平成3年

年次経済報告

長期拡大の条件と国際社会における役割

平成3年8月9日

経済企画庁


[次節] [目次] [年度リスト]

第2章 資産価格の変動と景気循環

第1節 資産価格の形成

80年代後半には,地価や株価などの資産価格の大幅な上昇が起こった。この資産価格の大幅上昇は,一般物価が安定しているなかで生じたものであり,一般物価の上昇と対比して「資産インフレ」と呼ばれている。「資産インフレ」は,景気拡大を支える要因の一つとなる面はあったものの,資産格差の拡大など分配面にマイナスの影響を与えた。また,地価や株価が期待収益や長期金利などといったファンダメンタルズからかい離して大幅に上昇し,株価についてはその後急落する動きもみられた。このような資産価格の大幅な変動の,ストック化が進んできた日本経済に対する影響をどのように考えるかという問題が生じている。

それでは,「資産インフレ」や資産価格の大幅な変動はどうして起きたのであろうか。ここでは,まず,資産価格形成の基本的なメカニズムを概観し,次に,実際の地価や株価の変動について検討することとしよう。

1 資産価格の形成メカニズム

(資産価格を決定する基本的要因)

資産価格を決定する最も重要なメカニズムは,収益率を巡って資産市場で行われる裁定取引である。人々が資産を保有するのは,基本的には,その資産を保有しているとフローの収益が得られるからである。そして,資産保有者は,資産の危険度に差がないならば,なるべく価格一単位当たりの収益の多い,すなわち,収益率の高い資産を持とうとする。このように各種の資産の間で収益率の違いが生ずると収益率の低い資産を売却して収益率の高い資産を購入するというのが裁定取引である。この裁定取引を通じて,資産市場においては収益率の低い資産の価格が下落し,収益率の高い資産の価格が上昇する。収益率に差がある限り裁定取引が行われる結果,最終的にはすべての資産の収益率が等しくなるのである。

以上のような裁定取引によって各資産の収益率が均等化した状態では,

   収益/資産価格=長期金利

という関係が成立する。この関係式を長期金利を軸に書き換えると,

   資産価格=収益/長期金利

というように資産の価格が決まることになる。

ここでは,資産の危険度に差がないと仮定したが,実際には,一部の資産にはその収益が景気変動の影響を受け,最悪の場合には収入が途絶えることもあるなどの危険があるため,この危険度の高さを補うには,収益率が安全資産の収益率である長期金利よりも高くなければならないものもある。この部分をリスク・プレミアムといい,資産の危険度に応じて異なる。この結果,上記の資産価格の決定式は次のように修正されなければならない。

   資産価格=収益/(長期金利+リスク・プレミアム)

このように,資産価格を決定する基本的な要因は収益,長期金利とリスク・プレミアムである。そして,収益が増加すると資産価格は上昇し,長期金利が上昇したり,先行き不透明感などからリスク・プレミアムが増大すると資産価格は下落することが判った。

(資産価格の上昇を含む場合)

以上の議論は,将来にわたって各資産の収益が一定であり,したがって,資産価格も一定であるという暗黙の仮定の下に行われているが,実際には経済成長や一般物価の上昇等に伴って収益が増加したり,資産価格が上昇したりする。また,長期金利の変動も資産価格に影響を与える。そこで,当期に資産を購入し,翌期に売却する場合を考えて,資産価格の上昇によるキャピタル・ゲインを含む収益率を示すと,

   収益率=(当期の収益+△資産価格)/当期の資産価格

      =(当期の収益+来期の資産価格)/当期の資産価格-1

   ただし,△資産価格=来期の資産価格-当期の資産価格

となる。これに,長期の金融資産との裁定関係による資産価格決定式を当てはめると,

   当期の資産価格=(収益+来期の資産価格)/(1+長期金利+リスク・プレミアム)

となる。これは,当期末ないし来期首の資産価値を長期金利+リスク・プレミアムという割引率で割り引いたものに相当する。もちろん,当期においては来期の資産価格はまだ判らない以上,ここにいう来期の資産価格とは来期の資産価格の期待値のことである。したがって,この資産価格決定には投機的な要素が入り込んでくる。

次に,来期の資産価格の期待値も当期の資産価格と同じく来期の収益と2期先の資産価格の期待値を割り引いたものとして決まると考え,これを2期後,3期後,・・・と逐次代入していくと,

