平成元年

年次経済報告

平成経済の門出と日本経済の新しい潮流

平成元年8月8日

経済企画庁


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第5章 成長と循環の新しい姿

第1節 景気循環の変貌

以下では,今回の景気上昇局面の特徴をみた後,高度成長期,安定成長期との比較を通じて景気循環の変化について検討していくことにする。なお,ここで言う高度成長期とは29年の「神武景気」から45年の「いざなぎ景気」の終了までを,また安定成長期とは第一次石油危機以降をさす。第二次世界大戦後の日本経済は復興期を過ぎた後は高度成長期と安定成長期に分けられる。

1. 今回景気上昇局面の特徴

第1章において63年度の経済動向の特徴をみたが,今回景気上昇局面の特徴をまとめてみれば以下の5点があげられる。第一に,持続力があることである。61年11月をボトムとした今回の景気上昇期間は30か月を超え,安定成長期における第7循環(46年12月~48年11月,拡張期間23か月),第8循環(50年3月~52年1月,同22か月),第9循環(52年10月~55年2月,同28か月),第10循環(58年2月~60年6月,同28か月)の上昇期間をいずれも上回り,高度成長期における「神武景気」(29年11月~32年6月,同31か月)を超えている。さらに,「岩戸景気」(33年6月~36年12月,同42か月)あるいは「いざなぎ景気」(40年10月~45年7月,同57か月)を追っている。

第二に,力強さである。実質GNPをみると,62年度前年度比5.2%増の後,63年度は同5.1%増と,高度成長期の2桁成長には及ばないものの,50年代以降では高い成長率となっている。企業収益について,日本銀行「企業短期経済観測調査」,主要企業の売上高経常利益率をみると,製造業では,62年度上期3.99%,同下期4.64%,63年度上期5.32%,同下期5.60%の後元年度上期は5.71%(見込み)と安定成長期(ピーク,55年度上期・57年度上期4.65%)には例をみない,かつ高度成長期の「いざなぎ景気」並み(期中のピーク,44年度下期5.80%)の高い水準となっている。また非製造業では,62年度上期1.83%,同下期2.15%,63年度上期1.90%,同下期2.21%,元年度上期1.73%(見込み)とやはり安定成長期を凌駕し,「いざなぎ景気」に比肩しうるないしそれを上回る水準を維持している。こうした状況の下で,企業の業況感について,日本銀行「企業短期経済観測調査」の業況判断D.I.(「良い」-「悪い」社数構成比)をみると,主要企業製造業では元年5月時点で55%と安定成長期でのピーク(54年8月,11月30%)を大きく上回り,「いざなぎ景気」のピーク(42年11月52%)に並ぶ高水準となっている。また非製造業でも,元年5月時点で50%と安定成長期でのピーク(55年5月23%)を大幅に上回るとともに,「いざなぎ景気」のピーク(45年5月45%)をも上回る水準に達している。今回景気上昇局面において,実質GNP成長率は高度成長期に比べれば見劣りするものの,そうした中でそれと遜色のない利益率を計上していることは,日本企業が幾多の構造調整を経るに従って,収益基盤を著しく強化していったことを示唆するものである。

第三に,内需主導型という成長パターンである。今回景気上昇局面において,実質GNP成長率5.2%増(61年から63年にかけての2年間,年率)に対し,内需の寄与度は6.5%増,外需の寄与度は1.4%減と,安定成長期とは様変わりの内需主導型成長が実現している。また,内需の寄与度6.5%増のうち,国内民需は6.2%増となっており,自律色の強い景気上昇であることが窺われる。需要項目別にみると,とくに設備投資の伸びが高く,また個人消費も堅調である。一方,経常海外余剰は3年連続のマイナスとなった。

第四に,業種によるバラツキが少ない,言わば全員参加型の好景気である。鉱工業生産活動を業種別にみると,61~63年度における鉱工業生産の増加率は年平均7.3%増(前回上昇局面の58~60年度同5.4%増)であるが,繊維を除いていずれも5%以上の増加を示している。また前回局面と比べると,大幅に増加した精密機械,輸送機械等一部では伸びが下回っているものの,大部分は前回局面の伸びを上回っている。そこで変動係数をみると,前回局面では1.09であるのに対し,今回局面は0.55となっており,バラツキが著しく小さいことがわかる。こうした全員参加型成長については前記の業況判断D.I.からも窺うことができる。

第五に,物価の安定である。円高等の影響を受けて,国内卸売物価は3年連続の低下(61年度前年度比5.2%の低下,62年度同1.7%の低下,63年度同0.5%の低下)となり,また消費者物価は61年度前年度比横這い,62年度同0.5%の上昇,63年度0.8%の上昇といずれも安定した動きを示した。この間,賃金上昇率も落ち着いており,賃金と物価安定の好循環が明瞭となった。こうした物価安定は今回景気上昇の一つの要因となっていることは言うまでもない(この点については後で詳述)。

2. 景気循環の姿の変化

現在は第二次大戦後,11回目の景気循環の上昇局面にある。前述の特徴は,これまでの景気循環と比べた場合に,何らかの変化を示しているのであろうか。景気循環は,多くは設備投資と在庫投資の変動で支配されている。両者には自律的な変動もあるが,政策の変更や外生的な要因の影響もこの両者の変動を通じて経済全体の景気循環に及ぶのが通常である。設備投資循環,在庫投資循環もこれまでみてきた産業の高度化などの中で変化を遂げてきている。

(1)設備投資循環の安定化

設備投資は,需要の増大をもたらしながら,供給力の増加を実現するという二面性を備えており,変動の幅が大きいといった特徴をもっている。しかし,設備投資の動きをGNP統計でみると,中期的な循環を描いているものの,長期的には変動の波が小さくなっている。

まず,戦後の設備投資について概観しておこう(第5-1-1図)。高度成長期では,①増加率が高いこと(31年から46年にかけての増加率は年率16.4%増),②変動幅が大きいこと(33年央から34年初,38年初,40年央から41年央に前年割れを記録している),③増加局面で製造業,非製造業を問わず業種間のバラツキが少ないこと,が特徴としてあげられる。増加率の高さについては,まず何よりも企業の成長意欲をあげなければならない。それを支えたものが技術革新であり,軽工業から重化学工業への転換であった。第二次大戦中に欧米で実現していた技術へのキャッチアップが必要であった。各企業の競争がこうした投資を促進した。さらに,高度成長の後半になると労働力需給逼迫による賃金上昇に対応して労働から設備への生産要素代替を活発化させた。一方,変動幅が大きい点については,ウエイトが高かった製造業では,能力増強投資が中心(純投資比率は神武景気約63%,岩戸景気約78%,いざなぎ景気74%)であり,時間が経過するにつれて生産能力が需要を上回る増加を示し,稼働率が低下して投資の低下を招くといったストック調整が強く働いていたことが指摘できる。

安定成長期では,①高度成長期の終息とともに増加率が低下したこと,②設備投資のフレが小さくなったこと(51年央以降前年割れとなったことはない),③製造業では電気機械といった一部の分野でのみ投資が増加したこと,等が特徴としてあげられる。この間,素材型製造業でも省エネ投資の増加がみられたが,総体として低調であった。投資のフレが小さくなった点については,①相対的に安定した増加をみせる非製造業のウエイトが高まったこと(設備投資に占める非製造業のウエイト,40~45年平均46.1%に対し55~60年同55.9%),②製造業においては,能力増強投資が電気機械等一部の業種に限られ,更新投資のウエイトが上昇し(40~45年25.6%に対し55~60年40.2%),③また,研究開発投資といった独立投資のウエイトが高まる中で,全体としてストック調整メカニズムが弱まったこと等が背景としてあげられる。

これに対して,今回景気上昇局面では,①63年度の設備投資が前年度比17.9%増と「いざなぎ景気」の44年度(同29.1%増)以来の高い伸びとなるなど力強さを有していること,②製造業を含めバラツキが小さいこと,③海外現地生産を積極化させる一方,製品類を中心に輸入が大幅に増加する中で,投資活動が活発であること,が特徴である。バラツキが小さく,力強さを有している点については,第1章,第2章で述べたように,①企業収益が各業種にわたって好調であり,業況感も高度成長期並みの明るさを維持していること,②情報関連を中心に技術革新が著しく進展しており,各産業でそれへの積極的な取り組みをみせていること,③企業が経営多角化,新製品開発等のリストラクチャリングを推進していること,が指摘できる。この間,実質GNPに占める設備投資の比率をみると,高度成長期(45年~50年平均15.5%)から安定成長期(55年~60年同16.4%)にかけてやや上昇した後,今回局面では62年19.2%,63年21.0%とかなり上昇している。

