昭和45年

年次経済報告

日本経済の新しい次元

昭和45年7月17日

経済企画庁


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第2部 日本経済の新しい次元

むすび

新たなる繁栄のために

日本経済は史上最も息の長い好況をつづけている。長期繁栄が国際収支赤字のために中断される恐れは少なくともここ当分は遠のき,好況のもたらした影響は,経済部門のほとんどすべてに行きわたつている。しかしその反面,長期繁栄がつづいたことのなかから,繁栄を制約する要因が生じてきた。すなわち4年つづきの高い成長率の積み重ねの上で長期繁栄がつづいていることから労働や商品の需給はひつ迫化し,また投資や所得の加速化作用が働いたことによつて,物価の騰勢にも加速化現象があらわれてきた。昨年秋以来の景気調整策の効果はゆるやかながら浸透しつつあるが,物価の安定を確実なものとし,健全な繁栄持続の諸環境をととのえることが当面の景気情勢にとつて最も重要な問題である。

かえりみて,昭和41年以降の長期繁栄の成果として,日本の経済力は著しく増大と,また日本経済の国際的水準も目だつて高まつた。現在の国民総生産と1人当たり国民所得水準をみると,そのうちの約47%および44%までは,41年以降の長期繁栄の期間中に増大したものである。一方,日本の経済規模はすでに自由世界第2位となり,国民総生産や輸出規模の自由世界に占める比重も現在ではそれぞれ約7%に達している。また1人当たりの製造業時間当たり賃金水準(労務者)にしても,ほぼフランスに近づいている。

われわれは,長期繁栄持続のなかで著しく高まりつつある,われわれのすぐれた経済力の上に立つて,新たに,より高度の次元を目ざした発展を思考し,推進すべき時期にある。

第1に,日本経済の国際的水準が著しく高まつてきたことは,この両三年の国際収支黒字継続とあいまつて日本経済が日本の座標ばかりでなく,広く世界経済の座標において1970年代の自国と民族繁栄を適切に方向づけながら発展していくことを求めている。わが国の経済が外貨不足,労働力過剰の時代からすでに外貨活用,労働力不足型の時代に大きな移行を示しつつある現在,広く世界的次元に立つて資源の活用と配分をはかることが,日本経済の円滑な発展にとつても,世界経済全体の調和ある繁栄にとつても,きわめて望ましいことである。それにはこれまでの自由化促進だけではなく日本経済を総体として国際化させる方向へ転換をはかること,これを可能とするような経済構造の創造的発展と諸制度の改変を進めることが,基本的に必要である。これまての日本経済は他国からの影響を懸念する経済であつたが,いまやわれわれの経済発展のあり方が世界経済の繁栄にどう影響するかということから,世界の評価をうける経済へと変化しつつある。それだけに,世界各国の信頼を高め,世界経済の平和で自由な発展に貢献することに,わが国の経済成長の努力目標をおくことが,いつそう重要となろう。

策2に,わが国の充実した経済繁栄の持続のためにも,国民生活の安定のためにも,物価安定の課題が一段と重視される。近年,ほとんどすべての先進国において,インフレとの戦いは共通の課題となつている。わが国経済は,欧米先進国ほど完全雇用の壁につきあたつた経済ではないし,わが国の物価上昇もいままでのところ欧米型インフレとは異なつている。欧米に比べ日本経済はかなりダイナミックであり,生産性向上余力も大きく,投資機会も多い。しかしこのことは,反面において,競争的投資の盛りあがりが時として需要超過傾向を生じさせがちな経済であること,したがつて適時適切な需要調整策を機能させることが,物価と景気安定化政策上,他の先進国以上に有効であることにも通じている。一方わが国においても,労働力需給ひつ迫のなかで,生産性の上昇を上回る所得上昇の加速化傾向が国民経済全体としての物価上昇を速める懸念が強まつてきたことも否定できない。現代社会における人間は,家庭の消費者としては1円でも物価が上がらぬことを願う反面,職場の勤労者,事業者はたとえ1万円でも10万円でも多く所得をかちとろうとする。これは物価安定という見地からは,なかなか両立しがたい矛盾であつて,生産性をこえた所得上昇は物価上昇要因となつて家計にはねかえり,その物価上昇分が次期の所得増大への要求として影響することにもなる。しかしながら,物価上昇は諸種の歪みを生じさせており,貯蓄の減価を生じさせている。ひところの貯蓄の乏しい時代と違つて,今日の家計において所得に対する貯蓄の比率が高まつてきていることは,健全な家計資産づくりと豊かな将来生活への設計を可能とする経済社会,年々の所得最大化よりも相対的に国民の富の蓄積が重視される先進国社会へと,今後ますます移行するであろうことを示唆している。このような方向に対応しつつ,物価安定と国民の資産,貯蓄形成か促進される諸環境をつくりだすことが大いに望まれることであろう。両者は相互一体的なものであり,一方が実現されれば他方の実現を円滑にする働きをするであろう。

