平成7年

年次経済報告

日本経済のダイナミズムの復活をめざして

平成7年7月25日

経済企画庁


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第2章 円高下の国内産業調整とサプライサイド

第5節 金融市場空洞化の考え方

本節では,金融市場の空洞化について,空洞化の証左として指摘されている具体事例を紹介し検討することを通して,国内金融取引の海外シフトという産業空洞化と同じ意味での「空洞化」が起こっている可能性について検討する。

1. 金融市場空洞化の捉え方

(空洞化の考え方)

金融市場の空洞化を議論していく上では,空洞化の概念を明確にしておく必要がある。ここでは,空洞化を「本来,本邦投資家が日本国内で行うことができる金融取引(資金調達・運用等)が,何らかの理由でう回して海外で行われること」と定義する。

もちろん,金融市場空洞化の定義に定説があるわけではなく,例えば金融市場に期待される情報集積機能の観点からは投資家の国籍に関わりなく国内から海外市場へのシフト及びその結果としての我が国金融市場のシェア低下が問題視される場合も多い。

そうしたなかであえて上記の定義による分析を行っているのは,前節で示した産業の空洞化と基本的には同じ概念でみていこうとするものであり,国内の雇用に重大な影響を与える可能性を持っているものが空洞化として議論されなければならないテーマであるという考え方に基づいている。

以上から,金融市場の空洞化の有無を検証するために重要なことは,海外市場での国内投資家の取引シェアの顕著な上昇,またその裏返しとしての国内市場での本邦投資家のシェアの低下が生じているかどうかということである。

よって,海外企業が取引コスト等の問題から我が国での取引を縮小したり上場を見合わせる,いわゆる「金融国際化の後退」等はここでは空洞化には含めない。

もちろん,こうした我が国の金融国際化の後退については,最近の動きの背景には後でみるように景気循環の位相のズレが影響している面も大きいものの,それを除いてもなお割高な取引コストや規制の存在がしばしば指摘されることを考えると,これ自体我が国の競争力の強化という観点から,真剣に取り組まねばならないテーマであることは言うまでもない。

にもかかわらず概念上こうした区別を行うのは,政府として取るべき政策対応が空洞化かそれ以外かで変えていかねばならないからである。このことは,産業空洞化への取組と,輸入障壁や市場の透明性確保として取らねばならない対応が異なっていることからも明らかであろう。

(経済規模との比較による金融市場空洞化の有無)

したがって,上記の定義から金融市場空洞化が生じているかどうかを検討するに当たっては,①我が国の景気低迷といった循環要因に伴う金融取引の減少は除いた上で,②国内投資家の海外へのシフトの有無をみていくことが必要であることがわかる。この点からは,名目GDPに占める国内金融取引のシェアの推移をみることも空洞化が生じているかどうかを考える上で有益であることがわかる。

そこで,国内非金融法人の資金調達手段のうち国内債券,株式が名目GDPに占めるシェアをみると,80年代前半まではおおむね1%前後で推移してきたが,バブル期に大きく上昇し,89年には3%を越える水準にまで達した。その後,バブル崩壊とともに同シェアは急速に低下して,90年以降は約1%の横ばい圏内で推移しており,再びバブル期以前のシェアに戻っている( 第2-5-1図 )。

このことは,経済規模との比較において,「国内金融取引が実体経済活動のボリュームに対して最近著しい地盤沈下を生じる」という意味での空洞化は起こっていないことを示している。ただし,ここでは国内非金融法人の資金調達手段を国内債券,株式に限定しており,銀行借入等その他の資金調達手段の増減を勘案していないことには留意する必要がある。

2. 空洞化の具体的事例の検討

(空洞化とされる具体的事例)

次に,金融空洞化に関して引用される具体的事例を検討していく。

まず,しばしば金融市場空洞化の証左として引用される具体的な事例としては次のようなものが挙げられる。

このうち,④~⑥については,一般に空洞化と受け止められることが多いが,ここでの空洞化の視点からは,取引の主体が海外企業等であり,本邦投資家による金融取引のシフトという背景が導き出せないため,空洞化というよりも我が国の金融国際化の後退とみなすべきであろう。

こうした金融国際化の後退が生じている背景としては,長期的視点からは割高な取引コストや規制の存在といった構造的な要因が指摘されているが,バブル期以降の動きについては,むしろ景気循環要因(両国の景気の位相のズレ)が作用してきた面が強いと思われる。そこで,ここでは最近の動きを大きくさせてきたとみられる景気循環要因を通して国際化の後退の内容を整理する。

