昭和55年

年次経済報告

先進国日本の試練と課題

昭和55年8月15日

経済企画庁


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第II部 経済発展への新しい課題

第1章 日本経済の発展とその環境変化

第2節 発展を支えてきた内外条件とその変化

1. 発展を支えた国際環境

前節でみたような,日本経済の発展の背景には,それを可能とするような国際的,国内的好条件が存在した。日本経済はそれらを生かしそれらに適応しながら発展してきた。その中でも,これまで国際環境が平和で,自由な国際経済秩序が維持され,資源が安定的な価格で豊かに供給されたこと等が大きく資している。

(平和的だった世界)

第1は,第二次大戦以後世界がおおむね平和だったことである。もちろん,局部的には深刻な戦争も起こったが,日本をめぐる環境は,比較的緊張感が少なかったといってよい。こうしたなかでわが国は,防衛費の負担も相対的に低く,生活水準の向上,生産力の拡充のために大部分の資源を振り向けることができた。

(自由な経済交流)

第2は,国際的に自由な取引や交流が進んだことである。第二次大戦後,商品,資本,人間,技術,知識等の自由な交流が進み,特に,GATT・IMF体制を軸として国際経済秩序は世界経済の発展を促進した。1960年から1976年の16年間に,全世界の実質GDPは年平均5.0%拡大したのに対して,この間貿易数量は7.4%の増加テンポで拡大した。これは,開放体制で世界経済の拡大が続いてきたことを示している。そしてこのように,各国経済の交流が緊密化する中で,貿易に依存する度合の強い日本経済の発展の基盤が形成されたのである。

(安定的資源の入手)

第3は,資源価格が安定的で量的にも豊富だったことである。

戦後,40年代前半に至るまで,主な資源は価格の面でも,量的な面でも安定的な供給が続いていた。国内に天然資源を持たず,その大部分を輸入に依存せざるをえない日本経済にとって,こうした資源情勢の安定は,発展を支える大きな要因だった。この場合特に,わが国が国内に有力な資源を持たなかったことが,かえって世界で最も安い資源の輸入を可能にした点も特徴的だった。

以上のような資源供給の安定性は日本にのみ与えられた条件ではなく,安い資源を十分に生かして発展に役立てうる可能性は,どの国にも共通の条件だったはずである。しかし,日本が特に発展することができたのは,そうした条件に適応し,それを消化する能力がすぐれていたためである。次にその点をみてみよう。

2. 発展を支えた国内条件

(経済的要因-競争,投資,貯蓄)

日本経済には,良好な国際的環境を十分生かしうる国内的条件が存在していた。それには多くのものが考えられるが,経済的社会的要因のうち主要なものとして次のような点をあげることができよう。

第1は,経済的な要因である。この面では,次の3つを指摘できよう。その1は,企業間競争の厳しさである。厳しい競争条件の下で,企業は競って効率的な生産体制を探求し,それが生産性の向上に結びついてきた。

その2は,企業家の高い投資意欲である。活発な設備投資は,それ自身が有効需要となるとともに,導入技術を体化し,供給面からも発展を支えた。

その3は,国民の高い貯蓄率である。戦後一貫して続いてきた高貯蓄率は,強い投資意欲と相まってストックの充実を支えてきた。特に,企業の高い投資意欲と国民の高い貯蓄率がうまくからみ合ったことは大きかった。設備投資が高いだけでは,インフレになったり,国際収支が赤字になったりする危険がある。また,貯蓄率が高いだけでは,デフレや輸出急増の可能性がある。わが国のこれまでの貯蓄投資バランスは49年頃までは高い貯蓄率にもとづく個人部門の資金余剰を,強い投資意欲に裏付けられた企業部門の資金不足が相殺してきた。また,50年以降企業の投資意欲が衰えると,積極的な財政支出の拡大による公共部門の資金不足がその穴を埋めるようになった(後掲 第II-4-27表 )。個人部門の貯蓄率が高いことは,常に潜在的な需要不足の可能性があることを意味するが,これまではそれを設備投資,公共投資などのストック形成に振り向けて,発展してきたのである。