(ストック調整メカニズムの弱まり)

それでは,設備投資循環の安定化について,製造業からみていこう。製造業の設備投資をストック調整の観点から捉える際には,設備投資と資本ストックの関係,および資本ストックと生産能力の関係をみていく必要がある。

まず,設備投資(フロー)と資本ストックの関係をみると,フローのストックに対する比率(設備投資の資本ストックに対する比率)が低下している。それは昭和40年代のピーク時には2割近い水準にまであったものが長期的に大きく低下し,現在ではその半分の一割以下の水準になっており,現在では設備投資の増加が資本ストックの増加に結びつく度合いが「いざなぎ景気」時に比べ二分の一以下に低下している(資本ストック増加率=〔前期の設備投資/前期末の資本ストック〕×〔1+設備投資増加率〕-除却率)。

次に,資本ストックと生産能力の関係を検討してみると,資本ストック÷生産能力(ここではこれを資本係数と呼ぶ)はトレンド的に上昇してきている。これは種々の要因が複雑にからみ合っているが,①研究開発投資や情報化投資といったいわゆる独立投資の活発化,②内販強化のための販売拠点拡充,③新規事業分野への進出,など直接生産能力の増加に繋がらない資本ストック形成の高まりに加え,④高付加価値製品へのシフト,⑤労働,エネルギー等の投入コストを節減するための要素代替型投資の活発化など直接生産に関わる分野でも資本係数を一貫して上昇させるような方向へ進んで来た点も重要である。

独立投資については,第2章で分析したところであるが,情報化投資は着実にそのウエイトを高めながら増加しており,また産業の高度化の流れの中で,研究開発投資は景気動向に殆ど左右されることなく増大している。加えて,円高以降,経営基盤強化のための多角化にも積極的に取り組んでいるが,①情報・通信関連,②資産の有効利用をねらっての不動産業,③成長性の高いレジャー,サービス部門など,内容的には非製造業の設備投資というものがこのところ目立って増えてきている。この間,今回の拡大局面については,第1章で述べたように本社ビルや福利施設の整備など非生産部門での建物投資が活発である。

次に要素代替の動きについてみてみよう(第5-1-2図)。資本投入,労働投入,中間投入といった各生産要素の産出に対するウエイトをみると一貫して資本投入が増加し,労働投入・中間投入は減少してきている。資本と労働の間には,相対的にみて労働コストが資本コストに比べ割高になってきているという関係がみられるため,要素代替の誘因が働いたものと理解できる。一方,中間投入については石油危機によるエネルギーコスト高騰期には同じような誘因が作用したものの,その後相対価格はむしろ資本投入よりも中間投入を増大させる方がより有利な状況になってきている。しかしながらミクロレベルでの企業行動が,短期的な利潤最大化を実現するような方向で規定されているのではなく,中長期的観点から技術革新や新製品開発に積極的に取り組み,その成果を生産現場に導入するという形がみられ,その結果として中間投入が減少し,資本投入が増大する方向へ進んできたものと思われる。

こうした独立投資や要素代替の動きにより,資本係数は長期的に上昇し資本ストックが増加してもその分がストレートに生産能力の増加には結び付かなくなってきている。このように,設備投資→資本ストックの増加→生産能力の増加,という関係が各レベルで弱まってきているため(昭和63年製造業設備投資21.3%増,資本ストック6.0%増,生産能力1.3%増),かつてに比べ設備投資水準の割に供給力過剰へ陥りにくくなっているものと言えよう(第5-1-3図)。

以上みたように設備投資は全体としてより安定的になってきているが,前回景気後退局面入りの際にはストック調整が強く働いた。これは設備投資の業種別偏りから生じたものである。すなわち,50年代半ばからの製造業の投資循環を形作っていたのは電気機械を中心とした加工型産業であり,構造調整を進めてきた素材型産業の設備投資は低水準かつ安定的に推移していた。とくに59~60年にかけては,半導体を中心に能力増強投資を続けていた電気機械が単独で牽引していたのが実態で,設備投資が一部の業種の特定の分野に極端に集中していた。電気機械の分野では,半導体など新分野の成長が著しく,成熟した段階にある素材型産業と異なり,需要動向と生産および生産能力,資本ストックの関係が密接につながっている。

そこで,ストック調整型モデルを推計してみると(第5-1-4表),素材型産業では設備廃棄などの構造調整を進めていたこともあり,設備投資を行っているにもかかわらず資本ストックや生産能力が減少するという分野がみられ,符号条件を含めストック調整モデルの説明力がない。一方,加工型産業ではストック調整型の行動原理でうまく説明できる。とくに電気機械では調整速度が加工型産業全体の2倍という結果がでている。つまり,前回の設備投資拡大が電気機械の分野に偏っていたということは,ストック調整が最もききやすいかたちで拡大していたことを意味している。

(海外現地生産化と国内投資)

海外現地生産化については,第3章で詳しくみてきたところであるが,ここでは国内投資との関連についてみていきたい。前述のとおり,今回景気上昇局面では生産能力の伸びが著しく低いが,その理由の一つに海外現地生産の動きがあると考えられる。61年から62年にかけて製造業の国内設備投資は冷え込んだが,現地直接投資は収益悪化の下でも推進された。海外直接投資額を海外における設備投資額とみなすと,直接投資額の総投資額に占める割合は60年度3.8%,61年度4.8%,62年度8.7%,63年度10.9%と著しい上昇傾向にある。この間,国内投資額は61年度前年度比10.4%減,62年度同4.4%増,63年度同29.6%増となっているが,総投資額は61年度同9.4%減,62年度同8.0%増,63年度同32.3%増と国内投資を上回る伸びを示している。

それでは,こうした海外現地生産化や現地での生産能力の拡充は国内投資を押しのけ,その不安定化要因となるであろうか。第2章第2節でみたように現地生産化に積極的な企業は国内投資についても同様に積極的である。企業は海外現地生産を進める一方,潜在需要旺盛な国内マーケットを再認識しつつ,①国内製品の高付加価値化を図る,②新製品開発等研究開発に注力する,③新規事業分野への進出等経営の多角化を図る,④内販強化のための拠点網の整備を行う,といった点に関連した国内投資を活発化させているのである。したがって,現地生産は企業収益の安定化に資するものではあるが,国内投資の不安定化に繋がると考えるのは早計とみられる。

(非製造業分野での投資行動)

これまで製造業の設備投資についてみてきたが,次に非製造業について検討してみよう。非製造業の設備投資は安定成長期においても着実な増加傾向を示してきたが,59年以降一段の盛り上がりを示している(59年前年比12.2%増,60年同15.4%増,61年同13.4%増,62年同13.7%増,63年同15.4%増,ストック統計法人ベース)。その要因の第一は,非製造業が直面している総需要が堅調に推移していることである。産業関連表の生産誘発係数を用いて,非製造業者が直面している総需要を試算してみると,非製造業は製造業と比べ内需のきき方が強く,輸出のきき方が弱いため,60年から61年にかけての前回の後退局面においても,製造業とは対照的に堅調に推移し,また今回上昇局面においても,内需主導型成長の下で製造業と歩調をそろえる形で高い伸びを示している (第5-1-5図)。

第二に,企業金融面である。非製造業では,投資に占める機械器具のウエイトが高い製造業とは異なり,電力,不動産,航空,鉄道などにみられるように資本装備率が高く,投資回収に長期を要する業種が多い (第5-1-6表)。また最近では,都市開発やリゾート開発,大規模複合商業施設建設,物流センター新設など,従来にも増して長期の投資回収を要する大規模プロジェクトが次々と具体化している。こうした設備投資は初期負担が大きいため,投資決定に当たっては投入可能な自己資金量と外部からの長期資金コスト(実質金利水準)が重要な要素となってくる。59年以降の非製造業設備投資の盛り上がりの背景の一つには,企業の収益力の向上により自己資金量が増大していることや,低金利水準が続いていることがある。そこで,円高前の9年間と直近の9年間に分けて,関数を計測してみると (第5-1-7表),前述のような大型プロジェクト関連投資の高まりの下で,最近になって自己資金要因や金利要因のパラメータが上昇し,かつ説明力が強まっている。

