昭和62年

年次経済報告

進む構造転換と今後の課題

昭和62年8月18日

経済企画庁


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むすび-新しい夢を求めて-

我が国経済は,欧米先進国を目標に経済効率を追求し民間の活力を活かして高い成長を続けてきた。この結果GNPは自由世界第2位に,また一人当たりGNPは為替レートが円高になったためアメリカに並ぶまでになった。

しかし,国民の間には現状に対する不満も強まっている。所得の水準は高まったが,消費物資の価格が国際的に割高であるとの不満,自由な時間が少ないことについての不満,大都市を中心に住環境についての不満,さらに,国際収支の不均衡にともなう諸外国からの不満が強まっているため,国際的に孤立するのではないかという不安も強い。これは,非貿易財の価格が相対的に高いこと,労働時間が長いこと,ストックの水準がまだ十分高くないことなどによるものと考えられる。一人当たりGNPをみても,現実の為替レートが大幅な円高になっているためアメリカを越えているが,例えばOECDの試算した生活水準を反映するとみられる購買力平価は1986年で1ドル=223円であり,現実の為替レートに比べ大幅な円安であることにも留意しなければならない。

先進主要国に追い付き追い越すことを夢として,ここまで努力してきた我が国ではあるが,既にGNPなどのフローの指標ではそれはかなり実現した。他方では,それを追求するための効率化,合理化といった手法は有効性を次第に失ない,国民から批判的な目でみられるようになりつつある。また,今回の景気後退期の一つの特徴として,金融自由化の動きの中で金融緩和が行われ,長期にわたる金融緩和の影響もあって,債券,土地等のストック価格が上昇したことがあげられる。これに加え,資金調達コストの低下等を通じて,企業倒産の減少,税の増収などがもたらされた他,住宅投資なども促進された。しかし反面,土地問題に対する関心を高めた。

製品の成熟化,円高などにより,企業が海外に進出することは企業としては,いわば自衛的な行動ともいえる。しかし,それを契機に国内に空洞化論が起こっており,雇用面からの問題点も指摘されている。国内で労働生産性を高め,一層高付加価値の製品・サービスを供給し,内需拡大を図り,きめ細かな総合的雇用対策を講じていくとともに,新しい産業分野の開拓により多様な雇用機会の創出を図るなどして雇用を維持する努力が求められる。

まず,非貿易財について考えてみよう。非貿易財については,建設,サービスなどで貿易摩擦が起こっており,これを契機に国外企業の日本市場への進出(建設はまだ日本市場への参入要請が強まっている段階である)が盛んになっている。流通業の場合も,既に小規模企業を中心に合理化が進み,企業の減少と平均規模の拡大が起こっている。こうした競争を通じて一層の合理化,効率化が進むことが期待される。

農産物については,その産業的特性等から諸外国においてもそれぞれの国内事情に応じて所要の国境調整措置を講じている。このように農産物は必ずしも我が国だけが保護しているわけではないが,農産物の内外価格差は円高もあって拡大傾向にあり,国内からも内外価格差の是正等に対する関心が高まってきている。こうしたことから,規模拡大による生産性向上を基本とし,国民的に理解の得られる価格形成などの努力を続け,国際化時代にふさわしい産業として自立しうる農業の確立をめざすべきである。

ただし,これらの産業は地域の雇用の重要な担い手であり,また公共事業などによる中央から地方への所得移転を実現していることには留意する必要がある。

労働時間の短縮も大きな課題である。しかし,それが生活の豊かさにつながるためには生活空間の改善(必ずしも住宅だけではない),余暇のための施設の充実,環境の保全などを合せて行っていくことが必要である。所得の問題はなぜ貯蓄率が世界的にみても特に高いのかという問題と密接に関係しており,現在の経済問題の核心である。この点は後でもう一度論じよう。

ストックのうち,特に住生活の充実については,良質な新設住宅の供給を図るとともに,増改築等のニーズにも対応していくため,需要,供給の両面から特に重点的に政策資源を配分すべきである。また,住生活を向上させていく上で社会資本の役割は大きく,国民生活に密着している社会資本整備を一層推進する必要がある。さらに,土地問題の解決が不可欠であるが,特に大都市圏の土地問題については,空間資源再配分,土地の適正な高度利用,低・未利用地の活用,新しい宅地供給方式の活用,地価の安定化などの観点から施策を講じていく必要がある。線引きの見直し,既存の埋立地の再開発等を進めるとともに,居住環境の整備に関する方策を講じつつ,市街化区域農地の課税の在り方及びこれとあわせた良好な宅地供給等に関する方策の検討を行い,その結果を踏まえ,適切な対応を図る必要がある。

