昭和47年

年次経済報告

新しい福祉社会の建設

昭和47年8月1日

経済企画庁


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第1章 昭和46年度経済の動向

3. 財政金融政策の展開

昭和46年度において不況からの脱出を主導する役割は財政金融政策のになうところとなつた。国際収支の黒字を背景とする金融緩和と,大型補正予算を含む財政面からの景気浮揚策の効果についてみよう。

(1) 金融の大幅緩和とその影響

昭和46年度の金融情勢は大幅な緩和を示した。前年10月の公定歩合引下げにより金融引締め政策が解除されたのちも,過去の設備投資に関連したものを中心に引締め期間中から繰越された未充足の資金需要が多く,また不況の進行にともなう滞貨減産資金の需要もあつて,しばらくは企業金融の緩和はみられず,貸出金利の低下も鈍かつた。それが46年度に入つて大幅緩和基調に転じたのは,資金需要がしだいに鎮静化したこともあるが,公定歩合が3度にわたつて引下げられ,さらに通貨供給量の急増がみられたからである。この結果,貸出金利は戦争直後の混乱期を除けば戦後最低の水準になり,通貨供給量の国民総生産に対する比率(マーシャルのk)は急速に上昇した( 第1-25図 )。

(通貨供給量の急増)

46年度において通貨供給量(平均残高)が前年度比23.7%増と急増を示したのは,短期資金の流入を中心に国際収支が大幅黒字を示したこと,および資金需要の増勢がしだいに鈍化するなかで,高水準の貸出が統けられたことの2点によるところが大きい。

46年5月のマルク投機に際しても,短期資金の流入がみられたが,8月央のアメリカ新経済政策の発表と月末近くの円の変動相場制移行までの間には,大量の輸出前受金が流入した。

46年度上期中の外為会計の支払超過は,これらに貿易収支の黒字拡大も加わつたため3.2兆円に及び,同期間中の通貨供給量増加分(2.9兆円)を上回つた。こうした経路からの資金流入によつて,商社,造船,鉄鋼,機械などの輸出関連産業の企業は,手元流動性を著しく高めた。

次に金融機関貸出も,製造業の資金需要の増勢が鈍化するなかで,全体として著増を続けた。これは,非製造業や中小企業を中心に,これまで未充足のまま放置されてきた潜在的資金需要が,金融機関側の融資態度積極化によつて掘り起こされたものといえる。金融機関が融資態度を積極化させたのは,外貨資金の流入によつて,都市銀行の資金ポジションが大幅に改善したことによる面が大きい。これによるコールレートの低下から,都市銀行は利下げを進めつつ貸出の伸長をはかり,また資金運用利回りが急速に低下することになつた地方銀行や中小企業金融機関も利ざやの圧縮を補うため貸出の量的拡大を急いだ。過去においても,利ざやの圧迫されるときの貸出は大幅に増加した( 第1-26図 )。

もちろんこのような通貨供給が行なわれようとしても,政策当局がこれを防止したり,あるいは企業の側で流動性保有を好まなければ,通貨供給量は結果的には増大しえなかつたであろう。

しかし,政策当局の側では,国内不況と国際収支大幅黒字のなかで金融緩和を進めようとしたし,また企業としても,手元流動性を高めることを選択する理由があつた。第1に国際通貨情勢の急変や実体景気の先行き見通し難などから,企業の流動性選好が高まつたことである。たとえば,需要が予想以上に落込む場合の金繰り上の備えが必要であると考えられた。

第2は,貸出金利の低下のために,借入れた資金を預金しておくことのコスト負担が相対的に軽くなつたことである。預金金利がすえおかれるなかで,公定歩合の引下げが繰返された結果,標準金利は1年もの定期預金金利を下回るにいたつている。こうした事情も,企業の流動性保有が増大する背景となつた( 第1-27図 )。

(壁にあたつた金利引下げ)

通貨供給量の増大が著しかつた割に,今回の金融緩和期には金利の低下は遅れ気味で,とくに貸出金利の低下が鈍く,それが本格化したのは46年秋以降になつてからであつた( 第1-28図 )。金利引下げがなかなか進捗しなかつたのは,当初は引締め期間中から繰越された未充足の資金需要が多かつたことなどによるものであるが,預金金利をすえおいての貸出金利引下げには限度があることによる面もあつたと考えられる。47年7月の預貯金金利引下げは,こうした金利構造の硬直性にメスを入れるものであつた。

