昭和38年

年次世界経済報告

昭和38年12月13日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第2部 各  論

第1章 アメリカ

1. 1962~63年の経済動向

(1) 国内景気動向―息の長い景気上昇

1961年3月からはじまった戦後5回目の景気拡張期間はすでに(11月現在),32カ月を数えている。これは前回の拡張期間(25カ月)を上回っているのみか,1954~57年の拡張期間(35カ月)にも迫っている。第二次大戦後みられた景気拡張期間の短縮化傾向は否定されたかにみえる(第1-1図参照)。

1962年5月末のニューヨーク株式相場の暴落以降予想された1962年下期ないし1963年上期のリセッションは回避され,他方1962年6月以降のスト見越しの鉄鋼在庫蓄積の反動も大きな影響はなかった。工業生産は62年下期の停滞(62年7月~63年1月のあいだ工業生産指数は119ポイント台を脱しえなかった)のあと本年2月から着実に上昇している。国民総生産(GNP)も1962年第2・四半期~1963年第2・四半期の1年間実質で3.3%(名目では4.9%)の成長を示した。

いま1962年第2・四半期~1963年第2・四半期の1年間の経済を国民総需要の動きからみてみよう。

第1-1表によると,過去1年のなかで1962年の第3・四半期の国民総需要増加が一番弱かったことがわかる。その最大の要因は29億ドル減を示した在庫投資だった。また,62年第4・四半期と63年第1・四半期には政府支出の増大がめだっており,この半年間のGNP増分の実に4割を占める。これはこの間の政府支出による経済へのテコ入れを示すものである。在庫投資の変動は第二次大戦後のアメリカ経済では次第にその振幅度をせばめている。第1-2図は全製造業の在庫残高の動きを戦後の各景気循環ごとに比較したものである。

在庫変動の振幅がこのように小さくなってきたのは,①第二次大戦や朝鮮戦争後のアメリカ経済のような生産活動急上昇の望みがなくなってきていること,②財政・金融を通した景気調整政策の発展による景気循環の安定化,③過剰生産能力を背景とした1959年以降の価格の安定化傾向,④供給および輸送の弾力性の増大,⑤計算機の発達などによる在庫管理技術の発展などのためである。

このようにして過去1年間のアメリカ経済は極めて軽い在庫調整過程と政府支出のテコ入れを含みつつ,GNPは名目価格で272億ドルの増大をみた。

その主要項目別の寄与率は第1-1表に示した通りである。

これによると,全体としてみた過去1年のアメリカ経済成長の特徴はつぎのようになる。

(1)国民総生産の伸びを支えたものは主として個人サービス支出と政府支出であった。

(2)設備投資は相対-的に停滞し,在庫投資は減少した。

(3)個人の耐久消費財支出は,63年型新車の需要の伸びを中心に,GNPの成長率を上回る速さで上昇した。非農住宅建築の支出も比較的好調であった。

以上の三点をやや詳しくみると,過去1年の増加の寄与率の最大は個人消費支出の64.3%,なかでもサービス支出の32.0%であった。つづいて政府支出が30.5%(うち軍事支出は14.0%)と大きな比率を占めた。個人サービス支出と政府支出でGNP増分の6割以上がまかなわれたわけである。両者の成長はともにGNPの成長を上回っている。

これに対し,設備投資がわずか4.0%と振わなかった(1953年~57年には11.2%を占めた)。企業の固定投資の停滞がつづいているわけである。在庫投資は-8.1%とマイナスの寄与率であった。他方,個人の耐久消費財支出は12.9%を占め,比較的大きな寄与を示した。これは第1-1表からもわかるように,1962年第4・四半期の耐久消費財需要の増大がとくに大きかったためである。とりわけこの第4・四半期には63年度型新車の売上げが18億ドルの増加を示し,この期の耐久消費財の伸びを大きく支えた。新車売上げは1963年に入っても堅調を維持し,1955年の最高水準につぐ記録を示している。また,1962年おわりから63年はじめにみられた非農住宅建築支出の減少(これには寒波の影響もあった)もその後急増し結局過去1年間にはGNPの成長を上回る増加率を示した。

かくて過去1年間のアメリカ経済の好況持続は,個人サービス支出と政府支出の増大という安定した土台のうえで,自動車需要と住宅建築の堅調がつづいたためであった。

この自動車需要の好調の原因には,(イ)金融緩慢,(ロ)登録自動車の車令構成の老化,(ハ)はじめて自動車を購入する若い人口層の増大,(ニ)個人所得の着実な上昇,といったものが考えられる。以下順次この要因をみていこう。

