昭和57年

年次経済報告

経済効率性を活かす道

昭和57年8月20日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第I部 鈍い景気の動きとその背景

第4章 対外均衡の諸問題

第1節 米国の高金利と円レートの変動

56年春先以降,経常収支が黒字基調に転じ,消費者物価も鎮静化に向うなど,日本経済のファンダメンタルズは着実な改善を示した。しかし,こうした中で55年春先から円高傾向を辿った円相場は,56年初にピークをつけたあとほぼ一貫して下落を続け,特に米国金利が再び急騰した5月以降は円安で加速化し,8月初には1ドル=247円10銭(直物中心相場)と約1年3か月振りの安値を記録した。その後円相場は一時底入れしたが,56年11月末をピークに再度下落し,本年7月上旬にボトム(258円90銭)をつけたあとは,一進一退の動きを続けている。

こうしたファンダメンタルズ改善下における円安のメカニズムをとく一つの鍵は米国の高金利を引き金とした「短期性の資本」の流出に求められる。以下では,円レートと米国の高金利,内外資金移動の関係についてやや仔細にみてみよう。

1. 重要性増す「短期性の資本」の動き

内外の資金流出入については,実に多様なルートが存在する。その中でも内外金利差や円相場観などの変化に敏感に反応して流出入を示し,為替相場や国内金融市場に影響を及ぼすという意味で特に重要なのはいわゆる「短期性の資本」の動きであろう。なお,ここでの「短期性の資本」とは,国際収支統計上の短期資本収支よりは広い意味の概念である。すなわち,具体的には,①長期資本収支から借款,延払信用,円建外債等純粋に長期的な要因によって,その動きが支配されていると考えられるものを除いた部分,②短期資本収支から輸出入にかかる貿易信用を除いた部分,③金融勘定の中の短期インパクトローン等などを指している。この場合,「短期性の資本」は変動要因の相違という観点から大きく次の2つに分けて考える必要がある。

第1は,内外金利差と円相場の予想上昇率との比較考量による円資産の期待収益率の変化につれて変動し,それ故,少なくとも資金移動が生じた時点では先物為替の予約を行わないことが一般的とみられる資金移動(以下では「アンカバーの資本」と呼ぶ)である。こうした「アンカバーの資本」は,基本的には為替相場の先行きに対する期待に大きく左右されるという意味で,一種の投機的資金ないしはより中長期的な資産選択上の多様化を狙った資金移動といった性格を有する。また,「アンカバーの資本」の流出(入)は,前述のように先物予約を伴わないため,直物ドルの不足(余剰)要因,つまり円安(円高)要因となる。かかる資金移動としては,内外の株式投資,一般債券投資,企業間貸付け,中長期インパクトローンなどが挙げられる。

第2は,内外金利差と直先スプレッドの乖離が生じた場合の投資利鞘を狙って敏感に移動し,それ故,資金移動に伴い先物為替を予約することが一般的とみられるいわゆる「金利裁定的資本」である。すなわち,変動相場制下では,内外金利差は概ね直先スプレッドに見合い,金利平価が成立する筋合にある。これは,’両者間に乖離が生じた場合,金利裁定的資金移動を誘発するからである。例えば,何らかの理由により,内外金利差よりも直先スプレッドが開き気味となると,円資産の利回りが有利化し,「金利裁定的資本」が流入することになる。その段階で直物市場で円買い・ドル売り,先物市場で円売り・ドル買いといういわゆるスワップ取引が行われる結果,投資利鞘は速やかに消失する。また,「金利裁定的資本」の流出入は,前述のようなスワップ取引を伴うため,為替相場にはあまり影響を及ぼさない。このような「金利裁定的資本」の例としては,非居住者円預金,居住者外貨預金,現先,短期インパクトローン,為銀の円転・円投(円転は外貨から円への転換,円投は円から外貨への転換)等が挙げられる。為替管理の原則自由化後,内外の金利裁定取引が一段と活発化してきていることは,第3章の第2節でみたとおりである。

2. 円安の要因となった「アンカバーの資本」の流出

(「アンカバーの資本」の流出と実質金利差の変動)

まず,「アンカバーの資本」の動きについてみることとする。ただし,このような資金移動を明確に表わすデータは存在しないため,「アンカバーの資本」としては,証券投資(除く現先),中長期インパクトローン,企業間信用の合計をもって近似することとする。この試算によれば,55年春先から56年春先にかけては大幅流入超となったことが特徴的であり,これが経常収支の赤字下で為替円高化をもたらした。しかし,56年5月以降は,相当の規模で流出に転じ,円相場が反転上昇した56年8月,11月,57年5月を除き,流出傾向が続いている。特に,56年7月,9月及び57年2月には月間10億ドルを上回る流出がみられた。こうした「アンカバーの資本」の流出は直物市場でのドル買い・円売りを通じて56年5月以降の為替円安の主因となった( 第I-4-1図 )。もっとも,直物レートは外国為替の売りまたは買いの一方取引のみを行ういわゆるアウトライト・ベースの為替需給全体によって決まるものであり,「アンカバーの資本」の流出が常に為替円安をもたらすとは限らない。この点については,輸出入予約の状況等のデータ面で制約があるが,大づかみの傾向をみるため,利用可能なデータを用いて為替需給を試算してみよう( 第I-4-2図 )。これによると,56年以降については,経常収支の改善にもかかわらず,全体としての為替需給は外貨がやや不足気味であったことがわかる。

