昭和33年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

経済企画庁


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第十二章 戦後ブームは終つたか

二 米国の戦後繁栄要因とその見通し

米国経済は一九四八~四九年,五三~五四年の二回にわたって軽度の景気後退を経験したとううものの,第二次大戦終了後一二年にわたって事実上の完全雇用状態をつづけ,一三年目に当る昨年に及んで,設備投資の減少を基本的原因とする戦後最初の景気後退を迎えたわけである。これがはたして戦後繁栄期の終末を意味する深刻な長期的不況となるか,また今後は再び戦前のような過剰生産に脅かされる時代にもどるのか,ということが問題とされている。

ここでは戦後の経済繁栄をもたらした主要な要因を吟味して,今後数年間の米国経済の成長率が,戦後一二年間のような好調をつづけることができるかどうかを検討してみよう。

(1) 戦後ブームの諸要因に検討

(一) 特殊事情

(イ) 未充足需要

戦争終了時には,戦時中に蓄積されていた各種の未充足需要は尨大な量にのぼつていた。この未充足需要がどの程度のものであったかを数字的にとらえることは不可能に近い。ここでは間接的な指標によって未充足需要が存在したことを明らかにするとともに,それが戦後一二年間果して充足されつくしたかどうかを考えてみることにする。

〔消費財〕 戦時中に経済活動水準の上昇にともなって個人所得は激増したが,消費財の生産は抑制され,また政府による貯蓄の奨励が強力に行われたため,四一~四五年の間に個人の貯蓄は一,三五〇億ドルも増加した

“America's Need and Resources'sによると,このうち少なくとも五〇〇億ドルは消費財の入手難によって行われた「過剰貯蓄」だったと推定している。

このうち非耐久財に関するものは,戦時中に需要が抑えられたからといって,その分がすべて戦後に繰延べ需要となってあらわれるわけではない。戦時中に上等のビフテキが食べられなかったからというので,戦後にそれを二倍も三倍も食べる人はいないだろう。もつとも衣料品などについては,かなり繰延べ需要があったとみられるが,一人当りの繊維消費量の動きをみると,これも一九四九年ごろまでにはほぼ充足されたとみてよいようである(第12-1図)。

耐久消費財については戦時中の供給不足も激しく,しかもその性質上,戦後に繰延べ需要となってあらわれたものも大きかつた。戦争直前には耐久財購入額は可処分個人所得の一〇%程度であったが,戦争中は四~五%にまで低下した。戦後,生産が回復するにつれてこの割合も高まり,四六年にはほぼ戦前の水準にもどり,その後五〇年までは一二~一三%の高率を示した。これによって繰延べ需要はほぼみたされたと考えてもよいであろう。その後は朝鮮動乱の影響でぶたたび消費が制限され,新たな未充足需要がつくられたとみられるが,それも五五年の耐久消費財ブームで完全に充足された(第12-2図)。(五〇年に未だ大戦中の未充足需要が残つていたとしても,五五年には完全に解消したといえるだろう。)

[生産者耐久財] 戦前の好況の年(一九二九年,一九三七年,一九四〇~四一年)には生産者耐久財投資は国民総生産の五・五%程度を占めていたが,大恐慌期の三〇~三四年は平均三・五%,戦時中の四二~四五年には実に二・八%に低下してしまつた。もつともこれは「民間投資」だけであるが,政府投資をふくめても戦争中の民需生産に利用できる総投資額は,二五~二九年の水準を四〇%下回ったといわれるから(1)三〇年代と戦争中に設備投資が過少であったことは明らかである。

(1)“America's Need and Resources”戦後は国民総生産に対する設備投資の比率も急速に上昇し,四七年以後は七%前後という高水準を維持している。このうち,どれだけが繰延べられた投資需要の充足にあてられ,それがいつ充足されつくしたかをとらえることは困難である。しかし,四七年以来高率の投資がつづいており,とくに五六~五七年の投資ブームによって設備の過剰傾向がほとんどすべての主要工業部門でみられている今日では,すでに三〇年代と戦時中の投資不足は補填されつくしたとみてよいであろう。

第12-3図 生産者耐久財投資と国民総生産

〔住宅〕 三〇年代と戦時中には住宅建設活動が著しく低下し,そのうえ戦争直後には世帯数が急増したので,四七~四八年ごろには住宅不足は甚だしかつた。しかしその後は世帯数の増加が鈍つたうえ,住宅着工数が大幅に増加したために住宅不足はかなり緩和されている。第12-7表はきわめて大ざつぱな推計であるが,大体の傾向を示しているものとみてよかろう。

第12-4図 世帯増加数と住宅建設

[公共施設] 道路,学校等の公共施設の建設は戦争中は著しく低下し,戦後も経済の急速な拡大,人口の激増等によってその必要は著増している。それにもかかわらず現在までのところこの分野における公共支出は戦後も低水準にとどまり,したがって尨大な未充足需要が存在している(第12-5図)。