第三に,情報関連を中心とした技術革新の進展である。金融・保険,流通,物流等の分野では情報技術革新に対応したネットワーク形成のための投資を積極化させている。また,VAN業,ソフトウェア業,情報処理業といった情報化関連のニュービジネスが台頭ないし拡大しており,そうした分野での設備投資も目覚ましい。

第四に,規制緩和である。電気通信,航空,石油,金融等での規制緩和が設備投資を活発化させている。電気通信では参入の規制緩和により投資が活発化している。航空では路線規制の緩和により航空機の購入が増加している。石油ではガソリンスタンドに係る規制緩和により投資が積極化している。金融ではエレクトロニック・バンキングに係わる規制緩和や金融自由化に対応した合理化意欲の高まりからオンラインシステム構築などを中心に投資が増加している。

第五に,リース業の設備投資である。技術革新の進展に伴い,機械設備の陳腐化が従来に増して速くなっている。現行の設備償却期間は長く,自らが投資を行うと償却コストが大きくなるため,リースの利用が増えている面もある。

非製造業の設備投資動向は,我が国経済が内需を中心に成長を続けるうえで,重要なポイントである。前述したとおり,非製造の資本装備率は,卸・小売,個人サービス等一部を除けば製造業に比べ高い。このことは,資本係数が高いため,非製造業の成長にはより多くの設備投資が必要であることを意味する。既にみたとおり,非製造業の設備投資は活発であり,それは非製造業の成長をもたらしていると考えられるが,その投資は同時に内需の拡大に貢献している。現状,投資増と内需拡大の好循環が生じており,先行きについても,こうした好循環が持続する可能性は高いとみられる。

(設備投資の裾野の広がり)

以上のように今回景気上昇局面では,製造業,非製造業を問わず,業種間にバラツキなく設備投資が増勢を辿っている。製造業について,素材型産業では遊休設備の再稼働や更新投資,合理化投資などを行いつつ,一方では中長期的観点から高度化のための投資(研究開発投資,多角化投資)あるいは構造調整の過程で積み残していた投資(維持・補修,間接部門の拡充)に取り組んでいる。加工型産業では,中長期的な経営戦略の下で,研究開発投資や国内市場開拓のため新製品投入,技術革新に伴う製品の世代交代への対応および販売網整備を活発化させている。非製造業でも情報技術革新や規制緩和への対応等,やはり中期的な経営戦略の下で旺盛な投資意欲を継続している。

こうした事情により,投資分野は極めて多様で,業種の裾野も高度成長期に匹敵するほど広がっている。このように設備投資循環の姿は,より波長の長いかつ振幅の小さいものに変わってきていると推察される。したがって,ストック調整が強く働いた前回の拡大局面と今回の拡大局面とは様相を異にしており,先行きについても設備ストック面で調整が生じる可能性は小さく,持続力を有しているとみられる。

(2)在庫投資循環の安定化

景気変動要因として設備投資循環と並び在庫投資循環が重要である。そもそも在庫は取引を円滑化させるために生産者,流通業者等が保有するもの(バッファー・ストック)であるが,景気上昇局面では手持ち在庫が減少するため,企業はこれを積み増そうとして需要を上回る生産を行う一方,景気下降局面では在庫荷もたれ感が増し,その圧縮を図るため,生産は需要を下回るというように,在庫投資循環は生産を大きく変動させる。生産の変動は企業業績等に波及し,景気全体の循環をも増幅することになる。経済成長との関連では,景気上昇局面では在庫積み増しから成長を押し上げる一方,景気下降局面では在庫圧縮から成長に対しマイナスに働く。このように在庫投資循環は景気循環をみるうえで重要なポイントである。

そこでまず,GNPベースの在庫投資についてみると(第5-1-8図),第一に在庫投資にフレはあるものの,それが50年代以降小幅化していることである。これは在庫投資循環が安定化していることを意味している。第二に,在庫投資水準自体がやはり50年代以降低下していることである。これは,在庫投資の実質GNP成長率に及ぼす影響が小さくなっていることを示している。高度成長期(30年~45年)における在庫投資の増加率は年平均40.0%増であるが,50年代以降では同12.5%増と小幅化している。また,実質GNPに占める在庫投資の割合は高度成長期では平均1.7%(最高45年3.3%)であるのに対し,50年代以降では同0.6%(最高54年0.9%,63年0.5%)と低下している。第三に,在庫率水準も50年代以降ほぼ一貫した低下トレンドをもっていることである(最近時のピーク50年1~3月期26.6%,63年7~9月期19.4%)。これは,企業活動を行うに際し,必要な手持ち在庫ストックが低下していることを意味している。

次に在庫投資循環を,メーカー在庫(生産者製品在庫),流通在庫(販売業者在庫),原材料在庫と段階別にみてみよう(前掲第5-1-8図)。前述した50年代以降におけるGNPベースでの①在庫投資のフレが小幅化していること,②在庫投資水準が低下していること,③在庫率水準が低下トレンドを有していることの三つの特徴点は,段階別にみても同様に確認しうる。ただ,在庫率の低下トレンドの程度については段階別にやや異なっている。そこで52年以降のトレンドの傾きを計測してみると,メーカー在庫率が-0.042であるのに対し,流通在庫率は-0.141,原材料在庫率は-0.146と流通在庫率,原材料在庫率の低下トレンドが目立っている。この間,50年代後半以降については流通在庫率の低下が際立っている。後述するように,流通在庫率の低下についてはPOS,EOS,VANの普及が,また原材料在庫率の低下については投入原単位(1単位の製品を生産するのに必要な原材料消費量)の低下がそれぞれ背景にあると考えられる。

さらに,メーカー在庫について業種別にみてみよう。まず在庫投資については,非鉄金属,パルプ・紙のほか,鉄鋼,窯業・土石,繊維といった素材型では投資水準の低下,フレの小幅化が目立つ一方,電気機械,精密機械を中心とした加工型では投資水準が高止まり,またフレも続いている。電気機械,精密機械といった加工型では技術革新の進展の下で新製品の出現が速く,また需要の伸びが大きいため在庫投資水準が高止まっているほか,輸出比率が高く,相対的に情報が不完全な海外要因の影響を受けやすいことがフレを持続させているといった見方も一面では指摘しうる。一方,素材型での投資水準の低下についてはディス・インフレや川下段階での投入原単位の低下が背景の一つとしてあげられる。この間,在庫率については,精密機械,繊維,窯業・土石は別としておおむね低下トレンドを有しているが,非鉄金属,石油・石炭,プラスチック,パルプ・紙を中心とした素材型の低下トレンドが目立つ。また,加工型でも輸送機械,食料品・たばこ等で低下トレンドが大きい。

こうした,在庫投資の安定化の背景について検討してみよう。第一に,情報技術革新の進展の下での在庫管理技術の向上である。第2章第2節でみたように,流通の分野ではPOS,EOS,VANの普及が目覚ましく,棚卸回転率が著しく上昇している。このことは,発注から納品までの時間短縮,少量多頻度輸送等により流通段階での必要手持ち在庫がより少なくてすむことを意味している。一方製造段階での製品在庫についても,①原材料の在庫を保有せず,生産にあわせて原材料を搬入するといった「ジャスト・イン・タイム」化が図られるなど工場における在庫管理技術が向上していることに加え,②流通段階での在庫圧縮が進むことにより,やはり手持ち在庫の縮減が可能となること,③POS,EOS,VANの普及により売れ筋商品の把握が即座に可能となるため,販売の芳しくない商品の生産を減らすなどの対応が可能になること等により,全体の在庫が圧縮されている。

第二に,生産工程における技術革新の進展である。FA化(工場の自動化)等により歩留り率が上昇するとともに,省エネ・合理化等の技術向上により投入原単位(1単位の製品を生産するのに必要な原材料消費量)が低下し,原材料在庫の圧縮が可能となる。

