昭和53年

年次経済報告

構造転換を進めつつある日本経済

昭和53年8月11日

経済企画庁


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第4章 日本経済の構造変化

第1節 産業構造の特徴と石油危機後の変化

1. 重化学工業化と大きな業種間格差

我が国の産業は,1960年代には第二次産業が中心になって発展し,第一次産業のウエイトが急落し,第三次産業も相当に伸びるという姿であった( 第4-1-1表 )。この第二次産業の発展を支えたのはまさに重化学工業であった( 第4-1-2表 )。民間設備投資に主導され,臨海工業地帯が新たに立ち並び,新技術と大量生産方式で競争力の強い新製品を次々と生産し,国内需要も満たし,輸出も伸ばすといったことがその背景にあった。

ところで,我が国産業構造の第1の特徴は,先進諸国に比べて労働生産性格差が相対的に大きいことである。業種間に労働生産性格差が存在することは,それぞれの業種のもつ特性を考慮すれぼ当然のことであるが,日本の場合は,アメリカ,西ドイツに比べてもその差が大きい。すべての業種の労働生産性を生産額ベースで比較することには若干問題はあるものの,1970年についてみると,日本の業種別生産性の最高最低間格差は88倍であるが,西ドイツは41倍,アメリカは14倍というように,業種間の労働生産性の傾斜はアメリカ,西ドイツよりも急角度である( 第4-1-3図 )。

産業構造の第2の特徴は,上記のような1960年代の日本の産業発展を支えた重化学工業の生産性が高く,軽工業やサービス業,在来産業といった分野の生産性が低いことである。そのような傾向は多かれ少なかれアメリカ,西ドイツについてもみられるが,我が国の産業間格差は比較にならないほど大きい。そこに日本的産業の特質が現われている。

以上が石油危機前までの日本の産業の大まかな姿であるが,石油危機後どのような変化をみたであろうか。

2. 石油危機後の産業面の変化

(1) 石油価格高騰の影響

第1の要因である,石油を中心とする輸入素原材料価格の上昇は,世界の工業国に大きな影響を与えたが,その海外依存度の高い我が国工業が受けた影響は特に強烈であった( 第4-1-4図 )。

原油価格が短期間に4倍に高騰し,石油製品,電力,ガスの価格が高騰したほか,石炭価格も上昇するなど,エネルギー価格が上昇した。このエネルギー価格の上昇は,鉄鋼,基礎化学などのエネルギー多消費産業ほどより大きなコスト・アップ要因として働いた。産業連関表により原油等の投入原材料価格の上昇がコスト・アップ要因としてどのように働いたかを試算してみると,そのような姿が如実に窺われ,石油危機前のコスト上昇状況との差が歴然と現われている( 第4-1-5図 )。それに伴い製品価格の引上げが行われたが,それは需要の減退に直面して稼働率の低下をもたらし,企業収益の悪化に結びついた。

そのようなエネルギー多消費産業に対して,エネルギー依存度の低い精密機械,自動車,民生用電気機械などでは,当然のことながらそれによるコスト圧迫度合は小さく,むしろこれら産業は技術労働集約的であるだけに人件費等の上昇によるコスト上昇が,前記の石油,化学,鉄鋼などの素材産業よりも大きかった。

なお,ここで注目される他の側面は,民生用電気機器,自動車,金属製品,精密機械等多くの産業で石油関連以外の投入係数の変化がかなりのマイナスになっていることで,これは原材料消費の原単位が向上していることを意味している。これは企業の合理化努力や,製品構成の変化による原材料消費の減少の結果であって,原料輸入の減少,競争力の強化による輸出の増大など貿易面での特徴につながっている。

(2) 需要構造の変化

石油危機後の第2の大きな状況変化は,上記の要因もあって産業間の投入構造が変化したことに加え,かつての主導部門であった設備投資が相対的に縮小し,消費と輸出が大きくなったという需要構造の変化である。これは当然に産業別に異なった影響を及ぼす。

