昭和34年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和三四年九月

経済企画庁


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第二部 各  論

第四章 ソ連の七カ年計画開始と東西の経済競争

第一節 一九五八年のソ連経済

(一) 経済調整の継続と七カ年計画への転換

(1) 一九五八年経済計画の性格

ソ連の一九五八年経済計画は,前年の計画において企図された経済拡大の行過ぎに対する調整という課題を引継ぐと同時に,すでに翌一九五九年から始まる七カ年計画の基本方向へ転換するという二つの性格を帯びていた。

(a) 経済調整

第一の点は,一九五八年計画が前年の計画と同様に,過去に比べて低い成長率を予定したことに現われている。一九五六年から始まつた第六次五カ年計画は,その初年度にはやくもつまづきを見せた。このことは原料,資材の供給不足と生産,建設計画の過大とに鋭く現われ,ひいては第六次五カ年計画そのものにも再検討を加え,結局,一九五九年から七カ年計画に切換えることをよぎなくさせたのである。

このような状況のもとにあつて,一九五七年の経済計画は前年の経済発展の行過ぎに対する調整という基調を示し,国民所得と工業総生産の計画成長率が前年実績より引下げられた。この年の実績では,農作物の不作が影響して国民所得の増加率は計画に達しなかつたものの,工業総生産の増加率は計画をかなり上回つた。しかしその反一面,経済調整を必要ならしめた要因の一つである鉄鋼および電力をはじめとするエネルギー生産における隘路は依然として打開されず,これらの部門の実績は計画を下回つた。このために一九五八年計画も,工業生産の増加率は多少高められたものの,前年の計画と同様,概して低い成長率による経済調整を続けるという低姿勢の一面をもつことになつたのである(第4-2表参照)。

(b) 重点投資

しかし一九五八年経済計画はこの低姿勢をとりながらも,そのなかにきわめて注目すべき動きを示していた。それは,来るべき七カ年計画の方向へ一歩近づいたということである。第六次五カ年計画を七カ年計画に切換えることを規定した一九五七年九月二六日付の党と政府の決定は,新長期計画の重点と目される若干の項目を指摘した。それは,基礎産業部門の隘路の打開,化学工業,とくに化繊,プラスチックスなど合成物質の生産等の新規産業の育成,石油,ガス,電力の増産による燃料需給バランス,さらに広い意味でのエネルギー・バランスの改変,住宅建設を中心とする国民生活水準の引上げを示唆するものであつた。ところが,一九五八年計画はすでに七カ年計画の重点とも目される部門への投資を大幅に増加することを予定したのである。第4-1表に見るように,一九五八年計画では七カ年計画の重点とされた部門や運輸の近代化に対する投資が大幅にふえ,また住宅建設投資は,増加率は低下したが,その絶対額では建設事業全体の三分の一に達することが予定された。このように固定投資総額の増加率は前年より低下しているにもかかわらず,重点部門への投資は著しく増加し,そのため他の非重点部門への投資額は多少減少することになつていると報告された(前掲,最高会議におけるグジミン前国家計自委員会議長の報告)。このような点を考慮に入れると,一九五八年経済計画は,まさに超重点的投資を指向しており,さきに述べたように一九五七年来の経済調整を続ける反面,七カ年計画の方向へ一歩近づいたものといえよう。

(2) 一九五八年の経済実績

以上のような年次計画に対して,その遂行実績を主要経済指標について見ると,第4-2表のとおりであつた。

一九五七年計画に引続いて,過去に比べて成長率の低かつた国民所得と工業生産に関する一九五八年計画は「超過遂行」され,工業生産は前年実績と同じ増加率を示した。

農業総生産に関する実績データは発表されていないが,国連のECEは前年に対しで一九五七年が二%減,一九五八年が一一%増と推定している。一九五七年には農作物は一般に不作であり,そのため工業生産は計画を上回つたにもかかわらず,国民所得の伸びは計画より小幅であつた。ところが,一九五八年には農業総生産の前年比一七%という大幅な増加が計画され,実績も一九五六年の記録を更新するほどの穀物の豊作に恵まれたのである。このように工業生産の計画を超過遂行し,農業生産の好調を取戻した一九五八年は,国民所得においても計画を上回つて九%の成長を達成することができたのである。

