昭和61年

年次経済報告

国際的調和をめざす日本経済

昭和61年8月15日

経済企画庁


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第1章 円高下の日本経済

第2節 世界経済環境の変化と国際収支

  1980年代前半の世界経済は,ドル高,高金利,高い原油の三つの異常ともいうべき高水準によって特徴付けられてきた。これらは,80年代の前半において,アメリカの経常収支赤字,我が国の経常収支黒字,発展途上国の累積債務問題等の国際的な不均衡を拡大させたが,世界的なインフレの鎮静化を背景として85年以降に「大幅な水準調整」が起こった。このことは,基本的には望ましい変化であると位置付けることができるが,新たな水準への調整過程で様々な問題点を生み出すことも事実であろう。

1. 世界経済フレームの変化

  (原油,一次産品価格の低下)

  世界経済フレームの変化の第1は高い原油の修正である(第1-2図)。70年代における二度の石油危機によって著しい高騰をみた原油価格は,第2次石油危機以降,世界経済が不況に陥ったことから,弱含み傾向になった。その後82年末からアメリカ経済を中心として世界景気が回復したにもかかわらず,世界的な石油需給の緩和基調には変化はなかった。これは先進工業国を中心とする省エネルギーの進展,代替エネルギーの導入等によって石油需要が減少すると同時に,北海,メキシコ等新規油田開発が促進され,それらの非OPEC諸国を中心に増産が続いたことによる。

  こうした中でOPECのシェアは次第に低下を続け,OPEC諸国は,83年3月,基準原油の公式販売価格を1バーレル当たり5ドル引き下げ,29ドルとした。また,サウジアラビアがスウィング・プロデューサーとして生産調整を行ったことが価格の下支えをすることになった。しかし,サウジアラビアがスウィング・プロデューサーとしての役割を放棄し,シェアの回復を目指してネットバック販売を開始し,増産を始めたことから,85年11月頃よりスポット価格は軟化傾向になった。さらに,OPEC諸国が12月のOPEC総会で,「公正なシェアの確保と維持」を打ち出し,ある程度価格が下がっても一定のシェアを回復しようとする意思を示したことなどから,スポット価格は投機色の強い北海,米国産を中心に下落し始め,86年1月下旬には20ドルを割り,3月末には12ドル台にまで低下した。このようにして原油価格はほぼ第2次石油危機前の水準まで調整がなされた。

  次に,一次産品価格について,工業製品に対する比価の推移によってみると(第1-3図),原油を除く一次産品価格は80年代に入っても総じて軟調に推移しており,84年以降も下降傾向にある。これは,まず第1に,農産物は,アメリカ,EC,アジア地域等の生産が着実に拡大する一方,世界的な景気の低迷等により需要が伸び悩んでいることから過剰傾向の様相を強めていることが挙げられる。また,こうした状況下で,最大の穀物輸出国であるアメリカが,輪出不振から大きな穀物在庫を抱え,財政負担も膨大となってきた中で,大幅な生産調整,ローンレートの大幅引下げ,輸出振興等を内容とした「1985年食料安全保障法」を制定したこともあって,今後農産物輸出国間での穀物の輸出競争の一層の激化が予想される。

  第2に非鉄金属等は,いわゆる軽薄短小化に伴う素材ニーズの変化等による需要の停滞と,累積債務国における増産等により供給過剰傾向にあること,等が挙げられる。こうした状況下,ITA(国際すず協定)は破綻し,他のいくつかの国際商品協定も厳しい状況にある。

第1-1表主要経済指標の動向

第1-2図 主要原油スポット価格等の推移

第1-4図 主要国の金利動向

  (高金利の是正)

  世界経済フレームの変化の第2は高金利の是正である(第1-4図)。アメリカはインフレーションの昂進に対処するため,77年春から金融政策を引締め基調に転換し,7次にわたり公定歩合を引き上げたこともあって,高金利がもたらされた。82年秋には,景気後退,インフレの鎮静化,国際金融不安の発生等を背景としてこれまで引締め的だった金融政策を中立的なものへと転換させたが,財政赤字の拡大,マネーサプライの急増に伴う引締め懸念の高まり等から金利は下げ止まりをみせた。しかし84年下期から物価の安定,景気拡大速度の鈍化から金利は低下傾向を示し,特に86年に入って,原油価格の急落に伴うインフレ期待の鎮静化等から,長期を中心として金利は一段と低下した。

  また,70年代末からアメリカの金利上昇を反映して,世界的な高金利が出現し,各国の金融政策の制約要因となってきた。しかし,アメリカの金利低下,ドル高修正等を背景として世界的な高金利も次第に是正に向かい,86年に入って日本をはじめとして欧米主要国で相次いで,公定歩合,介入金利の引下げが行われた。この結果,各国の金利は1970年代後半の水準まで低下している。

2. ドル高修正の進展

  (ドル高の出現)

