昭和59年

年次経済報告

新たな国際化に対応する日本経済 

昭和59年8月7日

経済企画庁


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第2章 経常収支の動向とその要因

第1節 大幅化した経済収支黒字

そこでまず,58年度の大幅な経常収支黒字の原因について1つの簡便な方法による定量的な試算を参考としつつ(1)特殊要因,(2)景気循環要因,(3)それ以外の中長期的な要因,に分けて分析してみよう。それは,我が国が対外部門の不均衡に対してどのように対応すべきかその方策を探る上で重要だからである。

1. 石油価格低下と経常収支黒字

まず第一に,特殊要因としては昭和58年3月の基準原油価格の引下げ(34ドル/バーレルから29ドル/バーレルヘ)が挙げられる。

我が国の58年度の原油輸入価格は57年度と比べ4.4ドル/バーレル(12.9%)低下した。同時にこの原油価格低下は他のエネルギー価格にも影響を与えた。すなわち,石炭,天然ガスの輸入価格も,58年度にはそれぞれ前年度比13.4%,13.7%低下した。こうしたエネルギー価格の低下によってエネルギーの輸入数量も変化するはずである。しかし,ここでは簡単化のために,①エネルギー輸入数量は価格の変化に対して反応せず,また②貿易外の支払は輸入額と比例的に変化するとの前提をおき,57年度の実績値をそのまま用いてエネルギー価格低下の効果を試算してみると,我が国のエネルギー輸入代金支払額は,通関ベースで約72億ドル,国際収支ベースで約64億ドル節約されたことが分かる(第2-1表)。

同様の計算を年度について行うと57年度にはエネルギー価格の低下によって国際収支ベースで約37億ドルの輸入代金節約がなされたとみられる。

2. 日米の景気局面と経常収支黒字

第二の景気循環要因としては,日本と貿易相手国との景気局面の相違(所得効果)と為替レートの動向(価格効果)の二つがある。

まず景気局面の相違に基づく経常収支黒字要因がどの程度あったかを調べることにしよう。仮に我が国の国内需要が,物価安定を損わないとの条件の下で中期的な供給能力に見合った水準(これを高雇用の状態と呼ぶ)にあったとすれば,輸入の増加を通じて経常収支の黒字幅は縮小していたはずである。

こうした考え方に基づいて,日本の国内需要の増加による輸入増大効果を試算してみると,57,58年度にそれぞれ40億ドル,55億ドルであったことが分かる。

また,日本以外の全ての国について,供給能力と見合った経済の活動水準における対日輸入の水準を推計することはデータの制約もあり困難であるので,ここではアメリカー国を取り出して同様の前提の下で試算してみる。それによると,アメリカの対日輸入額は,57,58年度にそれぞれ173億ドル,135億ドル拡大していたとみられる(第2-2表)

以上の試算は,価格や需要の波及,国内の在庫率変動等の効果を考慮していない。従って,試算結果についてはある程度幅を持ったものとして解釈する必要がある。しかし,いずれにせよ我が国の経常収支は,日米両国の国内需要がそれぞれ中期的な供給能力に見合った水準にあったとすれば,アメリカの輸入拡大効果の方が日本のそれよりも大きいために実績をかなり上回る黒字を計上していたとみられるこうした結果が得られるのは,(1)57年のアメリカの景気後退が大幅であったことに加えて,(2)8米間の輸出入所得弾性値がかなり異なっているためである。輸出の所得弾性値(貿易相手国の実質GNPが1%増加した時,自国の実質輸出が何%増えるかを示す値)と輸入の所得弾性値,(自国の実質GNPが1%増加した時,自国の実質輸入が何%増えるかを示す値)の差が日米両国間で異なっていることが,両国の経常収支の動向に大きな影響を与えることは「ハウタッカーマギーの仮説」として知られている。

(輪出入の所得弾性値と貿易収支)

第2-3表には,先進5カ国(日本,アメリカ,西ドイツ,フランス,イタリア)の輸出入関係の計測結果が示されている。ここから次のようなことが指摘できよう。

まず第一に,日本の場合,輸出の所得弾性値(1.69)は,輸入の所得弾性値(0.65)を大きく上回っている。このような場合,日本が諸外国の成長率を大きく上回る成長を遂げない限り,日本の実質(貿易)収支黒字は拡大しやすい。これと対照的なのはアメリカ,ヨーロッパ諸国である。これらの国では輸入の所得弾性値が輸出の所得弾性値を上回っているため,諸外国の成長率を上回る成長をした場合には(実質)貿易収支赤字は拡大しやすい。

