昭和35年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和35年11月18日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第2部 各  論

第3章 東南アジア

1 1959~60年の経済動向

1959年の東南アジア経済は,前年の苦境を脱し,かなりの改善を示した。

58年の経済が57年秋の天候不順とインドにおける工業発展の鈍化によって後退を余儀なくされたのに対し,59年の食糧生産は好天に恵まれておおむね豊作を記録し,インドの工業生産も生産財部門の大幅な拡大によって再びその上昇テンポを高めるに至った。

一方,58年に対前年比10%の滅少を示した輸出も,欧米景気の上昇を反映して,59年には大幅な改善をみせ,59年全体で前年を12%上回っただけでなく,57年をもわずかにしのいだ。この増加傾向は,60年に入ってもつづいたが,第2四半期には拡大鈍化の徴候を示すに至った。これに対し輸入も輸出とほぼ同じ動きを示したが,その増加テンポは輸出のそれをはるかに下回り,58年にくらべ2%増,57年に対し13%減にとどまった。この結果,59年における東南アジア地域の入超額は,前年の約50%に減り,59年末の金・外貨準備もほとんどの国で前年末の水準を上回った。しかし,60年第2四半期以降における輸出増勢○鈍化とともに,金・外貨準備の増加も頭打ちを示すようになったと思われる。

(1) 生  産

1)豊作に恵まれた農業生産

1958/59年度における農業生産は,好天と輸出増加を反映しておおむね増産となった。第48表によってみると,パキスタンで対前年3%の低下がみられるが,これは主として水不足による米,綿花の減産によるものであった。

イ)食用穀物

農業生産のうち,まず食用穀物についてみると,パキスタン,マラヤ連邦は前年度比で,それぞれ3%,9%の減収(両国における干ばつと東パキスタンの作付け面積減)を示したが,ビルマ,タイの食糧輸出国,さらには,インド,インドネシアなどの食糧不足国でも近年最高の収穫を記録することができた。しかし,これは主として天候条件に恵まれたことによるものであった。

つぎに食糧のなかでも最も重要な米の生産についてみると,地域全体では1958/59年度に9,426万トン,59/60年度に9,746万トンと,57/58年度をそれぞれ14%,18%上回り,戦後の記録的豊作だった56/57年度をも1%ならびに5%しのいだ。しかし,第49表から明らかなように,58/59年度および59/60年度における収穫面積1ヘクタール当りの生産は,地域全体でみて1,400トンないし1,500トンと,1948~52年度の平均1,200トンを200~300トン上回った。しかし,土地生産性の水準はまた非常に低い。たとえば日本では58/59年度の1ヘクタール当り収穫は4,800トンとなっている。

このように,東南アジア地域の米穀生産は,土地生産性の水準が低いために,いまだ天候の良否いかんに左右されるところが大きく,概して1年おきに減産,増産を繰り返している。しかし,1948~52年度にくらべれば,わずかながらも単位面積当り収穫の上昇がみられ,各国が灌漑,化学肥科の利用農地改革等に示してきた努力のあとをうかがうことができよう。

ロ)輸出用作物

輸出用作物の生産も,天候の良否に左右されるが,海外の需要によっても影響される。ゴムは海外需要増を反映して,各国とも増産に努めており,マラヤ,セイロン,タイなどで優良品種への植替えが進められている。このうちマラヤでは,ゴム栽培面積の約1/3の植替えを終わり,今や世界最大の生産国になろうとしている。一方,東南アジア全生産量の50%近くを占めていたインドネシアは,オランダ系農園接収による温室などから減産をつづけてきたが,1959年にはラテックス採取の強化によって立直りをみせ,対前年18%の増産となった。この結果,59年の生産は東南アジア地域全体で約184万トンと58年を10%上回った.このほか,1958/59年度の砂糖,茶,綿花,コプラなどの年度についてみると,綿花,コプラの減産には天候不良の影響が強くみられる。これに対し,セイロン茶の生産は,干害とイギリス向け輸出不振にもかかわらず,ほぼ前年の記録を維持し,インドとともに国内需要の増加が増産への努力をかきたてている。砂糖は,フィリピン,ビルマ,パキスタンでふえたが,インド,インドネシアで減つたため,全体としては前年度を2%上回るにとどまった。