  ドル高がアメリカの金融引締め,財政緩和というポリシー・ミックスを主因として生まれたことはほぼ確実である。それは,アメリカのスタグフレーションを(失業のコストを少なくして)収束させるのに役立ったとみられる。しかし,その結果大きな双子の赤字が残′V),これが世界経済の攪乱要因となっている。当面する大問題はこれをどう収束させるかであるが,そのために採られる政策は,当然今までの行き過ぎたドル高に大きな修正を迫るものである。アメリカの財政赤字の拡大と景気回復を背景とした高金利,さらにアメリカ経済に対する信頼感などを原因として続いたドル高が修正されたのは,84年下期からのアメリカの景気拡大の鈍化,85年に入ってアメリカ当局がドル高修正を目標として取り組む意向を示したこと,財政赤字の縮小方針を明示したこと,また,これらを反映して金利低下傾向が定着したことなどによるものである。特に,9月の5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)の合意は,アメリカを始め,5大国が協調して,秩序あるドル高の修正に取り組むという姿勢を明らかにし,それが市場の期待を大きく変化させたという点で,ドル高の修正に大きな効果をもたらしたものといえる。

  (ドル高・円安修正の経過)

  円レート(円の対ドルレート)は,昭和59年春より一貫して円安傾向で推移してきたが,60年2月13日の263.4円をボトムとして,ドル高・円安修正局面に入り,9月末まで緩やかに円高が進んだ後,急速な円高傾向となった。円レートが60年2月以降円高に転じたのは,アメリカ経済の拡大速度の鈍化,金利差の縮小の要因によるものと考えられるが,9月下旬以降の急速な上昇は,9月22日の5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)の合意を受けた協調介入をきっかけとしたものであった。すなわち,円レートは,G5直前の242円程度からG5後の9月末には210円台まで大幅に上昇した。その後は200円に向けての緩かな上昇となり,61年1月中旬までその傾向が続いたが,下旬から再び急上昇して190円台を突破し,2月中旬から180円前後となった後,4月中旬から5月中旬にかけ更に上昇して5月12日には一時160円を割るなど急速な上昇をみせた後も総じて円高傾向で推移した。

  (ドル高修正の評価)

  以上のようなドル高修正をグローバルな観点から評価するため,まず各国財の国際市場での競争力を表す実質実効レートの動きをみよう。第1-5図は円,マルク,ポンドの実質実効レートをアメリカを基準(ニュメレール)として表示したものである。これによれば1980年以降,円,マルク,ポンドのレートはほぼ足並みをそろえて低下し,85年2月のボトムには80~82年の購買力を基準として,ドルに対して25~35%切り下がっている。このことは,こうした動きがドルの独歩高によってもたらされたことを示すものである。今回の円高は明らかに1980年代前半のドル高局面の修正という性格を持っている。これに対し,77,78年の円高期には,円がドルに対して急速に切り上がったのに対し,マルク,ポンドは比較的に安定した推移を示しており,今回の円高とは様相が異なる。

  86年5月の東京サミットまでにドル高修正はかなり進み,対先進国通貨ではほぼ行き過ぎたドル高が出現する前の状態まで水準の訂正が進行つつあるとみることができる。ただ,86年に入ってからの円の実質実効レートの上昇テンポは,マルク,ポンドと比べて余りにも急速であると言えよう。

  このように対先進国通貨ではドル高修正はかなり進んだが,発展途上国,特にNICSに対してドル高修正がどの位進んだかを最近の実質実効レートの動きによってみると(第1-6図),これらの国々は実質対ドルレートの安定に配慮していることもあって,十分な修正はなされていないことが分かる。このためNICSの日欧に対する競争力は強まっており,こうした状況で円高,欧州通貨高だけを更に進行させても,為替レート調整によるアメリカの国際収支の大幅な改善は期待できないと言えよう。

  近年国際資本取引が活発化してきているため,為替需給において資本取引の比重が経常取引に対して相対的に高まってきている。こうした状況を踏まえ,ドル高・円安の修正局面の持つ意味を日米両国の実質金利,実質為替レート及び為替リスクの関係からみて行こう。今,日米間で完全に自由な資本移動が行われているものと仮定すれば,日米の実質金利と実質為替レートの間には次のような裁定関係が働くものと考えられる(付注1-1参照)。すなわち,①アメリカの実質金利の上昇は,アメリカの実質為替レートを上昇させ,我が国においては,実質金利の上昇と実質為替レートの低下を生じさせることになる。また,②アメリカの実質金利が一定の下で,我が国が独自に実質金利を低下させれば,我が国の実質為替レートは低下する。さらに,③アメリカの累積経常収支赤字の増加は,為替リスクの増大からアメリカの実質為替レートを低下(我が国の実質為替レートを上昇)させる要因になる。このような裁定関係は,現実には,資本移動に関する制約の存在,為替レート期待の変化等の要因により,常に成立するものではないが,こうした視点に立って,1980年以降の日米両国の実質長期金利,実質為替レートの動きをみると,その動きは次の三つの局面に整理することができよう(第1-7図)。

  第1の局面は80年から84年4~6月期までである。この局面においては,アメリカにおいて,80年10~12月期以降,実質長期金利,実質為替レートがともに上昇を示し,これに対応して我が国においては,アメリカの実質金利に鞘寄せする形で実質長期金利が上昇する一方,実質為替レートが低下する傾向が見られた。このように第1局面では上にみた日米間の裁定関係がかなり働いていたと考えられる。

