昭和56年

年次経済報告

日本経済の創造的活力を求めて

昭和56年8月14日

経済企画庁


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第I部 第2次石油危機を乗り越える日本経済

序章 55~56年日本経済の特徴とその要因

55年度は,日本経済にとって,「第2次石油危機を乗り越えた年」であった。大幅に悪化した経常収支は改善し,高騰した物価は落ち着きを取り戻し,「景気のかげり」と呼ばれた経済活動の停滞も終わりつつある。そしてなお景気回復感は弱いとはいえ,いまや経済の実勢は緩やかに上昇過程をたどりつつある。

こうした55年度の日本経済の特徴として,次の3点を指摘できる。

第1に,53年未から55年にかけての第2次石油危機の直接的・間接的影響は,決して小さいものではなかった。石油価格上昇と円レートの下落に伴う交易条件の悪化は,わが国の実質所得の伸びを大幅に低下させ,実質経済成長率との間に大きなかい離を生じさせることとなった( 第I-P-1図 ),なお実質所得について,詳しくは第I部第1章第1節参照)。簡単にいえば,石油価格上昇等によって,日本経済の国内における実質的な購買力の伸びは大きく抑制されたのである。

第2に,とはいえ,この大きな影響に比すれば,わが国経済は,比較的良好な推移(パフォーマンス)を示した。石油価格上昇に伴ういわゆる三重苦(トリレンマ),すなわち国際収支,物価,景気等の悪化は,先進主要国と比較しても,また第1次石油危機と比較しても,総じていえばより軽微であった。

まず,日本経済のパフォーマンスは,先進主要国に比べかなり良好であった。ある海外有力紙は,日本済の状況を「羨ましい“不況”」と評した。これは,海外の識者の眼からみれば,とても不況とは思えないという意味に理解してよいであろう。経常収支(貿易収支季節調整済)は,55年1~3月期の4,975百万ドルの赤字から56年4~6月期で2,028百万ドルの黒字と大きく改善した。卸売物価は55年4~6月期は前年同月比22.0%の上昇,消費者物価は4~6月期,7~9月期と8%台の上昇に達したが,56年4~6月期には卸売物価はほぼ前年並み,消費者物価も5.3%の上昇で,これらは先進主要国中最低の上昇率である。わが国経済の石油輸入依存度の高さからして,石油価格上昇は,他の先進国に比し,かなりの国際収支悪化,卸売物価上昇をもたらすが,第2次石油危機に際しては,それからの立ち直りは速く,とくに輸入物価上昇がホーム・メイド・インフレにつながらなかったことは,物価安定に大きく資することとなった。また,56年1~3月期の実質国民総生産(50年基準,以下本年度年次経済報告での国民経済計算関連指標はいずれも50年基準である)は前年同期比,3.5%の増加を示した。一方欧米諸国では,アメリカの1%増を除いて,他の主要国ではいずれも前年を下回る水準にある( 第I-P-2図 )。わが国は交易条件悪化の影響を受けたとはいえ,なお実質所得の増加を維持したのである。

さらに,第1次石油危機の場合に比べ,その影響を比較的穏やかにとどめえた。実質経済成長率,鉱工業生産,製品在庫,物価,いずれにおいてもそうである( 第I-P-3図 )。ただし,経常収支の赤字はそのピーク時点ではかなり大きくなった。これは,第1次石油危機以降,石油価格上昇の影響が累積し,輸入に占める石油代金支払の比重が上昇し,石油価格上昇の影響度が高まったうえ,景気の停滞が軽微で,輸入が第1次危機後ほど減少しなかったからである。

しかし,第3として,やはり「景気のかげり」が大きかったことを指摘しておかねばならない。

55年の景気のかげりは,国民経済全体としてみると,前述のような交易条件の悪化に伴う国内の実質購買力の伸びの低下の反映として,それを内容的にみると,需要項目別,産業別,企業規模別,地域別の跛行性として,現われた。需要項目別には設備投資,輸出の堅調その反面,個人消費,住宅建設の停滞,在庫調整の進行,等の事態が生じた。産業別には,乗用車,電気機械,一般機械等加工型産業の好調さと対照的に,鉄鋼,化学,非鉄金属,紙・パルプ等の素材型産業の停滞が目立った。

規模別には,消費財関連中小企業の不振が顕著であった。地域別には以上の要因に加えて,冷夏・厳冬等の異常気象要因も重なった。

しかし,交易条件の悪化は55年央には解消し,現在では,マクロ的な意味での景気のかげりは終わりつつある。また業種別,地域別跛行性も次第に改善に向かいつつある。

本第I部での問題意識の核心は,以上のような55年度日本経済の特微及びその背景にある理由を明らかにすることである。詳しくは,以下の各章で検討・分析されるが,本序章ではそれを総括的に要約しておこう。

