平成7年

年次経済報告

日本経済のダイナミズムの復活をめざして

平成7年7月25日

経済企画庁


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第3章 公共部門の課題

第4節 公共部門の役割

本節では,戦後50年を振り返って日本の公共部門がどう変化してきたかをみた上で,国際的な視点も踏まえてその特徴を調べる。さらに,政府規模や公的規制といった公共部門の在り方とマクロ経済の関係について,国際的なデータからの検証を中心に明らかにする。最後に,今後の公共部門の課題について論ずることとする。

1. 日本の公共部門:戦後50年

日本の公共部門の役割は,戦後どのように変化したのだろうか。以下では,この問題に取り組むに当たって,長期にわたって整備されている財政統計と,55年又は70年からしかデータが取れないが経済的機能に合わせた分類となっている国民経済計算の両方に基づいて調べていく。また,公共部門という概念を幅広くかつ重層的にとらえ,狭い意味の「政府」の回りに公的企業などがあり,その外側に公益法人や政府の委嘱を受けたボランティアがいわば準公共部門として存在していると考える。さらに,公的規制の対象となっている産業についても検討を加える。

(財政統計でみた公共部門)

狭い意味の財政は,国及び地方公共団体の歳出,歳入で代表されるが,そのうち国の一般会計及び地方の普通会計が中心部分を形成している。

国の一般会計をGNP比でみると( 第3-4-1図① ),毎回の景気循環に伴う変動を別とすれば,膨張と改革の大きな波が2回ずつ生じている。最初の膨張は,終戦直後の対外処理や産業経済の応急的な復興のためであり,その後は対外処理費が自然減となるなかで54,55年度には国際収支対策の観点から本格的な緊縮政策が採られ,産業経済費の削減などにより財政規模は大幅に削減された。これに続く高度成長期には財政規模が拡大したもののGNPにおおむね見合う形となっていた。次の膨張は,73年の「福祉元年」や74年のマイナス成長に代表される成長屈折への対応が生じた70年代である。この時期には社会保障関係費が急速に増加するとともに,地方財政費,国土保全開発費,教育文化費の増加も目立った。一方で,こうした歳出増を賄うため,75年度補正予算において特例公債が発行されている。また,国債費が大幅に増加するのもこの時期である。これに対する改革の動きは,80年を「財政再建元年」として開始された。特例公債脱却を目指して,社会保障制度の適正化,補助率の引下げなどが図られたが,結果的には国土保全開発費が大幅に縮小したほかは,高齢化によってニーズが高まった社会保障関係費はおおむね横ばいとなっている。

地方の普通会計については( 同図② ),国の場合と違って50年代から70年代の初めまでは目立った変化はなかった。70年代には国と同様に急速な膨張をみせたことから,続く80年代に入って行財政の簡素効率化などが図られたものの,80年代後半以降地方単独事業が積極的に拡大されたこと等により,規模の縮小がみられなかった。この間,地方債の発行が増加し,92年度には国と同程度となった。なお,地方の歳入で大宗を占める「その他」の過半は,地方交付税交付金と国庫支出金(補助金等)からなっている。

財政投融資計画は53年度から策定されているが,その内容は国民のニーズ,社会経済情勢を反映し変化してきている( 同図③ )。例えば,60年度には財政投融資計画中13.6%を占めていた産業・技術は93年度には3.5%となる一方,住宅,生活環境整備等の国民生活基盤の充実に直接役立つ分野への資金配分のシェアは,60年度には47.2%であったものが93年度には68.8%まで増加している。

(国民経済計算でみた公共部門)

国民経済計算では,政府によって所有かつ支配されているものを公共部門(国民経済計算上は「公的部門」という。)とし,これは一般政府と公的企業から成る。具体的には,国の出資の有無,資金調達・運用の方法,役員の任免権,予算・決算についての国会審議の有無などで公共部門の範囲が決定されるが,その業務内容が,政府そのもの,又は政府の分身で代行的性格が強いものを公共部門,政府は脇役にすぎず,独立の運営主体となっているものを民間部門としている。その上で,企業的性格の強いもの(コスト回収基準,大規模性)を公的企業,それ以外を一般政府としている。さらに,一般政府は中央政府,地方政府,社会保障基金に分類される。

一般政府の支出をGDP比でみると( 第3-4-2図 ),前述の国の一般会計や地方の普通会計の動きを反映する形で,70年には19.0%であったものが,80年には29.0%に達している。その後はやや低下傾向であったものの,93年には景気対策として公共投資が増加したこともあって31.0%となった。80年までの上昇には全形態が寄与しているが,特に大きく寄与したのが社会保障給付・社会扶助金等である。社会保障給付・社会扶助金等はその後も上昇への寄与を続けており,93年には12.3%を占めるようになった。このうち最終消費支出を目的別にみると,その構成は変化の乏しいものとなっている。そうしたなかでも,産業政策等の経済サービスの割合が低下し,住宅,社会保障・福祉サービスの割合が高まっていることが指摘できる。固定資本形成を目的別にみると,公共投資の省庁別配分があまり変化していないにもかかわらず,顕著な変化が生じていることが読み取れる。すなわち,住宅・地域開発の割合が高まる,この観点からはニーズに合わせた対応がなされてきたと考えられる。

公的企業の規模を測るのは容易ではない。最初に,公的企業を含む特殊法人数の推移をみてみよう( 第3-4-3図 )。ただし,例えば,事業団の大部分は一般政府に分類される一方,特殊会社であるJR各社やJTは民間企業に分類されるため,特殊法人の一部が公的企業であることに注意を要する。これによれば,特殊法人は50年代,60年代に大量に設立され,80年代には行財政改革の流れの中で減少している。そうして,公的企業の代表例である公団もこのときに減少がみられることが分かる。

次に,公的企業の設備投資のGDP比をみると,70~80年度は3%台,81~84年度は2%台であったが,85年度には電電公社,専売公社の民営化もあってその後は1%台となっている。これに対し,公的企業のうち公的金融機関の金融資産残高について日本の金融資産残高合計に占める割合をみると,70年の6.2%から93年の10.4%まで単調に高まっている。このように,公的企業はその数や実体経済面では日本経済に占める比重が低下している反面,金融面ではむしろ高まっているとみることができる。