本年に入ってからの急激な円高は,一層積極的な不均衡是正への対応の必要性を人々に強く認識させるものであった。アメリカの経常収支の大幅赤字が続くことの,ドルレートへの影響が心配されるようになった。アメリカの赤字は,経済的に考えればそれほど短期に解消できるものではないが,議会における貿易法案審議の過程などを見ると,とにかくあらゆる手段を使って解消しなければという,焦りに似たものが感じられる。しかし,貿易制限などの経済合理性を欠いた手段が有効であるはずはないし,それを強行すれば世界貿易の縮小さえもたらす虞れがある。

現在世界の直面している大きな問題であるアメリカ経済の経常収支不均衡の是正については,アメリカ自身が財政赤字の縮小を図ることが必要であると考えられるが,その縮小が非常に困難であるという事実は銘記されるべきであろう。

しかし,我が国としても事態を座視することはできず,アメリカに財政赤字縮小努力を促すとともに国際的に調和のとれた対外均衡の達成と,国際社会への積極的貢献を図ることによって,率先して保護主義を防あつし,自由貿易体制を守らねばならない。行財政改革の基本理念を維持しつつ,その成果を生かしながら,現下の経済情勢にかんがみ,内需拡大のための臨時緊急の思い切った財政措置を講じたところであるが,今後とも,適切かつ機動的な財政,金融政策の運営を図ることが必要である。さらに,規制の抜本的見直しを行うことが重要である。また,経済・社会情勢の著しい変化に即応し,抜本的な税制改革を実現することが急務である。

我が国は国際的に調和のとれた経済構造を実現する必要があり,そのために円高の効果が更に浸透することを期待しつつ,構造調整を急がなければならない。海外投資の増加,内外競争条件の整備,輸入拡大,市場アクセスの改善などもそれに資することになる。日本の輸入は,第II部でもみたように,既に大きく増加しており,こうした努力によってその傾向は一層確実なものとなろう。

また,経済構造は需要構造の変化に対応して決定されるものであるから,国民のニーズは何で,どう変っているかがもう一つの大きな問題となる。円高によってますます国内市場に注目せざるを得ない企業にとっても,これは大きな問題となるはずである。

こうした中で見られる大きな方向は,まず,一層の高付加価値化を図ることである。現実のニーズは消費者の購入行為を通じて表われるものであるから,どのような製品,サービスが高付加価値であるかも,結局はそれが顧客のニーズに合致しているかどうかで判断されるしかない。もちろん,それは所得など様々な制約のもとでの行為であり,そうした制約によって歪められている可能性はないことはない。しかし,今や住宅などを除けばそうした可能性は従来より小さくなってきたとみてよいのではないか。もう一つの大きな問題は,貯蓄-現在の消費と将来の消費との選択-である。これには人口の年齢構成,年金制度の在り方,国民性などが関連し,そのため現在我が国の貯蓄率は高くなっている。将来の安心や安全を高く評価するというのは,個人としては立派な資質である。ただ,昨年の年次経済報告でも論じたように国全体としてそのように発生した貯蓄をどう投資しておくかというのは,重要かつ難しい問題である。

もっとも,貯蓄率が上昇を続けるという事態は,今後はあまり想定しなくてもよいのではないか。国民のニーズがますます多様化する中で,本当に求められている物が与えられていないことも,消費を抑制しているのではないか。新しい商品やサービスを供給する活動は本来民間の行うべきことで,政府は介入すべきではないという意見もある。しかし,政府の行っている様々な規制,介入が民間のこうした対応を妨げてはいないか。かつて重化学工業化や高付加価値化を政策的に促進したように,そうした変化を積極的に促進することはできないか。そのためには,まずどのような変化が起きるかを把握することが必要であろう。かつての産業政策でもビジョンによりその方向性を明らかにしてきている。

まず,人々がモノよりは情報(ソフト)に相対的により大きな価値を認めるようになっている。次に,多様化,個性化に対する欲求が強まっている。さらに,これとは矛盾するが「群れ」ることへの欲求も強い。これは日本人に特有のものとも考えられる。「都市的」な生活への欲求も強まっている。また高品質指向が強く,さらにサービス,ソフトを軽視する傾向があった。これらは,今後変化していく可能性が大きいし,既に変化しつつある。

これらの変化や傾向は消費や輸入にかなり大きな影響を与えているとみられる。さらに,今後急速に進行するとみられる高齢化も同様である。企業や産業はこうした動きに適応するため急速な変貌を遂げつつある。技術進歩がこうした動きを加速している。こうした動きがよりニーズに見合った財やサービスの供給を保障するのであれば,それは大いに歓迎すべきことである。