第1は,交易条件の悪化がわが国にどの位の影響をもたらしたかである。3年前,日本経済の53年度の実質経済成長率は5.2%であった。しかし当時は交易条件は大きく改善しつつあったから,実質所得は,6.5%増加した。しかし,第2次石油危機後,54~55年度平均で実質経済成長率は,年率4.7%であったのに対し,実質所得は,年率1.8%の伸びに低下し,その差2.9%が交易条件の悪化によって海外ヘ移転した部分である。第1次危機では,49~50年度平均で,それぞれ1.7%,0.1%,その差は1.6%であったから,今回の影響の方が大きかったといえる。

第2は,なぜ物価上昇は前回ほど激化せず,また,景気の悪化も「かげり」の程度にとどまったかである。その理由として次の5点を指摘できる。その1は,54~55年と賃金コスト圧力が高まらず,労働分配率もほぼ安定的に推移し,石油価格急騰→輸入インフレ→ホーム・メイド・インフレという悪循環が生じなかったことである。

生産性上昇以上に賃金をあげるとインフレが進行しやすいことはよく知られている。交易条件が悪化した場合にはどうか,極端な場合,生産性向上分が全部交易条件の悪化によって海外に食われてしまうと,家計も企業も実質所得を増やすことはできない。どちらか一方が少しでも上げようとすると,もう一方は減ってしまう。減った方が取り返そうとすると,結局賃金・物価の悪循環を招いて,ホーム・メイド・インフレが避けられなくなる。一般的に,実質所得の増加分を奪い合わないで労働分配率を安定させておくと,輸入インフレだけに抑制することができる。第1次危機では,労働分配率が上昇したが,第2次危機ではほぼ安定的に推移し,ホーム・メイド・インフレが避けられた( 第I-P-4図 )。

その2は,この労働分配率の安定化が企業収益の悪化を防ぎ,省エネルギーやエレクトロニクスを中心とした技術革新を背景とする設備投資の堅調さを支えたことである。しばしば,企業の好収益に比し,労働者の実質賃金が低下したため,労働者が損をしたのではないかという批判がみられるが,ざきに述べたように,54~55年度平均で実質所得が年率1.8%の伸びであったのに対し,実質雇用者所得のそれは2.4%(54年度2.3%対3.9%,55年度1.3%対1.0%)であった。これには,労働者一人当たり実質賃金は低下しても,設備投資の堅調さに支えられて景気の停滞が軽微にとどまり,雇用の安定的増加が維持されたことが寄与している。

また,個人消費の落ち込みが大きかったとはいえ,第1次石油危機ほどではなかったことも実質経済成長率の大きな低下を回避させることになった。これは一見意外に思われるかも知れない。しかし実質民間最終消費支出は,第1次危機では48年度に前年度比6.3%の伸びであったものが49年度に0.8%の伸びに低下(低下幅は5.5%ポイント)したのに対し,第2次危機では54年度5.0%の伸びから55年度には0.8%の伸び(その差4.2%ポイント)で低下幅は前回に比し今回の方が小さかった。これは,前回は,消費者物価の高騰等を背景に消費性向が急低下したのに対し,今回は消費性向がほぼ安定的(勤労者家計ではやや上昇)であったからである。

その3として,財政金融政策および物価政策の早期かつ適切な展開をあげねばならない。

政府の経済政策では,まず物価安定に最大の重点がおかれた。物価対策では,54年2月に既に生活関連物資の需給,価格動向の監視,供給の確保を軸とする「第1次総合物価対策」が決定され,11月未に第2次の物価対策,55年に入って3月にはこれらをふまえての7項目の「物価対策」が決定され,経済運営の指針とされた。そして,物価の安定化への傾向,景気のかげりの進行に伴い,物価の安定と景気の維持,拡大を図る観点から,55年9月,56年3月といわゆる「総合経済対策」が決定された。

財政政策は,大幅な財政赤字の下で,景気政策としての余裕は乏しかったとはいえ,54年度には経済情勢,物価動向に細心の注意を払いつつ機能的な運営が図られ,55年度上期には抑制的な運営が行われた。しかし,9月以降「総合経済対策」の決定とともにこの抑制的措置は解除され,執行促進が図られるようになった。

金融政策の面では,マネーサプライの安定化がとくに進行した(前掲 第I-P-4図 )。

第1次危機にあっては,危機以前において,マネーサプライの急激な増加が生じ,景気は過熱し,労働力需給はひっ迫し,国民の「インフレ心理」は高まっていた。それゆえ既に景気抑制政策が実施されていたが,そういう状況下で石油危機が生じたためさらに強い引締めが展開され,景気は急速に下降した。第2次危機に際しては,マネーサプライは,次第に抑制されていったが全体として安定的に推移し,景気は上昇初期にあり,物価の上昇率は相対的に低く経済の安定度は第1次危機に比し,かなり高かったといえよう。

