平成9年

年次経済報告

改革へ本格起動する日本経済

平成9年7月

経済企画庁


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おわりに―景気回復から中長期的発展へ

我が国経済は,1990年代初めの2年半にわたる長期の不況と,その後2年以上にわたる極めて緩慢で不安定な回復過程をようやく脱し,昨年度後半から景気回復の足取りがしっかりしてきた。公共投資拡大,減税,低金利政策といったマクロ政策によって辛うじて下支えされてきた景気も,民間需要主導の自律的回復過程への移行を終えつつある。

今次景気回復期には,景気回復局面で必ず現れる生産,雇用,最終需要などの好循環のメカニズムはなかなか働き出さなかった。バブル期の過大な投資の後遺症が重くのしかかり,好循環のリンクがあちこちで途切れていたからである。しかし96年夏にミニ調整局面を終了してからは,このリンクがつながるようになり,回復の連鎖のメカニズムが働き出した。マイナス要因であった外需もプラスに転じた。96年度下期の民間需要の回復テンポは堅調であった。いうまでもなく,下期の成長には消費税率引上げ前の駆け込み的動きが多少含まれていた。しかし,それまで景気を支えていた公共投資が大幅減少に転じたなかで経済成長が加速したことは,注目に値する。

97年度に入って,消費税率引上げなどの影響から景気回復の足取りも一時的に緩やかになっている。消費税率引上げ等の影響がどの程度のものになるかは慎重に見極める必要がある。しかし,上述のように景気回復の連鎖メカニズムが動き出していると考えられることから,これらの影響も景気回復を逆回転させるような力はなく,その一巡後は日本経済は再び自律回復テンポを取り戻すものと期待される。鈍い動きを続けていた金融・資本市場の諸指標も,このところ好転が目立つようになった。

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我が国経済に景気循環がある限り,循環的な景気回復は必ずやってくる。問題はそれをより長い持続的な繁栄につなげていくことができるかどうかである。この点については,なお我が国経済は問題を抱えているといわざるを得ない。日本経済が中長期的な安定成長経路にソフトランディングしていくためには,まだまだ越えなければならないハードルが多く存在する。

それは第一に,企業や金融機関が,今なお程度の差はあれバブル期の過剰な投資の後遺症を抱え,財務面の改善に持てる力を注がなければならず,未来に向かってリスクを積極的にとろうとするための体力や意欲の回復がまだ十分でないことである。第二に,バブルとその崩壊や急速な国際分業構造変化の過程で,日本経済の特長と考えられ経済の安定や成長力の源泉と考えられてきた様々な要素,すなわち日本的経済システムや,モノ作りの面での競争力等に対する信頼感が揺らぎ,企業にとっても労働者にとっても,日本の経済社会や雇用機会の長期的将来に対する展望を持ちにくくなっていることである。第三に,公共部門も財政不均衡や長期的な公的年金・医療保険等の収支問題を抱え,これによる将来の公的負担増等への懸念から,家計を始めとする民間部門が将来を見通し難くなっている面もあることである。

以上のような中長期の日本経済の問題が経済主体のリスクをとる長期的視野での積極的行動を妨げていることは,次の三つの弱さを日本経済にもたらす可能性がある。一つは,家計が経済の先行きへの不透明感や雇用不安,公的負担増への懸念等から我が国経済の将来への信頼感に乏しく,消費にも慎重になることである。そうなれば将来的な景気上昇の持続性に常に懸念が残ることになる。二つは,企業が,将来展望への見通し難や国際競争力への懸念から長期的設備投資,研究開発投資,人材養成等,長期的な視野での投資を行うことにどうしても消極的になることである。そうなれば日本の産業が現実に競争力を失うことにもなりかねない。三つは,貯蓄主体たる家計部門等投資家サイドも,将来への信頼感が弱まれば,資産運用の安全性をますます志向すると考えられることである。その際,金融仲介システムもリスクを適切にプールするような体力や意欲に乏しければ,そして資本市場の発展が規制や商慣行によって妨げられているとすれば,リスクマネーを企業部門に供給するチャネルがなくなってしまう。

こうした弱さが現実のものとなれば,さきに挙げた先行き不透明感や悲観論が自己現実的に現実のものとなってしまう可能性が出てくる。企業が長期的な発展を狙った物的,人的,技術的投資を思い切って行うことを躊躇し,家計も防衛的な消費・貯蓄・投資行動をとるならば,日本経済の成長基盤が弱まり,経済成長の究極の目的である国民の将来の生活水準向上にもマイナスの影響が及びかねない。さらに,我が国経済の停滞の影響はひとり国内にとどまらない。

グローバル化し相互依存を強める世界経済の中でも,日本経済とアジア太平洋を始めとする各経済とのダイナミックな水平分業的発展が阻害され,世界の人々の将来の生活水準にもマイナスの影響が及び得ると考えるべきである。