(社会的要因-勤勉,高い教育,政策)

次に,社会的な側面のものとして次の3つがいえよう。

その1は,国民の勤勉性である。国民一人一人がその職場で最大限の能力を発揮しようとしたことが進歩の原動力となった。

その2は,国民の高い知識水準とその普及である。もともと高かったわが国の教育水準は,進学率の上昇とともにさらに高まり,優秀な若年労働力を生み出すことになり,それが技術革新の導入適応,その後の国内技術技能の高度化の基盤を形成した。

その3は,欧米先進諸国へのキャッチング・アップのため経済政策が成功したことである。戦後の経済政策は,成長の潜在的可能性を大きく引き出し,経済力の充実に貢献した。特にわが国では,欧米先進国へのキャッチング・アップという社会目標があり,その目標に対し,政府,企業,家計ともに,努力が進められた。

3. 内外条件の変化

しかし,以上のような日本の経済発展を支えてきた内外の諸条件のうちいくつかのものは,1970年代以降,かなりの変化を生じてきた。最も激変したのは国際環境である。しかし,それだけでなく,国内にも新しい条件変化が生じてきた。

(国際環境の変化)

まず国際環境は大きく変わった。第1に,世界では平和は維持されているものの,イランのアメリカ大使館人質をめぐるアメリカ,イランの対立,アフガニスタン紛争をめぐるアメリカ,ソ連の対立などにみられるように国際的緊張が強まるようになってきた。それは,わが国の通商貿易面にも影響をもたらしている。

第2に,自由な経済交流についても,70年代に入って従来みられなかった変化が生まれている。国際的な政治経済力の多極化,保護貿易的措置を求める声の強まりによって,貿易面で新しい問題が登場し,また固定相場制から変動相場制への移行やオイルマネーの増大など資本移動面でも,新しい現象が生じ,今まで程安定さを持ちにくくなってきたのである。戦後の世界経済の発展を支えてきたGATT・IMF体制もこうした問題の渦中にある。そして,こうした中で,わが国にとっても貿易摩擦の問題や円レートの大幅な変動等の現象が生じるようになってきた。

最後に,第3として,石油に象徴されるように,輸入資源の安定的供給という条件も,動揺するようになってきた。

(国内条件の変化)

わが国の経済社会自体についても変化がみられる。

今までの経済発展を支えてきた経済的,社会的要因は依然強いといえるが,そのほかの変化も生じてきた。

第1は,経済の巨大化,先進国化に伴うものである。まず,国内的には経済の巨大化,先進国化に伴い,単に欧米先進国への量的なキャッチング・アップだけでなく,真に経済水準にふさわしい生活環境や福祉余暇水準の充実が求められるようになった。また,国内技術の発展に伴って,いままでのような導入・応用から,いっそう基本的な自主技術開発が必要とされるようになった。

また,国際的には海外との相互依存関係が深まるにつれ,国際環境変化に対しても,単に受身でなく,より自主的に対応していく必要が増大してきた。

変化の第2は,社会の構造に関するものである。

その1つは,労働力供給構造における高齢化,高学歴化,女子労働力の増大等の変化である。わが国の本格的な高齢化時代は,1990年以降に到来するが,80年代にはそれに向かっての中年化時代を迎えることとなる。特に労働力の面では,後述するように(第II部第5章),スウェーデン,イギリスを上回って世界で最も中高年比率が高くなる。また,進学率の上昇とともに労働力の高学歴化が生じつつあり,80年代にはこれが中年化の波と重なる。さらに家事労動の軽減,教育水準の上昇とともに女子の職業進出も急速に増大しつつある。こうした変化は,雇用面をはじめとして,既存の制度慣行に大幅な見直しを迫っている。

その2つは,大衆社会化の進行である。経済発展は,それまで一部の人しか持てなかった生活手段や生活様式を,多くの人に普及させ,均質化させた。しかし,こうした大衆社会化は同時に人々の価値観の多元化をもたらし,それに対応して問題を解決していく必要性が高まるようになった。


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