昭和37年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和37年12月18日

経済企画庁


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第2部 各論

第3章 東南アジア

1. 1961~62年の経済動向

1958年の後退後,東南アジア経済は再び拡大をつづけ,60年には上昇率をかなり高めたが,61年にはかなり伸び悩みをみせた。

1960/61収穫年度の農業生産は好天候のため穀物を中心として例年を上回る増産を示したが,61/62年度はほぼ横ばいに終った。

工業生産も60年には10.9%増と53~60年の平均増加率9.9%を上回る伸びをみせたが,61年にはかなり上昇率を落し,62年初めにもまだ力強い伸びを示していない。

一方,61年の輸出は先進諸国の景気上昇にもかかわらず60年より減少したが,62年にはいってから回復に転じた。これに対し,輸入はほぼ60年の水準を維持し,62年にはいってからもはかばかしい動きをみせていない。

(1) 伸び悩んだ国民所得

東南アジア全体の国民所得のうち,そのなかばを占めるインドの国民所得は,61年度(4月に始まる1年間)に1948年度価格で,1,297億ルピー(約392億ドル)と前年度を2.2%上回った。この伸び率は60年度の増加率7.1%(50~60年度の平均成長率3.4%)を大きく下回っているだけでなく,第3次計画の目標たる年率5.6%もかなり下回っており,第3次計画の初年度はきわめて不振なスタートを切ったといわなければならない。産業別には国民所得の4割を占める農業がわずかに減退したが,他の部門は3.8%伸びた。

パキスタンの第2次5ヵ年計画第1年度(60年7月~61年6月)の国民所得は229億4,300万ルピー(69億3,142万ドル)と計画目標たる年率4.7%増を上回る5.8俗の伸びを示し,農林業と工業もそれぞれ3.8%と10.4%伸びたといわれる。しかし,61/62年度の国民所得は農林業と工業生産の増加率がそれぞれ2.3%と7,3%に落ちたため238億200万ルピー(71億9,094万ドル)と対前年度比3.7%増にとどまったが,53~60年度の平均成長率2.1%に比べれば高い伸び率を示した。61年のフィリピン経済も好調で,国民総生産は131億ペソ(約65億ドル)と60年を6.1%(53~60年の平均成長率5.1%)上回った。国民所得に占める産業別ウェイトをみると,農業は34%と1956年より4ポイント比量が低下しているのに対し,製造業の比重は19%と56年より5ポイント比重が高まっており,フィリピン経済発展に占める製造業の意義をうかがい知ることができる。

61年に第3次4ヵ年計画にはいった台湾経済も順調なすべり出しをみせ,61年の国民所得は537億2,600万元(13億4,214万ドル)と前年を8.4%上回った。これは計画目標の年率8%をいくぶん超過達成したばかりでなく,53年以来最高の伸びであった。需要要因別のデータはまだ得られないが,国内投資と輸出の比重が高まったもようである。

これに対し,米の価格上昇から輸出ブームを伝えられたタイの粗国内生産は61年に572億2,250万バーツ(27億2,118万ドル)と時価で前年を7.8%上回ったが,実質では4.2%増にとどまり,60年の増加率12.5%を大きく下回ったばかりでなく,61年に始まった6ヵ年開発計画における目標たる実質国民総生産の増加年率5%をいくぶん下回った。62年の粗国内生産については時価で615億1,730万バーツ(29億3,079万ドル)と予測されているが,61年とほぼ同程度の物価の上昇がつづいているので,再び4%程度の伸びに終る公算が強い。

このほか,61年の国民総生産ないし粗国内生産のわかるビルマ,韓国,セイロン経済も不振であり,ビルマの60/61年度(61年9月に終る1年間)における粗国内生産は62億9,400万チャット(約13億2,174万ドル)と名目では5.2%ふえたものの,米の生産減がたたり,実質ではわずか1.4%増にとどまった。これは戦前水準を回復した1956/57年度から59/60年度間の平均成長率3.9%を大きく下回っている。韓国の国民総生産の伸びも低く,61年には2兆3,961万ウォン(約18億4,315万ドル)と名目では60年を13.7%上回ったが,実質では2.8%増にとどまった。もっともこの伸びは60年の2.1%増に比べれば高いが,53~60年の平均成長率4.8%を大きく下回っている。ともかく61年の国民総生産が伸びたのは,農業が異例の大豊作に恵まれたことが大きく,これに対し,卸小売などはウォンの平価切下げ,政情不安にもとづく景気沈滞から減退した。需要面をみても減ったのは個人消費であり,大幅の伸びを示した在庫投資も売行き不振を反映した部分もかなりあると思われる。

なお,セイロンの61年の国民総生産も62億7,400万ルピー(13億1,754万ドル)と時価で60年を2.4%上回るにとどまった。物価はコロンボの生計費指数が,1.3%高まっていることからみてセイロン全体としていくぶん上昇したとも考えられるから,実質成長率はもう少し低かったかもしれない。いずれにせよ,53~60年の実質経済成長率3.4%に比べればかなり低い。

(2) 農業生産はほほ横ばい

アジア極東地域の1960/61収穫年度の農業生産は前年度を3.5%(1952/53~60/61年度の平均増加率は3%)上回り,とくに穀物生産は5.1%(1952/53~60/61年度の平均増加率3.2%)と大幅な増加を示した。もっともこの数字には日本も含まれているが,日本の増加率は農業全体で0.8%,穀物で3.4%にとどまったから,東南アジア全体の増加率はもっと高かったことになる。

