平成8年

年次経済報告

改革が展望を切り開く

平成8年7月

経済企画庁


[前節] [目次] [年度リスト]

第3章 転換期にある日本的経済システム

第4節 公共部門

(公共部門の役割)

市場経済における政府の機能は,市場経済が不完全にしか機能し得ない部分について市場経済を補完し,全体としての経済の円滑な機能を確保するという役割がある。

まず,自由競争に任せておいては独占や市場の不安定性等により非効率的な資源配分しか達成できない場合に,経済活動自体は民間企業に行わせつつ,その活動を規制するということが挙げられる。これは,電気,交通,通信のような自然独占性が強いとみられる産業や,金融業のように情報の不完全性から信用不安等によりその機能が麻ひしてしまうおそれのある産業等について行われている。

次に,保険のようにリスクを人々の間でシェアしようとするような場合は,リスクの高い人だけが保険に参加しようとしたり,逆に,保険者の側でリスクの高い人を排除しようとする行動がみられるために,市場が成立しにくいということがある。リスクをヘッジしようとすることは当然の行動であり,リスク・シェアリングのための市場が成立しないことは極めて非効率的なことであるから,医療や年金等において公的な保険制度が提供され,人々のリスク・シェアリングを助けることが通常行われる。

さらに所得分配の問題がある。市場経済においては,各人は市場に対する貢献に応じて報酬を受け取ることが原則であるが,所得や資産の格差があまりに広がることは,社会的なあつれきを生じさせるとともに,人的資本の蓄積の阻害等を通じて経済的な損失につながる可能性もある。公平性の確保は効率性の確保と並んで経済政策の二大目標であり,所得分配を適切なものとする努力が払われている。

(戦後における公共部門の在り方とその変容)

公共部門が担うべき機能は一般的に以上のようなものが考えられるが,その在り方はその時々の経済情勢等により違ってくる。公共部門がカバーする範囲は,極めて限定的な場合からかなり包括的な場合まであるであろうし,また,その介入の態様も,経済主体の行動を具体的に規定するような強いものから,経済主体を誘導していくようなソフトなものまであろう。

戦後の公共部門の在り方の特徴を単純化して表せば,かなり包括的で強い形での介入を行っていたといえるであろう。公共部門がカバーする範囲は,経済のかなりの領域に及んでいただけでなく,各領域についても,必要最小限の部分についてというよりはその領域全体の経済活動を対象とする傾向があった。また,介入の態様も,指令的な統制(command-control)により経済活動を強く規定する場合が多かった。

しかし,経済情勢の変化や国民の意識の変化,さらに技術革新等によって,公共部門も変化を余儀なくされてきている。例えば,規制制度等について,それらが本当に必要な規制であるのかどうかが活発に議論されるようになっているほか,規制制度が必要であるとしても経済主体の活動を強く縛るような形のものが適切かどうかが問い直されている。

以上のような変化を再び単純化して特徴付ければ,公共部門の介在する領域を可能な限り絞り込み,介入の態様もできる限り経済主体の自発性を発揮させる方向へ誘導するという,言わば市場メカニズムの誘因を重視した公共部門の在り方といえるであろう。

1. 規制制度

政府による経済活動への介入として,直接的な資源配分への介入以外に規制を通じて行うものがある。これは,経済活動自体は民間企業に委ねるものの,市場の不完全性等の理由から企業の行動に制約を加えることである。

政府規制の根拠として様々な形の市場の失敗が考えられるが,一つは,規模の経済が強く働くために自由競争に委ねれば独占が生じるような事業がある。これは,電力や水道等のいわゆる公益事業や交通等のインフラが代表的なものであるが,とりわけ電気通信業については競争促進のための措置が積極的に講じられている。次に,情報の不完全性等の理由から,ある産業が内在的な不安定性を抱えており,その産業を維持することが経済全体の観点から重要と判断される場合に,政府が介入してその産業の活動を維持するとともに,規制によりその行動を制約する場合がある。この代表的な事例は金融業である。

ここでは,最近の規制緩和の動きを簡単にフォローしつつ,政府と企業の関係がどのように変化しようとしているのかを整理した後,近年大きな変化のみられる電気通信業と金融業を取り上げ,規制制度の改革の動きを整理する。「規制緩和推進計画の改定について」(平成8年3月閣議決定)においては,情報・通信関係や金融関係についても政府の基本指針として「諸規制の緩和等を進める」旨が規定されている。ただし,最近の経済情勢の変化や技術革新の進展にもかかわらず,自然独占性や情報の非対称性等は完全にはなくなっていない分野もある。そのような分野においては,不完全性に対応しつつ最大限効率化を促すような必要最小限の規制制度を設計していく必要があろう。そうした規制制度の改革は,市場メカニズムの誘因を最大限取り入れることにより効率性を確保することをねらいとするものである。

(1) 規制緩和と政府と企業の関係の変化

(自然独占性と規制の在り方)

公益企業や交通体系等は,独占性や「公益性」(ユニバーサル・サービスの必要性)等から多くの国において国営あるいは強い規制下に置かれている。これは,こうした事業においては,政府は国民の忠実な代理人あるいは場合によっては後見人として,国民の利益を最も適切に反映して行動すると想定されていたことによる。しかし,技術進歩に伴って,自然独占性が薄れてきていると考えられるものがあるほか,政府の規制がかえって効率的なサービス提供を阻害している場合があるという認識が高まってきたことを背景に,できる限り民間企業のイニシアティブを生かしつつ,独占等の弊害を抑えることが重要とされるようになった。また,規制する政府の側も情報の面で制約があり,必ずしも企業の行動を完全にコントロールできるわけではないことも認識されてきた。こうしたことから,政府規制の是非について再検討が行われてきており,公益企業の民営化や,規制が残る場合であっても,企業の具体的な経営計画を規定する強い規制から,社会的に望ましい行動をとるようなインセンティブを与える規制という方向に向かっている。

(経済システムの安定性の確保と規制)

経済システムの安定性を確保することも政府の重要な役割と認識された。これは,金融業における包括的な規制に顕著である。経済的安定性を提供するために企業の行動をかなり強く制約するとともに,そうした安定性の結果生じる可能性のあるモラル・ハザードを防止するためにも企業の行動を規制する必要があった。戦後の金融規制は,不安定性が発生する可能性を限りなくゼロに近く抑えようとするかなり危険回避的なものであった。しかし,完全に不安定性を解消しようとすると極端に強い規制をかけることになり,技術や需要条件が大きく変動する場合に経済活動のしっこくとなることが懸念されるようになった。そのため,経済の安定性を確保しつつ企業の自由な活動を許容するような規制制度の在り方が模索されている。言わば,リスクをゼロにするのではなく,リスクをどう管理するかという方向性である。最近の規制の特徴は,例えば事前的な行動規制は緩和し,代わりに銀行が慎重に行動するといったように誘因を重視する規制(プルーデンシャル・レギュレーション)が主体となってきていることである。また,危険が顕在化する可能性も高まるので,顕在化した場合の備え(セイフティ・ネットの整備やシステム・リスクの防止等)を整備することが求められている。

(2) 電気通信業の規制制度の改革

(電気通信業の規制緩和)