(a) 工業生産

一九五八年の工業生産は前年に比べて七・六%増加する予定であつたところ,実績では前年同様一〇%の増加を示した。他方工業の労働生産性は計画で五・二%の増大であつたのに対して,実績では六%の向上を達成した。この二つのデータから推計すると,工業労働力(公表なし)も計画で二・三%増加,実績で三・七%の増加ということになる。

このようにして,工業生産は計画を上回つて前年と同じ増加を示したのである。ところがさらに立入つて部門別ないし品目別に見ると,両年度の動向にかなりの相違を発見することができる。

まず,部門別に両年度の動きから始めよう。

第4-3表によると,一九五七,一九五八両年度の発表の分類法が違う部門については比較しえないが,機械および金属加工,化学,建設資材の三つの部門は増産率が高く,しかも後の二部門は一九五七年から一九五八年にかけて増産テンポが早くなつている。ただし,建設資材工業には統計的に若干の上向バイアスがあることに注意しなければならない。それは近年建設作業の「工業化」に伴つて建設現場の作業量が減り,建設資材工業において鉄筋コンクリート・ブロックのような組立式の建設材料の生産が増大していることによる。それにしても建設資材,機械および金属加工の両工業部門の高テンポの増産は建設作業と生産能力の拡大と向上が続いたことを反映している。また,化学工業は,石油,ことに石油精製,ガス,鉄鋼,非鉄金属の諸工業とともに,計画運営上の重点部門であつて,中央統計局の発表によると,これらの部門では「計画の遂行のために最大限の物資と資金が振向けられた」といわれている。消費財関係では食品工業の増産率が一九五七年から一九五八年にかけて半分に落ちたことが注目される。これは一九五七年の不作のため飼料が不十分で,一九五八年前半に畜産部門が後退したこと,従来農畜産物の増産努力が続けられた反面,その貯蔵,加工能力の拡大がたちおくれたことから,おこつたものであろう。

次に,重要品目別に一九五八年の生産計画と実績を見よう。

第4-4表,付属統計および中央,統計局の報告(一九五九,一,一六)から判断すると,一九五八年の工業品目別の生産実績では次の諸点が注目される。

(イ) まず鉄鋼およびエネルギーの生産は,ガスを除きいずれも計画目標を突破して好調を示した。一九五九年における生産および建設計画の過大,経済拡大の行過ぎが問題になつたときには,これらの部門が最大の隘路となり,そのために一九五七年以来の経済調整が必要となつたのであるが,一九五七年には鉄鋼生産実績は前年比増産率で銑鉄1四%,粗鋼1五%,鋼材一六%と伸びが小幅であつた。しかるに一九五八年には,年産銑鉄四九〇万トンに及ぶ七基の高炉が稼動を始めるなど能力の拡大もあつて,第4-4表に見るように鉄鋼生産の増大テンポは早くなり,エネルギー生産も概して好調を示した。

(ロ) 建設資材では木材を除いて計画が達成されなかつたものが多い。たとえば,第4-4表に掲げたセメントをはじめ煉瓦,スレート,組立家屋などがそれであるが,ソ連が住宅不足の緩和に力を入れている折から,このことは少からぬ影響をもつであろう。ただ前年比の増産率から見ると,建設資材工業全体としては他の工業部門を凌駕しており,それが一つには統計上のパイアスによるものであることは,すでに述べたとおりである。ここで二,三の事例をあげると,前年に比べてコンクリート・ブロック一六〇%,組立用鉄筋コンクート部品一三一%,組立家屋および部品一二四%となつており,建設作業の「工業化」に伴いこれらの製品の生産が伸びたことは,建設の現場における作業が建設資材工業部門内に移り,その部門の加工度が高まつたことを示すものであつて,ここから統計上の上向バイアスが生じてい在。

(ハ) 機械工業では電気機器,化学および石油産業設備の増産が比較的大幅であつたが,冶金工業および石油精製用設備の生産計画は達成されなかつた。農業機械の生産には大規模な再編成が行われた。各種農業用コンバインの生産が減少し,とうもろこし用コンバインのごときは前年の一九%にとどまつたのに対して,「懸垂式」と呼ばれる,トラクター用の特殊器具の大幅な増産が行われた。この生産の再編成は,新規の能率のよい,かつ金属使用量の少い農業機械およびコンバインの増産,懸垂式器具への移行,連結式穀物コンバインから自走式への転換にあるといわれている。

