平成10年

年次経済報告

創造的発展への基礎固め

平成10年7月

経済企画庁


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第2章 成長力回復のための構造改革

第7節 経済構造改革の実現のために

経済構造改革は,長い目で見て避けて通ることはできないものであるが,痛みを伴う。ひとたび改革を始めてしまえば,この痛みを対症療法的に和らげようとすれば改革そのものを挫折させてしまう場合も出てくる。こうした観点から,改革に当たって,次の視点と準備が必要である。

第一に,経済構造改革が雇用へ悪影響を与えるのではないかとの懸念が示されることがある。雇用については,経済社会全体として進める構造改革の中で,産業構造の変革が進展し,新たな就業の増大,新しい産業分野への労働力の移動も生じると考えられる。これらに適切に対応するため,セーフティネットとして必要な労働市場の整備を的確に講じていくべきである。また,倒産等に見舞われた事業者に対する社会的受容度を高め,市場での再挑戦の機会を拡大していくべきである。

第二に,改革は短期的にもマイナス面だけではなく,プラスがありうることを十分認識しておく必要がある。潜在的な需要や技術革新機会の強い分野では,新たなビジネス機会や新規需要を呼ぶことによって,短期の景気回復にも貢献すると考えられる。供給サイドの刺激,強化を伴って初めて,短期的な需要刺激策による経済回復が中長期的な経済活性化につながるのである。

第三に,改革によって市場メカニズムが発揮されることは,市場参加者が自己責任で選択し意思決定していくことを強いるものである。従って,その前提として,機会の平等,自己責任,情報開示,ルール重視が大原則とならなければならない。特に情報開示は市場経済社会のもっとも基本的なインフラである。

(市場での再挑戦機会の重要性)

経済構造改革に伴う「痛み」を軽減する政策手段,社会的な受容度の重要性が高まっている。

従来の規制や企業システムにより,日本経済は有形無形の「セーフティネット」を有し,高賃金,低失業,社会的安全などを確保してきた。こうした「セーフティネット」はこれまでは企業に相当程度依存しており,またそうした形態が合理的でもあった。しかし,企業の売上げ変動リスクが従来以上に高まると,企業は雇用面では長期雇用を前提とした労働者の割合を低下させることにより,内部労働市場よりも外部労働市場をより一層活用する動きがみられることになろう。

このため,外部労働市場における労働力需給調整機能の強化を図ることが必要であるが,その際には,市場メカニズムの活用という視点が重要である。すなわち,改革に伴う外部労働市場の拡大により,職業紹介等の労働力需給調整に対するニーズが大幅に拡大することが予想される。こうしたニーズの拡大に対しては,公共職業安定機関による職業紹介などに加え,有料職業紹介事業や労働者派遣事業もそうしたニーズに十分応え得るよう,これらについての更なる制度の見直しを行うとともに,外部労働市場を適切に機能させるためのルールの整備等が必要である。

また,今後労働移動の増加が見込まれるなかで,労働者にとって職業の安定を図るための職業能力開発の促進,高齢者再雇用の促進等が一層重要となろう。

さらに,経済構造の変化のなかで,事業の縮小を余儀なくさせられた事業者や倒産に見舞われた事業者等に対する社会的受容度が高まること,すなわち,そのような者に対する社会的な理解が深まり,更に再挑戦する機会が広がることは,経済構造改革の実現のためにも重要であると考えられる。

(短期の景気回復にも有効な経済改革)

これまで,規制改革等の構造改革によって,生産性を向上させ,経済活動に対するディスインセンティブを軽減し,供給能力の拡大を図ることが,中長期的に経済が拡大していくための条件であることをみてきた。では構造改革が需要面や個別の産業に与える影響はどのように考えるべきであろうか。