いま,産業連関表によって最終需要1単位の変化が誘発する生産額(実質)の変化を,昭和45年の場合を100として51年について産業別に示すと 第4-1-6図 のようになる。すなわち,その特徴は第1に,公益事業,商業,サービスのような第三次産業への需要が高まるようになっていること,第2に,輸送機械,電気機械や一般機械のような高加工度産業への需要の伸びが相対的に高いこと,第3に,第一次金属,窯業・土石製品,紙・パルプ,繊維といった素材産業への需要の伸びが相対的に低いことである。

素材産業は価格面からも需要面からもダブルパンチを食ったことになる。これに対して供給面からの適応が直ちに行われえず,需給ギャップに悩んだ姿は第2章で述べたとおりである。

(3) 中進国の追い上げ

これは石油危機後に限ったことではないが,我が国の産業構造に変化をもたらしつつある第3の要因は,中進国の工業化の進展によるキャッチ・アップ,いわゆる追い上げである。この10年間,中進国の輸出は急成長を示している( 第4-1-7図 )。

工業発展のパターンは労働集約的な軽工業から始まり,輸入の防あつ,輸出市場への登場という径路をたどり,それはやがて資本集約的な重化学工業へと広がってくる。中進国の追い上げを,我が国の軽工業品の主力輸出先であるアメリカ市場についてみると,1970年代に入って日本のシェアは急速に下がっている( 別表8 )。労働コストが左右する労働集約商品では賃金格差(例えば韓国,台湾は月額でみて日本の5分の1,1977年)がそのまま国際競争力の差に反映され,我が国軽工業の競争力の低下となっている。輸出市場での中進国製品との競合は,繊維,ゴム,合板,クリスマス電球のほか,最近では弦楽器,トランジスタ・ラジオ,テレビなどの高加工度製品へと広がってきている。また,これらの軽工業品は我が国市場にも入りつつあるが( 第4-1-8図 ),さらに電気部品,合成樹脂,工業薬品などにも及びつつある。こうした中進国工業の発展は,我が国からの繊維機械,工作機械など資本財のこれらの国向けの輸出や,我が国との資本,技術などの結びつきによるものが少なくない。

(4) 石油危機後の産業面の変化

以上は石油危機後に産業面の変化をもたらした主要因(円高,貿易摩擦の時期の前まで)をとりあげたのであるが,その結果はどのような姿になっているであろうか。

(第三次産業の増大)

第1は,1960年代の特徴であった第二次産業の相対的発展が止まり,第一次産業の減少テンポも下がり,第三次産業が相対的に拡大するようになったということである(前出 第4-1-1表 )。これは主として前記の需要構造の変化を反映したものである。

(高加工度産業の拡大)

第2は,製造業の内部では高加工度型産業が拡大していることである。いま,製造業を重化学工業と軽工業に分け,それぞれを素材型,加工型に分けて生産の動きを48年から52年までについてみると(第4-1-9票),重化学工業,軽工業とも素材型は生産のレベル及びそのウエイトが低下している。

石油危機後の相対価格構造,需要構造の変化が素材型産業により大きな打撃になったことは既にみた。それは特に重化学工業にとって強かったとみられる。軽工業の素材型産業に対しては,その他中進国の追い上げの影響もあろう。中進国の追い上げは,重化学工業,軽工業を通じて低加工型産業にも影響を及ぼしているとみられる。

他方,重化学工業における機械産業の伸びが目立ち,精密機械が69%もの伸びを示しているほか,船舶を除く輸送機械,電気機械がかなりの伸びを示している。これらは合理化努力とともに,輸出需要,国内消費需要に支えられたものとみられる。なお,軽工業の素材型と加工型に含まれている食料品が伸びているが,これはやはり消費需要の堅調によるものであろう。

かくして,それまで高まり続けていた重化学工業の比率は横這いに推移するようになったが,その中身に大きな変化が生じてきているわけである。

(重層構造の継続)