(イ)好況期が20カ月以上もつづいたあとでもなお金融緩慢がつづいているのは今回の景気循環の著しい特徴である。その説明は後にするとして,いま自動車の割賦信用についてみても,割賦期間の延長,頭金支払額の減少,割引率の.安定は,自動車需要を大いに増大させたものと思われる。自動車割賦信用の返済額が可処分所得に占める割合は,1962年第4・四半期以降緩慢ながら上昇している( 第1-2表 参照)

(口)つぎに登録自動車の車令構成をみておくと 第1-3表 のようになる。自動車のスクラップ化は新規購入後8年間にはわずかしかみられないが8年以上になると急速に進む。つまり,登録後8年目の自動車のスクラップ化率は20%程度にすぎないが,それが10年目になると50%弱,12年目になると70%弱,14年目になると80%強となる。したがって登録後8年目以上の自動車の割合が増大すると,新規需要の増える可能性が強まる。たとえば1947年や1952年についてみると,8年目以上の登録自動車の割合はそれぞれ57%と34%もあった。だが1955年の自動車ブーム直後の1957年にはその割合がわずか20%に減っている。それが1962年6月末になると28%へとこんどはかなり増大している。それは1952年ほどではないけれども,最近比較的自動車車令構成の老化が進んだことがわかる。最近の新規自動車需要の一因はここにも求めえよう。

(ニ)以上三つの要因が最近の自動車需要を増大させたいわば直接的な原因と考えられるけれども,その背景に安定した個人所得の上昇があったことはいうまでもない。名目価格でみると,1961~62年のあいだに個人所得は5.5%(247億ドル),1962年8月~1963年8月のあいだも4.6%(203億ドル)増大している。この上昇規模は1954~1955年の6.8%(204億ドル)増に匹敵するものではないが,最近の個人所得が着実に上昇していることをあらわしている。好況の持続とともに雇用者は漸増し,人当り可処分所得も順調に増大している(1961~62年には2.9%増,なお1954~55年は4.4%)。

しかし,この所得増大がどのように所得階層間に配分されたかも自動車需要をきめる重要なファクターである。1957年以降アメリカ所得分布をみると,年収8,000ドル以上の高額所得層の比重がそれ以下の所得層よりも増大している傾向がみられる。この所得層分布の変化を背景に,最近この高額所得層で2台以上自動車を所有する世帯の割合が急速に上昇している。この結果2台以上所有している世帯数の全世帯中に占める割合は,1957年初期の10%から1960年には21%に上昇し,この傾向はそれ以後もつづいているといわれている。これに対して1台だけ自動車を所有している世帯数の割合は1957年初期の62%から1960年には57%へ減少している,したがって,最近の自動車需要の増大は所得の着実な上昇を背景とした高額所得層における2台以上の自動車所有者の増大にも求めることができよう(ちなみに最近のmulticar familyの数は8百万で1955年はじめの2倍にあたる)。

つぎに,住宅建築にみられる最近の特徴をみておこう。好況期間が長期にわたったのちも住宅建築が好調なのはおもに金融緩慢のためである。第二次大戦後の住宅建築の動きは利子率の動きに極めて敏感に反応し,一般に利子率の運動と逆方向に運動している。したがって,不況期から好況期にかけての金融緩慢は住宅建築を刺激し,好況中期以降利子率が上昇してくると住宅建築は減少に転じるのが通例であった。しかしながら,1960年はじめからはじまる好況期はこのような従来の利子率の運動とは異なった型を生みだした。

つまり,好況期が持続しても利子率はほとんど安定しており,このことはとりわけ長期利子率について妥当する。好況期間におけるこの長期利子率の安定化は,①企業の自己金融化現象が1960年以降著しく進展し,非金融会社の粗貯蓄(内部留保利潤プラス減価償却費)が資本支出(設備投資プラス在庫投資)を上回っていること。換言すれば会社の内部貨幣貯蓄に対する投資支出の相対的停滞,②1962年1月の加盟商業銀行における定期性預金の最高金利引上げによる貯蓄預金の急増,③二重金利政策(短期金利は国際収支の観点から高目に,長期金利は国内投資刺激の観点から低目に維持するように,国債発行や公開市場操作を行なう政策)といった三つの要因のためである。

住宅建築はこのような長期利子率の安定化のゆえに今回の景気上昇期におとろえることなく,経済成長の重要な柱となった。全金融機関における抵当債残高(その大部分は住宅金融)は1962年第1・四半期~63年第1・四半期のあいだに16.3%も増大しているのである。

