昭和47年

年次経済報告

新しい福祉社会の建設

昭和47年8月1日

経済企画庁


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第4章 福祉充実と公共部門の役割

1. 成長と福祉の乖離

今後,福祉の充実を目標に経済政策を進めていくには,まずこれまでの経済成長と福祉向上の関係について,あらためて検討を加え,国民共通の理解を深めておくことが望ましい。

福祉とは,国民の“くらしむき”のよさを意味しているが,戦後の経済成長が,国民生活の向上に役立つてきたことは明らかである。経済成長の過程で,国民の消費する物資は豊かになり,完全雇用がほぼ実現して人々の失業への心配は少なくなつた。二重構造が解消に向かつたことにより,人々が自らの能力に応じた職場を選択する自由度は増大した。昭和35年に決定された「所得倍増計画」が当時広く支持されたのも,このように経済成長が国民福祉の充実につながると考えられたからであり,事実経済成長によつて福祉の重要な内容のひとつである所得水準の向上が実現されてきた。

これに対して最近数年の間に,経済成長やその尺度である国民総生産に対する国民の評価はかなり急激な変化を示し,成長が必ずしも福祉の増大につながらないことが認識され,その内容と成果の配分があらためて問題にされるようになつた。もちろんこのような成長に対する意識の変化は,消費水準の向上,失業の脅威の消滅を土台に国民の欲求が多様化したことを背景に生じたものであるが,同時に経済成長の過程において環境破壊,大都市の混雑,地域社会の崩壊等の問題が顕著となつてきたことによる面も大きく,これは一部に成長自体を否定する反成長意識さえうみ出すようになつたのである。

また,環境問題に対する意識の高まりを契機として,住民が自らの生活権を守るため集団的行動をとる動きが広がり,これまでどちらかといえば外部からの恩恵として受取られてきた福祉の問題が,自分たちの手によつて獲得すべきものとして認識されるようになつた。こうした国民意識の転換という事実に対しては,これが正当に評価され,またそのよつてきたるゆえんが注意深く検討されなければならない。

成長と福祉の乖離を経済の動きに即してみると,次の3点が指摘できよう。第1は,市場メカニズムそのものの限界である。戦後の高度成長は,成長指向的な各種の政策措置に支えられていたと同時に,活発な企業間競争を軸に展開されたものであつた。その点では,市場を通じる資源配分機能は十分に良好な成果をあげてきたといつてよい。しかし,市場メカニズムにまかせていたのでは,のぞましい成果が本来えられにくい分野もある。経済学でいう「市場の欠陥」がそれである。具体的には,自然環境の保全,公害の防止や社会資本の整備等については公共的介入も必要である。また,経済成長の過程で完全雇用が実現されるにともない,働く人々の所得は平準化するとしても,働けない人々の所得までが自動的にふえるわけではない。福祉向上の観点からみると資源配分の面でも所得分配の面でも,市場メカニズムには限界のあることを認識する必要がある。

第2は,わが国の場合,経済成長やこれに並行した社会的変化があまりにも急速に進んだため,市場メカニズムの限界がとくに露呈されやすかつたという事情がある。経済の高成長の過程でわが国の重化学工業化は進み,消費生活も近代化したが,その反面,公害の発生が増加した。またこれと並行して都市化,核家族化等も急速に進んだが,このことが,生活環境の悪化や生活保障の不安定化をもたらした面も少なくない。

第3は,以上のように市場メカニズムの限界が露呈されたのに対して,政策面からの対応が遅れがちであつたことである。市場メカニズムといつても,現実には企業活動を活発にし成長を高めようとする各種の政策措置を内包したものであつて,資源配分や所得分配も成長との結びつきの強いものとならざるを得なかつた( 第4-1図 )。経済規模の拡大につれ成長と福祉の乖離がしだいに顕著となつてきても,こうしたかたよりはなかなか是正されず,また,公害規制,社会資本整備,社会保障充実など福祉の向上をより直接にねらう政策の展開も,ややもすれば遅れぎみであつた。こうした三つの要因は,相互に関連しつつ,わが国における福祉の立遅れを大きなものとし反成長意識の高まりの実体的な背景となつたといえよう。

40年代に入るとともに国民生活優先への政策転換がさけばれ,成長と福祉の乖離を是正するための努力が試みられるようになつたが,成長の過程でつくり出された制度慣行と利害関係の交錯した現状を短時日の間に転換することはできず,国民の福祉充実への欲求が満たされないうちに,不況と国際収支の黒字不均衡という新しい局面に突入することとなつた。成長パターンの転換点に立つ現時点は成長と福祉の乖離を是正し,成長の成果を国民生活の充実に直結させる好機である。このためには,まず市場メカニズムの限界を正しく把握し,これに対し適切な施策を講じることが不可欠の条件である。

いうまでもなく,福祉向上の課題はきわめて多次元にわたるが,以下では都市化のなかでの生活環境の改善と,すべての人々の生活保障の確保のふたつの課題に即して,これまでの資源配分や所得分配のあり方のどこを是正しなければならないかをやや詳しく検討してみよう。


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