昭和42年

年次経済報告

能率と福祉の向上

経済企画庁


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第2部 経済社会の能率と福祉

1. 能率と福祉の現状

(1) 経済成長と能率の向上

昭和30年代の日本経済は,世界にも稀な発展をとげた。国民総生産(GNP)は30年から41年にかけて年平均10%(実質)の高い率で成長した( 第28表 )。この結果,41年度には,時価で1,000億ドル(36兆円)の規模に達し,米ソにつぎ,独英仏と肩を並べるにいたつた。

経済の成長は,人口の増加と1人当りの生産の増加であらわされるが,過去10年間,わが国では,人口のふえ方は年率1%の増加であつたのに対し,1人当りの生産(GNP)は年率9%ときわだつて高い増加をみせてきた。

このように,1人当りの生産(GNP)の増加が大きいことは,経済の能率化が急テンポで進み,国民の所得水準が着実に上がつていることを示しているが,それはどのような姿で進んできたか,またそれを進めた要因はなにか,以下それらについてみてみよう。

戦後の日本は,土地や原材料などの天然資源の面では必ずしも恵まれた条件のもとにはなかつた。しかし,労働力という面では恵まれていた。人口の増加が,過去10年間に899万人であつたのに対し,生産年齢人口(15歳以上人口)は1,366万人増加し,その結果,年平均60万人(年率1.3%)という大きな労働力人口(生産年齢人口のうち働く意志と能力のある者)の増加が可能であつた。もつとも,労働力人口が伸びたにもかかわらず成長はあまり高くなかつたカナダのような国もあるし,労働力人口の増加は期待できなかつたのに1人当りの生産性をあげることで成長してきたフランスやイタリアのような国もあり,問題は労働力の増加というよりも,それが十分に生かされる機会があつたかどうかである。その機会がなければ,労働力の増加は失業の増加になつてしまう。

30年代はじめの日本経済は,まだ失業者や潜在的失業者が多かつたが,急速にその数は少なくなつてきた。「就業構造基本調査」による失業者は,31年の87万人から40年には,不況の年であつたのにもかかわらず44万人へと減少してきている。労働力人口の増加が,経済の成長とうまく結びついてきたわけである。

しかし,日本経済はそれだけではなく,就業者1人当りの生産を高めることによつて,つまり生産性を上げることによつて成長してきた。

就業者1人当りの国民総生産(35年価格)は,景気の波とともに変動し,35,36年および39年の好況期にはそれは12~14%にも及ぶ一方,33年,40年の不況期には2~3%の伸びにとどまつていたが,31年から41年の間をならしてみると年平均8.1%の大きさになつている( 第29表 )。

それでは,このような生産性の増大は何によつてもたらされたのであろうか。

その第1は,技術進歩が大きかつたことである。生産が増加する要因の中には,労働力の増加による部分と資本の増加による部分のほかに,技術進歩を中心に資本とか労働とかいつた生産要素の節約によつてもたらされる部分がある。この点を国際比較をしながらみてみると, 第30表 のように,31~39年間において日本での技術進歩(要素生産性上昇率)は年率4.9%と他の国にくらべて高い伸び率を示している。(もつとも,労働力や資本の増加も大きかつたので,全体の生産の伸びに対する寄与率では49%とアメリカにくらべてむしろ低く,イギリス程度であつた。)

第2は,資本の蓄積テンポが速かつたことである。わが国の高い貯蓄率によつてまかなわれた資本(設備)は,技術進歩を生産という形で実現するためにも,また,労働力をより効率的に活用するためにも重要であつた。

国民総生産に占める機械設備などの投資の割合をみると,日本は世界でもきわだつて高く,その結果,日本の粗資本ストツク増加は,過去10年間年率9.7%と,アメリカの2.8%やイギリスの3.2%にくらべてひときわ高かつた。