電気通信業については,85年に日本電信電話公社が民営化され,電気通信回線設備を設置してサービスを提供する第一種事業者と第一種事業者の設備を利用してサービスを提供する第二種事業者とについて新規事業者の参入が可能となった。各事業への参入状況をみると( 第3-4-1表 ),95年度末時点で,国内第一種事業者は121,うち新規事業者は111(長距離系3,地域系16,衛星系2,移動系90)であり,国際第一種事業者は5,うち新規事業者は4である。第二種事業者は,特別が48(うち国際特別35),一般が2,063(94年度末)となっている。新規事業者のシェアもおおむね上昇している(後掲 第3-4-2図 )。こうした民営化と競争原理の導入により,事業者間の競争を通じて料金の低下やサービスの多様化等が生じている。例えば,新規事業者のシェアと料金低下の関係をみると( 第3-4-2図 ),まず,国内長距離通話料金については,新規事業者のシェアの上昇と料金の低下がよく対応しており,競争の進展が料金の低下をもたらしたという関係が明瞭である。さらに,競争条件の整備や技術革新が進展した移動体通信部門について,こうした関係が顕著にみられる。次に,国際通話については,通話料金の低下と新規事業者のシェアの関係をみると,料金低下が新規事業者の参入以前から始まっているなど,必ずしも完全に対応しているわけではないが,競争圧力が料金低下を促した面がある。地域通話については,そもそも新規事業者のシェアはほとんどなく,競争の弱さと料金の硬直性が対応している。

(規制緩和の効果)

競争の経済厚生上の効果は,通常,料金低下による消費者余剰の増加によって測られるが,これに加えて,NTTの全要素生産性を計測し,それが民営化や競争によりどのように変化したかを調べた( 第3-4-3図 )。これによると,民営化前後はその直前がほとんど生産性の向上がなかったのと比較して生産性が上昇しており,おそらくX非効率(企業組織等において,意思決定が現実に即座に対応できなかったり従業員の利潤最大化から外れた行動を完全にコントロールできないこと等から生じる非効率)のようなものが改善された可能性がある。その後,80年代後半に生産性上昇率が低下した後,90年代に入って生産性は上昇している。こうした生産性の動向の背景を探ってみると,まず民営化の直前の生産性上昇の鈍化は,電話の積滞が解消に向かう中で合理化への取組みが遅れたことによるものと考えられる。さらに,民営化に伴い生産性が上昇した後,一時生産性上昇率が鈍化したが,80年代後半に競争の進展が生産の上昇を下支えしたものと考えられる。民営化以降資本や労働の投入は削減され,資本生産性や労働生産性は上昇していることから,民営化以降の生産性上昇には競争の進展による投入要素の合理化が重要であったといえるであろう。他方,規制緩和による需要の拡大には,料金の低下により需要が喚起される効果と,サービスの多様化等が促進されて需要が高まる効果がある。ここで,固定通話の需要関数を推計してみると( 第3-4-4図 ),一つには,料金の低下に従って固定通話の需要が増加している。これは,料金低下に伴う消費者利益の増大を表している。他方,関数により予測されるほどには固定通話の需要の伸びがみられていないが,これは,競争が有効に機能していないためにサービスの多様化等が進んでいないことなどによるものであり,今後,事実上の独占状態にある地域通話市場を初めとして幅広く競争促進を図ることが重要な政策課題である。

(地域通信の独占状態と規制の在り方)

競争が強まったといっても,すべての分野において満遍なく競争が生じているわけではない。長距離通信に比べて電話トラヒックの約8割を占める地域通信は事実上の独占状態が続いている。実際,長距離通話に占めるNCCのシェアは着実に高まっているが,地域通話においてはNCCのシェアは無視し得るほど小さい(前掲 第3-4-2図 )。

通信料金も,長距離通話料金は大幅に低下しているが,地域通話料金は低下しておらず,むしろ,電話の基本料,近距離の専用線料金のような独占的料金は近年値上げされている。

市場の全体ではなく,その一部だけが競争圧力にさらされている一方で,ほかの部分が独占であると,資源配分等の面からかなり深刻なゆがみが生じるおそれがある。これは,競争により料金が低下している長距離通話と独占で料金が低下していない地域通話との間の需要や資源配分がゆがめられる可能性や,両者を提供している企業が地域通話における独占的地位を利用して,長距離通話において競争上有利な料金設定を行ったり,競争業者を排除,不当差別するなどの競争阻害的な行為を行おうとすること(後述のボトルネック独占)等による。これは,単に自由な参入を保証するだけでなく,実効的な競争を確保するような仕組みが重要であることを示唆している。

この点に関連して,今後,通信インフラがかなり競争的に供給できるようになるのではないかという議論もある。実際,地域通信網についても,無線やケーブルテレビ(CATV)網を活用した通信インフラの構築が行われており,将来的には地域通信網においても競争が活発化することが期待される。しかし,現状では,それらの事業者もやはりNTTの地域通信網に接続して初めてサービス提供が可能となる場合がほとんどであり,いわゆる「ボトルネック独占」の弊害をできるだけ除去することが重要な政策課題となっている。それにより,アクセス・チャージの低廉化を通じた通信料金全般の低下や提供サービスの多様化が促進されるなどの効果が期待される。「ボトルネック独占」とは,他の事業者が依存せざるをえない地域通信網において独占的な供給者しかいないという状態を指す。ボトルネック独占の解消には今後とも困難を伴うと考えられ,少なくとも当分の間は地域通信において通信インフラが競争的に供給されることは期待しにくいと考えられるので,早急な政策的対応が必要とされる。

このため,接続のルールを整備することが一つの重要な政策課題である。先般,閣議決定された「規制緩和推進計画」において,NTT地域通信網に関して本年中に接続の義務化,接続条件の料金表・約款化,接続に関する会計方法・基準等の接続の基本ルールとして策定すべき具体的内容が決定されることとなっており,これにより,接続条件の透明性が確保されることが期待される。

こうしたルールの策定に加え,構造的な対策により公正かつ有効な競争を確保すべきであるという考え方が示されている。すなわち,独占状態にある地域通信と競争可能な長距離通信を分離し,更に地域通信を地域ごとに別個の事業者に行わせ,複数の地域通信会社の料金やアクセス・チャージを比較することにより,適正かつ低廉な料金設定を促す,いわゆる「ヤードスティック競争」の導入というアイディアである。これは,ボトルネック施設である地域通信網に係る経営効率化のインセンティブを付与する等のメリットがある。また,長距離通信網と地域通信網を分離することにより,地域通信会社との接続が長距離通信会社と他の通信事業者とで公平なものとなる。ただし,これのみでは,各地域通信自体は依然として独占状態にとどまることから,長距離会社や地域会社相互間の直接競争を促進する必要がある。次に,交通産業においては,インフラ部分とその上でのサービスの提供が分離されているケースが多く,それによって「ボトルネック独占」を回避して規制緩和による競争促進を成功させているものも多い。こうした上下分離方式を電気通信業に適用するという考え方もあるが,様々の問題点が指摘されている(コラム参照)。ただし,以上のような構造的な規制については,今後の技術条件や競争状態の変化によって独占される範囲も変化していくことが考えられ,こうした変化に柔軟に対応していくことが重要である。


コラム

産業の自然独占性と上下分離

上下分離とは,ある産業において外部性や規模の経済性に基づく自然独占が存在する場合,これを解消するためインフラ施設の所有・管理と当該インフラを利用したサービスの提供という経済行為を機能的に分離することをいう。

