昭和56年

年次経済報告

日本経済の創造的活力を求めて

昭和56年8月14日

経済企画庁


[目次] [年次リスト]

第II部 日本経済の活力,その特徴と課題

序  章 日本経済の活力と課題

今から110年前,1871年(明治4年)岩倉具視右大臣を特命全権大使とする欧米視察団が1年10か月間にわたり外国のことを勉強した。「岩倉使節団」といわれるものがそれである。その報告書によると,「ロンドンの人々は,いつもあわただしく,足が地に着かないぐらい走り回っている。通訳は,時は金なりという。一般の人は仕事を勉強し,職業にはげむのが習慣になっている。」(「米欧回覧実記」),と述べられている。

「時は金なり」というのは,今日でいえば「時間生産性」にあたる。そして,時間生産性の伸びが高いというのは,「経済成長率」が高いことと全く同じ意味である。生産性を高め,経済成長をしなければ経済の発展も国民生活の向上も十分達成できない。

明治維新という近代化革命を始めて以来約110年,わが国は,欧米に「学び」,「キャッチ・アップ」を目標として歩んできた。そして途中第2次世界大戦と戦後の荒廃から再び立ち上がり,経済規模や技術など多くの面で先進国水準に達した。20年前,1960年(昭和35年)にアメリカの6分の1,西ドイツの3分の1だった国民1人当たり国民所得は,78年(53年)には彼我の差はきわめて狭まった( 第II-P-1①図 )。とくに,わが国では税金や社会保険料の負担が先進主要国に比べて軽いから近年では個人可処分所得での差はもっと小さくなった。

さらに,国民の貯蓄意欲の高さからして,国民1人当たり個人貯蓄額(年間貯蓄額)でみると,わが国は主要先進国中最も高く,これが経済的活力の源泉となっている( 同②図 )。

しかし,わが国が先進国段階に到達した時,日本経済は新たな課題に直面することになった。第1に,経済発展の原動力である民間経済の活力をいかにして維持・向上させていくか,第2に,民間経済では担いえない公共部門の役割をいかに効率よくかつ公正に果たしていくか,第3に,日本経済の活力を世界経済にいかに生かし,いかに受け入れられるものとするか,そして第4として,経済の活力の成果であると同時に源泉でもある国民生活の安定,向上に不可欠な,住宅や余暇をいかに充実していくか,等の課題がそれである。

臨時行政調査会は,その第1次答申において,今後わが国が目ざすべき方向として,国内的には「活力ある福祉社会の実現」,対外的には「国際社会に対する貢献の増大」の二つを基本理念として提示している。そしてそのため,①自由経済社会の持つ民間の創造的活力を生かし,適正な経済成長を確保すること,②家族・地域・企業等が大きな役割を果たしてきたわが国社会の特性を生かし,効率の良い政府が適正な負担の下に福祉の充人を図ることが望ましいこと,さらに③わが国が世界貿易の発展への積極的寄与,発展途上国への経済協力の推進等自らの能力を生かした主体的な行動によって国際社会への平和的貢献を一層増大させていくこと,等が重要と指摘している。

こうした中で重要なのは,以上のような課題達成に際し,先進国化した日本経済は,今までのような学ぶという「受動的活力」や「国際経済社会の安定」を与件とした「受身の適応」だけではなく,より自主的な「能動的活力」や「国際経済社会の不安定化」を防止するための「主体的な対応」をも必要とするようになったことである。

今までの活力を「状況適応型活力」というなら,今日必要なものは「状況改善型活力」といえよう。それが,国内的にも対外的にも,わが国自身として必要となっているのである。

ところで,しばしばわが国には「模倣性」はあっても「創造性」はないと指摘されてきた。しかし,そうであろうか。状況適応型活力をもちそれが高い成果を生んできたという事実は,その背景にそれを可能としたわが国の高い創造性の存在を示すものではなかったろうか。「模倣による成功」は,誰でも,どんな国でも直ちになしうるものではなく,その人の,その国の創造性の高さを反映するものではなかろうか。

とはいえ,今日わが国が必要としているものは,この創造性を生かし,できれば一層高めて,内外において「状況改善型活力」を発揮していくことである。

そのための基本的考え方はいかにあるべきか。本第II部の問題意識の核心はこの点にある。そして,日本経済の活力が一見「日本的な特殊性」によるようにみえるものであっても,実は「普遍的・合理的」な理由に基づくものであることを明らかにしたいと考える。と同時に,実証できる普遍性のみを強調して,「文化的差異」を軽視する危険も慎みたい。今後わが国にとって最も必要なものは,世界各国との「相互理解」であるが,相互理解とは「共通するもの,違うもの,両方を理解すること」であるはずだからである。