一方,ジュートはパキスタン,インドで豊作であったが,59/60年度には干害のためパキスタンで減産が見込まれている。パキスタン政府も,60/61年度における栽培面積の制限を解くなど増産に努力しだしたが,食糧増産の必要は,綿花とともにジュートにも圧迫を加えており,土地生産性の向上は,今後ますますその意義を高めていくにちがいない。

2)鉱工業生産の上昇

当地域の鉱業も,1959年に増加したと思われる。これは,主として鉄鉱石が対前年比32%増となったためで,インドにおける鉄鋼業の発展とインドマラヤ,フィリピンからの輸出増加の反映であった錫の生産は,国際錫協定による輸出制限によって,前年をわずかに下回ったが,先進工業国での需要回復と,輸出規制をすることにソ連が同意したこともあって,徐々に輸出制限が緩和され,1959年第4四半期以降は,かなり生産の回復をみている。

なお,石炭の生産は,東南アジア地域全体の95以上を産出しているインドが,1959年にも前年に引きつづき増産を示した。しかし設備の輸入制限はインド石炭業の成長をいくぶん妨げており,第2次計画の目標からみればかなり不満足な水準にとどまっている。

工場生産は,軽工業を中心とするパキスタン,フィリピン等で前年に引きつつき上昇を示し,ホンコン,パキスタンの綿製品輸出が大幅の増加をみた。

一方,インドの工業生産は,1958年の停滞を脱して,59年には前年を8%上回った。豊作による内需回復から綿花が持ち直しただけでなく,ビライ,ルールケラ,ドルガプ-ルの国有製鋼所が操業をはじめ,鉄鋼生産の対前年増加は37%に及んだ。このほか,電気・その他の機械,輸送機械等の発展も目ざましく,58年を8~26%上回った。しかし,これら成長率の高い業種は,インド工業生産全体の10%ぐらいの比重しか占めておらず,比重の犬きい消費財産業,とくに綿業部門では,58年に内需減から後退し,内需回復と輸出増加をみた59年には深刻な原料難に悩まされ,かなり大規模な遊休施設を出している。

第50表 鉱工業生産

(2) 貿易の動向

1)輸出の増大

1957~59年における東南アジアの輸出は,先進工業国の景気動向をかなり敏感に反映し,58年には対前年10%減,59年には66億1,900万ドルと前年を12%上回り,55年の対前年増加率14%につぐ伸び率を示した。

第52表 東南アジア諸国の輸出額

1957~59年における東南アジア輸出の推移と,世界全体,アメリカおよびカナダ,西欧,ラテン・アメリカ,中近東およびアメリカのそれとくらべてみると,第51表にみられるように,東南アジア地域の輸出変動率は,世界全体だけでなく各地域のそれを大幅に上回っていることがわかる。

これは,東南アジア輸出貿易の不安定性を意味しているといえるが,東南アジアの輸出商品構成が先進工業国向け工業原材料に大きなウェイトをおいているため,他の低開発地域にくらべ激しい変動を示すのだといえよう。

四半期別に,東南アジアの輸出動向をふりかえつてみると,1958年第2四半期を底として回復に転じ,59年第2四半期には前年同期を20%上回っただけでなく,57年同期の水準をもしのぐに至った。その後,この地域からの輸出は大幅に増加し,60年第1四半期には前年同期を29%上回った。しかし,第2四半期にはその増加率が落ち,最近では,増加テンポの鈍化傾向が出てきたように思われる。