現在,アメリカは諸外国の成長率を大きく上回る急速な成長を示している。ドル高に加えて国内成長率の高いことが,現在のアメリカの貿易収支赤字を一層大きなものにしているのである。

こうして輸出入の所得弾性値が各国で異なった値を示すのは,各国の産業・貿易構造の違いによるところが大きい。我が国は,カナダ・オーストラリアなどの資源保有先進国,産油国に対しては赤字,アメリカ,ECなどの先進国に対しては黒字を計上しやすい産業・貿易構造になている(第2-4表)。とりわけ日米間の輸入の所得弾性値をみると,アメリカの対日輸入については約3.8であるのに対し,日本の対アメリカ輸入については約1.4となっている。この輸入所得弾性値の違いは,たとえ日米両国が同一の成長率を示した場合でも,二国間の貿易収支は日本側の出超となりやすいことを示している。

第2-3表で注目される第二の点は,各国の輸出入の所得弾性値が価格弾性値(内外の相対価格が1%変化した場合,実質輸出入が何%変化するかを示す値)を大きく上回っていることである。これは為替レートの変動幅は大きなものであるが,仮に為替レート変化率の変動幅に大差のない限り,景気局面のすれ違いによる所得効果が,少なくとも短期的には経常収支に支配的な影響を及ぼし得ることを示唆している。従って,各国の景気局面の相違によって経常収支は大幅な変化を示すこともあり得る。

なお,輸出入の価格弾性値は変動相場制度移行以後にややその値が小さくなっている。これは変動レート制度への移行に伴って為替レート変動のリスク増大や期待された為替レートの動向が,貿易数量に影響を与えるようになったため,相対価格そのものの変動が輸出入に及ぼす影響が相対的に低下したことが一因となっているとみられる。

3. 為替レートと経常収支黒字

これまで景気循環要因として所得要因のみを見てきた。しかし,変動レート制度の下では,為替レートも景気循環要因によって影響を受ける。とりわけ,我が国の対ドル・円レートは57年を通じて約30円もの大幅な下落を示した。こうした為替レートの動きは我が国の経常収支の動向に大きな影響を与えたと考えられる。

ここで,為替レートの短期的な変動の影響を考慮する場合に,どのような為替レートを適正レートとするかという問題がある。一つの考え方として,適正な為替レートとしては「投資収益収支を除く財・サービス収支(以下では「財・サービス収支」と略称する)」を均衡化させる為替レートを考えることができる。しかし,適正な為替レートとは,「財・サービス収支」のみならず,投資収益収支および正常な状態の下での基調的な長期資本の流出入をも考慮したレートであるとする見方も存在する。後者の見方では,長期にわたり対外借入れに依存している発展途上国では財・サービス収支を均衡させるレートよりやや高目のレートが,また長期にわたり資本輸出を行っている先進国では財・サービス収支を均衡ざせるレートよりやや低目のレートが適正ということになる。

さらに第4章の為替レート決定要因において論ずるように一国の対外資産保有の増大がその国の為替レートを上昇させる効果についても考慮すべきであると考えられる。

以上のように「適正な為替レート」を得るにはこうした様々な問題がある。しかし,ここでは便宜的に適正な為替レートの代理変数として日本の実効購買力平価を用いることとする。ただし,購買力平価を一応の目安とするにしても,価格指数としてどの指数を用いるべきか,また基準年をいつにするかといった問題がある。価格指数としては国内卸売物価指数を用い,基準時点としては変動レート制度へ移行した48年第1四半期をとることにする。

この基準時点における為替レートの水準は必ずしも購買力平価に厳密に対応していたとは言えないが,スミソニアンで決定されたレートをかなり上回っていたこと,及び経常収支がほぼバランスしていたこと等を考慮し,基準時点とした。