(日本の公共部門の規模をどう評価すべきか)

以上のように,戦後の日本では公共部門の規模は70年代に大幅に拡大した。その後は行財政改革が図られ,規模の拡大は抑制されてきているが,縮小に向かわせるには至っていない。この背景としては,以下の点が指摘できよう。

第一は,人口構成の高齢化の進展である。70年代前半に社会保障水準を拡充した結果急激な支出拡大となったが,その後も縮小に向かわせるには至っていないことはこうした不可避的な動きが原因であると考えられる。

第二は,景気後退に伴う財政支出の拡大である。景気の回復を図るため,公共事業の拡充を行うなど財政が積極的な役割を果たした結果,公共部門が拡大したのである。

第三は,国際社会における我が国の責任の増大等に伴う新たなニーズの発生である。

しかし,他の先進国と比較すると,日本の政府支出(GDP比)が小さいことも事実である( 第3-4-4図 )。その構成をみると,日本は固定資本形成が多いものの,最終消費支出では防衛関係などの集合消費,社会福祉関係などの個別消費とも低くなっている。こうしたことが,日本の経済発展を支えてきた要因の一つとみることができる。日本の政府支出が国際的に小さかった原因としては,以下のことが考えられる。

第一は,高齢化が進展したといっても,国際的には人口構成が比較的若かったことである。

第二は,社会の成員が比較的同質であったことである。これは,所得再分配やきめ細かい行政サービスの必要性を相対的に低下させたといえよう。

第三は,後述のように,準公共部門が重層的に存在するとともに,民間部門が公共部門の役割を一部代行してきたという面である。後者の例としては,景気後退期には企業の中に必要以上の労働者を抱え込むことや,所得保障,福祉サービスの一部が家庭内で行われてきたことが考えられる。

ただし,公共部門を評価するに当たっては,単に政府支出の大小だけではなく,以下のような論点にも着目していく必要がある。

第一は,「潜在的に大きな政府」なのではないかということである。第2節で分析したように,高齢化の一層の進展に伴って政府支出の拡大が予想される。バランスシート面では,すでに「見えない政府債務」が膨大な額に達していることにもなる。

第二は,「機能的に大きな政府」なのではないかということである。準公共部門や公的規制についても,その役割や規模を不断に見直すことが必要である。

(準公共部門にはどのようなものがあるか)

国民経済計算において公的企業に分類される法人以外にも,何らかの形で政府と密接な関係にある法人や個人が存在する。

第一は,社会福祉法人,医療法人及び学校法人である。これらの法人は,政府の活動に不可欠な役割を担っているか,あるいはその一部を代替するものである。すなわち,社会福祉法人(93年度末の法人数14,502)はそのほとんどが社会福祉事業の措置委託を受けており,医療法人(93年度の法人数21,078)はそのほとんどが医療保険制度に参加している。また,学校法人(93年の法人数6,460)の一部は義務教育を提供している。これらの法人は,種々の公的規制下にある一方,助成措置や税制上の優遇措置の対象となっている。

第二は,社団法人及び財団法人からなる民法上の公益法人である。これらの法人は,文字通り公益のための活動を営むことを主たる目的として,政府(都道府県を含む)の許可を受けて設立されることとなっている。また,公益法人として税制上の優遇措置の対象となっている。ただし,政府との関係の深さは法人によって区々であり,行政の一部機能を代行しているものもあれば,独立的に活動を行っているものもある。公益法人の設立状況をみると( 第3-4-5図 ),戦後は60年代までは8年間で2,000~3,000件台であったが,70年度以降は8年間で5,000件台となっている。

第三は,政府から一定の役割を委嘱された個人であり,「行政ボランティア」というべきものである。そのうち最も公式の制度として,民生委員(93年の委嘱人数202,480)や保護司(同48,695)がある。これらは主務大臣の委嘱を受け,それぞれ社会福祉,更生保護に関する地域に密着した活動を行うものである。特に,民生委員の委嘱人数は,社会福祉ニーズの急速な拡大もあって,93年には60年の1.6倍以上に増加している。このほか,防犯連絡所など個々の官署等が独自に委嘱する制度もある。

(公的規制は減少したか)

日本の公的規制は国際的にみるとどのような状況であろうか(公的規制の意義については,平成6年度年次経済報告第3章第3節を参照。なお,公的規制には経済的規制を社会的規制がある。)。これを全産業ベースで比較するのはほとんど不可能であるので,ここでは,世界的に民営化を含む規制緩和が課題となっているトラック輸送,航空,電気通信,電力の各分野について,OECDがまとめた結果をみてみよう( 第3-4-6表 )。それによれば,日本では75年には全面的に規制されている分野が多かったが,90年には価格面での規制を除けばおおむね規制はなくなっている。これからは,ニュージーランドには及ばないものの,大多数のOECD諸国より規制緩和が進んでいると評価できよう。

ところが,公的規制の現状をより網羅的にとらえるため,その主要な部分を占める許認可等事項数でみると,85年の10,054件から緩やかに増加し,93年には11,402件となっている。もっとも,件数の増加と規制緩和の進展とは必ずしも矛盾するものではない。例えば,93年度中には27件の許認可がなくなり,136件が緩和(ただし,これは全体の事項数には反映されない)されるなど,規制緩和は行われているものの,新たな許認可等事項数が737件増加したため,全体では増加となったのである。ただし,94年には829件の廃止に対して372件の新設にとどまった結果,85年以来初めて許認可事項数は減少を記録している。これは,93年度中に行われた一連の経済対策等を契機とした見直しの結果によるものと考えられる。なお,許認可等の内容を用語の一般的な意義に着眼して規制の強さによって分類し,最も強いとされる許可,認可等のAグループだけについてみても,全体の件数とおおむね同様の傾向を示している。すなわち,92年まではわずかな増加で推移してきており,93年に一時的に増加が目立ったものの,94年には相当程度の減少となっている。