一般的にインフラ建設に多額の投資が必要な産業(鉄道業,航空業,電気通信業など)においては,上下不分離の場合,事業者にとってインフラ建設費は回避不可能な固定費として経営収支を圧迫するのみならず,事業からの撤退に際しては当該費用がサンク・コスト化する恐れがあり,費用回収のリスクを生むことになる(自然独占の発生)。その結果,参入に大きなリスクが生じるため市場における競争を大きく歪める要因ともなる。こうした自然独占のもつマイナスの影響は可能な限り小さくしていかなければならないが,上下分離は,サービス提供事業者からインフラ建設費という固定費負担を解放し,市場における参入・退出をより円滑に行うことを可能にするメリットを有するという点で注目すべき方式といえよう。

具体的には鉄道業において,線路の建設・維持と線路を使用した鉄道輸送サービスの提供という行為を分離することで導入が可能である。欧州諸国では実際に上下分離の導入が議論されており,スウェーデンでは1988年の交通政策法の施行により鉄道輸送サービスに企業責任をもつスウェーデン国鉄と鉄道インフラを所有・管理する行政機関としてのスウェーデン鉄道庁(インフラ施設は公的な組織によって所有・管理されている)に完全な形で分離されるなど,上下分離の進んだ事例もみられる。一方,我が国では1987年の鉄道事業法の施行により上下分離の考え方が採用されたものの,実態上,上下不分離の状況が続いている。鉄道業の上下分離の議論は鉄道と競合関係にある自動車輸送,航空業等においてインフラ(道路,空港等)が公的主体により整備されているという現状を考慮すると,サービス提供事業者の自由な参入・退出を可能にするという点で評価できるが,①欧州諸国では鉄道業の経営が競合産業との競争により極めて悪化している,②我が国では鉄道インフラの整備を担ってきた旧国鉄の債務が国に引き継がれている,といった点で我が国と欧州諸国の鉄道業を取り巻く環境が異なることに留意が必要である。

上下分離の考え方は電気通信業の場合,第一種電気通信業と第二種電気通信業という形で制度的に既に導入されている。なお,ボトルネック独占力を有する事業者に対する構造的な対策の一つとして,ボトルネック施設である通信ネットワーク部分の保有部門をサービス提供部門から分離するという考え方がある。この場合,すべての通信サービス事業者は,当該ネットワーク保有部門にアクセス・チャージを支払う限りネットワークに平等にアクセス可能となるとされている。しかし,当該ネットワーク保有部門には依然として自然独占性が残るため,経営合理化や高度なネットワーク整備を行うインセンティブが働かず,今後の通信分野の発展に重大な影響を及ぼす可能性があることなど多くの問題点が指摘される。

上下分離の議論は自然独占性を有する産業において自然独占に伴う問題点を解消するという観点からは有効な手段の1つといえようが,その評価に際しては,その具体的形態,技術的可能性,コストのメリット・デメリット,利用者にとってのベネフィットなど,様々な側面から検討する必要があるといえよう。

(参考文献)奥野正寛,三輪芳朗(1993)「電気通信の産業構造」『日本の電気通信』

(東京大学出版会)

      堀雅通(1992)「鉄道の上下分離について」『運輸と経済』第52巻,

      第4号((財)運輸調査局)


(相互参入の促進)

規制緩和により競争が活発化しているが,分野ごとの参入状況をみると,制度として規制しているものではないが実態として,国内通信/国際通信,地域通信/長距離通信,固定通信/移動通信等個別の領域ごとに行われている。しかも,さきに触れた地域通信の例のように,最も基幹的な分野でボトルネック独占が残りつつ他の分野で競争が進展しているという状況の下では,必ずしも期待された競争のメリットが十分発揮されることにはならない。そこで,ボトルネック独占を含め,幅広い分野での相互参入の促進を図るべきである。

(今後の規制の在り方)

いずれにせよ,完全な自由競争か全面的な規制かという選択でなく,規制によって市場の不完全性を補いつつ,市場メカニズムを最大限発揮させるよう,規制緩和,接続ルールの整備とともに構造的措置を含めた改革が求められている。自然独占性の弊害の除去やユニバーサル・サービスの確保をはじめとする国民利用者の利益の保護等政府介入を必要な部分に限定し,電気通信業の内容・性格等を勘案して,競争条件の変化等に柔軟に対応して,規制緩和,接続ルールの整備,構造的措置を図るべきである。

電気通信業のように技術革新が活発であり,経済全体の活性化にも寄与するような産業については( 第3-4-5図 ),固定的な規制によって発展の可能性を摘むことのないよう,柔軟な規制の在り方が望まれる。

(3) 金融市場の規制制度改革

(戦後の金融規制と最近の規制緩和)

戦後の金融規制は日本的な特色が強く出ていた領域であったといえるであろう。戦後の金融規制は,金融システムの安定性を確保することを極めて重視していたようにみえる。長短金融の分離や銀行・証券の分離のような業務分野規制により,リスクの高い業務から銀行を隔離するとともに他業種からの参入を防止して,銀行経営の安定を図り,預金金利規制によって金利競争を回避させて収益の安定性を確保した。また,業績が悪化した銀行に対しては救済合併等の方策により,倒産を回避することに注力した。このように金融システムが安定していたことは,それなりにリスクのあった成長産業への資金供給を安定的に確保することを可能とし,また,零細貯蓄者の多かった預金者保護にも役立った。しかし,金融システムの安定性の確保を最優先すれば銀行の側からみればずさんな経営をしても大丈夫というモラル・ハザードが生じる危険性が高い。そこで,安定性を保証する代わりに銀行の行動を厳しく規制したという面もある。このように,金融システムが動揺する可能性をほぼゼロとし,その代わりに銀行行動を厳しく規制するということが,戦後金融規制の大きな特徴といえるであろう。

しかし,安定性を保証するための銀行規制は,大企業の資金不足の縮小や政府の資金不足の拡大のような資金循環構造の変化に銀行が適応するための足かせとなったり,また,技術革新を阻害するものとして,コストの大きなものと認識されるようになった。そこで銀行規制を緩和する金融自由化が行われた。79年の譲渡性預金(CD)の導入以来預金金利の自由化が漸次進められ,94年に完全に自由化された。業務規制に関しては,70年代後半以降の国債大量発行に伴って,銀行による公共債を対象とした証券業務が認められた後,80年代後半の大企業の直接金融への傾斜や証券・株式市場の活況等を背景に,銀行・証券の相互参入の是非が議論されるようになり,93年には業態別子会社という形で相互参入が認められた。

(金融システムの安定性の確保と規制)

しかし,金融自由化は金融システムの安定性に大きなインプリケーションを持つ。まず,競争が激化することにより,銀行の経営に関するリスクが高まるおそれがある。さらに,自由化により銀行の得ていた超過利潤が縮小すると,お互いのリスクをシェアすることが困難となり,それまで超過利潤を活用して救済合併でしのいでいた銀行破たんが表面化する。さらに,金融機関の経営が極度に悪化した場合には,過度にリスクの高い貸出しに走る誘因が生じる可能性も考えられるが,預金保険の下でそのような金融機関に対しても預金が集まってくるという問題点が顕在化するおそれ(モラル・ハザード)がある。最後の点については,80年代後半に先進諸国で規制緩和と銀行の過度のリスク・テイキングとの関係が問題となった(平成5年度年次経済報告第2章第2節)。