こうした「アンカバーの資本」の流出には,56年5月以降米国金利が再び急騰したのに伴い,内外金利差が一段と拡大したことが大きく響いているとみられる。もっとも,変動相場制下では自国為替レートの上昇に伴うキャピタル・ロスが内外の名目金利差を打ち消してしまうことが少なくないだけに,内外金利差の拡大が「アンカバーの資本」の流出を招来したと単純には結論できない。実際,円レートと内外金利差の関係を振り返ってみても,例えば52年未から53年央にかけて,また55年央から55年末にかけては,米国金利の上昇に伴い内外金利差が拡大したにもかかわらず,円レートは急上昇したという今回とは逆の関係もみられた。それでは,今回,米国金利高はどのようなメカニズムで為替円安につながったのであろうか。

この点を明らかにするため,まず米国金利の推移をみると,79年頃までは,フェデラルファンドレートに代表される短期金利は消費者物価上昇率に見合って変動してきたことが特徴的である。それは,この間米国の実質金利はほぼ一定に保たれてきたことを意味している。しかし,79年10月の新金融政策移行を契機として米国短期金利は大幅な乱高下を示すようになったが,一方で消費者物価は80年3月以降依然高水準とはいえ漸次鎮静傾向を辿った。このため,80年秋口以降長短金利が再び急上昇を示す中で米国の実質金利は高まりをみせた( 第I-4-3図 )。この結果日米の実質金利差は大幅に拡大し,日本に不利な状況となった(前掲 第I-4-1図 )。

こうした実質金利差の変動は次のような形で為替レートに大きな影響を及ぼすと考えられる。すなわち,米国の名目金利の上昇がインフレ率の高まりを反映している場合には,基本的にはインフレ率の上昇自体が期待為替レートの下落要因として働くため,名目金利上昇分を相殺し,米国ヘアンカバーベースの資金が流れることはない。しかし,今回のように,米国でインフレ率がやや落ち着きに向っている中で金利が急騰している場合には,もともとのインフレ率の落ち着きに加え,名目金利の急騰自体が期待インフレ率をさらに抑制する効果も働く。このためドル相場が名目金利差を打ち消すほど下ることはないとの期待が醸成されドル資産の期待収益率の上昇を通じて流動性の高いドル資産への需要が高まったと考えられる。

もちろん,為替相場に対する人々の予想は,こうした実質金利差だけでなく,国際政治情勢や経常収支の動向等の諸要因が複雑に絡み合って形成されるものである。もっとも,短期的にみれば,特定の要因がその時々の為替相場観に対して支配的影響力を持つことはありうる。例えば,52年から53年央にかけては,日本の経常収支の黒字累積が円の先高観に拍車をかけたことはしばしば指摘されてきたところである。これに対して,55年春先から最近にかけては,前述のように実質金利差の変動が円相場観を大きく左右したといえよう。それでは,何故為替相場観をリードする主役は入れ替わるのであろうか。これについては,為替相場は必らずしも日本とアメリカといった2国間の相対関係だけでは決まらないことに留意する必要がある。例えば,日米両国の経常収支動向をみると53年当時は,日本が大幅黒字であった一方,アメリカは大幅赤字を示していたが,55年央以降は両国とも足並みを揃えて改善してきている。このことは55年春先以降円相場がいわば「実質金利相場」ともいえる状況を示した一つの背景と考えられる。

先に触れたように,56年5月以降本邦から「アンカバーの資本」が流出したのは,このような為替相場観の変化に起因しているといってよい。さらに,こうした状況から海外投機筋がドル先高とみて,ドルの先買いを行ったことが,為銀のカバー取引き(対市場直物ドル買いおよび直売り・先買いのスワップ)を通じてドル高に拍車をかけたという側面もあるとみられる。他方,今回とは逆の現象として,55年春先以降本邦へ「アンカバーの資本」の流入がみられたのは,日米の実質金利差が日本に有利となったことによる面が大きい。

第I-4-4図 実質金利差と主要国の為替レートの動き

もっとも,こうした「アンカバーの資本」の流入にもかかわらず,円相場は56年1月から4月にかけて下落した。これには,ポーランド情勢の不安定化懸念等を背景に「有事に強いドル」との連想が広がったことなどから,マルク等主要欧州通貨が全面安となったため,円もつれ安となった側面が大きいと考えられる。

(世界的ドル高と資金移動の変化)

米国金利高は単に円安を招いただけではない。世界的な資金移動の変化をもたらす形で,主要欧州通貨安にもつながった。この意昧で,ここ1~2年における国際通貨市場の動きは「世界的ドル高」と特徴づけられるであろう。