ここで実効購買力平価というのは,対ドルのみならず対欧州通貨についても貿易量を用いて加重平均した購買力平価を指している。

さて現実の円の実効為替レートが,この実効購買力平価から下方に乖離することにより我が国の経常収支黒字はどの程度拡大したのであろうか。日本の輸出入関数を用いた試算によれば,実効為替レートが57,58年度に実効購買力平価を下回ったことは,それぞれ61億ドル,125億ドルの経常収支黒字要因として働いたことが分かる。ここで円安が大幅であった57年度よりも58年度に黒字要因が大きくなっているのは,(1)為替レートの下落による輸入価格上昇,輸出価格の下落といった価格効果は速やかに現れるが,(2)為替レートの下落が輸出数量を増加し,別経常収支輸入数量を減らす効果はやや遅れをもって現れる(「J-カーブ効果」)ことによると考えられる。

4. 短期的要因と中長期的要因

以上の特殊要因と景気循環要因との合計を短期的要因とすると,それは57年度では35億ドルの赤字であったが,58年度には109億ドルの黒字に転じている。すなわち,57年度から58年度にかけて短期的要因は144億ドルだけ増加している。

この変化分の内訳をみると,石油価格低下幅の変化で27億ドル,日米両国の景気局面の変化で53億ドル,為替レートの変化で64億ドルとなっている。

57年度から58年度にかけて現実の経常収支の黒字は151億ドル増加したが,これはこれら要因によって(144億ドル)ほとんど説明されることが理解されよう。

以上の計算は,これまで述べてきたいろいろな前提に基づいてなされたものであり,その前提の置き方等によって変わりうるものである。特に石油価格低下に関する分析において,中長期的にあるべき適正な石油価格水準として前年度の石油価格を用いるとの前提を置いているが,他の前提を用いた場合には異なった試算結果が出ることになる。しかし,現在の経常収支黒字の原因を考察するに際して参考として一つの試算を示したものである。

さて,現実の経常収支黒字から以上の短期的要因に基づく黒字分を差し引くと「残差」としてのそれ以外の要因による経常収支黒字は,57年度,58年度にそれぞれ126億ドル(名目GNP比1.2%),133億ドル(名目GNP比1%)となる。

この「残差」は,(1)日米両国が物価安定の下で高雇用を実現し,(2)為替レートが実効購買力平価と等しく動き,かつまた(3)石油価格低下がなかったとしても,我が国経済に発生したと考えられる経常収支の黒字である。すなわちこの残差は,日米両国の景気局面の動き及び為替レートの過度の変動によっては説明されない経常収支黒字を示すものと考えられる。従って,中長期的な要因に基づく黒字が含まれているとみることができる。

なお,ここでの試算は,アメリカ以外の国が高雇用を達成した場合の効果を考慮していない。すなわち,それらの国が高雇用の状態にあったとすれば輸出の増加を通じて我が国の経常収支の黒字幅は拡大していたはずである。しかし現実にはそれだけの黒字は達成しえていないわけであり,黒字幅は縮小されていることになる。従って,この点を考慮すると,「残差」であるところの短期的な要因で説明されない経常収支黒字幅は更に大きくなる可能性がある。

また現実に昭和45年から58年にかけての我が国の経常収支黒字は,(1)48年3月の変動レート制度への移行,(2)2回にわたる石油危機があったにもかかわらず,年平均して対名目GNP比で0.7%にのぼっている。これを資本収支の面でみると変動しやすい証券投資を除いた直接投資,延べ払い信用,借款等は同時期に対名目GNP比で0.9%の赤字になっている。

1970年に入ってからの経常収支,長期資本収支の動きは,変動レート制度の下であっても中長期的に我が国の経常収支を黒字化させる後述するような要因が働いていたことを示唆している。

こうした事実を踏まえると,現在我が国経済には,中長期的な要因に基づくかなりの経常収支黒字が存在している可能性が強い。

以上のことから,まず第一に我が国の経常収支黒字が57年度から58年度にかけて大福化したのは,そのほとんどが特殊要因および景気循環要因に基づくものとみることができる。

第二に,世界景気が回復し各国が高雇用の状態に接近し,為替レートも経済のファンダメンタルズを反映したレートヘ近づくにつれて,中長期的な要因に基づく経常収支黒字がより明瞭な形をとって顕在化して来ると言えよう。この中長期的な要因に基づく経常収支黒字を分析する前に,2回にわたる石油危機が日本の経常収支にどのような影響を与えたか調べることにしよう。


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