公的規制の対象となっている分野の割合を特定するのは容易ではないが,仮に関連法律の存在する分野を規制対象として試算すると,産業全体では90年の付加価値ベースで約42%が何らかの公的規制の対象となっていることは平成6年度年次経済報告で示したところである。産業別には製造業は14%であるが,建設業,金融・保険・証券,電力・ガス・水道,運輸・通信といった非製造業の分野は100%ないしそれに近い割合が何らかの規制を受けている。

今回は,同様の試算を65年ベースで行い,これを90年ベースの結果と比較してみよう( 第3-4-7表 )。まず,65年に遡及して関連法律の状況をみると,わずかな例外を除いて現在と同じである。これは,各産業に対する規制の内容に変化(規制緩和及び強化)はあるものの,一つの産業を新たに規制対象としたり,逆に全面的に規制対象から外すということがほとんどなかったためである。このように,カバレッジという意味では,公的規制は依然として広範に存在している。これに対し,各産業の付加価値がGDPに占める割合(産業構造)は,65年から90年に向かって製造業等は低下し,サービス業は上昇するというように大きく変化している。さらに,同じ産業内における規制対象分野の割合は,製造業,サービス業とも大幅に低下している。結果的には,規制対象分野の多いサービス業の割合の上昇を,製造業内における規制対象分野の割合の低下等が上回って,産業全体では65年の約48%から90年の約42%へと若干の低下が生じていることになる。

2. 長期的にみた公共部門とマクロ経済

ここでは,「財政規模の拡大は経済成長を鈍化させるのか」,財政支出の肥大化は実質為替レートを増価させるのか」,「財政赤字はISバランスにどの程度の影響を及ぼすのか」,「規制緩和はマクロ経済にどのような影響を及ぼすのか」,「負担の先送りはどの程度の厚生損失をもたらすか」といった点について検討する。

(財政のどのような面が成長に悪影響を及ぼすか)

政府が生産するものはサービスが中心で,その内容も民間の提供するサービスとは相違があり(したがって,そのために必要な資源の組合わせも民間とは相違がある),また,民間と類似のサービスを類似の資源を利用して生産する場合でも,市場での競争にさらされないことから効率面での問題が生じやすいことにより財政規模がマクロ経済に影響を及ぼしている可能性がある。さらに財源調達の際に供給面を通じて生ずる影響も考えられる。ただし,政府支出のうちでも公共投資については,第2章第6節でみたように,そうした効果が相対的に小さく,むしろ他の生産要素の生産力を向上させる面もあると考えられる。なお,「公共投資基本計画」(平成6年10月7日閣議了解)では,高齢化が本格化する21世紀を控え,国民が真の豊かさを実感できる社会を実現するために,本計画の実施に当たっては財政の健全性を確保しつつ,積極的な計画の促進に努めることとされている。

そこで,政府支出のうち政府消費に着目し,そのGDP比と経済成長率の関係をみると( 第3-4-8図 ),政府消費比率と成長率との間には,ここではマイナスの関係が観測された。なお,所得税税収のGDP比と成長率にもマイナスの関係が観測された( 第3-4-9図 )。

以上の結果をさらに検討するため,高齢化の速さが直接的に経済成長に影響するという面も同時に考慮しよう。その経路としては,第2節でみたように,労働力人口増加率と労働力率上昇率の低下を通じたものが考えられる。すなわち,出生率の低下に伴う労働力人口増加率の低下は,技術進歩率を高める方向に働くと考えられる。また,老年人口割合の上昇に伴ってマクロの労働力率が低下すれば,労働生産性と一人当たりGDPの成長率にかい離を生じさせる。そこで,一人当たり経済成長率を政府消費のGDP比,労働力人口増加率及び労働力率上昇率の三つの要因で説明を試みる( 第3-4-10表 )。その結果をみると,71~80年では高齢化に関する変数と成長率の相関が観測されるが,それ以外の期間及びプールされたデータでは観測されない。これに対し,政府消費のGDP比については,おおむねどの期間でも相関が観測される。したがって,高齢化要因を考慮したとしても,政府消費の増加が成長率を鈍化させるという関係が推測されよう。

なお,老年人口割合が高い国ほど一人当たり成長率が低い傾向がみられるが( 第3-4-11図 ),これは直接的な関係であるとは考えにくい。第2節では,老年人口割合が高い国ほど政府消費のGDP比も高くなる傾向があることを示すとともに,老年人口割合の「水準」と技術進歩率とは関係がないことをみた。以上を踏まえると,高い老年人口割合が政府消費の増加をもたらし,経済成長を鈍化させるという経路も考えられる。ただし,日本だけをとると,現在までのところこのような関係を示していない。なお,一般にクロスセクション分析では個別のサンプルの影響により,計測結果にバイアスが生じる可能性があり,サンプル等のとり方によっては異なる結果も出ることに留意が必要である。

(財政支出の肥大化は実質為替レートを増価させるか)

財政支出の肥大化は国内財に対する需要増加又は単位労働コストの増加を通じて,実質為替レートを増価させる可能性がある。

中長期的な財政政策が実質為替レートに影響を及ぼす経路としては,以下のような二つのメカニズムが考えられる。

第一は,永続的な政府支出の拡大があった場合,政府支出はどちらかというとその需要が国内財に現れやすいことから,国内財(非貿易財)の貿易財に対する相対価格を押し上げ,結果として実質為替レートを増価させるというものである。この議論の前提としては,貿易財への需要は完全に弾力的で価格は国際的に決まる一方,非貿易財への需要は完全には弾力的ではなく,かつ,国内における生産要素の部門間移動が不完全であることが必要である( 付注3-4-1 )。

第二は,所得税などの労働課税の強化が,労働組合による賃上げ圧力をもたらし,(相対)単位労働コストを高めて輸入財の輸出財に対する相対価格(一種の実質為替レート)を低下させるというものである。ただし,各国の税収構造には大きなばらつきがあり,また社会保障負担の在り方の相違等を勘案すると,所得税の重さと大きな政府との関係はそれほど頑強なものではないことに留意する必要がある。