第三に,物価の安定である。物価が安定していれば仮需的な在庫投資が沈静化するほか,つくりだめをして販価の上昇を待つといった形での製品在庫,仕掛品在庫のフレも生じない。

第四に,在庫投資採算の安定化である。流通在庫や原材料在庫において投資を行うか否かを決定する場合,投資採算が一つの要因となる。投資採算は投資を行うことによって得られる収益率と金利コストの差で求められ,前者が後者を上回れば在庫投資が有利,逆であれば不利といった関係にある (第5-1-9図)。そこで仮に,金利が固定的であれば,物価上昇(低下)予想が生じた時,在庫投資採算が有利化(不利化)し,在庫投資が積極化(消極化)する。一方,金利自由化により,金利が弾力的に変化し,物価上昇(低下)予想を敏感に反映するならば,在庫投資採算はそれほど大きく変化しないこととなり,結果として在庫投資は安定化する。

第五に,サービス取引の拡大である。サービス取引は基本として在庫を持ちえない。そうした取引のウエイトが上昇してきていることにより,経済全体からみて在庫変動のインパクトがより小さなものになっている。

以上のような状況の下で,足もとの在庫投資をみると,税制改正等特殊要因の影響で,各段階ともややフレが見受けられるものの,在庫率は各段階において低水準かつ安定しており(前掲第5-1-8図),先行き在庫投資循環による景気の反転は可能性として低いとみられる。

(3)物価と賃金動向

今回の景気上昇局面では,円高等の影響もあって物価が近年になく安定し,それが景気上昇に果たした役割は極めて大きい。また,賃金と物価安定が好循環を示した。そこで,物価について検討した後,雇用情勢を踏まえながら賃金決定メカニズムの変化をみていくこととする。

(物価安定の要因)

まず,物価について過去の動きを概観しておこう。高度成長期では,卸売物価は「神武景気」においてボトルネックが生じ騰勢を示した時期が見受けられたが,以降輸入物価安定(35年から45年にかけての上昇率は年平均0.1%)の下で,生産性の上昇や要素代替の活発化もあり,総じて安定していた。35年から45年にかけての卸売物価(国内)上昇率は年平均1.4%であった(最高45年前年比3.5%の上昇,最低37年同1.6%の低下)。しかし,消費者物価は,労働力供給が潤沢であった「神武景気」では安定していたものの,「岩戸景気」の35年頃から上昇が目立っていた。これは「慢性的労働過剰」が解消し,労働力需給がタイト化していくにつれて賃金が上昇したためである。製造業では生産要素代替の活発化の下で,生産性の上昇が賃金コストの上昇を吸収しえたため,卸売物価は安定していたものの,サービス業等ではそれを吸収しえず,消費者物価は続騰した。35年から45年にかけての消費者物価上昇率は年平均5.7%(最高45年前年比7.7%,最低35年同3.6%)と卸売物価からの大幅乖離がみられ,当時この種の物価上昇は「生産性上昇率格差インフレーション」と呼ばれた。なお,「いざなぎ景気」の後半44年夏場から物価の上昇がみられ,45年には国内卸売物価が前年比3.5%の上昇,消費者物価(帰属家賃を除く総合)が同7.7%の上昇となったが,これは財市場・労働市場での需給タイト化,固定相場制の下での海外インフレの国内伝播(輸入物価同3.5%の上昇)が基本的要因である。

安定成長期については,2回の石油危機の下での物価上昇が特徴的である。48年10月に勃発した第一次石油危機においては,国内卸売物価は48年前年比15.8%の上昇,49年同27.6%の上昇,消費者物価は48年同11.7%の上昇,49年同23.2%の上昇となった(49年の国内卸売物価上昇率は戦後最高,消費者物価上昇率は現系列が開始された45年以降最高)。また,53年10月に発生した第二次石油危機においては,国内卸売物価は54年前年比5.0%の上昇,55年同14.9%の上昇,消費者物価は54年同3.7%の上昇,55年同7.7%の上昇となった。しかし,2回のインフレは様相を異にしている。その理由は,一つ目に金融面での違いである。第一次石油危機の際には,既に「過剰流動性」によってインフレが進行していたところに石油価格の上昇が加わり,物価上昇は加速した。これに対し,第二次石油危機に際しては,インフレ心理の浸透を防ぐため金融政策が機動的に発動された。二つ目に,賃金の反応の違いである。第一次石油危機では,物価上昇をそのまま反映し,49年の賃金上昇率は前年比27.2%の上昇となった。一方,第二次石油危機においては55年の賃金上昇率が同6.3%と相対的に小幅上昇にとどまった。両者の違いは,消費者物価にもあらわれている。第二次石油危機の対応には,海外への所得移転という形をとる輸入インフレを国内でそのまま転嫁していけば悪循環が生じるといった第一次石油危機の経験が生かされたのである。ディマンドプルインフレだけでなく,コストプッシュインフレでもマクロ政策による対応が必要なこと,海外への所得流出という局面では賃金面でもその流出分を負担せざるをえないことがここで認識された。

その後,56年以降60年にかけてディス・インフレの時代が到来する。国内卸売物価は年平均0.1%の上昇(最高56年前年比1.4%の上昇),消費者物価は同2.8%の上昇(最高56年同4.9%の上昇)と高度成長期にもみられない安定した動きを示した。期中,輸入物価は年平均4.8%の下落,賃金(製造業)は同4.6%の上昇といずれも安定していた。この間,国内卸売物価ではその32%を占める機械器具が年平均0.1%の下落と極めて落ち着いていた(機械器具の42%を占める電気機器は同1.3%の下落)点が特筆される。

今回景気上昇局面では,物価は極めて安定していた。61年から63年にかけて,国内卸売物価は年平均2.8%の下落,消費者物価は同0.5%の上昇となっている。国内卸売物価で低下が顕著な分野は石油・石炭製品(年平均14.9%の下落),電気機器(同5.3%の下落),化学製品(同3.5%の下落)などである。

このように,我が国物価は安定成長期の半ばから安定化傾向がみられたが,今回景気上昇局面においてその傾向がさらに強まった。そこで,国内卸売物価と消費者物価について,高度成長期と安定成長期に分けて関数を推計してみた。まず,国内卸売物価についてみると(第5-1-10表(1)),高度成長期では輸入物価,製品需給,単位労働コストのきき方がいずれも強く,また輸入浸透度もきいている。これに対し,安定成長期では輸入物価,製品需給,単位労働コストのきき方がいずれもかなり小さくなっているが,一方輸入浸透度のきき方は幾分強まっている。輸入浸透度のきき方が強まっている点については後述するように,円高の下で「輸入の安全弁」効果が大きくなっていることを示唆するものである。この間,製品需給のきき方が弱くなっている点については,素材型を中心とした市況製品の取引ウエイトが低下する一方,技術革新の進展によるコストダウンが著しい機械類のウエイトが上昇していること等が背景にあるとみられるが,安定成長期においては製品需給が一貫して「供給超過」にあったため,その度合いが改善しても物価にはさほど影響がでない一方,高度成長期にはしばしばそれが需要超過になったため製品需給のきき方が強いといった面があるとみられる。

次に消費者物価についてみると(第5-1-10表(2)),高度成長期においては,卸売物価のきき方が強く,賃金のきき方が相対的に小さかったが,安定成長期においては,卸売物価のきき方が弱くなる一方,賃金のきき方が強まり,きき方は後者が前者を上回るに至っている。こうした変化は,消費支出に占めるウエイトが上昇しているサービスは労働集約的であり,財貨に比べ賃金コストの影響を受けやすいこと等がその背景としてあげられる。この間,前記関数において,賃金要因のラグが2年と長い。これは賃金が単にコスト要因というばかりでなく,賃金→所得→消費支出→消費者物価といったメカニズムがきいている可能性があることを示している。特に前述のサービス分野は消費支出の所得弾性値が高いため,そうした分野の需要動向が消費者物価に影響しやすいことを示唆しているとみられる。