このため,銀行の行動規制の緩和と同時に,どのようにして金融システムの安定性を確保するかが重要な課題となる。とりわけ金融においては,次の二つの点でシステム全体が不安定化する可能性を内包しているといわれる(システミック・リスク)。第一に,預金者は銀行が倒産する可能性が高いと思えばその真偽を確認するよりは預金を引き出そうとする。銀行はある準備率をもって貸出を行っているので,そうした「取り付け」が殺到すると,本来は健全な銀行であっても実際に流動性不足に陥り,預金の払い戻しに応じることができなくなる。問題は,こうした事態が他の銀行に次々波及していって,金融システム全体が機能しなくなる可能性があることである。第二に,銀行は決済機能を果たしているが,ある銀行が支払い不能に陥ると,相手方の銀行も流動性が不足して支払い不能となり,こうした支払い不能が連鎖的に全決済システムを麻ひさせる可能性があることである。

上記のようなシステミック・リスクを防止するための方策として,次のような二段階の対応に分けて整理することができる。まず,そもそも銀行の経営が破たんする確率を最小にするために事前的に採られる規制で,業務分野規制や預金金利規制のような競争制限的規制,貸出に対して一定の自己資本の保有を義務付けたり大口貸出の限度を設定するバランスシート規制,金融機関に対する検査や監督等がある。次に,銀行の経営破たんが生じた時にそれが金融システム全体に広がって金融機能が麻ひしないようにする事後的な対策で,預金保険制度によって預金者の不安を解消し「取り付け」を防ぐこと,破たんした銀行を円滑に処理すること等がある。留意すべき点は,事後的な対策のみで金融システムの安定を維持しようとすると,銀行経営が悪化した時に破たんのリスクの大きい行動を採るというモラル・ハザードの問題が生じる可能性があり,そうした行動を抑制するための方策もあわせて必要であるということである。

(事前的金融規制)

金融機関経営の健全性を確保するためには,そもそも個々の金融機関自身のリスク管理や市場のチェックメカニズムを通じた金融機関経営の規律の向上が重要であり,監督・規制はこれらを補完するものである。

近年,事前的措置としては,競争制限的な規制から銀行のインセンティブを適切なものとしようとするバランスシート規制に重点が移りつつあり,その代表的なものはバーゼル銀行監督委員会が公表した自己資本規制(いわゆるBIS規制)である。これはリスクのある資産に対してある比率で自己資本を持つことを義務付けるものであり,貸倒等による損失のバッファーであるとともに,過度なリスク行動を避けるインセンティブを与えるものである。しかし,個々の貸付先の危険度である信用リスクのみを対象としていて金利や株価の変動等市場リスクを対象としていない,あるいは個別のリスクを足し上げるだけで分散投資によるリスク軽減を考慮していないといった批判がある。そこで,バーゼル銀行監督委員会では97年末より新たに市場リスクを対象とした規制を実施することとし,その中でリスク分散を考慮に入れた。ここで重要な点は,新規制における市場リスクの測定に際して,当局の示す一定の算式に従って計算する標準的アプローチの他に,銀行自身が内部のリスク管理に用いているモデルによってリスク量を算出することを一定の条件の下に許していることで(内部モデル・アプローチ),銀行自身の創意工夫や革新的な動きに柔軟に対応し得る枠組みとしていることである。

(事後的措置の在り方)

事後的措置のうち預金保険制度は,アメリカの大恐慌や日本の昭和金融恐慌の経験を踏まえて小口預金債権の安全性に対する信認を確保して金融システムの安定性を図ることを目的としている。この制度により金融システムの安定性は高まったとする評価が一般的であるが,一方で,銀行倒産のリスクが生じた時にかえってリスクの高い行動を誘発したとの指摘もある。すなわち,預金が保護されていると知っているため預金者は預金の安全性に鈍感になり,銀行は経営が悪化した場合に,起死回生をねらって高金利で預金を集め,それをハイリスクの貸出につぎ込むという行動を採る事例が報告されている。こうしたモラル・ハザードにどう対応するかについては,いくつかの考え方がある。代表的なものは,金融機関の経営の健全性に応じ,監督当局が必要な是正措置を採るという早期是正措置の導入により,こうしたモラル・ハザードを防ぐことが考えられる。また,それでもなお,債務超過状態に陥り,破たんが免れない場合には,先送りすることなく破たん処理を開始することにより,モラル・ハザードによる影響を軽減することができる。

金融機関の破たん処理については,ルールか裁量かという論点が存在する。これは,金融機関の経営が悪化した場合,どのような時期にどのような措置を講じるのかということと,金融機関が破たんした場合,どのような処理方法を選択するのかという二つの側面がある。

金融機関の経営が悪化した場合にどのような時期にどのような措置を講じるのかという側面については,アメリカでは近年のS&Lの大量破たん時において破たん処理の先送りが結果的に破たん処理コストを拡大したことを教訓として,自己資本比率を5つの段階に分けて,自己資本比率が低下した金融機関に対してルールに従って定められた是正措置を採る制度が導入されており,自己資本比率が著しく低下した場合には,倒産手続きを開始することができることになっている。自己資本比率という基準が銀行の経営状況のすべてを表すかどうかについては議論もあり,完全に裁量を排除することは適切ではないであろうが,大枠としてより透明なルール化が望ましいと考えられる。

次に,金融機関が破たんした場合にどのような処理方法を採るかという側面については,通常,あらかじめ決められていることはなく,個別の事例に応じて裁量的に決定されている。これは,破たんした金融機関を一律に清算した上で営業を解体すると,破たん金融機関の有している審査のノウハウや人的資源,取引先との継続的関係等が失われ,必ずしも望ましい結果とならないこともあることから,処理方法の決定においては,破たん金融機関の財務状況等個々の事情を考慮して判断することが必要となるためである。アメリカの例をみても,あらかじめ処理方法が定められておらず,ペイオフ(保険金の支払い)を伴う清算,旧債務者や株主の責任を追求した上での営業の全部の譲渡等,種々の処理方法の中から,個々の事例に応じ最も処理コストが低くなるような方法が選択されることとなっている( 第3-4-6図 )。

(情報の開示及び決済システムの強じん性の確保)

以上のような規制制度改革の流れを概括すると,銀行の行動を直接規定するような強い規制から銀行のインセンティブを適切に導いていくような緩やかな規制へ,規制の範囲としては,銀行業務全体を対象とする包括的な規制から必要最小限の部分についてのみ規制と保護を提供する限定主義へ,裁量的規制からよりルールにのっとった規制へということであろう。言い換えれば,市場重視型の規制制度への転換といえるであろう。そうした市場重視型規制を支える不可欠の要素として,情報の公開と決済システムの強じん性を指摘できるであろう。

市場参加者が自己責任で行動するためには情報の疎通が必要であり,当局のみが情報を握っていたのでは自己責任原則を貫徹することはできない。また,銀行行動のモニタリングについても,銀行自身の自発的なリスク管理努力を積極的に活用すべきである。また,銀行自身によるディスクロージャーや民間格付け機関による情報提供等を通じ,市場のチェックメカニズムを活用した金融機関経営のコントロールも重要である。