第3-1表 東南アジア農業生産の対前年増加率

国別にみても前年なみに終ったのはビルマだけで,他はいずれも増加している。ただ,ここで注意しなければならないのは,60/61年度という期間は一応61年上期までカバーしているとはいえ,重要な農産物は60年中に収穫されるものが多く,61年の実績を判定するには61/62年度の実績によらなければならない。61/62年度については十分な資料がえられないが,アジア極東地域の農業生産は悪天候のため対前年比0.8%増,食糧生産は横ばいに終っており,東南アジア全体としては,ほぼ横ばいに終ったようである。

まずインドについてみると,同国は第3次計画において農業の発展を最も重視しているが,61年度に比べ0.3%減少(50~60年度の平均増加率は3.3%)した。これは主として天候不順が原因であるが,肥料消費面の遅れも見逃すことはできない。なるほど,61年度の窒素肥料消費量は3Q万トンと前年度を50%も上回り,62年度には40万トンの消費が予定されているが,本来の計画では,61年度に40万トン,62年度に52万5,000トンの消費が目標とされており,これに比べれば現実の遅れはおおうべくもない。

ところで,インドの農業開発計画においてとくに力をいれている食用穀類についてみると,61年度は300万トンの増産を目ざしていたのに対し,さき頃の発表によると,7,860万トンど前年を約3%下回った。62年度については食用穀類の400~500万トンの増産を目ざしているが,第3次計画の生産目標1億トンを達成するには今後これ以上の増産をつづけていくことが必要である。そして,この食用穀類の生産こそ,インド農村大衆の主たる就業対象であって,その生産目標の達成はこれら大衆による近代的生活態度の吸収を具現することであり,将来のインド経済発展のカギとなるものといわなくてはならない。インド政府は現在村落パチャーヤット(村落の代議機関)や協同組合を基底として農民自身のイニシアチブと責任の育成,協同組合的自助の精神の助成に努めているが,たとえば,61年度における協同組合の短・中期貸付金が5億3,760万ドルと前年度を28%上回るなど,この面で若干の成果をあげつつあるようだ。

なお,農業面に対する政府支出は,農業・村落開発向けが61年度に3億1,710万ドル(実績推定),62年度に4億320万ドル(予測),潅漑・洪水管制向けがそれぞれ2億580万ドルと2億6,250万ドルとなっている。第3次5ヵ年計画全体の各資金割当て額は前者が22億4,280万ドルと13億6,500万ドルであるから,それぞれ22.8%と34.3%が支出されたことになり,全体としての支出状況はやや遅れているによう思われる。

またインドの農産物のうち,最近目立つのはさとうきびの大量生産で,59/60年度に実施した栽培者価格の引上げの結果大増産が行なわれ,第2次計画の最終年度(1960年度)には第3次計画の最終目標1,000万トンを突破した。61年度の生産はやや減少したが,生産水準は970万トンといぜんとして高く,政府は61年11月に砂糖の配給制と価格統制を廃止し,国内消費の刺激に乗り出した。ジートも好天候から豊作に恵まれ,61年度には630万俵と第3次計画の目標620万俵を突破した。62年度についても豊作が予想されていたが,洪水のため品質はかなり低下したもようである。このほか,61年度に記録的水準に達した小麦の生産は,62年度にさらにふえたと推測されている。

茶の生産は北部インドの生産回復から増加したが,茶価格の低迷から茶園の経営状態は悪化しつつあるようだ。綿花の生産は61年度に17%あまり減産し,原綿の不足をひき起こしたが62/63年度には増産になると推測されている。

台湾の農林業(畜・水産業を含む)は61年に前年を8%,農業で6.4%もふえた。これは53~60年の平均増加率4.9%と3.9%のいずれをも上回っているが,これまでみられてきた農業生産躍進のかげには,東南アジア中最も進んだ土地改革の進展を見逃すわけにはいかない。すなわち,1952年以来,政府は小作農および農業労働者に平均約1ヘクタールの土地を配分してきており,いまや全農家に小作農が占める割合は過去の39%から17%に減少している。また小作農の保護も満足すべき状態で行なわれているといわれ,教育の普及による農貢青年層の成長と協同組合による金融と技術指導の普及が今日の姿をもたらしたといわれている。

ところで,61年の実績を主要農産物についてふりかえってみると,さとうきび,茶,さつまいもの増産が著しく,減産したのは小麦,タバコとジュートだけであった。小麦の減産は,大量のアメリカ余剰小麦が輸入された結果,国内価格が圧迫され,作付面積が12%も減ったためであり,タバコとジュートは過剰在庫の圧迫が原因とみられている。なお第3-2表は主要農産物について現行計画の目標達成率を示したものである。

タイの農林漁業の生産は61年に前年を7.6%上回った。このうち最も重要な米(もみ)の生産は10.7%伸び,ゴムも8.7%ふえた。とうもろこし,カッサバ,さとうきび,ココナット,落花生,大豆,タバコなどからなるその他農産物の生産も7.1%増加した。なお,近年とくに目立つのは日本向け輸出を中心として伸びてきたとうもろこしで,61年にも29%伸び(55年に比べると約9倍),作付面積も前年を30%上回った。ジュート類は59/60,60/61年度にパキスタン,インドの二大産地で不作をつづけたのに対し,タイでは大増産がみられたが,61/62年度にはやや減産となった。

