昭和41年

年次経済報告

持続的成長への道

経済企画庁


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持続的成長への道

持続的成長のための諸政策

産業政策の役割

経済の成長につれて、世界経済の中の日本の地位、需要構造、労働力や資本の需給関係、生産投術等あらゆるものが変わってくる。 従って従来の産業構造や生産の方法をそのままにして拡大していくことはできない。 均衡のとれた成長を実現するためには、こうした変化の方向に沿って、経済構造や産業構造を適応させていかなければならず、そのような適応をおし進め、新しい産業体制の発展をたすけていくことが産業政策の重要な任務である。

成長に伴う諸条件の変化のうち、多くの点については既に説明してきた。次に、日本の経済が当面している問題の中で、特に大きなものについて要約しよう。

第1に、世界経済との関連でみれば、本格的な開放体制への移行が迫っているという点である。 昭和35年に、貿易為替自由化計画大綱が決定されて以来貿易自由化は急速に進んだ。 35年4月には42%であった自由化率は、39年4月IMF8条国へ移行した時は93%に達した。 現在は関税一括引き下げ交渉にも積極的に参加しているが、今後は資本取引の自由化も進められることになろう。 このような開放体制の進展は一面では、日本の産業にとって、国際競争の厳しさが増すということである。

海外企業と日本の企業の比較を行うと造船、時計、カメラ等の業種を除いて企業規模が国際水準に達している企業の数はまだ多くない。 例えぱ、日本の首位企業の売上高(1964年)は通信機械ではIBM(米)の16分の1、フィリップス(オランダ)の10分の1、乗用車ではGM(米)の28分の1、フォルクスワーゲン(西ドイツ)の3分の1、総合化学ではデュポン(米)の13分の1、ICI(英)の10分の1等で、国際水準に比べ企業規模は一段と小さい。

一方、最近の技術革新、規模巨大化の進展はめざましいものがある。 例えば、アンモニアでは、テキサコ法(高圧原油分解法)等による500トン/日プラントはつい最近までの新鋭工場だったが、現在ではI.C.I工法による1、000トン/日のプラントが本命とされている。 また、アメリカの鉄鋼業では既に旧式のミルをスクラップ・ダウンして電子計算機制御による150〜300万トン/年の大型ホットストリップを建設するという思いきった合理化が始まっている。

こうした状勢を反映して、西欧を中心として企業の合併、提携による産業再編成の動きが目立ってきた。 この1年間の動きをみても自動車産業におけるルノーとプジョーの連合(仏)、化学部門におけるモンテカチーニとエジソンの合併(伊)、鉄鋼におけるヘッシュのドルトムント・ヘルダーとの合併(西ドイツ)、さらには国境を越えてホーゴベンス(オランダ)との提携等々を挙げることができる。

このような国際環境の変化は日本の企業にとって国際競争の厳しさを加えることになるが、反面開放体制の進展は、世界を相手にして市場を拡大していくチャンスでもある。 競争によって日本の産業が衰退するか、あるいはそれをスプリングボードにして発展するかは、この新しい条件の変化に適応し、産業の合理化、生産性の向上に成功するか否かにかかっている。

第2は、需要構造の変化である。 投資については、30年代に入ってからは、岩戸景気までは、鉄鋼、機械等投資財部門が高く、その後、卸・小売りサービスや建設関係の投資が増えている。 今後とも投資財部門の投資の重要性が減ることはあるまいが、それと共に第3次産業は相対的にそのウェイトを高めよう。 また、消費需要については、第92図にみられるように、被服、家庭電器、レジャーと次々に新しい消費の対象が変化してきた。 最近では自動車やカラー・テレビ等の購入の増加の兆しがみられる。 また都市では住宅や上下水道等、社会的消費需要の伸びが大きかった。 しかしこうした大幅な需要の変化に供給は十分適応せず、カメラやテレビ等成長期の需要の伸び率に合わせて能力が拡大してきたものでは供給過剰が現れる一方、社会的消費の部面では著しい供給不足が発生する等アンバランスが少なくなかった。

第92図 家計支出の費目別構成比(実質)