ところで,国内卸売物価と消費者物価の関係について検討しておこう。従来から国内卸売物価は消費者物価に先行すると考えられてきた。しかし,両者の時差相関係数と波及係数を計測してみると (第5-1-11図),国内と消費者物価の商品との比較では,国内から消費者物価への相関が依然高いものの,国内と消費者物価全体との比較では,最近時において,国内卸売物価の先行性が不明瞭となり,また国内卸売物価の波及度合いも弱まっているとの結果であった。これはサービス取引の拡大が背景の一つにある。62年の実質国内総生産でサービス業の占める割合は21.2%(政府サービス生産者及び対家計民間非営利サービス生産者を除くと11.8%)に及んでいる。消費者物価に占めるサービスのウエイトは42.0%(帰属家賃を除くベース33.0%)となっているが,卸売物価統計ではサービスが含まれていない。サービスのウエイトが上昇してきている状況下,卸売物価統計においてサービスが導入されるとすれば,卸売物価と消費者物価の関係に変化が生じてくる可能性がある。

以上の諸点を踏まえ,今回景気上昇局面における物価安定の要因について改めて整理しておくと,第一に輸入物価の安定である。これは,海外物価が安定していたこと(例えば56年~63年にかけてロイター指数,アメリカの卸売物価ともに年平均1.2%の上昇)や60年以降の円高・原油安によるものである。輸入物価の安定はコスト面から日本の物価安定をもたらした。第二に,賃金の安定である。後述するように,近年賃金と物価の関係が強まっている。第三に,いわゆる「輸入の安全弁」効果の発現である。円高を契機として,製品輸入が大幅に増加している。第四に,技術革新要因である。例えば,近年電気機器を中心とする機械類の価格が安定している。電気機器は,技術革新の進展が目覚ましい分野である。こうした技術革新要因が物価安定に寄与しているが,電気機器の取引ウエイトが上昇してきているといった構造変化が統計のウエイト算定に反映されて,全体への影響度が大きくなっている点も見逃せない。

そこで,円高の下での製品輸入の増加が物価に及ぼす影響について検討してみると,一つ目には,コスト低下効果である。中間財等の価格が低下すると最終需要財生産者等の投入コストが低下する。安値製品輸入の浸透は投入コスト低下の波及をより大きなものにする。二つ目には,需給緩和効果である。国内製品と競合する製品輸入の増加は供給総量の増加となり,国内の需給を緩和させる効果をもつ。三つ目に競争圧力の上昇である。国内メーカーにとって,競合する製品類の輸入が増加すれば,国内品から輸入品への需要のシフトを惧れて値上げは困難になる。さらに国内メーカーは輸入品に代替されないようにコストダウンを図り,産出価格の安定化に積極的に努めようとする。なお,国内メーカーは一旦そうした事態に直面すると,海外の物価や為替レートが安定しており,かつ海外に供給余力が存在する場合には,製品類の増加テンポが仮に鈍化してきても,産出価格の安定化を怠ることはできない点には留意する必要がある。前者2点は直接効果であり,3点目は間接効果である。また,前者2点は短期的効果であるのに対し,3点目は中期的な効果をもつ。

(賃金決定メカニズムと雇用情勢)

次に賃金について,まず過去の動きをみていこう(第5-1-12図)。高度成長期では,第一に所定内給与,賞与とも伸びが高い。また,総じて賞与の伸びが所定内給与を上回っているほか,賞与の動きが先行している。第二に,所定内給与および賞与と有効求人倍率の関係が強い。そして,有効求人倍率が両者に先行している。当時,労働力需給はかなり逼迫しており,その場合人員を確保するためにも賃上げが必要であった。第三に,賃金と消費者物価の上昇率が高い(35年から45年にかけての賃金上昇率は年平均12.3%,消費者物価上昇率は同5.7%)。

安定成長期では,第一に所定内給与の伸びが著しく鈍化している。第二に利益の伸びが低下する中で賞与の伸びは概ね所定内給与の伸びをさらに下回っている。第三に,賃金と消費者物価の上昇率がともに低下している(55年から60年にかけての賃金上昇率は年平均4.0%,消費者物価上昇率は同2.8%)。安定成長期において構造調整を余儀なくされた企業は事業に不確実性が生じ,また労働者サイドでは雇用不安が台頭した。企業は固定費となる所定内給与を抑制し,また賃金単価が相対的に低いパート雇用を積極的に活用していった。この種の雇用者のウエイト上昇は統計上,平均賃金上昇率を下押すこととなる。一方,収益が改善した場合には賞与で対応する。また労働者サイドでは雇用重視の観点から所定内給与の引上げを強くは主張できない状況であった。こうした中で,物価は次第に上昇率を低下させていった。

今回上昇局面では,第一に所定内給与の伸びの水準は依然低い。第二に,好収益の下で賞与は所定内給与を上回る比較的高い伸びを示している。第三に,物価がさらに安定し,賃金と物価安定の好循環がみられる(61年から63年にかけての賃金上昇率は年平均2.5%,消費者物価上昇率は同0.4%)。こうした動きは,基本的には安定成長期の賃金決定構造を受け継いでいるとみられるが,63年に入り,収益が好調に推移し,有効求人倍率が1倍を上回る上昇を示す中で,所定内給与が緩やかに上昇してきている。

一方,雇用情勢に目を転じてみよう(第5-1-13図)。高度成長期では,有効求人倍率が「いざなぎ景気」の42年央以降恒常的に1倍を上回り,常用雇用がパートを上回る形で労働力需給の逼迫が目立っている。失業率は低位安定しており,雇用者数の伸びも高かった。

安定成長期に入ると,有効求人倍率は1倍を大きく下回り,特に,常用雇用の需給が緩んだ。失業率も中期的な上昇傾向を辿り,雇用面では女子やパート採用が急速に増加していった。この間,所定外労働時間がフレクシブルに動くようになった。企業は安定成長への移行に伴う減量経営の下で,女子やパート雇用を増加させた。一方,主婦層を中心にパート形態で働くニーズも高まっていった。景気上昇局面においても,企業は常用雇用者の採用には慎重で,所定外労働時間の増加やパート採用で極力対応していった。

今回上昇局面では,基本的にはやはり安定成長期のパターンを継承している。有効求人倍率では引き続きパートが常用雇用を上回り,所定外労働時間や女子,パート雇用者の増加が著しい。もっとも,有効求人倍率が常用雇用を含めて,40年代以降久方振りに1倍を上回るなど労働力需給が引締まりをみせるに至っている点が注目され,また失業率も低下するなど流れに変化が窺われるのも事実である。

以上のように,賃金と雇用は密接な関係をもちながら推移しているが,こうした雇用情勢の変化の下で賃金決定メカニズムがどう変化しているかを関数により調べてみよう (第5-1-14表)。ここでは,時間当たり所定内給与と同現金給与総額に分け,期間を区切って分析してみた。所定内給与と現金給与総額の差は,賞与と所定外給与であるが,大宗を占めるのが賞与であり,両者の動きの差は賞与により生じているとみなすことができる。まず所定内給与をみると,労働力需給を示す有効求人倍率のきき方が,高度成長期は高く,安定成長期に入って著しく弱まっている。もちろん,有効求人倍率については,高度成長期では1倍を上回るほど逼迫し,一方安定成長期では景気上昇面でも1倍を上回ることがなかった水準の乖離があったこと,また企業内に過剰雇用感が続いていたことには留意する必要がある。消費者物価上昇率は高度成長期に比べ安定成長期にはきき方を増している。企業収益については,高度成長期から安定成長期に移行してきき方を増している。企業収益が増加すれば賃金は上昇し,それが減少すれば,賃上げも緩やかになるという賃金のフレクシビリティが高まっているようにみられる。なお最近の60年から63年について同様の推計を行ってみると,消費者物価上昇率,企業収益ともにそのきき方が強まっており,安定成長期にきき方が弱まった有効求人倍率も,わずかにきき方が強まる方向に変化している。現金給与総額についてもほぼ同様の傾向が窺われるが,①消費者物価のきき方が所定内給与に比べさらに強まっていること,②企業収益のきき方が,所定内給与に比べ大きいこと,③労働力需給のきき方が今回局面においては所定内給与を下回っていることが指摘できる。後者二点については,賞与が企業活動の成果配分という形をより色濃くしているためとみられる。

