昭和58年

年次経済報告

持続的成長への足固め

昭和58年8月19日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第1章 57年度経済の動向と景気の現況

第1節 今回の景気調整過程の推移

1. 自律回複力と外的制約

(1) 長引いた景気調整

第2次石油危機のデフレ効果,54年春以降の金融引き締め等の影響により,日本経済は55年春以降調整局面に入った。55年度には輸出は高い伸びを示したものの,国内需要の伸びの弱さから実質経済成長率は4.5%となった。56年度に入っても,上半期の国内需要は依然停滞気味に推移したが,他方輸出は,わが国産業の国際競争力,56年に入ってからの世界貿易の一時的回復等の影響で大幅な伸びを続けた( 第1-1表 )。

こうしたなかで,素材産業を中心とした在庫調整も徐々に進展し,56年7~9月期には,構造問題を抱える一部の品目を除けば,55年春以降一年半にわたった在庫調整も一応完了した。

56年末には在庫調整の完了に加え,物価安定を背景に個人消費支出が増加に転じ,また民間設備投資は大企業部門を中心に堅調さを維持していたため,国内需要ははっきりした増加を示すようになった。また雇用情勢の悪化も止まり,企業収益にも好転の動きがみえ始め,ようやく自律的な回復条件が整いつつあったのである。

しかし,これとほぼ時期を同じくして,56年夏以降のアメリカの景気後退の影響で世界貿易は縮小を始め,日本の輸出も急速に減少に転じた。輸出はその後,56年10~12月期以降,ならしてみれば57年10~12月期まで5四半期にわたって低下基調を続けたことになる。このためようやく出かかった自律回復への動きは制約されることとなった。

56年度下半期の国民総生産の動きをみると,国内民間需要が前期比1.4%の増加となったのに対し,経常海外余剰と公的需要がそれぞれマイナスとなり,全体では0.3%の増加に止まった。

(2) 二段階在庫調整

輸出の減少によって,57年1~3月期から再び在庫調整が始まり,その後58年1~3月期まで5四半期にわたって続けられた。輸出現地在庫がかなり積み上っていたと推測されるが,これが国内在庫の調整を余計長引かせたものと思われる。前回の在庫調整が素材型産業が中心であったのに対し,57年度は輸出に関連した業種が中心で,機械などで在庫調整が行なわれたが,素材型の鉄鋼,セメント等も在庫調整を必要とする状況となった。このため多くの産業で生産調整が行なわれ,57年度の鉱工業生産指数は前年度に比べ0.6%の低下となった。

また企業収益は,輸出の減少と在庫調整等の影響を受けて57年度に入ると上,下2期連続して減益となった。しかし第1次石油危機以降の減量努力によって固定費が抑制されたことにより,総資本経常利益率は一定の水準を保つことができた。一方円安と交易条件の変化は,輸出比率の高い加工型産業には有利に,輸入依存度の大きい素材型産業の一部には不利に働き,収益状況には産業間でかなりのバラツキが生じた。

(3) 悪化した労働力需給

在庫・生産調整の波及に伴って,労働力需給も悪化した。新規求人数は製造業を中心に年末まで低下を続け,58年に入ってからようやく下げ止まった。このため有効求人倍率は年度を通じて0.6程度の低い水準に止まった。同時に完全失業率も上昇を続け,労働力調査結果の向上を目的として行われた新サンプルへの移行後,58年に入ってからは2.7%という相当高い数値となった。さらに所定外労働時間も5.9%低下した。

しかし反面,就業者および雇用者の伸びは高かった。年度を通してみると,就業者が1.3%,雇用者が1.9%伸びている。それにもかかわらず労働力需給が悪化したのは,生産年齢人口に対する労働力率が上昇したためである。また雇用者の伸びは常用よりもパートタイマーで多かった。これは雇用需要が拡大したところではパートタイム労働者を中心に増加させたため,また供給側もパート就労を希望する人が多くなったためと考えられる。パートに対する需要が強いことは,一般求人倍率の低さと逆に,パートの求人倍率は常に1を大きく上回っていることでもわかる。また就業者の伸びはサービス業や卸小売業で高かった。

しかし常用労働力に対しては,なお雇用過剰感をもつ企業は多く,58年度の学卒新規採用も手控えられた。他方失業の内容をみると,男女とも若年層および高年層で失業率が上昇している。若年層と高年層での失業の社会的意味は大きく異なるとみられ,政策的対応も当然異なった配慮をする必要がある。

(4) ゆるやかな増加を続けた国内需要

(個人消費)

57年度中の国内民間需要の伸びを上期と下期に分けてみると,上期が2.0%伸びたのに対し,下期は1.2%と低まっている。公共事業の上期前倒しがあった為,公的需要を加えた国内需要でみると,上期の2.5%に対し下期が0.5%とその落差は更に際立っている。民間需要の伸びが下半期弱まったのは,民間設備投資がマイナスに転じたこと,消費支出の伸びがやや鈍ったことによる。民間消費支出は年度平均では実質4.7%の伸びと堅調であった。家計調査の一世帯当りでみると実質2.4%の伸びである。56年度が国民所得ベースで1.1%,家計調査ベースで0.2%であったのに比べると,その回復ははっきりしている。ただ下期にはやや伸びが弱まった感がある。

家計所得をみると,勤労者家計の実収入は名目で6.4%,実質で3.9%あった。妻の収入の伸びの高かったことが目立っている。また毎月勤労統計で一人当り賃金の伸びをみると名目で4.7%実質で2.3%となっている。一方家計可処分所得の伸びは名目で5.1%(実質2.6%)であった。実収入の伸びとの差は税などの非消費支出が14.0%伸びていることによる。こうした収入に対し,消費性向は79.5%と前年度とほとんど変らなかったが,年度前半に比べると下半期にはやや上昇した。

家計支出のサービス化は年々着実に進んでいるが,57年度もサービス支出が4.2%,一方,財への支出が1.6%と消費のサービス経済化は進展した。ただし,財の中でも食料,衣料への支出は伸び悩んだのに対し,軽.大衆乗用車,VTR等の耐久消費財への支出は高い伸びを示しており,財・サービスとも支出内容は多様化している。

(設備投資)

57年度中の設備投資は先に述べた通り,年度平均では1.2%の増加となったが,上期は一応増加が続いたものの,下期には減少に転じた。このため53年以来続いてきた設備投資の拡大も一応ピークを越えた形となった。中小企業の設備投資は既に55年度後半に弱含みとなり,その後停滞局面が続いている。また堅調を続けた大企業の設備投資も頭打ちとなり,各機関の調査によれば,製造業では58年度にかけて減少することが見込まれている。これは一つには技術革新のための大型投資が一巡しつつあること,また一つには企業にとって投資環境が有利でないことが影響している。

投資環境についてみると,56,57年度は余りよい状態にはなかった。稼働率は低下を続け,設備の過剰感も高まった。また金利水準も過去の緩和期に比べ比較的高い水準で推移した。さらに需要動向や製品価格の見通しに関する不確定要因も大きかった。それにもかかわらず,大企業部門を中心に高い投資水準が続いたのは,技術革新及びエネルギー関連の独立投資要因が寄与していたと考えられる。従来伸び率が高かった鉄鋼,自動車も頭打ちとなり,58年度には減少が予想されている。

(住宅投資)

57年度の民間住宅投資は,過去3年間の減少から,1.7%の増加に転じたが,伸びはかった。新設住宅着工戸数をみると,住宅金融公庫融資の拡充等の効果により,公的資金を利用した住宅は58.2万戸で8.0%増となったが,民間資金のみによる住宅は57.6万戸で4.7%減となり,6年連続して減少した。もっとも民間資金貸家は,建築資材の値下り等もあって,13.9%の増となり,また58年に入ると分譲住宅にやや下げ止まりの感もでている。

57年度の公庫融資には10月の融資制度改正をひかえて駆け込み的な応募もあったため,新設住宅着工戸数もそのずれ込みで58年1月がピーク(季節調整値)となったが,以後減少し,1~3月期,4~6月期の新設住宅着工戸数は前期比で続けて減少した。

(公共投資)

57年度の政府固定資本形成は1.7%(実質)の伸びとなった。上半期については目標契約率77.3%という従来にない強い前倒し契約が実施されたが,そのため下期の減少は避け難かった。10月には,総合経済対策で2兆円強の公共投資等の追加が決定され,12月に補正予算が成立したが,58年1月以降,その効果が契約・請負金額に出ている。

(5) 国際収支と円レート

輸出の減少にもかかわらず,国内生産活動の停滞と円安から輸入も減少したため,57年度中の経常収支は比較的安定した動きを示し,年度では92億ドルの黒字となった。しかし長期資本収支はかなり激しい動きを示した。