フィリピンの生産は61収穫年度に前年度を0.2%下回ったが,これは食糧が0.9%減ったためで,輸出作物は1.8%の増産となった。コプラと砂糖はそれぞれ0.4%と5.1%減少し,アバカも9%減少した。アバカについて政府は植替えと作付け面積拡大のための資金供与とアバカの最低価格設定によって,同産業の振興をはかっている。

韓国では好天候と肥料・殺虫剤の時宜をえた供給によって実質付加価値で61年に8.8%の増力がみられた。

パキスタンでは61/62年度にやや天候に恵まれなかったため米はいくぶん減産となったが,同国としては高い生産水準を維持した。このほか小麦と大麦は61年には干害によって2.3%と9.3%減ったが,62年には天候に恵まれ,増収となったもようである。商業作物のうち茶は61年に増加したが,綿花は61/62年度に減産と国内需要増から純輸入国になったことが注目される。一方,ジュートは61/62年度に過去2年間の不作から立直りをみせ,62/63年度についても豊作が予想されていたが,62年秋の大洪水から59/60年度の生産97万3,000トンをも下回る90万トン強の水準に落ち込む見込みが強くなった。このため12~18万トンにのぼると推定されるくり越し在庫を勘定にいれてもやや供給が窮屈になった。

つぎに当地域の穀物のうち最も重要な米についてみると, 第3-3表からわかるように,61/62年度の生産は韓国,フィリピン,台湾,セイロンでふえたのを除けば,洪水に見舞われたカンボジア,ベトナムでかなり減産したのをはじめ,インドネシア,インド南部,タイで洪水や干害に襲われ,その作柄は思わしくない。なかでも,ビルマ,カンボジアにおいては土地生産性の向上がみられず,むしろ低下傾向さえみせている。これに対し,著しい増産を示した韓国,台湾,フィリピンでは好天候に恵まれたことも大きいが,とくに台湾,韓国の土地生産性の上昇は目ざましく,1961/62年度には1948/49~52/53年度の平均をそれぞれ40%と18%上回っている。この生産性向上のかげには,もちろん,肥料,防虫・殺虫剤増投の効果もあるが,とくに台湾については前述した土地改革の効果が大きいと思われる。

つぎに輸出用作物についてみると,天然ゴムは60年にインドネシアの減産から当地域全体として3.3%減少したが,61年には同国の生産が9.7%回復したこともあって,地域全体としては5.9%増加した。62年についてはほぼ上期の動向がわかるが,マラヤを除けばやや前年水準を下回っている。ところで,天然ゴムについては最近新型合成ゴムの圧迫が急速に高まりつつあるが,東南アジア諸国においても,これに対抗するために多収穫性ゴムの植替えによって生産費の削減がはかられている。しかし天然ゴムの苗の植付けから採算ベースに乗るようになるまでに8年もかかるため,植替えを行なうには相当の資本がかかる。したがって植替えが順調に進んでいるのはエステートの比重が高いマラヤとベトナム,また政府の資金援助が大きいセイロン(マラヤでも小農園に対する政府援助は大きい)だけであって,小農園の比重が高いにもかかわらず,大した政府援助の与えられていないタイと政治経済的不安のつづくインドネシアではかなり遅れている。もっとも,多収穫性ゴムの植付けが進んでいる国でも大半の新ゴム樹はまだ未成熟状態にあり,その威力を発揮するにいたっていない。ただ例外はマラヤのエステートで成熟樹栽培面積のうち約半分が多収穫性ゴムとなっている。これに対し最も対照的なのはインドネシアで,成熟樹の90%以上,未成熟樹の80%以上が在来種とみられている。しかもこの国の小農園主はいわば最低生活を維持するため,ゴムの値下り時にも最低限の所得を確保するために過度の採液を行なっており,それでなくても老齢化しているゴム樹の生命をちぢめているようだ。

(3) 鈍化した工業生産の伸び

60年にすばらしい伸びを示した工業生産も,61年には著しい伸び悩みをみせ,62年にはいっても引きつづきやや伸び悩み状態を示している。これは鉱業の伸び悩みが主因であるが,製造業もやや伸び悩み状態にある。

第3-4表 東南アジア鉱工業生産の対前年増加率

当地域の工業生産で圧倒的な比重を占めるインドでも,輸送面に生じた隘路,外貨不足による原料不足から増加率を落したが,61年度の上昇率は5.1%であった。もっとも,伝統的工業(綿,ジュートと製糖業)を除けば8%の上昇となるが,それでも現行計画が目ざしている工業生産全体の上昇率11.1%には遠く及ばず,第2次計画から開始された重工業投資がまだ十分に生産力化されていないことがわかる。なお,工業と電力向け政府支出は61年度に5億2,290万ドルと2億7,510万ドルで,それぞれ前年度を13.7%と21.3%上回ったが,62年度の支出はそれぞれ6億9,930万ドルと3億4,650万ドルが予定されている。

