昭和34年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和三四年九月

経済企画庁


[目次] [年次リスト]

第二部 各  論

第三章 苦境に見舞われた東南アジア諸国の経済

一九五八年には,東南アジアの経済状態は,全体としてみると,かなり急速な悪化を示した。東南アジア諸国は,国内の経済活動の大きな部分が,ごく限られた数種の一次生産物の輸出に直接依存する,いわゆる植民地的モノカルチャー的経済構造をもつているために,国際市場における,これら一次生産物の動向によつて,経済の好況,不況が大きく左右される。一九五八年に,東南アジア諸国が見舞われた経済的困難も,一九五七年の第4・四半期から始まつたアメリカ経済の景気後退,および,それにひきつづく,西ヨーロッパ諸国の景気後退,ないしば成長率の鈍化による,一次生産物に対する需要の減退,ならびに価格の低落によつてもたらされた貿易の不振が直接の主因をなした。

東南アジア地域の一九五八年の輸出総額は六一億二,五〇〇万ドルとなつているが,これは一九五七年の六八億三,二〇〇万ドルにくらべると約一〇%もの減少である。一方輸入額は一九五八年には,七三億七,四〇〇万ドルで,前年の八五億七〇〇万ドルからみると,一四%も削減されているが,それにもかかわらず,貿易収支面の赤字は一二億四,九〇〇万ドルに達した。このような貿易収支面の多額の赤字の結果,各国の保有する金・外貨準備高は減少の一途をたどり,一九五八年末における,これら諸国(香港,ラオス,北ボルネオ,サラワク,ブルネイを除く)の金・外貨保有高は二三億九,六〇〇万ドルに減少した。一九五七年末に比べると約七%o減少であるが,一九五六年末および一九五五年末からみると,それぞれ,三一%,三九%もの減少を示している。

さらに,この貿易面の不振を分析してみると,輸出額の減少は,輸出数量の減少によるよりも,むしろ一次商品の輸出価格の低落によるところが大きかつたことが指摘される。一次商品の価格の動きをロイター商品相場指数でみると,一九五七年一月には一〇二であつたが,一九五八年一月には八五であり,年間を通じて八三~八五の間を上下している。さらに,東南アジアの主要輸出品である綿花,ジュート,ゴム,茶,錫,コプラの六品目について,当庁において作成した総合商品相場指数(一九五三=一〇〇)でも,一九五七年一月の一四〇が,一九五八年には一一二~一一七となつている。後者の指数によれば,東南アジアの主要一次商品は,一九五七年初めからみると,約一六%もの価格低落を示したことになる。この数字をもつてしても,一九五八年の東南アジア諸国の輸出減退が,輸出数量の減少よりも,輸出価格の低落にあつたことが十分にうかがわれよう。一方輸入面についてみると,東南アジア諸国は,後にくわしく検討するように,経済開発計画の遂行に必要とされる資本財の大部分を国外から調達せざるをえず,したがつて開発計画のための資本財の輸入額は,各国とも年々増大する一方であつた。これらの輸入は,さしせまつた経済開発の必要からみれば,貿易収支が逆調であるからといつて急速に削減することはできない。さらに消費財の輸入切りつめにもおのずら限度がある。すなわち,一方において経済開発のための政府支出が増大し,通貨が膨張してゆきつつあるときに,消費財の供給を不足させることは,国内物価を高騰させる結果となるために,最少限の基本的消費財は輸入してゆかなければならない。このような資本財および消費財の輸入需要が,前述のような輸出額に見合う点にまで輸入を削減することを不可能ならしめている。今年の輸入額は輸出の一〇%減に対して,一四%減と,減少の幅では輸出額の減少よりも大幅であつたが,一九五八年の年初においては輸入の減少率は,輸出額のそれよりも小幅であつたために多額の貿易赤字を生じ,急速な外貨の減少に見舞われた。しかし第2・四半期?頃から,各国が次々に実施していつた輸入制限措置が徐々に効果をあらわし,入超額は緩和されはじめた。外貨の減少も年央を一応の底として,地域全体としてみをと,以後,横ばい,ないしは,若干の増加を示しはじめた。この年間一四%の輸入削減ということは,これら地域が主として輸入する工業製品の価格が若干の騰貴をみせていることによつて,物量的にはそれ以上の輸入の減少となつている。この結果,これら地域の物価の騰貴はいちぢるしいものがあつた。