  当期の資産価格=当期の収益/(1+割引率)+来期の収益/(1+割引率)2

         +3期の収益/(1+割引率)3+・・・・・

となる。これは,当期の資産価格が将来の収益を現在価値に割り引いたものの合計に等しくなることを意味する。これを収益還元価格という。ここで注意すべきなのは,キャピタル・ゲインの項が消えてしまい,すべてフローの収益で決まるようになっているからといっても,来期以降の収益は期待値であり,依然として投機的な要素は存在しているという点である。

この式を簡単化するため,フローの収益の増加率が一定であり,かつ,割引率を下回っている(同じか上回ると発散する)と仮定し,等比級数の公式を当てはめると,

  当期の資産価格=当期の収益/(割引率-収益の増加率)

となる。なお,来期の資産価格は分子である当期の収益を来期の収益に変更しただけのものになるので,資産価格の上昇率は収益の増加率に等しくなる。この式から収益の期待増加率または資産価格の期待上昇率が高まると当期の資産価格が上昇することが判る。したがって,資産価格の決定要因として,収益の期待増加率または資産価格の期待上昇率が前記の3つの要因に加わることになる。これらは資産価格形成における基本的要因(ファンダメンタルズ),これらによって与えられる価格はファンダメンタル価格と呼ばれる。

(ファンダメンタル価格からのかい離)

資産価格はファンダメンタルズだけで決まるものではない。長期金利や収益があまり変動していないにもかかわらず,資産価格が短期間に大幅に変動することがある。そのような資産価格の大幅な変動のなかには,収益の増加率または資産価格の上昇率の期待値に大きな変化が生じたことによると考えられる場合もある。例えば,画期的な技術革新に成功した企業の株価が大幅に上昇したり,新しい鉄道建設計画が決まり沿線予定地域の地価が上昇する場合などである。これらは,それまで知られていなかった情報が明らかになり,それによって期待値が変化したことを反映して資産価格が大幅に変動したのである。ところが,これといって新しい情報もないのに資産価格が大幅に上昇したり,下落したりすることがある。そのような資産価格の変動はファンダメンタル価格からのかい離であるとみることができる。

資産価格がファンダメンタル価格からかい離する可能性については,理論的に様々なものが考えられている。いかにも「バブル」という名にふさわしい急上昇と急落を示すものばかりでなく,資産価格が定常的に上方または下方に偏ってしまう可能性も指摘されている。また,投資家が誤った情報や事実誤認に基づいて行動する場合だけでなく,投資家が合理的であり,正しい情報に基づいて行動している場合もあり得ることが示されている。資産価格がファンダメンタル価格からかい離しており,いつか急落する危険が当然あることを投資家が承知している場合を考えよう。もし,その危険に対するリスク・プレミアムを充分にカバーするほどに資産価格の急上昇が続くと期待するならば,その資産に対する投資を続けることは合理的である。また,数多くの投資家がそうすることによって実際に資産価格が期待通りに上がり続けるという可能性がある。経済理論的には,ここに挙げられた例のうち最後の自己実現的な資産価格上昇期待によるもののみをバブル(狭義)と呼ぶことが多いが,ファンダメンタル価格からのかい離が狭義のバブルであるかを厳密に実証することは難しく,上に掲げられたような多様な場合を含め,ファンダメンタルズからのかい離全般が「バブル」と呼ばれる場合もある。

2 地価の動向

(地価上昇の推移)

地価上昇は,83年頃に東京都心の商業地に始まり,プラザ合意以降の金融緩和の下で,区部の住宅地地価の上昇率が高まるとともに,86年,87年と東京圏の商業地,東京周辺の住宅地へと波及していった。88年に入ると,まず都心部で沈静化し,区部の住宅地,東京周辺の住宅地も沈静化し,一部の商業地,住宅地では小幅ながら下落がみられた。他方,87年には大阪,名古屋の大都市圏で,さらに,89年には地方圏で著しい上昇が見られるようになった。このような動きが続くなかで,一度は沈静化の動きをみせた東京周辺の住宅地の上昇率に再び高まりがみられた。90年には,一部地方中枢,中核都市などでは根強い地価上昇がみられたものの,大阪圏などではピークを越え,秋以降東京都や大阪圏では小幅ながら総じて下落するようになっている(第2-1-1図)。

(地域的なバラツキが大きかった地価高騰)

