昭和33年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

経済企画庁


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第九章 東南アジア経済の危機的様相

一 戦後の経済成長率

東南アジア諸国の経済が戦前水準にほぼ回復するに至つたのは一九五五年とされている。一九五一年に発表された国連の資料によると,中国もふくめたアジアの一九四九年の一人当り国民所得は五〇ドルであつた。それが一九五七年発表の同じく国連の報告による,ビルマ,セイロン,インド,マラヤ,パキスタン,フィリピン,タイ,七カ国の一九五二~五四年平均の一人当り国民所得は六九ドルであった。もしかりにこの数字が信憑にたるものであり,かつ地域内全部の国の平均であるといいうるならば,この間の年成長率は約七%だったといいうるわけである。しかし,東南アジア諸国それぞれの国民所得の成長率を,一九四七年以後について見ると,発展に著しい格差の示されていることが知られる。すなわち高い国と低い国とでは,平均年率で五対一以上のひらきが示されている。そしてここで注目されることは,直接的に戦争被害の大きかつた国の発展率の方が,おしなべて高いということである。そのよい例証としてインドネシアとフィリピンの高さに見出すことがでぎる。このことはいうまでもなく,回復段階における成長率は比較的早いという当然の理由に基づくものである。日本もこの間の平均対前年比増加率は一一・三%であつたし,西独も九・六%であった。さらにそのほかに東南アジアの二・三の国における国民所得年成長率の著しい高さの理由として,過去の国我所得統計が過小評価だったということがあげられる。その過小評価の原因としては,一つは非貨幣経済分野の所得推計は小さくなりがちであるということと,他の一つはインドの項でもみたように過去の統制経済下における食糧生産の申告が一般に過小申告であったということである。つまり,これらの国民所得統計における過小評価部分が修正されろことによつて,培加率が高く表現されるということである。

ただここで注目されることは,第9-1表でも明らかなように,一人当り国民所得の低い国の国民所得増加率が一般に低く,所得の多い国の増加率が高いということである。タイのばあい例外的に所得が八〇ドル程度であるのに,増加率が比較的高いのは,第9-2表で見るごとく市場価格による国民総生産をとつていることにも一つの原因がある。このような所得と増加率との関係は,もちろん公式的には,所得の高い国の投資比率は自然高く,そのことが国民所得の増加率を高めているといえる。それぞれの国の国民経済の規模に比較して大きな援助が行われている国のばあいも,当然その国民所得の増加率は大きいわけである。

戦後における農業生産の発展状況は一九三四~三八年を一〇〇とする指数でみると,中国を除き,日本,韓国,台湾をふくめた全地域の全農業生産で,一九五六~五七年は一二四,穀物だけについて見ると一二二であつた。つまり穀物生産より,農業原料および穀物以外の食料生産の方が,若干よかつたことを示しているのであるが,しかし,農業生産全体から見た算術平均による年成長率は,一・三%という低さである。したがつて,一九五六~五七年の一人当り穀物生産が,戦前(一九三四~三八年)水準を若干でも出ているのは,セイロン,フィリピン,タイの三国だけで,他の全部の国ははるかに低い状態におかれている。こころみに二,三の国について見るならば,ビルマは七二,インドは九七,インドネシアは八六,マラヤは九五,パキスタンは九二である。

東南アジアの国民所得は,ほとんどの国ではその四〇~五〇%が農業所得によつて構成されており,したがつてこのような農業生産における発展率の低さから見ると,国民所得の増加率推定が高きにすぎると考えられる。

東南アジアの経済成長を工業生産の面から把握することはきわめて困難であるが,ECAFEの推定によると,一九五三年を一〇〇とすると一九五〇年の六五に対し,一九五五年は一一六で,かなり著しい発展・率を示している。昨年第一・四半期を前年同期と比べると,鉱業生産をふくめて一一・四%もの増加となつている。この間における世界全体の増加率は約三・五%,北米のばあいは一・九%にすぎなかつたことからすれば,たしかにその増加率の大きいことが知られる。しかし,この指数のなかには,発展率のきわめて大きい日本,インド,中国がふくまれており,したがつて,この三国を除いて考えれば,それほど大きいものでなく,アジアの工業生産でこの三国に次いで高い成長率を示したのは香港,パキスタン,フィリピンの三国で,他の国ではほとんど発展はなかったといってよいくらいである。つまり工業生産における発展は著しく不均等で,全体としてはかなり高い発展を示したが,数カ国を除いてはそれほど大きな発展が示されていないと見られることである。

以上のような国民所得と,農業生産ならびに鉱工業生産の三つのそれぞれの側面に現われた東南アジアの戦後の経済成長率は,結論的にいうならば一つは地域内において不均衡化が徐々に大きくなりつつあるということであり,他の一つは,発展はきわめて不均衡ではあるが,しかし,全地域としてはかなり高い成長率を示しているということである。


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