ここでは,第二のメカニズムについて詳しく検討してみよう。実質為替レートは,自国の一般物価水準(自国通貨ベース)に対する外国の一般物価水準(外国通貨ベースを名目為替レートで自国通貨ベースに換算したもの)の比として定義される。一般物価を貿易財価格と非貿易財価格の加重(相乗)平均とすると,「内外の消費者の貿易財と非貿易財に対する好みが同じ」という仮定の下では,貿易財の相対価格と非貿易財の相対価格の加重(相乗)平均に等しいが,このうち貿易財の相対価格の部分が国際的な「競争力」を考える際には重要な指標となる。もし,①全ての財が同質で,かつ②各財の価格が同一となり,国際的に一物一価が成り立っていれば貿易財の相対価格は1となるが,現実には一部の一次産品を除いて多くの貿易財市場では製品が差別化されているため独占的競争が生じているため1にはならない。このような場合の財価格の設定はコストに一定のマージンを上乗せするというマークアップ原理に従う可能性があり,仮にその場合には,実質為替レートは内外の賃金率(単位労働コスト)格差の影響を受けると考えられる。

さて,「自由貿易の下では内外賃金格差がなくなる」という主張があるが,これも現実的とはいえない。この主張が成り立つケースとしては,第一に,①極めて限定され(規模に関して収穫一定)かつ内外で同一の生産技術の下で,②国際的な資本移動によって内外金利が均等化するために資本労働比率及び賃金率が均等化する場合や,第二に,①内外で同一の生産技術の下で,②労働市場は完全競争的でかつ家計はどんな賃金率を提示されても同じだけ働く(非弾力的な労働供給)といった場合などである。

現実には,内外金利の均等化は中長期的にはありうるとしても,①生産技術が各国毎に特有の事情により異なること,②労働市場が完全競争的でないこと,③労働の限界生産性が労働の限界不効用(レジャーの限界効用)に関連するので,家計にとってレジャーの楽しみが大きい国では賃金率が高くなること等によって,内外賃金格差がなくなると考えることは必ずしも適当ではない。

家計がどんな賃金率を提示されても同じだけ働くことがない限り,個人所得税等により労働に対して課税されると賃金率が上昇するという考え方がある。この考え方の下では,外国の状況を与件とすれば内外賃金格差が拡大し,ひいては貿易財の相対価格が上昇して「競争力」が低下することになる。

以上の考え方に基づき,先進国のデータをプールしたものを用いて,内外の相対単位労働コストと家計等の直接税負担(GDP比)の関係をみると( 第3-4-12図 ),家計等の直接税負担が重いほど相対単位労働コストが高いということが分かる。ただし,この結果については,雇用者所得(相対単位労働コストを計算する際に利用)が高い場合,所得税負担が重いことを示している可能性があることなどを考慮すると,十分幅をもってみる必要がある。

この関係は,相対単位コストと理論的に関係の深そうな全要素生産性や労働組合の集中度といった変数を加えても同じように得られる。労働組合の集中度が上記の関係に及ぼす影響は複雑である。労働組合の集中度が高くなると,完全競争からかい離して課税と相対単位労働コストの関係が強まる方向に働く一方,単位労働コストの上昇が失業の増加をもたらすことを踏まえて賃上げ要求を自制する誘因が強くなり,この関係が弱まる方向にも働く。このうちどちらの力が強く働くかは実証的な問題であるが,ここでは後者のメカニズムが強く現れるという結果が得られた( 同図参考表 )。

(財政収支は民間貯蓄に影響を及ぼすか)

将来の貯蓄の姿を考えるのに際して,第2節のシミュレーションで捨象した要因があった。それは,政府の財政収支の変化が民間貯蓄に及ぼす影響である。

政府の財政収支が民間貯蓄にどう影響するかは,民間部門が政府の財政収支の変化にどう反応するかに依存する。個人が自分の生涯所得を予想してそれを基に自分の生涯にわたって最大の満足が得られるように消費行動を決めていくというライフサイクル仮説を前提としたとき,重要なポイントは個人が子孫のことまで十分に考えて遺産を残すという行動をとるのかどうかである。もし多くの個人がそのように行動しているならば,現在世代が財政赤字の拡大でファイナンスされた減税を受けても,将来世代が増税を受けることになる場合,現在世代は消費を増加させずに貯蓄に回し,最終的にはその分だけ遺産を増加させるであろう(財政赤字の中立性)。他方,もし多くの個人が子孫のことをほとんど考えないとすれば,現在世代は消費を増加させるであろう。なお,遺産を残す場合でも,前述のようにその動機が子供に老後の面倒を見させるための戦略的なものであったり,あるいは万一の支出に備えて資産を持っていたが死亡してしまったための偶発的なものであると,上記のような財政赤字の中立性は成立しない。

それでは,財政赤字の中立性の議論を公的年金の効果に当てはめるとどうなるであろうか。公的年金制度には,典型的には完全積立方式と賦課方式,その中間の修正積立方式がある。完全積立方式は支払った保険料を政府部内に積み立てて運用し,その元利を保険給付として受け取る。賦課方式は保険給付があるごとにそれに対応して必要な保険料を集める方式である。日本は修正積立方式で,給付の一部は積み立てられた基金で賄われているが,一部は現役世代の保険料負担や国庫負担という形で賄われている。完全積立方式の公的年金を導入しても,これは民間の年金保険と基本的には同じであるからマクロ的な効果はない。個人の貯蓄を政府が肩代わりするだけだからである。一方,ライフサイクル仮説を前提にした場合,賦課方式の公的年金は(労働供給への影響を除けば)財政赤字と同じ効果がある。保険給付が将来世代の支払う保険料(租税)から賄われるので,子孫のことまで十分に考えて遺産を残す家計でない限り,自分では老後に備えて貯蓄する誘因がない。ところが,政府の方も貯蓄はしていないのでこの場合にはマクロ的には貯蓄率は低下する。

