昭和43年

年次経済報告

国際化のなかの日本経済

昭和43年7月23日

経済企画庁


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第2部 国際化の進展と日本経済

むすび

―国際化のなかの日本経済―

はじめにのべたように,昭和43年は日本経済にとつて二重の意味をもつている。1つには,予想をこえた拡大がもたらした不均衡を「調整」する年であること,2つには,対内的には労働力不足経済への移行が本格化するとともに,対外的には国際的な接触と交流がいちだんと深まるという歴史的な年にあたつているということである。このようなときに当たり,日本がかかえている課題とわれわれが解決しなければならない問題とは何であろうか。

第1は,当面の景気調整策を有効に運営し,変動の少ない経済成長を実現していくことである。41年後半より回復の歩調を速めた景気は,旺盛な民間設備を先頭に予想をこえて拡大し,日本の経済力をいちだんと高めるのに貢献した。昭和42年の国民総生産の規模は41兆6千億円(1,157億ドル)と米ソにつぐ大きさに達し,貿易規模も輸出入合計で221億ドル(通関ベース)と世界貿易の5.5%を占めるに至つた。しかしながら,この急速な拡大は,10年ぶりの世界的な景気後退とあいまつて,わが国の国際収支を前年までの黒字基調から大幅な赤字基調に転じさせた。このため政府,日銀は42年9月にまず公定歩合の1厘引上げと財政支出3,000億円の繰延べを行なつたが,ポンドの切下げもあつて,43年1月からさらに公定歩合を1厘引上げ調整策を強化した。幸い,その後調整効果は漸次,経済の各分野に浸透し,海外景気の回復ともあいまつて,国際収支は均衡を取戻すに至つた。景気政策の基本的な課題は,景気の波動をなるべく少なくし,適正な成長率から大きくはずれないように制御していくことであるが,当面景気がどういう動向を描くか,現時点ではまだ明確な判断を下しえない。このさき景気の動向を早期かつ適確に把握しながら,景気政策を機動的に運営していく必要がある。

第2は,労働力の不足化と国際化のいつそうの進展に対応して,わが国経済の近代化をさらに前進させることである。日本経済は,労慟力に対する需給の両面から歴史はじまつて以来はじめて労働力不足経済に移りつつある。他方,国際的にみれば貿易・資本のいつそうの自由化,関税の一括引下げ,開発途上国への援助拡大,国際通貨体制の再建強化など戦後世界経済の一時期を画する事態がおこり,日本経済にも大きな影響を与え,かつひきつづき与えようとしている。このような国際的な交流の拡大は,明治維新の開国にも比すべきもので,その近代化促進効果も衝撃も大きい。かつての開国が日本の経済・社会の近代化の道をひらいたように,いたずらに国際的な接触を恐れて保護主義的傾向になることは誤りである。同時に国際化を無条件に受け入れたり無計画にこれに臨んだりすべきでもない。そうして何よりも戦後日本の成長を支えた競争的基盤の上で経済の能率化をいつそう促進し,そのためにも,経済社会にみられる制度・慣行の硬直化を打ち破ることが必要である。

第3は,経済の効率化と成長が国民生活の向上を保障すべきことである。経済の効率化と成長が国民福祉増大の前提条件であり必要条件であることはいうまでもないが,十分条件ではない。それが物価の上昇や社会資本の相対的遅れを招いたり,あるいはゆたかな物の生産がかえつて消費者の主体性を侵したりするようになつては,真の経済の繁栄とはいいえない。過去の成長の過程で所得水準も消費水準も向上したが,国民の福祉向上への期待も高まつていることに留意すべきである。

第4は,対先進国・対開発途上国を含めて国際協力をいつそう推進することである。日本経済は国際的な交流を受け身に受けとるだけでなく,国際社会に参加し,その利益を享受するとともに世界に対する責務を積極的に果たすべきであろう。とくにベトナム戦争が終結に向かおうとしている今日,平和国家としてこれまで生きてきたわが国の開発途上国に対する役割は大きい。さらに先進国との間でも,よりいつそう自由な経済交流と新らしい国際通貨体制の確立に向かつて,国際的な協力を積極的にすすめていくべきである。

日本経済はいま明治100年を迎えている。過去100年間歩んできた道は,必ずしも平坦でなく過ちも多いものであつたが,とにかく先進国に追いつくという目標を達成しつつある。これから先は,追いつくという意味での模倣の余地が少なくなつていくが,われわれ日本国民がもつている英知と力を十分に発揮するならば,国際化がすすむなかで名実ともに先進国になりうるであろう。


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