昭和50年

年次経済報告

新しい安定軌道をめざして

昭和50年8月8日

経済企画庁


[前節] [目次] [年次リスト]

第I部 インフレと不況の克服

第1章 異常インフレの収束と課題

6. 経済の現局面と課題

(1) 景気底入れとその要因

49年1~3月期から始まつた不況過程は,1年余を経た50年1~3月期になつて,おおむね底入れした。増勢を続けてきた鉱工業製品在庫が1月から減少傾向に軽じ,出荷は2月から,生産も3月から上向き始めた。

それでは,不況底入れの要因はなにか。

第1は在庫調整の一巡である。在庫調整が始まると,最終需要が増加していても,在庫投資の底下というマイナスの需要が生ずるので,GNPの増加は抑えられる。在庫投資,つまり在庫残高の増加分は,国民経済的にみると需要を表わしている。その実態は企業間取引であつて,最終消費ではない。前者が在庫投資であり,後者が最終需要で,その合計がGNPで表わされる。不況過程は,こうした企業間取引の縮小を中心に進行する。この過程は,戦後不況期を通じ,3ないし4四半期で一巡しているが,今回も,49年7~9月期から始まつて3四半期目の50年1~3月期にはおおむね一巡したとみられる。その規模は,在庫調整期間中のGNPを4.2%押し下げ,戦後不況期としては37年不況に次ぐ大きさとなつた( 第50図 )。このため,最終需要は4%の増加寄与を示していたものの,それを打消して,実質GNPは0.2%減少した。しかし,企業間取引の縮小にも限界があるわけで,やがてこの過程が止まり,あるいは縮小テンポが鈍る状況が生まれてくる。こうして,いままでのマイナス需要の拡大がなくなると,かくれていた最終需要の増加が表面化して,実質GNPを逆に押し上げるようになつてくる。前述した出荷や生産などの動きは,このような状況が生まれたことを物語つている。

こうした企業間取引の縮小の実態は個別業種により異なつている。

例えば,最終需要財についてみると,テレビの場合,消費需要→販売業者在庫増→メーカー出荷減→メーカー在庫増→メーカー減産という形で調整過程が波及し,本年1~3月期までにほぼ調整が一巡している。また,合繊織物の場合にも,当初2次製品メーカーの原材料在庫増として現れた需要減退の影響は,やがて織物メーカーの製品在庫増へ波及したのち,その減産強化により調整は終わりに近づいている。一方,生産財についてはやや遅れ,普通鋼鋼材をとつてみると,総じて機械メーカーの原材料在庫調整は一巡したとみられるものの,販売業者やメーカー在庫は,本年4~6月期以降に,なお調整の余地を残している( 第51図 )。

このような状況が続いていけば,やがて在庫投資減少幅は縮小して,そのマイナスの効果は薄れ,また在庫ストックも正常水準に近づいて,この過程は一巡する。業種によつて差はあるものの,おおむね50年1~3月期にはめどがついてきたといえよう。

第52図 産業別資金需要の推移

第2は,自律的な金融緩和の進展である。製造業大企業の資金需要を,加工部門と素材部門に分けてみると,大勢としては,前者は49年10~12月期から後者は50年1~3月期から,それぞれ減少ヘ転じている( 第52図 )。大幅な在庫調整の進展につれて,企業の資金需要が減退していつたことを示している。また,企業収益の低下を映じた法人税納付額の減少などにより,49年12月以降は財政からの法人の受取超過が大幅となつたことも,企業の資金繰り緩和の一因であつた( 第53図 )。こうしたなかで,金融引締めの開始以来低下傾向を続けてきた企業の手元流動性比率(現預金等の金融機関借入金に対する比率)は,ようやく下止まり,50年に入ると上昇に転じた( 第54図 )。

第3は,49年度下期における財政支出の増加である。総需要抑制策の下で,49年10~12月期までは契約率の抑制を続けたにもかかわらず,結果的に下期の支出を大きくしたのは,人件費等を中心とした補正予算の影響などによるものである。また,50年2,3月には公共事業費の年度内消化促進措置や住宅金融公庫の貸付規模の拡大などの不況対策を実施した。在庫調整期間中に財政支出が全くふえなかつたとしたら,この間の最終需要は前述した4%でなく,2.6%の増加にとどまり,在庫調整によるマイナス需要4.2%を相殺することはできなかつたし,そうなれば,在庫調整はまだ終わらなかつたであろう(前掲 第50図 )。