その一例として道路建設支出を見ると,一九二九~三四年には国民総生産の一・六%を占めていたものが,四一~四五年には○・四%に低下してしまつた。その後次第に回復してはいるものの,もつとも高まった五七年においてさえ国民総生産の一・一%に過ぎない。投資の絶対額(不変価格による)でみても,戦前の水準にまで回復したのがようやく一九五一年のことであった。(第12-5図)

(ロ) 流動性

戦争終了時に法人企業(金融関係を除く)の資産の流動性が非常に高かつたことが,戦後における企業の投資活動を活発化させた大きな要因であった。経常負債に対する現金と政府証券保有高の比率は一九三九年には四三%であったものが,四五年末には九三%に達したのである。戦後流動性は急速に低下し,五二年末には五三%となった。その後五五年ごろまでは流動性はあまり大きく変らなかつたが,五六,五七年には企業は巨額の投資々金需要をまかなうため,合計五五億ドルの手持政府証券を処分し,企業資産の流動性はふたたび低下し,五七年九月末には四一%となり,戦前水準を下回るにいたつた。戦後の経済拡大の大きな要因の一つが失われたわけである。

第12-6図 法人企業資産の流動性

(ハ) 海外諸国の救済・復興需要

戦争直後には海外諸国の経済が荒廃し,その救済と復興のための尨大な需要が存在した。そのうえ工業国の多くは戦災などのため,生産力が低下していたので,米国商品に対する需要が激増した。その結果米国からの商品輸出は大幅に増加し,米国経済の平時経済への移行が予想以上にスムーズに行われた一つの大きな要因となったことは周知の通りである。

また米国が世界各地の救済・復興のために与えた援助は終戦後四七年末までに一三二億ドルにのぼり,さらに四八~五〇年の三年間には欧州経済復興計画を中心に一五〇億ドルの対外援助が行われた。これらの対外援助は,直接,間接に米国商品への需要を形成したことはいうまでもない。

このような海外諸国の復興需要も現在ではほぼ完全に消滅したとみるべきであろう。

(ニ) 冷  戦

東西両陣営間の緊張にともなって,国防支出が四八年以来ふたたび増加し,とくに朝鮮動乱以来高水準をつづけていることも,戦後の米国経済の繁栄と安定に貢献している。国家安全保障費による商品・サービスの購入は戦後一九四七年には一三三億ドル(国民総生産の五・七%)にまで低下したが,その後ふたたび増加に向い,五三年には五一五億ドル(同一四・二%)に達した。その後多少減少したときもあるが,それでも大体年四〇〇~五〇〇億ドルにのぼつている(一九五七年は四五七億ドル)。

(ホ) 技術革新

戦時中の軍事技術の躍進を契機とする技術革新が,新製品の創出,新産業の登場,新生産方式の導入,設備陳腐化の促進などを通じて米国経済繁栄の大きな原動力となって来たことを否定するものはないだろう。今年の企業の設備投資は昨年をかなり下回るとみられているが,それにもかかわらず,企業の研究開発支出は五七年の七三億ドルから五八年の八三億ドルヘ,五九年にはさらに九九億ドルへと激増する見込みであり,技術革新,とくにその工業化への努力がさかんであることを示している(数字はマックグローヒル社の投資予測調査による)。

ただ,戦争中に発展した軍事技術の民間経済部門への適用過程は一段落し,一九五三年ごろから本格化した民間企業の研究開発支出が結実するまでの間は,技術革新の景気効果はやや下火になるのではないかという見方も一部では行われている。

(ヘ) 人口増加

一九四五年から五六年までの間,米国の人口は年平均一・七%の割合で増加している。これは三〇年代の増加率の二信以上であり,この傾向は最近も変つていない。

人口の増加と並んで,世帯数が激増したことも経済繁栄の一因であった。一九三〇年代には約五〇万であった年間世帯増加数は,四六~四九年には実に一三五万にのぼり,これが住宅建設ブームの原因となったことは前にものべた通りである。しかしこの面では最近は多少変調がみられる。五〇~五七年の年平均世帯増加は八六万であるが,国勢調査局の推計によると五七~六〇年には六八万に減少すると見込まれている。

(ト) 海外経済の活況

戦後の米国経済の好況は,海外諸国の経済がほぼ一貫して活況をつづけたことにも負うところが少なくない。戦災からの復興が一応終了してからも,西欧諸国の多くが完全雇用政策をとっていること,および後進諸国が経済開発に努力していることによって,米国経済自身も少なからぬ恩恵を受けている。完全雇用政策や,経済開発への意慾は今後も高まることはあっても,衰えることは考えられず,このように世界経済に“高圧的I傾向が存在することは,米国経済に好影響をもたらすであろう。しかし完全雇用政策も経済開発も,大多数の国では国際収支の面から制約されていることを考えると,米国景気の動きによって中断を余儀なくされることもありうるから,手放しの楽観は許されない。