第31表 資本装備率(1964年)および資本装備率上昇(1955~1964年)の国際比較

資本ストツクの増加は,たんに新しく雇用される労働力に資本を与えるだけでなく,労働者1人当りの資本をふやすという形で進んできた。これを資本装備率の上昇といつているが,30年代の後半になつて,次第にこれまでより労働力需給がつまつてくるようになつてから,資本装備率上昇の傾向はいつそう強まつてきている。全産業(民間)の就業者1人当りの粗資本ストツク(35年価格)は,31年から35年にかけて年率5.8%の伸びであつたものが,35年から39年には9.6%と上昇の度合が高まつている。別の言葉でいえば,人手不足からだんだん割高になつてきている労働から資本への代替が進んでいるのであつて,そのことが労働節約的技術の採用となつてあらわれている( 第32表 )。

第3に,技術の変化や,所得水準の上昇によつて需要の対象が変わり,それにつれて産業構造も大きく変化してきたが,日本では,労働力がこのような変化に対して十分適応できる能力をもつていた。そして,資本や労働が停滞的な産業から発展する産業へと移動してきたことである( 第33表 )。

経済はさまざまな産業によつて構成されているが,産業によつて生産性がちがうし,これからの技術進歩の可能性にも大きな違いがある。もし,生産性の低い部門で働いている労働力が生産性の高い部門に移動すれば,それだけでも国民経済全体の生産性を高めることになろう。このように,労働力が産業間を移動することによる効果を国際的に比較してみると, 第34表 のように,生産性の上昇の大きい国では,雇用移動の効果が大きい。

このような就業構造の変化は,需要構造が変化していることと密接な関連をもつている。経済の水準が高まるにつれて,国民の欲望の対象も当然変化してくるし,それはまた消費や投資の需要の割合を変える。たとえば, 第35表 のように,各国とも経済発展につれて個人消費の中で食料費の割合(エンゲル係数)が低まり,耐久消費財などの第2次産業製品やサービスなどの割合がふえているが,この傾向は日本ではとくに強い。こうして労働や資本の流入は製造業,なかでも重化学工業でとくに著しく,第1部でみたように重化学工業化率が高まつた。

以上のように,高生産性部門を中心に技術進歩がはやく,また労働や資本が流入して能率化を進めてきたが,一方で低生産性部門についてはどうであつたか。農業についてみてみよう。

先進国では農業就業者は絶対数でみても減つている。これは農業の生産性が,自然条件などの制約や過剰就業をかかえていたこともあつて,他の産業にくらべて低く,また農産物に対する需要の伸びも第2次産業の生産物やサービスなどにくらべて鈍いためであつた。もちろん,このような農業就業人口の減少には,非農業部門からの吸引力が強かつたことが大きく働いているが,農業自体にもそれを可能にする生産性の向上があつたことも事実である。たとえば,30年代の先進国についてみると,農林水産業の生産性の上がり方は,ほかの産業にくらべて決して低くなく,むしろ高い伸びを示している。つまり,第1次産業の生産性の上昇には,就業人口減退という消極的な要因もあるが,より少ない労働力でより多い農産物を生産することが可能であつた。

日本の農業もこの期間能率化が進んだ。国際的に生産や生産性の上昇率をみると, 第34図 にみるように30年代を通じてみれば低い方ではなかつた。これまでの日本の農業の生産性向上は,①農業の過剰人口が農村から押し出されるというよりも,むしろ都市を中心にした急速な工業の発展によつて非農業部門に吸収されるというかたちで行なわれてきた。②また,戦時中から戦後にかけて開発された新しい技術が集中的に導入された。たとえば,薬効の高い農薬,肥効性の大きい肥料,耕うん機等の農機具の導入などによつて,小農的な技術であるとはいえ,能率を高める上で大きな役割を果した。③さらに,戦後の制度的諸改革や土地基盤の整備がその能率化を進めたということができよう。

以上みたように,近年の日本経済の能率向上のテンポは国際的にみても最も高かつたにもかかわらず,その絶対的な水準は低い。規模において米ソにつぎ,英・独・仏と肩を並べながら,1人当りの国民所得でみると,41年で790ドル(公定為替レートによる)と世界で20番目ていどである。