このように,過去1年のアメリカ経済は比較的順調に経過した。とはいっても,停滞局面に入ったといわれる1957年以降の年間成長率(実質)が3%強であったから,過去1年間に3.3%成長したアメリカ経済はリセッションは脱したものの,一応1957年以降のトレンド上にあったにすぎないことがわかる。つまりいぜんとして低成長,高率失業(9月現在で5.6%)という問題は解決されたわけではない。第1-1図でもわかるように失業率の水準は循環を重ねるごとに高まってきている。換言するとケネディ政権の減税政策の目標(失業率4%)はいぜん重要な課題としてアメリカ経済に残されたままになっているのである。

この国内経済の低成長,高水準の失業という大問題に加えて,国際収支の赤字が1962年第4・四半期以降再びめだって大きくなった,1963年7月17日の公定歩合引上げにつづいて18日には「国際収支特別教書」が発表された。

以下最近の国際収支の動きをみながら,この新しい国際収支対策の背景をみてみよう。

(2) 国際収支の動き―新国際収支対策の背景

アメリカの総合国際収支赤字は1961年頃から比較的改善されつつあった(1960,61,62年では,それぞれ-39億ドル,-24億ドル,-22億ドル)。しかし,1962年第4・四半期以降再び悪化してきた。1962年第4・四半期~1963年第4・四半期の赤字平均は年率37億ドル以上に達したからである。

このような総合国際収支の赤字増大を背景に今回の新しい国際収支対策が生まれた。新国際収支対策の細かい内容については後にのべるので,ここでは(イ)公定歩合引上げ-アメリカ短資流出対策,(ロ)金利平衡税-アメリカの長期海外証券購入対策(ハ)IMFとのスタンドバイ・クレジット-金流出対策というように各対策が対象にしている項目ごとのうごきを検討しよう。

まず,最近(1962年~63年第2・四半期)の国際収支動向を1953~55年平均と比較してみると,この間もっとも収支尻が増大したのは商品貿易バランスと投資収益である。商品貿易収支はスエズ動乱期の急増,1958~59年の急減と大きく変動しつつも1960年以降には1953年~55年平均を2倍以上回る黒字をだしている。投資収益はもっぱら直接投資からあがる利潤の送還を中心に最近急速に上昇してきた。だがこのような商品貿易収支,投資収益の2倍強の増大も,政府の資本輸出および経済援助がこの間2倍近い速度で伸びたこと,アメリカ民間の長期および短期(記録されない取引を含む)資本の流出が顕著だったことのために完全に相殺されてしまった。

アメリカ政府の資本輸出および援助の削減が,アメリカの世界政治および経済政策上容易に実現しないとすれば(海外軍事支出の大幅削減についてもそうであろうが),アメリカは国際収支対策として民間資本の流出を喰いとめるほかはない。

もっとも商品貿易バランスの増大が考えられるが,これについては後述するように従来の諸手段の拡充強化に加えて,1962年成立した通商拡大法や国内減税法(1962年の減価償却期間短縮,投資減税法,1963年提案されたケネディ大統領の減税法)による輸出競争力の増強という手が打たれつつある。

他方ではこれら国内減税法は直接投資の流出を喰いとめる役割も果たす。しかも直接投資残高はすでに巨大な額に達し,最近流入する年々の投資収益は年々流出する直接投資を2倍近く上回っている(たとえば1962年について前者は30.5億ドル,後者は15.6億ドル)。

したがって国際収支対策上まったく手を打たれていないのが長期証券投資と短期資本流出であるということになる。このうえこの両者は1960年以降急増し総合国際収支悪化の大きな要因となっている。とくに今回の新国際収支対策の直接的契機になったと思われる63年第2・四半期における両者の増大はとくに著しかった。長期証券投資は年率で24.8億ドルに達し,短資流出は20億ドルにのぼった。

さて,国際収支の赤字が継続するかぎり金流出は避けられない。1960年以降の種々のドル防衛,金流出対策の結果, 第1-4表 にあるようにアメリカの金流出はしだいにテンポをおとしてはいる。だが金流出は現存の金-ドル-ポンド-IMF体制の中核に座っているドルの信頼を一層弱めるし,他方では国内の金準備を低下させる(法定準備率は25%,現在は31%)。今回アメリカがはじめてIMFと5億ドルのスタンドハイ・クレジット取決めを結んだことはこのような金流出を防ぐためであった。

第1-5表 アメリカにおける地域別海外新規証券発行