民間工業部門による新規事業申請は60年の3,467件から61年には4,012件にふえ,外貨節約ないし稼得に役立つプロジェクトに対し優先的に認可が与えられた。民間部門に対して認められた資本財の大半は,紙,パルプ,化学薬品,綿以外の繊維品,自動車,機械工業用資材であった。

なおインド準備銀行の報告によると,61年中に新設された工業の設備能力は60年中より少なかったといわれ,既存設備についても若干の業種では十分な稼動ができなかったようである。

ところでまず,鉄鉱石の生産をみると,域内生産の約6割を占めるインドでは61年度に13.1%増産された。

またインドの石炭生産は域内生産の約8割を占めているが,第3-5表からもわかるように61年度には0.5%の減産となった。これは輸送面に現われた隘略が主因であるが,同時にこの石炭不足が電力と鉄鋼の増産を阻害している。このような事態に対処するために,政府は,(イ)石炭の供給を鉄道,製鋼所,発電所,軍事施設に対する重点的割当ての実施,(ロ)石炭の地域別集積所の設置,(ハ)貨車移動の迅速化といった方法を検討したが,(イ)については他の一般産業にとっての石炭不足は解消されないし,(ロ)については積み降しの二重手間からかえって石炭の引渡しは時間がかかるという難点がある。(ハ)について,政府はすでに貨車割当ての合理化を約束しているが,基本的解決策はあくまでも輸送力の増強にあり,62年度の基礎工事,機械,車両用鉄道予算も6億1,950万ドルと近年にない超大型予算が組まれた。これによって約800キロメートルの複線化,路線563キロメートルの電化,100台以上にのぼる広軌用ディーゼル機関車の増加を目ざしているが,貨車の生産も61年度の1万9,000台(前年度に比べ7,000台増)から62年度には2万7,000台にふやし鉄道輸送力の強化を狙っている。

製造業のうち食品工業についてみると,60年に著増を示した砂糖の生産は61年末頃に行なわれた政府の生産規制(生産水準を前年より10%下げる)もあって伸び率が前年の半分以下になった。この生産規制は内外需要が生産に追いつけないことから実施されたが,この措置の継続によってさとうきびの生産が不当に抑圧される危険が生じてきたため,62年11月に制限措置は撤廃された。加工茶の生産は61年に前年の後退から回復したが,植物油はほとんど横ばいに終った。

繊維品については,綿糸が61年に7.7%増と近年にない伸びを示したが,綿布は逆に2.5%減少し,ジュート製品も原料難から9.4%減少した。

紙の生産は61年には5.4%の増加にとどまり,前年の伸び率に比べると1/3も増加率が落ちたが,まだ国内需要の半分程度しか自給できない状態にある。

化学工業のうち,農業増産に不可欠な肥料の生産は窒素肥料では61年度の計画目標(窒素換算140万トン)を完遂し,62年度についても100%の完遂が予測されているが,燐酸肥料は61年度に計画目標を38%下回り,62年度にも目標を40%下回ると予測されている。なお窒素肥料工場の建設状況をみると,第2次計画から持ち越されたナンガル肥料工場が61年に操業を開始い,20万780トンの生産を行なったが,これは同年の目標20万トン(62年度の目標30万トン)をわずかながら上回った。このほか,マドラス州のネイベリ工場の建設も順調な進捗を伝えられ,ボンベイ州のトロンベイ工場用設備も発注されたといわれる。しかし,インドにおける農業の大きさからみて肥料の需要はきわめて大きく,国内自給の達成にはまだ暫く時間を要しよう。

鉄鋼生産は第2次計画以来,インドの開発計画が最も重視するものの一つであるが,61年度の実績を完成鋼の生産でみると,計画目標(350万トン)を7%下回った。最近の情勢を国営の三製鋼所についてみると,これらの能力は十分に発揮されているとはいいがたい。すなわち,62年第1四半期の操業率をみると,最も好調なのはピライ製鋼所で85%が稼動しており,その後フル操業にはいったともいわれている。ドルガプール製鋼所は建設の遅延から操業率は当時まだ53%にとどまっていたが,その後急速に生産力を発揮しているもようである。問題はルールケラ製鋼所で操業率はわずか35%にとどまった。これば熟練技術者の不足,悪質な原料,不十分なプラント補修にあるといわれ,同製鋼所の建設を援助した西ドイツとインドとの関係が一時険悪になり,西ドイツの対印援助増加をしぶらせる原因にもなった。現在インド政府は予備部品のストック増と国内輸送面の改善をはかり,海外から40~50人の技術者を招くことによってその生産増加をはかっている。62年10月末に鉄鋼・重工業相が発表したところによると,62年12月までに,ルールケラ,ドルガプール両製鋼所の操業率も90%に高まると予想している。またビライ製鋼所の能力も今や120万トンとなっており,62年度の生産も計画目標(400万トン)をわずか2.5%下回る線にまで高められると予測されている。

機械工業については,インドにおいてその規模はまだ小さいとはいえ,ミシン,タイプライターなどの増産が目ざましく,最近自動車の生産も急速に伸びた。61年に油圧制動機,歯切盤,時計,ラジオ用真空管,減速装置などが初めて生産されるようになった。

