昭和50年

年次経済報告

新しい安定軌道をめざして

昭和50年8月8日

経済企画庁


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第I部 インフレと不況の克服

第2章 高価格原油への対応

3. わが国の国際収支の改善

世界経済が高価格原油ヘ対応していくなかで,日本経済は前述第1章でみたような対応をしたわけだがそれは,わが国の国際収支面にどのような姿で現れたであろうか。

(1) 石油赤字の吸収

(貿易収支の改善要因)

わが国の石油支払代金は,原油価格の高騰によつて,原油輸入量が前年並みとした場合,1974年中に137億ドル増加した(以下,便宜上,石油支払代金増加分を石油赤字,また,経常収支から石油支払代金増加分を差引いたものを非石油収支と呼ぶ)。それまで黒字基調にあつた貿易収支が,74年1~3月期に赤字ヘ転落したのは,その現れであつた。しかし,4~6月期には再び均衡を取戻しその後は期を追つて黒字幅を拡大するに至つた。いまこのような貿易収支の改善要因を分析するために,輸入価格の上昇に伴う輸入増加額が,輸出価格上昇,輸出数量増加及び輸入数量の減少の3つの要因によつて,どのように相殺されていつたかをみておこう( 第63図 , 付図2 参照)。輸入価格上昇による輸入増加額には原油以外の値上がりも含まれているが,74年1~3月期から75年4~6月期の期間をとると原油の値上がりによる分が四半期平均で約3分の2を占めており,輸入価格上昇による輸入増加額のピークは74年10~12月期であつた。その時期にはまた原油支払増もピークに達した。こうした輸入増加額(これを100とおく)を相殺していつた上記三要因の寄与率をみると,7~9月期までは輸出価格上昇がもつとも大きかつた。それが弱まると輸出量増加の影響が強まり,さらに75年に入ると輸入量減少の影響が強まつて,4~5月には輸出量増加より寄与率が大きくなつた。前半における輸出価格上昇は世界景気後退の影響がまだ貿易面にあまり及ばなかつたことを示している。とりわけ,1973年にみられた世界的な基礎資材の需給ひつ迫が,74年にもなお続いたことが影響している。それは74年のわが国の輸出増加(名目)のうちその30%が鉄鋼,また12%が化学製品で説明され,かつこの2品目の輸出単価(ドル建て)の上昇率が鉄鋼で58%,化学製品で89%と全体の単価の上昇率(28%)を2~3倍上回つていたことに示されている。

輸出単価の上昇のあと輸出量の増加が続いたが,これは産油国向けのほかに1972~74年央の一次産品価格高騰で外貨が潤たくになつていた一次産品輸出国と共産圏向けの輸出量が74年中も伸び続けたからである( 第64表 )。74年の世界輸入量の伸びは,先進工業国の増大によつて説明されるというよりは,一次産品輸出国(先進,後進,産油国を含む)と共産圏の輸入増大によるものであつた。なお,74年に円の対ドルレートが前年比7.4%下がつたことも,わが国の輸出数量の伸びに有利に作用したとみられる。ところがそのような輸出の伸びも74年の末から,75年の初めにかけては鈍化し始め,前期比でみると減少に転じた。これはOECD先進工業国の景気後退が秋以降同時的に深刻化し,貿易収支は石油赤字を上回つて大幅に改善した結果,上にのべたような一次産品輸出国(産油国を除く)と共産圏の外貨事情が悪化し始めたからである。加えて,これらの国では,一次産品価格は下落し始め他方では先進国のインフレで高騰した資本財と消費財を購入しなければならなかつたことが,外貨事情の悪化に拍車をかけた。その結果,これら一次産品国と共産圏は輸入を減少させざるをえなくなつた。産油国の輸入は伸び続けたが,それはもはや先進工業国の非石油一次産品国と共産圏向けの輸出減退を相殺することはできなかつた。

こうして1974年の末から75年の初めにかけて世界貿易に縮小傾向が現れ,輸出価格の上昇鈍化と輸出量の減少となつて現われた( 第65図 )。この世界貿易の縮少傾向が,これまでのわが国の景気後退期と回復初期における貿易環境とは決定的に異なつている。これまでは景気後退期と回復期を通じてわが国の輸出数量は一貫して増大し続けたのに対し,今回の場合は景気後退の前半では伸び続けた輸出数量が景気後退の末期になると減少し始めたからである。まず74年中は内需の停滞が著しくかつ既述のように輸出単価が国内物価以上に上昇したから,輸出需要の内需に対する割合は,74年10月~12月期には,16.2%と,かつての景気後退期のピーク(71年4~6月13.6%,66年1~3月12.3%)を大幅に上回つた。このように数量,価額の両面で大きな下支えとなつた輸出が上記の理由で減衰し始めたのである。こうして輸出は,かつての景気後期や回復期には後退期間を短くし,回復テンポを速める働きをしたが,今回は後退の長期化と回復テンポを遅らせる働きをしている。このような影響は,西ドイツのように輸出依存度(23%)の高い国の景気回復を遅らせる働きを強めているが,アメリカのように内需依存度(93%)の高い国の回復にはあまりマイナスには働かない。わが国の場合(1974年の輸出依存度12%,名目)はその中間に位置するといえよう。もつとも,日本経済も,すでに第1章でのべたように,年度下期には景気後退が強まつて,輸入量の減少が大きくなつたため,貿易収支は引続き大きい黒字を維持している。こうして,景気回復も比較的早くかつ世界経済の縮小傾向を逆転させる国はアメリカであり,現にアメリカの景気回復は本年後半には期待されるようになつている。

(石油赤字吸収の国際比較)