(二) 経済構造の変化

戦後一二年の間米国経済が大きな不況に見舞われることなく経済拡大をつづけたのは,経済構造の変化によって経済の安定性,とくに需要の安定度が高まったことによるところが大きい。そのおもなものとしては,①政府の預金保証制度などによる金融機関の安定性の向上,②株式証拠金制度による証券市場の安定化,③勤労所得の分け前の増大と所得分布の均衡化による消費基盤の拡大,④財政規模の相対的拡大,⑤累進的所得税制度,社会保障制度,失業保険制度,農産物価格支持制度,などによる所得安定度の向上(ビルト・イン・スタビライザー),⑥労働組合勢力の伸長⑦政府の抵当融資保証制による住宅建設の調整,などをあげることができる。

これらの要因はいずれも一九三〇年代の大恐慌期から戦時中にかけて発生,発達したものであって,戦後においてはとくに著しい進歩発展がみられたとはいえないようである。おもなものについて若干の指標を示してみよう。

(イ) 所得分布の均衡化

第12-8表にみられるように,一九三五~三六年と一九四四年または四七年を比較すると所得分布の均衡化は著しく,最高の所得を有する消費単位二〇%の所得額が個人所得総額に占める比率は,五三%から四六~四七%に六~七ポイント低下している。ところが四七年と五七年を比較しても,所得分布はほとんど変化していない。ごくわずかに均衡化が進んでいるともいえるが,年々の数字を検討してみると,とくに五二年以後は全く趨勢的変化を示していない。

(ロ) 所得税の累進度

一九二九年には税率は全般に低く,累進度も低かつたが,三〇年代にはいずれも著しく高められ,戦時中にはこの傾向は最高潮に達した。戦後は戦時中に比較すれば累進度はやや緩和されている(第12-9表)。

また個人所得税納税者数も,一九三五年の二一一万人から四○年には七五一万人に,さらに四五年には四,二六五万人に激増したがその後はほとんどふえていない(五二年には四,二八三万人)。

(ハ) 失業保険,退職年金の普及度

雇用労働者のうち,失業保険や退職年金制度にはいっているものの比率も,戦後は大してふえていない(三〇年代初期の数字は得られないが,この時期にはかなり低かつたものと思われる)。

(ニ) 労働者の組織率

非農業雇用者のうち,労働組合に加入しているものの割合は,一九三三年には一一・五%にすぎなかったが,三九年には二八・九%,四五年には三五・八%へと躍進した。しかしその後は伸び悩みとなり,五四年現在では三五・三%となっている。

(ホ) 勤労所得の分け前

ただ,国民所得のうち,勤労所得の占める割合が,戦後も緩慢ながら増大していることは注目される。すなわち,この比率は一九二九年の五八・二%から,三七年の六五・一%に高まり,その後五〇年ごろまで停滞したのちふたたび増大しはじめ,五六,五七年には七〇・二%,七一・〇%を記録している。

(ヘ) 経済政策の高度化

今日の米国政府当局の景気政策が,一九二〇年代にくらべて格段の進歩を示していることは多言を要しないであろう。もつとも重要なことは「一九四六年雇用法」によって完全雇用の維持が政府の責任として成文化され,また完全雇用の達成が国民的関心のまととなるに至ったため,いかなる政権もこの根本目的に反するような政策をとることが事実上不可能になったという点である。

また経済政策の高度化が,経済構造や経済制度の変化と密接に関連し,両者相まつて景気の安定化に役立つていることも見逃せない。たとえば景気補整的財政政策は,国民経済における国家財政の比重が著しく高まったことによつて一層効果的になっているし,住宅金融政策の効果は,政府機関による抵当融資保証制度の存在によって著しくその機能を高めている(もつともその反面,連邦準備制度の権限が直接及ばないような商業銀行以外の各種金融機関が発達したこと,民間の政府証券保有高が二〇年代にくらべて大幅にふえていることなど,金融政策の効果を鈍らせるような制度的・構造的変化も生じている)。

とにかく戦後の景気安定対策,とくに不況対策はこれまでのところかなり成功を収めており,今後も一層の高度化が可能であろう。ただ注目されることは,最近二,三年来インフレ傾向こそが米国経済の当面する最大の経済問題だという考え方が有力になって来たことで,そのために不況対策が極度に慎重に行われるようになっている。また「軽度の後退」は資本主義経済のもとでは当然のことであって,経済の能率を高めるためにはムシロ必要なことだという見解が,1業界や,財政・金融政策当局者の間でかなり広まっている点も見逃せない。今回の後退に際して政府のとつている対策があまりに慎重であり,減税の回避,巨額の長期国債の発行計画など,あまりに“正統派的だという声もかなり高まっている。