電力については工業化の進展につれて供給を上回る需要増がつづいており,61年度の発電量は229億キロワット時と前年を13%上回ったが,多くの地域で深刻な電力不足が起こっているといわれる。62年度の発電目標は255億キロワット時とされているが,この国の発電が石炭を使用する火力発電を主体としているだけに,すでに述べた石炭の供給不足が電力の供給増加をかなり妨げている。一方,発電所の建設も第2次計画中から外貨不足のために遅れており,第3次計画にはいっても発電所建設用外貨割当て6億9,300万ドルのうち61年度中に2億3,100万ド,62年度にも夏頃までに3億6,750万ドルがすでに使用を許可され,あと3年余りの期間に使える外貨は1億ドルたらずとなった。そこでソ連が援助を約束した75万キロワットの発電プラントの引渡しに期待がもたれたが,さき頃インド政府が打診したところによると,ソ連にはそれだけの供給能力がないことがわかり,インドとしても発電設備用外貨割当ての再検討をよぎなくされている。

台湾の鉱業生産は61年は雨量過多から塩(台湾では製塩業を鉱業に分類している)の生産が減ったため伸び率は前年より鈍化した。他方製造業は硝化燐酸肥料,燈油,窓ガラス,アルミニウム箔で減産したものの,塩化ビニール,硫安,セメントなど大半の部分で増産を記録し,60年なみの上昇を示した。しかし,62年にはいってからは伸び率が若干落ちている。なお,第3-6表は主要工業品の61年における生産実績と計画目標達成率を示したものである。

フィリピンは61年上期に金融ひっ迫から製造業生産が伸び悩んだが,下期にはその上昇力をとり戻し,60年の増加率を大幅に上回った。そのうちわけをみると,耐久財が26.2%増,非耐久財が3.3%増であった。鉱業も60年の後退から立ち直り,6.9%の伸びを示した。

パキスタンの第2次5ヵ年計画の初年度(60年7月~61年6月)における民間工業投資は活発で2億8,560万ドルに達した。また投資申請額でみると61年末(第2次計画開始から18ヵ月間)までに計画目標の93%がすでに政府の認可をうけており,さき頃改訂された第2次計画の投資目標額(原案の4億9,980万ドルから5億9,850万ドルに引上げ)は再び上向きに改訂されようとしている。61年の工業生産は原ジュートの不足からジュート製品の生産が減退したが,工業全体としてはほぼ例年なみの増加率を維持した。

韓国においてもウォンの平価切下げによる生産費の上昇と軍事革命による政情不安から61年に製造業で伸び悩みがみられたが,鉱業は海外需要の増大に支えられて拡大した。しかし,鉱業も7割以上を占める石炭の国内需要がかなり充足されたこともあって,その増加率は著しく鈍化した。もっとも62年にはいってから工業生産はかなり順調な推移をみせている。

インドネシアでは,西イリアン問題から発生した輸送問題,外貨不足による原材料の輸入削減から工業生産の伸びは鈍化したとみられている。

最後にインド以外の域内諸国の主要鉱工業品の動向をまとめてみよう。

まず,すずは61年には年初来の価格の高騰により生産国の増産意欲が刺激され,90万8,000トンと前年を1.6%上回ったが,過去10年間なんら新規投資もせず,設備の補修も十分でなかったインドネシアでは60年を17.8%下回り,62年にはいっても不振をつづけている。最近アメリカ,ソ連から資金ないしは技術援助をうけて再建に乗り出しているがここしばらくは増産を期待でぎない。一方,マラヤ連邦は世界のすず産地のなかで最も増産態勢が整っている国として注目されている。61年には対前年比7.8%増,62年上期に前年同期を7.6%上回る増産を示している。タイの増産も目ざましく,61年には9.9%増,62年上期にも前年同期比10.9%の伸びを示している。

鉄鉱石は61年に域内全体で15.1%の増産となった。主として日本向け輸出を目当てにして採掘されているマラヤの鉄鉱は61年に19.2%増産され,同国の輸出に占める地位もゴム,すずにつぐ重要な品目となっている。

原油生産ば61年に域内全体で4.4%増加したが,域内第2位の生産量を持つブルネイの石油資源は年々涸渇状態に近づいてきており,近年減産傾向をつづけている。現在新油田発見の努力がつづけられているが,今までのところ成果は上がっていない。域内第1位の生産量を誇るインドネシアは,61年に3.4%の増産を示したが,最近注目されるのは同国が外国石油三社(パン・アメリカン・インターナショナル社,ユニオン社,カナディアン・アサメラ社)に対し,利潤の6割を徴収する権利を獲得したことである。もっとも,インドネシア石油生産の9割を握るカルテックス,シェル,スタンバック三社どの交渉はまだまとまっていないが,今回の成功は今後の交渉に若干の明るさを加えたといえよう。

天然ガスの生産もブルネイを除けば,いずれも増加している。台湾,パキスタンでは重要な動力源として使用されており,またブルネイ,ビルマ,台湾,インドネシア,パキスタンで天然ガスを利用する肥料工業,さらにパキスタンでは総合石油化学工業の建設計画を検討中である。

