平成5年

年次経済報告

バブルの教訓と新たな発展への課題

平成5年7月27日

経済企画庁


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第2章 バブルの発生・崩壊と日本経済

第1節 日本経済へのマグニチュード

1 国民経済的規模で進行した資産価格変動

はじめに,今回のバブル発生・崩壊を伴う資産価格全般の変動の日本経済に対する影響度の大きさをみておこう。国民経済計算を用いて,株式・土地のキャピタルゲイン/ロス(価格変動による実現損益及び評価損益)の発生状況の推移をみたのが 第2-1-1図 である。これによると,株式・土地ともに,86年以降数年にわたって巨額のキャピタルゲインが発生したあと,株式については90年と92年に,土地については91年以降,やはり巨額のキャピタルロスが発生したことが分かる。

日本経済に対するマグニチュードをみるために,これをGNPと比べてみたのが, 第2-1-2図 である。資産インフレが急速に進んだ87年には,土地・株式合計で489兆円,名目GNPを40%も上回るほどの巨額のキャピタルゲインが記録された。90年以降は逆に巨額のキャピタルロスが発生しており,その規模は91年には207兆円(GNPの46%),92年(推定)も403兆円(同88%)となっている。株価・地価が上昇したことは過去にもあった。いわゆる列島改造ブーム時の72~73年のころがそれである。しかし,今回のキャピタルゲイン及びその後のキャピタルロスの規模は72~73年当時とは比べ物にならないほど大きかった。これは,今回のほうが資産価格の変動そのものが大きかった上に,国民のストックがフローのGNPの成長を趨勢的に上回って蓄積されてくるという「経済のストック化」が進展していたからである(ストック(国民総資産)のGNPに対する比率は,72~73年の約10倍から,86年には13.5倍に上昇)。株価・地価の上昇・下落が国民経済的規模で進行したという点では,今回の資産インフレ,デフレは戦後の経済史において初めて経験することであった。

2 資産価格変動と経済各部門のバランスシート

80年代後半以降の資産価格の大幅な変動は,経済各部門のバランスシート(資産・負債の状況)の姿を大きく変えた。このバランスシートの変化こそが今回の資産インフレ,資産デフレの進行過程における最大の特徴だった。これは,後で見るように資産インフレ,資産デフレの経済的影響を考える際に重要な意味を持ってくるので,まずこの点を整理しておこう。

(経済全体のバランスシートの変化)

はじめに,国民経済全体としての総資産(国民経済計算,時価評価ベース)の推移をみよう。

総資産の増加テンポは80年代後半に加速した。 第2-1-3図 は,資産の「増加(または減少)額」の推移をみたものだが,86年から89年にかけては資産の「増加額」が「増加」している。まさに加速度的に資産が増加していったのである。その内訳をみると,大半は株式やその他の金融資産及び土地によるものとなっている。重要なことは,この期間中に,負債の増加テンポもまた高まっていることである。これによって,借入が見合いとなって株式・不動産投資が活発化した様子がみてとれる。

しかし,その後情勢は一変する。総資産は91年に頭打ちとなった後,92年にはかなりの純減に転じたものとみられる。これは,先にみたとおり,株式・土地に巨額のキャピタルロスが発生したことによるものだが,一方で負債の増加は続いており,資産の現在価値に対する負債の比率が上昇するという意味で,バランスシートの悪化が生じている。

つまり,資産インフレの進行過程では,資産と負債が両建てで増加した。その後の資産デフレによって資産は瞬時に減少したが,その見合いで積み上がっていた負債はそのまま残ることとなり,これが経済全体のバランスシートを悪化させるという現象が生じたのである。

(部門別にみたバランスシートの変化)

次に,このバランスシートの変化を部門別に眺めてみよう。

まず企業部門(金融機関を除く法人企業)については,全体としての動きは,おおむね経済全体と同じである( 第2-1-4図① )。企業部門では,決算ベースの株式・土地の簿価の動きからみて,株式・土地の値上がり益のうち,収益として実現された部分はごく僅かであり,ほとんどが含み益という形で企業内部に温存されていたことが分かる( 第2-1-5図 )。資産インフレ末期の89年末には,企業の含み益は,株式で259兆円,土地で452兆円にも達していた。その後資産価格が下落する過程では,マクロ的には資産価格下落の影響のかなりの部分が含み益の減少によって吸収されたものと考えられる。しかし,これはあくまでもマクロでの話であり,企業毎に個々の資産別にみた場合は,時価が簿価を下回り償却を余儀なくされた分も多額に上ったものとみられる。

家計部門(個人企業を含む)についても,全体としての動きは,経済全体とほぼ同様である( 第2-1-4図② )。家計部門にとって最も大きかったのは,土地のキャピタルゲイン・ロスであった。しかし,その多くは,自分ですでに住んでいる土地にかかるものであり,いずれにせよ未実現に終わった分が多かったと考えられる。したがって,家計部門の受けたメリット・デメリットは見かけほど大きくなかったものと考えられる。

金融機関についても,80年代後半に資産・負債が急速に増加している( 第2-1-6図 )。これは,企業・家計部門が資産・負債を両建てで増やしてきたのと表裏一体の関係となるものである。後に詳しくみるとおり,この背景としては,企業・家計の資金需要の拡大とともに,金融機関の貸出態度が積極化したことがあった。なお,この図の「その他金融資産」の中に含まれている貸出金等については,バブルの崩壊とともに回収が困難化しつつある不良債権の増加は反映されていないことに留意する必要がある。

最後に,政府部門(一般政府ベース)についてみると,バランスシート上では民間部門ほどの大きな変化はみられない。しかし,この間の特徴的な動きとして,80年代後半には,中央政府ベースでは公共投資の着実な推移がみられた一方,国債残高の増加テンポが鈍化するなど,80年代前半に比べ財政バランスが改善したことがある。これは,87年から90年にかけて,景気の拡大と資産インフレのなかで税収の伸びが高まったこと,また,87~88年には,政府保有のNTT株式の売却が行われたが,折からの株価高騰によりその売却収入は約10兆円に達したことなどのためである。しかし,91年度以後はいわゆるバブルの崩壊等に伴い,税収が低迷し,財政状況は再び厳しさを増している。