まず,主要西欧諸国について,当該国の米国に対する実質内外金利差をみると,80年後半以降は米国の実質金利高から総じてマイナスを示し,当該国にとって不利な状況となっている( 第I-4-4図 )。このため,これらの国では内外の証券投資収支は,流出傾向を示してきた。

こうした事情を反映して,米国における内外の証券投資収支は,80年7~9月期以降大幅流入超過に転じ,ドル高の大きな要因となったと考えられる( 第I-4-5図 )。これを地域別にみると,次の特色が指摘できよう。

第1は,いわゆるオイル・マネーの流れの変化である。オイル・マネーの運用状況をみると,ここ数年はボートフォリオ上の分散投資の観点から米英以外の先進国への比率が高まってきたことが特徴であった。しかし,最近は再びアメリカへの投資が高まりをみせている。

第2は,81年4~6月期以降は日本からの流入が目立っていることである。これは,わが国の一部機関投資家がドル建債の取得を積極化したことによるものである。

このように,わが国から「アンカバーの資本」が流出したのは,本邦資本の流出だけでなく,対日証券投資が盛り上りを欠いたという側面もある。

(円レート変動の定量的分析)

以上,ファンダメンタルズ改善下の円安のメカニズムがある程度明らかになったが,ここで円レートの変動について定量的分析を試みてみよう( 第I-4-6表 )。これによると,日米の累積経常収支差,円レートの長期的趨勢を示す長期購買力平価と並んで,実質内外金利差や「アンカバーの資本」の動きがかなりの説明力を有していることがわかる。

西欧の地域別ポートフォリオ収支

3. コンスタントな流入を示した「金利裁定的資本」

一方,「金利裁定的資本」については,①現先が3月,9月といった期末決算月前に金融機関等の売却玉が海外に売りつながれる形で大量に流入し,期越え後は期日落ちから流出するという攪乱的な動きを示していること,②内外の金利裁定の重要なチャンネルである為銀の円転(円投)については計数が公表されていないこと,などから実勢把握はなかなか難しい。こうした制約をふまえた上で,一つの参考として利用可能なデータをもとに「金利裁定的資本」の動きを試算てみると,55年に大幅流入超過となったあと,56年以降も現先が期日落ちとなった4月,10月を除くとコンスタントに流入してきたと推察される( 第I-4-7図 )。

これは,直先スプレッド調整後の内外金利差がプラス,つまり外貨の円転が有利となるケースが多かったためと考えられる。内外の金利裁定取引きにかかる円転採算は,金利裁定取引きの種類,期間等で区々であり,またデータ上の制約があることに留意しなければならないが,例えば 第I-4-7図 で示すように1か月物手形レートでみた円転採算は一昨年来円転有利となる局面が多かったとみられる。このように内外金利差(カバー済み)がプラスを続けていることは,事前的に直先スプレッドが内外金利差より開き気味となる圧力がかかっていると推察されることを示す。

第I-4-6表 為替レート関数の推計

これは,先物市場でドルの供給超過(円の需要超過)が続いているためであり,輸出入に伴う先物予約が輸出予約超(先物ドルの供給超過)となる場合が多かったことが背景と考えられる。

このような「金利裁定的資本」の動きは,わが国の金融市場に対してどのような影響を及ぼしたのであろうか。一般に,「金利裁定的資本」の流入(出)はその限りにおいては国内短期金融市場において,金利低下(上昇)要因となる。もとより,短期金融市場金利の水準は,その時々の資金需給全体によって決まるものであるが,「金利裁定的資本」が大幅流入(出)したときには,短期金融市場金利に対して限界的に低下圧力(上昇圧力)を及ぼすことも少なくないとみられる。56年5月以降,米国金利の急騰にもかかわらず,日本の短期金融市場金利が強含み程度にとどまったのは,もともと資金需給が財政資金の払い超を主因に余剰傾向を示していたことによる面が大きいが,こうした「金利裁定的資本」の流入も限界的に金利上昇圧力を減殺する要因として働いたものと推察される。

第I-4-8図 米国金利に鞘寄せされた西欧各国の短期金利

これに対して,昨年中における欧米主要国の短期金利の動向をみると,西ドイツ,フランス,イタリアでは軒並み米国金利高につれ高となっており,イギリスでも夏場以降上昇に転ずるなど,各国とも一時的に高金利政策がとられたことが特徴的である( 第I-4-8図 )。

この点を西ドイツを例にとってやや仔細にみると,経常収支の赤字等もあり55年12月から56年2月にかけて短資の大幅流出からマルク相場が下落する一方,金利上昇圧力が高まった。こうしたなかで,結局特別ロンバートの発動等機動的な対策が打ち出され,ようやく小康を得たが,このことは西ドイツの金利が米国金利に鞘寄せされたことに他ならない( 第I-4-9図 )。

こうした内外の経験が物語っているように内外金利差の拡大に見合って直先スプレッドが正常に形成され,「金利裁定的資本」の大幅流出を防止するためには,フアンダメンタルズの改善を通じて円の信認を不断に高めていくことが肝要と考えられる。