平成3年

年次経済報告

長期拡大の条件と国際社会における役割

平成3年8月9日

経済企画庁


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第1章 景気循環からみた日本経済の現状

第7節 景気の現局面

景気の転換点がいつになるのかがかってないほど関心を集めている。こうした関心が集まるのには,二つの理由がある。ひとつは今回の景気上昇局面が非常に長期になっているため,これまでで最高の長さを持ついざなぎ景気を超えるかどうかが注目されているからである。いまひとつは,90年度の後半から,乗用車の販売が頭打ちとなり,住宅建設も減少傾向を示すなど,成長テンポの減速を示す指標が現れてきており,これが景気後退を示すものと解釈され易いからである。

景気の転換点を特定することは容易ではないし,転換点が来た場合に即時に判定できるわけもない。景気の基準日付というものがあるが,これは歴史的に景気の分析をするものであり,現在,あるいは近い将来の景気の局面を判断するためのものではない。景気基準日付を待たずとも,各種の指標が利用可能であり,基準日付の確定に際しても参照される「景気動向指数」も経済企画庁によって作られている。そうしたものから総合的に判断をし,機動的な経済政策の運営に努めねばならない。

しかし,それはかならずしも容易ではない。まず第1に,最近においては景気指標の動き方もかつてのように単純ではなく,その読み方にはこれまでと異なる目も必要になってきているという問題がある。例えば,安定成長期においては,成長率も景気の上昇局面と下降局面でそれほど差がないのに対応して,景気関連の諸指標もなかなか決定的な動きをしなくなってきているのではないか,という問題である。第2の問題は,今回の景気拡大局面が長引いていることの根底に,景気循環のメカニズムの変質があるのではないかという議論があるが,であるとすれば,景気関連の諸指標の読み方も変わってくる,という問題である。これらの問題をここでとりあげる。

(景気動向指数について)

最近の景気動向指数(ディフュージョン・インデックス,略してDI)の動きをみると,次のような点が注目される。第一は,景気動向指数の中の,「先行指数」,「一致指数」,「遅行指数」のうち,先行指数が4月の統計までで8ヵ月にわたって,50%を下回っていることである。第二は,一致指数が,長期間連続して50%を下回ることはないが,50%をしばしば割るということである(第1-7-1表)。

先行指数は,当然ながら景気の動向にとりわけ敏感な指標から成り立っている。先行指数は,全部で13の統計を加工して作るが,金利に敏感な金融関連の指標(マネーサプライ),建設関連の指標(建築着工床面積〔商工業・サービス〕,新設住宅着工床面積,建設工事手持月数)を多く含んでいるだけに,現に金融が引き締められており,金利に敏感な需要項目が不振になるという形で,以前の高めの成長(5~6%の成長)から,巡航速度に向かって減速してくると,本物の景気後退と同じような動きを示すことになってしまう。また在庫関係の指標(最終需要財在庫率指数,原材料在庫率指数)も含まれているが,後述するように,最近の景気循環においては在庫が果たす役割は減退している。このように最近の展開にはかつてと比べると新たな要素もある。

また,景気動向指数の先行指数の動きは,日本銀行の「企業短期経済観測」の「業況感」のDIと非常に似た動きを過去において示してきた(第1-7-2図)。最近は,その業況感も高原状態から低下気味の局面に入ってきている。しかし,業況感はまだかなり高い水準にあり,「良い」と感じる企業が「悪い」と感じる企業をかなり上回っている。このような事態は,景気後退局面からはまだ距離があるというべきである。このように一時景気があまりにも盛り上がったため,その時点から減速してくると,先行指数があたかも景気後退の直前のような動きをするという問題もあるであろう。

経済活動の水準は高くとも経済の拡大テンポが減速するという状況の下では,先行指標をみる際に,これらの点に注意する必要があろう。

一致指数についても,50%を下回っても,50%近傍にあることが多いことに注目する必要がある。通常,景気動向指数のDIによる景気分析のねらいは,局面を「上昇」と「下降」の二つにわけてしまうことにあり,50%を下回れば,それが50%近くかどうか,ということを問題にしない。しかし,過去の後退局面においては景気が山を過ぎると一致指数は比較的急速に10~20%台へ低下しており,50%近傍で長く推移するという例は過去にみあたらない。このような,一致指数の例の無い動きは高めの成長率の成長経路から,景気上昇は続いているものの成長率がやや低下する状況,すなわち,減速をしているが,景気後退とはならない,という景気のこれまでにない動きに対応していると考えられる。

