昭和56年

年次経済報告

日本経済の創造的活力を求めて

昭和56年8月14日

経済企画庁


[目次] [年次リスト]

第I部 第2次石油危機を乗り越える日本経済

終章 物価と景気の現局面

第2次石油危機の日本経済への影響は収斂してきた。

まず,石油価格(通関べース,ドル建て)の上昇は,既に昨年春頃から緩やかになり,今年に入り公式販売価格の引き上げや春以降の高値原油の入着はあるものの,3月~6月間では38ドル/バーレル台の水準で,ほぼ横ばい気味になっている。さらに,昨年春以降の円高により,円べースの石油価格は比較的安定的に推移してきた。但し,本年年初以来円安傾向により円建石油価格も上昇に転じている。また,輸入物価全体としても,円高の効果により,安定化傾向を示してきた。とくに55年7~9月期から56年1~3月期にかけては,外貨建て輸入物価は上昇したものの,円高の効果により円建て輸入物価は下落した。一方輸出物価はこの間ほぼ安定的に推移したから,交易条件(国民経済計算ベース)は,55年4~6月期の73.2(50年=100)以降安定的に推移し,56年1~3月期も73.4とほとんど変わっていない。

実質所得の増加率(前年同期比増加率)は55年4~6月期の0.5%減から,56年1~3月期には3.3%増と高まり,実質経済成長率と実質所得増加率とのかい離も55年1~3月期の5.7%を最大に56年1~3月期には0.2%まで大きく縮小してきた( 第I-E-1図 )。こうして,56年春頃には,石油危機に伴う実質所得減はほとんど解消したとみてよい。

もちろん,それまでの交易条件の悪化の影響は時間的に遅れて経済に現われるが,それも次第に収斂してきた。

現在では,国際収支,物価は改善し,景気のかげりも終わりつつある。経常収支は56年1~3月期では722百万ドルの赤字だったが4~6月期には2,028百万ドルの黒字と改善傾向にある。卸売物価は56年4~6月期平均では前年同期比0.4%の上昇,消費者物価は5.3%の上昇と,安定した動きを取り戻した。物価面でのこれらの数字は,先進国中最も低い上昇率である。

景気のかげりの面についてみると,まず在庫調整に関しては,後向き在庫の増加が頭打ちになったとみられる。紙・パルプ,小形棒鋼,アルミ地金,塩化ビニール樹脂,綿糸,合繊紡績糸等を除けば,在庫調整が遅れていた素材型産業の在庫水準及び在庫率ともに本年に入って横ばい傾向になっている( 第I-E-2図 )。

また,個人消費も消費者物価の安定を背景に,56年3月以降実質増加に転じている。勤労者世帯では,物品税等の引上げ前の需要増加という特殊要因はあるにせよ,次第に回復を示している。百貨店販売額は,休日数によって左右されるがそれを調整しても前年同月比7%台の増加を維持している。物価上昇率の鈍化を考慮すれば,実質増と推測される。もっとも勤労者世帯以外の世帯,たとえば,個人営業世帯,農家世帯の消費はなお停滞的である。これは,消費は全体として回復しつつあるものの,なおそのテンポは緩やかであり,中小・零細企業の経済活動がなお停滞していることや,農家総所得の伸びが鈍化したためと思われる( 第I-E-3図 )。

住宅建設にも回復の兆しがみえる。新設住宅着工戸数は,56年1~3月期には,年率113.8万戸,前年同期比17.8%減であったが,4~6月期には132.5万戸,前年同期比4.1%減まで回復した。これには,6月以降の建築基準法改正(耐震構造強化)を控えての着工増が含まれているとみられるものの,実質所得の回復,建設資財価格の落着き等の要因も好影響を与えていると思われる( 第I-E-4図 )。