そこで,貯蓄(その裏側である消費)に対する財政変数の影響について,日本の家計消費(貯蓄)の長期にわたる時系列データ(57~93年度)を用いて,以下では2つの方法により調べてみよう。

第一は,一般政府ベースの収支項目を網羅的に説明変数とした上で,政府の経常受取(租税,社会保障負担等)の消費・貯蓄への影響を調べることである( 第3-4-13表A列 )。このとき,中立命題が成立しているとすれば,政府の経常受取が増加しても消費は影響を受けず,貯蓄が減少するという傾向がみられるはずである。なお,政府支出も変数として加えてあるので,これを所与としたときの税収等の影響が計測できるはずであり,結果として財政収支の影響をみていることになる。そこで,57~80年度,66~93年度の各期間について消費関数,貯蓄関数を推計したところ,57~80年度では政府の経常受取が消費に影響する場合があり,貯蓄には影響しないかむしろプラスに働く(中立命題が完全に成り立つ場合は後者の係数は-1となるはずである)。これに対し,66~93年度では消費への影響はほとんど検出されず,貯蓄への影響はほとんどないかマイナスとなっている。したがって,総じてみれば66~93年度の方が弱いながらも中立命題により近い状況となっていることが示唆される。

第二は,上記の諸変数に加え,特に公的年金積立額に着目してその影響を調べることである( 同表B列 )。公的年金の給付水準についての制度的枠組みを与件とすれば,現在時点での積立額が多いほど将来において保険料率や税率が引き上げられる可能性が低くなるため,中立命題が成り立っていれば現在時点での貯蓄率は低下するはずである。その結果をみると,66~93年度のデータによる推計では,公的年金積立額が増加するほど貯蓄率が低下するという代替効果が弱いながらも観測される。なお,一般論としてマクロの貯蓄は民間部門の貯蓄と政府部門の貯蓄の合計であり,現実の公的年金制度には大きな積立金が存在することに留意する必要がある。

以上,日本については,上記の分析によると57~80年度に比較して66~93年度の方がやや中立命題に近い状況になっている可能性があるものの,十分に中立命題が成り立っているとはいえないと結論することができる。

(財政収支のISバランスへの影響に関するシミュレーション)

現実の貯蓄・投資の動向は,様々な要因によって決定されるがここでは,財政収支がマクロの貯蓄率に影響するという仮定に基づいた単純な理論モデルを用いてISバランスがどう変化するかを考えてみよう。

簡単のため,日米の2国のみからなる開放経済で,両国で若年世代が貯蓄し,老年世代が貯蓄を取り崩すという遺産のないライフサイクル仮説を採用する。この場合,人口増加率が高いほどある時点での若年世代の比率が高まるため,マクロの貯蓄率は高くなるわけである。若年世代の貯蓄率については,日本の方が先憂後楽型でアメリカより貯蓄率が高いとする。一方,投資については,資本の増加率が(質の向上も加味した)労働の増加率,したがって労働力率を一定として一人当たり経済成長率と等しくなるように行われると考える。

このモデルでは,日米で一人当たり成長率が日米で同じになった状態を考える。そのとき,投資は成長率に合わせて日米で同率となるが,貯蓄は日本の方が構造的に高いと前提されているので,ISバランスは日本が貯蓄超過,アメリカが投資超過となる。

財政部門については,政府の純債務残高と年々の財政支出又は年金給付のGDP比を一定に保つように税収が決まると仮定する。家計貯蓄率を一定としているので,純債務残高や財政支出等が高水準であるほど,マクロの貯蓄供給は減少することになる。これらの仮定を置いた上で,政府部門のISバランスが,家計部門のISバランスとともに,全体のISバランスに与える影響を試算する。

大まかな理論的検証が目的であるから,時間は30年を一単位として現在(1960~90年),二期目(1990~2020年),三期目(2020~50年)の三区分とする。現在の金利を6%と仮定し(この絶対的な大きさには余り意味がない),そこから日米政府の純資産を逆算しておく。二期目以降については,日本政府の純資産のうち公的年金の積立金部分のみ平成6年財政再計算における年金制度改正前の推計値を用いた場合を基準としよう( ケースI )。アメリカ政府の純資産は変わらないとする。このとき,二期目には金利が2.2%ポイント低下するとともに,全体のISバランスのGDP比は0.3%ポイント拡大する結果となる。三期目になると金利は逆に上昇し,ISバランスも縮小する結果になる。

これに対し,二期目以降の厚生年金の積立金として,年金制度改正後の推計値を用いた場合を考えよう( ケースII )。その結果をみると( 第3-4-14表 ),二期目では ケースI と比較して積立金のGDP比が2.3%ポイント高いが,金利は0.2%ポイント低くなり,ISバランスのGDP比は0.3%ポイント高くなる。三期目では積立金のGDP比が3.7%ポイント高くなるが,金利は0.7%ポイント低くなり,ISバランスのGDP比は0.5%ポイント高くなる。

このモデルは単純化のために財政収支が端的にISバランスに影響するように構築されているにもかかわらず,積立金がどれだけ残っているかは金利にはそれほど大きく影響しないことが分かった。一方,ISバランスのGDP比への影響は,もともと1%前後の数字であることを考えると,相当程度の大きさであるといえよう。このような試算結果となるのは,一国のISバランスは,貯蓄(又は投資)の大きさと比較すると極めて小さいため,貯蓄のわずかの変動が何倍にも増幅されて全体のISバランスに現れるためと推察される。

(規制緩和は経済成長,ISバランスにどのような影響を及ぼすか)

公的規制の緩和が経済成長にどのような影響を及ぼすかは,その規制緩和の性質に依存する。また,例えばGDPへの影響について,その水準と成長率のどちらに影響するのかもそれによって相違が生じ得る。したがって,ここでは規制緩和の効果について一般論を展開することは避け,中長期的な立場から幾つかの側面に着目してみよう。