アメリカの金利は,1979年10月の新金融調節方式以来上昇傾向にあったが,1981年にはレーガン政権の財政政策と相まって異例な高水準となった。これに伴って,更に国際政治経済情勢から「有事に強いドル」が選好され,アメリカへの資本流入が生じ,ドルが主要通貨に対して全面高となった。これを反映して日本からの資本流出も,57年に入り長期資本収支の流出幅が月々15億ドルから20億ドル近くとなる等,一層拡大し,経常収支黒字化にもかかわらず円安が進行した。これに対し日本銀行は円安防止に努め,3月以降短期市場金利の高目誘導を行なった。またこの間,日本の外貨準備高は,3月の272.31億ドルから,10月の228.40億ドルへと減少している。

アメリカの高金利は7月以降低下の傾向を示し,日本の長期資本の流出幅も急速に縮小し,10~12月期には5,700万ドルの流入超となった。しかし円レートはドル選好が依然として強かったため,すぐには反応せず,11月1日に277.65円(中心相場)の安値の底となるまで,円安傾向が続いた。その後,58年初にかけて円安修正の局面を迎えたが,アメリカの金利の下げ渋りを反映して弱含み,7月まで1ドル240円前後の相楊が続いている。

一方,日本の輸出は58年に入ると,それまでの減少傾向を脱し増加傾向に転じた。これは何よりもアメリカ経済が回復基調に転じたことを契機としている。その後輸出は4~6月期にかけて増加している。一方,輸入は石油価格の低下に加え,内需の伸びの鈍さと円安で製品輸入が一進一退で推移しているといった事情を背景に減少気味であり,経常収支は黒字幅が拡大する状況にある。しかしアメリカの金利の先行きが財政赤字,景気回復の状況等から不透明なことに加え,資本の流出が続いたこともあって,経常収支の黒字幅が拡大してもこれが円相場に反映していない。このように58年に入ってからは,経常収支の黒字幅拡大が円高傾向に結びつかないという状況が生じている。

(6) 安定を続ける物価と交易条件

物価は極めて安定した状態を続けている。56,57年度の物価は海外の原料品市況の低迷,国内需給の緩和等から鎮静化の動きを続けている。卸売物価上昇率は56年度の前年度比1.3%に続いて57年度も1.0%の上昇に止まった。58年に入ってからは前年同期比マイナスという状況が続いている。とくに国内卸売物価の動きは56年度が0.2%上昇,57年度が0.3%上昇という安定した状態にあった。また,消費者物価も安定化の度を増しており,57年度の上昇率が2.4%となったが,その後2%台で推移している。国内要因による物価上昇の指標として,GNPデフレーターを見ると,55年度3.7%,56年度2.1%,57年度1.8%と徐々に低下しつつある。

一方,交易条件(輸出入物価の相対比)をみると,57年度前半は一次産品の下落等による輸入価格の低下で前年に比べやや改善したが,輸出環境がきびしくなるにつれてドル建て輸出価格も引下げられ,年度後半は交易条件は小幅ながら悪化した。もし昨年中の円安という状況がなければ,ドル建て輸入価格の低下は国内物価の安定に一層寄与し,交易条件の改善は一層進んだであろう。

58年4月以後はOPECの石油価格引下げの効果が輸入価格に反映するようになった。これによって交易条件の改善と国内物価の安定化は一層推進され,景気の回復に寄与しうるであろう。

海外においても,アメリカは緊縮的な通貨供給策の結果,物価は大きく安定化に向かっており,イタリアなど例外はあるものの,総じて国際的にインフレ鎮静化の方向がはっきりしてきつつある。

こうした内外の状況からみると,日本経済にはインフレなき経済への可能性がひらけていると考えられよう。こうした物価の安定はこれからの景気回復の基礎条件となるものである.

(7) 58年度上期の状況

58年に入り,アメリカ景気の回復に伴って減少を続けてきた日本の輸出も増加に転じた。在庫調整も一部の業種を除いてはほぼ一巡し,生産は増加を続けている。

しかし,このところ国内需要は総じて盛り上がりを欠く状況にある。58年1~3月期の国民所得統計(速報)をみると,GNP成長率(季調済前期比)が0.2%増であったが,国内需要は0.3%減,国内民間需要は0.5%減,経常海外余剰は8.2%増となっている。これは国内投資活動が,民間設備投資,民間住宅投資,公的固定資本形成といずれも前期比で減少したことに加え,在庫調整の進展から民間在庫投資が大きく減少したことによる。

その後の需要動向を現在入手可能な種々の指標等により判断すると,個人消費は基調としては増加を続けているが,その伸びは緩やかになっている。

住宅建設は公的資金住宅の落ち込みもあり低水準で推移しているが,このところ貸家は増加しており,分譲住宅にやや下げ止まりがみられる。民間設備投資は大企業では,投資水準はなお高いものの弱含みとなっており,中小企業では停滞が続いている。また,設備の稼動率はなお低く設備過剰感は高い。在庫投資は在庫調整がほぼ一巡したことから,増加に転じていくとみられるが,当面企業の積極的な在庫積増意欲は従来に比べ弱いものとみられる。公的固定資本形成は当面増加するものと見込まれる。

また,企業活動をめぐる環境をみると,回復への期待感は増してきており,企業収益も種々の調査結果から判断すれば,58年度上期にはおおむね底を打ち,下期には改善が期待されている。

一方,雇用情勢は雇用者は増加傾向が続いているが,このところ伸びが鈍化している。また,こうしたなかで労働力需給はなお悪化したままで推移している。

他方,対外収支は経常収支の黒字幅が拡大している一方,円相場は一進一退を繰返している。これは基本的にはアメリカの高金利によるものであり,内需の拡大と経常収支の黒字幅縮小を阻害する方向に作用していることは否めない。

米国高金利の解消が日本経済にとっても,また世界経済にとっても緊要の課題となっている。ただ,現在の経常収支黒字幅を円相場のせいだけにするのは必ずしも妥当でない。黒字幅が拡大しているのは過去の円安要因に加え,石油価格の低下が大きく寄与しているが,輸出環境の好転もあり,また,内需の伸びが鈍くなっていることも無視できない。

以上のように,景気の現状をみると,在庫調整はほぼ一巡し,輸出は増加傾向にあるものの,国内需要の回復力は総じて盛り上りを欠くものとなっている。しかしながら今後,物価の安定及び原油価格低下の好影響が期待できることは,我が国経済にとり明るい材料といえよう。こうした好条件を生かし,内需の自律的回復の芽を大切に育てていくことが必要である。

2. 世界経済の同時停滞と日本経済への影響

(1) 世界経済の同時停滞とその背景

アメリカ経済は,1979年からの新金融調節方式と,1981年からのレーガン政権の経済政策の推進によって,81年夏頃から急速な景気後退に入った。これによって第2次石油危機後の不況から脱しつつあった世界経済は二度目の景気後退に入った。アメリカの高金利の波及,ヨーロッパ・日本の回復力の弱さ,非産油発展途上国が第2次石油危機の影響を脱し切れなかったこと等が重って,世界経済の月時停滞という状況が生じた( 第1-2図 )。

(アメリカの経済政策の転換)

第2次石油危機後の先進主要国の経済政策は1970年代前半と比べれば,(1)インフレ抑制を第1と考えて,(2)中長期的な視点をより重視するものへと大きく変化した。

欧米諸国では戦後長らく完全雇用重視の総需要管理政策が採用されて来たが,その中で,インフレ心理の定着から景気後退局面にあっても賃金・物価が下方硬直性をもつ状況が常態となり,他方で社会保障制度の拡充等による財政収支構造の赤字化と相俟って,経済運営を困難にし,インフレ体質が根づいた。

もともと第1次石油危機自体もこうした先進工業国のインフレの高進が産油国の交易条件を長期間にわたり悪化させたことに原因があった。第1次石油危機後にはアメリカや西ドイツでは需要拡大策が採られたが,そうしたもとでインフレの進行と財政赤字の拡大が生じた。こうした反省に基き,第2次石油危機後の先進主要国の経済政策は,先に述べたような方向へと転換されたのである。

具体的には,金融政策面ではマネーサプライ(通貨供給量)の増加率を政策目標として一層重視し,第2次石油危機後は通貨供給量については抑制的な運営がなされた。

一方,財政政策についてみると多くの国で財政赤字が大幅化して,財政による景気刺激措置をとる余地が狭かった。また公共部門の肥大化が民間部門の経済活動を阻害したり,租税等の負担の増大を通じて貯蓄・投資の減退や労働意欲の低下等を招き,経済の供給面にマイナスの効果を及ぼしたとの反省に立って,中長期的な観点から財政支出の抑制が図られた。