今回の地価高騰は戦後の歴史のなかでも最も大規模かつ深刻なものの一つとなったが,過去3回の地価高騰期と比べると,次のような特徴がある。

第一は,83年に地価上昇が東京都心で始まってから90年後半以降ほぼ全国的に沈静化するまで実に8年間もの長い期間にわたっている点である。前回高騰期が72年から73年の約2年間であったのを始めとして,過去の地価高騰期と比べると著しく長い。これは,地価上昇の背景となった金融緩和が物価安定の下で戦後最長の9年近くにわたって続いたこともあるが,過去の地価高騰期には,商業地,住宅地,工業地などほとんどの用途でほぼ同時に,かつ,全国的に地価上昇がみられたのと異なり,今回は東京都心から周辺住宅地へ,東京圏から大阪,名古屋圏へ,そして地方中枢,中核都市へとかなりのタイム・ラグをおいて波及していったためでもある。これは,過去の地価高騰期には全国一斉に投機資金が土地に向かったのに対して,今回は東京都心など一部の地域で起こった実需による地価上昇に便乗して膨れ上がった投機資金が新たな投機の場を求めて次々と飛火するように移っていったためであろう。

第二は,地価上昇の幅が用途や地域の間でバラツキが大きい点である。これを地価公示で83年を基準として以後の地価変動を91年まで累積したものでみてみよう。用途別の動きをみると,地方圏平均では商業地が1.7倍,住宅地が1.5倍と用途によりあまり大きな差がみられないが,東京圏ではそれぞれ3.4倍と2.5倍,大阪圏では同じく3.9倍と3.0倍,名古屋圏でも2.4倍と1.9倍というように大都市圏ではその開きはかなり大きくなっている。地域間の動きをみても,商業地は東京圏では3.4倍,大阪圏では3.9倍,名古屋圏では2.4倍(各都心商業地ではそれぞれ4.2倍,5.5倍,3.7倍)と大都市圏では大幅な上昇となっているのに対して,地方圏平均では1.7倍と比較的に小幅の上昇にとどまっている。住宅地でも商業地ほどではないが同じ傾向がみられる。東京圏では2.5倍,大阪圏では3.0倍,名古屋圏では1.9倍と大都市圏では2~3倍に達しているのに対して,地方圏平均では1.5倍にとどまっている。地方圏にはかなりの地価上昇があった地方中枢,中核都市が含まれている一方,消費者物価との対比でみた実質地価ではほとんど上昇がみられない地域もかなりある(第2-1-2図)。

(商業地における理論地価の推移)

地価高騰の原因,背景を探るため,実際の地価上昇と理論地価の変動を比較してみよう。ここでいう理論地価は,今回の地価高騰の始まる以前の83年を基準年として,オフィス賃料や家賃の収益についてはその時点の水準が将来とも変わらず,割引率については土地にリスク・プレミアムがなく将来にわたってその時点の長期金利がそのまま割引率になると仮定した単純な収益還元モデルを用いている。現実の地価は,ここでいう理論地価で考慮しなかった実体的な要因を含め様々な要因が複合的に影響しているため,以下の結果は幅をもってみる必要がある。また,オフィス賃料や家賃の上昇に建物の質的向上分や建築コスト上昇分も含まれていること,家賃については当事者の個別事情を反映する面が比較的多い点に加えて賃貸市場が必ずしも十分に成立していない地域もあることにも留意が必要である。

第2-1-3図で3大都市圏の都心商業地における理論地価の動きをみると,オフィス賃料の上昇傾向と金利水準の大幅な低下を背景に,86年から大幅に上昇し始め,89年に最も高くなった。3大都市圏では,その後もオフィス賃料の上昇が続き,理論地価を押し上げる要因になっているが,長期金利水準の高まりによる引下げ要因の方が大きく,88年に比べれば低下している。

次に,実際の地価上昇を理論地価の上昇と比較してみよう。東京都心3区では,実際の地価の上昇は理論地価の上昇に先駆けて始まり,理論地価がピークとなった89年時点で,実際の地価上昇が理論地価の上昇をやや上回っていた。その後の動きをみると,長期金利の上昇に伴い理論地価が低下した一方,現実の地価は88年以降ほとんど横ばいか小幅の下落となっている。大阪都心では87年までは実際の地価上昇と理論地価の上昇はほぼ平行していたが,88年時点で,理論地価の上昇をかなり上回っていた。理論地価がピークアウトした後も地価上昇が続いている。名古屋都心では理論地価がピークアウトした89年には83年を基準とした上昇率はほぼ同水準であったが,その後も地価上昇が続いた。