第一は,規制緩和が図られた状態の国の方が,そうでない国よりも中長期的な経済成長率が高いかどうかを実証的に調べることである。一般に,規制緩和は資源配分の効率化を通じて一時的にGDPの水準を高める可能性が高いが,成長率を高めるかどうかは理論的には簡単に結論が導けない。したがって,何らかの方法で実際に規制緩和が進められた国と,そうでない国で成長率にどの程度の差があるかをみる必要がある。ところが,規制緩和が図られた(あるいは,もともと公的規制が少ない)かどうかをマクロ的に測定することは容易ではない。

ここでは,一つの近似として,内外価格差に着目しよう。内外価格差は必ずしも公的規制によってのみ生ずるものではなく,所得水準や(短期的には)名目為替レートにも依存する。そこで,まず,先進国のクロスセクション・データを用いて,マクロの内外価格差を名目GDPの水準に回帰した残差を公的規制の強さの代理変数とした。その上で,この残差と成長率の関係をみたところ,相関は観測されなかった。次に,資本財に限って内外価格差を採ると,これは名目GDPとの相関はなかった。したがって,今度はこの内外価格差そのものと成長率の関係をみたところ( 第3-4-15図 ),資本財の内外価格差が小さいほど成長率が高いということが分かった。そのメカニズムとしては,資本財の価格が低下すると設備投資を刺激して成長率が高まることが考えられる。したがって,規制緩和によって資本財市場の歪みを取り除くことにより,経済成長にも好影響を与えることが期待される。

第二は,規制緩和とISバランスの関係について,理論的な考察を加えることである。ただし,ここでは長期的な完全競争状態を扱うこととし,景気変動や為替レートの変動は捨象する。前節でみたように,ライフサイクル・モデルに基づく貯蓄行動を踏まえ,GDPの一定割合がマクロの貯蓄と仮定することとする。一方,投資については,長期的には技術水準に見合った最適な資本装備率を達成するように調整が行われるとするのが妥当である。この設定の下では,規制緩和による効率の改善(広い意味での技術進歩)が資本節約的か,労働節約的か,あるいはそのどちらでもない(中立的)かが鍵になる。資本節約的であれば投資はGDPほど増加しないので,GDPに比例して増加する貯蓄と比較すると貯蓄超過の方向に働く。労働節約的であればその逆で,投資超過の方向に働く。そうして,中立的であれば何ら変化が生じない。また,このような設備投資がISバランスに与える影響を調べるには相手国のISバランスとの関係等様々な要因を考慮しなければならない。

ここではこれを単純化し,前述の日米2国からなるライフサイクル貯蓄型の理論モデルを用いて,その長期的な均衡点を比較することにより,日本において1回限りの規制緩和が行われたときのISバランスのGDP比に及ぼす影響を調べよう( 付注3-4-3 参照)。ただし,標準的なケースとして規制緩和による効率の改善が資本,労働の代替に関して中立的であるとする。このとき,①日本のGDP拡大により日本のISバランスそのものは拡大するが,そのうちアメリカのISバランスに起因する部分は変化しないため,GDP比ではむしろ低下するという効果,②貯蓄供給国日本の世界経済に対する影響が相対的に大きくなり,世界金利が低下して日米両国の投資を刺激するが,アメリカの方がもともと投資規模が大きいためにアメリカのISバランスが日本のそれより悪化して日本のISバランスが拡大するという効果の二つの反対方向の効果が働く。しかし,後者の力は間接的かつ限界的でありそれほど強くないため,結果として日本のISバランスのGDP比は低下すると考えられる。なお,現実には日本が世界経済に及ぼす影響はこの2国モデルで得られるよりさらに小さいと考えられることには十分留意すべきである。

(負担の先送りはどの程度の厚生損失をもたらすか)

一定の厚生関数を前提にすると,租税を異時点間で配分するとき,できるだけ負担を平準化したほうが民間活動に与える歪みが少ないという法則がある。このことは,租税賦課によって失われる経済厚生(死荷重)が税率の二乗に比例することから導かれる。例として労働市場を考えると,賃金への定率の課税によって労働供給曲線は上方にシフトする。その結果,均衡での労働供給量は減少し,賃金率は上昇する。このときの厚生損失は,課税による労働供給の減少分と,(課税後の労働供給量の下での)課税による賃金率の上昇分との積におおむね比例する。ところが,課税による労働供給の減少分,課税による賃金率の上昇分ともに税率におおむね比例する。したがって,厚生損失は税率の二乗におおむね比例するわけである。この考え方を経済全体に適用したのが上記の法則である。簡単な数値例を示すと,今期,来期ともGDPは同じで割引率がゼロのとき,今期の税率が1%,来期の税率が3%の場合の厚生損失(割引率ゼロ)が1 2 +3 2 =10であるのに対し,今期,来期とも税率が2%の場合は厚生損失が2 2 +2 2 =8となり同じ税収で厚生損失がより少ない。

さて,高齢化によって将来の財政支出が増加することが分かっている場合,いいかえれば現在価値ベースで見えない債務を抱えている場合,取りうる資金調達の経路には多様なものがある。例えば,今のうちに税率(あるいは保険料率,以下同様)を引き上げておく方式,支出の増加に対応して税率を高めていく方式,できるだけ増税を先送りしてある時点で一挙に重税を課す方式などである。最後の方式は論外としても,今のうちに税率を引上げて長期的にみた税率を平準化する方式(不変税率ケース)と,各年ごとに収支を均衡させるような形で支出を賄っていく方式(均衡財政ケース)の厚生損失を比較しておくことは政策論議の上で一つの参考となる。もちろん,前述の法則から不変税率ケースの方が計算上は必ず有利になる。しかし,現実の政治過程を考えると支出の少ないうちに税率を引き上げることには相当の困難を伴う上,そもそも将来の支出経路が決まっていないということもある。したがって,不変税率ケースが望ましいとしてもその望ましさがどの程度の大きさかが重要である。