以上のように,物価や賃金決定においては近年新たな要素が加わっており,両者の安定化に寄与してきた。例えば,前記賃金関数,物価関数を用いて労働力需給の引締まりによる賃金,物価面への影響を,高度成長期と安定成長期とに分けて試算してみても,安定成長期においては高度成長期に比べ,賃金上昇率,物価上昇率のいずれもが小幅にとどまるとの結果が得られる(付注5-3参照)。こうした試算結果については,ある程度幅をもってみる必要があるが,物価や賃金決定においては,高度成長期に比べては,安定化の傾向が強まっていると考えられる。ただし,後述するように,このところ物価や賃金をめぐる環境が変化してきている点には留意する必要がある。

3. 景気変動要因の変化

以上のように,景気循環の姿が高度成長期,安定成長期そして現在と変化してきているが,今回の景気上昇の持続性を探るうえで,過去の景気反転メカニズムをみておくことは重要である。景気下降要因についても,高度成長期と安定成長期とで大きく異なっており,以下では時期を分けて振り返ってみた後,現局面について検討したい。

(高度成長期における景気反転)

高度成長期における景気反転要因は一言で言えば,景気過熱とそれに対する政策発動であった。ただ,景気過熱といっても,30年代の「神武景気」や「岩戸景気」では輸入急増に伴う「国際収支の天井」であり,40年代の「いざなぎ景気」では物価上昇という点で大きく異なっていた。

まず,「神武景気」についてみると,設備投資,在庫投資の「速すぎた拡大」から,31年央には設備能力面でボトルネックが発生し,資本財を中心に輸入が急増,国際収支が悪化した(31年度の在庫投資,輸入等(いずれもGNPベース)はそれぞれ前年度比293.7%増,同34.1%増とGNP統計上最大の増加率を示した)。このため,金融面では32年3月,5月と公定歩合が引き上げられ,財政面でも6月には財投繰り延べを中心とする「国際収支改善緊急対策」が閣議決定され,それらの実施が32年6月をピークとして景気反転をもたらした。また「岩戸景気」ついては,36年に入ってアメリカの景気後退に伴い,輸出が鈍化する一方,設備投資や個人消費の根強い増勢により輸入が大幅に増加したことから,経常収支の赤字が目立つようになった。このため,36年7月,9月と公定歩合が引き上げられるとともに財政支出の繰り延べが実施され,景気は同年12月をピークに後退局面入りした。国際収支の悪化は,当時の外貨準備高が10億ドル内外にすぎず,国全体の対外支払い能力が乏しかっただけに引締め政策の発動を呼んだ。

次に「いざなぎ景気」の場合は,引締め要因と自立的要因がある。引締め要因については,44年の夏場から物価上昇が顕現化したため,金融面では44年9月に公定歩合および預金準備率の引上げが行われ,財政面でも45年度予算が抑制的に編成されるなどの措置がとられた。44年以降の物価上昇についてやや触れると,卸売物価では,固定相場制の下で海外インフレが輸入物価の上昇(44年前年比1.9%の上昇,45年同3.3%の上昇)という形で国内に伝播していった状況下,国内面では内需の増勢に加え,輸出が大幅な増加を示すなど需給がタイト化し,また労働需給逼迫の下で賃金コストが上昇(製造業名目賃金44年同16.3%の上昇,45年同15.0%の上昇)したため,値上げ気運が高まり,国内卸売物価が上昇した(45年同3.5%の上昇)。一方,消費者物価は,上記卸売物価上昇に伴う工業製品の値上りや賃金上昇を背景としたサービス価格の上昇等から国内卸売物価を上回る騰勢(45年同7.7%の上昇)を示した。

自律的要因については2点ある。一つは設備投資のストック調整である。それまでの設備投資の大幅増加の下で,設備投資の資本ストックに対する比率は42年度末17.1%,43年度末17.8%の後,44年度末19.6%と高まりをみせ,資本ストックの伸びも43年度前年度比16.1%増,44年度同16.8%増の後,45年度には同17.4%増と高まった。このように大幅な資本ストックの増加の下で,生産能力の増加も大きく,設備投資は自律的に反転する余地が拡がっていた。今一つは,物価上昇のデフレ効果である。景気が成熟期に入ると,需要の伸びが鈍化してくるが,そうした中で賃金コストが上昇してくる。それを企業が甘受すれば企業収益が圧迫される。そこで各企業がそれを値上げによりカバーしようとすれば,物価上昇によりマクロ的な実質所得の低下を招き,需要の鈍化に拍車がかかるばかりでなく,一層の賃金上昇圧力が加わるため,結局は企業収益が悪化するのである。

そこで「いざなぎ景気」末期の企業収益(日銀短観,主要企業製造業)をみると,売上高経済利益率は44年度下期5.80%から45年度下期4.55%にかけて1.25%ポイント低下している。内訳をみると,売上高が引締めの影響もあり,44年度下期前期比3.4%増から45年度下期同1.4%増へと伸びが著しく鈍化している状況下,売上高人件費率は賃金が上昇を続ける中,同10.65%から同11.54%へと0.89%ポイントの上昇,売上高金融費用比率は金利が上昇する中,同4.02%から同4.49%へと0.47%ポイントの上昇と固定費負担が増加している。この間,44年度上期から45年度下期にかけて産出価格は3.8%の上昇,一方投入価格は2.9%の上昇となっており変動費要因は収益率に対しプラスに働いていた。

このように,45年7月をピークとする「いざなぎ景気」における反転は景気引締め措置に加え,設備ストック調整や物価のデフレ効果が働いていたとみられる。なお,「いざなぎ景気」における国際収支については,我が国企業の対外競争力が強まっていく中で43年春以降,経常収支の黒字が定着し,外貨準備高も当時,最低ラインといわれた20億ドルを上回る30~40億ドルに達していたことから,「国際収支の天井」が最早成長制約要因ではなくなっていた。

(安定成長期における景気下降)

安定成長期の景気下降要因は主として外的ショックによるものである。高度成長期にみられた自立的循環による過熱は姿を消した。安定成長期においては,輸出主導型成長を辿っていただけに,外的ショックに対して極めて脆弱であった。ここでは,48年,55年,60年の景気転換を取り上げる。まず,46年12月から48年11月までの景気上昇局面については高度成長期から安定成長期への移行期と位置づけられる。48年の景気転換をみても,過熱にそれに対する政策発動の結果といった高度成長期的要因と外的ショックの結果といった安定成長期的要因の両面がある。47年半ば以降,個人投資や設備投資を中心に景気上昇に弾みがついてくるとともに,財市場,労働市場での需給が逼迫化し,物価上昇率が次第に強まっていった。このため,48年4月から8月にかけて4度公定歩合が引き上げられ,同年5月には公共事業の繰延べ措置がとられた。この点は,「いざなぎ景気」と同じパターンであるが,景気は「列島改造ブーム」の下で秋口にかけて過熱感をむしろ強めていった。そうした中で,48年10月に第一次石油危機が発生した。石油価格の高騰は,物価上昇を加速させ,12月には公定歩合が一気に2%引き上げられる(戦後最高水準の9%)一方,海外景気の下降から輸出が減少し,翌49年には実質GNPが前年比1.4%減と戦後初のマイナス成長となった。

55年,60年の景気転換は過熱感なきピークアウトであり,その主たる要因は外的ショックにある。まず,55年の場合は53年10月に勃発した第二次石油危機による景気後退である。52年10月以降,金融・財政政策の支援や円高進行に伴う物価安定の下で,内需を中心とした景気上昇過程を辿っていたが,第二次石油危機の発生により物価は大幅に上昇し,このため54年4月から55年3月にかけて5度の公定歩合引上げが行われ,55年2月をピークに景気は下降局面入りした。なお,56年3月の公定歩合引下げ以降,景気は回復傾向を示しはじめたが,秋口以降アメリカ景気の後退を背景とした輸出の減退から再び在庫調整局面入り(いわゆる「二段調整」)したため,後退期間は36か月と戦後最大の長期に及んだ。

次に60年の場合は,円高を主因とする景気後退である。前述のように,設備投資のストック調整といった要因も働いているが,やはり円高の影響が大きい。60年2月をボトムに為替相場は反転,同年9月の「プラザ合意」以降大幅な円高が進行した。このため,輸出が減退するとともに,製造業設備投資が減少するなど,景気は60年8月をピークに下降局面入りした。大幅な円高の進行のため,61年の実質GNPは前年比2.5%増と戦後の成長率としては49年のマイナス成長を別とすれば最低となった。