公定歩合は45年10月以来46年12月まで15ヵ月間に通算1.5%下げられ,戦争直後の一時期を除けば戦後最低の水準に達した。この下げ幅は過去の緩和期とほゞ同じであるが,過去においては7~9ヵ月でこれだけ下げているのに比べると,今回は引締め解除時期の水準が低かつたこともあつてそのテンポはゆるやかであり,また,46年12月のそれを別として,各回とも0.25%の引下げと小刻みであつた。45年秋から46年にかけての公定歩合の引下げが慎重に行われたのは,不況下でも消費者物価が根強い上昇を続けていたこと,当初企業の資金需要が旺盛であつたことなどによるものであるが,とくに46年秋から47年にかけては預貯金金利をそのままにした貸出金利の急速な引下げが,金融機関間の経営格差拡大をもたらすおそれのあることなどが制約となつた面もあつたとみられる。逆にこうした硬直的な金利構造のもとで金融緩和政策が進められたため,金融機関貸出の量的拡大がむしろ金利低下に先行したかたちとなり,金利の低下に比べて通貨供給量がやや多めになつたことは否めない( 第1-29図 )。

(金融緩和の景気への影響)

金融緩和は企業についてはまず手元流動性の増加となるが,これまでの経験では,手元流動性がある水準をこえると急速に実物投資の増大がみられた。しかし46年中は実物投資はなかなか喚起されず,むしろ土地や金融資産の取得に資金がふりむけられた。もちろん土地投資の多くの部分は,今後需要増加が予想される住宅,サービスなどでの用地取得であつたとみられるが,資産運用の一形態としての土地投資も少なくなかつたといえよう。また金融資産の取得についても46年度上期企業資金運用表によると,現預金と有価証券とで34%を占め,過去の20%以下に比べて著しく高い( 第1-30図 )。とくに有価証券だけで15%に達している。これは金融緩和と実体経済の停滞に基づく一時的な運用先として有価証券が選ばれたこともあるが,経済の国際化や経営の多角化から,株主安定化工作や株式の持ち合いが促進されている面のあることにもよろう。

このように,金融緩和は企業の手元流動性の増大,土地投資,金融資産投資の増加を招き,金利の低下,地価,株価の上昇をもたらした。その割には,その実体経済面への影響は従来の経験に比べ遅れがちであつたとの印象が強い。その理由としては,次の諸点が考えられよう。第1は企業の設備過剰感が強く,金融が緩和しても投資意欲が盛上がらなかつたことである。第2は,すでにみたように,国際通貨不安などの不確定条件の増大から企業の流動性選好が増大したとみられることである。第3は,金利低下が進むなかでも,国際通貨情勢等による景気の先行き見通し難もあつて実物資産の収益性について確たる期待がえられず,実物投資がくりのべられる一方,期待を織込みやすい金融資産や土地への投資には潤沢な資金運用がなされる傾向があつたことである。第4に,やや長期の変化として,金融緩和の設備投資,在庫投資への影響力が低下しているとみられることである。中期マクロモデルの時期別推定によると,最近になるほど投資は利子非弾力的となつているが,これは,資金循環構造の変化を背景に,企業が過少流動性から解放され,自己金融力が強化されてきたことと表裏をなす現象だと思われる。

他方,金融緩和は企業倒産を減らし,減産や在庫調整をなだらかにすることによつて,不況の深刻化をふせいだ。また,金融機関の側では,債券買入れ意欲が高まるなかで,公共債の消化にも積極的となり( 第1-31図 ),また個人ローン,住宅ローンの拡張をいそいだ。加えて47年に入るころから,金融緩和が中小企業の設備投資意欲を刺激し,見送られていた機械設備の更新需要を増大させた。このように,金融緩和のなかで,公共投資,住宅投資や中小企業設備投資など新しい景気回復の芽が育てられ,それがようやく実体面にも反映してきたのが最近の段階であるといえよう( 第1-32図 )。

(金融構造変化の方向)

46年度における海外部門や公共部門の資金不足増大は,不況と国際通貨危機によつて誇張されているとはいえ,40年代における金融構造変化の方向をあらためて確認させるものであつた。

戦後,わが国はそれまで蓄積されてきた金融資産を終戦直後のインフレによつて著しく減価させ,また,その後の高成長を通じて資金需要を増大させてきた。企業部門を中心とした流動性不足,資金不足の状態は銀行への依存や企業間信用の膨張を通じて解決されてきたが,それは金融資産と負債が相互にふくれ上がる過程であり,実物経済量以上に金融諸量が急伸する結果をともなつた( 第1-33図 )。昭和30年代を通じて企業の手元流動性(現預金/売上高)は高まり,この動きを反映してマーシャルのk(通貨供給量/名目国民総生産)も上昇を続けたのである( 第1-34図 )。

