昭和44年

年次経済報告

豊かさへの挑戦

昭和44年7月15日

経済企画庁


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第2部 新段階の日本経済

むすび

―豊かさへの挑戦―

日本経済は,戦後4分の1世紀にわたつて高い成長をつづけ,その結果,今では経済規模において自由世界第2位となり,国際的地位も高まつた。同時に,成長の過程で,かつて日本経済を悩ました失業や極端な低収入はほぼなくなり,二重構造も解消に向かつている。物的な意味での古い貧困に打ち克つことに成功しつつあるといえよう。そしてわが国民の資質と活力をもつてすれば,国民1人当たり所得水準において一流先進国水準に達することはもはや時間の問題であるともいえる。

しかし,ひるがえつて成長の中身をみれば,なおあまりに多くの未解決の問題を残している。本文で詳述したように,経済的な意味においてはもちろん,経済成長がもたらす社会的な成果の面でも多くの困難をかかえ,所得とか,物的な豊かさとは別の意味の貧困が生じているといつても過言ではない。今後,これらの問題の解決に挑戦し名実ともに“豊かな国”をつくり上げることが,新しい経済政策の目標である。この目標を実現するために必要なことは何か。

第1は,現在の景気上昇をできるだけ息の長いものにすることである。景気が停滞したり,変動が激しかつたりしては困難な問題に取組む十分な余裕は生まれない。たとえば,社会資本の立遅れが生じた一つの原因が,短期的な景気政策と長期的な資源配分政策との調和が必ずしも十分ではなかつた点にあることは,すでに指摘したとおりである。現在,景気は,過去の景気上昇の最長であつたいわゆる“岩戸景気”の記録を更新して,相当な拡大テンポを持続しているが,先行き内外情勢には予断を許さないものもある。また,国際収支の天井が高まりつつある今日,国際収支だけを目安にしがちであつた従来の景気調整策ではタイミングを失するおそれもでてきた。今後,国際均衡と同時に国内均衡を重視した景気調整策の運営をはかるとともに,景気調整機能の整備などを通じ,この景気をできるだけ息長く,かつ変動の少ないものにしていく必要がある。

第2は,成長の中身の充実と社会的富の蓄積をはかることである。その一つは,遅れた部門の近代化を積極的に進めることである。過去の成長過程で農業,中小企業など遅れた部門の生産性は高まり,先進部門との格差をちぢめたが,なお,大きな格差があり,そのことが消費者物価の上昇の重要な原因ともなつている。すでに労働力不足や国際化の進展もあつて,これら部門での近代化意欲も高まり,本文でみたように農業での日本的機械体系の整備,中小企業での省力投資や構造改善など新らしい発展の芽があらわれている。しかしながら,これらの新らしい動きも既存の制度や慣行あるいは価格決定の方式のなかでは十分に育ちにくいという事例もみられる。今後,輸入の活用や価格機能の強化などを通じて効率を高めるとともに,新らしい発展の芽が育つための環境の整備を進めることが必要である。後れた部門の近代化が進めば,経済的アンバランスも解消の方向に向かい,経済全体の生産性を高めることになるが,それは,また今後の成長を支える大きな力となろう。

もう一つは,経済成長の成果が社会的側面にもおよぶよういつそう配慮することである。社会資本の立遅れ,公害や交通事故の増大は物価上昇と並んで国民の生活に対する不満感の大きな原因になつている。こうした社会的側面での貧しさを克服することが,1人当たり国民所得水準が,1,000ドル段階に達した今日の大きな課題である。

このさき,遅れた部門の近代化,社会的側面の充実をはかるには,これまでとは資源の配分を変えていく必要があろう。しかもそれが経済の成長を阻害しないためには,本文にのべた成長と,国民生活のための新らしい産業構造を目指して資源を最も効率的に活用するとともに,それを支援する高い知性と行動力をそなえた人間能力の開発と独創的な開発にもとづく技術の革新をさらに進めなければならない。

なお,この成長の中身を充実するという経済政策に関連して強調されなければならないのは,新らしい時代に適した新らしい経済理論が用意されなければならないということである。とくに,情報化,社会保障,社会資本,公害,生産性と物価などの問題についての新らしい分析手法と理論の開発が期待される。

第3は,国際社会への参加と協力をいちだんと積極的に進めることである。

近年わが国は,貿易と資本の自由化を進め,経済協力にも努めてきたが,急速な経済成長と国際的地位の向上にともなつて,今後,さらに自由化を進めて国際的な門戸を拡げ,同時に開発途上国への協力をいつそう積極化する必要がある。このことはわが国経済の効率化と世界貿易の拡大に貢献するであろう。とくにアジア近隣諸国に対する経済協力が,広域的かつ互恵的な国際分業体制という形で行なわれるならば,労働力不足や高密化現象が進行しつつある日本と工業化の基礎固めを必要としている開発途上国との双方にとつて,新らしい発展のための条件が与えられることになろう。

以上の課題に応えることは必ずしも容易ではない。先進国水準に近づいた今日,他国の経験に学ぶことはできても単なる模倣はできなくなつてきたし,また,経済力が高まつたといつても,解決すべき問題はなお多く,ある目標の達成のためには他の目標を犠牲にしなければならないという選択の問題はいぜんとして残つている。この困難を乗りこえるに必要なことは,これまで経済政策上で通念化された思考や制度慣行を再検討し,新らしい時代にふさわしいものに変革していくことである。戦後のいくつかの制度改革がその後の繁栄の枠組みを与えたことからもわかるように,人々の思考や社会の制度慣行が経済社会の進歩に与える影響はきわめて大きい。戦後作られた制度慣行のなかには,今なお積極的な役割を果たしているものも多いが,制定当時の目標や意義を失なつたものや,その効力が薄らぎかえつて発展の障害になつているものも少なくない。

いま,わが国が当面している経済的・社会的アンバランスに関連の深いいくつかの側面から,30年代以降の政策意識の変化を,経済計画に即してみると( 付表10 参照),30年代前半と最近年ではいずれの政策項目についても大きな変化がみられる。たとえば,農業ではその重点が食料増産・外貨負担軽減といつたものから,近代化のための構造改善,農産物の安定的供給とこれに即した輸入の活用や離農の円滑化ということなどに変わり,物価対策でも鉄や石炭などの基礎物資の価格安定から最近では食料,サービス料金などを中心とした消費者物価の安定へと重点が移行している。時代の要請が経済の発展とともに変わつているのであつて,その要請に応えて制度や慣行が十分に適応しているものほど政策効果も大きく,通念にとらわれて硬直化しているところでは前進がみられないといえよう。

歴史的に成立してきた通念や制度慣行は決して動かすことのできないものではない。新らしい経済社会には,新らしい思考と新らしい制度慣行が必要であつて,それを通じてはじめて“豊かさへの挑戦”が可能となろう。


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