さらに,遅行指数の動きをみると,活発な経済活動を反映して高水準を続けていたが,このところは50%を上回っているものの一時より低い水準に落ち着いてきている。このような遅行指数の動きから見ても,あるいはその他の指標から見ても,景気が過熱してピークを迎える危険は小さくなってきているものと考えられる。このように景気動向指数は総合的に,かつ注意深く読めば,景気の現状を的確に表しているのである。

(その他の景気指標)

ところで,以上のような景気動向指数のDIの動きが観察されたのは90年の10~12月期から1~3月期にかけてであった。この期間のGDP(要素所得の年度末の受取の増加など不規則な変動を除くためGNPではなくGDPをとる。)の動きをみると,10~12月については前期比年率2.4%増とかなり低い伸びになってしまったが,これはすでに述べたようにいくつかの特殊事情が重なったものであり,1~3月にはその反動もあって同8.9%増と高めの成長率となっている。これらを平均してみても,年率5.5%の成長率である。これには特殊要因も作用していると思われるが,それを割り引くとしてもこの数字では景気後退期ということはできない。

また,倒産件数や企業収益の状況からみても,株や不動産投資の失敗による倒産や損失を除けば,事態が深刻になっているとはいえない。これまでのところ引き締めの影響は特定の部門に集中する傾向がみられる。その他の部門も影響を受けていないことはないが,その程度は軽く,経済にはある意味で「まだら模様」ができている状況にある。このまだら模様の影の部分は,資産価格の変動と係わる部分が多い。この部分が急激に深刻な事態を迎えるとなると,どのような影響が考えられるかは,詳しくは第2章でふれることにし,ここでは,次の三つの第2章での指摘を先取りして掲げておく。第一は,アメリカのように不動産不況が全体的な不況に直結するということは日本では考えにくいということである。第二は,地価の低下は,総需要を抑制する働きもあるが,総需要にとってプラスの効果も持っているということである。第三は,株価の変動は設備投資や消費にある程度影響をしてきたが,消費に対しては一時的な上昇と下落であればあまり影響を与えない,ということである。

(在庫循環の変質)

在庫循環についてはすでに第4節でみたが,その中で指摘した「在庫循環の若返り」現象についてここでやや詳しくみよう。

これは,89年の半ばから90年初にかけての出荷の停滞,在庫の増加という局面に続く,90年4~6月期以降の,出荷の伸びの回復,在庫の増加幅の縮小という現象であった。第4節で指摘したように,いざなぎ景気の時にもこうした現象が生じており,景気拡大が通常の在庫循環の期間を超えて長期化した場合に生ずる傾向がある,と理解できる。ただし,いざなぎ景気においては,在庫循環が一巡しかかった時に,世界経済が同時的な拡大に入り,我が国の輸出が急増するという要因があったが,今回は国内最終需要が堅調であったとはいえ「急増」という程ではなかったにもかかわらず,在庫調整が短時間で済んでしまったという違いがある。

このように在庫率が上昇しかかっても,短期間,小幅の上昇にとどまり,その後の在庫調整も短期間ですむため,長期の拡大が続くというところに,景気循環の変質が読み取れる。

ここで,鉱工業生産指数と在庫変動の間の関係に焦点をあてて,景気循環の変質がみられるかどうかをみる。まず,次の2つの現象が注目されよう。

第一に,最近において在庫率と生産の相関が弱まっているということである(第1-7-3表①)。これは,1965年から最近までの25年間を,トレンドの屈折に応じて4つの期間にわけて,生産指数と最終財在庫率の間の相関をみた結果である。82年から最近にかけての期間においては,それ以前にくらべると,同時期の変動の場合でも,時期を様々にずらした場合でも,この相関が低い。