こうした政策は,インフレ期待の解消が遅れ,賃金や物価の下方硬直性が残っている国においては,景気の後退や失業の増加という高いコストを生じた。

しかし全体としてみれば,このようなコストは,2回の石油危機を経た先進国経済が今後発展していく上で通る一過程で生じたものであったともいえる。

アメリカの経済政策の転換もこうした過程で生じたものである。今回の政策転換の重点は2つある。第1は金融政策面で,厳しい通貨供給量の抑制措置をとったことである。既にアメリカでは金融政策について,1979年秋に通貨供給量をより効果的にコントロールするために操作変数の重点をフェダラルファンド金利から銀行準備へと変更するといういわゆる新金融調節方式に切り換えており,インフレを抑制するため通貨供給量について厳しいコントロールを加えた。この結果,物価上昇率は1980年以降徐々に鈍化傾向を辿り,1982年末には消費者物価の前年同期比は3%台になった。通貨供給量の抑制は,名目成長率の低下にはかなり速く結びつくとしても,インフレ期待の解消はなかなか進展しないため実質成長率の低下と名目金利の上昇が生じた。

第2には,中長期的にみてアメリカの成長率が低下傾向にあることの大きな原因の一つとして,貯蓄不足による投資水準の低下があるとの観点から民間の貯蓄の促進を意図していることである。この1981年10月,1982年7月及び1983年7月の3回にわたり,税率合計25%総額約2,000億ドルにのぼる,大幅な所得税減税が実施されるとともに,他方で財政支出の削減が行われたことである。

この2つの政策は,いずれも長期的にはアメリカのインフレを鎮静化させ潜在的な成長力をとりもどすことを企図したものであり,このところインフレの鎮静化には奏効したが,短期的には不況と金利水準の上昇をまねいた。

まず金融面での厳しい通貨供給の抑制は,名目成長率の鈍化以上のテンポで行われたため,短期的には名目短期金利の高騰を招いた。

こうした短期金利水準の上昇は,長期金利の押し上げ要因となった。また80年末以降厳格な通貨供給量のコントロールが行われているため,短期金利の乱高下が生じ,長期の資金運用のリスクが拡大したことも長期金利の押し上げ要因となった。

また長期金利についてみると,金利の上昇は短期金利の上昇のみにより生じたものではなく,長期金利固有の要因が大きい。

すなわち,81年から83年にわたる大幅な所得税減税を始めとする一連の減税措置が短期的には連邦政府の財政赤字を拡大させたことである。レーガン政権はこうした減税措置を実施する一方で,社会保障関係の歳出を大幅に削減するなど歳出規模の抑制を図ったが,軍事費等については当初よりはその伸びを鈍化させるにとどまったこと等もあり,これに不況下での循環的な財政赤字の拡大も加わって,結果的には財政赤字は1982年度(1981年10月~1982年9月)1,106億ドル,1983年度2,102億ドル(実績見込み),1984年度1,902億ドル(予測)と大幅なものになった。

第1-3図 大きく変わった資金移動の流れ

こうした財政赤字は民間の純貯蓄の70~100%にも及んだことに加え,連邦準備理事会の金融引き締めの態度も依然厳しいものがあることから,市場にはクラウドアウトの懸念が拡大し長期金利の上昇圧力となった。

このように長短の名目金利が上昇する局面下で,物価上昇率も低下し,インフレ期待も修正されたとみられたため,名目金利を将来の予想インフレ率で修正した実質金利は,過去の景気後退局面に比べてかなり高い水準となった。

(世界経済への影響)

こうしたアメリカの政策の転換は以下の5点においてアメリカ経済及び世界経済に大きなマイナスの影響を及ぼした。

第1は,アメリカにおける厳格な通貨供給量の抑制は,一方では名目成長率の美化をもたらしたが,インフレ期待の修正は徐々にしか進まなかった。また,金利の上昇は金利に感応的な設備投資等の支出項目を抑制することとなった。こうした結果,アメリカでは1981年夏以降,景気の後退と失業の増加が生じ,1982年には実質成長率はマイナスを記録した。

第2は,アメリカの高金利が各国に伝播し,西欧や日本等の国々での投資活動に抑制的な効果をもった。

第3には,アメリカの高金利は,ドル選好を強め資本の国際間移動もあって,為替市場でのドルの独歩高をもたらし,これが国際収支面での貿易収支の悪化を招来した。不況の深化と失業の増加が生じている下での輸出の減少及び工業製品の輸入の増加は,アメリカ国内において保護貿易主義的風潮を醸成した。不況の深化と失業の増大が,保護貿易主義的傾向を生み出したのは,西欧でも同様であった。

第4に,こうした先進諸国を中心にした不況と失業の深刻化の中で,発展途上国の石油や一次産品の輸出が減少した。もっとも,これには第2次石油危機後の各国の省エネルギー努力の成果の影響も大きい。このため発展途上国では国際収支の制約が強まり,国内経済開発のテンポを遅らせたり,輸入の抑制を図るなどしたため,先進国の輸出需要が減少した。この結果,先進国間貿易のみならず,先進国と発展途上国間貿易も減少傾向をたどった。

さらに,発展途上国等の中には輸出収入が減少するなかで,アメリカの高金利により過去から累積していた対外債務の利払いが困難となる国々も生じ,メキシコ,ブラジル等,欧米の民間金融機関からの借り入れが多い国では,対外債務の返済困難等の問題も生じ,国際的な金融不安の発生が懸念された。

以上のように,1981年に入ってからのアメリカの政策の変更は,世界的な景気停滞を長期化させる大きな原因となった。

しかし,注意すべきは,この間,他の先進諸国においても,アメリカと同様に通貨供給量の抑制と財政赤字の削減が行われていたのであり,各々の国の不況と失業の増加が,アメリカの政策転換のみによって生じたわけではないことである。にもかかわらず,アメリカの高金利は,変動相場制の下で米ドルの独歩高と他の先進諸国の通貨の全面安をまねき,各国政府は,為替レートの維持と物価安定等のためには,国内の金利水準をより高い水準に維持せざるをえなくなるなど政策面での制約を生じた。

(世界的なドル独歩高の背景)

世界的なドル独歩高の背景を単一の要因で説明することは困難であり,かつ,いささか大胆であるが,ここでは主として「アンカバーの資本」の動向を通じてこれを概観してみたい。

なお,ここに「アンカバーの資本」とは,資本移動の中でも内外金利差や為替相場観の変化などに反応して流出入を示し,少なくとも資金移動が生じた時点では先物為替の予約を行わないことが一般的とみられるものをいう。ただし,このような資金移動を明確に表わすデータは存在しないため,「アンカバーの資本」としては,証券投資(除く円建債)と直接投資の合計をもって近似することとする(57年度年次経済報告(以下「経済白書」という)第I部第四章とは定義が異なる)。

「アンカバーの資本」の動向をみる前にまず,主要先進国の経常収支の状況をみると( 第1-3図 ),53年(1978)当時日本や欧州主要国が大幅黒字を示す一方,アメリカは大幅な赤字となっていた。しかし第2次石油危機後は,アメリカ,日本が55年(1980)央から56年(1981)初にかけて黒字に転じているのに対し,欧州主要国では赤字基調を脱せず,こうした状態が57年(1982)央まで続いた。

このような状況の中で「アンカバーの資本」は,まず欧州主要国では,55年(1980)以降最近までほぼ一貫して大幅な流出が続いている。日本は55年春先から56年初にかけてオイルマネーの流入等を背景に大幅な流入超過が続いたが,その後は一転して流出超過となり,57年10~12月期になりようやく流入超過となった。それに対してアメリカは,1981年初に流入超過に転じて以来,これまでのところ流入超過基調が続いている。

このようにアメリカの経常収支が黒字であり「アンカバーの資本」も流入超であったことがドルの独歩高の基本的な原因となった。

また1982年央以降,ドル高を背景にアメリカの輸出が減少に転じたため経常収支は赤字傾向になったが,アメリカの金利水準は徐々に低下したものの依然高水準が続いたこと,国際金融不安発生の懸念等によりドルへの信認が強まったこと等を背景にドルの独歩高の修正は遅れた。

第1-4図 円レートの変動と内外金利差

こうした状況をわが国についてみると( 第1-4図 ),56年後半以降,日米の実質金利差が日本に不利化するなかで,実質金利差の動向に比較的敏感に反応する「アンカバーの資本」の流出がめだつ。この間円相場も「アンカバーの資本」の動きを受けて,円相場の長期的すう勢を示す購買力評価を大幅に下回る推移となった。もっとも57年7月以降,アメリカが数次にわたり公定歩合の引き下げを実施したほか,西ドイツ,イギリス等の欧州主要国も金利を引き下げたことから,わが国と欧米主要国の金利差が縮小した。アンカバー資本収支も夏以降年末にかけて急速に改善した。

他方,円相場は,9月,10月も下落を続け,円安修正の動きが出たのは11月初旬になってからであった。

このように内外金利差,特に実質金利差が縮小するなかで円安の修正が遅れたのは,次のような点から,人々のドルに対する信認が依然強く,なかなか円相場に先高観が生じなかったことが指摘できる。

まず第1に,内外金利差や為替相場観によって流出入する「アンカバーの資本」は57年9月以降流入超過に転じたものの,他方,内外金利差は縮小したとはいえ名目金利(長期)では9月でもアメリカの方が4%弱高く,また,米国金利の先行きについても不透明感が強かった。このため,証券投資等の資本の流入が基調として定着するかどうか見方が分かれていた。