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今回の景気回復過程は,93年10月の景気の谷から数えれば3年半を超え,戦後の景気回復期の中でもかなり長い部類に属するようになった。1958年から61年にかけての「岩戸景気」を超えたかどうか,といった議論もある。しかし,年率10%もの成長率で回復していった高度成長期のV字型回復と,公共投資に支えられながら年率1%台の緩慢な回復が続いた今回とを,長さだけで比べても意味はない。むしろ比較するならば第一次石油危機による不況からの回復期との類似性ではないか。このときも将来見通し難が大きく,日本経済の成長可能性について議論があった。しかし結果的には,省エネルギー投資を始め民間部門のリスクをとる活動が積極的に行われ,日本経済はエネルギー多消費型産業構造から技術・情報集約型産業構造への転換を成し遂げ,安定成長路線を実現することができた。政府もマクロ面の安定化政策やミクロ面の構造調整支援策をとってこれを支えた。

また,91年からのアメリカの景気回復との類似性も挙げられよう。この時は回復過程に入っても失業率が上がり続け,ジョブレス・リカバリーなどといわれた。今回の日本と同様,80年代後半のバブル的景気拡大の調整を必要とし,金融期間の不良債権問題も共通であった。またアメリカ産業の国際競争力への懸念もあって,先行き見通し難が横隘していた。このときアメリカでは,企業や金融機関が思い切ったリストラを進め,財務の健全性と産業の競争力を回復していった。金融政策は実質金利がゼロ近傍になるまで緩和された。また政府は一時的な財政支出拡大を伴う不良債権処理スキームを用意し,続いてアメリカ経済に重荷となていた財政赤字の削減に一歩を踏み出した。さらに,以前からの規制緩和・撤廃の成果も実を結びつつあった。こうした民間部門の活動と政府の「構造改革」によって,アメリカ経済は現在に至るインフレなき景気拡大の基礎をつくったのである。

今回の景気回復に当たっては,政府は公的規制改革,金融システム改革等,構造改革を強力に推進し,自ら作り出している制度的・政策的な制約や不確実性を取り除くことで,自由で魅力ある市場を作っていかなければならない。また民間部門自らも,過度のペシミズムを持つことなく,積極的にリスクに立ち向かい,展望を切り開くことが望まれる。

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まず第一に,自由かつ透明で,グローバル・スタンダードに則った,魅力ある市場が作られなければならない。

日本の市場には,なお規制に縛られたり,民間の商慣行によって,自由な参入退出や価格形成,情報や意思決定の透明性などが十分でないところも見受けられる。さらに,そもそも市場の発達が十分でないケースもみられる。

この結果,競争による効率性の追求,自由な経済活動による新しい技術や製品・サービスの創出,資本供給者から需要者への資金の円滑な流れ等がともすれば阻害され,経済発展に影響が及びかねない。

日本の金融・資本市場についても「空洞化」が懸念されてきた。これが,仮に規制緩和や自由化の遅れによる競争力低下等によるものであったとすれば,最適な資源配分や市場の効率性を損なうものであり,早急な取組みが必要である。

また,そもそも取引すべき市場が存在しなかったり発達していなかったりする場合がある。特に,将来の産業経済の発展のかぎを握るベンチャー関係の市場は,未上場未登録株式市場の枠組みの整備等制度面での進ちょくがみられるものもあるが,それらの市場の発達は十分とはいえない。例えば,本体及びベンチャーキャピタルが主体となって設立した投資事業組合の数,投融資残高は着実に増加してきているが,リスクに対して極めて慎重であること,事実上新規事業の育成になっていないこと,ディスクロージャーが不十分であること,等の問題点が指摘されている。

また,日本への外国企業の対内直接投資は諸外国に比べて著しく低いが,この背景の一つに企業の合併・買収(M&A)が活発でないことが挙げられる。我が国においては,これまでのところ,M&Aを企業の経営戦略の一つとして前向きに評価し活用する土壌が培われていないが,今後資本市場が発展していくなかで,企業情報のディスクロージャーの取組みとともに,これを積極的に活用する動きが本格化してくれば,外資系のみならず国内企業にとっても選択の余地が広がってこよう。

取引ルールや価格決定過程が透明かつ公正であることが,今後の金融市場活性化の一つの重要なかぎである。金融システム改革を通じて,透明性が高く公正な市場の構築を一層促進する必要がある。また,金融に限らず,広く日本的市場システムといわれる各種商慣行についても,その競争制約的な要素を極力取り除き,より自由で透明なシステムに変革していくことが必要なのはいうまでもない。

市場創出の最大の課題は金融・資本市場も含めた公的規制の改革であり,現在政府は全力を挙げて取り組んでいる。典型的なネットワーク産業規制に関する我々の分析によっても,規制緩和が行われれば,競争活発化の結果,非効率が温存されていた分野で大幅な効率化が可能であること,それは短期的にはコストを要するかもしれないが,長期的に需要を喚起し,新たな雇用を生み出していくことが分かる。