経済企画庁「平成9年度企業行動に関するアンケート調査」では,今後5年間の業界需要の実質成長率見通しをみている。これによると,全産業の平均が2%を下回っているなかで,3%を超える相対的に高い見通しを立てている業種もある。通信,電気機械,サービス,空運であった。なかでも通信,空運は近年急速な規制緩和が図られており,また,電気機械についても通信分野での規制緩和によって通信関連の需要が大きく高まっていることが見込まれる。こうしたことから,規制緩和によって新規需要が掘り起こされる分野においては,規制緩和が業界需要の成長見通しを高めている可能性があろう( 第2-7-1図 )。

日本興業銀行「1997・98年度設備投資アンケート調査結果」では,政府が進めている規制緩和,金融システム改革,行財政改革などの構造改革の進展に伴い,向こう3年間で事業環境がどのように変化するかについてみている。これによると,今後競争が激化していくと回答している企業が過半を占め,業種別には製造業よりも非製造業が競争激化を見込む割合が高く,特に建設,大型小売,電力は7割を超えており,これらの業種では構造改革の影響が相対的に大きいことがうかがわれる( 注1 )。

構造改革の進展が向こう三年間の設備投資に与える影響を見ると,増加要因とする企業が抑制要因とする企業をわずかながら上回っている。増加要因となる理由で最も高かったのは「経営効率化が必要になる」との回答である一方,抑制要因となる理由で最も高かったのも「収益環境が悪化する」とするもので,いずれも競争激化に対応したものであり,企業によって構造改革に対する対応が異なることが注目される。また,近年規制緩和によって大きな進展が見られた通信分野では「新規事業へ参入チャンスが拡大」とする割合が他の業種よりも高かった点も特徴的である( 注2 )。

こうしたことから,構造改革に伴って短期的な需要拡大が見込める分野としては,第一に潜在的な需要が大きく規制緩和によって新規産業の創出など需要の拡大が期待できる分野,第二に投資の拡大による経営効率化の余地が大きな分野,と見込まれる。第3節でみた携帯電話の例にみられるように,これまでの電気通信や航空運賃などでの経験は,他の事業者や財からの需要シフトというゼロサム的状況だけでなく,新規の供給や価格の低下が新たな需要を生み出すことを示している。

規制緩和は痛みを伴うことは避けられない。またしばしば短期にはマイナス面も否定できない。しかし将来の日本経済の競争力を高め,事業機会や雇用機会拡大のための条件整備をする改革は,需要創出効果を持つはずである。例えば,中小企業特にベンチャー企業の中には,新たなリスクマネー供給チャネルができることがわかっただけで企業活動を活発化させるところがあろう。また供給サイド志向の税制改革は,設備投資行動その他リスクをとる行動へのインセンティブを強めることになろう。

こうした分野における制度改革および将来の制度改革への期待は,中長期的な潜在成長力強化,経済活性化のみならず,当面の景気の自律的回復にも資するものであり,またその効果の大きいものが特に優先される必要があろう。

(自己責任原則と情報開示)

これまでの日本の経済システムは,政府,家計,企業等の経済主体の間でリスクシェアリングを図り,それによってトータルとしてのリスクを分散して低減するという一種の「保険」として機能してきた面があると考えられる。

しかし,バブル崩壊に伴って成長率の鈍化や競争の高まりがみられる結果経済全体のリスクが高まり,「保険」を活用しなければならない局面が増加するとともに,「保険」を維持するためのコストも急激に増大している。さらに,個々の経済主体が,危険(リスク)をどれだけ負担する責任を負い,それに見合う成果(リターン)をどれだけ享受する権利を持っているかという関係について,事前には不明確である。現下の局面のように「保険」のコストが増しても,責任を負うべき主体が不明確であるため,コストの増大を誰が負担すべきかといったことについて経済主体間の合意形成に相当の時間を要する結果,コストがさらに増幅するといった問題が指摘されよう。加えて,経済主体によってリスクに比してリターンが大きかったり,逆に小さかったりといったリスクとリターンの偏在が生じ,リスクに比してリターンが小さい主体の経済活動に対するインセンティブを弱め,逆にリスクに比してリターンの大きな主体にモラルハザードが生じるといった問題が生じる可能性がある。この結果,「保険機構」を維持するためのコストが必要以上に高まっているものと考えられる。これらが経済全体の高コスト構造を生み出している可能性が指摘されよう。

