昭和50年

年次経済報告

新しい安定軌道をめざして

昭和50年8月8日

経済企画庁


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第II部 新しい安定経済への道

新しい均衡への課題

―むすび―

わが国経済を襲つた異常なインフレーションは,ようやく収束しつつある。これまでの総需要抑制策の堅持によつて直接原因であつた超過需要が解消し,その影響が浸透していつたからである。しかし,終戦直後の時期にも匹敵するほどのインフレーションを鎮めるには,当時が「安定恐慌」をもたらしたように,今回も大きい不況という代償を支払わねばならなかつた。それは,高度成長に慣れてきたわが国経済が,昭和49年度に戦後初のマイナス成長を経験するほどであつた。このインフレーションは世界的規模で起こり,またそれが不況を呼んだのが,今回の特色であつた。インフレーションの異常な加速化は,ブレトン・ウッズ体制が崩壊にひんして世界的に変動相場制ヘ移行する過渡期の混乱や,石油危機の発生に伴う原油価格高騰の影響といつた異例の事態のなかで起こつた。その背後には,世界的な景気上昇の同時化がインフレーションを加速し,自国資源の経済価値に目ざめた第3世界が資源の供給管理を強化するという,世界経済の構造変化が働いていた。しかし,インフレーションを抑える特効薬はない。発生した超過需要を解消させるため,各国とも伝統的手段である総需要抑制策を堅持したことが,世界的な異常インフレーションをともかく取り鎮めることに成功したのである。

そうしたなかで,不況が世界的規模で拡がつてきた。不況の直接的原因は,需要の著しい減退にあつたが,それは異常なインフレーションが,個人貯蓄を著しく高めて個人消費を停滞させ,また,インフレ心理を抬頭させて総需要抑制策を戦後もつともきびしいものにし,さらにそうした状況が世界的に同時化して世界貿易の縮小を招いた,ことに基づいている。今回の不況は,世界的に戦後最大であつたが,それはインフレーションに端を発した不況でインフレ的不況とも呼ぶべき異例のものであつた。インフレーションが呼んだ不況は,インフレーションをなくさないかぎり回復することができない。また,インフレーションがもたらした社会的不公正を改めることもできない。幸い,世界と日本は,昨年末以降こうした異常インフレーションの収束に成功しつつあり,それに伴つて景気浮揚策の幅を拡げ,不況もようやく底入れ段階を迎えている。

わが国では,本年1~3月期ごろに不況が底入れし,総需要抑制策も50年度初めには,ひとつの転機を迎えることができた。もつとも,インフレ収束過程で生じた著しい需要減退は,40年不況をこえる大きいデフレギャップをもたらして民間需要を沈滞させ,景気の自律回復力をかなり弱いものにして,景気浮揚策が必要となつている。50年に入つて政府は物価・賃金の安定に応じて財政を中心とした景気対策を実施し,公定歩合も相次いで引下げられたが,こうした政策の効果を通じて自律的な需要回復を補強しつつ,国内景気を着実な回復軌道へのせなければならない。こうしたなかで世界景気も,貿易依存度の低いアメリカのような大国の刺激策による景気浮揚を軸として世界貿易が回復し,それが貿易依存度の高い西ドイツなどの景気回復を促し,その影響が次第に波及し立直つていくことが期待される。

もつとも,今回の景気回復は,元きた道への復帰を意味しない。異常なインフレーションの背後に,わが国を取巻く内外経済環境の変貌があるからである。景気回復の過程で,異常なインフレーションの収束を確かなものとし,またインフレーションがもたらしたさまざまな後遺症を取除き,わが国経済が新しい内外環境に適応できる体制を整えていかねばならないのである。物価安定と景気浮揚の両立をはかることが,昭和50年度のわが国経済の基本的課題であるが,それには成長条件の変貌にこたえる長期的視野にたつた努力が,平行して進められなければならない。明日の日本経済は今日の一歩より始まるからである。

わが国の成長条件を変えつつある要因の第1は,世界経済における循環と成長のメカニズムの変化である。貿易・資本の自由化と資本移動の巨大化,先進諸国経済の等質化が進んだ結果,変動相場制移行の下でも,景気の上昇と下降の国際的同時化の可能性がある。それは,世界の景気循環の振幅を大きくし,インフレとデフレの加速化を通じて世界経済の成長を低める。こうしたなかで,景気循環の振幅をできるだけ小さくして世界経済の安定成長を実現するために先進大国間で国際的な金融協力を進めるとともに,わが国としてもみずからの経済の変動の少ない静かな成長軌道へのせるよう努力することが必要となつている。