  第2局面は,84年7~9月期から85年1~3月期であり,上記の裁定関係からの乖離がみられた局面である。アメリカにおいては,84年下期からの景気拡大速度の鈍化を反映して実質長期金利が弱含みに転じ,特に連邦準備制度が84年の11月以降公定歩合を引き下げたこともあり,金利低下の動きが定着した。更に,アメリカの経常収支はドル高を反映して82年に赤字に転じた後,84年には1,000億ドルを超える大幅な赤字を記録し,このような対外債務の拡大は為替リスクを増大させていたものと考えられる。こうしたアメリカにおける実質長期金利の低下,為替リスクの増大にもかかわらず第二局面では実質為替レートの上昇傾向が継続した。これは,主として,為替市場における投資家の間で,インフレの鎮静化や景気の拡大基調などによってアメリカ経済のファンダメンタルズに対する信頼感から依然としてドル高期待が継続していたことによるものと考えられる。我が国においては,アメリカの長期実質金利の低下とドル高期待の継続に影響されたこともあって実質長期金利,実質為替レートがともに低下を示した。

  このような裁定関係からの乖離は,85年4~6月期以降の第3の局面において急速に修正された。すなわちアメリカにおいては,実質長期金利が引き続き低下傾向を示す中で,実質為替レートも低下に転じ,特に85年9月のG5以降大幅な低下を示した。これは,まず,アメリカ経済における景気の鈍化等によリファンダメンタルズに対する見直し感が高まってきたこと,政策当局がドル高修正を目標とする姿勢を明らかにしたことなどにより,市場参加者の期待がドル高修正へと大きく変化したことによるものと考えられる。こうした期待の変化によって,アメリカの実質為替レートは実質長期金利の低下,為替リスクの増大を反映した本来の裁定関係を示すトレンドへと急速に回帰する結果となった。これによって我が国においても,アメリカと同様に実質長期金利が低下する中で,実質為替レートの大幅な修正が行われることとなった。

  以上のような分析の枠組みに立ってみると,85年に入ってからのドル高・円安修正は,実質金利や為替リスクとの間の裁定関係から乖離していた実質為替レートが,市場における期待の変化を反映して,実質金利や為替リスクとの裁定が働くような形で急速に修正されたものと考えることができよう。

3. 円高,原油安と国際収支

  (1)円高,原油安の国際収支への影響

  こうした世界経済フレームの変化は,我が国経済にも大きな影響を及ぼしたことは言うまでもない。ここではまず,円高,原油をはじめとする一次産品の価格低下が我が国の経常収支に与えた影響についてみよう。

  (大幅な黒字続く経常収支)

  我が国の経常収支は第2次石油危機発生後の昭和54,55年度に大幅な赤字となった後,56年度以降は一貫して黒字が続いており,その額も58年度242億ドル,59年度370億ドルと年々増加を続けている。60年度には前節でみたように世界経済環境が大きく変化し,円高が急速に進展したにもかかわらず,59年度を上回る550億ドルという大幅な黒字となった。ここでは経常収支の黒字が拡大した要因についてみて行こう。

  経常収支黒字が拡大した第1の要因は貿易収支の黒字の拡大である。我が国の貿易収支は,第二次石油危機の影響を受けて54年度には小幅の赤字に転じたものの,その後は恒常的に黒字であり,その額は58年度345億ドル,59年度456億ドル,60年度616億ドルと拡大傾向を続けた。60年度を四半期別に見ても,60年4~6月期の131億ドル(季節調整値)から61年1~3月期の174億ドル(同)へと増加を続けた。円高が急速に進展する中で,貿易収支の黒字幅が拡大した要因を明らかにするため,貿易黒字(通関収支差)について,57年度の輸出入額を基準としてそれ以降の輸出入数量に基づいて数量ベース収支を試算し,これを金額ベース収支と比較してみよう(第1-8図)。これによると59年度から60年度にかけて,金額ベース収支は黒字幅が増大しているのに対し,数量ベース収支では伸びが鈍化し60年度下期に入ってやや弱含む動きを示している。このように,金額ベース収支と数量ベース収支の動きに乖離が見られるのは①急速に円高が進展する中で,数量調整に先立ってドルベースの輸出価格が速やかに上昇することなどにより一時的に金額ベース収支の黒字が拡大するという「Jカーブ効果」が働いていること,②一次産品価格が低下したこと,特に61年3月に入って原油輸入価格が大幅に下落したことにより金額ベースで輸入が減少していることなどによるものと考えられる。

  今回の円高局面において発生したJカーブ効果を輸出入関数を推計した上で試算してみよう(付注1-2参照)。60年10~12月期以降(G5以降)の為替レートの変化がもたらす四半期ごとのJカーブ効果を合成してみると(第1-9図),その効果による黒字拡大幅は,61年4~6月期には四半期で約30億ドルまで拡大し,60年度全体では約41億ドルに達し,これは60年度の貿易黒字幅526億ドル(通関収支差)に対し約8%の寄与となる。ただし,今後,仮に円レートが一定のレベルに定着し,世界貿易や貿易価格に大きな変動がなければ,当面,Jカーブ効果による黒字拡大効果が継続するものの,次第に本来の数量効果が現れ,貿易収支の黒字幅を縮小する方向に働かせるものと考えられる。