詳しくは,以下の各章において検討・分析されるが,本序章ではそれを総括的に整理しておこう。

第1は,民間経済の活力の維持・向上の基礎的条件に関するものである。民間経済においては,経済成長を確保するため労働生産性を上げること,インフレを避けつつ国民生活の安定と向上を図るため賃金決定が適切であること,石油不足時代を迎えて省エネルギー化及び代替エネルギー開発を推進していくことが重要である。これらの面でわが国は良いパフォーマンスを示してきた。また,これらの背景において,わが国の企業経営行動が長期的視野に基づくものであったこと,雇用慣行が雇用者にとって技術革新を受け入れやすくするとともに,賃金の柔軟な決定をもたらしたこと等も大きかった。これらは激変する状況に対し合理的な対応をもたらすことを可能とした。しかし,今後においては,特に次の4点の充実が必要と考える。その1つは,「市場の競争性の維持」である。対外的に自由競争体制の必要性を求めなければならないわが国において,国内で非競争的性格が強まることがあってはつじつまがあわない。高度成長期には,いわば「シェア競争」が,そして石油危機以降は「効率化競争」が激しく行われて生産性上昇を可能とすることができた。それも内外両市場での競争が激しかったからである。わが国では,多くの企業が成熟分野から成長分野に進出しつつあり,今後もまたその意欲が強い。成熟分野に安住することを避け,競争性を維持するため,それを妨げる制度的要因を取り除くことが,今後の活力につながる。その2は,実的な技術開発を進めていかなければならない時代への対応である。海外で開発・成功した技術をリスクなしに導入し,応用し,改善し,普及できた時代は終った。自主的な技術開発を進めないと,生産性も高めにくくなり,先進国の地位も維持できない。その3は,「エネルギー制約への一層の対応」である。省エネルギーの推進はもとよりであるが,代替エネルギーの開発・利用,長期的には原子力の一層の活用に努める必要がある。とくに,原子力については,安全性向上に努め,内外の受容可能性をたかめることが急務である。その4は,農業の効率化である。農業については,経済安全保障の面からみる眼も必要であるが,そのためにも生産性向上の不断の努力が重要である。生産性向上のためには,借地経営等による耕地規模の拡大,専業的農家を核とした農業生産の組織化,そして農業生産を担う技術力と経営力をもつ人材を活かす条件整備が必要である。

第2は,公共部門の役割に関するものである。とくに,今日では公共部門にはより効率性が求められている。ただ,民間部門の効率性と公共部門のそれを同じ次元でみるのは適切でないと考えられる。それは,「財政の赤字」は「企業の赤字」とは必ずしも同じ性格のものではないし,公共部門は,民間部門ではできない仕事も引き受けているからである。しかし,公共部門がその役割をより効率的に果たし,国民経済の各部門に対し公平な資源配分を行っていかなければならないことはいうまでもない。公共部門のパフォーマンスをみるには「効率性」と「公平性」の両方の眼が必要である。

わが国の財政赤字は,公共サービスが拡大する一方,財政収入との差が大きくなったからであった。そのため財政支出の公債依存度は,アメリカ,イギリスに比し抜きんでて高い。もっとも,経済全体,なかでも個人部門の高い貯蓄率がこれを吸収し,財政赤宇の国民全体の貯蓄に対する割合は,まだ相対的に低いし,公共部門の対GNP比も国際的には低い方であり,その意味では「小さい政府」といえよう。しかし,わが国経済は,潜在的に「大きな政府」になる可能性を強めている。その理由のひとつは,人口構造の老齢化とともに社会保障移転比率(社会保障移転の国民所得に対する比率)の上昇が不可避となっていることがある。

以上のような状況下で,「効率的で公平な政府」を作り上げていくことが最も緊要な課題である。その中でもとくに重視すべきものとして,次の2点を指摘したい。その一つは,公共部門の効率化は,民間部門の効率化と相表裏し,相伴う面のあることである。財政支出の抑制と政府規制の見直しは,行政改革の重要な課題であるが,そのためには,公的部門自らの強力な努力と,公共部門に依存しない民間経済の活力とが,相伴わなければならない。もう一つは,公平性の一層の重視である。わが国の租税税外負担率は主要国中最も低い。しかし,最近の財政状況にかんがみ,歳入面についても見直しが進められている。そうしたなかで,今後税負担の公平が制度的にも実質的にも確保されるよう一層留意していく必要がある。