つぎに,この回復から上昇過程における東南アジア輸出の動向を仕向地別,商品別にやや詳しく振り返つてみよう。

イ)仕向地別動向

東南アジア諸国の輸出が1957~58年にとくに打撃をこうむつたのは,西欧大陸,アメリカ,エカフェ諸国向け輸出が減少したためであった。しかし,日本とアメリカ向け輸出は,それぞれ1958年第3および59年第1四半期に前年同期を上回り,以後著しい増加を示した。他方,西欧大陸,エカフェ諸国向け輸出は回復が遅れ,それぞれ59年第2ないし第3四半期になってはじめて前年同期を上回った。イギリス,東欧諸国への輸出は,58年にも減少せず,ある程度他の仕向地への輸出不振を相殺したばかりでなく,59年にも増加をつづけた。

ロ)輸出商品別動向

i)天然ゴム

1959年における世界のゴム輸入量は前年にくらべ9%増加した。これはアメリカの輸入増10万6,000トン(対前年比23%増)をはじめとして,日本,イギリス,西ドイツの買付け増加が原因であった。ソ連と中国の輸入は,自由先進国の買付けが大幅に減つた58年にも大幅な輸入増加を示したが,59年には中共の輸入が減つただけでなく,ソ連のそれも増加テンポを幾分鈍らせた。一方,共産圏をのぞく消費国の在庫は減少をつづけ,1959年末の消費国在庫は前年末を9%下回るに至った。

第53表 東南アジア諸国の仕向地別輸出額

1958年における東南アジアのゴム輸出価格は,第2四半期まで低落をつづけたが,以後,ソ連と中国における工業拡張計画,アメリカの景気回復等を反映して回復しはじめ,59年にはアメリカ自動車生産の上昇,西欧自動車産業の58年に引きつづく活況を主因に大幅な上昇をとげた。東南アジアの主要国(セイロン,インドネシア,マラヤ,タイ,ベトナム)におけるゴムの輸出単価指数の動きをみると,58年第2四半期を底として以後一貫して上昇をみせ,59年第4四半期および60年第1四半期の輸出単価は58年第2四半期をそれぞれ51%ならびに59%上回った。

この間,輸出数量は季節的増減はあったが,増加傾向をたどり,1959年における上記主要国の輸出数量は前年を16%上回った。なお58年と59年をくらべた場合,当地域全体の輸出総額増加に対するゴム輸出増加の寄与率は約8割程度にも及んでいる。

第45図 ゴム輸出の推移

ii)錫

国際錫協定は1958年9月に危機に陥つたが,その後,国際錫委員会による緩衝在庫操作や,先進工業国の景気回復によって持ち直した。このほか,ソ連が錫の輸出を58年の1万7,200トンから59年には1万3,500トンに制限することを了解したこともあって,59年の錫価格は著しく回復し,国際協定による輸出割当ても,59年第2四半期には2万300トン,第3四半期2万5,000トン,第2四半期3万トンと増加した。

この間,緩衝在庫の残高は59年6月に,58年末の2万3,000トンから1万4,000トンに減り,59年末には1万トンと協定の最低基準まで減少するに至った。

このような発展に伴って,東南アジアの錫も徐々に輸出価格ならびに数量を上昇していったが,1959年全体としてみると輸出額の増加は数量の増加よりも価格の上昇に負うところが多かったと思われる。たとえば,インドネシア,マラヤ,タイの主要輸出国の合計をみると,59年の輸出数量は対前年比わずか0.4%増にとどまったのに対し,輸出価格は10%程度上昇した。なお,59年の輸出総額の対前年増加に対する錫輸出増加の寄与率は東南アジア全域では約6%程度だったと思われる。

第46図 錫輸出の推移

iii)ココナット

コプラおよびココナット油の輸出不振は1959年上期に起こつたが,これはフィリピンにおける生産が雨量不足によって停滞したためで,下期以降は世界の需要強調を反映して目ざましい回復を示した。59年におけるセイロン,インドネシア,フィリピン3国のココナット類の輸出額は前年を12%上回り,総輸出額増加に対する寄与率も4%程度に達したが,59年を全体としてみた場合,輸出数量は前年を約7%下回っており,輸出額の増加は価格騰貴によるものであった。なお,60年の輸出は第1四半期に大幅な後退を示したが,第2四半期に入って急速な上昇を示している。