まず,④の外国証券会社の東京市場からの撤退については,我が国に進出している外資系証券会社数が,90年の52社(残高)をピークに伸び悩んでいる一方,香港,シンガポールへの進出数が引き続き増加しているという点が問題とされている( 付表2-5-1 )。

これについては,外資系証券会社の支店数でみればむしろ増加傾向を示しており,外国証券会社数のみに着目する議論は必ずしも適当とは思われない。また,国際比較が可能な外資系証券会社数でみても,我が国ではバブル期の80年代後半に株式売買高の急増を背景に進出数が急増したのに対し,シンガポールでは91年以降堅調な増加を示しており,両国の景気循環を背景としている面が強いと思われる。

⑤の東京証券取引所における上場外国企業数の減少については,我が国での上場外国会社数が減少する一方で,ニューヨーク証券取引所での上場会社数が増加した結果,92年には上場企業数でニューヨークに東証が抜かれたことがしばしば指摘される( 第2-5-2図 )。

これについても,④と同様,我が国におけるバブル崩壊に伴う外国株式の取引の急減に伴う上場インセンティブの低下( 付表2-5-2 )と,ニューヨーク証券取引所における外国企業に対する上場促進策を受けた中国民営化企業等の上場といった別々の動きが同時に起こっているとの見方が妥当であろう。

⑥の非居住者のサムライ債(円建外債)からユーロ円債へのシフトについては,非居住者によるサムライ債の発行額が減少する一方で,ユーロ円債の発行額が急増していることが問題とされている( 付表2-5-3① )。これについては,サムライ債の発行の減少には発行体の格付け低下や発行頻度といった個別事情も影響することから,必ずしもサムライ債からユーロ円債にシフトしているとは限らない。

一方,サムライ債の格付けをみると,トリプルA格といった信用力の高い銘柄のシェアが低下しているとともに,A格やトリプルB格の発行額が増加しているが( 同表② ),これについては,サムライ債市場が発展途上国への資金フローの円滑化という観点から重要な役割を果たしていることの証左であるという指摘もなされている。

次に,本来の空洞化として検討すべき対象として,①から③について,国内投資家の海外市場へのシフトの有無,といった視点を中心に検討を行う。

(ロンドン市場における日本株取引の増加)

これはロンドン証券取引所で外国株を専門に扱うマーケットであるSEAQ(Stock Exchange Automated Quotation)インターナショナルにおける日本株式の取引が活発化している結果,バブル崩壊以降低迷している東京証券取引所の売買高と比較すると,そのシェア(ロンドンでの売買高/東証一部売買高)が大幅に上昇してきている事象を指している(90年5.5%→92年12.2%→94年14.8%)。

この点については,①ロンドン証券取引所のサンプル調査によれば,ロンドンでの日本株売買に占める日系機関投資家の比率は2割弱(よって東証の売買代金の2%程度)であること,②上記シェアの変動と東証での外人の売買高のシェアの動きがほぼパラレルに推移しており( 第2-5-3図 ),ロンドン市場で成立した取引がそのままロンドンで実行されるわけではなくその大部分は東京市場で実行されている場合が多いこと,等からすれば,必ずしも国内投資家がシフトしてその分国内取引が減少しているとは言い難い( 付注2-5-4 )。

むしろ,ロンドン市場における取引の増加は,上記の経路を経て東証の出来高の増加につながる筋合いのものであり,先にみたシェアの上昇は,東証における国内株式の取引低迷が主因であることが推察できる。

(シンガポール国際金融取引所における日経225先物取引の増加)

金融空洞化を論じる際にひん繁に引用される事例として,日経225先物取引のシンガポール国際金融取引所(以下,「SIMEX」)での増加が挙げられる。

そこで,大阪証券取引所(以下,「大証」)とSIMEXでの日経225先物の取引高の推移をみると,大証における取引高が90~91年にかけての累次にわたる委託証拠金率の引上げ(取引創設~90年7月9%→91年12月30%)や92年3月の手数料の引上げ(約定金額10億円超;0.005%→0.01%の2倍に)を映じて,91年までの増加傾向から一転減少に転じ,最近も取引高は低調に推移している。一方,SIMEXでは92年以降取引高が増加してきたことから,SIMEXでの取引高の大証に対する割合は,92年初の5%程度から最近では5割程度にまで上昇してきている( 第2-5-4図 )。