第二に,最終財在庫率の自己相関については(第1-7-3表②),かつては1~数カ月の時差(ラグ)をとると,非常に高い相関があったが,82年以来の期については,これがかなり低下しているということである。自己相関というのは,自らの過去の動きとの相関であるが,これがプラスの場合,過去の傾向をそのまま続ける,あるいは増幅する傾向があるということであり,マイナスの場合過去と逆の方向にいこうとする傾向があるということである。82年以前においては,直近の過去にたいしてはプラス,離れた過去に対してはマイナスの相関がみられた時期もあった。これは在庫が周期的,自律的な運動を繰り返すということにつながる。これに対して最近は,その傾向が弱まっているということになる。

かつては外的なショックがあると,それがすぐに生産にははね返らず,まず在庫の変動に吸収され,その際在庫に自律的な「循環」が発生した。これによって生産にも短期の循環がもたらされた。

このように在庫によって短期とはいえ,ある程度の長さをもった循環が生じるのは,最終財部門で需要が減退し,その在庫が増えた後,在庫減らしのための減産が起こると,今度はその「川上」の中間財の産業で需要の見込み違い,在庫増,その後の減産が起こる。こうして在庫の変動が次々と波及することにより,在庫調整は瞬間的には終わらないで,循環といえるような変動になる。

しかし,最近においては,在庫管理技術の進歩は在庫を少なくさせるだけでなく,在庫調整のスピードを早める働きも果たしている。また,長期的な物価安定の下で在庫投資に対する企業の態度は慎重になっており,湾岸危機に伴う原油価格の上昇に際しても,一部の産業で仮需が発生したにとどまった。これも在庫の水準を低くしている要因である。

加えて,ひところの人手不足,ないしは高稼働率の下で,需要の増加が受注残として積み上がった結果,需要の減少がたとえ生じても,川上での生産調整(減産)に波及しなくなっていることもある。また,企業の態度がシェア確保から利益重視に徐々にではあるが変わってきていることも関係していよう。需要が一時的にあれば後刻の過剰在庫をおそれず生産してしまうという企業行動は減りつつある。

以上を要すると,かつての在庫循環のメカニズムが弱まっているといえよう。したがって,在庫の動きから,景気の転換点がもたらされる危険性は少なくなっている。

しかし,設備投資関連の指標などとの相関は上記の分析でも依然として認められる。設備投資を中心とする景気循環はなくなっているわけではない。長い目でみれば設備投資の減速が加速度原理を通じて景気の下降局面を作り出す可能性もないわけではない。また,外的なショックが直接作り出す景気の変動も当然存在する。

ただ,その設備投資は,最近の設備投資計画の各種調査によれば,減速はするものの,根強い投資意欲に支えられて,増勢を保つと見込まれ,さらに91年7月の公定歩合引き下げの効果も期待できることから,いますぐに設備投資循環の下降局面を作り出すことは考えられない。

その他の需要項目はどうか。住宅投資はすでに減少傾向にあり,着工統計での動きからして当面は減少傾向にあると考えられるが,住宅投資のGNPに占める比重が小さいこともあってその影響は小さい。消費は乗用車が最近時の新たな減速要因という見方もあり,4~6月期に前年同期比6.0%減となっているものの,今秋に本格化するモデルチェンジが需要の喚起要因になるものと期待されている。政府支出は景気に対して中立的であり,外需も今後大きな減速要因となることは考えにくい。

このようにすでに起こったとみられる減速が,さらに一段と進み,景気後退という事態にいたる可能性は小さいと考えられる。ただし,91年に入ってからの生産指数の増勢の鈍化とGNPの動きが食い違っており,今後の両指標の動きに注視が必要である。

また,供給面の天井にぶつかって,ボトルネック現象や,インフレのこう進から,景気上昇局面が終ってしまうおそれはない(第3章参照)。そして,そもそも,景気循環の内在的なメカニズムによって景気後退がもたらされそうになった場合でも,供給面の天井に経済が近づいた場合でも,経済政策というものがある。政府は適切かつ機動的な経済運営に努めることを旨としており,そうした政策態度によって,景気や物価の動向はかなりの程度統御可能である。とすれば,今後の推移に上のような注視が必要であるものの,経済はインフレを引き起こさない,適度の,緩やかな成長を続けるものと思われる。


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