昭和42年

年次経済報告

能率と福祉の向上

経済企画庁


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第2部 経済社会の能率と福祉

2. 高能率経済の原動力

(2) 外国貿易の役割

天然資源に乏しいわが国の経済にとって,外国貿易はその発展にとつて決定的な重要性をもつている。なかでも,輸出は貿易拡大の原動力である。

輸出の役割の第1は,外貨獲得を通じて国際収支の天井を高め,輸入の代価をまかない生産活動や消費の水準を高めることである。その第2は,有効需要水準を高めて国全体としての所得と雇用の増大をもたらし,多くの産業に「規模の利益」をうけさせる機会をつくり出すことである。

このような意味をもつ輸出は,これまで果して効率的におこなわれてきたか,これからどういう輸出を考えれば最も効率的か。以下これらの点についてみてみよう。問題は2つに分けられる。1つは,輸出1単位でまかなえる輸入数量はどう変わつてきたか,つまり交易条件は日本にとつて不利になつたかどうかとしいうことであり,いまひとつは,輸出構造が国内経済や海外需要の動向に見合つて変化し,それによつて輪出総量を能率的に伸ばしえたかどうか,という点である。

第49図 各種の交易条件

昭和30年代のわが国の貿易はいちじるしく拡大した。OECDの資料によれば,先進諸国のうちでも輸出が31年から41年にかけて年率10%以上の伸びを示したのは日本,イタリア,西ドイツの3ヵ国だけである。なかでも日本は17.2%ときわだつて高い伸びを示したが,商品交易条件は35年以降不利化の傾向をまぬがれなかつた。

第49図 でみるように,30年代前半においては,31~32年のスエズ動乱の影響による輸入価格の急騰とその反動で商品交易条件は大きく変動したが,30年と35年とを比較すればかなり有利化していた。ところが,35年以降は輸入価格はほとんど固定的であつたのに対して,輸出価格は低下傾向をたどつたため,商品交易条件は不利化してきた。つまり,輸出1単位で買える輸入量が少なくなる傾向があつた。このかぎりでは,日本にとつての貿易の利益を損うものであつたようにみえる。

しかしながら,わが国の輸出価格の低下は,輸出関連産業での能率の向上(生産性の上昇)によつてもたらされた輸出競争力の成果であつた。輸出関連産業において投入された労働1単位あたりについて獲得できる輸入品の数量をあらわす指標を要素交易条件指数(商品交易条件指数×労働生産性指数)でみると,それは,商品交易条件が不利化したにもかかわらず,30年代を通じて一貫して上昇をつづけた。

第50図 鉱工業生産の増加率と労働生産性の上昇

このようなことが可能であつたのは,1つにはわが国の鉱工業生産の増加率がきわめて高かつたことに由来する。 第50図 および 第51図 の国際比較によつても,鉱工業生産の増加率の高いほど労働生産性の上昇は高く,輸出価格が低くなつている(または価格上昇率が小さい)。

こうした商品交易条件の不利化,要素交易条件の有利化という状況の下で,輸出がより多くの輸入を可能にしたかどうかをみるために,「輸出にもとづく輸入力指数」をみると,それは要素交易条件指数を上回るするどい上昇基調を示し,40年には30年の4.6倍と,先進国の中でずばぬけた伸びを示している。このことはわが国の国際収支の天井が輸出量の増加によつていかに大きく高められたかを物語つている。

以上のことから,商品交易条件の不利化は,要素交易条件の有利化によつて十分つぐなわれており,貿易の効率が高められてきたこと,しかも生産性の上昇にもとづく輸出価格の低下は,わが国の輸出競争力を強めて輸出を増大させるとともに,そのような輸出の増加が経済成長をさらに促進したことは明らかである。

このように,日本の輸出の伸びが大きかつたのは価格競争力の向上につとめてきたことによる面も大きいが,同時に,世界の貿易構造の変化と国内における労働力不足経済への移行に対応して輸出構造の高度化をはかつてきたためでもある。

昭和30年代初期の輸出構造をふり返つてみると,織物,がん具,縫製品,身回り品などの軽工業品が中心となつていて,重工業品の輸出もかなりあつたけれども,それらには鉄鋼・基礎化学品などの加工度の低い基礎物資が多かつた。30年代の日本の産業はいちじるしい重工業化をとげ,それにつれて輸出構造においても重工業品の比重が高まつた。輸出構造の重工業化は30年代の後半においてとくに著しかつた。

