昭和57年

年次経済報告

経済効率性を活かす道

昭和57年8月20日

経済企画庁


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第I部 鈍い景気の動きとその背景

第1章 景気回復パターンの変化

第3節 政策的対応の変化

前節でみたように,今回の景気回復は従来と異なり盛り上がりが鈍いものとなっているが,このような景気循環の形をもたらしている要因としては,内外における政策的対応の変化に注目する必要がある。

1. 海外主要国における政策変化とその影響

第2次石油危機下で主要国の経済政策は,1970年代前半と比べれば,①インフレ抑制を第一と考え,②中長期的な観点を重視するものに大きく変化した。それは,1960年代からの完全雇用政策の追求がその仕方いかんによってはかえって経済の効率性を失わせ,かつ,1970年代前半の政策が過剰なマネーサプライ(通貨供給量)の増発とインフレ期待の高進を招いたという反省に基づいている。その結果,短期的な視点から景気刺激策を繰り返すことがかえって中長期的な安定的発展を攪乱・阻害する恐れがあるという見方もみられるようになった。さらに,第1次石油危機時の各国の経験に照らして石油価格上昇による物価上昇を容認しない(non-accomodatingな)政策行動が重視されたという点も見逃がせない。

金融政策の面ではマネーサプライの増加率を政策目標として一層重視するようになっている。79~81年については,アメリカ,西ドイツ,イギリス等を中心にマネーサプライの増加率の目標値を毎年引き下げるという抑制的な運営が図られた。このため,現実の通貨供給残高の増加率は,79~81年の局面でかなり大幅に低下した( 第I-1-8図 )。

財政政策の面でも,財政赤字が大幅化していて,さらに財政刺激措置をとる余地が狭いことに加え,公共部門の肥大化が貯蓄率の低下や労働意欲の減退等を通じて経済の供給面にマイナス効果を及ぼしつつあるという反省から多くの国で中長期的な計画に基づいて財政支出を抑え,財政赤字を削減するという方向がとられるようになった。

現実の財政赤字をみると80~81年の局面ではかなり大幅であるため,その意味では景気支持的に作用したといえるが,財政赤字幅をさらに拡大させるという形の財政面の刺激措置は極めて限られた措置しかとられなった。

もっともこうした政策対応は,インフレ期待が簡単には消えず,賃金・物価の決定における硬直性が残っている多くの国においては,景気の後退や失業の大幅な増加という高いコストを伴うこととなった。

通貨供給量の増加率の低下は名目需要の伸びの低下につながった。これはインフレ抑制のためには必要なことであるが,少なくとも短期的には生産や雇用にマイナスの影響を及ぼした。81年以降特に,強い通貨供給量の抑制措置をとったアメリカでは,80年後半からの景気回復は非常に短命に終り,81年後半から第2次石油危機以降二度目の景気後退に突入した。このようにアメリカが二度目の景気後退に突入したことは今回の世界景気全体の回復を鈍いものにしている。

第I-1-9図 にみられるように,第1次石油危機時のOECD全体の鉱工業生産の落ち込みは大幅であったが,その後は一貫して回復する形になっている。ところが,第2次石油危機下では80年の落ち込みは小さかったものの,81年後半から再び低下する形になっている。これはアメリカが二度目の景気後退に突入したことが,世界全体の景気回復の足を引っ張り,日本やECにもマイナスの影響を及ぼしていることによるところが大きい。日本やフランスでは81年後半には生産の回復がみらたものの,輸出の停滞から82年に入って生産が再び減少している。これは,アメリカ景気の後退が直接,両国からの輸入を減らしているだけでなく,第三国市場を通じてもマイナス効果を及ぼしていることによる面が大きい。たとえば,一次産品市況や石油価格の停滞が発展途上国の輸入需要を弱めている。

アメリカにおける政策変更は,貿易面だけでなく,資本取引の面を通じても世界景気の回復テンポに影響を及ぼしている。すなわち,アメリカではマネーサプライの抑制と財政赤字の拡大懸念から実質金利が高騰しており( 第I-1-10図 ),これが他国からアメリカへの資本流入をもたらし,ドル高と他国通貨の下落をもたらした。このため,インフレ抑制を目指す他の主要国にとって,ドル高に伴う自国通貨の下落が物価上昇圧力をもたらし,金利引き下げの阻害要因として働いた。第I部第4章で分析するようにわが国でも,56~57年の局面では実質金利差に伴う資本流出が見られ,それが円安要因として働いた。このような円安は56年7~9月期までは輸出増加を通じて景気回復に寄与したが,他面,交易条件の悪化を招き,その面では景気回復にマイナスの作用をもたらした。

2. わが国における政策対応の変化

わが国においても,かつては,高成長,高雇用と物価安定の間にはトレード・オフ(二律背反)関係があり両立しがたいという見解が強かったが,第1次石油危機後は,「インフレの防止こそが持続的な経済成長の条件」であるという見解が強まってきた。