金融規制のスタンスを,システミック・リスクをゼロとする強い保護・規制から,市場重視型へ転換してきた以上,ある程度銀行が破たんすることは避けられない。そのとき,決済機能が十分な頑健性を持っていることが重要である。決済のための銀行間資金移動が巨額化し,ある銀行の決済不能がシステム参加者のかなりの決済不能に波及すると指摘されている。これに対しては,決済のタイム・ラグの短縮と銀行のリスク管理が基本的な対応となろう。タイム・ラグの短縮については,既に,93年に全国銀行間の決済の同日化が実施されたところである。また,大口資金決済については,即時に決済を行ってしまうリアルタイム・グロス決済システム(RTGS)の採用が有力な手段であると指摘されている。銀行のリスク管理については,リアルタイムでの残高管理,未決済残高の制限,銀行同士による流動性のプールや決済不能による損失のシェアリング等が考えられる。

いずれにせよ,銀行の行動規制を最小限のものとし市場の活力を最大限に引き出す規制制度においては,銀行破たんのリスクやシステミック・リスクはゼロではない。システミック・リスクが生じれば様々な混乱が生じるであろう。しかし,市場重視型に規制制度を改革していくのであれば,そうしたリスクを嘆いたり非難することは必ずしも建設的でなく,いかにリスクを管理するか,リスクが顕在化した場合どのような対応を採るかという点について検討を深めるべきであろう。

2. 社会保障

公的年金や医療保険等の社会保障は,国民生活の基本的な部分を保障する役割を果しており,国民生活の安定を維持するためになくてはならないものである。しかし,急速に高齢化が進展しつつある我が国の現状を踏まえると,その制度を不断に合理化・効率化する努力が要請されている。ここでは,年金,医療,老人介護について現状と課題を概観し,改善の方向性を探ることとする。

また,年金,医療,介護の問題を考えるに際しては,社会保障制度全体の効率性を図る観点から,これらの分野を整合的に整備していくことが不可欠である。例えば,本来介護を受けるべき高齢者が病院等の医療機関に入院していることから非効率が生じており,介護と医療の機能分担を明確とする必要がある。また,世代間扶養の仕組みにより年金を受給している高齢者が他の社会保障制度からも医療や介護サービス等の受益を受ける場合には,高齢者の保有する資産の活用を含め適切な費用負担を求めていく必要があろう。こうした点を踏まえ,社会保障制度全体を通じて給付と負担の均衡を図っていかなくてはならない。

(1) 公的年金

(公的年金の現状)

公的年金については,人口の高齢化が進展していく中で,公的年金制度を長期的に安定させるとともに,将来にわたり給付と負担の均衡を図ることが必要とされている。こうしたことを受けて,94年の改正により,支給開始年齢の引上げ,保険料率の引上げ,ネットスライド制の導入等の大幅な改革が行われた(コラム参照)。公的年金制度は世代間扶養の仕組みをとっており,①現在の親の世代は私的にその親の世代を扶養していたこと,②高齢化・少子化の進行に伴い親を扶養する負担は必然的に増加すること,③現在の現役世代は経済復興の成果を享受していることなどから,単純に世代間における本人の負担した保険料総額と年金受給総額とを比較することは適切ではない。こうした点をあえて捨象し,厚生年金に加入している大卒男子について,一定の仮定をおいて世代別に年金の給付と負担の生涯賃金比率を試算すると,世代によって給付と負担の生涯賃金比率は異なるという結果になる( 第3-4-7図 )。給付と負担それぞれの生涯賃金比率を世代ごとにみると,給付の生涯賃金に対する比率は1960年度生まれの世代で約24%,1995年度生まれの世代でも約24%で,今後生まれる世代についてもほぼ同じである。一方,保険料の自己負担分の生涯賃金に対する比率は,1960年度生まれの世代で約10%(企業負担分を含めると22%),1995年度生まれの世代で約17%(同35%),今後生まれる世代についてもその水準でほぼ一定となる。なお,この試算は,平均余命まで健康を維持する各世代の大卒男子の一例を示した結果であり,実際には現役時代に障害を負う,ないしは死亡する場合に給付される障害年金や短期遺族年金等を考慮すると,給付額の生涯賃金比率は本推計よりも大きくなることには留意する必要がある。


コラム

公的年金制度について

我が国の公的年金制度は,厚生年金保険,共済組合に加えて61年に国民年金が発足し,国民皆年金が制度的に確立された。その後,数々の改正が実施されてきたが,73年,86年及び94年の制度改正が注目に値する。

73年には現役世代の賃金水準の一定割合を年金水準として設定するという考え方が採用され給付水準が大幅に引き上げられたほか,インフレから年金生活者を守るために物価スライド制が導入された。この時点で公的年金制度が実質的に積立方式から賦課方式へ移行したといえる。86年には年金制度間の格差を是正するために制度体系の再編成が行われ,全国民共通の基礎年金が導入された。こうした一本化によりいわゆる「二階建ての給付構造」となったのである。94年の改正では急速な高齢化の進展をにらみ,保険料率の段階的引上げ,老齢厚生年金の支給開始年齢の引上げ,年金受給者の賃金再評価の指標のグロススライドから税・社会保険料を控除したネットスライド制への切替えが実施され,「給付と負担の適正化」が図られたのである。

公的年金制度の体系


(公的年金の課題)

公的年金は,老後の所得保障の主柱として,高齢者の老後生活を実質的に支えていくことをその役割としている。こうした公的な形で生活の基本的な部分を保障する年金制度を整備することは必要であるが,高齢者世代への給付と若年世代の負担の適切なバランスを確保することに留意する必要がある。

公的年金制度においては物価上昇等に対応して給付の実質価値を維持し老後の所得保障を確実なものとするために世代間扶養の仕組みが重要な役割を果たしている。この場合,高齢化・少子化が進展する過程では,世代によって給付と負担の割合に差異が生じることとなるが,今後とも社会経済の変化に対応して将来世代の負担が過重なものとならないよう,必要な制度改革を行い,給付と負担のバランスの確保に努めていく必要がある。

また,現行制度では,公的年金がリスクヘッジしている部分以上の所得変動のリスクをどの程度ヘッジするかは,貯蓄や私的年金のような民間等のイニシアティブに委ねられている。多様化する老後のニーズに応え,より豊かな老後生活を確保するという私的年金等の特性を踏まえ,今後とも公的年金と私的年金等の適切な役割分担を行っていく必要がある。

(2) 医  療

(マクロ的な観点からみた医療費の動向)

日本の医療費は相対的に低い費用で高い健康水準を達成しているとされる。OECDのクロスセクションの比較でみると( 第3-4-8表 ),日本の医療費の対GDP比は7%強で,OECD平均の8.1%を下回っている(ちなみに,最も高いのはアメリカの14.1%)。日本の医療費の対GDP比の時系列的推移をみると,60年の3.0%から80年の6.6%まで他の国と比較してもかなり急速に上昇してきたが,80年代にほぼ横ばいと抑制されてきたものの,90年代に入って再び上昇している。