第2は,石油など主要工業資源の安定供給がむずかしくなつてきたことである。それは,資源の物理的枯渇というよりも,資源を保有する開発途上国,いわゆる第3世界が,自国資源の温存とその輸出価格引上げをはかるために,資源の供給管理を強めつつあることに基づいている。こうしたなかで世界が,現在の産業構造を前提として,従来の消費テンポを続けると仮定した場合,資源を大量に消費するわが国は,1985年になると,世界の主要工業資源消費の2~3割を占めるようになるだるう。これは,資源の安定供給がむずかしくなつてきた新しい状況下では,世界の資源需給がわが国の高度成長によつてひつ迫し,資源価格の上昇を加速する可能性を生むことになる。したがつてわが国としては,エネルギーを含めた資源問題に関する国際協力体制の強化に貢献しつつ,世界の新しい資源環境に即応できる安定成長を実現し,また長期的視野から産業構造の省資源化やエネルギーの自給度向上に取組むことによつて,日本経済自身の安全保障を高めていく必要がある。

第3は,資源制約の下で,環境保全と両立できる経済成長を考えねばならないことである。こうしたなかで,現在の産業構造のままで環境保全をはかろうとすれば,公害防除投資の増加が能力拡張投資を抑え,潜在成長力を低下させてしまう。ここで従来通りの需要増大が続けば,物価安定はむずかしくなる。したがつて,輸出構造を現在の資源消費型から知識集約型に変え,輸入構造においても工業資源から製品への転換を進めて,国際分業の高度化をはかりつつ,産業構造の省資源化を進める必要がある。また,福祉充実についても,社会保障,公共施設を増大する一方,高度成長の過程で生ずる公害を防除するため後追い的資源配分もふやすという,高度成長型の福祉供給から,新しい環境にふさわしい安定成長型の福祉供給へ切替えることが必要である。それは,経済成長が低まつて,環境改善のための資源配分効果が高まることのほか,上記の貨幣的福祉については社会的公正の視点から重要度に応じた実現をはかることを意味する。

第4は,戦後技術体系の総点検を通じて,安全性を重視し,また省資源・エネルギー自給化を進めるための,新しい技術の選択が求められていることである。それは,社会的ニーズの変化にこたえるための,戦後技術体系の再編成を意味している。効率性と規模の利益を追求してきたこれまでの技術体系でともすれば見失われがちであつた人命・環境と経済の安全保障を重視していくことは,新しい技術選択がより高価につき,また,事前評価や研究開発の要素が強まることによつて工業化により時間がかかることを意味している。それは,従来に比べて労働生産性の成長テンポが小さくなり,投資コストもかかつて物価安定への配慮が一層求められることになる。

第5は,世界の食糧需給の基調が変化するなかで,わが国農業が見直されつつあることである。今後,世界的な食糧の需給ひつ迫を避けるためには,食糧輸出国等における生産増加への努力や,開発途上諸国における食糧増産についての自助努力に待つべき面が大きいと考えられるが,わが国としても国内における食糧自給力の維持向上に努めるとともに,安定的な輸入の確保が必要であろう。こうしたなかで,わが国農業への資源配分の適正化について改めて検討する必要が生じつつある。反面,農業への資源配分をふやすことは国民経済的コストを高めるという形で日本経済の成長軌道に影響を及ぼす可能性があるので,今後の安定成長の下でわが国農業の生産力拡充をはかるためには,農業の合理的な位置づけについて考えていくことが必要であろう。

こうした成長条件の変貌に対応していくことが,これからのわが国経済の長期的課題である。それは,高度成長の条件が失われても,その慣性が経済社会の諸制度や各階層の行動に根強く残つているかぎり,決して容易ではない。新しい環境への適応が円滑にいかないと,潜在的な経済力を活かすことができず,かえつて,コスト・インフレーションや財政硬直化,雇用問題などの諸問題を提起するからである。

こうしたなかで,日本経済を安定成長の新しい軌道に定着させていくためには,次の諸点が重要である。

第1は,物価安定,国際収支均衡,福祉充実の三大目標を同時達成するための経済運営である。物価安定についてると,減速過程で生じ易い物価上昇を避けるためには,適切な需要管理によつて景気の波を小さくしつつ需給の均衡をはかり,まだ独禁法の運用強化や輸入政策などの活用による競争促進策,労使の自主的協調などをはからなければならない。