第2には,「アンカバーの資本」は流入に転じたものの,それ以外の円建外債,借款等の長期資本が依然として着実な流出をみせていたことがある。

更には,折からの中東情勢等の不安定懸念や国際金融不安の発生の懸念等を背景に「有事に強いドル」との連想が再び強まったことも無視できない。

一方,こうした人々の円相場観の修正の遅れは,この間の為替需給の動きにもあらわれている。まず国内では輸出入業者ともこの間にむしろ円安が継続することを見込んだ行動をしている。

輪出業者では,それまで厚目にカバーして来た輸出予約(実際の輸出に先立って先物のドル売り円買いを行い,手取り額を確定すること,円高要因)がその後の円安によって裏目にでたことから7月以降の時期でも慎重な締結姿勢を崩さなかった。他方,輸入業者は円安の進行に伴い56年秋以降石油業界を中心に輸入予約(実際の輸入に先立って先物の円売りドル買いを行い,支払額を確定すること,円安要因)のカバー率を引き上げてきており,特に57年7~8月や10月の円小反発局面では積極的に輸入予約を締結するといった行動がみられた。

また海外においても,7月以降のアメリカの金利低下局面で海外投機筋が一旦は円買い,ドル売りに転じたものの,9月に入ると再び円売り,ドル買いに動くといった行動がみられた。

以上のような国内,海外での円売り圧力が11月初まで円相場を下落させ,円安修正を遅らせたといえる。

なお,円相場の動向に対して最近とみに海外筋の果たす役割が注目されている。これは50年代に入り,貿易の決済面,金融面等で円の国際化が急速に進展していることを背景としたものである。例えば,貿易の決済面では円建輸出の比率が50年の17.0%から57年には40%弱にまで高まっている。金融面でも,アンカバー資本の流出入が活発化していることに加え,海外における円預金(ユーロ円預金)や海外への円建貸付等が急速な増大をみせている。もちろんこうした円の国際化は,資金の流れが厚くなることによりかえって為替相場の安定に寄与する面があることは否定できない。しかし他方,非居住者(海外の企業等)が円建負債を負うことは,為替リスクを非居住者が負担することを意味するから,アメリカの実質金利の高騰や国際政治情勢の緊迫化といった異例な事態が生じたときには,人々の為替相場観が一方に大きく振れて資金の大量な移動がおこり,一時的に円相場に大きな影響を及ぼすことがある。

第1-5図 輸出数量の変動要因

(2) 変動相場制の機能と限界

アメリカの政策の変更によって,アメリカの実質金利が高騰し,これがドルの独歩高と高金利の世界的伝播をもたらしたことは,今回の景気停滞局面での大きな特徴であった。第一次石油危機後の1975年の世界的な景気停滞時においても,アメリカや西ドイツで財政赤字の拡大がみられたが,このときには実質金利の上昇は生じていない。今回の場合,財政赤字幅の拡大に加えて金融政策の引き締めの度合いが強かったことが,実質金利の上昇を生み出したのである。

先に述べたように各国とも財政赤字の拡大に悩み,他方で金融引き締めを行っているわけであるから,アメリカの高金利がなくとも,各国の金利はある程度上昇せざるを得なかった面もあるが,変動相場制の下においても国際資本市場の統合が進展している現状では,各国の実質金利がアメリカのそれと大きく乖離した状態を続けることが困難であることが示された。

こうしたなかで,変動相場制への疑念が各国で生じてきた。

1944年以降約4半世紀続いた固定相場制を主軸とする旧IMF体制は1971年のニクソン大統領の新経済政策による金交換の停止により崩壊し,その後1971年12月のスミソニアン合意による多角的平価調整を経たのち1973年3月に主要国通貨は変動相場制へと移行した。

そもそも,旧IMF体制が崩壊したのは,基軸通貨国のアメリカのインフレが高進しドルの信認が低下したため,国際資本移動の活発化に伴い,為替相場調整前に厖大な為替投機による通貨危機がくりかえされたこと,による。

アメリカのインフレが,アメリカの国際収支の赤字とドルの低下をもたらす場合に,他の主要国(例えば日本や西ドイツ)は,自国の通貨(円やDM)の切り上げを防ぐため,大幅な介入を行ってドルを買い,円・マルク売りを行わなければならない。このため外貨準備高が急増し,国内の通貨供給量が増加するため,結果的には,アメリカのインフレが,日本や西ドイツに移入されてしまうことになる。

こうした中で導入された変動相場制下では,固定相場制の下でみられたような通貨危機はみられなくなった。また,二度の石油危機によって,各国のファンダメンタルズが激変するなかでも固定相場制を維持しようとすれば,各国は大幅な介入を余儀なくされたであろうが,内外の均衡を無視して固定相場制を維持することはほとんど不可能だったと考えられる。したがって,変動相場制は各国間の調整をよりスムーズにしたと評価できる。

このように,変動相場制は固定相場制に比べて優れた調整機能を示して来たが,一方,その導入前に指摘されていた機能を現実には必ずしも十分には果さないことも明らかになった。特にそれらのうちでも大きな問題点を挙げると,以下の3点がある。

第1点は,為替レートの変動が予想されていた以上に大幅なものになったことである。このことは貿易等の対外取引リスクの増大など種々の悪影響をもたらした。

第2点は,為替レートを通じた国際収支の調整機能が当初考えられていたほど十分には作用しなかったことである。

例えば,52年,53年の円高時には,当初の期待に即して考えれぼ,円高が輸出価格の上昇,輸出数量の減少,経常収支の黒字の減少というルートを通じて円高修正の方向に向うはずであった。しかし,実際には,円高の下で,輸出業者が,ドルベースの輸出価格を上昇させたにもかかわらず,輸出数量は当初はそれほど減少せず,このためむしろ経常収支の黒字が累積し(いわゆるJカーブ効果),より一層の円高を招来することになった。

逆に57年度においては,経常収支の黒字幅は56年度の59.3億ドルから,91.4億ドルへと拡大したが,円安修正はかなり遅れることになった。このことは次の点とも関連するが,57年の円安はアメリカの高金利によるドル全面高を反映としたものであったためである。

第3点に,変動相場制下では各国の金融政策は独立性をもって対内均衡を追求できると期待されたが,実際には各国の金融政策が為替レートの変動にかなり制約され,国内均衡の達成を十分追求できなかったことである。

各国間で金利水準に格差が生じると,特定通貨への選好の偏りと国際間の資本移動を誘発するが,変動相場制の下では,為替レートの変動が内外金利差を相殺してしまうため,このような事態は生じないという期待があった。例えば,アメリカの名目金利の上昇が,アメリカ国内のインフレの高進を反映したものであれば,基本的には,インフレの進行自体がドル相場の下落という人々の期待を生み,内外金利差を打ち消す可能性が高まるため,ドル選好の高まりとアメリカヘの大幅な資本流入が生じることはないはずである。

しかし,56,57年においては,アメリカの名目金利の上昇がインフレの鈍化の下で生じたため,内外の実質金利差が拡大し,これに加えて,国際政治情勢や経常収支黒字化傾向と相俟って,名目金利差を打ち消すほどのドル相場の下落はないとの期待が醸成された。この結果,為替需給面でドルの独歩高の原因となった。

西欧諸国では,この間に生じる自国通貨レートの大幅な下落は,交易条件の悪化や国内のインフレ圧力の原因となるため,内外金利差を縮小させるため,国内の金利を引き上げなければならなかった。このため,国内経済にデフレ的影響が及んだ。一方,日本でも金利は過去の緩和期に比べて相対的に高い水準で推移した。

以上のように,変動相場制に対して当初指摘されていた機能というものは,各国の政策スタンスが大きく異っておれば期待しがたいものであったといえる。

国際資本市場が大規模なものになっている今日では,各国の政策,特に金融政策のスタンスが大きく異っていれば,為替レートが内外の均衡を達成するように決定されるという保障はない。こうしたもとでは,仮りに変動相場制に代えて,為替レートを一定水準や一定の幅に調整しようとする制度を採用したとしても,固定相場制と同様に,通貨危機の発生は回避できないと考えられる。したがって,現在の変動相場制は48年(1973)に固定相場制が崩壊するなかでやむなく採用されたものであるが,今日これに代りうるシステムはまだ見出されていない。

通貨安定のためには,主要国が中長期的な観点から経済政策の調和を図ることが基本的には重要である。そのため各国が今後ともインフレなき持続的成長の達成をめざし,財政赤字削減の努力をすすめるべきであろう。

また,各国の経済実体を必ずしも反映しない相場の乱高下や,行き過ぎに対しては各国通貨当局が単独でまたは必要に応じ他国と協調して為替市場に介入することも必要である。

(3) 世界貿易の縮小と保護貿易主義の高まリ

(世界貿易の縮小)