このような医療費の増加を価格要因と数量要因とに分解すると( 第3-4-9表 ),日本では医療数量はかなりの増加を示したものの,医療相対価格が比較的緩やかな上昇にとどまったことが主たる要因であると考えられる。特に60年代及び70年代に数量が急増した背景には,61年に国民皆保険が達成されたり,医療保険の給付率が引き上げられたことがある。ただし,80年代には自己負担率の引上げ等の医療保険制度改革等もあって数量の増加率は低下し,相対価格の上昇は若干加速している。90年代にも引き続き数量が他国に比べて高い率で増加しており,相対価格の低下により実質医療費を抑制している。なお,アメリカでは,数量の伸びはそれほど大きくないものの,相対価格の上昇率が高いために実質医療費が大幅に増加する形となっている。医療相対価格の内訳をみると( 第3-4-10表 ),日本では入院費,手術・処置費,薬剤費とも80年代を除いて相対価格が低下しているが,特に薬剤費価格の低下幅が大きい。これは,薬価差益等の問題もあって高かった薬剤費価格を引き下げてきたことによるものである。しかしながら,依然として日本における薬剤比率は国際的にみて高い水準にある。

医療費を診療行為別にみると( 第3-4-11表 ),投薬及び注射が大きくシェアを低下させている一方,入院が大きくシェアを上昇させている。ただし,投薬及び注射はシェアが大きいことから80年代前半を除いて寄与率は大きく,特に90年代に入って再び大幅な寄与を示している。また,検査や手術,画像診断はシェアは小さいものの寄与率は比較的大きい。特に70年代後半から80年代前半の寄与率は大きなものとなっており,これは自動血液化学分析やCTスキャナー等の技術革新によるものと指摘されている。一方,80年代後半以降,検査,手術,画像診断のシェアが安定化していることは,こうした「費用誘発型」技術革新が落ち着いてきたことによるとの指摘がある。

(人口の高齢化と医療費の動向)

高齢化の進展により,医療費が大幅に増加してきたと言われているが,ここでは,高齢化がもたらす医療費の増加がどの程度であったかを試算してみよう。

まず,これまでの医療費の推移を振り返ってみると,国民医療費に占める老人医療費のシェアは,75年の13%から93年には30%強へと着実に増加している( 第3-4-12表 )。これは,老人一人当たり医療費の増加と老人数の増加という二つの要因に分けることができ,両者の寄与はほぼ半々となっていることがわかる( 第3-4-13表 )。さらに,老人一人当たり診療費の推移を三つの要因に分解してみると( 第3-4-14図 ),一件当たり日数は減少傾向にあるものの,受診率及び一日当たり診療費は増加傾向にあり,老人一人当たり診療費は増加の一途をたどっている。この結果,老人と老人以外の一人当たり診療費の比率は,最近若干低下しているものの,93年度で5倍弱となっている( 第3-4-15表 )。

次に,医療費(一般診療医療費と歯科診療医療費)の伸び率と高齢化の寄与度(人口の高齢化のみの要因による医療費の伸び率)をみると( 第3-4-16表 ),医療費の伸び率が鈍化する中で,高齢化の寄与度は足元にかけて上昇しており,これが医療費を押し上げる要因となっていることを示している。老人一人当たりの医療費の合理化・効率化により,老人医療費の増加を抑制する必要があることは言うまでもないが,さらに医療全般にわたる合理化・効率化が求められているのである。

(効率的な医療に向けて)

医療では患者(需要側)と医師(供給側)の間の情報の非対称性が大きく,市場メカニズムが働きにくいとされる。特にアメリカの医療事情を念頭に置いて,供給側の情報の優位性に基づく医療費の高騰が懸念されているが,既に述べたように,マクロ的にみると,これまでの日本の医療費の対GDP比は相対的に低い水準にとどまっていた。これは,経済成長率が高かったことに加えて,診療報酬が公定されてきたこと等によるものである。しかし,近年の経済基調の変化に伴い,医療費の伸びと経済成長率との間にギャップが生じ,医療費の相対的な負担が高まりつつある。

他方,ミクロ的にみると,医療の「質」の面では問題点が指摘されており,この背景には,需要側と供給側の双方の問題点が密接に絡んでいると思われる。まず,需要側の問題点として,コスト意識の不足による医療への過剰需要が発生していることがある。このため,薬剤の多剤併用などによる過剰使用や検査費用の増加という諸問題が発生してる一方で,対面的な治療や看護が相対的に少なくなっていると考えられる。

このような需要側の問題点を解決するために,今後は,給付と負担の公平を図り,適切なコスト意識を喚起するという観点から,患者負担のあり方を見直すなど,価格メカニズムを活用して,無駄な医療費を効率化することを考えていかなければならない。例えば,70年代前半に老人受診率が一時急増した後,80年代に外来で一時的に減少したのは,73年の老人医療費の無料化と82年の一部自己負担の導入に関係するとみられる(平成7年度年次経済報告,第3-2-9図)。この観点から考えると,患者負担のあり方によっては限界的な医療のコストがゼロに近くなることから,過剰な医療需要が生じている可能性がある。したがって,自己負担を引き上げることや老人医療費の一部自己負担を適正化すること等により,デッドウエイト・ロスを少なくすることができ,医療費の効率化にもつながるだろう。

次に,供給側の問題点として,一般医と専門医,また医療と老人介護が十分に分離されていないことが指摘されている。第一点目については,高度の医療を必要としない患者が専門病院へ殺到して混雑現象が生じていること,第二点目については,老人介護のための施設が整備されていないために,治療をそれほど必要としない老人を病院に入院させること(「社会的入院」)がある。このような問題に対しては,以下のような改善を行うことにより,医療の質を高めつつ医療費の効率化を図ることが可能である。

まず,一般医と専門医を分離して,患者は最初に一般医に行きそこで必要と認められれば専門医の診察を受けるというシステムにすれば,不要な高度医療や混雑現象を避けることができると指摘されている。また老人医療費の入院・入所分4.3兆円のうち,6か月以上の長期入院患者に要する費用(老人保健施設など介護的要素の大きい部分を除く)は1兆円強とされる(平成8年度厚生白書,第2部第3章第2節22))が,6か月以上入院している老人のすべてが社会的入院とはいえないであろう。しかし,高齢者は,医療を主とする病院で介護されるよりも,心身の状況によりよく対応できる形態で介護されることが望ましく,またそのことにより医療及び介護の両面で効率が高まると考えられる。

また,十分な治療を受けたいという患者の希望や医師と患者の間の情報の非対称性のため,医療需要が供給側の判断に左右されやすいという面があり,医師や病床といった供給側を管理することが医療費の効率化を図ると指摘されている。同時に,適切な診療報酬の設定と相まって,医療情報の開示と共有を促進することなどにより,競争を促進するという政策と組み合わせることが重要であることにも留意する必要がある。このような観点から,医師側の過剰診療を抑制する各種の仕組みを工夫しつつ,供給側の競争を促進することも考えられる(コラム参照)。

最後に,医療関連機関が経営の効率性をさらに高める余地があるのではないかという指摘もある。例えば,営業費用が多いために製薬会社の研究開発投資が十分ではなく,また,革新的な新薬開発費の比重が低いために,国際競争力もないなど成果はそれほど出ていないとの指摘もある。


コラム

医療供給の新しい方法~アメリカHMOの例~

アメリカではHMO(Health Maintenance Organization,健康維持組織)と呼ばれる新しい医療供給方式が,医療費抑制に一定の成果をあげている。