稙物油の生産は61年にマラヤで13%伸びたが,フィジピンば15%減産し,域内全体としては概して不振であった。

当地域にとって重要な綿製品については,61年7月に発効した国際繊維会議による短期的取決め-綿製品の輸入国は市場かく乱のおそれがあるばあい61年6月末に先立つ1年間の輸入量を基礎として輸入制限を行ないうるによって,ホンコンはすでに打撃を受けているが,62年10月初めに発効した綿製品輸出に関する長期的取決めでは,たとえばEECが5年後に輸入を88%ふやすことに同意するなど,市場の漸進的開放を約束し,低開発国の工業品輸出の見通しに一つの明るさを与えた。

紙の生産量は域内全体でみても日本の1/9程度にとどまっているが,域内でインドにつぐ生産量をもつ台湾の増産率は高く,61年には8.6%ふえた。

韓国,パキスタンの伸び率も高く,パキスタンでは国内需要の3/5を自給している。

セメント生産は,経済開発のためにまず下部構造の建設が必要なところから,域内でかなり発達しているが,61年にはやや減少し井ようだ。しかし注目を要することは,マラヤでほぼ自給化が達成されたことである。

化学工業を地域全体としてみれば,主としてマッチ,医薬品,石けん,塗料などの消費財の占める比重が高く,まだ初期的段階にある。もっとも当地域の肥料生産に対する関心は高く,つぎつぎと肥料工場の新設ないしは建設計画がたてられている。

鉄鋼生産は61年に域内全体で22.4%もふえた。もちろん増産の中心はインドであるが,最近,他の域内諸国で目立つことは,ほとんど軒なみに製鋼所建設計画に乗り出したことだ。これはパキスタンやフィリピンでは従来の軽工業から重工業へ漸進的移行を目ざすところまで工業化が進んだためでもあるが,同時に基幹産業を各国が多少なりとも持ちたいという民族的願望の反映でもある。現在計画している製鋼所建設計画の例を若干示すと,パキスタン(61年の鋼塊生産は8,517トン)で合計45万トンの能力を持つ製鋼所建設計画が認可され,フィリピンはミンダナオ島に能力23万トンの製鋼所とルソン島に小製鋼所の建設を計画している。このほかマラヤで日本との合弁製鋼所,インドネシアでジャワ島に10万トンの製鋼所を建設計画中であり,韓国,セイロンも同様な計画を持っている。しかし今後5年間にこれらの計画が完全に成功したとしても,生産は200万トンたらずしかふえず,鉄鋼の輸入依存度は事実上低下しないだろうとみられている。

機械工業については,パキスタンの扇風機,自転車の増産が目ざましく,政府の発表によると61年末までに自給化が達成され,今後は輸出をも狙おうとしている。

(4) 貿易の不振

1)輸出の減少

1961年の輸出は74億2,000万ドルと前年を2.3%下回った。先進諸国の景気が上昇したにもかかわらず輸出が減少したのは,ゴム,コプラの価格下落と西欧の在庫調整にぶつかったためである。

国別にみると,増加したのは韓国(21.9%),台湾(20.1%),タイ(17.2%),インド(4.9%),パキスタン(1.8%)の5ヵ国だけで,ホンコンはかろうじて前年水準を維持し,他の諸国はいずれも減少した。

四半期別に輸出の推移をみると,第3-7表からわかるように61年第2四半期を峠として減少に転じたが,62年にはいってやや回復傾向を示している。

一方,当地域のうち14ヵ国(ビルマ,セイロン,台湾,パキスタン,インド,マラヤ,シンガポール,サラワク,ホンコン,カンボジア,ベトナム,インドネシア,フィリピン,タイ)について総合した輸出数量と単価指数をみると,61年の数量は前年を5%上回ったのに対し,単価は7%下回っており,61年の輸出不振が単価の下落を主因としていることがわかる。

仕向地別にみると,上記14ヵ国から61年に輸出がふえたのは,日本(3.3%),ソ連・東欧(15.7%),中東(3.6%)向けで,アメリカ向けは前年なみであった。これに対し減少したのはイギリス(8.3%),EEC(3%),アジア共産圏(36.1%)向けであった。

主要商品別にみると,当地域全体のゴムの輸出額ば値下りから60年に比べ21%減少した。本来ゴムば先進国の景気変動に敏感であり,従来の経験からすれば値上りするのが当然とみられていたが,このように値下りしたのは,従来アメリカを中心に生産されてきた合成ゴムが,西欧大陸でも58~60年に生産にはいり,さらに60年央から天然ゴムと同じ性質を持つ新型合成ゴムの圧迫が本格化したという構造的変化(天然ゴムと合成ゴムを合わせた総消費に占める天然ゴムの比重は65.1%から52.6%に低下)と米英備蓄ゴムの圧力が加わったためである。当地域のおもなゴム輸出国(マラヤ,インドネシア,タイ,セイロン,ベトナム)について61年の実績をみると輸出金額は前年を19.8%下回ったが,数量ではセイロンが減っただけで,これら主要国全体としては7.2%ふえた。しかし輸出単価は25%下落したココナット類の輸出を域内の主要輸出国(フィリピン,-セイロン,インドネシア)についてみると,61年の輸出金額は対前年比19.6%減であった。これは単価が19.5%も下がったためで数量は60年水準を維持することができたが,最大の輸出国たるフィリピンの輸出数量は15%も減少した。