第3に,国際経済社会との関係がある。先進国化した日本経済が,国際経済社会の中で発展し,生存していくためには,わが国の活力が,世界に生かされ受け入れられていく必要がある。戦後35年を経過し,1671年のニクソンショックからの10年の歴史も,世界経済の構造が大きく変わり,とくにアメリカの相対的な地位が低下したことを示している( 第II-P-2表 )。こうした中で,日本経済は,自由主義経済世界の維持・安定のための役割と責任を強く求められるようになった。というよりも,より正確にいうならば,「わが国経済の活力を生かし,発展していくためには,自ら自由主義経済を守らねばならなくなった」といわなければならない。頼まれたからでなく,自らを生かすにはその道以外にはない。このためには,次の3点が重要である。その1は,対先進国関係において生ずる貿易摩擦への対応である。それには,まず何よりも先進国の再活性化が最も基本的なものとして期待される。本年次経済報告の分析によれば,わが国からの輸入急増品目について,輸入国側の雇用変動に及ぼす影響をみると,輸入増よりも輸入国における需要や生産性の状況によるところが大きいとみられる。しかし同時にわが国としても引き続き,開放的貿易体制を推進するとともに,製品輸入の促進,に努めていく必要があるだろう。貿易相手国に対し「わが国は,安くて良いものを供給できる」というならば,相手国もわが国に対し同じことがいえるはずである。このほか,直接投資を含む産業協力の推進,相互理解の深化はいうまでもない。

その2は,発展途上国への対応である。今日では,発展途上国といっても,資本余剰産油国,中進国,低所得国というように多様化しつつある。わが国としては,それぞれの国情,発展段階に即した形での農村・農業開発,エネルギー開発,人造り協力,中小企業の振興等に対する援助を,重視すべきであろう。なかでも,中進国の成長は世界経済の発展の歴史に希望を与えるものである。これらの国々が自ら節度ある経済運営を行いつつ,発展しうる機会を増大させうることが重要である。それは,日本経済が歩んできた道でもあった。

その3は,わが国金融・資本市場の国際化の進展であり,これに即応し,為替管理の自由化が進められた。そして,こうした為替管理の自由化もあって,日本経済のパフォーマンスの良さに注目した対日証券投資が大幅流入し,円相場の安定に資してきた。アメリカの経済力の低下と西ドイツ,日本の経済力の上昇を背景に,マルクや円の国際的使用が必然的に進行しつつあり,それはある程度避け難い。

第4は,国民生活の安定・向上に関するものである。経済の活力なくして国民生活の充実は期し難いが,生活自体の充実は活力の源泉でもある。とくに,高齢化社会を迎えて,中高年労働力の労働の質の維持が重要なこと,生活水準上昇に伴って,欲求の高度化,多様化が進んでいること,等からして,単に所得,貯蓄といった経済的側面のみならず,住宅,余暇等の空間的,時間的充実も一層必要といえよう。

住宅の面についていえば,都市部には狭小な住宅が多いという問題や,相対的に稀少な国土の上で高水準の経済活動が行われていること等から地価が高いという問題があるが,全国的にみれば住宅の広さは欧米諸国に比べて遜色のない水準になってきている。

しかし所得水準の上昇に伴う広くて良質の住宅に対する欲求の拡大,大都市圏とその他地域との住宅格差等から,とくに,大都市圏の住宅事情の改善・充実が望まれている。この面では,大都市部を中心に,戦後建てられた狭小住宅の建て替え中高層化,良質な借家建設への誘導,宅地供給の増大,これに伴う公共施設等の負担の適正化を進めることが重要である。この場合,都市近郊農家の多くは所得水準も高く,したがってその土地供給動機は必ずしも強くない現状にあり,今後ともこれら農家の意向にも配慮しつつ,市街化区域内農地について,積極的な宅地供給のための施策を展開する必要がある。

余暇の面については,わが国の労働時間は55年で年間約2,100時間であり,欧米諸国の2,000時間を下回る水準に比し,まだ,かなり高い水準にある。このため,国際比較すると,わが国では,余暇時間そのものが少ない(休日・長期休暇の不足)ことに起因する不満が高い。もっとも,生産性向上の成果を所得に回すか,労働時間に回すかの選択は,その国の所得水準や勤労意識による面があり,わが国は,低所得水準から出発して,余暇よりも,より所得を選択してきたといえるであろう。わが国の労働時間が長いのは,企業の規模別生産性格差による面があるが,他方労働者の勤労観も影響しているとみられる。わが国の終身雇用を基調とする雇用慣行の中では,労働者の企業への帰属意織が強いこと,さらに労働者間でよい役職に就きたいという意欲が強いこと等により,労働者の勤労意欲は高い。こうした背景のもとで,労働者の余暇選好度は相対的に弱くなる面もある。それは欧米における管理層のモーレツ振りと似た面もあるが,平等化したわが国社会では,こうした階層のすそ野が広く,かつそれだけ内部労働市場が競争的だったことを反映していると考えられる。今後ともわが国は一層の生産性向上を図るとともに,引き続き労働時間を欧米諸国並みの水準に近づけるよう努力する必要がある。生産性の向上は,「長時間働くこと」からだけでなく,「より効率的に働くこと」からも生み出しうるのである。


[目次] [年次リスト]