理論地価の上昇は一般に実際の地価上昇に先行するものと考えられるが,今回の東京都心3区商業地の上昇では実際の地価上昇が理論地価の上昇よりも先行している。これは,東京への金融機能を中心とする中枢機能の集中が進んでいることが将来のオフィス賃料の上昇期待を生んだことが一因と考えられる。大阪都心,名古屋都心では,東京都心3区の地価上昇に遅れて地価上昇が始まった。これは,東京圏に比べ大阪圏,名古屋圏の土地に割安感が出て,買い需要が相対的に大きくなったことが一因と考えられる。

(住宅地における理論地価の推移)

第2-1-4図で3大都市圏の住宅地の理論地価の動きをみると,商業地と同じく長期金利の低下等を背景として86年から大幅に上昇し始め,89年にピークを打った。ただし,家賃の上昇が小幅にとどまっているため,89年時点では,上昇幅は小さかった。また,最近では,長期金利水準の高まりから,地価高騰が始まる前の水準からみて大差ない水準まで低下している。

実際の住宅地の地価上昇をみると,91年には,東京都区部では83年を基準として2.9倍,大阪市では同じく3.1倍,名古屋市では同じく2.3倍となっている一方,理論地価は各地とも小幅の上昇にとどまっている。また,88年以降については,長期金利水準の高まりにより,理論地価は低下したが,現実の地価は,東京都区部で横ばいないし小幅な下落となっている一方,名古屋市,大阪市では上昇が続いた。

住宅地の地価上昇は,都心売却地の代替地需要やオフィス等としての利用可能性などが見込まれたことによって商業地から波及したものと考えられる。そのため,価格形成においても隣接する商業地の水準に引き寄せられた面があり,住宅地としての利用から得られる収益の水準を充分考慮したものとはいえない。

(地価の地域間格差の拡大)

今回の地価高騰においては,商業地では大都市圏や地方中枢,中核都市を有する道県での上昇幅がとくに大きく,また,住宅地では大都市圏とその他では上昇幅にかなり開きがある。このように,元々地価の高かった地域で地価上昇が大きかった結果,地価高騰前の83年と東京の地価が最も突出していた88年とを比較すると,地価の地域間格差が拡大していることが判る(第2-1-5図)。各地の地価がファンダメンタルズによって決まっているならば,長期金利は各地域で共通であるから,地価の地域間格差は土地生産性の格差を反映しているはずである。地価の地域間格差を分析することにより,別の角度から地価とファンダメンタルズの関係をみることができる。そこで,土地生産性の地域格差をもたらしていると考えられる要因と地価の地域格差の関係について都道府県レベルでのクロスセクション分析を試みる。

住宅地地価については,地域間で格差があるファンダメンタルズは面積当たりの家賃・地代収入ということになる。しかし,家賃は住宅一戸当たりか面積当たりかで土地の利用度の地域間格差を考慮に入れることができない。そこで,ここでは需要側からの接近を試みることにする。土地供給が一定であるとすると,地価格差の拡大は住宅に対する需要要因の変化によるということになる。高層化や社会資本の整備など土地の高度利用が前提であるが,一人当たり所得と人口の稠密さの積に当たる可住地面積当たりの雇用者所得が面積当たりの家賃支出に対応すると考えることができる。もちろん,住宅は必需的な性格を持ち,所得の増加に対する家賃などの住宅支出の弾性値は1よりかなり小さく,所得に比例的ではないであろう。

各都道府県の住宅地地価と可住地面積当たりの雇用者所得との関係を推計式によって83年と88年について計測してみたのが第2-1-6表である。これをみると83年には0.46であった弾性値が88年には0.68まで高まっている。83年の弾性値はやや高めではあるが,所得と地価の関係は所得階層別の家賃支出パターンとほぼ整合的であったが,88年には所得と地価との比例関係がかなり強まっている。