(景気変動要因の変化)

それでは,今後の景気持続性を探ってみよう。これまでの議論を整理すると,設備投資では,情報技術革新の進展や経営多角化,新製品開発といったリストラクチャリングへの対応といった独立投資の高まりの下で,ストック調整メカニズムが弱まっており,その循環は安定化している。また,その独立投資の誘因をみれば,中期的な設備投資の増加を展望可能としている。在庫投資では情報技術革新の進展等を背景として在庫管理技術が格段の向上を示しており,同様にその循環が安定化している。また現状では,仮需的動きも影を潜めている。もちろん,両者とも循環がなくなっている訳ではないが,変動の小幅化もあり,当面それらが起点となって景気が自律的に反転する可能性は低いと考えられる。

物価についてみると,「輸入の安全弁」や技術革新の進展といった要素が加わっており,賃金決定にも総じて慎重さがみられる。こうした中で,第1章でみたように製品需給,労働力需給が引き締まり基調にあるなど,物価を取り巻く環境は変化してきている。現状の物価は基調として安定した動きとなっているが,引き続き物価動向を注視する必要がある。

次に,外的ショックの危険性であるが,前述のように安定成長期には石油危機と円高が景気後退につながった。最近,原油価格が上昇しているが,OPEC諸国の目指した18ドル水準に一時達したものの,供給も増加している状況下当面大きく上昇する可能性は低いとみられる。また,為替レートについても,この1年余においては,変動はあるものの,ならしてみれば総じて落ち着いた動きを示している。こうした中で,当面のリスクとしてはインフレが世界経済の持続的拡大を阻害することがあげられる。そのおそれが現実化するような場合には,対外不均衡是正とも関連して,国際金融市場,為替市場への悪影響も考えられる。したがって,各国がインフレを抑制し,経済拡大スピードの適当な鈍化に成功するかどうかが課題である。第2節でもみるように,最適な政策協調を通じて,この課題に取り組まなければならない。

この間,日本企業は内需型への転換を進めており,またエネルギー投入原単位も一頃に比べてはかなり低水準となっている状況下,石油依存度は依然高いものの外的ショックへの抵抗力が強まっている点も見逃せない。現在の内需の力強さや,以上のような景気変動要因の変化等から,日本の景気上昇の持続力は強いと考えられる。物価面,対外面における事態の推移に応じた機動的な政策運営とあいまって,好景気の持続が期待される。さらに進んでは日本経済の成長力がこうした景気の持続性の背景にあると考えることができる。

4. 日本経済の潜在生産水準

(経済拡大の源泉)

日本経済の適用力やその潜在的な生産水準の高さは,今日広く認識されているところである。しかし,高度成長が終了した後の約20年をみても,経済環境の変化は大幅でかつ急激であった。このため,数量的に潜在生産水準を測ることが困難になっている。つまり,昭和47年にはそれまでの1ドル360円で維持されていた為替制度が変動為替制度に移行した。制度の変更は,外的ショックを緩和する役割を果たす一方,純輸出の増大を為替レートの増価でチェックすることになった(レジームの変更)。48年末,第一次石油危機に見舞われ,日本経済の成長率は以降の10年間がそれ以前の10年間の約半分となった。更に,54年には再び石油危機に遭遇することになったが,2度の石油危機を経,輸入エネルギー価格は約10倍(サウジ原油で,昭和48年,約2.7ドル/バレルから55年,約29ドル/バレル)となっていた。60年には,大幅な円高が交易条件の変化をもたらし,経済の構造調整にはずみをつけた。

このように経済環境が急激に変化したこと,また,日本経済が調整期を経験していることから,経済拡大の潜在力を測ることが困難になっている。しかし,円高の試練もメリットに転ずるまでに対応を終えた今日,日本経済が持つ趨勢的生産水準を計測し,マクロ的潜在生産水準を測ることが重要な課題となっている。

一般に,経済の拡大要因として,労働力,資本蓄積,技術進歩に区分して考えるのが通例である。後述するように,このような要因で生産水準を試算している。しかし,ここでは,これらの経済の拡大要因がいかに潜在力を具現化されるかとの観点から通例と異なる区分で整理してみよう。

高度成長期以降では,日本経済の拡大の源泉は,その趨勢を支える要因として,1)高い労働生産性を実現する要因,2)産業構造の転換から生じた要因,3)資本蓄積の速さの要因,の主に三つの要因に区分してみることができよう。

第一に,我が国の労働生産性は伸び率が高いことである。製造業の最近10年間の動向を他の先進諸国と比較してみると,アメリカ,西ドイツの約2倍という結果が得られる。労働生産性の伸び自体は,資本装備率の向上,最新技術を体化した資本財の増加やOJTなどによる人的資本の蓄積によるものであろう。なかでも重要なことは,企業を中心に労使一体となって労働生産性の向上を生産に結実させるよう努力していることであり,積極的に労働節約的な設備投資や生産プロセスの改善等を行っていることである。

第二は,労働・資本・エネルギーといった生産要素の間で代替が弾力的に行われていることである。別の言葉でいえば,労働制約,エネルギー制約といった経済拡大の制約を,配置転換や事業の多角化などを行うことで産業構造を転換し,省エネ,省力化を実現し,国民の英知と努力で比較的短期日で克服してきたことである。結果としてあたかも経済拡大の制約が解消してしまうような錯覚を受けるほど,我が国の経済社会に活力と柔軟性が存在していることである。

第三は,速い資本蓄積を実現する高い貯蓄率と高い資本蓄積率の要因である。家計貯蓄,法人留保,個人及び法人の固定資本減耗の合計(粗貯蓄)と名目GNPとの比率を最近3ヵ年でみると,26.6%となっている。これを他の先進国と比較すると,アメリカでは15.8%と,西ドイツでは17.4%となっている。また,資本蓄積の面をみると,民間設備投資対GNP比率は,日本で18.6%,アメリカで11.9%,西ドイツでは14.8%となっている。つまり,我が国の資本蓄積比率が高いことに加え,産出・資本比率が各国で大きく差がないとすると,資本の蓄積速度が速いことを意味し,資本設備の新鋭化が最も進んでいることを示唆する結果となっている。これらから,我が国の粗貯蓄率が特に高いこと,我が国経済が他の先進国と同水準の高所得国となった今日でも,他の先進国と比べ速い資本蓄積を続けていること,は注目に値しよう。

(労働制約の効果)

戦後,日本経済の高度成長を支えたのは,アメリカ等の先進諸国から輸入した先進技術や設備投資を通じた技術の普及効果も大きいと考えられるが,やはり,低生産性部門に存在した余剰労働力が高生産性部門へ移動したことの貢献もあった。逆に,高度成長を昭和40年代に終焉させることになった主な理由は,まず,余剰労働力の枯渇が進展したことであり,加えて,原油・エネルギー価格の高騰であったと考えられる。

現在,労働力需給は49年以来といわれる需給の高まりがみられる状態にある。有効求人倍率は,63年夏以来,14年ぶりに1.0倍を越え,日本全国ほぼおしなべて労働需給が改善している。一方,失業率は,62年春の3%をピークに低下してきたものの,未だ2%を越える水準となっており,高年齢者では更に高い水準となっている。また,賃金率の急速な上昇も現在までは生じていない。高度成長の末期には,労働需給が逼迫し,失業率が1%を下回る状態になり,賃金率も急上昇していた。ベバレッジ曲線でみても,当時は労働のミスマッチが低かった (第5-1-15図)ことを示唆している。このように,現在と40年代の経験が全く同一の脈絡で議論できるかどうか,検討の余地がある。

以下では,経済拡大に対する労働制約の可能性を,1)労働市場の構造,2)賃金決定のメカニズム,3)資本と労働の代替性の面から検討してみよう。

第一に,我が国の労働市場の構造をみると,1)労働力供給が弾力的なこと,2)生産の変動に対して雇用での調整が小さく,3)労働時間の面では相対的に大きいことがあげられる。特に,所定時間外労働時間の調整が弾力的に行われることが特徴的である。つまり,日本の労働市場は,従来いわれていた,景気変動に対して雇用調整を余り行わず,主に,労働時間で対応する方式が依然として生きている。また,産業構造が変化するときにも企業自らが事業の多角化等を図ることで企業内労働市場を活用し,必要となった雇用調整を比較的円滑に行うと考えられるわけである。