輸出の大幅な低下にともなう外貨取得額の減少のために,きびしい輸入制限を実施せざるをえなかつたが,それでも,なお多額の貿易収支の赤字となり,金・外貨準備は戦後未曽有の低水準にまで減少した。この貿易収支の赤字は戦後,東南アジア諸国にとつてほぼ慢性的なものとなつている。とくにここ数年におけるそれは,経済開発計画にともなう輸入需要が主要な原因であつた。ここ数年来経済開発計画の遂行による資本財の輸入が年々増加して,大幅な貿易赤字を計上し,金・外貨準備をくいつぶしてゆく傾向にあつた。東南アジア諸国の経済開発計画は,大体,それ以前における若干年の準備段階を経て,一九五五,五六年頃から実施にふみきつているが,周知のごとく,一九五一,五二年頃から一九五六,五七年にかけては,短期的変動を無視するならば朝鮮動乱やスエズの危機などのために,一次商品の価格は概して好調をつづけたために,東南アジア諸国の輸出収益もよく,経済開発のための支出を,これらの輸出収益や海外よりの援助等によつてどうやらまかなつてきた。しかるに,今回のような輸出貿易の大幅な減少に見舞われると,必要な資本財の輸入をまかなうためには,いきおいはげしい金・外貨準備のくいつぶしによらなければならない。さらに国内的には,政府の税収も減少してくるために,開発計画の実施は多額の財政の赤字を生む。一般的に,後進国における開発投資は,投資とその経済的効果のギャップが大きいために,多額の投資は強いインフレ要因となりやすい。金・外貨準備の減少は,いきおい輸入制限措置をよぎなくさせ,この輸入削減は主として,不急消費財を対象とすることになり,一方の赤字財政における通貨の膨張とあいまつて,消費財価格の高騰をまねく。

一九五八年における東南アジア諸国の経済にとつて,経済開発計画の実施が,一つの不安定要因であつたことが指摘されよう。

しかしながら,地域内の国民生活を直接困難に導びいたものは,一九五七~五八年に見舞われた食糧生産の減少であつたろう。なかんずく,米の減産ははなはだしい。主要生産地であるビルマ,タイをはじめ,ベトナム,カンボジア,インド,パキスタン等の諸国は,モンスーンが悪く,降雨不足のため大幅に減産した。地域全体の米収穫は,前年に比し,約九%の減収と推計されている。主要輸出国であるビルマ,タイ,ベトナム,カンボジアは前年に比して,それぞれ,一九%,二九%,六%,二〇%の減収であつた。麦類,粟,とうもろこしなどの生産は比較的順調であつたが,米作の不良を相殺するまでには至らなかつた。このような収穫不良によつて,米の輸出国は,米の輸出価格の騰貴にもかかわらず,輸出額が大幅に減少するし,輸入国では,いつそう多額の外貨を食糧輸入に向けねばならず,さなきだに乏しい外貨事情にいつそうの圧迫を加えている。上記の消費財価格の騰貴と,食糧価格の値上りは,各国における生計指数を高騰させている。

上述のように,一九五八年の東南アジア諸国の経済状態は,主として,輸出不振,やや過大にすぎるきらいのあつた開発支出,交易条件の悪化(輸出価格の低落と商品取引の不況にもかかわらず,先進国より輸入する工業製品の価格は若干の上昇をみせている。このため,数量的にみた輸入の実績は,輸入額による見かけよりも悪くなつている),食糧生産の不作等の悪要因が一時に相互に連関しあつて作用したために急速に悪化したといえよう。

本章では,一九五八年における,東南アジア諸国の経済的苦境をもたらした前述の四つの要因の分析を中心として,その経済的危機の実態を明らかにするとともに,これら諸国と日本との経済関係の変化ならびに日本としての問題点を指摘し,年末以降,若干好転のきざしをみせはじめた東南アジア諸国の,近い将来の展望をこころみることによつて結びたい。


[目次] [年次リスト]