これまで,医師・病院の収入は使用した薬の量や機器,医師の技術料等によって決められる出来高払い制となっていた。日本の診療報酬制度も基本的に出来高払い制である。出来高払い制の下では,医師は多くの薬を使い,たくさんの患者を診察するほど収入が増える。このため,医師は治療に当たって費用対効果については考慮する必要がない。これに対して,80年代にアメリカで広まったHMOは,医療保険会社であると同時に医師・看護婦を雇い,病院等を経営している。HMOの加入者はあらかじめ一定額を支払う契約を結び,この料金だけで必要な治療や定期検診・健康増進サービスなどを受けるシステムとなっている。病気になったときには,HMOの一次医療を担当する医師に診察を受けその医師が必要と判断した場合にのみ,更にHMO内の専門医の診察を受けることとなる。過剰診療によるコストの増加は病院・医師を含めたHMO自身が負担することとなり,医師・病院側に医療費抑制の経済的な動機が生まれる。もちろん,ここで医療の質の維持が懸念されるが,加入者が幾つかのHMOについて内容を比較・選別することができれば,質の問題は回避できる。

以上のように,HMOは保険提供と医療供給とを統合することにより過剰診療を回避する誘因を与え,HMO同士を競争させることにより質の確保と医療費の抑制を図るものである。

現状のHMOでは,寡占に近い状態となり競争が確保できていないこと,また,診察を受けるときの選択の自由が制限されること,等の問題もある。こうした問題に対して,HMOが医師・病院と契約する形で診療を受ける場合の選択の幅を広げたり,一部出来高払い方式を取り入れるなど,HMOの発展形ともいえる様々な方式ができてきている。


(3) 老人介護

急速な高齢化社会を迎えて,老人介護をどうするかは極めて重要な課題であるが,これを考えるに当たっては,例えば,以下の二つの点に留意しなければならない。第一点目は,前述したように,現在,慢性疾病の老人が長期間一般病院で入院療養を行っていることである。第二点目は,在宅サービス及び家族による介護という形態で在宅ケアを行う場合,家族の負担を金銭換算したものを明示的に考慮しなければならないことであり,ここではこの点について考える。

(在宅介護に要する家族の負担の金銭換算)

まず,在宅介護に要する家族の負担を金銭換算してみよう。(財)長寿社会開発センター「高齢者在宅介護費用の研究」によると,介護用品の費用や医療費を含む在宅介護費用(ホームヘルパー等福祉関連サービスを除く)は月2.7万円であり,障害の程度とはあまり関係がみられない。一方,介護時間は平均で一日5時間25分であるが,障害の程度とともに大きく異なり,最も自立度の高いAランク(屋内ではおおむね自立,外出に介助が必要)では3時間22分,最も重度のC2ランク(自力で寝返りも打てない)では6時間9分となっている。特にC2ランクでは,10時間以上介護する世帯がかなり多くなっている。そこで,こうした介護時間をパート賃金(832円/時間)とホームヘルパー賃金(1,300円/時間)で置き換えてみると( 第3-4-17表 ),家族の介護負担を金銭換算したものが,施設ケアの費用と比べて必ずしも低くはないという結果が得られた。ただし,家族の介護負担をどのように金銭換算するかは議論の残るところであり,この結果は幅をもって解釈する必要がある。

次に,家族介護の負担を金銭換算したものについて,「新ゴールドプラン」ケースと「施設重視」ケースの2つのケースについて推計してみよう。ここで,「新ゴールドプラン」ケースは同プランの2000年時点での在宅・施設比率を固定したケースであり,「施設重視」ケースは更に施設ケアの割合を高めて,在宅要介護老人と現役世代の比率が2000年以降高まらないようにしたケースである。推計結果をみると,パート賃金を用いた場合,マクロベースでの家族介護を金銭換算したもの(介護用品の費用や医療費を含む)は,1993年時点で2.2兆円であるが,2025年時点で,「新ゴールドプラン」ケースは16.1兆円であり,「施設重視」ケースは6.1兆円である( 付注3-4-2 )。

(老人介護の在り方)

上記の家族介護の負担の金銭換算においては,ホームヘルパーの賃金が今後,年率3%で上昇すると仮定しているが,老人介護は労働集約的な作業であり,ホームヘルパー等のマンパワーの確保が不可欠であり,将来的には,ホームヘルパーの賃金や待遇の改善が必要となることも考えられる。また,在宅サービスに要する費用は,ホームヘルパーの稼働率や往復時間等により,異なることが考えられる。例えば,在宅ケアの先進国といわれている北欧では,老人アパートのような形態で集中して老人介護を行う方式を採っている(コラム参照)。このため,要介護老人が分散している場合に比べて,ホームヘルパーの稼働率の上昇や往復時間の節約等により効率的であるとの指摘もある。特に,在宅ケアのコストは障害の程度とともに増大し,重度の障害の老人は施設ケアの方が望ましい場合がある。

老人介護については,公的介護保険を基本としつつ,通常必要とされる介護サービス以外の部分については,個人の選択により貯蓄や民間介護保険等を活用していくことも考えられる。さらに,持家等の資産を蓄積している高齢者に相応の負担を求めることによって,負担と給付のバランスを図る観点から,資産を蓄積している高齢者については,資産の流動化を通して介護費用に充てることが可能となるような制度を整備することも考えられる。

公的介護保険の在り方を考えるに当たって重要なことは,国民負担の規模がどの程度になるのか,さらにそれをどのように負担するのかといった点を明確にすることであろう。介護サービスを充実させつつ,在宅ケアを重視する場合には,家族介護の負担を金銭換算しないと,一見したことろ介護費用が軽減されるように思われるが,実際には社会的な費用が明示されなくなるに過ぎない点に留意すべきであろう。将来の老人介護に要する費用を適正に見積もらないと,年金の場合と同様に,将来世代が受益と負担の格差に直面する可能性が強い。人口の高齢化の進展により,ある程度の世代間所得移転は避けられないであろうが,できるだけ各世代で負担と受益の一致を図るような制度設計が必要と考えられる。


コラム

デンマークの在宅介護

デンマークは,手厚い高齢福祉サービスが豊かな老後を支える国という高い評価を得ているが,これは高齢者用住宅を柱とした効率的な介護システムの賜物であるといわれている。デンマークの介護の特色として,施設介護よりもむしろ在宅介護が重要な役割を果たしていることが挙げられる。在宅介護とはいうものの,その内容は,日本に多くみられるような家族介護ではなく,介護付きの高齢者用住宅の建設及びその居住者に対する介護サービスが中心となっている。その目的は介護の質を上げることだけでなく,介護コストの抑制という意味合いも強い。

デンマークにおいても,以前は訪問看護婦,ホームヘルパーは平日の日中しか勤務しておらず,夜間の介護が非常に困難であった上,プライエム(日本の特別養護老人ホームにあたる)の床数は不足しており,人口の高齢化が進むにつれ,70年代後半には,社会的入院が増大した。こうしたことによる介護コストの増大を抑制するため,80年代に入り,多くの地方自治体で24時間の在宅介護制度の導入が決定された。すなわち,訪問看護婦,ホームヘルパーを増員する一方で,施設管理費用のかかる既存のプライエムを介護付きの高齢者用住宅に転用してコストを削減するとともに,高齢者の自立を促し過剰な介護を極力減らした。また,高齢者用住宅は地域の幾つかの拠点ごとに集中的に建設されており,介護者の移動コストを低く抑える工夫も行われている。

介護サービスの内容をみると,高齢者は,家庭医の往診を中心とした医療サービスを受けるとともに,地方自治体の在宅介護センターから,掃除や洗濯,買い物,料理といったホームヘルプサービスだけでなく,地区の看護組織のサービス,食事の配送といったサービスも受けることができる。これらのサービスは24時間体制で提供されており,質量共にサービスの水準は高い。これらのサービスの多くは公費で負担されているが,配食サービス等一部自己負担が求められているサービスもある。

