昭和45年

年次経済報告

日本経済の新しい次元

昭和45年7月17日

経済企画庁


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第1部 昭和44年度の景気動向

第3章 景気調整策の新しい課題

2. 今回の景気調整をとりまく諸条件

今回の景気調整期には,国際収支黒字がつづいていること,景気を支える要素が個人消費,設備投資,輸出などに多様化していること,物価上昇が長期に及んでいることなど従来の調整期にはみられなかつたいくつかの特色があり,景気調整策の遂行にあたつて新たな問題をなげかけている。

(1) 国内均衡と対外均衡

国際収支が黒字基調にあるときに,景気上昇力をやわらげることはいくつかの困難をともなう。ひとつには一般的にいつて金融引締め政策は輸出ドライブ,外資依存への高まりをもたらす可能性があるためである。

諸外国においてはその背景,期間,あるいは程度に差はがあるが,国内均衡と対外均衡が異なつた動きを示すことは時々みられることである。国際収支黒字と需要超過が併存した例としては,1962~65年のフランス,1968~69年の西ドイツ,また赤字と不況ないしは低成長が併存した例としては1961年のアメリカ,1967~68年のイギリスなどを指摘できる。これらの国においては,財政,金融政策をはじめ多彩な政策がとられてきた( 第59表 )。

わが国は従来,国際収支赤字,国内高成長の際に金融引締め政策が実施されてきたが,国際収支黒字,国内高成長下の金融引締めは今回が初めての経験である。この経験を機会として,国際収支黒字下における景気調整のあり方について検討を進めることが必要であろう。

ひとつの方向として財政面での景気抑制機能を強化することがある。財政面からも抑制が行なわれれば金融引締めの度合いは相対的に軽くなり,外資依存の高まりによる資本収支面での国際収支黒字要因あるいは外貨準備の増加要因は少なくなる。いま,当庁経済研究所の短期経済予測マスターモデルをもちいて政策手段間の代替関係をみると,公定歩合の0.1%引上げと同程度の総需要抑制効果が,政府投資270億円削減,あるいは法人税率の0.53%ポイント引上げ,個人所得税681億円増税によつてもたらされることがわかる。ただわが国の場合,社会資本の立遅れが著しいことから,財政支出面での抑制効果に大きく依存することには限界がある。こうした状況のもとでは,相対的に法人税,個人税など税制面での景気抑制機能が重要な役割をますことになる。45年度予算において,法人税負担が1.75%ポイント(住民税を含めると2.01%)引き上げられたことは,以上のような内外均衡の同時達成という観点からも評価できよう。

(2) 長期繁栄,黒字基調と企業マインド

41年以降の長期に及ぶ経済繁栄がつづき,しかも国際収支が大幅な黒字をつづけている事実は,企業の経済成長に対する期待を支え,企業マインドを強気にさせる面をもつている。従来の引締め期には,国際収支の改善が一般に認められた引締め政策の旗じるしであつたし,国際収支の悪化自体がある程度企業マインドを慎重化させる面をもつていた。こうしたメカニズムが今回には働かず,国際収支黒字と輸出増大の環境下で企業は一段と積極的に経営拡大を急ごうとする雰囲気がかもしだされていた。

今回の引締め政策は国際収支黒字下において,景気の過熱を防ぎ物価上昇を沈静化するためのものであり,いわば,わが国の景気政策の新しい扉を開くものであつただけに,企業および国民一般の意識の転換には時間がかかり,それだけ調整の発現がおくれる可能性があつた。

(3) 景気局面の違い

すでにみたように今回の景気が個人消費,設備投資,輸出,住宅建設など多様な需要に支えられていることも従来に比べ経済実体面に引締め政策の効果が及びにくかつた原因のひとつである。岩戸景気時には引締め効果の及びやすい企業投資(設備,住宅および在庫)の経済拡大に寄与した割合は5割近かつたのに対し,今回は在庫投資が安定していたことから4割にとどまつている(前掲 第13表 参照)。その反面,従来と比べ輸出の経済拡大に寄与した割合が高まり,さらに設備投資についても輸出によつて誘発される割合が高まつている( 第16表 参照)。今回の景気上昇がこうした性格をもつていたことは一般的にいつて,国内需要の管理政策の有効性を低下させる面をもつていたと考えられる。

さらに,輸出の活況は輸出成長企業の資金繰りを助け,輸出企業の投資を金融面から支える結果になる。輸出増加によつて資金繰りが楽になるのは輸出金融制度もあつて資金調達が容易であること,輸出による売上げは現金化が早く,売上債権の拡大が防がれることなどによるものである。

(4) 物価上昇下の金利機能

以上は,国際収支面でのちがいが引締め効果の発現を遅らせている事情をみたものであるが,このほか長期にわたる強い需要圧力と世界的インフレ傾向のもとで,物価上昇が長くつづいてきたことも調整効果を遅らせる要因になつていると考えられる。

44年春以降の年率4~5%近い卸売物価の上昇は一時的としても,物価がすでに長期間にわたつて上昇をつづけている事実は,企業に対し将来にわたるインフレ期待をいだかせることになる。物価が必ず上昇するという期待のもとでは実質的な金利負担は名目上の金利水準より低く意識されるであろう。 第60図 はそうした点を考慮に入れて名目金利(貸出約定平均金利)と実質金利の例を試算したものである。もちろん 第60図 における実質金利動向をすべての企業にとつて共通した実質金利の動きであるとはいえない。それは企業家によつて物価上昇期待の生まれ方が異なるし,実質金利負担を考える場合のデフレーターも異なると考えられるからである。しかし問題は実質金利と名目金利の動きが異なり,とくに44年の秋以降のように名目金利が上昇していても,実質金利負担は低下する場合がありうることである。これは表面上の金利上昇が物価上昇によつて減殺されることを意味している。

44年8月以降,貸出金利の上昇は比較的速かつた反面,その投資抑制効果はなお十分にあらわれていないが,これにはこうした実質金利負担感の低下といつた事情もある程度働いたのではなかろうか。これは,持続的な物価上昇の下で金利の景気調整機能を発揮させるには一層弾力的な金利政策の運営をはかるとともに,今後の金融政策にあたつては通貨量,貸出量などの動きをいつそう重視していく必要があることを示唆するものであろう。


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