アメリカの政策転換は今回の世界的景気停滞の大きな要因となったが,こうしたなかで世界貿易も縮小過程を辿った。

世界貿易を世界の輸入数量(除,共産圏,IMFによる)でみると,1980年に0.7%増となったあと1981年も0.5%の増加にとどまった。四半期別にみると1981年前半にはやや回復したものの,10~12月期には再び減少に転じ,1982年に入っても一貫して減少した。地域別にみると56年末以後,全体として減少傾向を示しているが,当初は先進工業国や非産油発展途上国での減少が最も大きく,1982年央からは石油輸出国の減少幅も拡大した。

今回の世界貿易の減少は第1次石油危機後のそれよりも程度は軽微であったものの,回復力が極めて弱く停滞が長期化している。

第1次石油危機時には,先進国間貿易は縮小したが,発展途上国,特に石油輸出国は豊富な石油収入により国内経済開発を活発化させたため,輸入も増加し,先進国と発展途上国間の貿易はむしろ拡大した。しかし今回の場合には,先進国間貿易のみならず先進国と発展途上国間の貿易も縮小していることが特徴的である。

(保護貿易主義の高まリ)

先進国間の貿易量の縮小は,先進国の不況による輸入の減少に加えて貿易摩擦の影響があったと考えられる。貿易摩擦の原因については,57年度経済白書でも指摘したところであるが,その主なものとしては,欧米先進諸国が世界貿易の構造変化にうまく対応できなかったことがある。

世界貿易の構造変化の要因としては,①1960年代から強まってきた中進工業国(NICS)の経済,技術水準の向上と国際市場への進出,②二度の石油危機による石油価格の大幅な上昇が,先進工業国の産業構造に大幅な変革を迫ったこと,また国際的な資本と貿易の流れを大きく変化させたこと,③各国の設備投資活動の相違,生産性上昇率の格差,生産技術水準の格差,さらに労働市場のパフォーマンスの格差などが先進国間の国際競争力の相対的関係を変化させた,等がある。

欧米先進諸国は1960~70年代にかけてこうした構造変化への対応能力を徐々に喪失していった。その背景としては,企業家精神の弱まり,投資行動における長期的視点の喪失,労働力の産業間職種間の移動性の低下,等が指摘できる。

このため1970年代に入ると,欧米先進諸国において国際競争力を喪失しつつある衰退産業保護を目的とした保護貿易主義が高まりをみせた。

こうした傾向が,今回の世界的景気停滞の下での不況の深化,失業の増加及び国際収支の不均衡の拡大を背景に,一層強まったのである。

このような貿易摩擦は日本と欧米諸国間だけに生じているのではない。EC諸国とアメリカの間でも鉄鋼等についても大きな問題が生じており,また先進国と中進諸国間にも種々の紛争が発生している。

このような保護主義の高まりが世界貿易に与える悪影響は大きい。まず短期的には,保護主義的政策は当面の産業調整を回避しうるが,各国間の保護主義の高まりによって世界貿易の縮小が加速化され,世界景気の停滞を長期化する惧れが強い。1930年代の深刻な不況の下で,各国は保護主義的な貿易障壁を設け,経済のブロック化を推進したが,結局これが貿易の自由な流れを歪めて世界経済をほとんど崩壊の極に到らしめたという貴重な教訓がある。

第2に,こうした保護措置を長期間継続すると非効率的な産業を温存し,経済成長力の低下やインフレ体質の高進を招く。そして産業調整がますます困難になるという悪循環が生じる。

(発展途上国の貿易の縮小)

次に,今回の景気調整過程で発展途上国の貿易が縮小した原因についてみよう。

まず輸出の減少については,世界的不況が長期化するなかで,先進工業国の不況及び保護主義の強化により中進工業国の製品輸出は減少した。また石油危機後,先進工業国では省エネルギー化が進展したことや不況によるエネルギー需要の低下により,石油需給が緩和し,産油国の輸出額は伸びが鈍化した。さらに一次産品市況の下落による貿易収入の減少は,非産油発展途上国の経常収支の赤字幅を一層拡大させた。

このため各国とも国内開発のテンポを遅らせたり,輸入の抑制を行うなどしたため,先進国の輸出需要も減少した。

さらに発展途上国の国際収支の悪化は,折からの世界的高金利と相俟って中南米等の一部諸国では対外債務返済遅延問題が表面化した。これらの国に対する欧米の民間金融機関の貸付残高が多額にのぼっていることから,国際金融不安の発生が懸念された。

(4) 日本経済への影響

長期にわたる世界経済の停滞は日本経済に様々な影響をもたらした。以下ではその影響について,①輸出の減少,②これによって生じた二度目の在庫調整,③世界的高金利の国内への波及,及び④交易条件の改善の遅れ,の4点に絞ってみてみる.

(円安下の輪出の減少)

1) 輸出の減少とその特徴

55年から56年秋まで大幅な増加を続けた輸出(数量ベース)は,56年末から減少に転じ,57年10~12月期まで減少傾向を続けたあと,58年1~3月期に到り,ようやく持ち直す気配をみせた。こうした長期にわたる輸出の減少は,最近では第1次石油危機後および53年の急速な円高の時期に次いで3回目のことである。

今回の輸出減少を過去2回と比較してみると,次のような特徴がある。第1には,円安が進行するなかで輸出が減少したことであり,そのため数量とともに価格(ドルベース)も下落した。この点では第1次石油危機後と似ている。第2には,地域別にみるとすべての地域で減少していることである。第1次石油危機後には,産油国の経常収支が巨額の黒字を記録したことを背景に,産油国向け輸出は増加を続けたが,今回は石油需要の減少や価格低下により産油国の石油収入も減少したことなどから,産油国向けの輸出も57年に入って急速に減少した。第3には,主要な商品が軒並み減少したことが挙げられる。第1次石油危機後には,素材型商品や船舶が大幅に減少したものの,その他の機械機器は増加を続けた。しかし今回は素材型商品,機械機器の双方がともに減少していることが特徴的である。

このように今回全地域向けおよび主要商品のすべてにおいて輸出が減少しているのは,①世界的な景気停滞から世界貿易が第2次石油危機後2回目の減少局面にあること,②資本財,耐久消費財等を中心に現地在庫の調整が行われたこと,③円安傾向が輸出の増加にあまり結びつかなかったこと,④貿易摩擦の影響が拡大していること,等による。また船舶やプラントなど契約期間の長い商品が過去の受注の動きを反映して減少を示したことも一因である.

ちなみに輸出の変動要因を世界の需要(世界輸入),相対価格,為替レート(円の実効レート),国内の需要(わが国からの輸出圧力)に分けて,これらを説明変数とした輸出関数を作成し,これらの諸要因の影響度を計測してみると( 第1-5図 ),53年の輸出の減は世界需要が回復するなかで,円高による価格競争力の低下から輸出が減少したことがわかる。これに対して今回は,円安が進行するもとで,為替要因と相対価格要因とを合せた価格競争力はプラスに働いたものの,世界需要の減退が輸出の減少の主因になっていることがわかる。この点は第1次石油危機後の円安下の輸出の減少と類似している.

相対価格要因についても,過去の円安局面と同様に,ドル建輸出価格は低下しているが,これは日本の輸出業者が輸出数量を拡大するためにドル価格を引き下げたこと,現地需要の低迷下で現地の輸入業者がドル価格値引きの要請を強めたために生じたということに加えて,円建輸出分は円安になるとほぼ自動的にドル建価格が低下するという面もある。このように現地需要が低迷していたため,輸出価格の低下はせいぜい販売量の維持程度にとどまり,輸出数量拡大をもたらさなかった。

また,56年末からの大幅な円安にもかかわらず輸出数量が伸びなかったのは,今回の円安がドルの独歩高の反映であり,円安と同時に欧州通貨の対ドル相場も軒並み低下しており,円の対欧州通貨レートはむしろ上昇するなどしたため,円の実効レートがあまり下らなかったためである( 第1-6図 )。

もっとも57年10~12月期にかけて,現地在庫の調整がほぼ一巡し,プラント輸出も下げ止まる気配をみせたことから,輸出には下げ止まり傾向が生じ,58年に入るとアメリカや西欧の一部諸国での景気回復や,中国,一部中東諸国の輸入の増加により,輸出は増加傾向となっている。

2) 海外需要の減少と規地在庫調整

すでにみたように,先進国経済の回復の遅れにより,世界貿易は,55年以降停滞状況が続いており,こうした海外需要の減少がわが国の輸出の減少を招いているが,今回の特徴は,56年央にかけて海外の現地在庫が増加し,その調整もあって輸出の減少幅が大きかったことである。

56年央にかけて現地在庫がかなり積み上ったひとつの背景として,第2次石油危機後の世界景気の動きが,第1次石油危機後とかなり異っていたことがあげられる。

第1-7図 アメリカにおける現地在庫調整(例)