(2) 戦後繁栄期は終つたか

以上で戦後米国経済の安定的成長をもたらしたおもな要因について検討したわけであるが,その結論は大体つぎのように要約できる。

戦時中に蓄積されていた未充足需要はその大部分がすでに充足されつくしている。ごく大ざつぱにいえば,非耐久消費財に対する繰延べ需要は一九四九年ごろまでに,耐久消費財に対するものはおそくとも五五年中に,生産設備のそれは五七年ごろに,それぞれ消滅しつくしたと考えてよかろう。残つているのは住宅と公共施設の不足である。このうち住宅については,不足の程度は五〇~五七年の高水準の住宅建設によってかなり緩和されている。

公共施設に対する需要ないし必要が尨大なものであることは疑問の余地がないが,それが果して現実の有効需要としてどれほど大きなものになるかという点は問題である。というのは,公共施設は主として政府支出によって行われるため,政府が大規模な支出増加を行わない限り,経済には刺戟となってあらわれないからである。国防支出の増大が見込まれる今日,公共事業支出の大幅な増大をまかないうるほど税収入が増加することは期待できないし,政府が巨額の赤字を覚悟してまで公共事業費を大幅にふやすことも,,景気後退期にはとにかく,平常時にはちよつと考えられない。

戦後の繁栄に寄与して来たその他の特殊的ないし一時的要因のなかにも,今日ではすでに消滅しているもの(企業資産流動性の高さ,海外諸国の救済復興需要,世帯数の激増など)が少なくない。しかし技術の革新,人口の増加,冷戦による国防支出,海外先進諸国の完全雇用政策,後進諸国の開発意欲などは今日も大して変つておらず,今後もつづくものとみられる。とくに東西間の経済競争が激しくなることなどによって,後進国に対する経済援助が活発化することも考えられる。

つぎに,各種の構造的変化によって,需要の安定度が一九二〇年代にくらべて著しく高まっていることは明らかである。もつとも制度的,数量的には,多くの構造変化は主として一九三〇年代と戦争中に生じたもので,戦後は「変化の過程」そのものの進行はスロー・ダウンしている。しかし戦前状態への逆行傾向はほとんどみられず,そのうえ企業家・消費者のコンフィデンスは戦後になって急速に高まっており,米国経済が体質的に不況抵抗力を強めていろことは事実であろう。

経済政策については,その運用に若干の問題がないではないが,戦前,あるいは一九二〇年代とは比較にならぬほど進歩していることはいうまでもない。

このようにみてくると,今後数年間の米国経済の動きについて,つぎのような見通しをたてることができる(もとより国際情勢の変化などは一切捨象して,米国経済自体の趨勢の大要を考えるだけである)。

第一に,今回の景気後退が大きな不況にまで発展するとは考えられない。後退の性格からいっても,また政府の対策の現状からみても,今後なお若干の下降は避けられないにしても,米国経済の構造変化や,技術革新などの成長要因の存在を考えると,急激な螺旋的下降に突入することはなさそうである。

ただ政府当局が経済の不況抵抗力を過信して,あまりに正統派的政策に固執する場合には,企業・消費者のコンフィデンスに悪形響を与え,経済活動がなお一段の下降を示すおそれが全くないとはいえない。

第二に,今回の後退はかなり長びき,回復過程も比較的緩慢なものになりそうである。これは一つには後退の性格によるものであるが,四八~四九年や五三~五四年の後退からの回復を促進したような条件,とくに未充足需要,世帯数の激増,企業資産の流動性などが消滅ないし低下しているからでもある。

第三に,戦後の経済繁栄に貢献して来た要因のうち,かなり多くのものが消滅ないし衰弱していることから考えると,今後世帯数がふたたび激増すると期待される一九六〇年代なかばまでの間は需要の増加率は戦後一二年間にくらべると若干低下することが予想される。

もつとも,長期的には技術革新の時代は今後当分の間つづくとみられるので,技術革新が競争の激化と結びついて新生産方式の導入,既存設備の陳腐化をうながし,合理化投資を促進するものと期待されるし,また新製品の創出によって消費者需要のパターンに変化が生じ,それが経済全体に刺激を与える可能性もある。さらに経済構造の変化による安定度の向上や,経済政策の高度化なども考えると,米国経済の成長率が,戦後一二年間にくらべれば若干低下するとしても,長期的停滞の時代に入ったとみることはできない。米国の経済界には,今後数年間は経済成長がかなり鈍るが,一九六〇年代中頃からは,技術革新の効果や世帯数の激増によってふたたび経済が活況を呈すると予想し,このような判断に基づいて事業計画をたてているものがかなり多いようである。