現時点において国内的に最も問題なのは,雇用問題が特に地域的に厳しさを増していることである。それは構造調整に伴うものであるだけに,問題の解決はなかなか容易でない。マクロ的にみれば,このことは,世界的な国際収支の不均衡の是正を急ぐ必要があることと関連している。財政赤字による雇用の創出は結局一時的なものである。より継続的な雇用の創出は国民のニーズに見合ったもので,それは民間の自力で生み出されるほかはない。その意味では内需成長率については近年のペースを高める必要があり,中成長路線への円滑な移行を図ることが大切であり,その中で新しい雇用機会の創出と中小企業の雇用創造力に今後大きな期待が持たれることとなろう。特に,地域の雇用問題を解決していくための最も基本的な対応は,それぞれの地域で雇用の場を確保することであり,また,当面は地域間の労働移動により地域のミスマッチの解消を図っていくことも必要であろう。

日本の黒字は円高などのため緩やかに縮小していこう。問題はそれが緩やかであり,保護主義や累積債務などの問題が次第に切迫してくる中で,時間との戦いに勝てるかどうかである。日本には円高に耐え,資金を円滑に還流し,さらに,市場アクセスを改善していくことが求められている。しかし,これからの市場アクセスの改善に関してはそれに伴う国内の調整が厳しい問題となりつつある。これまで保護されていたのはそれが公正に叶う(何らかの理由で自由な競争に委ねるには問題が多すぎる)と考えられていたからに他ならない。こうした中で,今後とも,経済環境の変化に応じた新しい要請にも応えていくことが課題である。

考えてみれば,今日まで日本は先進国並の豊かさを求めるために効率性を追求すると言う国民共通の目標を設定して走ってきた。日本は今まで効率性を追求して成功してきており,それを捨て去ることはできない。しかし,人々が豊かになり,個人の自由な生き方がより尊重されるようになれば,当然経済効率の追求と矛盾する面が出てくる。こうした動きは第一次石油危機以前にも一時見られた。しかし,石油危機とともにそれの乗り切りが緊急の課題であるとして,片隅に追いやられた観がある。それが円高を契機に,再び息を吹き返したのである。物質的な豊かさの追求は人々の持つ多くの目標の一つである。しかしそれがかなり実現してきた現在,人々の間に公正それ自身に対する要求が強まっていると考えられる。それが実現しないと,社会の一体性が損なわれるという感情が生れてきつつある。円高差益問題も同様である。これまでのような効率性の追求自体が他の目的と矛盾すると考えられるようになったと言ってよい公正とは必ずしも完全な平等,あるいは与えられた条件下での所得の再分配を意味するものではあるまい。むしろ,各人がその差違に応じてそれぞれの持つ夢(望むところ)を実現できることが,可能であることがもっとも大切ではないであろうか。このような夢の内容は,今までよりはるかに多様であり,それを一言で表現することは難しい。ましてや,政策的にそれを規定することは不適当であろう。政府の役割はどのようにしたらそれが実現できる仕組みができるかを考え,必要な改革を行うことであろう。

ただここで一つ指摘しておかなければならないことがある。それは,もしさらに効率を追求することを止めてしまえば結局はこうした公正も実現できないであろうということである。そのような見方からすれば,効率の追求は依然その重要性を失ってはいない。厳しさを増す国際経済情勢の中で,合理化や研究開発の努力は,ますます重要となるだろう。しかし,その努力がどのような方向に向けられるかが問題なのである。既存の製品のコストをさらに切り詰めることとともに,新しいニーズにあった製品の開発,そのためのニーズの汲み上げ,さらに人々のニーズの掘り起こしのための研究が今ほど必要な時はない。

それは,内需中心の成長にも資することになるし,将来の競争力を形成することともなるのである。

次に,現在問題となっている東京中心の地価上昇について考えてみる。

土地には,全く同じ商品(例えば銀座四丁目の角地)がないという点で特殊な財であり,また土地市場での取引価格についての情報が不完全である等の要因から短期的均衡が乱されやすい。

最近の東京を中心とする地価上昇も,金融緩和の状況下で,東京の国際化,情報化,サービス化に伴う都心部等における事務所ビル需要の急激な増大,都心部等の業務地化に伴う住宅地の買替え需要の増大が生じたことに加え,これらの需要増大を見込んだ投機的取引等が,複合的に生じたことによるものと考えられる。地価安定化の観点からは,こうした投機・思惑などによる地価の上昇を抑制することは重要である。しかしながら現実問題として,如何なる取引が投機的取引であるかを見分けることは容易ではない。

