昭和46年

年次経済報告

内外均衡達成への道

昭和46年7月30日

経済企画庁


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第1部 昭和45年度の日本経済

第4章 景気後退下のジレンマ

2. 不景気のなかの高消費者物価

45年度の消費者物価(全国)は,前年度に対して7.3%の高騰を記録した。消費者物価は44年度から45年度にかけて4%を若干上回る上昇をつづけてきたが,44年度には6.4%へと上昇率を高め,45年度にはさらに上昇が加速した。加えて,景気後退過程で卸売物価,輸出物価が低迷をつづける一方,消費者物価が高騰したことは,改めて一般に物価問題の深刻さを再認識させることとなつた。

(1) 消費者物価高騰とその要因

45年度の消費者物価の特徴は,特定品目の暴騰が消費者物価の上昇をもたらしたのではなく,すべての品目にわたつて全般高を示したことである( 第53表 )。

農水畜産物は,米価据置きにもかかわらず7.7%と消費者物価総合を上回る上昇をつづけた。これは生鮮食料品が2年つづきの高騰を記録したことに影響されている。しかし生鮮食料品以外についても,工業製品消費財は大企業製品,中小企業製品とも前年度を大幅に上回る上昇となり,家賃・地代をはじめとする民間サービス価格の騰勢も加速化した。この間にあつて,公共料金は年度後半の据え置き措置もあり,上昇率は比較的小幅にとどまつた。

(生鮮食料品価格の高騰)

まず,大方の関心を集めた生鮮食料品についてみると,44年度14.1%上昇のあと,45年度にも11.6%の高い上昇となつた。そのうちわけをみると,野菜(45年度19.0%,44年度28.2%),生鮮魚介(45年度18.9%,44年度16.9%)といずれも高い上昇となつた。野菜については天候不順に災いされたことのほか,春さきには一部地域で万国博の影響も若干はたらいたとみられる。しかし,この2年ほどの動きからすれば,生鮮食料品の高騰は生産や流通に非弾力的な面があるため,高成長,高所得のもとでの生産・流通段階の所得上昇が価格上昇にはねかえりやすいことが基調的な背景となつている。

第54図 からうかがわれるように,最近の野菜生産の停滞は生産者価格の急上昇をもたらし,漁獲量減少が傾向的な魚介価格の上昇の原因となつている。野菜については,機械化が困難なものが多く,農業労働所得の上昇がほとんど生産コストの上昇になりがちである。魚介についても同様な事情があるほか,漁場の遠隔化も加わつて値上がり要因が強まつている。これら生鮮食料品には輸入代替がむずかしかつたり,輸入が制限されているものもあつてその価格が騰貴しやすくなつている面もある。

また,生鮮食料品が他の商品以上に鮮度がものをいう商品であることから,貯蔵などによる調整機能が働く余地が少なく,大量集荷・大量販売が困難なことも流通面からの値上がり要因を強めさせている。最終購買者と生産者が細いパイプでつながつていることから,流通段階の所得上昇はそのまま流通コストにはねかえりやすい。また,消費慣習が,低賃金,労働力過剰時代とあまり変つておらず,核家族化のもとで消費単位が零細化し,小口当用買いとなつていること,同時に,きれいに包装された野菜,切り身に調理された鮮魚など,小売店のサービスを求める消費者の嗜好があること,などが生鮮食料品値上がりの背景に存在していることも指摘されよう。

(工業製品消費財の値上がり)

人手不足下の所得上昇が,消費者物価上昇を促している状態は中小企業で生産される工業品消費財についても同様である。たとえば,中小企業性繊維製品は45年度に9.5%と44年度の前年度比上昇率5.5%をさらに上回る高い上昇を示し,食料品(工業製品)も9.3%の上昇となり,44年度の上昇率6.5%をかなり上回つた(前掲 第53表 )。

繊維製品の消費者物価の形成過程をみるため,加工段階別の価格の動きを調べたのが 第55図 である。原糸→織物→製品と加工段階が進むにしたがい,価格上昇幅が大きく原料価格の上昇以上に加工製造品の価格が上昇していることがわかる。これは,原糸段階では生産性向上の余地が大きいのに対し,加工段階が進むにつれて高級化・フアッション化の影響もあつて,労働集約的となり,人件費上昇が価格に及ぼす影響が大きくなるからである。

また,中小企業が主な供給者となつている加工食料品でも,コロッケ,サラダなどの製造は新鮮さを保つため深夜作業が主体となつていること,つくだ煮の場合はコンブ,赤貝など近海漁介を原料としていること,また全体として機械化や合理化の余地が乏しいことなどのため,原料費,人件費の両面からの価格上昇圧力を受けている。