  次に,原油価格下落の影響についてみよう。前述のように60年11月頃からスポット価格は下落し始めたが,これを背景に,サウジアラビアが,61年2月に,我が国向けの一部に対してもネットバック販売を適用し輸出拡大を図ったことが契機となって,他の産油国も我が国向け原油輸出価格を一段と引き下げることとなった。こうして我が国の原油輸入契約価格は2月以降下落し,その影響は,船積み,輸送,通関などのタイムラグを経て,3月の通関輸入価格から現れ始めている。契約価格下落の浸透が深まっているため,4月以降も更に通関ベースで低下している。こうした原油価格の下落が我が国の輸入額にどう影響するかをみると,60年度ではそれほど影響はなかったものの,61年4~6月期には,大きな黒字拡大要因になっている(第1-9図)。60年度の平均輸入価格(CIFベース)は1バーレル当たり27.3ドルであった。61年5月は,12.9ドルであったが,61年6月以降もこの水準で推移し,かつ60年度と同量の原油を輸入すると仮定すると,それだけで61年度の名目の輸入額(ドルベース)は60年度輸入総額の約13%に当たる173億ドルの支払い減になる。これは視点を変えれば,その分の貿易黒字が新たに発生することを意味する。

  経常収支黒字が拡大した第2の要因は貿易外収支の赤字幅の縮小である。貿易外収支赤字は57年度の129億ドルをピークとして縮小傾向にあり,経常収支黒字の大幅化の無視しえぬ一因となっている。60年度は,前年度の71億ドルから大幅に縮小して48億ドルの赤字になった。赤字幅縮小の主因となっているのは,対外純資産残高の増大を反映した投資収益収支の黒字幅の急拡大であり,前年度の47億ドルから更に増大し,60年度には経常収支黒字の13.6%に当たる75億ドルとなった。ちなみに,60年末の対外純資産残高は59年末の1.7倍に当たる1,298億ドルとなった。加えて,運輸,旅行,その他の民間取引の赤字幅の拡大傾向が50年代後半以降,頭打ちとなっていることも赤字幅の縮小に寄与している。

  (2)円高下の輸出入の動向

  (高水準横ばいに推移した輸出)

  輸出(通関,数量ベース)は,58年度,59年度はともに前年度比10%を超える好調な増加を示してきたが,60年度には高水準で横ばいに推移し,3.2%増にとどまった。ドルベースでは,急速な円高の進展によりドル換算分が増加し7.7%増となった。一方円ベースでは,59年度の14.0%増から一転して,60年度は1.1%減となった。

  好調を続けてきた輸出の増勢が急速に鈍化し,横ばいに転じたのは,アメリ力経済の拡大速度の鈍化に伴い世界貿易が横ばい傾向になったことによる面が大きい。輸出数量関数を計測して変動要因を分析すると(第1-10図),①58,59年度の輸出を牽引した世界輸入の増加寄与は,59年7~9月期をピークにして縮小し,60年4~6月期以降は減少に寄与するようになったこと,②60年度上期まで輸出拡大に寄与した円レート要因は,年度下期に急速に円高が進行したこともあって,輸出抑制的に働くようになったことが分かる。アメリカ経済の拡大速度の鈍化は,対米輸出に多くを依存する東南アジア経済の鈍化を通じて,我が国輸出に二重の影響を与えることになった。これに加えて,我が国の第2の輸出相手国である中国向けが,輸入抑制策の実施に伴い,60年度下期以降,急速に鈍化したことも無視しえぬ影響を与えた。ただ,ヨーロッパ経済が内需中心の緩やかな成長を続けたことから,欧州向け輸出は増加した。

  60年度の地域別輸出の動向をドルベースでみると(第1-11図),アメリカ,西欧,中国向けが増加に寄与したのに対し,東南アジア,中近東,ラテンアメリカ,アフリカ向けが減少に寄与した。各地域別には次のような動向がみられた。①アメリカ向けは58年度,59年度に前年度比30%を超える大幅な増加を示してきたが,60年度は12.9%増と伸びが鈍化した。乗用車輸出は自主規制枠の拡大もあって拡大したが,鉄鋼は輸出自主規制が実施されたこともあって減少した。一方半導体等電子部品は59年度は大幅に増加したが,60年度は一転して急減し,58年度以下の水準になった。ただ,アメリカ内のパソコン需要が回復しつつあること等から,減少幅も縮小しており,今後の回復が予想される。②EC向けは,60年春以降の景気回復に支えられ,また年度下期は円高によるドル建て価格の大幅な上昇により,自動車,一般機械,電気機器を中心として16.2%増の大幅な増加となった(59年度2.2%増)。③中国向けは,58年度,59年度に5割を超える大幅な増加を続けてきたが,60年4~6月期をピークとして急速に鈍化が進み,60年9月に実施された輸入抑制策の影響が本格化した61年1~3月期は前年同期比減少となった。商品別にみると,乗用車,テレビ受像機などの減少が目立った。④東南アジア向けは,減少した。これは対米輸出の鈍化等によりこれらの諸国の経済拡大テンポが鈍化したことによる。⑤中近東向けは,59年度に引き続き60年度も減少した。これは原油の需給緩和に加え,原油価格の低迷が産油国経済にがなりの影響を及ぼしていることによる。

  次に品目別輸出をドルベースでみると次のような動向がみられた。①自動車は大幅増となった。これには対米乗用車輸出自主規制枠が拡大したこと,EC向けが好調に推移したことが大きく寄与した。②58年度,59年度の輸出全体の伸びを先導してきた電気機器は大幅に鈍化し,微増にとどまった。これはテレビ受像機,通信機などは大幅増となったものの,半導体等電子部品が対米向けを中心に大幅減となったことによる。③一般機械は,特にアメリカ向け,中国向けの金属加工機械,建設・鉱山用機械の増加から堅調な増加を示した。④鉄鋼は低迷を続けている。これはアメリカ向けの輸出自主規制に加え,好調であった中国向けが急速に減少に転じたこと,第三国市場でブラジル,スペイン,韓国など中進製鉄国の進出の影響を受けていることによる。