(ニ) 消費財の生産は概して好調であるが,ラジオ,冷蔵庫,洗濯機,ミシンなど耐久消費財の生産計画は達成されなかつた。とくに冷蔵庫と洗濯機の前年比増産率は一九五七年から一九五八年にかけて前者が三八%から一六%へ,後者が九三%から四二%へ低下している。近年大幅な増産を続けてきた,これらの耐久消費財の生産テンポが落ちたことは,その普及の速度が緩んできたことを示すものとして注目に値する。

(b) 投  資

前掲第4-2表に見たように,国家固定投資額は計画の九七%にとどまり,前年に比べて四・三%の増加にすぎなかつた。ただし,国営企業と協同組合諸組織(コルホーズを除く)の合計では固定投資額は二,三五〇億ルーブルで一九五七年の投資額を一一%上回つた。国家計画が達成されなかつたのは,建設計画が一〇一%と計画以上に遂行されたのに対して,設備に対する支出が計画の九二%しか達成されなかつたことによる。このことは,企業の始動を遅らせることになるのであつて,金属鉱業,セメント,石炭,食料品工業,発電など一連の部門では始動計画が達成されなかつた。それ以外の部門も一般に始動が遅れ,一例をあげると,ソ連有数の鉄鋼生産基地であるスウェルドロフスクの国民経済会議の管下では,昨年の建設,据付計画は達成したにもかかわらず,工業建設対象一一四件のうち始動したのは六九件にすぎなかつたといわれる。

さきにも述べたように,一九五八年度経済計画では,すでに七カ年計画の重点部門に対する投資の著増が予定されていたのであるが,その実績は第4-5表のようになつている。概して,重点部門への投資は一九五七年より増大はしたが,計画をはるかに下回つており,超重点投質が若干修正されたものと見られる。一般に投資の不成績は,建設における労働力,資材,資金の分散を排除し,始動期にある建設対象や重要事業にそれらを集中するという従来からの要請が十分に満たされず,建設が極度に延引していることによる。住宅建設も計画をはるかに下回り,その増大率も前年実績に比べ大幅に落ちている。ただ,個人建設分を含めた都市の全住宅建設は予定を七〇〇万平方メートル超えて六,八〇〇万平方メートルに達し,前年の四,八〇〇万平方メートルを四〇余も上回つた。

以上の重点部門のうち,新規産業では投資は大幅に増加しているものの,いまだそれが生産力化する段階にはなく,たとえば化繊の生産は一九五八年には前年比一二%の増加に止つている。

在庫投資については,見るべき実績発表はないが,かなり著しい増加を示したものと推測される。というのは,一九五八年度予算に関するズヴェレフ蔵相の説明(一九五七・一二・二〇)によると,一九五八年度における増加運転資金は前年計画の一五〇億ルーブルから二三七億ルーブルへと五八%も増す予定であり,一九五七年度計画の二八%増をはるかにこえるものであつた。一々五六年に発生した過大な生産,建設規模と原料,資材の手当のアンバランスに資金面から対処するため,一九五七年にも運転資金の大幅な増加が行われたが,一九五八年にはさらにそれを上回つたものと思われる。そのため一部の企業では運転資金と手持資材のだぶつきさえおこつたのである。すなわち一九五八年七月一日現在で工業部門は計画に定めた基準(ノルマチーフ)を一四五億ルーブルもこえる資材をかかえこみ,その上なお流動資金の未使用分は四六億ルーブルに上つたといわれる(一九五八・一二・二二,ズヴェレフ蔵相の財政演説による)。いずれにせよ,一九五八年の在庫投資はかなり大規模なものであつたと見て誤りないであろう。

(c) 個人消費

個人消費を示す直接の指標はないが,前掲第4-2表の小売売上高(国営および協同組合商業,したがつてコルホーズ市場を除く)によつてわずかにその動きをとらえることができる。それによると,小売売上高は一九五七年には計画を上回つて前年に比べて一三・七%増したのに対して,一九五八年には計画に達せず,六%の増加にとどまつた。ただ,一九五八年には節酒運動が盛んでウオッカの販売高が減つたので,これを除外すると小売売上高は前年比で七%の増加であつたといわれる。