第36表 1人当たり国民所得の国際比較

これは,これまでの経済水準があまりに低かつたためではあるが,日本経済が持つている潜在能力がまだ十分に開発・発揮されていないことを示している。

それはなぜか。第1に,高生産性部門に属する部門においても,まだ国際的にみた生産性格差が大きいことである。たとえば,製造業の規模1,000人以上の工場の1人当り年間出荷額をみると,アメリカの1,087万円に対し,日本は494万円で46%であり,1人当り付加価値では36%と,さらに低くなつている。日本の製造業の中で,付加価値生産性がアメリカの4割以上に達しているのは板ガラス,ラジオ・テレビ受信機など19業種で,業種全体の7%にすぎない。

第2に,さらに重要なことは,日本経済では産業構造がまだ十分高度化せず,低生産性部門の比重が高い上に,高生産性部門との生産性格差がきわめて大きいことがあげられる。

第37表 日,米,英の規模別生産性格差(製造業)

第38表 中小企業・大企業別の出荷・販売額構成比および伸び率

第35図 従業員規模別の資本装備率と粗付加価値生産性

製造業の規模別生産性格差をアメリカ,イギリスとくらべてみると, 第37表 のように,日本は大規模企業と小規模企業とでは,その差がきわめて大きい。

日本の中小企業は,30年代においてかなりの発展をとげた。過去10年間に,中小製造業の出荷額は3.9倍(年率14.6%),卸売業の販売額は2.9倍(年率11.2%)小売業のそれは2.7倍(年率10.4%)伸びている( 第38表 )。とくに,食料品,繊維などの軽工業の分野での生産増加に対する寄与率は,企業数も多いこともあつて中小企業の方が高くなつている。

しかし,30年代後半になるにしたがつて,人手不足が深刻化し,このため中小企業と大企業の賃金の格差は縮まつてきたが,付加価値生産性の格差は賃金格差ほど縮小していない。大企業では,賃金を上回る生産性の向上によつて分配率は低下傾向をみせているが,中小企業では大企業にくらべて高い分配率はいぜんとして変わらず,中小企業の資本蓄積力は高まつていない。中小企業でもこれまでとちがつて安い労働力に依存するという余地が次第に乏しくなつてきたためである。中小企業は,今後ますます生産性を高めねばならないが,そのための近代化投資がいつそう必要になろう。もともと,規模別の生産性格差は,資本装備率の格差の上に最もよくあらわれている。 第35図 にみるように,資本装備率の差が生産性の大きな差をもたらしているが,中小企業の方が資本装備率を上げた場合の付加価値の増加率が大きくなつている。

第39表 日本に比較した西欧主要国の農業生産性(1962年)

第40表 産業構造・就業構造・相対生産性の国際比較

前にのべたように,30年代に日本の農業は能率化をかなり進めることができた。しかし,生産性の水準を国際的に比較すると, 第39表 のように,土地生産性は高いが,労働生産性は低いという特徴がみられる。また,国内においても,他の産業にくらべての生産性格差はとくに大きく( 第40表 ),しかもここ数年農業生産の鈍化が目立つている。

日本の農業の労働生産性が低いのは,①まず,零細な経営規模の上で農業生産が行なわれていることである。たとえば,折角導入された機械の能率が経営面積が狭いため十分発揮されず,その上新技術の展開にも制約になつている。②さらに,農村あるいはその近郊で非農業の雇用機会があつたことや,労働力の流動化を助ける職業訓練・社会保障制度などが十分でなかつたために,兼業という形を残しながら農業人口が減少した。その結果,零細兼業農家は兼業で所得を維持しながら農家としての生産性が専業農家より2~3割低い形で残ることになり,また残された労働力の質が相対的に劣ることになつたためそのことが国際的にみて日本農業の低生産性の一因になつている。