もっとも,デンマークの高齢化は依然として進行しており,これが財政を圧迫しているため,介護費用の抑制が引き続き大きな課題となっている。現在,ホームヘルパーのサービスの一部を廃止して在宅訪問の時間を減らすような方向で政策変更が進められている。


3. 所得分配

日本は所得分配が比較的平等であるといわれてきたが,80年代の後半にバブルとともに所得・資産格差が拡大したといわれる。特に,キャピタルゲインによる資産格差の拡大は,分配の不平等さの拡大とともに,そうした不平等が世代を通じて持続する懸念もある。ここでは,こうした傾向がどの程度反転したかをレビューするとともに,資産格差の要因として遺産相続がどの程度重要かを定量的に検討することとしたい。

(1) 所得分配と資産格差

(所得分配)

94年の家計の年間収入の平均値は785万円であったが,その所得階級別の分布をみると( 第3-4-18図 ),高所得階層へすその長い分布になってはいるが,それほど顕著な偏りは見受けられない。しかし,所得分布の不平等度を表すジニ係数の推移をみると( 第3-4-19表 ),それほど大きなものではないが緩やかな上昇傾向にある。以上のように,所得分配の不平等度はそれほど大きくはないが,上昇傾向が継続していることには留意すべきであろう。このような不平等度の上昇の背景を勤労者世帯についてみると( 付表3-4-3 ),勤め先収入の89年から94年にかけての増加率はそれほど所得階級ごとに異ならず,どの階級でも世帯主の収入よりも配偶者やその他世帯員の収入の増加率が高くなっている。所得階級が高いほどその他収入のウエイトが高いため,結果として,高い所得階級ほど収入の伸びが高くなっている。これは,フルタイムで共稼ぎをするかどうかが所得分布を決定する状況になっているといえるであろう。

(資産格差)

94年の資産保有額をみると( 第3-4-20表 ),住宅・宅地資産が4,294万円,その85%が宅地資産であり,貯蓄額は1,318万円,負債を差し引いた金融資産は847万円であった。所得・資産の分配の不平等度をジニ係数で比較すると(前掲 第3-4-19表 及び 第3-4-20表 ),年間収入は0.297,貯蓄現在高は0.538,住宅・宅地資産は0.641と,住宅・宅地の不平等度が最も高くなっている。以上より,分配の問題を考える際には,土地資産が重要であるといえるであろう。

80年代の後半に土地資産格差が拡大したが,この格差拡大は専ら資産価格上昇によるキャピタルゲインによるものと指摘されている(平成2年度年次経済報告,第3章第1節)。バブルの崩壊によってこうした傾向はどの程度解消したであろうか。家計調査等を利用した土地資産のジニ係数の推計をみると(平成7年度国民生活白書,第II部第1章第7節),85年の0.564から89年には0.651となり,94年には0.604となっている。94年のジニ係数は依然として85年を上回っており,バブル崩壊後も土地資産格差がかなり残っていることを示している。さきにみた全国消費実態調査では,84年の住宅・宅地資産額は推計されていないが,89年と94年を比べてみると,住宅・宅地資産額は89年の4,502万円から94年には4,294万円へ低下し,うち宅地資産額は1割程度の減少となっている(前掲 第3-4-20表 )。住宅・宅地資産のジニ係数も89年の0.680から94年には0.641へ若干低下している。しかし,住宅・宅地資産の度数分布をみると( 第3-4-21図 ),その形はあまり変化しておらず,それほど顕著な不平等度の縮小がみられるわけではなさそうである。

(2) 遺  産

近年,資産蓄積が進むとともに,相続される遺産の額も増加し,資産保有における遺産相続の役割が上昇している可能性がある。もし遺産が保有資産のかなりの部分を占め,それが世代を越えて移転される傾向があれば,ある世代における所得・資産格差が世代を越えて持続する可能性もある。遺産に関する統計はあまり整備されているとはいえないが,いくつかの手掛かりを探ってみよう。

まず,相続によって世代間を移転される遺産額をいくつかのケースについて推計してみると( 第3-4-22表 ),被相続人一人当たり5,000万円から7,000万円程度の遺産が子供の世代に移転されることになると推定される。こうした遺産額が家計の正味資産に占める割合を推計すると( 第3-4-23表 ),世代間の移転がどの程度の時間をかけて行われると想定するかに依存するが,家計資産の2割弱から3割弱が遺産により世代間移転がなされた部分であるとみられる。以上の推計は様々な仮定に基づいたものであり,かなりの幅をもってみる必要があるが,資産蓄積における遺産の重要性を示しているといえるであろう。

次に,こうした世代間移転が幾つもの世代を通じて持続的な影響をもつかどうかをチェックしてみよう。その一つの手段として,郵政研究所の行った第4回「家計における金融資産選択に関する調査」(平成6年度)をみてみよう。まず,遺産についての考え方をみると,いかなる場合でも残すとするものが16.5%,面倒をみたり事業を継いだら残すとするものが6.5%,余ったら残すとするものが47.8%,残す必要はないとするものが23.5%となっており(他は不明),遺産を残そうとする傾向がうかがえる。他方,既に相続を受けたことがある者は19.8%,今後遺産を相続すると思う者は29.9%おり,あわせるとほぼ半数が相続することができると考えていることになる。次に,保有資産額と遺産を残そうとする傾向の関係をみると,貯蓄保有額と遺産動機とは緩やかな関係があるが( 第3-4-24図 ),実物資産額と遺産動機とはかなり強い関係がある( 第3-4-25図 )。資産額と遺産動機とは必ずしも因果関係を表すものではないが,高額資産保有者ほど遺産を残そうとする傾向が強いといえる。また,相続経験がある人ほど遺産を残そうとする傾向がある( 第3-4-26図 )ことから,資産格差は相続を通じて維持される傾向があるといえるであろう。

こうした遺産相続が資産形成にどの程度重要かを検討するために,さきに家計資産に占める遺産額の割合を推計したが,ここでは郵政研究所のアンケート調査を利用して受け取った遺産額別の保有資産額を計算してみよう( 第3-4-27図 )。それによると,受け取った遺産額が大きいほど保有資産が大きいということが読み取れ,遺産額と資産形成の格差の間にある程度の関連を認めることができよう。

(所得・資産格差の評価)

以上でみたように,所得格差はそれほど顕著な拡大をみせておらず,資産格差は縮小している。しかし,所得格差が必ずしも縮小しているわけではないこと,資産格差は縮小したといってもバブル期以前の状態には戻っていないことにも留意する必要があろう。さらに,資産形成における遺産相続の役割はかなり大きいものであるといえるであろう。

戦後の日本は所得・資産格差が比較的小さく,それが社会的安定の維持や階層分化の防止に役立ってきたと評価できる。何よりも,所得・資産格差が固定していないことが,人々の意欲を引き出し,また能力の発揮を妨げないという意味で,経済の活力を高めたといえるであろう。

もちろん,やみ雲に所得・資産格差を是正することが唯一の目標となるわけではないが,できる限り個人の責に帰すことのできない所得・資産格差を発生させないことが,公平性の点からも,また,社会の活力という点からも重要なことと考えられる。こうした観点から,所得・資産格差の動向を注視していく必要があろう。