昭和54年

年次経済報告

すぐれた適応力と新たな出発

昭和54年8月10日

経済企画庁


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第1部 内外均衡に向かった昭和53年度経済

第2章 黒字から赤字に転じた国際収支

第4節 大きく変動した円レート

昭和51年末以降円相場は急騰を続けた。すなわち51年11月から53年10月までの約2年間に実に67.1%(円の対ドル・レト-ト,月末終り値,IMF方式)も上昇した。その後11月1日のアメリカのドル防衛政策の発表を契機に,円高傾向は一転して円安に向かい,11月初から5月初まで20.1%の下落を示した( 第I-2-15図 )。このような長期にわたる円高傾向は日本経済に大きな影響を及ぼし,その後の円安もまたかなりのもので大方の予想を超えるものであった。ここでは,このような円レートの大幅な変動の背景の意味について考えよう。

(転換点における円レートの水準)

為替レートは外国為替市場においてきまる価格である以上,外国為替市場での当該通貨に対する需給によってきめられるといえよう。為替需給は,基本的には経常取引と資本取引に規定されるが,その他,投機的取引や通貨当局による為替介入などにも影響される。こうして日々の為替レートがきめられているのであり,現実のレートが決まる背後にはそれなりの理由がある。しかし,3年とか4年とかのやや長期をとってみる場合には,為替レートの判断尺度として購買力平価説がある。これは,相対価格の変動を相殺するように為替レートが動くという考え方に立っている。

そこで,円レートが上昇から下降に転じた背景をさぐるため,まず,その頃の円レートが購買力平価説的な考え方からみればどのような位置にあったかをみてみよう。

第I-2-16図 実質実効為替レートと名目実効為替レートの推移

第I-2-16図 がそれであるが,ここで名目実効為替レートとは,例えば日本の場合,対ドル・レートだけでなく,日本の国別貿易構成により国別レートを平均したものであり,実質実効為替レートとは,名目レートを国別卸売物価を合成したものと当該国の卸売物価の相対比でデフレートしたものである。すなわち,相対物価の変動を相殺するように為替レートがきまっているとすれば,実質実効為替レートは変動しないはずである。

この図によれば,日本の場合,実質実効為替レートも52年初から上昇しており,53年央以降はかつてのピークであった49年の水準を大きく超えるに至っている。いつのレートが適正であったのかということは判定し難いが,少なくとも53年央以後の円レートは,相対物価変動の影響を除いても,過去7年の中で最も高い水準にあった。

西ドイツでも51年初以降徐々に実質実効為替レートは上昇していたが,過去のピークであった50年初をわずかに超えている程度である。アメリカは逆に51年初以来下落し続けており,53年末の水準は49年央の水準を下回るに至った。

(実質実効為替レート高水準の要因)

それでは,どうしてそこまで高く円レートは上昇したのだろうか。

その要因はJカーブの考え方である程度理解することもできよう。すなわち,経常収支の黒字の一因として相対物価が低いということがあるが,黒字そのものは円高の一因になる。ところで,円高はJカーブ効果により一時的に経常収支の黒字を増やす。そうするとそれがまた一因となって新しく円高が生ずる。一方で経常収支の黒字拡大は市場に円の先高感を生み,それが資本流入の原因に加わる。そして新しい円高は新しいJカーブを生み,円高が円高を呼ぶことになる。こうなると,相対物価に関係なく円高が進行することになろう。

(円レート下落の要因)

それでは無限に円高は続くのかといえば,そのはずはないのであって,第1章で述べたように,過去の円高のタイムラグを伴った黒字べらし効果が累積的に働いていくので,円高が続いていてもやがては経常収支の黒字が減り始め,経常収支の黒字減少は前述した逆のプロセスを伴いつつ為替需給面からも市場心理面から円安に転ずることになる。

しかし,現実に53年11月1日から円安に転じた点においては,経常収支はJカーブのマイナス局面にあったものの世界貿易の拡大などもあり,未だ顕著な黒字幅縮小傾向を見せ始めていなかった。従って急激な円安への転換の直接的契機は何といってもアメリカのドル防衛策の強化措置発表である。53年に入ってから,アメリカは何回かドル防衛の意図を表明したが,それはファンダメンタルズに対する施策としては不十分なものにとどまり,為替市場対策も小出しであったため,それらは為替市場の評価するところとならなかったが,11月の措置は,併せて300億ドルの介入資金を準備し,日本,西ドイツ及びスイスと協力して為替市場に強力に介入することによりドルの安定を確保しようとするものであり,それまでと質を異にした内容のものであった。かくして,為替市場は直ちに反応し,ドルは持直しをみせた。

第I-2-17図 主要国通貨の対ドルレート変化率

その後の推移は 第I-2-17図 に示すとおりである。主要国通貨の対ドルレートは11月以降いったん下落したがその後は戻しているのに比べ,円のみが下落傾向を続けたことが目立っている。この要因は,①まさに11月以前の円レートの水準が相対的に高すぎたこと,②その後,現実に日本の経常収支の黒字が顕著に減り,総合収支は赤字になったこと,③イラン情勢の変化により,日本は石油に弱いという市場心理が生じたことなどがあげられよう。

(転換点の試算)

それにしても,53年の10月から11月にかけて日本とアメリカの国際収支や物価などのファンダメンタルズに顕著な変化があったわけでもないのに円の対ドルレートが急転したことは関心を呼ぶ点である。

そこで,日本とアメリカについて通貨需給の関係から物価変動をとらえる考え方と,為替レートについての購買力平価説的な考え方により,為替レートを実質所得,貨幣供給,直先スプレッドで回帰させてみると( 第I-2-18図 ),やはり53年10月頃に転換点が描けるのは興味あるところである。

(円レートの大幅変動の教訓)

円レートは長期にわたって大幅に上昇し続けた後,下落をみせた。そうしたなかで国際収支も大幅黒字の後赤字に転じている。このような為替レートの太幅かつ急激な変動は以上で述べてきたようにフロート制の下で起こるべくして起こっているであり,けっしてフロート制の有効性をそこなうものとはいえない。

しかし,問題は為替レートの変動の効果が現われるのにタイムラグを伴う点であり,そのために過剰調整が起こりかねないことにある。こうした過剰調整が実体経済に攪乱的影響を及ぼすことは好ましいことではない。現在の円安傾向もJカーブ効果の論理をあてはめれば過剰に進む可能性がある。

要するに,現実に我が国経済が示したように,フロート制の国際収支調整効果は時間をかければ十分に発揮される。しかし,その過程で実体経済が攪乱されるのは避ける必要があると思われる。従って,フロート制のもつ効果が円滑かつ迅速に発揮されるような補完的努力が必要ということになろう。すなわち,為替レート変動が輸出入に対してもつJカーブ効果をなくすことは,短期的には難かしいことである。しかし,Jカーブ効果によって経常収支の黒字または赤字が累積し,それが資本移動,投機的取引の変動を惹起することによって,フロート制の国際収支調整により長い時間を必要とすることは避けねばならない。このためには思惑による取引によって為替需給が攪乱されない環境を整備することと同時に,為替市場の急激な変動などの事態に際しては,思惑に対抗するため為替管理(経常取引を除く)などの実行も必要となろう。こうした実例は,前述したスイスや西ドイツの為替管理政策であり,53年11月のアメリカのドル防衛策であった。

また,一国だけの為替管理にも限度があり,IMF(国際通貨基金)の監視機能を高めるということも必要であろろ。要は経済政策の他の目標とバランスをとりつつ,フロート制のもつメリットを活かすよう努める必要がある。


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