昭和35年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和35年11月18日

経済企画庁


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第2部 各  論

第3章 東南アジア

2 経済開発の現状

東南アジア諸国は,独立後,工業化や開発計画を中心として自主的国民経済建設の努力をつづけてきた。従来,大半の国は,総合的計画から個別的計画の形態をとるものに至るまで,それぞれ性格を異にする開発計画を実施してきたが,多くの国は本年または来年にその最終年次を迎える。そこで,主要国がどの程度計画目標を達成したかを通観してみることにしよう。

(1) 国民所得の成長

まず,国民所得に現われた成果を主要国についてみると,第58表から明らかなように,各国が示してきた成長率は,目標をかなり下回っている。しかも5成長率の年々の変動ば相当大幅で,1955年以降の対前年比は,インドで最高の7.3%から最低の1.0%,パキスタンでそれぞれ6.5%と0.2%,ビルマで8.9%と3.4%,フィリピンで10.2%と0.7%となっており,とくに最近では,インド,ビルマにおける不安定性,パキスタン,フィリビンにおける停滞傾向が目立つている(第50図)。

このような目標と実績とのへだたりは,一部の原因を投資計画の未遂行に求められる。たとえば,インドでは民間部門はともかく,政府部門での目標達成は不可能視されており,パキスタンも政府部門の投資は第59表に示すように第1次5カ年計画の原案に対して78%,後に縮小された投資計画に対しても84%程度の遂行率に終わった。ビルマについても事態は同じであって,控え目な見積りにもとづく1956/57~59/60年度の4カ年計画にくらべれば,目標額20億3,100万チャットを4,600万チャット上回ったとばいえ,野心的なビドータ計画にくらべれば,1953/54~58/59年度における総投資額での計画目標77億6,000万チャット,純投資額での目標55億3,000万チャットをそれぞれ24%,26%ずつ下回る59億チャット,41億チャット程度にとどまった。

しかも,この投資は,東南アジア諸国のように外部経済の整備されていない地域では,開発支出のかなり大きな部分が基礎的旋設の建設に振り向けられねばならないため,投資の懷胎期間が長く経済成長の速度もそれだけ緩慢にならざるをえない。そればかりでなく,東南アジア諸国の経済は農業を主体としており,第51図に1例を示したごとく国民所得の動きは農業生産の動向に密接な関連をもち,しがもこの農業生産は天候その他の自然条件によって決定的に左右される状態にある。つまり,国民所得の大きな部分が,投資とは直接関係のない要因によってゆさぶられる状態にあるといえよう。それならば,農業生産は現在どのような状態にあるのであろうか。

(2) 伸び悩む農業生産

東南アジア諸国の農業生産はやや長期的にみれば概して改善を示しているとはいえ,計画目標とくらべたばあい,とくに食用穀物における遅れが目立つている。

1)食用穀物

食用穀物,とくに米の生産実績と計画目標とをくらべてみると,どの国も目標を達成できそうもない(第52図)。ただパキスタンが,1956/57年度と59/60年度の収穫で目標に達したが,その計画目標はどちらかといえば控え目なものであり,天候不順に悩まされた55/56年度,57/58年度,58/59年度にはいずれも減産を示し,農業生産の不安定性を暴露した。その他の国についても程度の差こそあれ,同じような不安定性がみられ,近年の傾向としてみると,1ヘクタール当りの収量は概して停滞をつづけている。つまり,フィリピン,インドネシアでの増産は,耕地面積拡大にその原因が求められており,セイロンでは,耕地拡大は予定どおりに進んでいるが,1ヘクタール当り収量の上昇では,やはり立ち遅れているようである。これに対し,ビルマでは,播種面積がいまだ戦前平均の80%にとどまっており,耕地面積の伸び悩みが問題となっている。

また,インドでも,1958/59年度の食用穀物生産は,55/56年の基準年度を11%上回る記録をたてたが,これも好天候の結果であり,増産された分のうちどの程度が土地生産性の上昇によるものか明らかでない。ともかく,インドの耕作面積のうち,定期的に降雨があるのはわずか24%,灌漑面積も約18%にとどまっており,現在,大中規模灌漑建設の遅れとともに,既設灌漑設備の不満足な利用が問題となっている。

東南アジア諸国,とくに食糧輸入国では,急速に増大する人口に対する食糧供給の問題,あるいは食糧輸入による外貨準備への圧迫が深刻な問題となつており,インドの第3次5カ年計画,パキスタンの第2次5カ年計画でも,食糧の自給化が重要な課題となった。