石油危機後の条件変化に対して,日本の産業はそれぞれの立場において適応への努力を払ってきた。加工型産業の合理化投資については第2章第3節でみたが,輸出産業についても第3章第1節で述べたような合理化努力があった。また,前出 第4-1-5図 にしめされるような原単位向上の努力もあった。そのようなことの結果,我が国の製造業の労働生産性の伸びは,石油危機後アメリカや西ドイツより高くなっているが,ことに精密機械,電気機械,自動車,鉄鋼などが高いのが目立っている( 第4-1-10図 )。まさにこれらは昭和51,52年の輸出を主導した諸産業である。

第4-1-9表 業種別生産構成比の推移

そこで,おそらくこれらの最近の輸出主導産業では生産性が上がり,そうでない産業の少なからぬ分野は国内での競争により効率化が進むにしても相対的には低いことになり,産業間の労働生産性格差は拡大こそすれ,縮小はしていないとみられる。事実,前掲 第4-1-3図 によって1970年と1976年(1970年価格)の労働生産性を比較すると,一般機械,電気機械,自動車などで相対生産性は上昇しており,衣服・身の回り品,商業,民間サービス,公共サービス,印刷・出版,製材・木製品など,第三次産業や在来型産業の相対生産性は下落している。また, 第4-1-10図 をみても,石油危機後,電気機械や精密機械,自動車等の労働生産性がアメリカや西ドイツに比しても高い上昇になっていることがわかる。

要するに,石油危機後の輸出産業中心の効率化努力などにより,我が国産業の重層構造的特徴は続いているといえよう。

3. 構造的不況業種の問題

このような石油危機後の産業構造の変化のなかで,目立っている問題のひとるはいわゆる構造的不況業種の問題である。

石油危機,戦後最大の不況と緩い景気回復の長期化,円高問題など苦悩の続く日本経済の中で,著しい過剰設備の顕在化,収益の大幅低下を示したのが,いわゆる構造的不況業種である。造船,塩化ビニル,化学肥料,アルミ製錬など主な構造的不況業種10業種の工業に占める比率は,従業者数,出荷額でそれぞれ11~12%(50年)に達する。ひとくちに構造的不況業種といっても業種間にかなり差異があり,その不況の原因にも相違があるが,共通している点は,需要を大幅に上回り短期的に解消することが困難な過剰設備の存在,それによる低稼働率と,極端な採算悪化企業が大勢を占めていることである。

50年春以降,鉱工業部門全体の生産が緩やかな回復傾向を示しているのとは対照的に,構造的不況業種の生産活動は一貫して低下を示している( 第4-1-11図 )。今回の不況過程におけるピークからの生産低下率は,造船,塩化ビニル,段ボール原紙,化学肥料などで大きく,アルミ製錬では生産の落ち込みは小さいが極端な低稼働率を続けている( 第4-1-12図 )。こうした生産の低下に加え,構造的不況業種の製品価格は,工業製品価格(平均)の低下を上回る値下がりとなり企業収益は一層悪化した。

もっとも業種別にみると,受注の減少,先行きの不透明感の強まりから深刻度を増しているもの,それとは逆に景気回復のなかで需要が増加してきているものなど差がみられる。造船では,受注の大幅減と手持工事量減少から深刻さが拡大し,52年には,中小造船所の経営の行き詰まりが表面化した。他方,著しい過剰能力に苦悩した平電炉産業では,依然として経営の著しい不安性が長期にわたり継続するおそれがあるものの,減量経営の推進と52年末以降の実需及び市況の回復で立ち直りを示し,企業収益は復調の方向を示し始めた。また,繊維,精糖などでも需給の改善から一時ほどの深刻さは薄れている。

このように構造的不況業種とよばれるものには差があるものの,その多くは石油危機後の経済環境の激変に供給構造が適応できないことに起因しており,問題解決は容易でない。こうしたことに対処する基本は企業の自助努力にあることは言うまでもないが,事態の変化があまりにも急激であったため,政府としても緊急避難対策として,当該業種における不安定要因を取り除き,今後の日本経済の健全な発展に資する見地より「特定不況産業安定臨時措置法」を第84国会に提出し成立をみた。これにより指定不況業種の過剰設備の廃棄,長期の格納,休止(廃棄に代るべき設備の生産能力の縮小の態様として妥当なものに限る)などが実施されることとなった。深刻な構造的不況業種を対象に法律的な裏付けのもとで産業調整が進められることとなったが,長期的な視点から我が国産業構造の中でのそれら業種の位置づけと,それらを含めた産業構造のあり方がいまこそ重視されなければならないだろう。