また対外面についてみると,一方で国際分葉の高度化をはかるとともに,他方では高価格原油下での国際収支目標をどこにおくかを考えていかなければならない。石油危機以後,産油国が大幅黒字でその他はすべて大幅赤字という従来と異なるパターンに変貌して,国際収支の新しい均衡の目標が問われている。こうしたなかで,国際収支上の問題を解決するためにはまず,産油国がオイルマネーの長期的運用やオイル・ファシリティなど国際機関への貸付や拠出の拡大により,また先進工業国も国際協力によつて,商業べースの国際短期金融市場だけではむずかしい国際還流を容易にすることである。また,オイルマネーの累積による巨額の短資が撹乱的に移動するのを防ぐ国際金融協力が必要である。さらに,先進工業国がインフレーションの再燃を防止することによつて,産油国の輸出価格安定に貢献し,インフレーションと石油価格上昇の悪循環からくる国際収支上の混乱を避けるようにすることである。こうした条件づくりのために,先進工業国と,産油国の国際協力がぜひとも必要であり,資源に乏しい経済大国日本がそのなかで果たすべき重要性は大きい。

さらに福祉充実のためには,減速過程での税収鈍化と福祉充実のかい離から生ずる財政硬直化,財政危機を打開することである。そのためには,物価安定が大前提となるが,さらに長期的財政運営の視点から,財政支出の効率化をはかり,福祉充実に見合う負担の適正化や安定的な歳入構造にするための税制の再検討を進め,また,金利の弾力化を通じて財政と金融の両面から景気調整機能を高めていく必要がある。

こうした経済運営は容易ではない。しかし,例えば西ドイツ経済のように,1960年代からの減速過程でこのような経済運営に成功した国もある。それには,物価安定,完全雇用,対外均衡を「魔法の正三角形」と称して努力した西ドイツの経済運営のように,すべての目標実現がバランスのとれたものとなること,またできるだけ価格機能の活用と負担の公平をはかること,景気調節のタイミングを誤らないこと,を必要とする。これら諸目標を実現するための政策手段の効果が,相互に影響し合う関係にあるからである。

第2は,安定成長を支える経済構造を展望しそれへの接近をはかることである。経済成長の起点となる個人貯蓄は,これまで生産力の増強に向けられてきた。しかし,わが国の国際的にも高い個人貯蓄性向の背景に,住宅の充実や老後の豊かさを求める意欲が強く,また最近ではインフレーションと不況に対する生活防衛がそれを強めていることを考えねばならない。

こうした豊かさへの希望を実現するためには,物価安定を前提としつつ,従来の投資配分を住宅・生活環境や老後の保障に向け,あるいは成長条件の変貌に対応して国際分業高度化や農業生産力向上のための諸条件の整備に活用するとともに,そうした経済環境の改善に見合つて負担の公平化を強めていくことが必要である。それは,貯蓄と投資を新しい方向にそつて均衡させ,不況を避けつつ,前述の三大目標の実現を保障し,わが国経済の諸条件に即応した安定成長の実現を可能にするであろう。

第3は,経済と社会の対話である。福祉充実は物質的豊かさのみにあるのではない。福祉の主要な内容となる社会的公正や生活の質は,経済問題であると同時に,人間性豊かな社会を実現しようとする人々の願いに基礎を置いているからである。福祉充実のための負担の公平,コスト・インフレーションの阻止や雇用の安定をはかろうとする労使協調も,相互信頼のできる社会環境から生まれるからである。この意味において,安定成長下の福祉充実のためには,政府の果たすべき役割が大きくなるのは当然であるが,それと同時に,消費者も,地域住民も,各種利害団体も,企業も,労働者も,農民も,それぞれの立場で個人や集団のもつ社会性に目ざめることが必要であり,そうした努力を重ねてこそ福祉の経済基盤も高められる。高度成長時代の福祉充実は「あれも,これも」であつたが,安定成長時代のそれは「あれか,これか」の選択になる。その実現のためには経済と社会の対話がなければならないが,それを通じて真の豊かさが生まれるとすれば,それこそ名実ともに福祉が充実する基礎となる。高度成長から安定成長への転換を必要としているいまこそ,真の福祉充実を指向すべきときである。

異常なインフレーションとその収束は,世界と日本の戦後4分の1世紀の時代が終わりを告げつつあることを物語つている。新しい時代への薄明のなかで,試練に耐えつつ明日の真に豊かな社会をめざさねばならないときである。


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