一九五八年における小売売上高の増加率が前年のそれより低かつたのは,一つには個人所得の伸びの相違によるもののようである。一九五七年には低額賃金の引上げや免税点引上げによる減税で労働者,事務員の実質賃金が七%高まり,農民の現物および現金収入も五%増したのに,一九五八年には社会保険や社会保障の給付,各種社会施設のサービス提供を含めて国民の実質所得が労働人員一人当りで平均五%増したと発表されている。両年次の指標の取り方が違うので直接比較することはできないけれども,個人所得の伸びが小幅になつたことはほぼ間違いあるまい。そして小売売上高,それに示される個人消費の増大率が落ちた一因は,この点にあるものと思われる。

消費内容については,小売売上の品目別内訳に見ることができる。第4-6表によると,一九五八年にはほとんどすべての品目の売上げ増加が前年より小幅になつており,わずかに,住宅建設の促進と平行して増産措置の講ぜられた家具と普及段階にあるテレビの売上げが大きく増えている。全体としての消費内容を見ると,食糧における畜産品の消費はなお高まる傾向にあり,一九五八年の増加率の低下は前年の不作に伴う一時的なものと思われる。また,耐久消費財の購入はテンポは落ちているものの依然としてなお増加し続けているが,その反面,一部の品目,とくに綿織物,革靴,家具などの需要はいまだに十分充足されていないといわれている。

(二) 農業諸制度の改革とその効果

(1) 農業諸制度改革の継続

一九五八年には,一九五三年以来の農業振興策とそのための農業諸制度改革の継続として,個人経営農業(コルホーズ員が共営部門とは別に個人農園,個人所有家畜による農業を営む,ソフホーズその他一般の労働者,職員も同様の経営をもつ)からの義務納入(わが国の供出に当る)の廃止(一九五七・七・四,党,政府決定。一九五八・一・一より実施),エム・テー・エスの改組(一九五八年三月末決定),コルホーズの義務納入制の廃止と地区別単一価格による買付の実施(一九五八・六・一八決定)という三つの改革が行われた。そのうち個人経営部門の義務納入制の廃止ばモローフ,マレンコフなどのいわゆる「反党グループ」の追放と時を同じくして発表されたので,政治的色彩の濃いものと見られていたが,コルホーズの義務納入制廃止の先駆をなした。農業制度の改革としてきわめて重大な意義をもつのは後の二者である。以下にその概要を述べよう。

(a) エム・テー・エスの改組

機械-ラクター・ステーション(エム・テー・エス)は国営機関で,所属の機械と要員をもつてコルホーズに機械化作業のサービスを提供し,この代償としてコルホーズから農産物を現物支払として受取り,かつ作付計画など一般農業計画についてコルホーズを統制してきた。この改組により所属の農業機械を各個のコルホーズに売渡し,大部分の要員も同様コルホーズに配属させ,従来のエム・テー・エス数カ所を統合して,機械の修理,新規の機械その他農業資材の販売を行う「修理・技術ステーション」(エル・テー・エス)に改組することになつた。

改組の目的は,労働力と機械を各コルホーズの現場の実情に則して適時,有効に利用して農業における労働生産性の向上とコストの切下げを図るとともに,従来行われていたようなコルホーズ生産に対するコルホーズ自体とエム・テー・エスとの二元的指導を一本化することにあつた。

一九五八年一二月一五~一九日の党中央委員総会での報告口によると,エム・テー・エスの八〇%はエル・テー・エスに改組され,五万五,〇〇〇のコルホーズ,全体の八一%が総額二一〇億ルーブルをこえる機械を購入した。決定発表当時の推定では購入すべき機械の金額は一八〇~二〇〇億といわれていたので,エム・テー・エスの機械の売渡は完了に近い模様である。また,別の資料(一九五九・一・一六の中央統計局発表)では,一九五八年末までにコルホーズの八三%余が機械を購入し,その台数は現有のエム・テー・エス所有トラクターの七九%に当る四八万二,〇〇〇台,同じく現有の穀物コンバインの六七%,二一万五,〇〇〇台にのぼつた。このようにして,コルホーズが購入した自家用機械で行つた耕地作業は,全作業期間を通じては七三%,とくに一九五八年七~一〇月には八五%に達した。

改組後の問題としては,つぎの諸点があげられている。

第一にエル・テー・エスが独立採算制をとつたため(エム・テー・エスは予算融資制)有利な作業を優先的に行い,サービス提供も一部のコルホーズのみに限られるきらいがある。これに対して数カ所のコルホーズが共同出資で修理工場を建設する動きが見られる。