もし,巷間いわれるように,国内投資家が国内でのコスト増を嫌ってSIMEXにシフトしているのであれば正に空洞化が起こっていることになる。

これを確かめるために,取引高の動きをみると,大証で減少した取引高の一部がSIMEXにシフトしている可能性はあるとはいえ,91年から92年にかけての大証での取引の落ち込みほどにはSIMEXの取引高は増えていない。さらに,売買高に占める投資家別のシェアの推移を,SIMEXには残念ながら投資家別の統計が存在しないため大証でみると,国内投資家のシェアは,月次で振れはあるものの92年中に大きくそのシェアを下げたという姿にはなっていない( 第2-5-5図 )。

以上からは,国内投資家が大証からSIMEXにシフトした結果SIMEXの取引高が増加しているという因果関係は認められなかった。つまり,大証では委託証拠金率の引上げ等に伴うコスト増により取引高が減少し,それ以降も国内株式市場の低迷を映じて減少傾向を続ける一方,SIMEXでは,自国の資金運用需要の高まり等を映じて日経225先物の取引を増やすという動きが同時に起こっている側面が強い。

(外為取引に占める東京市場のシェア低下)

東京市場での外為取引に関する価格決定能力の低下が叫ばれて久しいが,その背景としてよく指摘されるのが外為取引における東京市場のシェアの低下である。

外為取引に関する包括的な統計は整備されておらず,唯一利用可能なのがBISが3年ごとに実施する「Survey of Foreign Exchange Market Activity」である。この統計によって,外為取引に占める東京市場の出来高のシェアをみると,総取引ベース(86/3月23.3→92/4月19.7%),円ドルベース(86/3月59.2→92/4月50.9%)ともに低下しており,特に我が国で実需も含めニーズが強いと思われる円ドル取引での地位低下が著しい( 第2-5-6表 )。

これについては,確かにシェアでは明らかに減少がみられるものの,出来高でみると我が国が減少しているわけではなく,全体が増加傾向を示すなかで,海外での外為取引の増加率が日本をりょう駕していたことが原因であることが分かる。

3. 海外での金融空洞化への対応

ここでは,英国で86年に行われた証券市場改革(ビッグ・バン)と,それに伴うフランス,ドイツでの対応を簡単に紹介する。

各国における空洞化の背景,実施した対策の内容,その評価についてまとめたのが 第2-5-7表 である。

このビッグ・バンでの各国の対応からは次のような教訓が導き出せる。

    (1) 空洞化の定義が明確であり(国内投資家の流出),空洞化しているとのマーケットでのコンセンサスが形成されていた。

    例えば,イギリスでは,機関投資家によるアメリカ市場への株式取引の流出が,またフランスでは,ビッグ・バンによる国内大口株式取引のロンドンへの流出が問題視された。

    (2) 空洞化の背景の分析と,それに基づく適切な対応が採られた。

    例えば,イギリス・フランスでは空洞化の背景に,急速に進展する機関化現象への対応として,会員証券会社の兼業制の導入,資本参加制限の撤廃が行われたほか,取引コストの高さに対してその是正措置が採られた。

    なお,実施された諸対策の効果としては,取引高に対する負の弾性値が高いとみられる取引コストの軽減や取引システムの近代化による大口取引の円滑化が,空洞化の歯止めに有効であったとの見方が多い。

    (3) この結果,当初空洞化と問題視された現象はほぼ解消し,空洞化対策は一応成功しているとの評価がなされている。

    ただし,フランスでは,引き続きイギリスへの株式取引の流出に歯止めがかかっていないとの見方もあり,こうした空洞化対策が,常に相対的な競争力と関連しており,不断の見直し・改善努力が求められていることを教えている。

以上の検討から,我が国の金融市場において国内投資家が海外市場にシフトしているという点では空洞化が生じている可能性は小さいといえる。ただし,このことは我が国の金融市場の整備を進めなくてよいということを意味するものではない。金融市場の競争力の低下は,何も空洞化のみにあらわれるものではなく,欧州での教訓からも明らかなように相対的な国際化の後退等にも影響を与えるのである。しかも,その国際化の後退の背景に構造的な要因が内在しているとすればなおさらである。

このため,今後も我が国の金融市場を整備し魅力的なマーケットとするために,先に指摘した空洞化以外の諸問題も含め,競争力の維持・強化に努めていくことが必要である。