4. 新たな対応を迫られる農林漁業

(米は第二次過剰時代へ)

我が国農業は,拡大する農産物需要に応えて生産を着実に伸ばしてきたのであるが,50年代に入り総体としての自給率が低下傾向を示すなかで,米や果実の一部などで過剰傾向が強まるなど新たな問題が生じてきている。

農業の生産動向をみると,国民の食料消費構造が,でん粉質摂取の減少,たん白質,脂質摂取の増加といういわゆる高度化,多様化へと進むなかで,生産構造は畜産,野菜果樹など需要が増加した作目の選択的拡大は図られた一方,穀物については米を別として,麦類,大豆などの生産は大幅に減少した。

最近の食料消費は50年以降緩やかな回復傾向を示しているが,主食の中心である米の消費は依然として減少を続けている。一方米の生産は,51年産は異常気象により減産となったものの,50年,52年産は生産調整下にあって1,300万トンを超える豊作となった。このため米の供給は一層過剰基調を強め,53米穀年度末(53年10月末)の政府古米持越量は530万トン程度に達するものと見込まれ,米の需給均衡回復が国民経済的課題となった44~46年当時の状態に近づきつつある。

このように今日,再び米が過剰状態となったのは,米の消費量が引続き減少する一方で,生産技術の向上などから生産力が向上したことによるところが大きいが,生産者価格面においても,48,49年度と相当の引上げが行われ,生産意欲を高める方向に働いたこともひとつの要因にあげられる( 第4-1-13図 )。

米の需給均衡を達成しつつ,農業の総合的な自給力の向上を図るためには,長期的な視点に立って,需要の動向に即応した農業生産の再編成が必要である。

その一環として向こう10か年間にわたる水田利用再編対策が行われることになり,53年度から麦,大豆,飼料作物等増産の必要な農作物への転作が進められている。

しかし,麦,大豆,飼料作物等を農業経営内に組込んで定着させていくことは,経営規模の小さな農家等では容易ではなく,農業経営の発展を図ろうとする農家等へ土地利用の集積を進め,作付規模の拡大を図っていくことも必要であり,また,転作を進めることができるように土地基盤の整備を一層拡充する必要もある。

一方,従来,選択的拡大作物として順調に消費の増大した畜産物,果実等の消費の伸びはかなり緩やかなものとなり,価格上昇率はかなり低くなっている。また,牛肉などでは,生産,流通面での合理化が急がれており,日本農業は多面的な問題の解決を迫られている。

(農業労働力の流出鈍化と老齢化)

このような農業をめぐる内外条件の変化のなかで注目されるのが労働力の問題である。

我が国経済が高度成長から安定成長へ移行するなかで,非農林業部門への就業機会はこれまでに比べ狭まっており,農業就業人口の減少率は鈍化し,農業と非農業間の職業移動の結果をみても,51年,52年と農業からの純流出は著しく少なくなっている。

特に男子では,52年に34歳以下の層がそれまでの減少から増加に転じ,35~59歳層の減少人数も51,52年と極めて少なくなっている。出稼ぎ者数も農業を主とする49歳以下の男子を中心にかなり減少している。また,60歳以上層については,近年流入超過が続いていたが,最近では急増している( 第4-1-14表 )。若い農業者の増加は農業の担い手の確保という意味で評価されるが,高齢者の増加は農業構造の改善や農地の有効利用を進めるうえに問題がないわけではない。一方,35~59歳の中高年齢層の変化は量的には最も大きく,これらの層は,兼業機会の減少から農業によって就業と所得を確保する必要に迫られている。