すずは世界の需要増にもかかわらず,供給量がおいつかなかったため値上りをつづけ,域内主要輸出国(マラヤ,インドネシア,タイ)の輸出額も61年には前年を3.3%上回った。これは輸出単価が9%も上昇したためで,数量はインドネシアの生産不振から6%近く減少した。62年にはいってもすずの供給不足がつづき,年央には国際すず理事会の緩衝在庫も涸渇するにいたったが,7月にはアメリカがついに戦略備蓄余剰分16万4,000トンのうち5万トンの放出を決定し,9月には200トンの放出を実施するに至り,すずの供給不足は解決の方向に向かった。なお,当地域の62年の輸出実績は第1四半期ぐらいまでしかわからないが,61年と同じく,インドネシアを除けば好調である。

茶の輸出は,インドの生産回復を主因として域内主要国(インド,セイロン,台湾)の輸出額は61年に3%増加した。これはもっぱら数量増加(5.7%)によるもので,単価は2.7%下落した。このような価格下落に伴い,主要輸出国では茶輸出税の引下げを行なっている。

米の輸出額は当地域全体としては微増にとどまった。これは域外では中共の凶作とアメリカ,エジプトの減産によって,これら諸国の輸出余力が減ったため,域内輸出国はいずれも価格上昇の恩恵はうけたものの,域内でもビルマ,ベトナム,カンボジアが減産となったため概して61年の輸出数量は減少した。このなかにあって,生産のふえたタイは輸出数量も30%ふえた。タイの増加を仕向地別にみると従来中共が供給していたインドネシア,セイロン向けが大きかった。なお小輸出国のなかでも,パキスタン,台湾も生産増から輸出を大幅にふやすことができた。なお62年にはいってもクイ,ビルマの二大輸出匡の輸出は世界の輸出供給力がふえていないのできわめて好調である。

原ジュート・同製品の61年の輸出額は値上りから大幅にふえ,インド,パキスタン,タイの輸出額は5.7%ふえた。なお最近ジュート製品について注目されるのはパキスタンの輸出増であり,同国の新設機械とすぐれた原料の品質はインドの海外市場を徐々にうばいつつある。

綿製品の輸出はホンコンではふえたもののインド,パキスタンでは減少した。その主たる原因は,インドについてはその原料不足とコスト上昇であり,パキスタンについては輸出ボーナス引下げによる輸出意欲の減退と国際競争の激化にあるが,インド,パキスタン両政府は輸出増進のために各工場に輪出義務量の割当て計画を実施(パキスタンは検討中)した。

2)輸入は横ばい

当地域の輸入額は61年に96億5,600万ドルとほぼ前年水準にとどまった。

国別にみると増加したのはインドネシア(38.3%),タイ(7.3%),台湾(8.4%),ベトナム(6.3%)など10ヵ国で,セイロン(13.1%),インド(4.5%),シンガポール(2.7%)などは減少した。なお,インド,セイロン,インドネシアなどでは外貨不足から輸入制限がいっそう強化されてきている。

第3-8表 東南アジア諸国の輸入額

四半期別にみると61年第2四半期を境にやや減少傾向を示してきたが,62年にはいっても大きな動きをみせていない。

輸出のばあいと同じく輸入についても14ヵ国総合の数量と単価指数の変化をみると,61年の数量は1.5%ふえ,単価は1.5%下落した。

相手地域別に,域内14ヵ国について61年の輸入をみると,60年より減少したのはアジア共産圏(14.3%),中東(1.7%)からの輸入で,ふえたのは域内(3.3%),アメ9力(4.4%),イギリス(4%),EEC(3,5%),ソ連・東欧(33.6%)などであった。

品目グループのうち,資本財ならびに資本財用原料の輸入についてみると,60年より減少したのはセイロン,ホンコン,パキスタンで他の国は経済開発のためにいずれもその輸入をふやしている。インドについて61年度の主要品目グループ別輸入額を前年度と比較してみると,食糧は小麦の半減を主因として41.1%減り,非食用原料も羊毛を除けばジュート,綿花,コプラ,生ゴムなどが減ったため16.6%減った。ふえたのは原油・石油製品,機械・輸送機器などである。とくに機械と輸送機器についてみると,一般機械は13.9%増,電気機器10.1%増となっているのに対し,輸送機器は25.1%も減っており,この減少分の87.3%ば鉄道車両の減少にもとづいている。

3)外貨事情の悪化

当地域の金外貨準備ば61年中に若干減少した。国別にみるとふえたのばマラヤ,台湾,韓国で,セイソンはほぼ横ばいであった。マラヤ(マラヤ連邦,シンガポール,北ボルネオの三地域)では公的金外貨準備の増加は,62年1月までば商業銀行の手持ち外貨の減少によってかなり相殺されたが,以後商業銀行の外貨準備も増加傾向を示し,62年央における民間・政府の外貨保有量はかなり増加した。このほか増加を示した台湾,韓国,タイは貿易収支の改善が主因で,62年にはいってからは,台湾と韓国は輸入増から金外貨準備は減少に転じ,輸出好調を反映して増加をつづけてきたタイの外貨準備も輸入増から下期に頭打ちぎみとなった。セイロンの金外貨準備は61年はほぼ横ばいであったとはいえ,それはきびしい輸入制限強化とIMFから1,120万ドルの資金引出しによって維持したものであり,外貨ポジションは悪化していた。