そこでまず,「21世紀福祉ビジョン」における現行制度ケースに基づいて,経済成長率が割引率に等しいという前提の下で,不変税率ケースと比較して均衡財政ケースの場合に生ずる厚生損失を計算した( 第3-4-16図 )。ただし,社会保障関係以外の政府支出,2030年以降の諸前提には,それぞれ第2節における世代会計のケースIと同じものを用いる。この前提の下では,政府支出のGDP比は2040年に約42%でピークを迎える。その結果,2000年から2040年までの期間についてみたとき,均衡財政ケースの相対的厚生損失は約1.1%である。現在価値にして1%程度ということは,年平均1%程度の損失を意味する。このことは,日本の急速な高齢化がもたらす財政収支上の課題は,国民経済的にみて厳しいものであることを示唆している。なお,アメリカについての既存の分析によれば,日本より高齢化の進行が緩やかなこともあって,不変税率に対する相対的な厚生損失は,2040年までの期間で約0.2%にすぎないとの結果が得られている(Cutler,D.M.et al.(1990),"An Aging Society:Opportunity or Challenge?",Brookings Papers on Ecnomic Activity,No.1)。

次に,「21世紀福祉ビジョン」におけるケースII(年金は94年改正後,医療は効率化,介護対策・児童対策は充実)で同様の計算を行い,現行制度ケースの結果と比較してみよう。ただし,社会保障関係以外の政府支出,2030年以降の諸前提は,上記と同じものを用いる。このとき,現行制度ケースよりケースIIの方が政府支出のGDP比が2040年で2.0%ポイント強だけ小さくなる。これをもとに,均衡財政ケースをとることの相対的厚生損失を計算すると,2040年までの期間ではケースIIの方が約0.2%ポイント小さくなる。現行制度ケースの方が急速に政府支出が増加することから,早めに増税しないと損失がより膨らむわけであるが,もともと1%前後の厚生損失に対して0.2%の差はかなり大きなものといえよう。

(「福祉国家」北欧諸国の教訓は何か)

「福祉国家」の代表的な例として,北欧諸国の経験が参考になる。これらの国は,スウェーデンを中心として,高齢化が早く進展したこともあって社会保障システムが高度に発展,充実してきた。しかし,先進国のクロスセクション・データの分析から分かるように,これらの国では政府規模が肥大化し,平均的に低い経済成長率を記録することとなった。ここでは,まず,そうしたマクロ的な結果の背景にあるミクロ的なエピソードとして,雇用における非効率の状況を紹介するとともに,最近の景気後退で明らかとなったもう一つの教訓について述べることとする。

北欧諸国では労働コストが高くなりがちであるが,スウェーデンを例にとるとそのかなりの部分が非賃金費用である( 第3-4-17図 )。このことは,企業の側からみると雇用の誘因が小さくなる原因となっている。さらに,ほとんどの社会移転プログラムは平均給与よりも若干高い限度額を設定された,以前の所得に関連付けられた保障額を支払っているため,就業する誘因はあるが,労働密度には誘因がないシステムとなっている。そのため,休職,欠勤が頻繁であると指摘されている。また,早期退職の場合,所得の65%が保障されるが,実際には雇用者の付加的支払いもあり,退職前よりも高い所得を得ることも珍しくない(OECD対スウェーデン審査報告(94年))。

次に,最近の景気後退で明らかとなった教訓であるが,それは単に景気後退が深刻であったというものではない。もちろん,北欧諸国のうちスウェーデンとフィンランドで3年にわたるマイナス成長が続くなど,今回の景気後退は非常に厳しいものであった(実質GDP成長率:スウェーデンは91年-1.1%,92年-1.9%,93年-2.1%,フィンランドは91年-7.1%,92年-3.8%,93年-2.4%)。しかし,その初発原因については,西欧経済の低迷のほかソ連の崩壊など外生的な要因が影響しており,必ずしも福祉政策が直接の原因になったとはいいがたい面がある。問題は,景気後退期には税収が減少する一方で移転支出が増加する仕組みになっていたため,大きな政府規模の下でこれが大幅な財政悪化につながり金利が異常に上昇するという事態が生じ,既存の福祉政策がもはや持続可能ではなくなったことである。そのような場合,金融資本市場に混乱が生じた上に,結局は制度の改変を余儀なくされ,経済システムにかく乱要因が加わることによって資源配分効率が低下し,所得分配の不公平感が広がるということが考えられる。可能かどうかは別として,本来,外生的なショックによる景気変動を安定化するのが政府の役割として期待されているが,大きすぎる政府は逆に景気変動を不安定化させる可能性があるわけである。

3. 公共部門の課題

ここでは,これまでの分析で得られた結果を要約し,そこから導かれる公共部門の在り方を述べるとともに,そうした方向を目指すに当たって着目すべき環境の変化を示すことによって,本章のむすびとしたい。

(今後の公共部門の在り方)

本章では,公共部門の在り方を考えるに当たって,まず,グローバリゼーションや人口の高齢化に伴う様々な懸念を取り上げてそれが本当かどうかを検討した。

グローバリゼーションについては,これが財政政策の有効性を低下させているとはいえないことを示した。こうした影響のほかに,民間部門が財政政策の効果を減殺する方向に行動するという傾向もみられるが,財政政策が無効になったわけではない。一方,投資収益に対して課税をやめようとする国際租税競争の流れが現れていることを指摘した。

人口の高齢化についてはそれ自身が技術進歩率を低下させる力はないこと等の多様な要因が働くことから,政府部門の行動を除けば一人当たり経済成長への影響は必ずしも悲観的なものとは限らない。ただし,現行制度の維持あるいは小幅の改革を前提とすると,将来の政府支出がGDP比で急速に上昇することは不可避である。このとき,現行の負担構造を所与とすると,社会保障基金の資産をはるかに上回る膨大な「見えない政府債務」が存在することになる。したがって,財政への影響という点では,厳しい課題が待ち受けていることが示された。