第56図 食料品,繊維品の賃金コストと消費者物価(40年=100)

以上のように,低生産部においては原料費,人件費上昇が物価上昇要因となつているが,人件費の影響については賃金上昇が加速化した43年以降にとくに顕著であり,最近の消費者物価の加速的上昇の背景となつている( 第56図 )。

また,きわめて労働集約的で生産性上昇度合の少ない民間サービスの値上がりも著しかつた。したがつて生鮮食料品が45年度に横ばいだつたと仮定しても,消費者物価は全体で5.6%も上昇した計算になり,生鮮食料品だけに高消費者物価の責めを帰することはできない。要は,長期好況の余波として,消費者物価を構成する部門の所得の加速的上昇が消費者物価にはねかえり,45年度の値上がりを非常に大幅にしたという点にあるのである。

(卸売物価と消費者物価のかい離)

およそ,わが国では卸売物価と消費者物価のかい離幅が大きく,景気後退局面においてそれがいつそう目立つている。なぜ,両物価にかい離が生ずるのか。この点を直接的に理解するためには,両物価指数の違いをみるのが手つとり早い( 第57表 )。第1には,卸売物価に含まれていないサービスや卸・小売段階のマージン上昇が大きいことから,両物価の上昇テンポに違いが生じている。第2には,農産物や中小企業製品など卸売物価指数に含まれていなかつたり,含まれていてもウエイトが小さい品目の値上がり幅が大きいことである。これらのサービスや消費財は生産性上昇率が低く,所得の大幅上昇が消費者物価の大幅上昇はねかえりやすい構造にある。農業,中小企業,流通部門での構造改善や輸入自由化はもちろん必要であるが,経済社会全体の所得上昇が速いときは,所得の連帯的上昇が消費者物価の上昇をも大幅にすることについての大方の認識が必要である。

(2) 景気と消費者物価

45年度後半以降,経済成長が減速し景気が後退する反面,消費者物価が高騰をつづけるという好ましくない現象が生じ,最近にいたつている。

消費者物価は,卸売物価に比べると景気変動に対しはるかに下方硬直的である。しかし,景気の影響をまぬがれるわけではない。景気変動が消費者物価に影響を及ぼす経路は,およそつぎの3つにわけることができる( 第58図 )。第1は,労働力需給の変化を通じて賃金上昇率が変動し,それが消費者物価を構成する部門の人件費コストへの影響をへて,物価の上昇率が変動する経路である。第2は,製品需給の変動が卸売物価に影響し,それが消費者物価の工業製品価格に波及する経路である。そして第3は,賃金や個人所得の変動が消費需要に影響していく経路である。これらの関係は,相互に入り組みながら,長短の時間的ずれをもつて消費者物価の上昇率に影響をあたえている。

いまこういつた関係を計量的にとらえて,景気の消費者物価にあたえる影響について試算したのが 第59図 である。ここでは,景気変動が需給ギャップの変化に集約的に反映されているものとして検討を試てもいる。景気が鎮静化した局面での消費者物価の動きをみると,昭和37年および40年のときには,景気鎮静化の影響が1年半前後の時間的遅れをおいて,消費者物価にあらわれている。つまり,41,42年ごろの消費者物価が比較的落着いていたのも40年不況の影響が遅れてあらわれた面が少なくなかつたとみられる。今回の景気後退の影響を試算してみると,47年度には消費者物価への調整効果がでてくることとなる。いずれにしても,景気変動が消費者物価に影響するまでにはかなり時間がかかることがわかる。

好況期のさまざまな要因による消費者物価上昇効果が景気後退期になつてからあらわれ,鎮静期の要因による安定効果は,景気上昇期になつてあらわれがちである。こういつたことを考えると,45年度の景気の後退と消費者物価の上昇加速というすれ違い現象は,45年の賃金・所得が長期好況の余波でなお高い上昇率を示したこと,卸売物価の安定が消費者物価の安定をもたらすまでに時間がかかること,最終消費需要も概して堅調に推移したことなど,景気と賃金,消費者物価の間の変動の時間的ずれによる面が多かつたと判断されよう。