(2) 自律回復力の展望

それでは,底入れ後の回復の動きはどうか。

第1に,在庫調整期間中の最終需要の伸びが,過去のいずれの不況期より小さいことである(前掲 第50図 )。これは,個人消費の停滞や民間設備投資の減少によるところが大きい(前出第4,5節)。輸出も,世界景気の後退を映じて,50年1~3月期から減少している(前掲 第2表 )。第2に,在庫調整一巡後に,個人消費,民間設備投資などの諸指標で,さらに足踏みする動きがみられ,また,商品市況も2月から反騰に転じたものの5月ごろには小反落していることである。

こうした事情からいえば,今回の自律回復力は,過去に比べて鈍いといえよう。しかし,ここで次の諸点に留意する必要がある。第1は,景気対策と公定歩合引下げの効果である。これまでの措置によつて,公共事業費は,49年度下期から50年度上期へかけて,かなり増加しつつあり,民間住宅投資も,財投資金や民間住宅ローンの増加によつて本年2月から増勢ヘ転じている。公定歩合も引下げられた。だが,在庫投資,設備投資などに対する政策の波及効果はすぐには現れず,かなり遅れて表面化してくることである。これらの効果はむしろ今後に期待され,50年度下期には大きくなるだろう( 付図1 参照)。

第2は,個人消費の回復の問題である。百貨店販売額が,前年同期比で,本年1~3月期の16.1%増から4月13.9%,5月12.1%,と停滞したこと。また,本年度のなだらかな賃金決定がそれに影響していることを重視すれば,消費の回復は期待できないとも考えられる。しかし,すでに第4節でのべたように,今回の消費停滞の主因は,インフレーションに基づく消費性向の著しい低下にあつた。したがつて,インフレーションが収束すれば,個人消費は次第に回復する可能性をもつている。事実,消費者物価の落着きに伴い,本年1~3月期になつて,低・中所得階層の消費性向はかなりの上昇を示しており,これが1~3月期における実質消費支出増加の背景をなしている。今後,消費者物価が安定してくれば,個人消費の回復は確実になつてこよう。第3は,民間設備投資の回復である。すでに第5節でのべたように,現在の大きいデフレギャップの下では,民間設備投資は従来のようには回復しないにしても,個人消費が確実な回復を示すようになれば,非製造業や中小企業製造業の投資は大企業製造業よりは早く上向くであろう。また,電力など基礎産業を中心に非製造業大企業の投資も49年度下期から徐々に増加している(前掲 第42表 )。製造業大企業でも,公害防止投資の比重が大きいこともあつて,鉄鋼,石油精製の投資計画は49年度から50年度へかけて,かなり増加している。不況対策による公害防止投資の促進措置は,これを確実にするだろう。以上の諸事情を考えれば,最終需要の伸びは過去より低くとも,今後は,それを徐々に高めていくことが期待できよう。また,世界景気も,アメリカが最近底入れしつつあるなど,全体としても本年下期中には回復へ向かうものとみられている。わが国の輸出は,世界景気後退の影響と,昨年輸出先現地の在庫積増しが大きかつた反動もあつて,現在なお減少傾向にあるがやがて現地の在庫調整が終わり,世界景気の回復に伴つてその影響もでてくるとすれば,本年度下期以降徐々に回復することが期待される。

最後に,調整一巡後の在庫投資の動向についてみよう。今回の特徴のひとつは,在庫調整の期間は過去とあまり違つていないものの,調整一巡後の回復力については,過去の同局面に比べると在庫ストックの水準が相対的に高いことから,今回はかなり弱いとみられることである。しかし最終需要が着実な回復を示すようになれば,その影響をうけて在庫投資もゆるやかに回復するものと期待できる。

今回の自律回復力は弱いが,インフレーションの収束を見きわめながらの漸進的な不況対策によつて,次第にその回復を確かなものにしていく環境にあるといえよう。

(3) 安定成長への道

今回のインフレーションは,49年度中の不況過程を通じて,収束過程に入つた。50年度は,それを確実にする一方,異常なインフレーションが家計,企業,政府に残したさまざまな後遺症を取り除いていく年である。それだけに,物価安定と景気浮揚の同時達成を基本課題としなければならない。もつとも,これは必ずしも容易ではない。両者の間には二律背反の側面があるからである。すでに第5節でのべたように,インフレーションの収束は,企業収益の低下をもたらした。だがこれは,インフレーションによる債務者利得のつけが企業に回つてきたことを意味する。それを製品価格の引上げで補おうとすれば,インフレを再燃させるおそれがでてくる。物価に対する寛容は,インフレーションへの道に通じているといえよう。そうなれば結局,総需要抑制策によつて,景気も挫折してしまうだろう。