商業地についても需要側からの接近を試みるが,住宅地に比べると多面的な需要要因があると考えられる。商業地の利用は小売店や飲食店などの店舗,企業や金融機関のオフィスなど性格の異なるものを含んでいる。店舗需要は小売業,飲食店等の売上高が多いほど強く,オフィス需要はサービス産業や企業の管理部門が集積しているほど高まるであろう。これらの集積の度合いには互いに大きな相関があると考えられ,第3次産業総生産額(名目付加価値)で代表させることができよう。また,社会資本整備が進んだ良好な都市環境もオフィスや店舗の需要を高め,賃料に反映されると考えられる。社会資本の整備状況は都市環境との関係が深い社会資本のストック量に集約することができるであろう。ただし,地価との関係をみるには,第3次産業総生産額は商業地面積当たり,社会資本のストック量は可住地面積当たりとする必要がある。

各都道府県の商業地地価を商業地区の面積当たり第3次産業県内総生産額,社会資本の可住地面積当たりストック量で説明する推計式を83年と88年について計測してみたのが,第2-1-7表である。これをみると,83年に比べると88年には面積当たりの生産額,ストック量にかかる係数がともに大きくなっており,83年には2つの係数の和が0.77と1を下回っていたのが,88年には1.35と1を上回っている。これは,83年には面積当たりの生産額とストック量がともに2倍になっても地価(土地生産性)は1.6倍程度にとどまっていたのが,88年には2.7倍にもなるようになったということを意味している。この点について,経済のサービス化,商圏の拡大などを背景に大規模な都市の集積のメリットがデメリットを上回るようになったことを反映しているという解釈が可能であるが,それが全てではないとも考えられる。

以上まとめると,今回の地価高騰は,基本的には経済のサービス化,商圏の広域化などを背景に良好な都市環境を有する大都市圏,地方中枢,中核都市での商業地需要が高まったことによるものであるが,同時に,今回の地価高騰の要因に「バブル」の要因が含まれていたことを示唆していると考えられる。

3 株価の動向

(株価の持続的上昇とその後の大幅な下落)

80年代には,世界的な金融緩和基調と世界経済の長期拡大傾向の下で,株式市場は世界的な活況を呈した。87年10月のブラック・マンデーでは暴落したが,その後は,89年まで上昇傾向が続いた。ただし,主要国の市場のなかには暴落前の水準を回復しない市場もあった。日本においては,株価は,景気の回復に先駆けて86年から上昇を始め,ブラック・マンデーでの暴落はあったものの,88年4月には主要国のなかではいち早く暴落前の高値を回復し,89年末までほぼ一貫して上昇を続けた。東証株価指数でみると,この間の上昇率は年率30%近くに達し,主要国の株式市場のなかでも最も高い上昇率となっている。

89年中には主要国の金利は上昇し始め,株価の水準も一時調整局面がみられたなかで,日本においては89年末までほぼ一貫して上昇を続けたが,90年初にいわゆる「トリプル安」のなかで大幅な下落を続けた。株価は,4月になってようやく落ち着きを取り戻し,5月にやや回復した後は,年央まで小康を保っていた。しかし,8月の湾岸危機の発生から再び大幅に下落し始め,湾岸情勢の緊迫化とそれに伴う原油価格の急騰のなかで10月初まで大幅な下落を続けた。東証株価指数でみると,10月初にはピークからの下落率がおおよそ50%に達したが,これを底として回復に転じ,91年3月にピークの約70%まで値戻しした。89年から90年にかけては主要国の株式市場でおしなべて下落がみられたが,そのなかでも日本(東京市場)での下落率は特に大きなものとなっている。この結果,85年初の水準を基準にとれば,ここ数年にわたって相対的に高い水準で推移してきた日本の株価は米英とほぼ同水準まで低下している(第2-1-8図)。

(株価とファンダメンタルズ)

この間の株価の動きをファンダメンタルズの動きと比較するために,まず,PER(株価収益率=株価/一株当たりの収益)に長期金利をかけた金利修正PERの推移をみてみよう。

金利修正PERは85年から87年前半にかけては2~3倍で推移していたが,株価が上昇するなかで87年夏に急上昇を始め,ブラック・マンデー直前の同年9月には4.84倍にも達した。ブラック・マンデーによる株価の大幅下落に伴い3倍前後まで低下した後は2.5~3.5倍で推移していたが,長期金利がやや上昇するなかで株価が上昇した結果,89年12月には4倍台に急上昇した。さらに,「トリプル安」のなかで長期金利の上昇が株価下落のマイナスの寄与以上に金利修正PERを押し上げ,90年1月には4.64倍に達した。その後,長期金利の上昇が緩やかになるなかで株価はさらに下落を続けたため,金利修正PERはやや低下したが,同年8月まで4倍前後で推移した。同年8月の湾岸危機の発生を期に株価が大幅な下落を始めた結果,長期金利がかなり上昇したにもかかわらず,同年9月には3倍台前半となり,その後は長期金利の低下もあってさらに低下し,同年12月には2.55倍と86年後半の水準に戻った。91年に入ってからは,株価が回復すると同時に長期金利もやや低下しており,金利修正PERは3倍程度にまで上昇している(第2-1-9図)。