第二に,いまなおエム・テー・エスのサービスを受けているコルホーズには「寄食者」的気分が強くなつているので,残存エム・テー・エスの改組を予告して,一定期間内にコルホーズが機械を購入するよう勧告すべきたとされている。

(b) コルホーズの義務納入制の廃止

以上のようなエム・テ1・エスの改組によりエム・テー・エスへの現物支払は当然なくなつたが,これとともに国家による農産物集荷の基本的部分をなしていた義務納入制にも改革の手が延びた。では,従来の集荷制度の欠陥はどこにあるのか。それは第一に,これまでの農産物調達(集荷)には義務納入(穀物,馬鈴薯,油用作物,畜産物),エム・テー・エスへの現物支払,国家買付(わが国の超過供出に当る),予約買付(綿花,亜麻,大麻,甜菜など)等,各種の方式が多いことである。第二に,義務納入制自体は,一種の納税義務の形態で農産物を集荷するもので,労働生産性の向上を阻止し,コルホーズの運営に退えい的傾向を生みだすとともに,正しい経済計算をほとんど不可能にしてきた。さらに,調達価格の面では,過去の極端に低い価格は,一九五四年以来引上げられ,義務納入基準が引下げられ,予約買付制には高額のプレミアムが付けられるようになつて農畜産物の増産を刺激はしたが,その反面価格制度が複雑になり,また多量の国家買付に応じたり,多額のプレミアムを受取る一部の「先進」コルホーズが極端に有利となり,これに反して中以下のコルホーズが不当に不利になるという欠陥が出てきた。

農産物調達制度の改革はこのような欠陥を是正しようとするものであつて,その要点はつぎのとおりである。

(イ) 義務納入を廃止し,自然,気候,経済等の各種条件の差を考慮した地域別の単一価格による国家売渡制とする。

(ロ) 予約買付の場合のブレミアム制を廃止し,事実上(イ)の国家売渡制へ一本化する。

(ハ) 新制度による国家経費は既定の枠内にとどめる。したがつて上位と中位以下のコルホーズの収入の格差は是正される。

(ニ) 今後の調達量(集荷量)は一九五八年度調達計画量を基準とし,今後農産物の生産,出荷の増加に伴い国家売渡しを上回る部分が増加すれば,この余分のコルホーズ市場(自由販売市場)への出荷が゜増し,同市場の価格は低落することになる。

(ホ) 適地適作主義を推進し,将来国家はコストの安い地域から各種農産物を重点的に買上げることができるようになり,調達価格の引下げ,ひいては小売価格の引下げ゛の見通しもえられる。

(c) 農業制度改革の意義

以上のような内容をもつた農産物調達(集荷)制度の改革,ひいてはその直接の前提となつたエム・テー・エスの改組は,一九五三年,スターリンの死後における農業振興策の継続ないし発展であつた。過去においてきわめて低かつた調達価格は,農業の発展を阻止する重大な要因の一つであつた。一九五三年に至るまで,一九二八年市場価格水準に据置かれてきた農産物調達価格は,穀物,畜産物,馬鈴薯,野菜,亜麻,大麻等の諸品目について引上げられ,前述のように義務納入が軽減されると同時に報奨制度も強化された。また農業計画作成の面でも改革が行われた。

すなわち,それまではコルホーズの農産物作付計画は中央の国家計画機関の割当によつて上から押付けられていたのであるが,このような中央集権的な作付計画は現地の実状を無視して画一的な作付構成をとらせることになりがちであつた。そこで中央からの割当は農産物調達量にとどめ,作付計画は各コルホーズが自主的に作成することに改められた。ただ,この場合それまでの中央計画機関に代つてエム・テー・エスがコルホーズの計画作付について指導的な役割を果すことになつた。このエス・テー・エス自体が,スターリン死後農業振興策を通じて機械,要員ともに強化されてきていたのである。