金融政策の面では通貨供給量を適正に維持することが物価の安定に重要だという認識が強まった。現実のマネーサプライ残高の増加率をみると,第1次石油危機後は,短期的な変動はあるものの,低目に維持されている。たとえば,マネーサプライのトレンド増加率(過去5年間の年平均増加率)は,一貫して低下した( 第I-1-11図 )。

このような通貨供給量の増加率の低下と経済の動きとはどのような関係にあったであろうか。

(通貨供給の増加率と名目成長率の低下)

過去の動きを見るとマネーサプライと名目国民総支出(名目GNE)や名目国内民間需要との間にかなり安定的な関係が存在する。たとえば,両者の間の時差相関係数をみると,マネーサプライの増加率が変動すると,平均して3-5四半期後に名目国内民需や名目GNEの変動が生じているという関係が観察される( 第I-1-12表 )。

このような統計的関係がみられる一つの解釈は,第I部第3章で詳しく分析するように,マネーサプライが変化すると,実質金利に影響を与え,それが手元流動性水準の変化とあいまって,金融環境に敏感な在庫投資,中小企業設備投資等を中心とする国内民需の動向がかなり変化するという関係があるためとみられる。

第2次石油危機下の54~55年の局面では,インフレ抑制のためかなり早目に公定歩合の引き上げが行われ,マネーサプライ(M2+CD,月末残高(季調値)の四半期平均)の対前年比増加率は,54年4~6月期の12.0%から56年1~3月期の7.2%まで約5%低下した。

マネーサプライを政策的にコントロールすると仮定した場合,名目GNE増加率にどの程度の影響があるかを,名目GNE決定のための簡単なマクロ・モデルを使って試算してみると,名目GNE増加率とかなりの相関がありうると考えられる( 第I-1-13図 )。

他方,財政政策の面でも,近年,政策対応はかなり変化している。わが国も海外主要国と同じく大幅な財政赤字を抱えており,とくに54年以降は財政再建が非常に大きな課題となったからである。このため,54~56年の局面においては,50年代の初頭と比べて政府支出の伸びはかなり低く抑えられた。政府支出(名目)は50~53年の局面では年平均14%の伸びを示したが,54~56年の局面では7%の伸びしか示していない。とくに公共事業費は52~53年と大幅に伸びた後はかなり抑制されており,公的固定資本形成は,実質値では54~56年の局面で年平均1.4%の伸びしか示していない。 第I-1-12表 によって,政府支出と名目GNEの時差相関係数をみると,当期と次の四半期に限ってみれば政府支出と名目GNEの間にはかなり高い相関関係がある。したがって54~55年の局面で政府支出の伸びが低下したことも,名目GNE成長率の低下要因の一つとして働いたものとみられる。 第I-1-13図 のシミュレーション結果はマネーサプライほど大きなものではないが,短期的にはかなり影響があったことを示している。

なお,後に述べるように近年,非消費支出の伸びが高まっており,その結果,個人可処分所得の伸びが相対的に低くなっている。

(インフレ期待の鎮静化)

54~55年のマネーサプライの増加率の低下は,各般の物価対策の推進や後に述べる弾力的な賃金決定とあいまって,インフレ期待の高まりを抑え,その結果,第2次石油危機下の輸入物価上昇による物価上昇の高まりが国内インフレに転化するのを防ぐ上で大きな役割を果した。

第I-1-14図 低下する予想インフレ率

このようにして現実のインフレ率が低下すれば,予想インフレ率を抑え,それがさらに賃金上昇率等の低下を通じて現実のインフレ率の低下をもたらすという好循環につながる( 第I-1-14図 )。こうした現実のインフレ率の低下による予想インフレ率の鎮静化というメカニズムは,第1次石油危機後の50~53年にも働いた。このような局面では,需給の緩和により製品価格が低迷するので企業側からみると,自己の製品価格が期待しているほど上昇しないという事態が生じる。50~52年頃企業がコスト上昇分を製品価格になかなか転嫁できずに,収益が大きく悪化し,いわゆる「新価格体系への移行」が大きな問題となったが,それはマクロ的な観点からみれば,インフレ期待の鎮静化を意味するものであった。もっとも,コスト上昇分の転嫁が難かしかったことは,一部業種の業況を悪化させる要因ともなった。55~57年の予想インフレ率の低下は,50~53年ほど大幅なものではないが,インフレ率の低下に寄与した。

以上のように54~55年の局面で,マネーサプライの増加率の低下は,物価上昇率の低下に寄与したものとみとめられるが,他面,それが景気動向に対して影響を全く及ぼさなかったというわけではない。

(通貨供給管理と景気)

通貨供給量の増加率の低下は,最終的には物価上昇率の低下につながるとしても,短期的には生産水準にある程度のマイナスの影響を及ぼす。 第I-1-12表 でマネーサプライと実質GNPの時差相関係数をみると,0~3四半期についてはある程度の影響があることがわかる。