(自己実現的な株価上昇期待)

このような金利修正PERの動きからみると,ブラック・マンデーや「トリプル安」直前には株価がファンダメンタルズとの関係から一時的にかい離して上昇していた可能性があるものと考えられる。しかも,これらの場合には,自己実現的な株価上昇期待が株価上昇に果たした役割が大きいとみられる。一般に,株価上昇期待を生む要因としては,景気拡大による企業収益の増加と金利の先安感等がある。ブラック・マンデー直前の場合には,ディスインフレの過程で金利の低下が続いたことが株価上昇期待を生み,87年央から長期金利が上昇に転じたにもかかわらず上昇期待が修正されず,自己実現的な株価上昇期待となっていたと考えられる。「トリプル安」当時の場合にも同様にして自己実現的な株価上昇期待があったものと考えられる。ただし,90年中の大幅下落の全てがこうした期待要因の変化によるというわけではなく,金利水準の高まりや湾岸危機の発生による先行き不透明感の増大を反映していた部分もあると考えられる。

(地価上昇が株価に与えた影響)

先にみたような地価上昇も土地を保有する企業の資産価値を高め,その株価の上昇をもたらした。株価総額は企業が保有する有形,無形の資産に対する評価額の総計であると考えられ,そのなかには当然に土地も含まれているからである。しかしながら,企業の土地保有状況について充分なディスクロージャーが行われていないので,地価上昇による土地評価額の増加がどの程度株価に反映されているかを直接検証することは難しい。また,単純な推計式によって地価から株価への影響を直接に示すことも難しい。地価と株価はともに資産価格であり,この節の始めでみたように長期金利など共通の要因によって影響を受けるからである。したがって,金融緩和期には両者がともに上昇する傾向にあり,単純な推計式では真の関係を捕らえているとはいい難い。しかも,株式市場は取り引きが活発であり,利用可能な情報を最大限に活用するという性格からも株価は地価等に先行して変動する傾向もみられる。

そこで,株価と地価だけでなく長期金利を含む3変数の多変量自己回帰モデルをつくり,地価と株価が相互にどのように影響しあっているかをみよう。第2-1-10表の結果によると,株価変動の要因としては長期金利の影響が大きく,これと株価自身の過去の動きによって説明される部分がほとんどを占める。したがって,過去の地価変動によって説明される部分はほとんどない。これに対して,地価は,株価と同様に長期金利の影響が大きいが,過去の株価変動によって説明される部分が約20%ある。これは,株価の変動が地価の変動に先行して起こったことを示しているが,株価から地価への影響があったと解釈するよりも,むしろ,地価変動を先取りして株価が変動したものと解釈するのが妥当であると思われる。事実,地価高騰が始まると株式市場では旧来から多くの土地を保有するいわゆる含み資産株が人気を集め,これが既に高水準となっていた株価を続伸させる一因となったことを考えると,今回の地価高騰は株価上昇の一因となったものといえる。なお,以上は,あくまで70年から90年までの実績についてみたものであり,ここに示された地価と株価の先行遅行関係が将来も続くことを示唆するものではないということに注意する必要がある。

以上まとめると,80年代後半の株式市場の活況は,ファンダメンタルズからかい離して上昇したとみられる時期はあるものの,そうした時期を除けばファンダメンタルズの改善を反映していたといえよう。すなわち,長期拡大の下での企業収益の増加,金融緩和の下での長期金利の低下が株価上昇の基本的要因であり,加えて金融緩和の持続するなかで株価上昇期待がみられたことが一時的な押し上げ要因になったものと考えられる。90年中の大幅な下落は,一部に自己実現的な株価上昇期待による狭義のバブルがあったため特に大幅なものとなった可能性があるが,基本的には金利水準の高まりや湾岸危機の発生による先行き不透明感の増大等を反映している。