また今日の物価安定の課題が,きわめて国際的な関連をもつていることに注目しなければならない。現在の世界では一国に生じたインフレが他の国々にも波及する傾向が強まつているのが実情である。その場合に各国が自由化を促進し,国際分業の促進と自由化の刺激の活用によつて,相互の物価安定に役だつ方策を進めていくことが必要であろう。さらに国境をこえたインフレの波及を食い止め各国の物価安定をやりやすくするためにも,各国間の国際的協調がさらに進められることが好ましいとみられる。

第3に,一そうみのりのある経済繁栄の実現に向かつて,一段と充実した国民福祉の推進が求められている。国民生活は住居に関連した面では,まだ少なからず未充足,未充実なものを残しているが,これまでの経済成長の結果,年々の物的な消費の面では確かに豊かになつた。しかも今日の国民福祉充実が求める対象は,社会保障のみに限られず,かなり多様化している。国民生活の基本的条件を充たしうるような社会環境を整備していくための,いわゆる社会開発の分野は広く,課題も多い。また所得水準の上昇にともなつて,人は多様な価値選択の機会を求めるようになるが,こうした多様な価値追求を充たしうるような経済社会をつくりだしていくことも,福祉増大の一環として必要であろう。

さらに,福祉に関連して,現在きわめて大きな問題となつているのは,公害の克服である,公害問題の解決はいまや世界先進国の共通課題であるが,わが国は狭い国土にすでに自由世界第2位の巨大な経済活動を上乗せする高密度経済社会であるだけに,他の先進国に比べても公害のひき起す社会的摩擦も大きい。そうであればあるほど,わが国は世界のどの国よりも公害克服に意欲的,積極的に立ち向かわなければならない。公害問題に対処していくためには,国土開発,社会開発および工場設計の基礎的,計画的段階から公害発生を防止し,あわせて既存の公害を積極的に除去していくことに最大の努力を払わねばならない。都市公害については,下水道,道路,緑地帯の拡充など,社会資本の量的質的な整備拡大によつて解決への方向に導かれる問題が少なくない。産業公害については,公害をコストとして認識することによつて,企業の責任が明確化されることが急務である。この際,企業は産業公害の増大によつて低下しつつある社会的信頼感をとりもどす努力をすることがなによりも重要である。

このように今の福祉問題は広汎多様であるが,福祉は居ながらにして与えられるものではない。福祉は人間努力の成果であり,経済成長の成果であつて,成長なき停滞社会に福祉増大の機会は生れない。しかしながら,経済成長のあり方いかんによつては成長が必ずして万人の福祉の向上につながらない面もある。これまでの速い成長過程で,公害,有害商品の増大,自然や文化財の破壊など多くの社会的歪みが生じてきていることも否めない。経済成長と福祉を万人ものにするには生産や配分のあり方についても広く国民的な合意を確立していくことが必要であろう。すなわち速い成長の実現と所得増大に全力をあげるのではなく,マイナスの福祉をともなわない成長にそれが重要視されるべきである。またこれまでの速い成長に馴れすぎた結果,企業も消費者もとかく利己主義と物質主義に流れ,精神的な豊かさを見失う風潮がないでもない。その意味では,経済成長は,現代社会を構成する人たちの正しい価値によつて支えられなければならない。成長と福祉は本来対立的なものではない。要は経済成長の内容とあり方にある。経済成長の究極にあるものは,進歩と福祉が調和しあつた豊かな経済社会,文化社会の実現にあるといえよう。

以上のように,長期繁栄持続のなかで日本経済は,いままでとちがつた新しい試練をうけつつあり,内外両面にわたつて新しい発展の次元を目ざして努力を致すべき時期にある。現在の経済繁栄とすぐれた成長力を生かしつつ,質的にさらに高次の経済的,社会的繁栄を可能とする道を切り開いていくこと,これが1970年代の初頭にわれわれに与えられた大きな課題であるといえよう。


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