こうした貿易収支の改善を国際的にながめてみよう。石油危機後の国際収支パターンの急変はすでにのべたように,原油価格の高騰によるものであつた。したがつて,石油消費国が貿易収支を改善するためには,OPEC諸国(石油輸出国)あるいは共産圏諸国(石油自給国)との間の貿易収支を改善するか,それとも石油消費国のなかで赤字を負担し合うか,しかない。前者であれば石油消費国全体の赤字か縮小することになるが,後者だと石油消費国全体の赤字は変わらず,赤字をより多く負担する国は困難が増すことになる。こうした視点から,主要先進国の貿易収支改善の状況をみておこう。石油代金増加額を非石油収支の余剰で支払えるかどうかについては,すでに第1節(1)でのべた。西ドイツは当初から支払いが可能であつたが,その後,日本,アメリカ,フランスも次第に支払事情が好転していつた。いま,これら主要国について,非石油収支の地域別改善パターンを検討しよう。第1は石油輸出国に対して改善した国である。フランスは特に目立つているが,アメリカもその寄与率は6割にのぼつている。第2は他の石油消費国に対して改善した国である。西ドイツにおける改善の約7割は他の石油消費国に対するものであり,そのうち大半は他の先進国との間であつた。第3は石油輸出国及び石油自給国と石油消費国の双方において改善した国である。日本の改善寄与率は,双方ともほぼ半々ずつであつた。もつとも,石油消費国のなかにおける改善は,西ドイツと違つて,開発途上国の割合が大きい( 第66図 )。

石油輸出国または石油自給国に対する非石油収支の改善は1975年になつても続いている。しかし,石油消費国のなかでの改善には限度があつた。それは,全体の赤字額があまり変わらないから,ある国の改善は他の諸国の赤字負担を大きくし,それら諸国は引締め政策などによる輸入減少によつてしか貿易収支を改善できなくなり,結局は改善国の輸出を停滞させてしまうからである。こうした形での石油消費国のなかの石油赤字への対応は,物価対策等を主眼とした引締め効果ともあいまつて,前述のように世界貿易を停滞させることになつた。

(2) 資本移動の特色

(長期資本の流れ)

わが国の資本の移動は,1974年に入つて大きな変化を示した。73年1~3月期までは,経常収支黒字,長期資本収支流出というパターンをとつてきた。しかし,その期を境に変動相場制移行,国内におけるインフレーションの進行,原油価格の高騰が次々に影響して,経常収支が赤字へ転換したことから,73年末から74年には長期資本収支の純流出に対する政策環境が次第に変化した。ひとつは,それまでの本邦資本の流出促進からその手直しヘ転じたことである。不動産業,サービス業への直接投資や対外証券投資の流出抑制があげられる。2つは,外国資本流入規制の緩和である。非居住者の本邦株式,債券取得規制の撤廃などであり,総需要抑制策の効果が浸透するに伴つてインパクト・ローンの導入緩和も行なわれるようになつた。こうしたなかで,74年秋以降,海外金利が低下して内外金利差が生じたこともあり,非居住者の本邦債券の取得が活発化し,75年1月~5月には債券投資の買越しが4.7億ドルとなつた。また非居住者の株式投資の買越しも同じ期間に5.1億ドルに達した。

以上の動きを長期資本収支の推移としてみると,74年に入ると期を追つて,本邦資本の純流出幅縮小と外国資本の純流入への転換とその幅の拡大が目立ち75年1~3月期には長期資本収支としても純流入を示すに至つた( 第67図 )。

以上の動きは,開発途上国への資本の流れにも反映した。民間ベースについてみると,直接投資,輸出信用の減少を主因に,73年の3,654百万ドルから74年には1,047百万ドルに激減した。もつとも,輸出信用については,船舶の延払いがユーロ市場で調達したドルによる支払いに切換えられたことなどが大きい。こうした結果,開発途上国への資金の流れの総額は,対GNP比で,73年の1.44%から74年は0.65%へ低下した。しかし,政府開発援助資金は,73年の1,011百万ドル(対GNP0.25%)に対し74年1,126百万ドル(対GNP0.25%)と若干ながら増加した。

原油価格の高騰は,わが国の長期資本の流れを大きく変え,開発途上国に対する経済協力についても質の充実をより強化するなど新しい取組みを必要としつつある。

(短期資本の流れ)

1974年上期中のわが国の総合収支赤字は72億ドルにのぼり,石油代金決済に必要な資金は,すでに第1節(3)でのべたように,為替銀行によつてユーロ市場やアメリカの銀行からの外貨の借入れでまかなわれた。こうして,わが国の為替銀行による対外短期負債増加は同期間中に94億ドルに達した。これは,主として為替銀行から本邦企業に輸入ユーザンスの形で貸付けられたため,為替市場でのドル買い圧力はあまり生じなかつた。そのうえ,インパクト・ローン,輸出前受金の流入規制等の緩和措置などにより,為替市場の需給がやや緩和したことなどから,円相場は1月央の対ドル300円から3~6月には280円前後にまで上昇した( 第68図 )。その後,上記本邦企業のユーザンス借入れの決済が増大し,ユーロ市場の信用不安などから,短期資金の取入れが十分に行なえなくなつたため,円相場は74年下期になつて再び300円前後に下落した。しかし,この間,総合収支の改善が進み(季節調整値で74年4~9月約35億ドル赤字から74年10月~75年3月には2.9億ドル黒字ヘ),75年に入ると円相場はそうした国際収支の実勢等を映じて6月末まではほぼ290円台で推移した。

世界経済が新しい均衡への模索を始めているなかで,わが国は,国内経済の異常なインフレーションを収束させるとともに,国際収支面でも石油赤字を吸収しつつある。今後わが国としては,こうしたみずからの対応の成果をふまえつつ,世界経済の新しい均衡への努力に貢献し,また,そのなかで日本経済の安定成長の道を求めていかなけれげならない。