農業はこれまで就業人口の減少に対して生産性の向上を図ることによって対応し,一人当たりの生産性,所得の増加を図ってきたが,今後その増加テンポは鈍化することも懸念される。農業で就業と所得を確保する機会は必ずしも大きなものではなく,従って,これらの問題は,我が国の産業構造における農業の位置づけを明らかにするなかで解決の期待される課題でもあり,こうした見地から長期的な産業,雇用政策の確立が望まれる。

(農業における新しい動き)

水田利用再編対策は,米作に適した我が国の自然条件,技術の平準化による米作の容易性や兼業農家の米作への特化などを考えると,米作農家にとって非常に厳しいものとなっている。

しかしながら,水田転作の拡大は,これを単に「米の減産対策」として後ろ向きにとらえるのではなく,農業生産の再編,個別農業経宮の発展の契機として前向きにとらえられるべきものである。

現に,今回の措置に先行するこれまでの稲作転換の過程で,米作単一経営から米プラス畜産,米プラス野菜などの経営の複合化を進めるなど,稲作転換を経営発展の契機としている例も少なくない。また,これらの中には,市町村,農協などの指導により個別経営を超えた地域規模で展開される例もみられ,新しい地域営農の確立,村づくりへと進展するものもある。

今後,このような対応をより促進し,その発展を確かなものとするため,土地基盤整備により水田の汎用性を高めること,転作作物の奨励措置,流通対策等その条件整備を進めることが必要であり,農業者はもとより,農協,農業改良普及組織,市町村等が一体となってこの課題に取り組むことが必要である。農林漁業は我が国の限られた国土資源,気候等の自然条件との係わり合いの中で展開されるものである以上,このような新しい対応の積重ねが必要であり,そのような動きを長期的な観点から育成することが重要である。

(林業生産活動の停滞)

我が国の林業をめぐる環境は,経済成長率の鈍化に伴う低調な木材需要や円高などの影響による木材価格の低迷が続いている一方,林業生産コストの上昇もあって厳しいものとなっている。

我が国の丸太生産量は42年をピークに漸減傾向にあり,国産材による木材自給率(用材)も40年の71%から51年の35%へと既に大幅に低下しているうえ,拡大造林など人口造林面積も近年急速に減少してきており(47年を100として51年は73。林野庁業務統計),また,間伐の実行も不十分な状況にある。

こうした林業生産活動の停滞がこのまま続くならば,林業は衰退し,森林施業・管理は粗放化することになる。その結果は,将来の木材供給を不安定なものにするばかりでなく,森林の持つ国土保全,水資源の涵養などの公益的機能の確保を危うくすることとなる。

森林・林業が多面的機能の発揮を通じて国民生活に果すべき重要な役割を十分担いうるよう,幅広い長期的視野に立った施策が必要となっている。

(新海洋秩序下の漁業)

我が国の漁業は,漁場の拡大により生産量の拡大するなかで,需要の根強さから魚価上昇も可能であるという市場環境に恵まれたことに加え,燃油等資材価格が石油危機に至るまで低位安定的に推移したことなどから順調に生産を発展させてきた。

しかし,48年の石油危機は資材価格の高騰をもたらし,また最近においては200海里という新しい海洋秩序の時代を迎え,魚場の狭あい化を余儀なくされ,我が国漁業をめぐる環境は大きく変化してきている。

新しい海洋秩序の下における我が国の漁獲量は,アメリカ,ソ連両水域を中心に急速に伸びてきていた遠洋漁業が52年には大幅に減少した反面,沿岸・沖合漁業が好漁に恵まれたことから全体としてはほぼ前年水準を維持した。

こうしたなかで,52年前半には漁獲量が減少し,全般的に魚価が急騰したことから,消費の伸びが鈍化した。その過程では価格の高い魚から安い魚への移行がみられ,また,魚介類の消費から価格の安定していた豚肉,鶏肉等に向かった面もあるとみられる( 第4-1-15図 )。

漁業経営面では,従来のように生産拡大の過程を通じてコスト上昇を吸収しうる余地が狭められている折柄,国民の水産物需要に応じて新たな漁業資源の開発や輸入の適切な活用,流通の合理化などにより安価かつ安定的に供給の増大を図っていくことが肝要である。