規制改革は政府が取り組むべき経済政策の最重要課題の一つであることは言を待たないが,民間部門も個々の利害を乗り越えて,政府と手を携えて改革を推進し,また改革によって生まれるビジネスチャンスを大いに活用することが望まれる。

こうして自由で透明な市場が形成されることは,また,各経済主体が自己責任でそれに参加することを要請する。従来はややもすれば規制や長期的取引関係の中で激しい競争から保護されることもあったかもしれないが,これからはそれはもはや許されない。競争には一時的敗者はつきものであるが,つねに再挑戦の機会が確保されること,そして社会的セフティネットが整備されていることが不可欠である。

ただし,規制緩和によって新たに生まれる競争市場で,参加者がどんな行動をしてもよいということでは決してない。個別の規制ではなく,より一般的な競争のルールと良識にのっとり,透明で公正な事業活動を行なうのでなければ,せっかくの事業活動機会の拡大の成果を無にすることになる。このためにも,情報公開の確保は市場の創出に不可欠である。

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第二に,そうして作られる市場において,企業や個人が将来への不透明感を克服し,リスクを恐れず積極的に未来を切り開いていくことが,日本経済にとっても世界経済にとっても不可欠である。

日本の製造業は,円高の時期に「空洞化」が懸念された。しかしモノづくり技術に裏打ちされた製造業,特に加工組立産業は,強固な競争力と企業努力で困難を乗り切った。日本経済の生産性上昇をリードしているのも,依然として製造業である。ただ,その技術の中心はなお応用技術,プロセス技術であり,またその強みは企業や系列内部の開発・生産体制の柔軟性,効率性をぎりぎりまで追求することによって得られたものである。日本の市場が公開型に変革され,またそもそも海外から導入すべき基礎技術が限界に達しているなら,日本の産業も新しい製品やコンセプトを生み出すような研究開発により多くの資源が振り向けられなければならない。これは大きな挑戦である。

非製造業部門など国内市場向け産業は,これまで効率性に多々問題があったが,逆にいえば生産性上昇のポテンシャルは大きい。需要や効率性の大きな伸びが期待できる情報やネットワーク関連部門についても,あるいは成熟部門と考えられてきたところも,このことは当てはまる。規制緩和を利用して,既存企業が新たな商品・サービスや生産プロセスを生み出したり,従来の輸出産業が独自の経営資源やノウハウを持って参入することも,あるいは外資系企業が参入することも,この分野の大いなる活性化に役立とう。

金融仲介部門は,中でも大幅な変革が進むべき分野である。金融機関はなお不良債権問題に取り組まなければならない状況にあるが,思い切ったリストラにより収益性を改善し,不良債権問題に早く区切りをつけるとともに,リスク対応力を強化していかなければならない。その過程で,得意分野への特化など,各々の金融機関が自らの方向を決めてゆくこととなろう。

個人もこの変革の埒外ではない。産業における技術の変化に対応するためには,個人としても個性や創造性を磨いていくことが不可欠である。教育も,平等性,均質性を重視したものから,個々人の多様な能力の開発と,創造性,チャレンジ精神を重視した生涯教育の視点に立ったものに転換していくことが求められている。また投資家としての個人は,拡大した収益性とリスクの多様なメニューの中から,適切な選択をしてリスクマネーを経済に供給していくことが求められる。

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第三に,政府は上記の規制改革,構造改革を進め,自由かつ透明な市場の創出を行うとともに,自らもスリムで効率的かつ国民の信頼を確保し得る行政を確立しなければならない。特に財政は巨額の公債残高を抱え,長期的には貯蓄率低下に伴って政府債務が民間貯蓄を吸収してしまって資本蓄積を妨げるおそれがあること,利払い以外に十分に財政支出を振り向けることが難しくなるといった資金配分の非効率をもたらすこと,現在の財政赤字が将来世代に真に利益をもたらすものでなければ,財政赤字を償還しなければならない将来世代への増税は世代間の不公平をもたらすこと,等の問題を持つ。政府は国及び地方の一体となった取組みにより財政赤字の縮減を図り,財政構造改革を強力に推進しなければならない。

また,公共投資については,今次不況及び回復期に累次の経済対策において大幅な積み増しが行われたため,その総需要に与える効果(フロー効果)が注目されることが多かったが,本来公共投資に期待される効果は,社会資本の提供がもたらす事業効果(ストック効果)である。プロジェクトごとに,その経済,住民生活への効果と,提供のためのコストとの相対関係を的確に判断し,可能な限りの効率化を図る必要がある。

こうしてあらゆる経済主体が,自己責任原則のもとに積極的にリスクを取り,自らの可能性に挑戦していくことが望まれる。政府は自らをスリムで効率的なものにするとともに,規制改革を始めとする各種構造改革を推進することで,民間部門の活動の環境を整えていかなければならない。


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