  (円高の輸出への影響)

  為替レートの変動は,一般に,ドルベースの輸出価格に変化を与え,それが更に輸出数量にも変化を及ぼして,価格と数量の両面から輸出額に影響を与えることになる。そこで円高の進展が輸出に与えた影響について,価格と数量の両面からみよう。

  まず,我が国の輸出企業が今回の円高による円ベース手取額の減少を回避すべく,どの程度ドルベースの輸出価格を引き上げたかを為替レートの変化に対する転嫁率によってみよう(第1-12図)。今回の円高局面において,60年2月から61年3月まで円レートは円建てで29.9%上昇したが,これに対する61年3月時点の転嫁率は総合で5割程度となっている。これを前回の円高局面との比較でみると,52年9月から53年10月まで円レートが円建てで29.7%と今回とほぼ同程度上昇する局面において,53年10月時点の転嫁率は総合で7割弱となっており,今回の円高局面の方が転嫁率は低くなっている。この背景としては,①前回の円高局面においては,世界的にインフレが進行していたのに対し,今回の局面はそれが鎮静化していること,②近年,業種によっては,NICS等の輸出競争力が強まってきたことなど,価格の転嫁に係る市場環境等に差異があることが指摘できよう。

  次に業種別にみると,自動車,電気機器は前回と今回の局面を通じて転嫁率が総合よりも高く,国際競争力の強さを示している。一方化学製品は前回と同様転嫁率が総合よりも低くなっている。また,繊維製品,鉄鋼の転嫁率は,前回の局面では総合を上回っていたのに対し,今回の局面では総合を下回っており国際競争力が低下したことを示している。一方,一般機械は,逆に国際競争力が強まったことを示している。

  このように,転嫁率には業種別の国際競争力を反映して差異が見られるが,その様相には前回と今回の局面で変化がみられる。特に,今回の局面における転嫁率の業種間の格差は,鉄鋼と一般機械の差異に見られるように,前回の局面より拡大していることが特徴的である。為替レートの変動が輸出数量に与える影響については,輸出価格の変化を通じてタイムラグを伴って徐々に現れてくる。今回の円高局面において,既にドルベースの輸出価格が総合で円レートの上昇分の5割程度引き上げられたが,この価格の上昇がどの程度,輸出数量に影響を及ぼしたのかを明らかにするため,60年に入ってからの輸出価格と輸出数量の動きをみよう(第1-13図)。

  まず,輸出価格及び輸出数量の動きを総合で見ると,60年9月までの緩やかな円高局面においてはほとんど変化していない。その後,60年度下期になって円高の急速な進展に伴って輸出価格が引き上げられたが,輸出数量は60年度を通じて総じて横ばいで推移している。こうした輸出数量の動きには,為替レート要因以外の世界輸入や品目別,地域別にみられる特殊要因が影響していることには十分注意が必要であるが,60年度の輸出数量は全体としてはほぼ横ばいに推移したものの,61年に入り弱含みの動きがみられることは円レート要因が輸出抑制的に働き出しているものと考えられる。

  次に,業種別の動きをみると,転嫁率が総合よりも低かったもののうち,化学製品については,円ベースでの輸出手取額の減少をカバーするためある程度の数量増が確保されたのに対し,鉄鋼についてはドルベースの輸出価格への転嫁ができないのみならず総じて数量減となっている。また,転嫁率が総合よりも高かった電気機器,一般機械については,数量はほぼ横ばいに推移している。

  自動車については総じて数量増となっているが,対米の輸出自主規制枠の関係もあって独自の動きを示している。

  (伸び悩んだ輸入)

  輸入(通関,数量ベース)は,景気上昇とともに58年度,59年度と増加傾向を続けてきたが,60年度には伸び悩み,前年度比1.1%増にとどまった(第1-14図)。また,ドルベースでは数量の伸び悩みに加えて,一次産品価格が低迷したことから3.3%減,円ベースでは,年度下期に円高が急速に進展したことの影響が加わり,10.9%減となった。

  輸入の伸び悩みの原因を明らかにするため,商品別の動向を数量ベースでみよう。まず,食料品は肉類,魚介類が好調であったため前年度比7.3%の大幅増となった。原料品は2.4%増と伸び悩んだ。年度上期には前期比3.3%増,2.6%増と四半期ごとに順調に増加したが,鉱工業生産が年央より弱含みで推移したことから,下期に入り2.9%減,4.1%減と減少傾向で推移した。

  次に鉱物性燃料をみると,中期的に各産業で原単位が低下していることもあって1.6%の微減となった。ただ,月々の輸入量には原油輸入量の動向を反映して大きなフレがみられる。この点については項を改めてみることにする。

  一方,製品類は数量ベースで,59年度に16.4%増と大きく増加したが,60年度は0.6%減となった。年度上期には0.4%増,7.3%減と弱含みに推移したが,下期に入り5.7%増,3.9%増と順調に増加した。この点に関して製品輸入数量関数を計測して要因分解すると(第1-15図),①我が国の経済活動水準を表す所得要因は,61年1~3月期以外はおおむね恒常的に輸入増加に働いていること,②相対価格要因のうち相対物価要因が7~9月期以降輸入減少要因に転じたこと,③しかし相対価格要因のうち円レート要因は4~6月期まで輸入減少の方向に働いていたが,7~9月期より増加要因に転じており,その寄与度も高まってきていることが分かる。