40年代に入つて企業の手元流動性やマーシャルのkの上昇傾向がいつたん停止したのは,戦後長く続いた過少流動性と企業の資金不足の時代に,ひとつの転機が訪れたことを示唆している。企業の貯蓄・投資バランスも国際収支の黒字,財政の実質散超に支えられて好転した。これをより具体的にみると,企業にとつて企業間信用など資金負担のいらない公共部門や海外への売上げがふえ,手元現預金の節約を可能にし,借入依存度を軽減したとみられる。このことは,全体として一応過少流動性時代から脱却したことを意味するものとみられよう。40年代前半は,通貨量もほぼ同一テンポで増加し,マーシャルのkは若干の低下傾向を示したのである。

40年代前半に徐々に進行していた金融構造の変化は,46年度の金融緩和によつていつそう明らかになつた。46年(暦年)の資金循環勘定では法人企業部門の資金不足が6年ぶりに前年を下回つたのに対し,公共部門や海外部門の資金不足はともに前年の3倍近い著増を示しており,個人や法人の流動性はかなり積み増された。

こうしたなかでこれまで硬直的であつた金利体系も弾力的に改定されるようになつた。公社債市場においては応募者利回りと既発債利回りの乖離が解消するとともに発行条件の改定が行なわれ,またこれまで硬直的であつた社債の格付けの改革が進められようとしており,株式市場においても時価発行がしだいに定着しようとしている( 第1-35図 )。さらに手形割引市場が開設され,コール市場において月越しものが廃止されるなど,短期金融市場の整備も進んできた。このような事情を背景に預貯金金利を含める弾力的な金利政策が47年6月の第6次公定歩合引下げとともに実現する運びとなつたのである。

(2) 財政拡大の景気浮揚効果

国際通貨危機と国内不況に挾撃された46年度には,財政面から次々と景気浮揚策が打出された。

これらは,国際収支黒字不均衡を是正するまでにいたらなかつたものの,景気を下支え,不況からの脱出を促進する役割を果たした。

(財政面からの景気浮揚策)

46年度に財政面からとられた景気浮揚策をみよう( 第1-36表 )。第1に当初中立的な規模で編成された46年度予算(一般会計18.4%増)は,その後の景気の落込みのなかで,かなりこれを下支えする効果をもつた。しかも公共事業等について,46年度上半期中の施行促進(目標契約進捗率72.2%)をはかるなど,積極的な支出態度がとられた。

第2に,弾力措置を活用するなど,財政投融資の積極的な追加を行ない,あわせて政府関係金融機関の金利改定も行なわれた。

第3に,46年8月のアメリカ新経済政策発表後の経済情勢に対処するため同年10月,7,900億円の国債増発,2,340億円の公共事業費拡大,初年度1,650億円の所得税年内減税実施をふくむ大型補正予算が編成された。

これらの措置によつて公共投資は著しく拡大した。また,公共事業等の進捗率は46年9月末で契約ベース76.7%,支出ベース35.0%(対当初予算現額)となつており,公共事業の施行は通常の年度に比べ著しく促進された( 第1-37表 )。

こうした政策努力も,年度当初は民間需要の落込みに消されてその効果がなかなかあらわれなかつた。しかし公共投資依存型の産業の出荷をとりだしてみると,46年6月頃から回復傾向を明らかにし,以後鉱工業全体を上回る増加を続けた。この点40年不況時には公共投資依存型産業の出荷が景気の谷をこえるまで鉱工業全体を下回る伸びにとどまつていたのとは対照的である( 第1-38図 )。

他方,不況下で租税収入はかかりの減少となり,自動安定機能を通じて景気を下支えした。すなわち法人税は,即納率の上昇にもかかわらず,景気停滞下の企業収益悪化を反映して落込んだ。また関税も輸入の不振から減少し,酒税や物品税も増勢が鈍化した。比較的堅調な伸びを示したのは所得脱であつたが,これについても年内減税によつて景気を下支えすることとなつた( 第1-39図 )。

このように,46年度には公共投資を中心に財政支出がかなりの伸びを示し,反面税収が落込んだため,政府バランスは悪化した。こうしたなかで,43年度以降減額の方針がとられてきた国債が大量に発行され,補正後の国債依存度は12.6%となつた。これも政府の景気浮揚への積極的な姿勢を示すものである( 第1-40図 )。

なお,47年度についても,一般会計予算規模は前年度当初予算比21.8%増と過去10年間で最高となり,国債依存度は17.0%となるほか国民総支出に占める財政支出の割合も19.1%とかなり上昇する見込みとなつている。また,弾力措置,予備費の増加により弾力性保持につとめているほか,公共事業等の施行促進がはかられることとなつている。