各主体の効率性追求にまかせ,土地利用の入れ替え(転換)が行われた場合,夜間人口の減少,都心の空洞化,犯罪の増加などの外部不経済が生じる可能性がある。従って社会的厚生を最大化するためには,公的機関による何らかの規制が必要と言える。

すなわち土地は国民の生活,生産諸活動の共通の基盤である一方で資産的保有の対象ともなり得る財であるため,個人,企業の自由な利用になじみにくいものと言える。従って適正かつ合理的な土地利用の実現を図るためには,公共的な立場から土地の私的な保有・処分・利用の強力な制限及び誘導が有効と言えるが,これは国民の財産権に深くかかわる問題でもある。

このため,まず適正な土地利用の実現に向け,土地の所有者の保有・処分・利用がどの程度制限を受けるべきか,また,その負担はどうあるべきかという点について国民的コンセンサスの形成を図る必要がある。

効率と公正という概念は,国境を越えて適用することも可能であろう。しかし,公正を確保する仕組みは国境を越えては働かない。発展途上国などに対する経済協力については,やはり世界経済の円滑かつ均衡のとれた発展に資するという見地が最も重要であろう。現在の経済摩擦は少なからず世界的な過剰生産(能力)傾向から生まれており,しかもこれら製品に対する需要は発展途上国などでは潜在的に強い。また,累積債務問題などのため,債務国において輸入削減措置がとられ,経済開発のために必要な資本財,中間財の輸入まで削減されるなど,世界的な商品や資金の循環が阻害される傾向が現れてきている。

これに対し先進国において発展途上国の一次産品などに対する需要の拡大が叫ばれているが,それには技術進歩や需要のソフト化などのため限度がある。

やはり発展途上国においてこそ一定の国内需要の増加が必要である。原油や粗原材料に対する潜在的な需要は,発展途上国ではまだまだ大きく,それを顕在化させることで,発展途上国の人々の生活は大きく向上するだろう。そのために先進国は協力して必要なファイナンスを実施していかねばならないであろう。

発展途上国の多くは経済発展段階説からすれば,まだ債務国の段階に留まっている。債務残高が大きいこと,経済運営に必ずしも問題が無くはないことは事実であるが,経済的には,更に借入を増加させない限り成長を続けていくことはかなり困難であろう。純債権国としての我が国の重要な責務の一つとして,これら諸国への資金の流れを確保することが指摘されよう。どのようにこれを実現するかというのは容易ではない問題であり,そのためには,国民の合意が形成される必要があろう。

しかし,当面する大きな問題として我が国は外から「公正」についての要求を突き付けられている。アメリカの議会で議論されている貿易法案で最も問題となっているのは,正に何が「公正」な貿易かということであり,このような保護主義的な流れは次第に強くなってくる可能性が大きい。自由貿易を守ることは大切であり,それが人々の利益に叶うことは言うまでもない。しかし,「公正」な貿易を望む声が今ほど高くなったことは,第二次世界大戦以後なかったと言ってよいだろう。我々は保護主義的な流れを受け入れることはできないけれども,その起ってきた理由については深く考えてみる必要がある。そして,それに答える意味からも不均衡の是正,構造調整を急がなければならない。

また,こうした調整が,企業や家計の期待成長率の低下に直結しないためにも,内需成長率については近年のペースを高める必要がある。しかし,財政(公共投資)による対応には限界があり,民間の自由な発想による,新しい事業機会を求めての活動(革新)が盛り上ってくることが望まれる。

そのためには,規制の緩和,研究開発努力などへの適切な支援等を通じて,人々がその求めている目的を実現できるよう,環境を整備することが重要であろう。それは人々に新しい企業家精神を求め,そして努力したものがむくわれる仕組みを造り上げることを意味する。幸い内需はこのところ比較的高い伸びを示しており,多様化を求める人々のニーズは,新しい事業機会を提供している。金融も緩和しており,資金面からの制約も小さい。

我が国は,現在今までの路線を大幅に修正し,新しい道を歩みつつある。その修正の方向が,我が国民のより良い生活に役立つようなものであることが何よりも大切である。それとともに,まだ投票権のない将来の世代の利益や,海外の人々の利益への配慮も欠かせない。日本の持つ経済力は,いまやこうした多くの目的を同時に追求することが可能な水準にまで達したのである。そのことを喜ぶとともに,それが賢明に達成されるように努めることが,現在の最も重要な課題であろう。


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