  以上の商品別の分析から60年度の輸入数量の伸び悩みは,①年度上期には,xそれまでの円安傾向の影響もあって製品輸入が減少したこと,②年度下期には,鉱工業生産が弱含みに推移したことを反映して原料品輸入が減少したこと,という二つの要因が複合することによってもたらされたとみることができる。

  次にドルベースでみると食料品は4.3%増,一次産品価格の低迷を反映して原料品が7.3%減,鉱物性燃料は6.7%減となった。これに対し製品類は価格が安定的に推移したこともあって0.6%増となった。その内訳をみると,その他製品が1.5%増と増加したが,化学製品,機械機器は年度上期の不振が響き,それぞれ0.5%減,0.0%の横ばいとなった。以上のような動向の結果,製品輸入比率は59年度に第2次石油危機以降はじめて30%を超え30.3%となったが,60年度には更に上昇して31.5%となった。なお,61年4月,5月の製品輸入比率は,原油価格の大幅下落に伴う輸入額の減少から,それぞれ42.7%,45.3%と極めて高い比率となった。

  (原油輸入の動向)

  我が国の輸入数量の月々の大きなフレや,年度を通じての伸び悩みには,輸入の多くを占める原油輸入(60年度実績で全輸入額の約4分の1)の影響が強く現れている。そこで,最近の原油輸入の動向についてみると,輸入数量は2年連続して減少し,60年度は約1.9億キロリットルとなり,第1次石油危機以来初めて2億キロリットルを割り込んだ。年度中の動きをみると4~6月期には減少傾向,その後10月までは増加傾向で推移したが,年度下期は原油価格の先行き不透明等から,月ごとに大きくスウィングし,複雑な動きを示した。

  前回の原油価格引下げ(58年3月)は,公式販売価格の引下げという形で行われたので,値下げ前の買い控え,値下げ後の反動増がみられた。これに対し,今回は,価格が市場実勢に応じて変化し,値決めの方法もネットバック契約価格,長期契約物のスポット連動価格の採用など多様化しているのが特色である。

  そのため,我が国の石油精製会社をはじめとする原油の輸入企業は,原油の調達先,調達方法が多様化する中で,より有利な購入をするために,きめ細かで,弾力的な対応を迫られている。こうした企業行動は,価格や需給の動向に応じて機動的な調達に努めることを基本にしており,年度下期に原油輸入量が大きくスウィングしたのは,このような輸入態度が反映された面もあると考えられる。

  (円高の輸入への影響)

  次に円高の輸入面への影響について,価格と数量の両面からみよう。

  まず,円高に伴って我が国経済の輸入財の円建て輸入価格の低下がどの程度実現しているかを為替レート変化に対する低下実現率(円建て通関輸入価格の変化率/円建て為替レート変化率)によってみると,今回の円高局面において60年2月から61年3月まで通関輸入レートは円建てで29.9%(欧州方式,以下同じ)上昇したが,これに対する61年3月時点の低下実現率は,総合で113.8%となっており,円レートの上昇以上に円建て輸入財価格が低下したことが分かる。これに対して,前回の円高局面において52年9月から53年10月までの通関輸入レートの上昇(円建てで29.7%)に対する実現率は79.5%となっており,今回の局面の方が低下実現率は高くなっている。これは,前回の円高局面では一次産品市況が上昇局面にあったことに対し,今回は原油をはじめとして低迷しており,ドル建て価格自体が下落していることによる。

  業種別にみると,鉱物性燃料,原料品の低下実現率は100%を超えており,これらの商品についてはドル建ての価格自体が低下していることを示している。

  また,前回の円高局面と比較するとすべての商品類別について低下実現率が上昇しているが,特に前回の円高局面で51.9%にとどまった製品類の低下実現率が84.2%に上昇していることが注目される。

  以上のように円高の進展により円建て輸入価格は総合で3割以上低下しているが,この価格下落が輸入数量にどの程度影響するかは商品別にみると大きく異なる。商品別輸入の価格弾性値を計測してみると,原燃料(0.17),食料品(0.34)では低いが,製品類は0.53と高いことから,特に製品類について円高による輸入促進効果が現れることが期待される(wp-je86fu-1-2fc-a参照)。

  そこで60年以降の製品類の相対価格と輸入数量の動きをみよう(第1-16図)。まず,製品類全体については,60年2月から9月までの緩やかな円高局面においては,相対価格はほぼ横ばいで推移しており,目立った低下を示していない。しかし,60年9月以降,円高が急速に進展したことから,相対価格も次第に低下を示した。これを受けて輸入数量も61年初より増加基調で推移している。こうした動きは機械機器,化学製品等の個別製品ごとにみても読み取ることができる。このように円高の進展は製品輸入の増加に確実な効果を持っていることが分かる。