(3) 日本はスタグフレーションか

すでに述ベたように,この1,2年の欧米諸国は,景気が後退ないし鎮静しているにもかかわらず,インフレが進むといういわゆるスタグフレーションの状態を示している。

わが国におけるこの半年ほどの不景気下の消費者物価高という現象だけをとりだしてみれば,ある程度までわが国の場合も欧米先進国と似通つた面はあるが,彼我を同一視することは当をえないであろう。その理由の第1は,欧米では,卸売物価も消費者物価もほぼ平行的に上昇し,広範なインフレ現象がみられるのに対し,わが国では卸売物価が景気後退の影響を敏感に受けて低落し,消費者物価だけが騰勢を強めていることである( 第60表 )。第2は,欧米では景気後退局面で賃金の上昇率が高まつているところが多く,なかには物価・賃金の悪循環が生じている国もあるのに比べ,わが国の場合は,賃金上昇率が高水準ながらも鈍化を示し,全面的なコスト・インフレの状態にはないことである。第3は,欧米とわが国とでは,成長率と物価上昇率との関係に格差があることである。1970年の場合でみると,欧米の経済成長率はマイナス0.5%~プラス6%,総合物価(GNPデフレーター)上昇率は5~7%で,物価上昇率が成長率をはるかに上回つて,文字通りスタグフレーションの悩みをあらわしている( 第61図 )。わが国の45年度の場合は,総合物価6.2%の上昇に対し,実質成長率は9.7%で,成長率の方がかなり高い。各国のインフレの強弱は物価上昇率そのものよりも,成長率との相対パーフオーマンスではかるべきであつて,総じてわが国では欧米に比べ物価上昇要因が生産性上昇に,よつて吸収される度合が強いといえよう。

ところで,不景気下の消費者物価高の経験は,今回の景気後退に急にあらわれた現象ではなく,過去にも例がある。 第62図 にもみられるように,昭和37年度および40年度には,消費者物価上昇率が実質経済成長率を少なからず上回つた。わが国の場合,この不景気下の消費者物価高は,かなりの程度は好況期の高い賃金・所得上昇の落とし子だといえる。好況の影響が,中小企業,流通,サービス部門の賃金上昇に波及し,その賃金コスト高が消費者物価の値上がりにはねかえるまでにかなりの時間がかかることが,不景気下の消費者物価高に相当に影響したのである。

こういつた経験を踏まえて考えても,不景気と消費者物価高騰の併存状態は,好況直後の景気後退局面につきまとつた現象であつて,構造的永続性をもつた問題とみなすことはかならずしも適当ではないといえよう。現在生じている卸売物価の低落や賃金上昇率の鈍化などからすれば,消費者物価の騰勢もやわらいていく要因を内在しているし,先行き景気が回復に転じていく過程で,不景気下の消費者物価高という好ましくない事態から脱出しいくことが可能であろう。

しかし,次の点については大いに留意する必要があろう。

第1は,経済成長と消費者物価上昇の関係について,単純なトレード・オフ(二律背反)関係を過信してはいけないことである。非常に高い成長が長期につづいて消費者物価の上昇加速をまねいている場合には,景気調整によつて物価安定の環境をつくる必要がある。しかし,成長率を下げれば下げるほど物価の安定が可能だというものではない。むしろ,不景気が長期につづきすぎると,生産性上昇によつてコストを吸収する余地が乏しくなり,かえつて,コスト・インフレやスダグフレーションを招くおそれがある。

第2は,国際収支との関連である。わが国の卸売物価が景気感応的であり,欧米先進国に比べ安定的であることは,わが国には全面インフレの歯止めがあることを意味しており,好ましい経済構造を示すものである。しかし,諸外国において,インフレがつづいているときには国際支収面では黒字が増大するというジレンマが生じることになる。

第3は,構造政策の重要性である。わが国の消費者物価,賃金が若干のタイム・ラグをもちながらも,欧米より相対的に景気感応的であることは,消費者物価安定に総需要調整策が寄与しうる度合いが大きいことを示している。しかし消費者物価上昇の背景には各種の構造的要因があり,総需要調整策のみで物価安定を期することはむずかしく,経済成長と物価安定の両立をはかるためには強力な構造政策の推進が必要となる。

第4は,消費者物価上昇は所得・賃金の上昇とのかなり密接な関係をぬきにして安定を期するのには限度があることである。

超高度成長から安定成長への軌道修正の過程で,超高度成長の再現を前提とした大幅な所得賃金上昇圧力が生ずれば,人件費コストの企業経営負担が高まつているだけに,それが賃金,物価の悪循環をもたらすおそれなしとはしない。

これらの諸点からしても,消費者物価の基本的安定は,第2部に述ベているような資源配分の観点をも考慮して行なわれなければならない。