第55表 増産と企業収益,コストの関係(製造業)

それでは,物価安定と景気浮揚を同時に達成する道はあるだろうか。いま,生産増加で設備稼働率が上昇した場合,売上高純利益率が製造業平均でどれ位回復するかを試算してみると,生産増加20%で純利益率は0.3%から4.0%に改善される。それは,人件費,減価償却費,金融費用のコストが低下するためである( 第55表 )。一方生産増加が5%でも,製品価格が10%上昇すれげ,純利益率は8.0%と大幅に改善される。しかし,ある企業の製品価格引上げが,他の企業の投入価格を10%上昇させるとすれば,結局,純利益率は3.4%に落着くこととなる( 第56表 )。企業の立場としては,価格引上げをはかる方が安易な収益改善の方法であろうが,それは,経済全体としてみるとき,再びインフレーションへの道を選ぶことになる。このような事情を考えると,できるだけ価格効果に頼らず,地道に生産増加をはかる方が結局,長期的にみて,利益を高めるといえよう。もつとも,景気回復テンポがゆるやかだと,すぐに大きい生産増加を期待することはできないだろう。現在,ほとんどの企業が赤字に陥つているのであれば,生産水準が高まつてくるまで待てないかもしれないが,50年1~3月期の設備稼働率と製品価格,投入価格の水準を前提としても,売上高純利益率は必ずしもすべての業種でマイナスに転じているわけではない( 第57表 )。企業合理化や貸出金利低下の効果を織込みながら,生産水準の回復を通じて,収益改善をはかつていくことが,物価安定と景気浮揚を両立させる最善の道である。なぜなら,物価が安定してくれば,個人消費も次第に回復してくるし,不況対策の効果もやがて現れ,景気は次第に好転する方向にあるからである。それに,企業合理化で雇用が仮に問題になつたとしても,物価が安定していれば,政策選択の幅は大きい。また,当面の企業経営は苦しくとも,現在の企業努力は着実な景気回復のなかで先ヘ行つて大きくむくわれることにもなる。

一方,卸売物価が落着いていても,消費者物価の安定を疑う向きがある。だが,両物価の間には第2節でのべたように,深いかかわりがある。本年5月の消費者物価の前年同月比,上昇率は14.1%であつたが,そのうち8.3%は卸売物価関連品目の上昇である。公共料金を含むサービス関連の上昇は5.8%に過ぎない。したがつて,卸売物価が落着けば,消費者物価の上昇率を1桁に戻すことは十分可能である。6月の卸売物価が前年同比2.2%の上昇にとどまつていることを考えると,卸売物価鎮静の影響は,現状ではまだ消費者物価の関連品目の動きに十分反映されていないとみられるからである。したがつて今後,海外物価,特に石油価格の動向や気象条件については十分に留意しなければならないが,なだらかな賃金決定の影響がこうした卸売物価の落着きに加わり,また公共料金についても物価動向や事業主体の財務事情等を十分考慮して慎重に対処していけば,消費者物価は,漸次安定化の方向をたどることができょう。

経済の現局面は,インフレーションから日本経済を救い出して,安定成長の軌道にのせていく過程にある。それには,より長期的な視野から,内外環境の変貌に即応できる新しい経済構造をつくり上げていくという問題に取組まねばならない。したがつて,当面する短期的課題の解決も,従来の延長線上で考えるべきではない。むしろそれが,長期的対策の一里塚となるよう手段を選択し,安定成長を実現するための政策運営を展開していく必要がある。例えば物価安定には競争政策や輸入政策などの活用,さらには労使の自主的な協調を,景気浮揚のための需要追加には国民的ニーズへの対応の視点を,また,当面の財政危機については,まず,財政硬直化の打開と長期的財政運営の方策を,金利については社会的公正と資源配分機能の両立を,といつた長期的対策への布石を忘れてはならない。明日の日本経済は,今日の一歩より始まるからである。