2)輸出用作物

輸出用作物ないし現金作物は,食用穀物と同じく天候の良否いかんに左右されるという不安定性を脱していないが,同時に経済的刺激に対しある程度の反応を示す。たとえば,インドのジュートなどには,価格の上昇につれて生産が変動するという関係がみられ,第53図からもわかるように,インドの茶,油実,ジュートの生産実績値にもとづく傾向線は計画目標を上回る動きを示している。パキスタンでは,綿花,ジュートはともに計画を下回る動きを示しているが,これは天候以外の要因として,食糧増産の急務が綿花の栽培面積拡大への努力を制約していること,近年の輸出不振による価格下落を防止するためにジュートの生産制限が実施されてきたことなどをあげることができよう。このほか,最近増加を示したフィリピンの砂糖生産は,好天候のほかに国内市場向け割当て増加を反映するものであり,セイロンにおけるゴム,コブラの植替え計画も最近では順調な進捗状態を示している。しかし,インドネシアでは,政情不安,インフレーション,肥料その他の農業投資の不足が輸出用作物の増産を著しく阻害しているようである。

(3) 工業生産の上昇

工業生産は,概して農業より満足すべき成長を示している。これは農業開発が未組織かつ積極的な意欲に乏しい農民大衆を相手とするのに対し,工業開発では,限られた数の企業の育成を対象とするため,計画担当者にとって管理がしやすいという理由もあるであろう。

しかし第60表にもみられるように,重工業の開発に重点を置くインドと,軽工業中心のパキスタン,フィリピンとではおのずから成長速度も異なり,後者の成長は目ざましいものがあった。

すなわち,パキスタンで急速な増大をみせたのは砂糖,ジュート製品,綿製品等であって,これらの部門では投資実績は計画を下回ったにもかかわらず生産は目標を上回ったといわれる。このほかにもセメント生産の増加も著しく,1955~59年に45%の増産を記録し,1959年の工業生産指数は1953年の2倍以上にも達している。一方,フィリピンでは計画目標のなかに生産目標が含まれていないが,とくに繊維製品生産の伸びが著しく,製造業全体としても,1956年を25%上回った。しかし,パキスタン,フィリピンにおいて,より急速な工業開発を妨げてきたものは,外貨不足による原材料の供給不足,さらには,設備および部品の不足であった。

他方,インドの第2次5カ年計画原案では,鉄鋼,ついで機械,肥料,セメントなどの部門に最優先順位が与えられていた。しかし,後に主として鉄鋼計画のコスト膨張,経済開発と経済の維持に必要な輸入の増大による外貨準備の激減等の困難が生ずると,他の犠牲において鉄鋼プロジェクトの建設に力が注がれた。この結果,鉄鋼生産は1959年になってようやくその効果を現わしはじめたが,窒素肥料,セメント等の重要部門で計画目標の達成は不可能視されるに至った。このほか,石炭生産も目標と実績との間にかなりのギャップを示しており,最近では鉄鋼生産を阻害しているといわれる。

(4) 金・外貨準備の減少

以上にみたように,東南アジア諸国の工業化の順調な進展をはばむ主要な要因は外貨不足にあった。事実当地域内の1959年末における金・外貨準備率は,輸入制限の効果が強く働いたインドネシア,パキスタンをのぞけばほとんどの国で1953年を下回っている(第61表)。

これは主要輸出商品としての一次商品の輸出が海外需要の伸び不振によつて圧迫をうけているためで,たとえば,ビルマのビドータ計画が実施不能になったのも,この計画が開始された1952年以後,米の世界市場が売手市場から買手市場に転じ,米の価格低落と海外需要の不振によって輸出収入の減少傾向が生じたのに対し,一方では開発計画の進捗による資本財輸入需要の増加,インフレ抑制のための消費財輸入増加によって貿易収支が悪化し,外貨準備の枯渇を招いたためであった。

また,インドについてみると,外貨準備の減少は, 第62表 からわかるように,少なくとも計画の当初では輸入実績が計画を大幅に上回ったためで,これは資本財輸入の激増と天候不順による食糧輸入の増大がその主因であった。

しかも,計画で年々増加を予定されていた輸出もついに減少傾向をたどり,これが国際収支の悪化,さらには外貨不足を深刻にしてきたのであった。このため,インド政府は1957年以来輸入制限を実施したが,さらに不足分をおぎなうため計画原案の政府部門に対する外国援助期待額を16億8,000万ドルから21億8,000万ドルに修正し,アメリカ,世銀等もインドに対する援助を強化するに至った。また共産圏も,アメリカにくらべればはるかに規模は劣るとはいえ,低利・長期償還の魅力的な条件のもとに近年その援助攻勢を強化しており,インドが第2次計画用として承認をうけた外国からの公的援助.総額は1959年末までに31億ドル,59年9月末までの利用額は17億8,000万ドルに達し,59年における輸出の回復,輸入引締め効果と相まつて,56年以来減少をつづけてきた金・外貨準備は一時的にもせよ59年に回復を示すに至った。しかし,60年に入ると輸入の増加テンポが上昇し,再び外貨危機が叫ばれるようになったことは前にも述べたとおりである。

第63表 アメリカのICA,DLF援助

以上のように,東南アジア諸国は経済開発の過程において食用穀物の生産の伸び悩み,外貨準備の逼追による開発投資の遅れ等いくつかのつまずきをみせながら,緩慢ではあるが経済自立への道を歩みつづけているといえよう。

第64表 世銀の借款供与

第65表 共産圏とアメリカの対東南アジア援助