圧力が潜在的に続いているという内在的な問題をもっている点も重要である。この労働力不足を背景とした賃金上昇が,賃金コスト増となって企業投資を鈍化させる一因となった反面で,消費需要を著しく高めたことのほか,政府支出もかなり増大した。このため,成長率が比較的高く維持される反面でインフレ圧力が強まったのである。実際,本章のはじめに指摘したように,こうしたなかで63~64年には,①EEC諸国のなかでの景気局面の相違,②イギリスにおける国際収支難の深刻化がみられるにいたった。

まずEEC諸国であるが,60年に7.8%という高い成長率を達成したEE C経済は,その後成長率が鈍化し,63年には3.9%にとどまったが,64年には5.5%程度に高まりそうである。しかし,63年から64年にかけてのEEC諸国,とくに西ドイツ,フランス,イタリア3カ国の経済の動ぎには,かなり大きな違いがみられた。イタリアおよびフランスでは,63年には個人消費や住宅建設支出が前年に引き続き旺盛で,インフレ激化と貿易尻の悪化が進行し,これが両国政府に引締め政策を余儀なくさせた結果,64年にはいってから工業生産が鈍化ないし停滞するにいたった。

ごれに対し,西ドイツでは62年から63年前半にかけて設備投資と個人消費の増勢が著しく鈍化した。しかし,この景気の鈍化過程で輸出単価の低下,輸出ドライブの高まりなどから輸出が増大しはじめていたところへ,イタリア,フランスのインフレ激化によって両国への輸出が急増した。この輸出急増がついで国内投資を活発化し,ひいては国内消費需要を増加することによって,63年後半から64年にかけての西ドイツの新たな景気上昇局面を招いたのである。

一方イギリスでは,62年秋に厳しい引締め政策から積極的な経済拡大方針へと政策転換が行なわれ,63年には当初はまず個人消費と輸出,ついでは,在庫投資と設備投資が増大して,生産の大幅な拡大をみた。これによって,労働力や生産設備の生産余力は急速に吸収され,賃金,物価も64年末ごろから上昇テンボを高め,そのため早くも経済過熱化のおそれさえ感じられるにいたった。64年にはいってからは,政府が早目にとった経済過熱ないしインフレ予防政策の影響もあって,工業生産は横ばいに推移したが,設備投資や自動車など耐久消費財購入を中心に需要は強含みであった。このような経済の比較的急速な拡大は輸入の増勢を高め,63年中にも貿易赤字幅は次第に大きくなっていた。しかも,64年にはいると輸出が弱含みの横ばいに転じたため,貿易赤字の増大を主因とした国際収支の悪化は一段と深刻化した。その結果,イギリス政府は後述のような一連のデフレ政策の採用をよぎなくされた。

こうして,イギリスでは完全雇用下の経済成長と対外均衡の矛盾が61年に続いてまたしても表面化するにいたった。

第14表 西ドイツ,フランス,イタリアの主要経済指標の推移


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