以上から,就業者数の増加と技術進歩率を上回る経済拡大が持続すれば,労働がある程度制約なることは避けがたい。また,現在,就業構造のサービス化は大きく進展し,高生産性部門への労働移動は弱まっている (第5-1-16図)。しかし,これまでの経験では企業内労働移動等で柔軟に対応した実績があり,これから判断して,労働制約は他の先進国にみられるより厳しくなさそうである。

第二に賃金,労働費用の観点から見てみよう。既に,2.でみたように安定成長期以降,名目賃金の変動は小さくなっているものの,賞与の変動によって利益の適切な配分が確保されており,賃金による労働費用の調整は十分弾力的になっている。また,労働力構成でパート化が進んでいることに加え,最近では出向社員や派遣労働者等もみられるなど,就業形態の多様化も一段と進んでおり,これら多様な労働力の活用によって,企業は労働コストの固定的負担をできる限り軽減していると考えられる。

こうした労働費用の調整を有効に機能させることによって,企業は雇用が固定費用の増大となる危惧を持つこと無く,より積極的に雇用の増加を図ることが可能となる。

第三に,資本と労働の代替関係をみよう。50年代以降,労働と資本の代替関係がかなり顕著に認められている。つまり,生産関数によって得られた偏代替性を用いてみる (第5-1-17表)と,賃金率が資本財価格との比較で1%上昇すると,傾向として約0.5%の労働力(労働者数×労働時間)の減少となり,資本に置き変わることになるという結果になっている。最近5年をみると,賃金率対資本財価格は年平均約4.5%上昇している。価格変化の要因からは,資本が労働力に年当たり約2.4%程度代替する傾向があったことになる。

このような代替の例として,第一次石油危機後,労働コストが著しく上昇したとき,省力化投資を積極的に行う等して,労働を労働節約的な資本で代替する動きが広く製造業でみられたことがあげられる。また,最近でも,趨勢的には,製造業,非製造業を問わず,マイクロエレクトロニクス化等の設備投資を活発に行っていることが資本装備率の上昇となって労働生産性を向上させており,加えて,最近の金融緩和政策によってもこのような労働節約的な投資が促進されていると考えられる。

(エネルギー制約の効果)

経済が拡大を続ける上で,短期的には,エネルギーの供給増加は不可欠のものである。ところが,10数年の動向をみると,現在のGNPは第一次石油危機発生時の48年の約1.8倍あるものの,エネルギー価格が高騰した影響を受け,一次エネルギー国内供給は,約1.14倍と殆ど変化していない。つまり,エネルギー制約の効果を検討するとき,供給制約が中心的になる短期効果と相対価格の動向によって生産要素間の代替効果が生ずる長期効果では影響が大幅に異なることを念頭に置く必要がある(前掲第5-1-17表)。

まず,エネルギーの短期的効果をみよう。第一次石油危機後の49年にはGNPが減少する等大きな影響を受けた。これには,輸入エネルギーの減少という数量効果と同価格の高騰という価格効果がある。このうち,供給数量が減少したときの数量効果をみると,先の生産関数を用いた試算では,48年から50年の間で輸入エネルギー量が5.7%減少していることが,生産を約0.3%減少させる効果を持っていることになる。同様に,価格効果をみると,48年度から50年度の間で輸入エネルギー価格が3.6倍に上昇しているが,これは生産を約3.2%減少させる効果を持っていることになる。加えて,価格上昇が生じた場合,短期的には産業の連関関係を通して,他の価格に波及し,コスト上昇分を充分転嫁できない場合には,エネルギー投入の大きい部門ほど採算が悪化し,赤字が生ずる等の深刻な影響を受けることになる。

第二に,長期的影響をみよう。長期的効果は,コスト削減の面や他の生産要素へ代替される効果とから構成される。省エネの進展と実質エネルギー価格の上昇から,エネルギー原単位は趨勢的に低下してきた。最近の1,2年をみると,これまでの趨勢に変化が生じているのではないかとの見方もある。

昭和61年以来,原油価格は20ドル/バレルを下回る価格で推移している。円建て実質原油価格(原油価格をGNPデフレータで割ったもの)をみると,現在,ほぼ第一次石油危機前の水準まで低下しているとみられる。このため,最近1,2年は省エネルギーを促進してきた,高エネ価格が消費を抑制するというメカニズムの逆が作用しているのが一因と推測される。事実,輸入エネルギーはかなりのテンポで増加しているが,これにはもちろん,素材産業の生産拡大等景気回復の局面と重なって,需要が増大していることも考慮する必要があろう。また,エネルギー価格は昨年秋を底に上昇しており,今後ともエネルギーに対する需要の趨勢を注視する必要がある。

第三に,一方で,最近では産業部門のエネルギー原単位が,マイクロエレクトロニクス化が進む等して,低下しているが,他方で,生産増によるエネルギー需要の増大,家庭部門では,従来より乗用車が大型化し,クーラー,大型冷蔵庫等の耐久消費財の増加の影響もあって,エネルギー消費が増加気味である。このように,両者の動きが相反していることから単純な動きとならず,60年から62年までの最終エネルギーのGNP弾性値は各々0.27,0.15,0.91と推移している。

総じていえば,短期的にエネルギー供給量や同価格の変動が与える影響力は大きいものの,日本経済はこれまで省エネの推進等,エネルギー要因にも弾力的に対応してきた実績を持っていると考えられる。

(潜在的生産水準の動向)

経済拡大の源泉となる諸要因の貢献度を,資本,労働,輸入エネルギーの3生産要素で,生産関数を用いて試算してみよう(試算方法等の詳細は,付注5-4を参照のこと)。

まず,第一に,潜在的な生産水準の伸び率と現実のGNPの伸び率を比較してみよう。 (第5-1-18図)にみられるように,1)第一次石油危機時にはGNPと潜在生産水準の伸び率が大きく乖離している。第一次石油危機と第二次のそれとを比較すると,第一次石油危機の影響の方がはるかに大きかったといえよう。2)最大の乖離は,49,50年に生じており,かなりのギャップがみられる。3)石油危機を克服して,省エネルギーが経済に定着するなどして,従来の経済拡大の軌道にもどるのは,第一次石油危機の場合で,約5年,第二次石油危機の場合で約3年程度かかったと考えられる。

第二に,60年以降の円高等の影響をみると,大幅な円高により,需要は輸出等の外需から消費,設備投資等の内需へと大きくシフトしたと考えられる。加えて,一次産品価格の低下,金利の低下もあって,投入価格対産出価格比率は急速に低下した。円高による景気後退と需要のシフトに対応して,産業構造の調整が活発に行われることになった。結果として,61年にはGNPの成長率が潜在生産水準の伸びを下回ったとみられる。しかし,62年にはGNPの成長率の方が上回ることになったと考えられる。

第三に,労働と資本,資本とエネルギーの間の代替関係をみよう(前出,第5-1-17表)。このような,資本,労働,エネルギーの生産における関係から,以下のような特徴がある。1)資本と労働の間では,先にみたようにかなり強い代替関係が存在している。2)資本とエネルギーは,予想に反し,補完関係がみられることである。第二次石油危機まで上昇したエネルギー価格だけで推定した場合,従来の補完的関係が代替的関係に変化したといわれていたが,補完関係が弱まっているものの,代替関係にまでは変化していない。その一つの要因として,近年の原油価格の低下が反映していると考えられる。3)労働とエネルギーの間には強い代替関係がみられ,エネルギー多消費型時代には,労働が資本とエネルギーに置き変わっていたことを示唆している。

これまで見たように,日本経済は高い適応力と柔軟な対応力を示してきた。現在もこのような特徴が持続していると考えられる。もちろん,財の需給関係が従来に比べ,引き締まって来ていることも事実であり,また,これまでに比べ,労働の需給関係も引き締まって来ている。このような状況を踏まえると,日本経済の強い景気上昇持続力を背景として,内外における事態の推移に応じた適切かつ機動的な経済運営に支えられ,経済全体としてバランスのとれた内需主導型の経済拡大を更に持続させることが可能となろう。