前回は先進国の生産や世界貿易の減少はかなり大きかったものの,50年4~6月期を底に比較的順調な回復を示した。これに対して,今回は56年後半から第2次石油危機後2回目の減少局面に入っている。56年前半の時期は米国経済を中心に世界経済が一時的な回復気配を示した時期であり,各企業の世界貿易の見方にもかなり楽観的なものが多かった。もっとも当時においても世界景気の先行きについては警戒的な見方が多かったことも事実であるが,その後の停滞状況は企業の予想を上回るかなり厳しいものであったといえよう。

こうした現地在庫の積み上りは二輪車,音響機器,カメラ,時計といった耐久消費財や鉄鋼製品などにおいて顕著であった。 第1-7図 はいくつかの商品について在庫の積み上り状況をみたものであるが,輸出先の需要の減少に加えて,こうした現地在庫の調整が重ったため,56年10~12月期以降の輸出の減少は大幅なものになっている。

こうした現地在庫の調整は相手国の景気回復が遅れたため,かなり長引いたが,57年10~12月期にはほぼ一巡したとみられる。

3) 貿易摩擦の影響

欧米先進国の景気停滞が長期化するなかで,保護主義的な動きが広まり,わが国を巡る輸出環境は一層厳しいものとなった。

当庁「企業行動に関するアンケート調査」(58年1月)によれば海外での輸入規制があると回答した企業は,全産業で44.7%であり,製造業だけに限れば,48.0%となっている。これを業種別にみると,規制があるとする企業の割合が最も高いのは,自動車・同部品の88.6%であり,次いで鉄鋼(76.2%),繊維(70.6%),電気機器(55.6%),一般機械(54.9%)となっている。このようにわが国の輪出に占めるウェイトの高い業種で,規制があるとする企業の割合が高い。

一方,近年の我が国企業の対外経済活動においては,貿易摩擦問題の顕在化に対応し,電気機器,自動車等の分野を中心に海外直接投資,0EM供給(相手先ブランドによる供給),技術交流等による産業間の協力の拡大という方向もみられる。

特に,近年は先進国地域向けの直接投資残高が顕著な増加を示している。これに伴い,電気機械では完成品家電機械よりも部品の輸出が高い伸びを示しており,電気機械の輸出に占める完成品家電機械(テープレコーダーを含む)の比重は45年度の58.1%から57年度には41.1%へと低下している。こうした直接投資は,企業にとっては大きなリスクを伴うものであるが,相手国における雇用の増大,安定的な通商関係の構築等やひいては相手国経済の活性化にも資するものと期待される。

(低迷を続ける輸入)

輸入(数量ベース)は,55年度4.4%減,56年度0.7%減のあと,57年度も4.4%減と3年連続の減少となった。

第1-8図 製品類の輸入動向と要因別寄与度

輸入は,56年末から57年初にかけてかなり増加を示したものの,57年4~6月期には再び減少傾向に転じ,58年1~3月期には0.3%(季調値前期比)と僅かながら増加となった。

こうした動きを品目別にみると,国内の鉱工業生産の停滞等を反映して鉱物性燃料(前年度比6.6%減)が,円安から製品類(同7.9%減)がそれぞれ減少しいる。

57年度の原粗油の輸入は,基礎素材産業の不振,省エネルギーの一層の進展等による実需の減少に加えて,57年末からはOPECの原油価格引き下げを見込しての輸入手控え,在庫削減等の動きもあり,前年度比9.9%減と3年連続の大幅な減少となった。また輸入価格(CIFべース)も,需給緩和,割安なスポットものの比重増加等により年度平均でも34.1ドル/バーレルと石油危機以来初めての低下となり,こうした結果,57年度の輸入総額に占める原粗油のウエイトは56年度の37.1%から34.5%へと低下した。

原料品は,木材が57年後半に増加したこと等から,前年度比1.8%の微増となったが,繊維原料,金属原料は,繊維工業,鉄鋼業等の需要不振により低調に推移した。

一方,製品類の輸入は減少したが,この背景をみてみると,56年後半には国内の生産活動の増加を反映して増加したものの,57年に入り大幅な円安を主因として輸入製品の国内工業製品に対する相対価格が上昇したことに加え,国内の生産活動の停滞も加わり,57年4~6月期以降3四半期連続の減少となった。為替レートは57年11月以降円安修正がある程度進展したものの,58年に入っても輸入数量は微増にとどまっている( 第1-8図 )。

(二度目の在庫調整と企業収益,雇用への影響)

今回の在庫調整は,56年末からの輸出の減少によって生じたものであり,輸出依存度の高い加工型業種及び鉄鋼業がその主役となった。こうした中で第2次石油危機以降比較的堅調に推移して来た加工型業種の生産も56年度後半には伸びが鈍化し,57年度に入ると4~6月期には前期比2.8%減とやや大きく落ち込んだ。こうした加工型業種を中心とした輸出の減少は親企業の生産減が下請企業の受注減をもたらし,さらに,それらに基礎資料を提供する素材型産業へと波及し,製造業全体の生産減少,在庫増に大きな影響をもたらした。

1) 企業収益への影響

製造業の企業収益の動向をみると,第2節でみるように,企業収益は第2次石油危機後,一旦は56年下期にかけて改善したものの,57年度に入り,上,下2期連続の減益となった。しかし第1次石油危機後と比べてみると,その落ち込みは比較的軽微なものにとどまっている。

日本銀行「主要企業短期経済観測」(以下日銀「短観」という)によれば,57年度上期の経常利益(製造業(除く石油精製))は,前期比7.6%減と3期振りに減益となったあと,下期も16.7%の減益となっている。このうちこれまで好調であった加工型業種では輸出不振の影響が大きく,57年度上期には3期振りの減益となったが,輸出比率の高い業種が多いため,円安に伴う輸出採算の向上などから,電気機械,輸送機械などでは減益幅は前期比1.4%と小幅にとどまった。しかし下期には円安修正が進んだため,9.1%の減益となった。

他方,素材型業種(石油精製を除く)は,57年度上期には一部輸入原材料価格が円安の影響から上昇したことに加え,市況が低迷したため,企業の交易条件は多くの業種で悪化がみられた。さらに内外需とも不振であったため鉄鋼,繊維,非鉄金属などを中心に21.7%の大幅な減益となった。下期についても需要不振,市況低迷から38.7%の大幅減益となった。

今回の円安局面では,原油等国際商品市況の低下によりマクロベースの交易条件の大幅な悪化は避けられたが,個々の業種については,収益面への影響が大きく異っており,企業収益の業種別跛行性を一層拡大したと考えられる。

2) 雇用への影響

雇用面からみると,第2回目の在庫調整の影響は第1回目のそれよりも相対的に大きかった。

日銀「短観」により企業の雇用水準判断をみると57年度に入り,素材産業はもとより,それまで比較的落ち着いた動きをしていた加工型業種でも雇用過剰感が急速に高まった( 第1-9図 )。こうした中で企業は生産の減少に対応して労働投入量を調整する際に今回は労働時間の削減に加え雇用量の伸びを抑制する度合いを強めた。

こうした動きを業種別にみると( 第1-10表 ),加工型業種では57年度に入り生産が減少に転じたため,労働投入量の伸びも前年度比0.7%増(56年度3.6%増)と大きく鈍化したが,これは雇用量の伸びが前年度比2.8%増(同3.9%増)と鈍化するとともに,労働時間が56年度の0.3%減から57年度には1.1%減へと大幅に減少したことによる。これに対して素材型業種は雇用量の削減を主軸として労働投入量を減少させた。

またこの間の動きを常用雇用者についてみると,56年度には素材型業種での減少と加工型業種での大幅な増加という業種別跛行性のもとで雇用全体としては増加がみられ,第2次石油危機後の雇用情勢は比較的底固い動きをみせるもととなった。しかし,57年度に入ると電気機械,輸送用機械などで減少がみられるなど,これまでの雇用増加に大きく寄与して来た加工型業種の雇用も減少基調に転じたため,製造業の常用雇用も57年7~9月期以降減少傾向に転じた。

こうした動きの中で,製造業全体の新規求人の減少,離職者の増加などにより労働力需給の悪化が生じた。

(アメリカの高金利の波及と国内金利動向)

55年8月以降,公定歩合は4次にわたって引き下げられ,これに呼応して,56年春先までは,長短金利とも低下した。しかし,その後のアメリカの高金利,為替円安の下で,わが国の金利水準も第3章第4節でみるようにかなり影響を受けることになった。

56年以降の円安局面は,アメリカの高金利からドル選好が強まり,アメリカへの資本流入が生じたことによるドルの独歩高の反映であった。

57年度に入って,アメリカの高金利は低下傾向を示したが,なお内外の金利差は大きく,さらに,国際金融不安発生の懸念により「有事に強いドル」が選好されたこと等から為替相場観の修正が遅れ,円安傾向が続いた。

このため,日銀は短期市場金利の高目誘導を余儀なくされるなど金融政策の自由度が制約された。

また円安そのものが,長期債市場における投資家の買い控えを誘発し,国債の大量増発懸念等と相俟って,長期金利の高止まりの一因となった。

こうした結果,今回の金融緩和局面における実質金利は,過去の緩和局面に比して,比較的高い水準にとどまることとなった。このため,国内の設備投資等には,ある程度の影響を与えたものとみられる。