このような農業振興策は,増産に対するインセンティヴ,いわゆる物的関心の刺激を与え,かつコルホーズの自主性を高めることを企図したものであつた。しかし,その過程でさらに解決を要する問題が生じてきた。その一つはエム・テー・エスのコルホーズに対する統制とコルホーズの活動に対する二重支配であり,第二は調達制度の問題であつた。それと同時に問題解決の条件も熟してきた。というのは,コルホーズは指導要員と,管理,技術の両面で強化され,財政的にも余裕をもつようになつたからである。このような条件のもとで,前述のようなエム・テー・エスの改組とそれに引続く調達制度の改革が行われたのである。上に見た一九五三年以来現在に至る農業諸制度の改革に一貫してうかがわれることは,コルホーズに対する経済的,行政的圧力を漸次緩和してその自主性を高め,正しい経済計算にもとづく合理的な経営を通じてコルホーズ農業を発展させようと企図していることである。

(d) ソフホーズの強化

以上のようなコルホーズ制度に関する改革と並んで,ソ連の農業体制のもう一つの柱であるソフホーズが強化されたことは,過去数カ年の農業振興策の重要な側面であつた。

この農業振興,とくに穀物増産の決定的な条件といわれるものは未開墾地および休閑地の開拓であつた。農地開拓は一九五四年から主としてシベリア,カザクスタン,ヴォルガ沿岸地方において行われ,以降三年間に三,六〇〇万ヘクタールに達し,穀物ことにとうもろこしの増産に寄与した。さらにこの開拓事業は家畜飼料の供給を増加させることによつて畜産の振興を促進し,同時に開拓地区以外のウクライナ,北コーカサス,欧露中部,黒土地帯などの地域で耕地の一部を工芸作物の作付に転換することを可能にすることによつて農業全体の発展の条件ともなつたといわれる。

このように農地開拓は大きな生産力効果を発揮したばかりでなく,ソ連の農業体制にも著しい変化を与えた。開拓地には平均面積二万五,〇〇〇ヘクタールないし三万ヘクタールの大規模ソフホーズが四二五開設された。その結果,穀物と畜産物の生産および出荷におけるソフホーズの役割は著しく高まつた。このことは,ソ連の農業体制においていわゆる国有セクターであるソフホーズの比重が大きくなつたという点で重要な意味をもつているのみならず,コルホーズに比して労働生産性と生産費の点で比較的優位にあるソフホーズがソ連の農業経済全体に及ぼす影響力を強めることになるであろう。

(2) 農業振興策の効果

さきにも述べたとおり,一九五八年の農業生産は,穀物収穫の悪かつた前年にひきかえ,恵まれた気象条件のもとで,一九五六年の記録を更新するほどの好調を示した。穀物,甜菜,ヒマワリ,果実はいずれも良好,繊維作物は保合い,野菜のみが不良という作柄であつた。

しかし,この豊作は,気象条件に恵まれたためだけではなく,過去数年にわたる農業振興策の効果によるところが多いことも否定できな

(a) 農畜産物の増産

いま農業生産と集荷の状況を数年間対比すれば,第4-7表のとおりである。

畜産は,一九五八年の前半には前年の不作で飼料の供給が不十分なため後退を示したが,後半にはトウモロコシの増収によつて飼料の不足が緩和された。一九五八年中にこのような変動はあつたが,家畜頭数は一九五三年当時に比べて著しい増加を示している(第4-8表参照)。

家畜頭数の増加に伴つて,畜産品の増産も目立つている。すなわち,第4-9表に見るとおりである。

(b) 農業投資

以上のような農畜産品の増産によつて,農業総生産高は,対比価格で一九四九~一九五三年平均の三,〇〇〇億ルーブル弱から一九五四~五八年平均の四,〇〇〇億ルーブル余へと三三%増大した。ところがこの生産増大は膨大な投資によつて支えられたのである。いま,この両者を対比すると第4-10表のようになる。

すなわち,投資と生産の金額そのものは直接対比することはできないにしても,両者の増大率から見て農業振興策の推進された一九五円~五八年における資本系数は先行の五カ年に比べて著しく高まつていることがわかる。この場合,農地開拓に関する経費三〇七億ルーブルは,開拓地産の穀物の商品化から得た国家予算収入四八九償ルーブルによつて回収され,一八〇億ルーブルの純収入をもたらしたと報告されている(上掲フルシチョフ報告)。しかしこれは予算面での収支にすぎないのであつて,いわゆる投資効率は十分に発揮されているとはいいがたい。もちろん,ここ最近の投資が生産力化するまでのタイム・ラグも考慮に入れなければならないことはいうまでもないけれども,農業振興策に伴う投資がいかに高価なものであつたかは,以上によつて明らかなところである。