  (3)長期資本の流出幅拡大とその背景

  資本移動について長短資本取引等の合計(長短資本収支,符号を転じた金融勘定及び誤差脱漏の合計)でみると59年度に370億ドルの流出超過から,更に拡大して60年度は550億ドルの流出超過となった。その内訳をみると,長期資本収支が732億ドル(59年度は541億ドル)の純流出,短期の資本取引の合計(短期資本収支と符号を転じた金融勘定の合計)は,為銀部門の短期借りを中心に,141億ドル(59年度117億ドル)の純流入となった。このような長期資本収支の流出超過幅の拡大と短期の資本取引の流入超過という傾向は,59年度以来続いている。

  長期資本収支の流出超過幅は,外国資本が前年度比倍増のペースで流入が増加しているものの,本邦資本の流出幅がそれ以上に拡大したため,既往最高の水準となった。本邦資本の流出幅拡大の主因は,債券投資を中心に証券投資の流出幅が急拡大していることにある。債券投資の流出幅は,60年度で635億ドルとなっており,本邦資本の流出幅の68.7%を占めている。この中でも米国市場からの取得(米国国債が中心と思われる)が活発で債券投資の中のシェアを高めており,証券会社経由分でみると,57年の45.0%から,59年には58.7%となっていたが,60年には82.0%と更にシェアを高めた。またこれを前年比でみると,60年で8.4倍(全体では6.0倍)という急増となっている。

  (最近の対外証券投資の特徴)

  60年度において,為替レートは既にドル高・円安修正局面に入り,日米の長期金利格差も縮小傾向になっていたにもかかわらず,対外証券投資は59年度に引き続き急拡大した。この背景としては,①一連の内外資本取引自由化措置の効果が一層浸透したこと,②縮小傾向にあったものの日米金利差が依然高水準であったこと,③米国債券相場が堅調に推移したためキャピタル・ゲインを目的とした証券の短期運用が積極的に行われたこと等が挙げられる。なお,60年度が円安・ドル高修正局面にあったため,為替変動リスクを回避する動きがあったことにも留意する必要があろう。ここでは第3の要因を中心として,最近の対外証券投資急増の背景についてみよう。

  まず対外証券投資を規定する要因としての内外証券投資収益率の動向を,日米両国の国債の収益率の比較によってみると,債券収益率のうち,債券の償還期限までの保有を前提としたクーポン収入については,収益率格差は米国における高金利の是正を背景に60年度において既に縮小傾向となっている。一方,四半期で債券を期首月に取得し期末月に売却する場合の売買損益をも含めた債券収益率で比較すると,各四半期で変動はあるものの総じてみれば60年度にはむしろ収益率格差が拡大している。次に,為替変動による収益率も含めた総合収益率でみると,60年度においてはドル高・円安修正局面を反映して日米債の収益率が逆転する時期もみられる(第3-43表)。

  以上は,事後的な推計であって,その時々の投資環境を直接に示すものではないが,少なくとも60年度においては,投資家にとって為替変動リスクを回避しさえすれば米国債の相場先高感から債券の短期運用によりキャピタル・ゲインが獲得しうる状況が醸成されていたことを示唆するものと言えよう。

  対外証券投資の短期運用の実態について対外証券投資の売買回転率(売買高/投資残高)によってみると(第1-17図),60年度に入り,売買高は投資残高を上回って急増しており,61年の4~6月期の売買回転率は,前年同期比で約5倍の12回程度(年率)にまで達している。このことは,証券の保有期間がここ1年間で5分の1程度まで短期化していることを示しており,このような傾向は,債券投資を投資家別にみて,60年度は,債券の長期保有指向が比較的強い生・損保のウエイトが低下し,かわって債券の短期保有を指向する金融機関等のウエイトが上昇しているとみられることからも裏付けられる。

  投資家の為替変動リスクの回避の実態については,そのリスク回避の方法もまちまちであり,また統計上その実態を把握することは困難であるが,60年度に入り,対外証券投資の短期運用に際し先物為替予約付取引,ドル一ドル型取引の活発化の動きが伝えられている。前者は,予定される回収元本及び利払いの時期に合わせて先物為替予約を締結することにより,為替変動リスクを排除し,円ベースの投資利回りを確保するものである。最近では,債券・為替相場の動きを見ながら,先物為替予約を機動的に用いる場合もある。後者は,海外からのドル建て資金の借入れ等を通じてドル建て資金を調達し,それをもって米国債等のドル建て債券を購入するものであり,ドル建ての債権と債務を両建てで持つので為替変動リスクは回避される。資金の調達は,外国為替公認銀行が主としてユーロダラー市場から,短期のドル資金を借り入れ,一方,その運用については,外国為替公認銀行が自ら行う場合と,証券会社や事業法人が外国為替公認銀行を通じてインパクトローンを借り入れて行う場合などがある。前者の場合は,為銀による外貨証券の取得となるが,この動きを本邦資本による証券投資の流出額に対する割合で見ると,60年度においては総じて増加傾向となっていることから,為銀によるドル一ドル型取引の増加をある程度推測することができる(第1-18図)。

  なお,我が国からの対外証券投資は,一般に,先物為替予約を伴わなければドル高・円安要因となる。ただし,先に述べたような先物為替予約付取引の場合は,ドルの直物買いがドルの先物売りと見合うため,また,ドルードル型取引の場合は為替の取引を伴わないため,両者は為替相場に対して基本的には中立的であると言える。

4. 対外経済摩擦の激化

  (対外経済摩擦の現状)