62年上期には外貨準備がわずかにふえているがIMFからさらに1,120万ドル(2月)引出しており,外貨ポジションはさらに悪化している。一方,外貨準備の減少している国のうちフィリピンは金融引締めとペソの実質的切下げによって輸入抑制をはかり,62年にはいって外貨準備も回復傾向をみせているが,これにはIMFからの借入れ2,540万ドルが含まれているから,実質的な改善は大してみられない。このほか,外貨準備が減少した国のうち,きわめて深刻な状態を示しているのはインドネシアとインドであり,前者はIMFから61年に3,370万ドル,62年にはいって2,120万ドル引出しているが,国内インフレの激化による集苛難から輸出は減退傾向にあり,当分改善は望めそうにない。

第3-9表 金外貨準備

ところで61年以来とくに注目されているめはインドの外貨危機である。61年にはIMFがら1億2,250万ドルを借入れ,62年にはいって7月にスタンドバイ・クレジット1億ドルの借入れ協定を結び,すでにそのうちから2,500万ドル(7月)を引出しているが,外貨準備はほぼ減少の一途をたどっている。この間輸入制限はいっそう強化さ卆,6月初めには民間指定輸入業者の輸入割当てを50%,直接利用者の割当てを15%削減し,半年間で約2,500万ドルの外貨節約を行なうなど厳しい措置をとった。

この外貨危機の実態を61年度(61年4月~62年3月)の実績についてみると,まず,総合国際収支尻は1,325万ドルの赤字にとどまり,前年度の赤字1億2,437万ドルの赤字に比べれば大幅の改善を示した。このうちわけをみると,輸出は14億230万ドルと前年を5.9%上回ったが,目標額たる14億2,600万ドルを1.7%下回った。一方輸入は20億5,460万ドルと前年に比べ11.1%減少し,商品貿易収支は前年度に比べ3億3,235万ドル改善され経常勘定全体の赤字も前年度の8億3,570万ドルから5億7,500万ドルに減少した。ただし経常サービス勘定は前年度より9,620万ドル悪化した。問題なのは,投資収益の悪化(60年度に比べ2,542万ドル悪化)で,これは対外債務償還負担の増大を反映したものである。資本勘定のうち民間長期資本は外国石油会社の資本引上げから前年度より1億4,496万ドル減少し,銀行資本勘定も前年度の純流入から純流出に転じて4億6,890万ドル悪化した。さらに対政府資本流入もIMFからの純引出し1億2,185万ドルを含めて1,764万ドル減少した(ビライ製鋼所援助資金の返済が始まり,西ドイツのクレジット返済負担も増加)。

以上のことからみて,61年度におけるインドの外貨危機は対外債務負担の増大,民間長期資本の流出などということもあるが,基本的には輸出の伸び悩みにある。61年度の輸出はたまたまジュート製品の値上り,アメリカ向け砂糖の大量輸出といった特殊要因に助けられたにもかかわらず目標を達成できなかったし,今後は茶の輸出需要も伸び悩み,またジュート製品も61年当時のような高値が期待できないこともあって,第3次5ヵ年計画の輸出目標15億5,462万ドル(年平均)の実現はかなり困難視されている。しかるにインドの輸入需要は強く,輸入制限もほぼ限度にきているばかりでなく,62年以降4年間に年平均2億6,261万ドルにのぼる外債の元利償還義務を負っている。外国からの援助は,62年8月に開かれた対印借款国会議で62年度分として10億7,000万ドルが約束されているが,63年度以降については西ドイツが6,100万ドルを約束している以外まだ約束は与えられていない。しかも供与される援助にいわゆるひもつきのものが多く,時宜に応じた使用ができにくいといった事情も外貨資金ぐりを苦しくさせている一因である。

いずれにせよ,東南アジア諸国の外貨事情は,インドを典型的な例として二,三の例外を除けば窮迫の度を加えている。この解決策として東南アジア諸国がとっているおもな手段は輸入の数量制限であるが,今やこのような消極的手段だけでなく輸出促進に向かって努力が強化されており,とくにインドでは61年以来輸出リンク制の強化,またインド,セイロン,パキスタンで行なわれた茶の輸出税引下げ,インドネシアのSIVA制度(輸出収入の15%を広範囲にわたる品目の輸入にあてるかまたは国内で高値で転売を許す)がその例である。このほか韓国のウォンの切下げ,フィリピンのペソ,ベトナムのピアストルの実勢レートへの接近による実質的切下げといった措置も国際収支対策の一環として注目する必要があろう。

なお,ここでインドにおける援助の利用状況をみると61年度に使用権を与えられていた資金量は36億3,655万ドルであったが,実際の使用額は7億2,265万ドルにとどまった。援助供与国別にみると,西ドイツとイギリスからのクレジットが多く利用されたが,これは,その援助が使途を特定のプロジェクトに限定しているものが少ないことや資本財輸入用資金が多かったためで,62年3月末における両国からの援助未利用分は西ドイツが1,681万ドル,イギリスが7,983万ドルであるのに対し,ソ連,アメリカ,日本からの援助の未利用分はそれぞれ5億9,664万ドル,4億4,748万ドルと8,824万ドルであった。また世銀の援助8億1,933万ドルのうち61年度に使用されたのは6億6,555万ドルであった。