以上のように,物価対策,財政・金融政策が早期に実施され,それが効果的であったことが,状況の変化とともに機動的な運営に転じうる可能性をもたらしたことは大きい。主要国の多くにおいてわが国より低い成長率,わが国より高い失業率の下で,なおインフレが進行し,そのため引締め政策を維持せざるをえない状況が長く続いたのに比べ,わが国は対照的な成果をあげてきたといえる。

その4として,市場機能がよく働いたことを強く指摘したい。製品市場でも,労働市場でも金融市場でも,価格や賃金や金利が需給変化に応じて柔軟に動くことが重要であるが,第2次危機後,こうした市場機能が果たした役割は大きかった。もともと,第1次危機でも,わが国市場が硬直的だったわけではない。しかし第1次危機時のように,直前において景気が過熱状況にあり,しかも大幅な石油価格上昇が急激に起こるといった極端な情勢下では市場機能だけでは,人々が正常に対応できる経済のパフォーマンスはえられない。しかし,第2次危機においては,石油価格上昇が段階的に進み,経済の安定も高かったため,市場機能活用の成果は大きかった。物価は輸入インフレに伴って上昇したが下がる時は下がり,賃金上昇率は労働需給の状況や人々のインフレ心理が抑制されたことを反映して安定化し,金融の自由化の進展は,家計・企業をして金利の上昇とともに実物資産からより収益性のある金融資産を選択させるようになり,こうした経路を通じて,金融政策の効果を高めることとなった。

その5として,人々のインフレ心理,いわゆる「インフレ期待」の変化についても指摘しておかなければならない。予想とか期待がいかなる要因で決まるかは,難しい。しかし一般的にいって,まず①その時までの経済の推移や経済政策の状況によって支配されよう。またそれだけでなく,②経済や政策の急激な変化やその先行き見通しからも影響されよう。しかし,予想や期待がそのようなものであれば,さらに③「学習効果」も加わるといってよい。普通,情報探索のない学習はない。従って極端な場合,将来の状況を適確に予想できる人がいて,その人の話が完全に伝えられるなら,経済全体としての予想や期待はまさに学習効果そのものによって決まる。それ程極端でなくてもそれまでの出未事を経験し,情報を集め,インフレや景気の悪化が生じる理屈が理解されるような社会では学習効果の影響も大きいといえる。第1次石油危機以降,わが国も含めて世界的にインフレが高進したため,人々のインフレ期待は高まった。

しかし,第2次石油危機に際しては,危機前において物価・景気の安定度が高かった上に危機後において経済政策ははっきりと物価安定の姿勢を堅持し,とくに金融政策ではマネーサプライの安定下が重視された。こうした経済や政策の状況に加えて,第1次石油危機以降の学習効果も重なって,人々のインフレ期待は沈静化し,それが物価・景気等その後の経済のパフォーマンスの良さをもたらしたといえよう。

第3は,なぜ業種別,地域別にはかなりの跛行性をもって「かげり」が進行したかである。また最近では「かげり」の影響が雇用面にも現れるようにもなった。

その1は,内外需の変化である。55年の実質経済成長率への寄与度をみると,成長率4.2%のうち,輸出が3.0%,内需が1.2%と,結果としてみると外需寄与度が高かった。

ただし,第1次危機では49年の成長率マイナス1.2%に対し,輸出2.4%増内需マイナス3.6%であったことを考えると,第1次危機よりは跛行度が小さかった。これは,設備投資が堅調を維持したこと,第1次危機に比べれば,さきに述べたように個人消費などその他の内需の低下幅も小さかったこと,円レートの低下による価格競争力の上昇に加え,加工型産業を中心とした製品の品質の向上・充実が輸入国側の需要にもマッチし,輸出が増大したこと等によるものである。

その2は需要項目間における跛行性である。在庫調整の進行,消費・住宅・公共投資の停滞と,設備投資・輸出の堅調さが対照的だった。また,これらの需要項目内部においても跛行性が生じた。

在庫調整は全体として第1次石油危機時に比べて軽微であった。しかし,それが素材型産業では厳しいものとなったのには理由がある。①物価上昇の影響から名目水準はかなり上昇し,財務的負担が高まっていること,②慎重な経営態度が適正在庫率水準を引き下げているとみられること,③加工型産業の在庫調整がきわめて軽微であったのに対し,素材型産業の在庫調整の遅れ,とくに構造不況的性格をもつ業種では,なお在庫調整の必要に迫られていること,等によるものである。ただし,構造不況的性格の強い業種を除けば,本年に入って在庫,在庫率ともに横ばい傾向になっている。