このように57年に入って長短市場金利は金融緩和局面にもかかわらず上昇する局面がみられたが,資金需要の落ち着きを示す中で,長短金利の上昇は金融機関の段階でかなり吸収されたため,貸出金利への影響は非常に限られたものにとどまった。

しかしながら,全国銀行の貸出約定平均金利を物価上昇率で割引いた実質金利ベースでみると,今回金融緩和期の水準は物価が安定していたこともあって過去の緩和期に比べて相対的に高いものとなっており,比較的順調に低下した貸出金利も,実質的な水準では相対的に高目に推移したといえる。

(交易条件の改善の遅れ)

交易条件(輸出価格/輸入価格)の最近の動きをみると( 第1-11図 ),第2次石油危機時においては,原油価格の大幅な上昇により,ドル建輸入価格が急騰したことに加え,為替レートが円安になったことにより,交易条件は大幅な悪化傾向を示した。

しかし,今回の円安局面では,世界的な石油需給の緩和のもとでの石油価格の低下やその他一次産品の市況の低下によりドル建て輸入価格が低下したため,円安にもかかわらず,交易条件は比較的安定した動きを示した。しかし,仮りに円相場が経常収支の黒字を十分に反映したものとなれば,輸入価格低下の恩恵を充分に享受して,交易条件は改善傾向を辿り,国内所得形成にもプラスの効果をもたらしたはずである。

通常,円安は交易条件を悪化させる。これは,ドル建輸入価格は不変であっても,ドル建輸出価格が下るからである。円安になれば,ドル建て輸出の場合(日本は輸出の約6割),円ベースの手取りは増加するが,輸出業者は,ドル価格を多少下げることにより,輸出数量を拡大して,輸出額をさらに増加させようとするためである。

また,原油やその他一次産品のドル価格が上昇し,工業製品と原油やその他一次産品との相対価格が変化する場合にも,わが国の交易条件は悪化する。第1次及び第2次石油危機時には,この両方が同時に生じたため交易条件は大幅な悪化を示したのである。しかし,57年度には,原油価格やその他一次産品価格は低下したため,この面からは,交易条件を改善する効果が働いたが,円安によりこれを十分に享受できなかったのである。

しかも,今回の円安下でのドル建輸出価格の低下は,円安下での輸出増加につながらず,むしろ,世界貿易の縮小局面下での輸出数量の減少のマイナス効果のみが作用した。また,マクロの交易条件は比較的安定していたものの,産業別にみると,企業の交易条件はかなり異っており,円安によるデメリットをかなり受けた産業もあった。

したがって,石油危機下で生じた円安局面とは異った形で,交易条件の改善の遅れが問題となったのである。しかし,57年末から58年にかけては,石油価格の低下,円安修正等,わが国にとって好ましい条件も出て来ている。

3. 財政・金融政策の動向

57年度の財政・金融政策は,財政赤字の削減,アメリカの高金利,円安といった厳しい制約下で可能な限り機動的な運営が行われてきた。

まず財政面では,公共事業の伸びが前年度比横ばいに抑えられるなかで,既往最高の前倒し発注が実施されたほか,下期には公共投資等の追加を含む総合経済対策が決定された。一方,金融面では量的緩和が進展した。

しかし,財政赤字削減の推進のため歳出全体の伸びが一段と抑制されたことに加え,金利水準も過去の緩和期に比べれば相対的に高止まったため,その景気浮揚効果は従来の景気調整局面に比べれば小さかったことは否めない。

こうしたなかで,56年度に続き57年度においても歳入欠陥が生じ,特例公債の増発を余儀なくされるなどしたため,59年度において特例公債依存から脱却するという当面の目標は実現が不可能になった。

(1) 今回の金融緩和の特徴

(量的緩和の進展)

今回の金融緩和(55年8月~ )を量的な面からみると,日本銀行は金融緩和を促進するために,金融機関の貸出の増加額規制(窓口指導)を漸次緩めてきており,56年4~6月期からは各金融機関とも原則として貸出自主計画が認められることになった。さらに57年1~3月期以降は金融機関の貸出計画を全面的に尊重する方式が採用されるに至った。こうした日本銀行の政策スタンスを受けて金融機関の貸出は緩やかに増加し,全国銀行の貸出残高の前年同期比増加をみると55年7~9月期の6.9%増をボトムとして57年10~12月期には11.3%増までに上昇している。しかも,この間に企業の借入需要はむしろ鈍化していたため,金融の量的緩和の程度はみかけ以上に強かったとみられる。ちなみに貸出の増加率と,企業の前向き借入需要と関係が深いと思われる期中売上高の増加率との比率をみると,金融緩和開始以降急速に上昇し,57年に入ってからは53年当時と同程度の水準にまで回復して来ている。この結果,企業の側でも金融機関の貸出態度を「ゆるい」とみている企業の割合は「厳しい」とみている企業の割合を大きく上回っており,金融の量的な緩和の進展を裏づけている。

(円安と短期金利の高目誘導)

次に今回の金融緩和を金利面からみると,公定歩合は55年3月以降既往最高水準の9.00%となったが,55年8月以降四次にわたって引き下げられ,56年12月には5.50%まで低下した。これに呼応して短期金利は57年2月までは順調に低下した。57年に入って,米国金利の上昇に伴う内外金利差の拡大等を反映して為替相場が円安傾向を続けたことから,3月下旬以降日本銀行は短期市場金利を高目に誘導した。すなわち為替相場は56年11月末以降円安に転じ,57年3月には240円台になった。一方,57年3月に入り国内の金融市場では,季節的資金余剰期を控え短期金利先安観が強まった。このため日銀は金利先安観の行き過ぎが内外金利差の拡大予想を通して円安をさらに加速することを避けるため,インターバンク市楊においてきつ目の市場調節を行う形で市場金利の高目誘導を行ったのである。

このため,コール手形レートは57年3月末から4月にかけて資金余剰期にもかかわらず上昇し,その後も秋口まで高水準をつづけた。

こうした短期市場金利の上昇の影響は長期債市場にも及び,国債金利を上昇させる要因の一つとなったが,その影響度は相対的に小さかったといえよう。これは短期金利の先高予想があると資金の長期運用にはリスクを伴うため長期から短期へ資金がシフトし,この結果長期債の市況の低下,利回りの上昇が生じるからである。

一方,円相場への影響をみると,日銀の高目誘導により内外金利差は縮小し,ある程度の円安阻止効果は働いたとみられるものの,夏以降の国際金融不安の発生の懸念が高まる中でドル選好が強まり,その後もわが国からの資本の流出がつづいたこともあって,為替市場の円安傾向は持続した。

なお,日本銀行は9月以降,海外金利の低下等を勘案し,市場調節態度を徐々に弾力化していったため,短期金利も徐々に低下したが,季節要因もあって比較的高い水準で推移した。しかし58年3月末頃から年度末の財政の大幅払超から本格的な資金余剰期に入ったため,コールレートが下げ足を速め,これに伴い手形レートも低下した。コールレートは6%前半の水準まで下り,公定歩合との乖離幅も53~55年の緩和期のそれとほぼ同水準となっている。

(長期金利上昇の背景とその影響)

長期債レートは55年夏以降低下傾向で推移していたが,56年5月以降かなり上昇した。

これはこの時期の米国金利の急騰やそれに伴う為替円安により,(1)金利先安観が後退し,投資家の買い控え姿勢が強まり市況が低下したこと,(2)前述のように,「アンカバーの資本」が流出傾向を示し,長期債の需給に影響を及ぼしたこと,などが背景となっていた。このため同年9月には発行条件の改定が行われた。その後の経緯をみると,(1)56年11月以降米国金利がやや低下したこと,(2)投資信託による国債の買入れなどから長期債市況は概ね堅調な推移を辿り,57年に入ると1月,4月と2度にわたって長期金利全般の引き下げが行われ,56年春先の水準まで低下した。

しかしながら,金融の量的緩和が一層進展する中で,57年5月央以降長期債レートは再び上昇した。これはこの時期56,57年度の大幅税収不足が表面化するとともに国債の増発懸念が強まったほか,米国金利の高止まり,円安の進行などもあって債券市況が下落したためである。このため長期国債の消化が困難となり,7月にはシ団引き受けの長期国債の発行が休債され,8月には長期債の条件改定が行われ,9月より長期プライムレートも0.5%引き上げられ8.9%とされた。

56年春以降においても金融緩和下で長期金利が上昇したが,当時の最も大きな上昇要因は米国金利の上昇であった。今回の金利上昇局面では米国金利はむしろ低下傾向で推移しており,長期金利の上昇には円安に加え国債引受増加予想が大きく寄与している(第3章第4節参照)。