  世界経済は全体として拡大が続いたが,なお,アメリカにおける「双子の赤字」,ヨーロッパにおいては産業・貿易構造の変化への調整の遅れに起因する厳しい雇用情勢,発展途上国においては一次産品価格の低迷,1980年代前半の高金利等に起因する累積債務の増大などの困難を抱えている。こうした中で我が国の経常収支黒字が大幅化したこともあって,アメリカを中心に対外経済摩擦が激化した。米議会では,85年春以降,各種の対日報復決議案や輸入課徴金などの保護貿易主義的法案が提出・審議されるなど保護主義的な動きを強めた。

  一方,欧州でも,ECの日本に対する輸出自主規制要求,関税引上げ,ダンピング防止法の運用強化など保護主義の姿勢を強めている。

  日米間の個別分野別の問題を見ると,鉄鋼については,84年9月,5年間の数量規制を求めた国際貿易委員会(ITC)勧告に対して,レーガン大統領は勧告を拒否した上で,鉄鋼輸入がアメリカ見掛け消費量(出荷量一輸出量+輸入量)の18.5%となるよう各国との規制交渉を行うことを決定し,交渉に入った。日本政府は,85年3月13日,①規制は原則として全鋼材に適用し,アメリカの見掛け消費に対する日本の比率を5.8%とする。②規制期間は,84年10月1日から5年間とする,を骨格とする最終合意に達した。乗用車の対米輸出自主規制については日本政府は昭和61年2月,61年度も60年度と同様230万台を上限に輸出自主規制を継続することを決定した。電気通信,医薬品・医療機器,エレクトロニクス,林産物の4分野における市場指向・分野選択型協議(MOSS協議)は,数次の全体会合,分野別会合,専門家会合を経て,61年1月,過去1年間の協議の進展がレビューされ日米共同報告書が確認された。同報告書では,MOSS協議の結果として重要な進展が達成されたことが確認されるとともに,全体会合,各分野グループを今後とも合意事項のフォローアップ等のため引き続き開催することが合意された。日米半導体摩擦についてはSIA(米国半導体工業会)が,60年6月に,日本の閉鎖的市場構造により米系製品のシェアが改善されないこと,また日本メーカーが米国へ安値輸出を行っていることにより米国産業に被害を与えているものとして,USTR(米国通商代表部)に対し,米国1974年通商法301条(不公正貿易慣行に対する対抗措置)に基づき,我が国政府を提訴したことに端を発する。これを受けて,価格問題及び市場アクセス問題の包括的解決に向け,日米半導体交渉が数度にわたり行われ,61年7月31日に合意がなり,最終決着した。

  (対外経済摩擦への我が国の対応)

  保護主義の高まりは,自由貿易体制を崩壊させる危険性をはらんでいる。こうした中で我が国は世界経済に占める地位にかんがみ,内需中心の経済成長の達成を図るとともに,自由貿易体制の維持・強化,調和ある対外経済関係の形成及び世界経済の活性化を図るため積極的な努力を行っていく必要がある。こうした観点に立って,政府は累次にわたって対外経済対策を実施してきたが,60年度においては,4月9日,関税引下げ等,基準・認証,輸入検査手続の改善等,製品輸入等の促進,先端技術分野における市場アクセスの改善などを内容とする「対外経済対策」を決定した。さらにこれを受けて,我が国の市場が国際水準を上回る開放度を達成することを目標とし,7月30日には「原則自由・例外制限」という基本的視点に立った「市場アクセス改善のためのアクション・プログラムの骨格」を決定し,これに従って,諸規制を緩和し,市場アクセスの改善を図るよう努めている。このアクション・プログラムは1,853品目の関税引下げ・撤廃,88項目にわたる基準・認証,輸入プロセスに係る制度の改善等を大きな柱としている。

  なお,各分野ごとの骨格決定後のアクション・プログラムの策定及びその実施のフォロー・アップを行うために,政府・与党対外経済対策推進本部にアクション・プログラム実行推進委員会を設置した。同委員会は9月末までに基準・認証制度改善等の内容の具体化及び実施時期の明確化等を行った。これらに基づき,政府は,本年1月1日及び4月1日に上記1,853品目の関税引下げ,撤廃を実施したほか,アクション・プログラムの完全実施に努めているところである。

  また,上記のような市場開放の推進と併せ,経済の拡大均衡を通じて経済摩擦の解消を目指すため,政府は,10月15日と12月28日の2回にわたり「内需拡大に関する対策」,4月8日に「総合経済対策」及び5月30日に「当面の経済対策」を決定し,その確実な実施に努めている。

  こうした我が国独自の努力に加えて,保護主義を抑止し世界経済の安定と持続的な発展を図るためには,国際協調が必要である。9月には5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)が開催され,為替レートは各国の基礎的経済条件をよりよく反映すべきだとの見解の下で,為替レートの適正化のための密接な協力を図ることなどが合意された。これを受けて,各国の協調介入等が行われ,ドル高は急速に是正された。

  以上のように,対外経済摩擦に対して我が国が前向きの対応を行ってきたことは,G5以降の急速なドル高是正という経済環境の変化とともに,アメリカの保護主義の高まりに一応の歯止めをかけたものと言えよう。しかし,日米間には依然として巨額な経常収支不均衡が存在していることに加え,ドル高の修正がJカーブ効果により一時的に不均衡を拡大させること等から対外経済関係を巡る環境は楽観できないものと言えよう。