第47図 ココナット輸出の推移

iV)米

米の輸出は東南アジア自体における食糧自給事情によって決定されるが,1958/59年度の豊作は米輸出国の供給力を増加させた。他方,輸入国側でも,少数の国をのぞけば豊作を記録し,米の輸出価格の低落を招いたが,主要輸出国の双務協定取決めなどの輸出努力が実を結び,輸出数量は1959年第21四半期から増加に転じた。しかし,タイ米の輸出は,価格が割高なため,年間を通じて前年を下回った。

1960年の第1四半期にはビルマ,ベトナムで引きつづき輸出増加がみられタイ米の輸出も価格低下により輸出数量の増加が認められる。

V)茶

1959年における茶の生産は前年とほぼ同じ水準を維持できたが,国内消費増とイギリス向け輸出不振によって59年の輸出額は前年を9%程度下回った。当地域のうちインド,セイロンの輸出価格,数量の動きをみてみると,本年に入ってもまだ低水準にあえいでいる。

以上の輸出品目のほか,1959年における綿花,ジュートの輸出は,世界の繊維産業の景気回復が遅れたため,59年下半期の需要回復にもかかわらず前年を下回った。しかし,1960年の1月~5月におけるパキスタン綿花ならびにジュートの輸出は前年同期をかなり上回っている。

第48図 米輸出の推移

第49図 茶輸出の推移

第54表 地域別輸入額の推移

第55表 東南アジア諸国の輸入額

2)輸入の回復

1959年の輸入は,ラテン・アメリカや中近東およびアフリカの低開発地域と異なって58年を2%上回った。輸入の対前年増加率を四半期別にみると,輸出と同じく,59年第2四半期から前年同期を上回りはじめたが,その増加テポンは輸入制限の継続によってかなり低かつた。すなわち,59年第2四半期には対前年同期増2%,第3四半期6%,第4四半期9%と徐々に増加テンポを高めたが,57年の水準を越えるには第4四半期まで待たなくてはならなかつた。60年第1四半期には対前年同期12%増と,輸入増加テンポはさらに高まっていくかと思われたが,第2四半期には再び前年同期を下回った。しかしこれは一時的な減少と思われる。

国別には,日本,アメリカ,イギリス,西欧大陸からの輸入ば,いすれも諸国の輸入額1959年第2四半期に前年同期を上回った。日本をのぞく域内貿易の回復は,少し遅れて第3四半期に達成されたが,これは,上半期における米の貿易不振がたたつたためと思われる。

輸入品目の動きをみると1958年の輸入減退期には,消費財,資本財の両方で減少を示した。近年東南アジアの輸入は,開発計画推進のために,消費財輸入を最低限度に切りつめており,輸入規摸を縮小する場合には,主として資本財輸入を切りつめてきた。したがって,輸入増加に移る場合には資本則で増加がみられるが,1959年上半期の輸入不振期にあっては,セイロン,インド以外はまだ,資本財輸入の回復がみられない。一方,ベトナムでは,国内軽工業の発展により,消費財の輸入削減が行なわれているのに対し,消費財向け原料の輸入増加がみられた。

3)外貨準備と交易条件

以上でみてきたように,1959年の輸出の大幅な回復にもかかわらず,輸入の回復率はきわめて緩慢であった。このため,59年の貿易赤字は,59年第2四半期に前年同期にくらべ8億2,100万ドル,第3四半期に3億1,700万ドル,第4四半期に6億2,100万ドル下回り,金・外貨準備も,慢性的な減少を示してきたインドをはじめとして一般に改善をみた。しかし,60年4月以降,この増加テンポは緩慢化し,最近のインドは再び外貨危機にあえぐようになった。

第56表 金・外貨準備

一方,輸入価格の動向をみると,上半期においては,おおむね低下し,このため東南アジア諸国は価格面からの恩恵をこうむつた。これに対し,輸出価格は,ビルマやパキスタンをのぞけば上昇し,交易条件の改善をみた。

第57表 交易条件指数


[次節] [目次] [年次リスト]