46年度,47年度の予算の歳出内容としてはこれまで立遅れていた国民福祉の改善がとくに重視されている。公共事業関係費の伸びは当初予算の前年度比で46年度18.1%増,47年度29.0%増と40年代前半の平均14.7%増を大きく上回つているが,その内容をみると公園,下水道等生活環境施設の伸びがとくに大きい。また社会保障の面でも46年度には児童手当制度の発足,厚生年金給付の10%引上げなどの措置がとられ,47年度予算では70才以上の老人医療を無料化するなど老人対策が重点的にとりあげられた。

以上のように,近年,財政政策はとみに積極的弾力的に連営されているが,それが実効をあげるためにもいくつかの問題の解決を迫られている。ここではそのうちから,中期財政ビジョンの確立,地方財政の強化,および公共事業施行効率の向上の三つの問題をとりあげてみよう。

(中期財政ビジョンの確立)

46年度財政は,内外経済情勢の激変に対処してかなり機動的に運営された。しかし社会資本の整備や社会保障の充実は,国民福祉向上のために要請されているものであり,たんなる不況対策としてではなく,これまでの高輸出高投資に代わる新しい成長パターン定着のためにも,積極的に推進されなければならない。このことは40年不況に際していつたんは国債発行を含む積極財政が打出されながら,結局は民間部門中心の高度成長に道をゆずつた経験を操返してはならないことを示唆している。このため福祉充実をめざした総合的な計画のなかで,財政がその中期ビジョンを明らかにすることも民間部門での資源配分の転換を円滑に進めるためには必要である。

46年度においては減税と支出増加のため国債依存度が高まり,47年度についても建設公債のほぼ限度いつぱいの発行が行なわれている。んちろん,現在のような国債依存度は不況克服のために許容される高さであるが,今後は福祉向上のための負担の形態として租税負担や国債依存のあり方について国民の合意を確保しなければならないといえる。

(地方財政の強化)

不況のなかで,地方の財政収支バランスも,国と同様悪化した。

地方財政の近況をみると,46年度に入り収支の状況は悪化の傾向を示し,地方税の減収,給与改訂や,国の補正予算との関連では,国税減収や減税による地方交付税の減収,公共事業の追加にともなう地方公共団体負担額の増加などから5,000億円にのぼる財源不足が見込まれるにいたり,これに対し臨時地方特例交付金の交付,政府資金引受け等による地方債の増発,交付税特別会計での借入れ等の措置がとられた。47年度についても,大幅な財源不足が見込まれ,臨時地方特例交付金,交付脱特別会計での借入れ,地方債の増額等の措置が講じられている。

第1-41表 国と地方の歳入構造の差

地方公共団体は,その数も多く,財政規模がさまざまであり,また地方税等歳入の弾力性も国に比べ低い( 第1-41表 )。

今日,地域住民の需要が強い生活環境施設の充実は地方公共団体に依存するところが大きいことを考えると,長期的な観点にたつて,地方財政の強化,効率化を検討することが,いつそう重要な課題となつている。

(公共事業の効率向上)

46年度には公共事業の拡大が景気浮揚と福祉向上の二目的を同時に達成するものとして推進されてきたが,その過程で事業の効率向上が大きな課題とされるにいたつた。

第1-42図 公共用地取得とその補償

そのひとつは土地問題との関連である。用地取得難と用地取得費用の増大は,資金投入の割には工事の投資効率の向上をさまたげており,景気回復を遅らせるだけでなく,社会資本充実のネックにもなつている( 第1-42図 )。

たとえば日本住宅公団の取得用地面積は44年度をピークに減少し,とくに46年度は前年度比半減となつている。こうした制約を緩和するため,公共用地の先買い権等を認めた「公有地の拡大の推進に関する法律」が47年6月に制定された。

第1-43表 46,47年度にとられた主要な財政・金融政策による景気浮揚効果についての試算(実質GNP拡大効果)

いまひとつは,施行能力の問題である。公共事業が拡大されるとき,技術者不足,設計能力の限界等から,いわゆる積み残しが生じないよう体制を整えておくことが必要であろう。また,中期的な事業計画にそつて契約から施行,支出への時差を短縮することが望まれる。

(景気浮揚策の効果)

以上のような課題を残しながらも,46年度の財政金融政策は景気浮揚に全力をあげ,それなりの効果を収めたものと考えられる。いま,その効果を計量モデルによつて試算すると,政策措置がとられなかつた場合に比べ,46年度の実質国民総生産を約1兆円,前年度比伸び率で1.7%高めたことになる。また,47年度についても予算の大型化等新たにとられた景気対策によつて46年度比実質国民総生産の伸び率を3.4%高めることが見込まれる( 第1-43表 )。