個人消費の停滞は,①実質所得の停滞を主因にそれに②冷夏のような異常気象,③耐久消費財の不振等が重なって生じた。個人営業世帯ではなお前年を下回っており,跛行性は尾を引いているが,勤労者世帯の消費は,消費者物価の落ち着きとともに回復してきている。

住宅建設・公共投資の停滞は,設備投資が機械中心の内容に変わってきていることもあって,建設業に影響を及ぼした。しかし,ここでは,短期的要因に加えて,石油危機以降,わが国の需要構造が,①政府では財政の支出抑制の必要性から,②企業では規模拡大より効率化の要請が一層強まったことから,③家計では人口の社会移動の低下,世帯数増加の停滞や先行きの所得見通しに比しローン負担の重さから,建設需要抑制型のものに変わりつつあるという中期的要因を重視する必要があろう。しかし,最近は,住宅投資にも回復の兆しがみえ始め,中小建設業に対する公共建設需要も増えてきている。

一方,設備投資は,基調的にはかなり,自律的浮揚力をもって推移した。企業収益の好調さに加え,省エネルギー,省力化,合理化,エレクトロニクス中心の技術革新の進行という強い投資要因がある。これを,設備投資の中期循環の上昇局面といってもいいだろう。とくに,製造業加工型大企業ではそうであった。もっとも,中小企業の設備投資は55年度後半以降は停滞的となった。しかし,中小企業でも,技術革新を取り込んだ設備投資の必要性を重視している企業が多く投資意欲は根強いといえよう。

その3として,企業収益面でも,大企業と中小企業間での跛行性が生じた。中小企業では,停滞した消費・建設需要の依存度が元来高かったからである。また借入金等外部資金依存度の高さは,金利負担の上昇を招いた。

こうした中で企業倒産は増加した。そして企業倒産はかなり高水準に達した。また,倒産発生比率(倒産件数の企業数に占める割合)をみると,過去のピークである52年よりは低いものの,54年を上回る高水準に達した。

その4として,景気のかげりの影響が最近になって雇用面に現れていることである。雇用者数は,54年2.0%,55年2.5%と増加を続けた。もっとも,景気の動きに比し,雇用の動きは遅れる。わが国では,教育・訓練し高い経験と熟練をもつ労働力を景気が悪いからといってそう簡単には解雇しないからである。とはいえ56年に入って失業率は上昇し求人倍率は低下してきている。景気の実勢が上昇基調にあることからして,今後雇用・失業情勢は緩やかではあるが改善傾向をたどることが期待されるが,現状はなお注意を要するといえる。

第4として,財政金融政策がなぜ効果的であったか,と同時に緩和後の変化があまり大きくないのはなぜか,という問題がある。

金融政策面では,金利自由化の進展を背景に金利機能を活用したマネーサプライの安定政策が貫かれた。そのなかで,引締め初期において市中金利を高目に誘導したことが,長い眼でみてインフレ期待の高進を防ぎ,金利の低下をもたらすこととなった。現在,わが国の金利水準は主要国のなかで最も低い水準にとどまっている。こうして早目の引締め政策とその効果が,緩和政策への転換を可能としたのである。

第I-P-5図 主要経済指標の動向

こうした中で,今回の金融引締め・緩和という過程において「引締まり感なき引締め」,「緩和感に乏しい緩和」という2つの特徴がみられる。それは,①企業財務が負債面での借人依存度の低下,資産面では金融資産保有の増大という状況にあったこと,②財政支出,輸出等,金融機関貸出を通じない経路での資金の企業部門ヘの流入,等の事情があるためである。しかし,金利自由化の進展を背景に現先レート・CDレートなどオープンマーケット金利が上昇したことに伴い,企業は実物投資を抑制し,金融資産への投資を活発化した。このことは,企業が高水準の手許流動性を抱えている状況の下でも金利上昇を通じて企業の投資行動に影響を及ぼすことにより,政策効果を達成することができることを意味している。

財政政策面では,財政再建という厳しい条件下で公共事業規模の伸びは小さかったが,物価面への配慮から抑制的な執行を行い,あるいは景気面にも配慮した促進的な執行を行うなど機動的な運営が図られた。

以上のような金融・財政両面の性格が重なったのが,55年度の政策効果の特徴であった。

最後に再び総括的にいえば,55年度は「景気のかげり」に見舞われたとはいえ,マクロ的には軽微であった。景気の実勢は緩やかながら上昇基調にある( 第I-P-5表 )。しかし,ミクロ的には跛行性は厳しく,なお対応を迫られている分野が残っているのも確かである。しかしそういう分野の問題は,必ずしも第2次石油危機だけの理由によって生じるわけではない。日本経済の先進国化と第1次,第2次という大きな石油危機は,日本経済の構造も変えつつある。


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