第3の条件変化は、経済成長が進むにつれて、労働需給が次第につまっていくから、低賃金を前提としたような経営は成立できなくなるということである。 昭和30年代は、労働力供給という点で特別に恵まれた時期であり、40年代は、そうした条件は一変するという点については前述した。その上、東南アジアそのほかの開発途上国の工業化が進めば、単純な労働集約産業の国際競争力は弱まってくる。 企業は、賃金の上昇に耐えていけるような経営を行わなければならず、そのための技術の開発や労働節約的投資によって労働生産性を高めると共に、産業構造を高度化し、高生産性部門へと産業の重点を移していくことが大切である。

第4は、技術開発の必要性の増大である。 昭和30年代の経済の発展を支える力となったのは、輸入技術を中心にした技術革新であった。今後は新しい技術を自ら生みだしていかなくては国際競争に勝てなくなる。

最近では世界各国とも、新技術、新製品の鉱脈として研究開発を重視しており、研究投資は第93図のように毎年著増している。 技術革新のテンポを高めることによって、労働力不足を解消し、インフレのない高い経済成長を実現することが可能になるからである。

第93図 主要国の研究投資比較

しかし、日本の研究投資は37年以降やや伸びが鈍り、最近研究投資のテンポを高めている西ドイツやフランスとの差が広がっている。 国民所得に占める研究投資の比率でも日本では1.7%(39年度)で、米、ソ、英、西ドイツ、仏に比べ一段と劣っている。 もちろん、日本でも、最近では生産方法の改良や大型化、品質面の競争力強化や製品の多様化等があらゆる産業で数多くみられるようになって来たし、戦後、新技術のフロンティアとして出現した原子力、産業用エレクトロニクス、宇宙航空工学等も次第に実用化の範囲が広まり産業として発展する方向に向かっている。 しかし、世界的なリサーチ・マインドの加速化や、今後の日本の労働力不足等内外の諸条件を考えると、研究投資の格差が拡大の方向にあることは大きな問題だ。

技術革新とは、単に新しい製品の創造に止まらない。 新しい生産方法、生産や販売の組織の革新、新市場の開拓等はいずれも広い意味の技術革新だ。 生産の能率化を進め、新しい利潤機会をつくり出し、あるいは今後の資本自由化に備えて国際競争力を強めるためにも、技術革新を一層活発にして行くことが現在の重要な課題である。

日本経済は、以上のような諸条件の変化にかなりよく適応して転換に成功してきた。 もし、転換力に乏しかったならば、昭和30年代の高い成長は実現できなかっただろう。 産業構造の変化をみると第94図の通りであり、昭和30年代は第1次産業は年率6%(名目)の上昇であったのに対し、第2次産業は17%、第3次産業は14%増とはるかに大きく伸びた。 国民純生産中の第1次、2次、3次産業の構成比は昭和30年度には23:29:49であったが、39年度には、12:38:51となり、第2次産業の比重が著しく高まった。 また輸出構造の変化が早く、輸出に占める重化学工業品と軽工業品の比率は、昭和30年の38:49から40年度には62:30となり、重化学工業比率は上昇した(第108表)。 このように輸出構造の変化が早いことがめざましい輸出の拡大に成功した原因となったことも前に述べた通りである。 しかし、その適応は今後の経済の持続的発展という点からみて十分であるとはいえない。 中小企業の倒産の増大、企業利潤の低下、消費者物価の大幅上昇等は構造的な調整が進んでいない部面が多いことをもの語るものである。

第94図 産業別国民純生産(要素費用表示)のすう勢成長率

第108表 重化学および軽工業品の輸出

成長する経済の中で当然起きてくる変化の方向に沿って産業の高度化を進めていくためには、産業自体の適応の努力が基本であるが、しかし個々の産業の力をこえ、国民経済全体として解決されなければならない問題も少なくない、道路・鉄道等の施設、産業配置、技術者教育、住宅政策等のいかんが今後の経済の発展の方向を決める重要な要因となるだろう。 また今後の成長につれて伸ばしていくことが必要な分野については、設備の近代化や体制整備についてその誘導を進めると共に産業構造の変化に伴って発生する社会的経済的な摩擦をとり除き衰退部門の成長部門への転換を図っていくこと、技術進歩の成果を生かし、大規模生産の利益が発揮できるような量産体制の確立を図っていくこと、政府が新技術に対して積極的に開発投資を行い、また民間の研究を助成し、外国からの借りものでなく、自己の力による技術開発を進めていくこと等も、大切な産業政策の課題である。


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