加えて,財政事情が逼迫し政府によるコスト負担の能力が低下している中で,経済へ波及する影響が甚大であるため最終的に政府もかなりの規模でコストを負担するといった事例もみられる。

こうしたことから,第一に日本の経済システムに内在する「保険」のコストを低減すること,第二に事前にリスクとリターンの所在を明示的にするように見直すこと,第三にリスクとリターンの偏在が生じないようリスクシェアリングが不断に見直されること,が求められている。そのなかで,特に第一と第二の観点から自己責任と情報開示の重要性が再認識されている。

自己責任は「リスクを引き受ける」ことを意味している。これについては,「損害が出た場合に責任をとる」というネガティブな面ばかりが強調されがちであるが,「成功の果実は自分に帰する」という積極的な面がある。市場経済の下では,資源を自由に市場から調達して,自由な発想で組み合わせることによって生産を行ない,市場に参入することが可能である。そのような事業者の活動が,資本主義の繁栄をもたらしてきた。「リスクをとる」ことが経済発展の原動力となっていることを再認識すべきであろう。自己責任の原則は「失敗しても政府に頼らない」という,企業の自立を求める理念でもある。失敗した場合に政府による救済が安易に受けられることを前提とした企業行動は,ともすれば企業の収益性を損ない,競争力の減退へとつながる恐れがある。政府の失敗や非効率も無視できない大きさであることが指摘され,小さな政府が志向される時代にあっては,自己責任の原則は自立の原則としても解されるべきである。

情報開示は,自己責任の原則と表裏一体の関係にある。十分な情報もない下では,責任のとりようがないからである。特に直接金融市場をさらに厚いものとしていくためには,企業の実態について十分な把握が可能となるような環境を整備し,開示されている情報の信頼性を高めることが,投資を呼び込み市場を活性化させる上で極めて重要である。

銀行・証券・保険の分野では,制度面において他分野以上の情報開示の努力が払われてきた( 注3 )にもかかわらず,一部の金融機関における実態面の情報開示の不足が,預金や保険金等の支払に不安を抱かせる等,金融システムへの信認を低下させており,より正確な情報開示が求められているといえよう。また,不動産・建設の分野についても,子会社の状況等を含めた経営内容等について,十分な情報開示がなされていないことが,不信を招いている。

銀行が破綻した際に預貯金に損害が及ぶような場合には,自己責任であるといわれても,現時点では納得する人は少ないものと見られる。多くの預金者は安全であることを前提に資金を提供してきたのである。今後は,情報開示の進展に伴って預金者が銀行を選ぶ傾向が強まり,財務状況等を正確に把握するための情報の開示が十分でないような銀行には預金等が集まらないようになっていくであろう。

同様のことが政府についても当てはまる。公共財の提供という特殊な世界であるがゆえに,市場からの規律が弱く,ともすれば情報がとざされがちになる可能性があるが,そのことが生じさせた非効率が露呈しつつある。民間への委託や,民営化が重視され始めているのはそのせいである。何が公的部門のコントロール下にあるべきかは難しい問題であるが,少なくとも十分に議論されて決められるべきものである。そのためにも,まず議論に必要な情報を開示する必要がある。また,求められなくても説明の義務がある(アカウンタビリティー)といえ,その際にきちんとした分析に基づいて分かるように説明するということが求められている。情報開示とその説明を通じて行政の側でも,どこまでが行政のやるべきことであり,どこからが民間の担当・負担であるかがより明確になれば,公的部門もより効率的な運営が可能となろう。


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