昭和49年

年次経済報告

成長経済を超えて

昭和49年8月9日

経済企画庁


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第1部 昭和48年度の日本経済

2. 物価急騰の要因と影響

(3) 物価急騰の影響

a. 家計への影響

今回の物価急騰は,日本経済の各分野にさまざまな悪影響を及ぼした。まず,家計からみてみよう。家計部門は,フロー面では,消費者物価の急騰による実質賃金や実質の公的扶助支出の低下を通じて,またストック面では,債権超過部門であるため金融資産の減価を通じて,インフレーションの不利益を被る立場にある。さらに,階層別にみると,すでに述べたように,物価の急騰は所得の低い層により大きな影響を及ぼした。いま,所得階層別の支出の動きを通じてみると,所得の高い階層では生活必需支出はもちろん,随意的支出でもあまり影響がなく,実質支出は前年より増加を続けている。しかし,所得の低い階層になると,49年に入つて生活必需支出においても実質支出の減少が生じている( 第I-2-14図 )。

このように,物価急騰は所得階層間の不公平を表面化させたが,これは,フローとしての名目所得の水準が異なるうえ資産蓄積の程度や資産運用の機会にも格差があるからである。物価の急騰に直面しても,高所得層では資産の一時的食いつぶしで対応できる余裕があり,また,収益性の高い有価証券や土地を手に入れることによつて蓄積資産減価をヘッジすることもできる。これに対して,低所得層は,蓄積資産が少なく,予備的動機に基づく貯蓄が主体となるが,これが減価してもヘッジできず先行き不安が強まるから,実質消費支出を切りつめてこれに対応せざるをえない。このほか,すでに1でみたように低所得層は価格弾力性の低い生活必需支出のウエイトが大きいから,支出構成面からも物価急騰の影響を強く受けるため,不公平は大きくなる。

第I-2-15図 異常時と平常時における生活必需度と購入量増加率の関係

第I-2-16図 値上げの加速率と増益率

こうした分配上の不平等の問題に加え,物価の急騰は消費者の不安心理を強め,ときとして異常な消費行動に走らせることとなつた。こうした消費者行動は,48年春の繊維品の買急ぎにもみられたが,石油危機前後頂点に達した( 第I-2-15図 )。こうした異常な購入は,十分な市場情報を得られない消費者の立場として無理からぬ面が強かつたが,結果として,合理的な家計の設計を狂わせたばかりでなく生活必需品の価格急騰の一因ともなり,低所得層の支出負担を大きくしたことも事実である。このような事態に対処するため,政府は,ちり紙,合成洗剤など異常な購入増の対象となつた品目について標準価格の設定,行政指導に基づく価格抑制などの措置を講じた。

b. 企業への影響

次に,企業についてみると,一般的には,家計が貯蓄減価という形で債権者損失を破るのに対し,企業は債務者利得を受ける。また,賃金上昇を上回る物価上昇も利潤発生の原因となる。

しかし,物価急騰は企業にとつてプラスとばかりはいえない。原材料価格の上昇が製品価格の上昇を追越せば損失を被るし,賃金上昇の遅れは賃金が物価上昇に追いつけば解消してしまうからである。いま,48年度下期についてみると,営業利益の増加が大きい業種ほど,異常な価格引上げを行つており,価格効果による利益増加が大きかつたことを示している( 第I-2-16図 )。しかし,こうした価格効果による利益増はボトル・ネックを生じた素材産業で著しく(48年度下期でも引当金を含めた売上高利益率で上昇している),投資需要の増大を背景として受注単価を引上げた受注産業がこれに次いでいる。一方,最終消費者と接している耐久消費財産業では,素材コストの上昇に製品価格上昇が追いつかず,また,48年度下期には需要の減退に直面して,利益はむしろ低下している( 第I-2-17図 )。業種間の不均衡が発生したわけである。

さらに,投資財価格の急騰は,現在の生産力を支えている固定資産を,将来更新しようとするときの再取得費用を増大させ,所要の再取得費用が資産の現行簿価に基づく償却引当金の累計積立額をかなり上回るという結果を招く。こうした事情を考慮すれば,当面,高収益をあげるにしても,将来に大きな不安定要因を残すことになる( 第I-2-18図 )。インフレーションは決して企業にとつてもプラスばかりではない。

c. 農家への影響

物価の急騰は,農家経済にも影響を与えている。48年度においては,好調な稲作と米価引上げ,野菜・畜産物の価格上昇,賃金引上げを反映した農外所得の著増から,農家総所得は2,651.7千円と,前年度比25.3%増となり,全国勤労者世帯収入の伸び(19.6%増)を上回つた。しかし,年度後半からは,それまで比較的安定していた肥料,農薬,農機具など農業生産資材価格の上昇が大幅となり,経営収支は悪化している。

飼料の大半を輸入に依存している畜産農家は,海外農産物価格が急騰して生産コストが生産者価格をこえて大幅に上昇したため経営は圧迫された( 第I-2-19表 )。

このため政府は数次にわたり,緊急融資等の飼料緊急対策を講ずるとともに飼料の値上がり等生産費の上昇をおりこんで,49年度加工原料乳価格等の引上げを決定した。

また,燃料,鉄骨,ビニール等の生産資材価格の引上げから,キュウリ,ナスなど,施設園芸経営でも,コスト増加が生じ,経営費の増加が生産者価格の上昇をこえているものもある。

d. 公共部門への影響

福祉充実にとつて公共部門の役割は大きいが,物価急騰の影響はここにも及んでいる。第1は,公共投資である。政府固定資本形成の伸び率は,48年度において名目の11.6%増加に対し実質では9.9%の減少となりかつてない後退を示した。内容別にみても,国土保全,道路,運輸通信などの産業基盤整備投資ばかりでなく,住宅,環境衛生や厚生福祉などの生活関連投資も実質ベースでみてほぼ軒並みに前年度比減少している( 第I-2-20図 )。このことは,建設資材価格が急騰したため,福祉充実をめざした社会資本建設が充分には進まなかつたことを示している。

第2は,所得再配分のための移転的支出である。たとえば,生活扶助についてみれば,当初予算では名目額で前年度並みの伸びの維持を図つたが,消費者物価高騰の結果,実質価値でみれば前年度比減少が見込まれるに至つた。このような事態に対処するため,政府は,10月には生活扶助基準の5%引上げを決定し,生活扶助一時金を2度にわたり支給するなどの措置がとられ,実質価値でみても前年度を上回る水準が確保された。

移転的支出が低所得者層に対する公的扶助であることを思えば,物価の上昇による影響を受けやすい階層に対して,今後とも一層充分な対策を講じていく必要がある。なお49年度予算では,公共投資支出について工事単価の大幅引上げが行われたほか,48年秋の法改正に基づき,厚生年金等について物価スライド制が導入されている。