したがって,54~55年のマネーサプライの増加率の低下は比較的軽微とはいえ55~56年の在庫調整を長びかせる要因の一つとして働いたと考えられる。また,以下で述べるように56年以降のマネーサプライの増加率の高まりが過去に比べれば比較的穏やかなことは,米国金利を主因とする円安傾向持続といった状況下における適切な政策選択を反映したものでもあるが,今回の国内民間需要の盛り上りを乏しくさせる要因の一つとなっているとみることができよう。

過去の景気回復局面におけるマネーサプライと名目GNEの関係をみると,マネーサプライの増加率は景気の谷に先行して高まっている( 第I-1-11図 )。つまり,マネーサプライの短期増加率(対2四半期前比年率増加率)が底を打って高まると,1~5四半期後に景気が上方転換するという関係がある。今回の場合もマネーサプライの短期増加率は55年7~9月期に底を打って高まり始めたが,4四半期遅れて56年7~9月期に景気の転換点がもたらされており,このような関係は今回も一応維持されているようにみえる。上述のマクロ・モデルで試算すると,マネーサプライ増加率が56年1~3月期の7.2%から10~12月期の10.4%まで約3%高まったことは,名目GNE増加率の上昇をもたらしたことが示されている( 第I-1-13図 )。

ところで,マネーサプライの伸びが供給能力の伸び(ないし実質所得の伸びのすう勢値)を上回れば,物価上昇につながる。そこで,経済全体の実質所得の伸びのすう勢値の代理変数として実質成長率のトレンドを計算し,それを差し引いたマネーサプイの超過供給率を計算すると 第I-1-15図 のようになる。今回のマネーサプライの超過供給率は56年10~12月期までは過去の同一局面とくに,37~38年や46~47年のように異常な増加を示した時期に比べて低い。すなわち56年に入って超過供給率は高まっているが,56年10~12月期でも約6%である。

こうしたマネーサプライの適切な管理もあって物価は落着いて推移したが,その間アメリカの高金利が持続したことの影響もあって,景気調整局面における実質金利も過去よりも高く,景気回復局面に入ってからも比較的高目に推移している。

このようにマネーサプライの超過供給率が過去よりも低く,また実質金利が比較的高目であったことは,今回の景気回復過程における国内民需の伸びを低いものにし,景気回復テンポを鈍くさせている要因の一つとなっている。

第I-1-16図 マネーサプライと実質国内民需の変動

現実のマネーサプライと名目国内民需の関係についても,マネーサプライ増加率が変化すると3~4四半期遅れて後者の増加率が変動しているというかなり安定的関係が観察される( 第I-1-16図 )。しかも,短期的には名目国内民需の変動のかなりの部分が実質国内民需の変動につながっている。54~56年の局面においても54~55年のマネーサプライの増加率の低下がラグをもって国内民需の伸びの低下につながるという姿が観察される。さらに,56年以降のマネーサプライの増加率の高まりは,56年末からの国内民需の伸びの高まりにつながっている。

なお,今回の景気循環局面においてマネーサプライの増加率は,約10%にまで高まったが,これは長期的にインフレを加速化させないという観点からは上限の増加率と考えられる。何故なら,名目成長率を大きく上回るマネーサプライの増加率を続けるとインフレの高進につながるおそれが強いからである。たとえば,56年度についてみるとインフレ率(GNPデフレーター上昇率)は2.4%,実質成長率は2.7%であり,名目成長率は5.2%であった。したがって,今後現在程度のインフレ率を維持していくという観点からは10%のマネーサプライ増加率はインフレ率を高めない上限に近い値と考えられる。したがって,今後とも物価,景気等の動向をみながら,マネーサプライの動きを慎重に注視していく必要がある。

(名目成長率低下の財政再建への影響)

以上でみたように,通貨供給量が安定的に推移したこともあって近年名目GNPの成長率が傾向的に低下している。このことは第I部第3章で詳しく検討するように,財政面では税収の伸びを低め,財政赤字の予想外の拡大をもたらす一因となっている。

今後についてみると,物価の安定を基礎として景気が回復することに伴い実質成長率は高まっていくものと考えられる。このような状況下では,経済の成長に見合って税収の伸びが期待されるが,現在の財政収支のアンバランスはそのことだけで解消される性格のものではない。因みに, 第I-1-17図 は,仮に経済が完全雇用時にあったとした場合の一般会計の財政赤字を試算したものである。この試算はいくつかの大きな前提に基づいており,あくまで傾向を示すものにすぎないが完全雇用が実現したとしてもかなり大幅な財政赤字が残っていたことを示している。したがって,今後とも安定成長を維持するとともにそれに見合った歳出の構造,税負担のあり方が迫求される必要があり,そのための支出の効率化,負担の適正化の努力が続けられなければならない。