11月に入ると米国金利の低下期待や急速な円安修正を背景に内外の投資家の債券投資が増加したため,長期債レートは急落した。その後58年に入ってからは,円高一服,金利の低下期待の後退などを反映して長期債レートは反騰したのち一定の範囲内での動きとなった。

以上みたように,57年に入って長期金利は金融緩和下にもかかわらず上昇する局面がみられた。特に長期金利は,長期債レートが上昇したため,9月から長期プライムレートが引き上けられた。

これが企業の資金調達に与えた影響をみると,第1に企業の起債については,57年にはスイスを中心として相対的に金利の低い海外市場での外債の発行が一段と増加した。

第2に,長期プライムレートの引上げは,企業の借入意欲と設備投資にある程度の影響を与えたと考えられるが,長期貸出金利全般の上昇をもたらしたわけではなくその変化はかなり緩やかなものであった。

(マネーサプライの動向)

金融緩和をマネーサプライ(通貨供給量,M2+CD)の面でみると,マネーサプライは56年1~3月期をボトムに増加傾向を辿ったが,56年10~12月期,57年1~3月期の10.6%(前年同期比)増をピークに,漸次伸びは低下し,58年1~3月期には7.6%増と落ち着いた動きとなっている( 第1-12図 )。

こうしたマネーサプライの増勢鈍化は,基本的には(1)56年末以降の輸出不振と国内需要が盛り上がりに欠けたこと,物価の落着きにより通貨に対する取引需要が低迷していることによる。また(2)個人部門を中心に新種高金利金融資産(新型の信託金融債,投資信託等)への資金シフトが生じたことも大きく影響した。

こうしたマネーサプライの変動を通貨別寄与度でみると,56年の回復過程の動きは預金通貨(当座,普通預金等の要求払預金)の急ピッチの回復によるところが大きい。一方,57年以降の低下は,預金通貨の増勢鈍化に加え,準通貨(定期預金等)の伸び率低下も影響した。

預金通貨の動きは,従来から景気変動による振れが大きく,取引需要の動向を素直に反映しており,56年の回復及び57年の鈍化もこうした動きとなっている。一方,準通貨の動きは定期性預金という性格から従来は比較的安定した推移を示してきたが,57年には高利回り金融資産へのシフトからかなり低下を示した。

また金融機関の信用面からみると,56年のマネーサプライの増加の主因となった民間向け信用は,資金需要の落着きを反映して若干低下したものの,なお高水準であるが,対政府信用は低下し,また対外資産向け信用も,国際収支(総合収支)の悪化から寄与度はマイナスとなっている。

以上のようにマネーサプライの伸びは鈍化して来ているが,最近でも名目成長率を上回る状態にあり,実体経済活動水準との比較ではなお高目の水準にあると考えられる。「マーシャルのK」(名目GNPに対するマネーサプライの比率)の動向をみると( 第1-12図① ),55年半ば以降金融緩和を反映して上昇を示している。

「マーシャルのK」は経済全体の流動性水準を実体経済活動水準との関係で判断する1つの有力な手がかりであり,これが大幅な上昇をつづけると過剰流動性が発生していることになり,インフレの危険性があると判断される。

ただし「マーシャルのK」には,個人金融資産がすう勢的増加をしており,しかもその大半が定期性預金(準通貨)であることを反映して,上昇トレンドが観察される。ここでは,一応の目安として46年以降についてのトレンドを用いることにする。

マネーサプライの水準を判断するために「マーシャルのK」のトレンドからの乖離率をみると,57年に入り金融緩和を反映してトレンドの上方に乖離した状態が続いており,現状は今後の景気回復には十分な通貨供給がなされている状況と判断される。

(2) 財政政策の動向

(大幅な前倒しをした公共事業)

57年度の一般会計の公共事業予算(当初)は,前年度に引き続き前年度比横這いに抑えられた。さらに58年度についても横這いとなった。しかしその執行方針については,57年4月9日の閣議決定および4月26日の公共事業等施行対策連絡会議の決定に基づき,上半期の契約目標を77.3%(56年度目標70.5%以上)とする公共事業等の前倒し執行を行うこととし,地方公共団体等においても75%以上の執行促進を図るよう要請を行った(57年9月末の契約率は国等が77.2%都道府県が75.4%と上記目標をほぼ達成)。

この結果,実質GNPの成長率に対する公的固定資本形成の寄与度は57年4~6月期0.4%(寄与率21.9%),7~9月期0.5%(寄与率54.7%)となり,民間需要の回復力が盛り上がりを欠く中で景気の下支え効果を発揮した。

しかし,既往最高の公共事業の前倒し執行も,公共事業予算が前年度横ばいだったこともあり,年度当初から下期の公共工事発注の反動減が懸念されるなど,景気に対する先行き不透明感が払拭されないなかで,景気刺激にとっては限られたものであった。

最近の公共事業の執行状況をみると,前倒し執行が行われた,56,57年度の上半期の累積契約率は,それぞれ70.5%,77.2%であり,上半期に抑制的執行が行われた55年度の59.6%に比べて高率となっている。

第1-13図 は公共工事着工額について55,56,57年度の各月の累積進捗率を比較したものである。これによると,上半期末の累積着工率は,56,57年度の場合58%程度となっているが,50%進捗の時点は前倒し執行を行うことにより,抑制的執行が行われた55年度に比べて2週間程度早まっている。

なお,建設資材の生産者製品在庫指数をみると,56年中は公共事業や輸出の伸びに支えられて低下したものの,56年度下期の公共事業の落ち込みや輸出の不振により,57年度に入り再び積み上っている。このため,56年度に入り増勢に転じた生産,出荷も56年度下期以降停滞しており,建設資材価格も弱含みで推移した( 第3-16図 )。こうした状況下では57年度の前倒し執行による工事量の増加の効果は,在庫調整の進展に寄与したものの,生産が大きく増加するまでには至らなかったものと考えられる。

こうした状況下,政府は57年10月8日には総事業規模2兆700億円の公共投資等を盛り込んだ「総合経済対策」を決定し,57年12月の補正予算により実施に移された。この効果は57年度末にも一部出たため,57年度下期の公共事業の発注は前年度比微増となり,公的固定資本形成は57年度全体では前年度比1.7%増と,景気支持的に働いた。

また,本年4月5日の経済対策閣僚会議で「今後の経済対策について」が決定され,58年度上半期の公共事業等の目標契約率を70%以上として積極的施行促進を図ることが決定され,これを受けて4月25日の公共事業等施行対策連絡会議で58年度上期の公共事業については目標契約率72.5%と契約促進を図ることが決定された。

(厳しさを増す財政赤字圧縮の状況)

57年度予算は56年度に引き続き財政改革の達成のため厳しい編成方針がとられた。すなわち57年度当初予算では,公共事業関係費が前年度比横這いに抑制されるなど歳出の伸びは対前年比(決算ベース)1.7%と,56年度の8.1%を下回った。また歳入面では,租税特別措置の整理合理化等税制改正により税収増を図ることとされたため,公債依存度は56年度の27.5%から21.0%へと引き上げられることになった。

しかし,57年度に入って税収収入が当初予算額を大幅に下回る見込みとなったこと等に伴い,歳出の削減と国債の追加発行を内容とする補正予算が編成された11月30日,国会に提出された。すなわち歳出面では,10月の「総合経済対策」に基く災害復旧対策費の追加,一部義務的経費等の追加などにより1兆2,208億円の歳出の追加がなされ,一方で国債償還財源としてこれまで国債整理基金への繰り入れていたものの停止,国税三税の減収に伴う地方交付税の減額等により3兆3,395億円の減額を行った。この結果年度歳出額は当初予算よりも2兆1,187億円減額されて47兆5,621億円,対前年度(決算ベース)伸び率は1.4%となり,前年度の8.1%と比べてかなり大幅な抑制となった。

一方,歳入面をみると租税及び印紙収入は当初予算よりも5兆1,460億円補正減額された。こうした歳入・歳出の不足を補うため,建設公債及び特例公債は合計3兆9,050億円の追加発行がなされることとなった。この結果,57年度の国債発行予定額は,14兆3,450億円となり,国債依存度は,56年度の27.5%を上回る30.2%と,55年度以来再び30%台に乗ることとなった。

このように財政赤字の圧縮が難行するなかで,当面の目途とされていた59年度における特例公債依存体質脱却は実現困難となった。

こうしたなかで,58年度予算では,一般会計の中の一般歳出(一般会計歳出から国債費と地方交付税交付金を除いた部分)については伸び率をゼロにするなど厳しい編成方針がとられ,その規模は50兆3,796億円(57年度当初予算比1.4%増,補正予算比5.9%増)となった。しかし,このうち2兆2,525億円は56年度において決算不足を補うために国債整理基金から行った借り入れの返済に充てなければならない分であり,これを控除した通常の財政運営に係る歳出額は,48兆1,271億円であり,57年度当初予算比3.1%減,補正予算比でも12%の微増にとどまるなど,かなり圧縮されたものになった。また国債発行は57年度補正予算より1兆円減額して,国債依存度も26.5%へと低下している。