昭和53年

年次経済報告

構造転換を進めつつある日本経済

昭和53年8月11日

経済企画庁


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むすび

(産業構造の新しい方向)

石油危機後,日本の産業は大きな試練に直面した。海外からの輸入原燃料に多く依存している産業はコスト高,収益減に悩むことになった。また,成長趨勢の鈍化と需要構造の変化により,主として設備投資に依存していた素材産業が打撃を受けた。中進国の追い上げにより影響を受けている低加工型産業もある。他方では,このような条件変化のなかで,消費・輸出に関連する高加工度産業と第三次産業,そして最近は公共事業に関連する産業も好調になりつつある。

ところで,明治以来の日本の産業発展を顧みると,その一つの特徴として輸出重視,輸入代替型のものであったことがあげられる。それは,自然資源の賦存が貧困でかつ遅れて近代化を開始した日本において,国民生活の向上を図るためには,輸入する資源代金を賄うための輸出というのは至上命令であったからである。そのため,輸出あるいは国産化によって輸入を節約する戦略的産業に対しては,人材,技術,資金が重点的に投入され,輸入はなるべく抑制する政策がとられてきた。ところで,これら戦略的産業は経済全体からみると一部であり,他の産業は効率化のテンポが相対的に遅れがちであった。かくして,高生産性部門と低生産性部門の併存という重層構造が形成された。

これは,それぞれの時期における発展戦略としては有効なやり方であったと思われる。そしてこのような努力にもかかわらず,我が国経済は長らく国際収支の天井に制約され,より一層の戦略的産業の発展が必要とされた。明治以来100年を経た昭和40年代になってようやく国際収支の天井を意識しないで経済運営ができるようになった。そして,その間我が国経済規模は大幅に拡大し,国民生活の水準もかつてははるかかなたにあった欧米水準に近づく一方,その過程で輸入制限措置も急速に取り払われ,輸出促進策も廃止されていった。

しかし,一旦形成された資源配分のパターンは簡単には変りえない。その後登場したニクソン・ショック,石油危機,円高といったインパクトに対して,効率化される部門はさらに効率化され,そのインパクトの及ばない部門や,インパクトに適応できなかった部門との格差がこの間に拡大しつつ対応がなされた。その結果,今では黒字が貯りすぎるという従来と逆の問題をかかえるに至ったのである。従って,今や,輸出志向型・垂直分業型産業構造に対して水平分業型産業構造をとり入れていくことが必要とされる時にきている。また,そのような過程で相対的に効率化の速かった資本財や耐久消費財などの分野からそれ以外の分野-住宅部門,サービス産業,社会的サービス等々-への資源配分をさらに進める必要があろう。

そして,現実にも円高や貿易摩擦といった国際的要因により,また,公共投資や社会保障の充実という政策的努力により,さらには石油危機後の環境変化に対する企業の自律的な対応により,このような方向への変化はすでに起こりつつある。しかし,国民のニーズはより多様化し,文化的に高度になってきており,そのすべてを市場メカニズムで満たすことはできない。この新しい方向への資源配分を効率性,公平性にも配慮しつつ,一層進めていく必要がある。

しかし,以上のようなことは日本経済の活力を殺ぐべきだという意味には決してならない。国民の福祉向上のために,あるいはエネルギー開発等日本にとって脆弱な分野強化のために,そしてもちろん輸入を賄うための輸出は確保するために,引き続き活力ある経済発展を続ける必要がある。そのためには研究開発などにも一層の資源投入が必要となろう。

最後に,雇用については,成長趨勢鈍化のなかで,その安定性の確保は重要な課題になりつつある。こうした課題に応えるためには,持続的成長の維持,上記のような資源配分の変更,教育訓練,時間短縮,定年年齢の延長等により雇用機会の増大を図る必要がある。

日本経済は,石油危機という未踏の経験の下で,それまでの高度成長からの転換というきわめて困難な課題に直面しつつ,国民の努力により徐々に解決に向かって進んでいる。その道は経済大国になったために,国際的な関連のなかで歩むという複雑さが付加されている。しかし,これまでに発揮されてきた国民の英知と努力は,この困難な課題を解決し,明るい未来を切り拓いていくことが期待される。


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