こうした重工業化は,もともと資本不足・労働力過剰によつて特徴づけられた日本経済にどんな意味をもつていたであろうか。資本と労働との組合せについて能率的であつたか,また賃金や生産性の点からみるとどうであつたか。

第52表 輸出の構成比,増加率

いま,食品を除く製造業28業種を資本集約度の高さの順に重工業と軽工業とに分けて,さらにそれぞれをより資本集約的なものとより労働集約的なものに分類して,それらの輸出構成比や,輸出増加寄与率を計算してみると, 第52表 のような結果がえられる。普通,資本集約度といえば,労働者1人当りに使用する資本量をいうが,ここでは総合的な資本集約度,つまりある製品をつくるのに直接に必要な資本量や労働量だけでなく,投入される原材料をつくるのに必要な資本や労働までも含めて考えている。そうすればある製品がつくり出される全生産工程での資本と労働の組合せが明らかになるからである。

前掲 第52表 にみるように,30年当時は織物,時計などの資本集約的軽工業品が工業品輸出額の39%を占めており,また重工業品では,鉄鋼,基礎化学品,非鉄金属品などの資本集約的商品が28%を占めていた。

しかし40年までの10年間に労働集約的重工業品がきわだつて伸び,増加寄与率も30年代を通じて4割前後を占め,輸出構成比も,40年には4者中最高(35.2%)となつた。また資本集約的重工業品の40年の比重は31%に高まつたのに対し,資本集約的軽工業品の比重は26%に低下した。しかも,労働集約的軽工業品の比重の低下の度合はもつと大きく,30年の18%から40年には8%に落ちた。

30年代の輸出伸張は上のような構造変化を伴つたものであり,そのことはまた海外需要の動向により適合することでもあつた。 第53表 は,世界の輸出工業品74商品を資本集約度と成長率の大きさの順にわけ,それぞれの比重の変化を示したものであるが,これによると,30年代に比重が高まつたのは世界全体では労働集約的重工業品だけであつたが,日本の場合もこのグループでいちじるしい比重の上昇を示した。さらに,わが国の場合,ただ労働集約的軽工業品で比重が低下しているのをのぞけば,世界の需要動向に即応した動きをみせ,労働集約的重工業品での比重の上昇が最も大きく,ついで資本集約的重工業品の順になつている。

このように,日本の輸出は,世界貿易の変化に能率的に適応してきたが,同時にこれは,労働力不足経済への移行にともなう賃金格差の縮小傾向にも対応していた。すなわち従業者1人当りの平均賃金は, 第54表 にみられるように,資本集約度の高い産業ほど高い傾向があるが,30年代を通じ格差の縮小がみられ,とくに労働力不足がきびしくなつてきた30年代後半には,その縮小スピードが加速された。一方,労働の生産性は,30年代前半においても資本集約度の高い産業で高い傾向があつたが,後半にはいるとこの傾向はますます強まり,この結果,重工業品にくらべて軽工業品の国際競争力が伸び悩む傾向が生まれてきたのであろう。

第55表 出荷額の増加率と構成比

さらに,わが国の輸出構造の高度化は,国内産業構造の変化に支えられていた。 第55表 にみるように,出荷額を輸出と同様に分類してみると,出荷の伸びが高いグループほど輸出の伸びも高い。この間の国内産業としての発展が量産効果をもたらしコストを引下げ,このことが後半における重工業品,とくに資本集約的重工業品の輸出の拡大をもたらしたのである。

一方,工業品の輸入について,輸出の場合と同様な分類をおこなつてみると( 第56表 ),30年代後半に軽工業品関係の輸入がふえているが,この傾向は労働力不足化という国内事情や開発途上国の発展という国際関係を考えると今後ともつづくであろう。

これまでみたように,日本の輸出拡大はきわめて能率的におこなわれてきたがさきの 第53表 からわかるように,労働集約的重工業品のなかの高成長品の日本での比重は,工業国全体のそれとくらべるとまだ格差がある。したがつて,今後は軽工業品の輸入をおそれるより,軽工業自体についても機械化等による資本集約化の促進を図つて,生産性を高める努力を行なうとともに,基本的には高生産性部門の輸出競争力を強化することによりいつそうの輸出拡大をはかることがより望ましいと考えられる。


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