政府の公共事業費も,3月のいわゆる「総合経済対策」の決定に伴い,執行促進が図られているが,5月末の累積契約率は37.3%で,前年同月の32.7%を上回っている。

一方,景気のかげりの中で,これまで需要を支えてきた民間企業の設備投資や輸出には,一時程の増勢はみられないが,引き続き増加基調にある。

以上のような需要動向を背景に,先に述べた在庫調整の遅れている業種等では不況カルテル等による減産が行われているが,鉱工業生産も緩やかながら増加基調にある。

こうして,景気はかげりを脱しつつあり,景気の実勢としては上昇に向っている。業種別,地域別にも跛行性に大きな影響を与えていた消費,住宅,公共投資も次第に増加している。

ただし,経済活動の拡大テンポは総じてゆっくりとしたテンポであり,「緩かな景気上昇」といわねばなるまい。こうして,日本経済にとって第2次石油危機の影響も収斂してきた。

しかし,今後の物価・景気動向に関していえば,当面次の5点に留意していく必要がある。

第1は,労働需給面で緩和がみられることである。企業の雇用調整は,景気情勢に遅れて生じるため,こうした状況が起こるのはある程度避け難い。「景気のかげり」が遅れて「雇用のかげり」をもたらしているといえる。景気の実勢も上昇に転じており,全体としての雇用は増加を続けていることからして,今後,雇用は緩やかではあるが改善の方向をたどることが期待される。

第2は,先にも述べた在庫調整がなお進行している構造不況的性格のある業種等はなお減産が続いていることである。日本経済の先進国化と2回にわたる石油危機は,需要構造を変え,それに伴って産業構造にも変化を及ぼしつつある。またこうした産業構造の変化と昨年の冷夏,今年初夏の低温と相まって地域によっては,停滞的影響が残っている面もみられる。

第3は,物価の安定傾向を持続させることである。目下のところマネーサプライ増加率は安定的に推移しでおり,人々のインフレ心理も落ち着いている。景気の上昇に伴う稼動率の上昇は生産性上昇率を高め,物価安定要因となる。しかし円安や需給ギャップの縮小は物価抑制効果を弱める。マネーサプライの安定的管理をしつつ不断に物価動向を監視していく必要がある。

第4に,欧米経済動向の影響がある( 第1-E-5図 )。アメリカ経済は,回復過程にあるものの,春以降そのテンポは鈍化し,こうした中で物価上昇率も鈍化してきている。しかし,インフレ期待になお根強く,金利水準は乱高下を繰り返しつつなお高水準であり,先行き不透明感も強い。ヨーロッパ経済は,生産・消費に下げ止まり気味の動きがみられ,企業マインドにも一部底入れ感が生じつつあるものの,失業は増加し,物価の騰勢はなお根強い。一言でいえば欧米経済は,景気・物価ともになお不安定な状況にある。その影響はいくつかの面でわが国にも及んでいる。その一つは,円レートに対するアメリカの高金利の影響である。わが国経済のパフォーマンスの良さからして円レートは基調的には安定性を維持しているが,アメリカの金利の低下予想がなかなか現実化しないため,円安気味の動きを示している。その二つは,欧米における高率の失業,わが国に比して高いインフレ率等から,貿易摩擦の「火種」が解消していないことである。欧米諸国の景気。物価の安定化が強く期待されるが,以上のような現状からして,欧米経済情勢に注意しつつ,慎重に対外経済調整に取り組む配慮が必要であろう。

第5は,国際政治経済情勢全般に関するものである。石油需給は緩和基調にあるとはいえ,中東情勢は不安定である。共産圏諸国内の情勢にも時に緊張の高まりがみられる。自由世界でも,アメリカ,イギリスでは市場経済重視の政策が展開されている。一方,フランスでは公共部門重視の方向が選択される等,多面的な動きがある。世界の政治経済情勢はなお不確実性が高いといえよう。

本第I部において(第3章第4節参照),経済活動の安定的拡大を図るために最も重要な条件として,突然の経済的衝撃が起こってからの対応も大切であるが,それ以前における経済の動きや経済政策の安定性がより大きいことを指摘した。いぜんとして,不安定さと激動の可能性を秘める内外の経済情勢下において引き続き「物価の安定」に努めるとともに,「内需を中心とした景気の着実な拡大」を実現するため引き続き適切かつ機動的な政策を行い,民間経済の活力ある展開の環境作りに努めること,これが最も肝要な課題である。