最後に,本節において,戦後50年の日本の公共部門を振り返って,その政府規模は拡大してきたものの,国際的にみるとなお相対的には小さな政府規模を維持していると評価した。他方,金融面での活動や,準公共部門の重層的な存在,さらには民間部門が公的部門の役割を一部代行してきたことが指摘できる。また,幾つかの主要分野では国際的に遜色のないほど規制緩和が進展しているものの,カバレッジという意味では公的規制は依然として広範に存在している。

一部には,「適切なサービスが受けられるならば,財政規模が拡大しても構わない」という意見があるが,本章ではこうした議論の前提がどのような問題を含んでいるかをみた。すなわち,政府消費等が増大すると経済成長率は低くなり(ただし日本については現在のところこのような関係は示されていない),財政支出が肥大化すると実質為替レートは高くなる可能性があることを推察した。さらに,「見えない政府債務」があるとき,その負担を先送りするデメリットが大きいことを示した。

以上を踏まえると今後の経済成長については,高齢化が進展するなかである程度の政府支出の増大は避けられないと考えられるものの,いかに「簡素で効率的な政府」を維持できるかが重要であると考えられる。また,グローバリゼーションの進展にもかかわらず財政政策の有効性が残っていることを踏まえると,景気の動向によって適宜適切にそれが発動できるためにも長期的にみて「簡素で効率的な政府」であることが必要である。

「簡素で効率的な政府」といっても,単に政府支出の規模で判断されるわけではない。政府の財源調達方法について,経済成長を阻害し,あるいは資源配分効率を低下させる方法(例えば,労働課税への過度の依存)をできるだけ避けることが必要である。その際,グローバリゼーションの進展に合わせた税制の調和も考慮しなければならない。また,狭い意味の政府部門に限らず,幅広い重層的な意味における公共部門全体について,不断に見直しを進めて機能的にも「簡素で効率的な政府」を目指すことが必要であろう。

(「簡素で効率的な政府」へ向けた新たな視点)

人口構成の高齢化により,一部の政府支出が拡大することはやむを得ない面もある。だからこそ,政府全体にわたりすでに必要性の薄れた分野への支出を削減することが求められるのである。現実にもこのような削減努力はなされてきたし,今後とも継続することが重要である。

ところで,我が国の戦後50年の発展の成果として,民間部門が飛躍的に成長し,個人の所得や資産水準が高まり,各種市場が整備されたこと,また各種の公的制度が個人では対応しきれないリスクを減少させてきたことと相まって,個人のリスクに対する耐久力が高まってきた。こうした状況を踏まえると,これまでの「市場の失敗」に対する政府の役割,「効率と公正」のトレードオフなどの点について,以下のような変化が生じているのではなかろうか。

第一に,「政府の失敗」の様々なエピソードが語られるとともに,本章の分析のようにデータによって示されるようになったことである。今後は,「市場の失敗」を政府が補完するという一方的な考え方ではなく,「政府の失敗」と「市場の失敗」のどちらが大きいかを比較衡量しながら,政策運営を進めるべきである。

第二に,戦後の冷戦体制下における日本の知的風土のなかで,資本主義的なメカニズムはモラル的には必ずしも望ましいものではなく,「過当競争」の防止や「業界秩序」の維持といった考え方が当然のこととして唱えられてきたが,冷戦の終結を契機としてそうした「市場観」もようやく変化を迎えつつあることである。

第三に,環境の変化が急速な社会では,規制緩和など政策変更の要請も次々に現れる。このとき,分配の「公正」に固執していては制度が永久に時代遅れとなり,「非効率」の罠に陥る可能性がある。これに対し,差し当たり「効率」を重視して改革を進めていけば,その度に利益を受ける者,損失を被る者が交代し,一部の者にこれらが集中するという意味での「不公正」を避けることができる。

第四に,雇用制度を中心とした経済システムが柔軟性を少しずつ増していく動きがみられることである。こうした動きが加速すれば,改革によって損失を被る分野から利益を受ける分野への資源のより円滑な移動を可能にするため,社会全体の厚生を高める改革の推進を容易にすると考えられる。


(政府規模の決定理論)

政府規模の決定理論として最も有名なのがワグナーの法則であり,GDPが大きくなるにつれてそれを上回る速さで政府規模が肥大化するというものである。政府支出は豊かになって購入できる「ぜいたく品」であるというのがその伝統的な説明であった。ところが,こうした考え方だけでは,政府規模は大きくなる一方であり,それに対して何の歯止めもかからないことになる。現実には政府規模の肥大化に対しては経済成長の鈍化や重税に対する不満という形で有権者からの批判が生まれ,限りなく肥大化が続くということはありえないと考えられる。

最近では,民主主義下における有権者の行動を踏まえた上で一般均衡的な政府規模の決定モデルが開発されている。ここでは,メルツァーとリチャードによるモデルを紹介しよう。まず,政府は所得再分配のために労働に対して課税し,税収を頭割りにして一律に給付を行うとする。その場合,平均所得より所得が低い者はより高い税率を望み,そうでない者はより低い税率を望む。ただし,税率が高いほど労働供給が減少し,結局は再分配に回すための税収が確保できなくなるので,それを知っている有権者は,たとえ自分の所得が低い場合でも100%の税率を要求することはない。

いま,各有権者を所得の多い順に並べ,ちょうど中央にくる者を「中位投票者」と呼ぼう。以上の設定の下で投票を行えば,中位投票者がキャスティング・ボートを握って税率を決めることになる。例えば,中位投票者の所得が平均所得を下回る度合いが強いほど,中位投票者は再分配をより好むため一層高めの税率に投票し,結果として政府規模が大きくなる。中位投票者の所得が平均所得を下回る度合いが強いということは,税引き前の所得分配が高所得者に偏っていることを意味する。このことから,日本において相対的に「小さな政府」が維持できたのは,税引き前の所得分配がそれほど不平等でなかった(社会の成員の同質性)ためという説明が可能である。

(参考文献)Meltzer,A.H.and S.F.Richard,1981,"A Rational Theory of the Size of Government",in'Monetary and Fiscal Policy'(ed.by T.Persson and G.Tabllini,1994,Vol.2,MIT Press),pp.229-242.